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「少し休憩しようか」
「はい」
キリの良い所でそう言い出され、ロスヴィータは頷いた。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
飲み物を渡され、一口含む。微炭酸のミネラルウォーターである。ぱちぱちと喉を跳ねる感覚が気持ちいい。
「フリーデは、君に迷惑をかけていないかい?」
「いえ、むしろ助けていただいてばかりです」
「そうか。手紙には浮ついた事しか書いていないから少し不安だったんだ」
あんな可愛い妹がいたら、誰だって心配性にはなるだろう。安心させてやろうと、エルフリーデの事を話す。
「ぽんやりしがちですが、お願いした事は必ずこなしてくれます。
それ以上の結果で返してくれる事もよくあります。
私は、彼女が隣に立ってくれていなければ団長として存在していられなかったでしょう」
エルフリーデ。私の愛らしい妖精さん。時には凛々しく、頼もしい。彼女を思い浮かべながら語る。
「私の、男のような姿を否定しないでくれる、心優しい私の妖精です」
「そう。妹は王子様によく見てもらえて幸せ者だ」
ふわりと微笑んだそれが、エルフリーデの笑顔に重なる。
「王子様だなんて」
「フリーデは、君の事をそう呼んでいるみたいだったから。……すまない、迷惑だったかい?」
いつの間にか給仕から水菓子を手に入れたらしい。皿を差し出された。思わずそれをつまむ。口に入れると程良い酸味が広がった。
どうして次々とタイミングよく持ってきてくれるのだろうか。こんなに息のあう人物など、エルフリーデくらいだ。もし、エルフリーデが男だったならエルフリートのような感じなのだろうか。
「いえ、私は幼い頃手にした絵本のおとぎ話にあこがれて、王子になりたかった。
だから、エルフのようなあなたにそう呼んでいただけるのは嬉しいです」
「……私は、妖精さんではないのか」
「え?」
思わず聞き返す。エルフリートは口元に小さな笑みを浮かべたまま笑う。
「いや、妹は妖精なのに私の事はエルフと呼ぶものだから。
私の事も妖精さんって呼んでくれて構わないよ?」
からかわれてる。ロスヴィータは一瞬で悟った。そこで頬を赤らめるような人間ではない。
「良いんですか? おとぎ話の登場キャラクターに例えられるのは嫌なのでは?」
「はは、構わないよ。むしろどうやってフリーデの事をそう呼んでいるのか興味がある」
逆につつけば、そのままあしらわれてしまう。もしかして、本気で妖精と呼んでほしいのか? 戸惑ったものの、エルフリーデの兄である。もしかしたら似たような思考なのかもしれない。
「分かりました。今夜は、あなたが私の妖精さんになってくれるんですね」
きっぱりと言って見上げると、仮面で隠せないほどの笑みが待っていた。思わずその破壊力に釘付けになる。今まで彼の周囲に人だかりができなかった理由が分かる。
雰囲気が違いすぎて、近づきにくかったのだ。圧の強い雰囲気になったロスヴィータには、アルフレッドに話しかけられるまで話しかけてこようとする人間がいなかった。それと同じだったのだ。
今更、彼に自分が不釣り合いな気がしてくる。普段はそんな事気にしないのに。
「これでフリーデに自慢できる。私につきあってくれてありがとう。
ところで、今日は王子様と女王様、どっちで呼ばれたいかい?」
常にロスヴィータの事を立ててくれる。何て紳士的な人なのだろう。ますます気後れしてしまいそうだ。
「私のこの姿で王子というのも不思議な気がしますし、今夜は仮面舞踏会。
炎の女王でお願いします」
「承知いたしました、私だけの女王様」
恭しく片膝をついた彼は、ロスヴィータが差しだした手の甲へと軽く口付けた。何だか本当に騎士を連れた女王にでもなった気分だ。突然始まった茶番に、気後れしそうだと思っていた気持ちが吹き飛んだ。
「では早速、あちらにビュッフェがございます。
少し召し上がられてはいかがですか?」
「そうするわ」
気取った口調で言われて反射的に口調が変わってしまった。それを少し恥ずかしく思っている内に、エルフリートはごく自然にロスヴィータの腰に手を添えてダンスをするかのように誘導していく。
こんな兄を持ったら、妹もそうなるのかもしれない。率先して食事を取りに行く為手を離したエルフリートに、甲斐甲斐しく動いてくれるエルフリーデの姿がだぶって見えるのだった。
取ってきてくれたのは、食べやすく、身体のラインが変わるのを気にして小食になりがちな女性でも食べられるよう一口大に作られた料理だった。
生ハムが挟まれたサンドは、数曲踊ってほんのりと汗をかいた体に適度な塩分を与えてくれる。スモークサーモンとオレンジのマリネサンドも、味のバランスが良くておいしい。
普段と違う姿をしているのも忘れてしまいそうだ。
「おみ足は大丈夫ですか?
ヒールのある靴は普段履かないと妹から聞き及んでおります」
「少しの靴擦れくらいは問題なくてよ。
……それよりもやはり、口調まで変えるのは」
「仮面舞踏会の楽しみの一つですから。
あなたはただ、堂々としておられれば良いのです」
女王様と妖精ごっこは続けるらしい。エルフリートに指摘された足下が痛いような気がするが、それは意識が足に向いてしまったからだろう。骨折した時に比べたら、こんなのは痛みの内に入らない。
「少し休憩しましょう」
「え?」
「足の具合を確認させていただきます」
「大丈夫よ」
ロスヴィータはそう言うが、エルフリートは聞いてくれそうにない。さきほどロスヴィータをスムーズに案内して見せたように、腰に手を添えて無理矢理歩かされてしまう。
強い力で引っ張られたり押されたりといった強制的にされているような感じを与えないのがすごい。無理矢理、だと思っているのは自分の意志とは関係なく移動してしまっているからだ。そうでなければ、とても自然に誘導されているだけに感じるだろう。
――これが紳士力か。この技術、頼めば教えてもらえるだろうか。舞踏会などで必ず用意されている個室へ向かう間、ロスヴィータはそんな事を考えていたのだった。




