2-2 ナリト国、シューレンの森の奥で
眉間に皺を寄せ、目をかっ広げたまま少年を凝視する。
いやぁ…嘘でしょー…コレ。
思わず頭の中で漏れたのがこの一言だった。
話には聞いたことはあるものの、記憶を失った人間なんて見たことが無かったため、安易には信じ難いことだった。
そもそも、彼に治癒術を施した時には頭に記憶を飛ばすほどの大きな外傷は無かったのだ。
だが目の前の少年はみるみる青ざめて震えだした。
「思い出せない、思い出せない…ッ」
両手で頭を抱えて焦点の合わない視線が泳ぐ。その瞳がじわりと滲んだ。
異常な少年の様子に、彼の言った事は恐らく本当の事なのだろうと信じることにしながら、ユカは彼の両肩を掴んだ。
「あー、とりあえず落ち着け、少年」
少年の薄青い瞳とユカの濃茶の瞳が合わさる。
少年は、ほろほろと涙を流しながら彼女に縋った。
「僕は…僕は…」
「…」
ユカは一通り落ち着くまで少年の背をさすってやりながら、さてどうしたものか、と思案せざるを得なかった。
「…ちょっとは落ち着いたね」
泣き終えてしばらくして、彼女の声に、すん、と鼻を鳴らしながら少年はゆっくり顔を上げた。目は赤く微かに腫れている。
濃茶の瞳を僅かに細めながら彼女は笑う。
「あーあ、目ぇ少し腫れたね。」
さて、と彼女は彼から少し離れて座り直す。
「思い出せないかー、困ったねぇ。」
少年は目を再び伏せる。言葉の出ない少年に向けて彼女は続けた。
「君の怪我を治した時、頭に記憶が無くなるほどの外傷はなかったんだよね。だから怪我が原因ではないと思う。
…けど、まぁもしかしたら、と思い当たる事もあるにはあるんだけど…」
魔法、というものが存在するこの世界において、治癒以外の人体に影響するような魔法は禁呪とされている。そもそも、禁呪を行うにしても膨大な魔力が必要で、並の人間には扱えるものでは無い。
だが目の前の少年は、容姿から察するにいわゆるイイトコの坊ちゃんであるからして、どこぞの跡継ぎともなれば、陰謀沙汰に巻き込まれて云々という事も有り得る。
「んー、その線かどうか調べるか。とりあえず今身につけているもの、見せてくれる?」
少年は自身につけているものを地面に置き始めた。と言っても大して物もなく、胸ポケットからハンカチ、懐から精巧な装飾の小刀、首から提げていた淡く白い石のシンプルなネックレス。そして、これも君のだよ、と寝かせるのに邪魔だったから外されたのであろう、重厚な鞘に収められた剣を手渡され、それも地面に置く。そのくらいだった。
ユカは置かれたそれらに目配せし、まずは小刀を手にした。装飾の美しいそれを鞘から僅かに引き出した瞬間、バチッと閃光が走り、突然の痛みに小刀を落としてしまった。
「いてッ!」
「大丈夫ですか!?」
少年は突然の事に驚きながらも彼女を見る。少しだけ赤くなった手を擦りながら、小刀を見やる彼女は、ビリビリカッターかよ…とぼそりと呟いた。
その後、ハンカチ、ネックレス、剣と一通り見終わったユカは、ふ、と息を漏らし、一つ一つ少年に手渡しながら解った事を伝えた。
「とりあえずハンカチは普通のハンカチ。強いて言うならお高いヤツですね。」
少年はハンカチを受け取り、胸ポケットに戻す。
「次に剣。こちらもえらくよろしい品物。匠が良い仕事してますね。そこいらで買えるようなものでは無いので、それを持つということは、君のお家は結構な身分なんだろうね。」
結構な身分、とはどのくらいなのか、と考えながら受け取った剣を少年は自分の横に置く。
「んでこのネックレス。強い守りの願いが込められていたようだね。けど弱まってる。まぁたぶん大切な物だから無くさないように。」
受け取ってそのまま再び首にかけると、不思議と心が落ち着いていくのがわかった。
「最後に小刀。普通の小刀だと思って抜くと電流が走るビックリ仕様とは驚きだね。これはこの物自体に術がかけられてるから、決まった人しか抜けないんじゃないかな」
抜いてみれば?と、小刀を受け取りながら言われたが逡巡し、抜かずに懐に戻した。
「まぁ目の前であんなバチッとしたのを見りゃ、抜きたくなくなるわな…」
はぁ、とため息をついて、あぐらに頬杖を付いたまま、空いている左手を少年に向けて手を差し出した。
「…手、貸して。最後に君の体に残ってるかもしれない、外の魔力を探ってみるから」