Scene4
次に意識を取り戻したとき、オレは車の後部座席に寝かされていた。身につけていた白いシャツは発汗により湿り、体にひっついていた。こうした不快感はあったが、身体から熱を出し切ったような爽快感の方が強かった。
オレは反射的に身を起し、立ち上がろうとしてしまい車の天井に頭頂をぶつけた。オレは頭頂を押さえ呻いたが、数秒後には自分の感覚の大きな変化に気づき、頭頂の痛みを忘れていた。
五感が研ぎ澄まされていたのだ。車が左右に振れる感覚、少し固めのソファの感触。黒服の運転手がアクセルを踏み、モーターが回る音。そして助手席の女性から漂う甘い香り。この全てを同時にかつ鮮明に認識できる。
オレが自分の変化に困惑していると、助手席の女性がオレの方を向いた。長い黒髪が肩からこぼれ、繊細に広がっていく。その髪の美しさにも思わず息を呑んでしまう。しかし、それ以上に惹かれてしまうのは、吸い込まれてしまうような紫の瞳だった。
「……マザー」
巷での彼女の通り名を、オレは声に出した。というよりも、オレはその通り名でしか彼女の名前を知らなかった。他に知っていることと言えば、彼女が魔術の発展に多大な貢献をもたらした女性ということくらいだった。
マザーはオレをみると、淡々とした口調で、
「体の調子はどう?」
オレは自分の体に起こったことを最初から説明した。冗長な説明であったが、彼女は僕の顔をみて相槌を打ってくれる。動いている車の中で、酔ってしまわないかと逆に心配になり、僕は早口でしゃべった。説明に耳を傾けたマザーも相づちを打ち、会話を弾ませていく。
「新薬でアレルギーが改善されたようね」
「アレルギーの改善だけで、こんな変化が起こるのか?」
「現代人は身体に注入されたナノマシンの力で第六感を高められている。それがあなたが感じている違和感の正体よ。これまであなたが服用していた薬は第六感の働きを抑えるものだった。今のキミの感覚は現代では普通なものよ」
「あの白衣の男はどうした?」
「先に帰ったわ。あんなでも、忙しいから」
オレは歯を噛みしめ、
「あの野郎、次に会ったらぶっとばす」
「……外を見て」
マザーに指示され、オレは言われるがままに窓の外を眺めた。空は緋色に輝いていたが、カーブの先は藍色に染まりつつある。正確な場所はわからなかったが、左手に土砂崩れ防止のコンクリートが敷かれたカーブを曲がっている。対向車線の方を向くと崖になっており、風に煽られた木々が深緑色の葉を揺らしている。
正体は数分後、車がカーブを抜け、下り坂に差し掛かったときに解った。前方には星空を地上にこぼしたように輝く街並が広がっていた。オレはその街並に吸い込まれるような感覚を覚えた。この場所に既視感があったからだ。面影はほとんどないが肌で感じていた。
目の前に広がる街はオレの故郷なのだと。
「あの街、『特区』が次の職場よ」
そのとき、状況を理解した。
オレは白衣の男に特区のエージェントとしての素養を見られていたのだ。
オレはやられたと心中で呟いた。
そして窓の向こうの街並みを眺めた。