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この邂逅に感謝を ―1つ目―

作者: 喜内詠士

 最近、退屈過ぎて嫌になる。もう鬱になりそう。

 めぐみちゃんとお出かけできないし。

 本当に最悪。

 一緒にいる時間、もっと増えないかしら。


 あたしのお友達――布江めぐみちゃんは、今日も元気よく家を出ていった。赤く厚みのある鞄を背負って、いってきますと。

 ある条件がなければ、あたしはこの布江家でお留守番。彼女がいなくなった玄関で佇むだけの毎日。あたしを選んでくれたのはあの子なのに、放置されることが多い。仕方ないことだとわかっている。それでも一緒にいる時間を増やしたいと思うのは勝手だろうか。

 あたしは自分のことを他のなによりも美しいと思っている。勝てるのは、そう。いつもあたしより少し高い所に座っているアイツくらいか。ぼーっとしていて、一体、何を考えているのかわからないヤツ。時刻を知るために、ここの家族みんながアイツを見ている。そんなヤツだけど、ツヤのあるカラダがとても綺麗。悔しいけれど、めぐみちゃんのお母さんに大切にされているだけのことはある。時々、アイツのカラダに反射する光があたしに当たる。正直、眩しい。あたしが迷惑だと思っていることに気づいているのか怪しいところだけど。

 あたしがこの家に来たのは一年くらい前。それ以来、ずっとこの玄関を見守っている。本来の務めではないけれど。でもだからこそ、めぐみちゃんはもちろん、彼女のお父さんやお母さんと毎日会える。それだけでも幸せなんだけど、欲を言えば、もっと傍にいたい。

 でも、自分の居場所くらい自覚しているつもり。わがままいって、迷惑かけたい訳じゃない。そんなのわかってる。


 そんな日常を嫌なほど送っているが、外に出られる日ももちろんある。

 めぐみちゃんがあたしの手を笑顔で取って、連れ出してくれる。その時の気持ちが他のモノにわかるだろうか。大好きの気持ちが溢れて、彼女を包み込みたくなってしかたがなくなって、壊れそうになるくらいだということが。

 運良く一緒にお出掛けできた日には、彼女の友達に会うことが多い。そういう時は決まってその友達から褒められる。

 とっても可愛いねと。

 さすがね。あたしの価値を理解できるなんて、めぐみちゃんが選んだヒトなだけある。あなた達のお友達も素敵だと思う。まあ、あたしには負けるけどね。

 そんな外出も長くは続かない。楽しい時間を共にした後は、必ず別れがくる。といっても、布江家にいることには変わりないのだが。


 退屈な毎日を送っていると思われるかもしれない。でも、この家に来てからわかったことがある。

 特定のヒトに大切にされることが重要なんだと。

 以前住んでいた場所はもっと広くて、あたしと肩を並べるくらいの美しさをもつモノであふれかえっていた。

 凛としていたり、すまし顔をしていたり、前を通るヒトに笑いかけていたり様々だった。たまに隅の方で落ち込んだ雰囲気を出しているのもいたけれど、落ちこぼれなんかのことを考えたことはない。

 選ばれる理由がなかっただけの話。ただ、それだけ。陰気になればなるほど、手を取ってくれないことにどうして気づかないのか。所詮、その程度の価値なのだろうと冷めた目を送っていた。

 当時のあたしは、今以上に他のモノとの比較・対立ばかりに関心を向けていた。美しさこそ、全て。そんな世界で生きていたからなおさら。与えられた価値に、自分がどのように付加していけるのか、考え続けなければならなかった。

 布江めぐみちゃんと出会ったのは、そんな状況に少し疲れていた頃だった。一度通り過ぎたものの、また戻ってきてくれたことを今でも鮮明に覚えている。

 お父さんの手を引き、あたしを指さした。

「とってもきれい」

 丸い目をぱっちりと見開いて、彼女は確かにそう言った。

 その言葉を聞いた時、戸惑ってしまった。そんなことくらい、いつも自身で思っていたことだったのに。まさか、自分が子どもに選ばれるなんて思ってもみなかった。あたしと同じくらい美意識の高いヒトに求められる未来を描いていた。

 ちょっと腑に落ちないところはあったけど、彼女に惚れ込むのに時間はかからなかった。

 彼女はとにかく、あたしを大切にしてくれた。あたしに触れる時は、そっと丁寧に。連れ出す時は、傷つかないように周囲を見ながら歩いてくれた。

 こんなに想われていながら、嫌いになったり見下すなんてできる訳ないじゃない。


 今、改めて思う。彼女に選ばれて良かった。

 選ばれることに必死で、選ばれた後のことを考えていなかったあたしにとっては、盲点だった。もし、めぐみちゃんが悪い性格でこの身を乱暴にされていたら、この美しさを保てなかったかもしれない。もし飽き性だったら、とっくに捨てられていたかもしれない。想像しただけで、ぞっとする。

 あたしがあたしであり続けるためには、彼女のような存在が不可欠だと思い知らされた。

 さすが、あたしを選んだ子――じゃなくて、あたしを見つけてくれた子。でもなくて、あたしと出会ってくれた子! このめぐり逢いに感謝しなきゃ。

 だから時々、彼女の「いってきます」が怖い。そのままここに置いていかれたらどうしようと思う。彼女がそんなことをする子じゃないってわかっていても、不安になってしまうこともある。あの子を想えば想うほど、いつか急な別れが来てしまうのではと、暗くなった玄関で苦しむ日も次第に増えてきた。


 いつものように玄関で佇んでいると、お母さんの声が奥の方から聞こえた。

「今日はやめておきなさい!」

 どうしたのだろう。普段、声を荒げる人ではないので驚いた。

「いいでしょ! 早めに帰るから!」

 めぐみちゃんも負けないように、強く言葉を放った。二人ともどうしたのだろうか。

「今日は大雨になるんだから、やめなさい!」

「どうしても借りたいの!」

「ちょっと、めぐみ!」

 何が起こっているのか把握できないでいると、急ぎ足でめぐみちゃんがやってきて、あたしをつかんで玄関の扉を開けた。外は曇っていたが、雨が落ちてくる気配はない。まだお母さんが何か言っていたが、めぐみちゃんは足を止めることなく家から離れて行った。


 小さなあたしのお友達は、灰色に染まった街を迷いなく歩いた。記憶を遡ると、おそらく行先は図書館。以前にも何度かこの道を通っている。家から約十分の位置にあっただろうか。めぐみちゃんには、それなりの距離である。

 住宅街を抜け、大きな坂道を二回超えた先に目的地はあった。幸い、まだ雨は落ちてきていない。

 途中から現れる木々に囲まれた道に沿って進む。少し開けた空間に木製の遊具が点在していた。このような天候だからか、誰も遊んでいない。

 めぐみちゃんは道から外れ、その遊具の間を通るように歩いた。最短コースを進むつもりなのだろう。道は舗装されているが、図書館へ向かうには迂回することになってしまう。土の上を踏むことになるが、急いでいる彼女にとっては都合が良い。

 いつもより静かな図書館に着いた。しばらく玄関でめぐみちゃんを待っていると、二冊の本を鞄に入れて戻って来た。少し重そうだ。でも顔は満足そう。 

 彼女にとって、そんなに大切な本なのだろうか。お母さんと言い合いまでしてここに来ている。じわじわと嫉妬心が湧いてきた。

 あたしと再び外に出て間もなく、雫が落ちてきた。あたしはめぐみちゃんを守るように身を寄せた。めぐみちゃんもあたしの手をしっかりと握った。

 来た道を駆け足で戻る。土はまだ柔くなっていない。彼女が転ばないか見守っていると、急に強い風が吹いた。小さい身体がバランスを崩す。

 めぐみちゃん! 

 あたしは身が冷えるのを感じた。彼女の踏ん張りがきいたのか、転ぶことはなかった。怪我をしなくて良かった。

 だが、安心するのは早かった。状況は刻々と悪化していた。弱かった雨も勢いを増してきた。強くあたしの手を握るその表情は辛そうだ。

 あたしはその身を守るように奮闘し続けた。それにしても、今日の天気は酷い。お母さんが止めた理由がよくわかる。

 めぐみちゃんの手が冷たい。本の入った鞄を庇っているので片腕がびしょびしょだ。

 そんなモノ、どうだっていいじゃない! もう! なんなのソイツら!

 めぐみちゃんをこんな目に合わせた原因だってわかってるの?

 その二冊さえいなければ外に出ることはなく、腕をこんなに濡らすこともなかった。

 憎い。ただただ憎い。

 あたしが恨みを込めて鞄を睨んでいたから気づかなかった。いや、気づいていても伝える方法はなかったのだが。

 布江家まで、あともう少しのところで、それは起きてしまった。

 あたしが何度もめぐみちゃんの視界を奪っていたこと。雨音で周囲の音がかき消されていたこと。

 不運が重なった。近くまで車が来ていたことに気づかなかった。

「めぐみ!」

 彼女のお母さんの声がする。

 冷え切った彼女の手が、あたしから離れる。

 強い衝撃。全身がバラバラに砕けていく。美しいこの身が壊れていく。

 あたしは空から打ち付けられる雨粒に負けることなく、宙に舞った。

 めぐみちゃんは……?

 ああ、良かった。

 お母さんの腕の中だ。

 あたしの可愛いお友達の愛らしい目には涙があふれていた。

 きっと今のあたしは醜いのだろう。だから、彼女は泣いるのだろう。

 ――この子にとっての最良でありたい。

 ――この子の一番の自慢になりたい。

 ――この子の笑顔をつくれるのはあたしでありたい。

 傲慢な望みだったのだろうか。願いが身を亡ぼす原因になるなら、情などというものが存在しなければ良かったのに。でも、情がなければ、彼女を想うこともできなかった。なんて矛盾だろう。

 あたしの身が地に打ち付けられる。同時に、めぐみちゃんが駆け寄ってくる。お母さんが彼女を連れて行こうとするのも無視して。

 ほら、風邪をひいちゃうから、早くお家へ入って。

 でも、最後に。

 ねえ、あの時、選んでくれてありがとう。大切にしてくれてありがとう。

 あたしは他のモノに比べて幸せだったと思う。

 なんたって、めぐみちゃんのお友達になれたんだから!

 さようなら、あたしの、可愛くて、優しい、お友達。

 こんなに醜くなってごめんね。

 感謝と少しの後悔と共に、あたしの意識は薄れていった。


「できた!」

「何?どうしたの?」

「見て、お母さん。可愛いでしょ?」

「あら、シュシュ?」

「うん、作ったの!」

「上手! お母さんにも作って欲しいわ」

「えへへ」

「それにしても綺麗な生地ね。こんなのどこで買ったの? ――あれ?これは」

「気づいた?」

「めぐみ、あの傘大好きだったもんね。あの時はどうなることかと思った。もうあんな天気の悪い日に出かけちゃ駄目だからね」

「うん、わかってる!」

「本当にー?」

「本当。もうこんなこと、起きてほしくないし」

「そうね」

「私ね、これを買ってもらった時、すごく嬉しかったんだ。だって、とっても綺麗な柄なんだもん!」

「お父さんの傘を買いにデパートにいったのに、めぐみのを買ってくるんだもの。驚いたわ。めぐみが自分から欲しいって言うなんて、珍しいなと思ってよく覚えてる」

「それだけ好きになったの! 一目ぼれってやつ」

 そう言って、めぐみちゃんは生まれ変わったあたしをギュッとした。


 ――こんな姿、あの時の陰気なモノより酷いじゃない。他の何よりも醜いあたしなんて、誰にも相手にされない。美しくないなんて。なんの価値もない! 存在している意味がない! 

 意識が戻った私が自分の姿を見た時、愕然とした。すらりとして非の打ち所がない姿が、打ち捨てられたゴミのようになっていた。

 めぐみちゃんはただ黙ってあたしを見つめていた。その気持ちは読み取れない。難しい表情をしている。嫌われたんだと思った。そうではないと理解するには、少し時間がかかった。

 彼女はあたしを傘から髪飾りに生まれ変わらせた。

 傘として役割を果たさなくなったのだから、布切れにされても文句は言えなかった。切り刻まれて、このまま捨てられるのかと失望していたら、違った。彼女はあたしに針を通し、輪になるように縫った。終わったのか、あたしを髪に着けると鏡を覗いた。

「やっぱり可愛い」

 そこには彼女の長い髪に絡みつくあたしの姿があった。

 芯のある身ではなくなった。彼女を雨から守ることもできなくなった。だが、確実に彼女との距離が縮まったとわかると、嬉しさがこみあげてきた。

 これまでより高い位置から叫ぶ。

 見なさい! 彼女に最も気に入られているのは、このあたし!

 自分に言い聞かれるように宣言した。

 いつの日か、あたしの役割が終わって捨てられても。どこかで落とされて離れ離れになっても。あたしはこの子のことが大好きでいられる。できるなら、それは何年も先であってほしいが。


 あの時、あの場所で、この世の終わりみたいな顔をしていたモノは今頃、何をしているだろうか。まだあの場所に居続けているのか。それとも、あたしにとってのめぐみちゃんに出会えているだろうか。

 今のあたしを見たら笑うかもしれない。馬鹿にするかもしれない。

 それでもいい。この子があたしに愛を降り注いでくれた。

 それだけで、もう、十分よ!


『この邂逅に感謝を ―1人目―』に続きます。

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