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聖者に治療を頼もうと思って、腕を見せたら怒鳴られた。
「ちょっと待っててください! 先輩ー!!!」
そしてどっかに行ってしまった。今回は胸元にさらしを巻いて下着を身につけたから幻惑の魔法を使わなくても良いし、想定外に誰かが来ても大丈夫。
のんびりと聖者が戻ってくるのを待っていたら、騒ぎを聞きつけたらしいロスヴィータが現れた。
「外が騒がしいけど、何かしたのか?」
「ううん。怪我を見せただけ。ロスは怪我の方ちゃんと診てもらった?」
そっちに行って良いかと聞かれて了承する。カーテンをまくって中に入ってきた彼女は制服を緩く乱していた。何かちょっと大人っぽい。こう……怠惰な王族みたいな、崩れた雰囲気を醸し出している。
日頃のきっちりとしたさわやかな王子様も好きだけど、これもなかなか良いっ!
「フリーデ、年頃の娘が下着を隠そうとしないなんて恥ずかしい――って、なんだその怪我!」
「え? ロスを守った勲章だけど」
ほんのりと思考が飛んでいたエルフリートの頭にロスヴィータの雷のような声が落ちてきた。確かにちょっと、ざっくりというか、ぱっくりといっちゃってるから見た目は良くないかもね。
痛覚麻痺の魔法を何度かかけて血止め薬も塗りたくったから、エルフリート本人はそんなに辛くはない。神経とかは切れてないみたいだから、本当に問題ないんだ。最初は脈にあわせて血が溢れて、見るからに重傷だったけどさ。
「あの時、ロスがまともに食らってたらと思うと、未だに背筋が冷えるのよ」
「馬鹿! 嫁入り前の娘のくせして、こんな……こんなっ!」
軽口を言うような態度のエルフリートに、ロスヴィータは激昂した。その瞳はきらきらと透明な膜で覆われている。それが膜ではなく、涙だと察するのに時間は必要なかった。ぽろりと滴がこぼれ落ちる。
「ロス、泣かないで」
そっとその手を引いて自分の膝に座らせる。彼女は促されるままに乗っかった。
「傷が残ったとしても、これはロスを守り抜いた勲章で、尊いものだから気にしないわ。
ドレスだって、レース素材で肌を透かせるものにすれば堅苦しくならないし、工夫次第でいくらでもごまかせるのよ」
「だが、いずれは誰かと添い遂げるのだろう。私はあなたを傷物にしてしまった」
彼女に大切にしてもらえているのはとても嬉しいけど、ロスヴィータを守って傷物になるなら大歓迎なのにな。まあ、そんな事を言ったって彼女の気はすまないんだろうね。
「この傷の価値が分からない人とは結婚しないもの」
「……何だその言い分は」
「ねえ、ロス」
指先で涙を拭い、頬を撫でる。興奮しているのか、いつもよりあったかい。
「傷が残っちゃったら、責任とって私と結婚してくれる?」
今の姿じゃ全然説得力のない、冗談みたいな本音が漏れる。
「……な、それ、は――」
「お待たせしました!」
「治療するから悪いけど話は後にしてちょうだい!」
ばたばたと数人の聖者が現れてロスヴィータを追い出した。ぽかんとしたエルフリートは、そのまま聖者たちに叱られながら妙なる技を受けるのだった。
自室に戻ったロスヴィータは、エルフリーデとのやり取りを思い起こして頭を抱えていた。あんなエルフリーデ、知らない。いや、知らなかっただけなのか。
ベッドの端に腰掛けた彼女はそっと目尻を拭った。
「何か、すごく凛々しかった……」
澄んだ眼差しがロスヴィータを優しく包んでいた。エルフリーデは自分のあの美しい肌に傷が残るかもしれない事など歯牙にもかけていない様子だった。
エルフリーデの美意識は人一倍強いと思っていた。ムダ毛一本たりとも許さないと言わんばかりの手入れぶりを見ていたし、流行に沿いつつも常に一目で彼女だと分かるようなドレスを仕立てていた。
そんな彼女が全く気にしないというのは意外だった。だが、考えてみればいつもロスヴィータを体を張って助けてくれていた。護衛代わりなのだから、これが普通なのだろうか。
いやしかし、彼女は素人だ。本職と同じ意識で動けるとは考えにくい。それに、ロスヴィータは彼女を親友みたいな存在だと思っている。少なからず、エルフリーデだって似たような風に思ってくれているだろう。
それにあの視線。あれは任務だとか、そういうのではなかった。ただ、ロスヴィータが無事で良かったという、純粋にロスヴィータを案じていた。まさに、慈愛に満ちた視線そのものだった。
淡い紫がかった瞳には柔らかな炎が揺らめいていて、ろうそくの灯火のようにロスヴィータを温めた。
それが動揺したままのロスヴィータの胸を今も温めている。何の動揺かといえば、あれである。あまりにもひどい怪我に思わず涙がこぼれ落ちてしまった時、そっと涙を拭ってくれた。そうして、彼女は爆弾を落としたのだ。
「せ、責任とって結婚って、何だ……」
同性なのに、何を言い出すのだあの娘は。発想が人間じゃないにもほどがあるというものだ。しれっと言うから、そのままどっちが妻になるのかと聞きそうになってしまった。
普通に考えたら、エルフリーデが妻でロスヴィータが夫という所か。あんな可愛らしい妖精さんが自分のパートナーとなったら、さぞかし周りに羨まれるだろう。ってそうじゃない!
あんな純真な瞳で、「責任とってくれる?」と聞かれて否定する人間がいるだろうか。いや、いるまい。
「でも、責任って私の場合はどうすれば良いんだ……!」
結婚はできない。ならば、それ以外でどうしてやるのが一番なのか、ロスヴィータには思いもつかない。
「結婚相手を見繕う……いや、駄目だ、私にはできないっ」
エルフリーデが治った腕を見せに来るまで、ひたすら悶々とベッドで転がるしかなかった。




