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ちっとも凄くない 寺生まれのKさん

ちっとも凄くない寺生まれのKさん 『始まりはクリスマス』前編

作者: 満月すずめ

――寺に生まれなければ良かったのかな、と思うことがある。


 ウチの寺は随分古くからあって、嘘か真か平安時代の陰陽寮との繋がりもあるという。確かに蔵にはやたらと古そうなものが大量にあって、一つウン千万とかするらしい。金に困った時は親父が馴染みの業者に売っている。

 歴史も由緒もある寺だが、世間様では全く聞かない宗派に属している。何でも、『裏』の宗派らしく、実は織田信長の比叡山焼き討ちはウチの宗派を匿ったせいとかなんとか。

 子供心になんでもありだなと内心で突っ込んだのを覚えている。


 しかも、ウチはその本家だというのだ。総本山と呼ぶべき場所は別にあるのがややこしい。神仏習合の際のごたごたとか、明治維新の折に云々とか、色んな話を聞いた。

 ご大層な由来は爺さん婆さん以外ろくに信じちゃいない。

 妙に金があって、やたらと広くて、町がまるごと檀家さんで、人形を供養したりする。

 ふざけた話は数あれど、ともかく俺の生家はそういう田んぼと山に囲まれた古い寺だ。


 だから、俺はやたらと周囲に期待された。


 由緒ある寺の一人息子。母親は俺を生んですぐに死んだから、まさに一粒種だ。

 それはもうガキの時分でもはっきり分かるほど注目を集めた。特に親戚筋の集まりに顔を出しに行ったりすると針の筵だ。例の総本山とやらが良く会場になっていた。

 親父の車の中で、小学生だというのに胃の痛みを味わったのを覚えている。

 親父が再婚すれば話は別だったのかもしれないが、周囲からも勧められていたのも見ているが、それらを全て断っていた。


 父一人、子一人。周囲の視線に晒される俺を、親父も庇いようがなかったと思う。

 親父に別に文句はない。再婚されたって、俺も困る。

 だから、期待に応えようと思った。

 やれることはやった。勉強も運動も、比叡山に匿われていた時に伝わったという武術も一生懸命学んだ。

 礼儀作法だって必死に覚えた。誰かに褒められる度に、これでよかったのだと安心できた。

 行儀良く、愛想良く、勤勉に、理知的に、情緒を解して。

 それが、寺に生まれた自分の使命だと思っていた。


 全て台無しになったのは、中学二年生の時だった。


 親戚筋の集まりで、部屋の隅を指差して、見えるか、と言われた。

 何のことかさっぱり分からなくて、風情のある答えをせねばならないと思って、夏の猫の特等席ですね、と答えた。


 その時の親戚の顔を、俺は良く覚えていない。


 酷い顔をされたということだけは覚えているが、具体的には思い出せない。ともかくすぐに親父が呼ばれ、更に色々訳の分からないことを聞かれた。

 何一つ分からず、呆然としていた。


 そして、俺は誰からも期待されなくなった。


 親父の血筋に必ずあるべき力が、俺にはなかったのだ。

 それは、多分世間的には『霊力』とかそういう言葉で表現されるもので、努力でどうにかなるものじゃなくて、今までの全てはそれに比べればクソの役にも立たない。

 運動も勉強も武術も礼儀も愛想も情緒も、丸めてゴミ箱に突っ込まれた。

 跡継ぎとしての資格を失わなかったのは、俺しかいないからという理由に他ならない。


 体に流れる血以外に、俺の価値はなくなった。


 俺はもう、総本山には呼ばれなくなった。


 行こうと思えば親父についていけば、誰も咎めはしないだろう。でも、わざわざそんなところに行きたくなかった。

 空気みたいな扱いをされるなら、最初から行かない方が誰にとってもいいはずだ。

 俺がこの有様だからか、親父も強い勧めに抗えず養子縁組をすることになり、中学を卒業する前に妹ができた。

 きっと、親父なりに俺を守りたかったのだろう。

 具体的にどういう意図か察するには、俺には何かも足りなかった。


 父一人、子一人。

 田んぼと山に囲まれた田舎の、ご大層な由来のある古い寺。

 その出来損ないの跡取り坊主が、俺――吉備綱仁(きびつな じん)を意味する全てだった。



  ※             ※               ※


 十二月二十一日。例年より少し早い、高校に入って二度目の終業式。

 校舎裏を流れる川を見ながら、壁に背を預けて煙草をふかす。


 冬でなければ土手に寝転がるところだったが、流石にこの季節にそれは寒い。

 余りに寒いものだから、身を縮こまらせてマルボロを口に咥える。俯き加減だと丁度いい。

 煙を吐き出しながら、何で正式名称はマールボロなのに伸ばし棒が消えたのだろうと考える。言い難いからか。心底どうでもいい。


 二学期も終わり、いつもより少しだけ早く冬休みが始まる。終わるのも実は一日遅い。平成最後に太っ腹なことをしてくれるものだ。

 そういうとこだけは、都会もこのド田舎の吉備津名(きびつな)町も変わらない。どのくらいド田舎かというと、校舎裏に川が流れて土手があるくらいだ。

 通う高校も一年に一クラスが基本で、二クラスあれば調子が良い年と言える。クラスどころか、学校中顔見知りしかいない。

 一つ外に出れば田んぼと畑で、遠くを見れば山。商店街はまだ巨大ショッピングモールに侵食されておらず、ジャンプは一日遅れで届く。そういう町だ。


 右を見ても左を見ても檀家さんしかいないから、中学二年まではクラスでさえ気を使った。我ながらよくやるものだと思う。

 未だに日本は村社会だということを教えてくれるのが、この吉備津名町だ。


 胡坐をかいていると、床にべったりついた尻が冷える。

 雪は降っていないが、そろそろ霜が降りるかもしれない。天気は悪く、雲がどんよりと空を覆っている。この時期は、なんだか曇りが多い。


 煙草の火で体を暖めるように、肩をすぼめた。

 チャイムがいつ鳴ったかは、もう忘れていた。


「いた、仁!」


 声に釣られて顔を上げれば、毎日見る顔が小走りに駆け寄ってくる。

 生まれた時からの幼馴染、島原依歌(しまばら よりか)。所謂二つ結びをしていて、笑顔が良く似合う。活発な方ではあると思うが、特に部活動には入っていない。以前一度入ってみたらどうかと言ったが、「世話が忙しくて無理」と断られた。


 別に犬や猫を飼っているわけではない。世話、とは俺と親父の事だ。

 男やもめの暮らし、家事に不便があることは否めない。掃除や洗濯ならどうということはないのだが、料理となれば話は別だ。

 親父はからっきしだし、俺も子供の頃はあれこれ忙しくて料理にまで手が回らなかった。だから、かつては専ら冷凍ものか惣菜、それに飽きれば出前といった具合だった。


 その状況が改善されたのは、小学四年か五年くらいの頃だったと思う。

 母親から習った料理を実践したいと、依歌が作ってくれるようになった。

 最初こそ相応の出来栄えだったのが、年が経つ毎にめきめきと上達して、今ではもうかつてのような食生活は無理だと思い知らされている。


 そのせいで、どうにも頭が上がらない。別に無理に上げる気もないが。

 俺の目の前で足を止め、白く形の残る息を吐き出す。頬が微かに紅を差しているのは小走りになっていたせいか。


「ホームルームだよ。先生が連れて来いって」

「あぁ、もうそんな時間か」


 すっかり忘れてた。そう言うと、依歌は困ったように眉を寄せた。

 学校に来て教室に顔出して、なんとなく吸いたくなって終業式の前に一本だけと思っていたはずがだいぶ時間が過ぎていたようだ。

 悪気はないから許してくれないだろうか。やっぱ駄目か。


「どうせここだろうって思ってたけど。先生呆れてたよ」

「すまん。チャイムに気づかなかった」

「いつもそう言う。本当に怒られても知らないから」

「多分大丈夫。先生もマルボロ吸うし」

「何が大丈夫なのそれ……?」


 意味が分からない、というように依歌が片眉を上げて首を傾げる。

 同じ銘柄を吸う仲間意識、というのは吸わない人間には良く分からないものなのだろう。尤も、別にそんなことをしなくてもこんな田舎で煩く言う人はいない。


 身内のすることにはとにかく甘く、軽いものなら見て見ぬ振りをする。村社会の悪いところであり、俺のような捻くれ者には都合のいいところだ。

 一応、クラスにも他に似たような捻くれ者が二、三人いるから通じる手でもあるのだが。


 教師とて、面倒は御免なのだ。一人ならともかく、複数相手などやってられないだろう。

 田舎で問題を起こすのは、下手をすれば都会よりも面倒らしい。この町で生まれ育った俺には良く分からないが、中学の担任が言っていた。


 出来損ないになってから見つけた、ずるい抜け道だ。


「もういいから、行こ?」

「あぁ、悪い」


 寒そうに肩を震わせる依歌に申し訳なくなり、煙草を磨り潰して携帯灰皿に突っ込む。気づけば三本も吸っていた。

 立ち上がって歩き出せば、逃がさないようにする為か依歌が少し後ろをついてくる。


「別に逃げないから、隣来いよ」

「うん」


 少しだけ足を緩める。少し足早になって、依歌が隣に並んだ。

 歩幅を合わせるのは面倒だから、歩く速度を調節する。寒くてポケットに手を突っ込んだ。


 高校一年の冬。

 三日後は、高校生になって初のクリスマス。

 中学二年までは、総本山に呼ばれていた時期。

 多分今年は、親父だけが呼ばれるのだろうと思う。

 また、煙草が吸いたくなった。



  ※            ※              ※


 煙草を吸うようになったのは、中学三年に上がった頃。

 クラスメイトの所謂不良に誘われて、分けてもらったのが最初だ。


 そいつ、というか一年一クラスなものだからほぼ全員が小学校からの付き合いで、基本的に仲は良い。昔からその辺気を使ってたから、というのもあるが。

 中でもその不良とはウマが合い、たまに一緒に遊んだりする仲だった。

 そいつが、三年に上がった時に校舎裏に誘い出して煙草を一本渡してきた。どうだ、なんて適当に言われて。


 初めて吸った煙草は苦くて不味くて、この世のものじゃないと思った。

 咳き込む俺をそいつは笑って、そのうち慣れると適当なことを言った。

 煙が肺に入ると頭の中が痺れて何も考えられなくなって、力が抜けて泣きたくなった。


 次の日から、煙草を買うようになった。

 マイセン、セッタ、キャスター、ハイライト、アメスピ、ケント、ロンピにショッピ。メンソールにも手を出してみたし、変り種ではわかばも吸った。最後にラッキーを経由して、結局は赤マルに落ち着いていた。


 最初に()んだ味。

 巡り巡ってそことは、人間にも刷り込みみたいなものはあるのかもしれない。

 それとも、俺だけか。その可能性は高いかもしれない。

 もう意味なんかないとわかってて、役に立たないと理解していても、幼い頃からの習慣から抜け出しきれていないのがその証明だ。


 朝にジョギングして大仏様に礼をして、学校から帰ってきて掃除をして課題をして鍛錬をして勉強して寝る。

 土日は裏山の墓地を掃除して庭の手入れをして母親が遺した花壇を世話して、平日と同じ日課をこなして寝る。


 ずっとずっと、この繰り返し。

 力のない俺が何したってどうしようもないのに、寺を継いだって仕方ないのに、自分が後継者なのだと信じきっていたあの頃と同じことをしている。

 どうせ、継いだって子供を作ることくらいしか期待されていない。いざや子供が生まれたら、今度はその子が俺以上の期待を背負わされて潰されるだろう。

 寺を継いだっていいことなんて一つもないのに、馬鹿の一つ覚えで繰り返す。


 意味のない人生。

 意味のない努力。

 それでも、やめたら何して生きていけばいいか分からない。


 親父はきっと、俺が寺を継がないといっても笑って受け入れるだろう。それが分かっているから、尚更どうしたらいいのか分からなくなる。

 継ぐことが当たり前だったせいで、頭の中に選択肢がない。

 結局他に何もすることがないから、今まで通りの習慣を続けている。


 煙草を吸っている時だけは、何もかもを忘れられる。

 気がつけば、すっかり煙草屋の爺さんとも顔馴染みになってしまった。


 高校を卒業したら、ジッポを買うと決めていた。



  ※          ※            ※


 終業式の日は午前で学校が終わる。

 平日よりも余裕があるから、掃除の前に庭の手入れをした。それでもまだ余裕があったので、蔵の掃除もついでに。他にすることはないのかと我ながら思う。


 掃除をする分には、うちの寺はそこそこ楽だ。広さはあるが、本堂と母屋が繋がっている……というより、母屋の一部が本堂といった形なので、移動する手間が少ない。

 寺とは大体こういうもんだと思っていたから、余所に行った時は驚いた。人間、自分のいる世界が当然だと錯覚するものだ。


 掃除を終わらせて居間の炬燵で冬休みの課題をこなす。本来なら自室でやった方がいいのだが、玄関から距離があるせいで人が来ても分からないことがある。

 そうすると、飯を作りにきてくれた依歌が臍を曲げる。依歌が臍を曲げると、食卓の空気が重くなる。食卓の空気が重くなると折角の飯が不味くなる。

 というわけで、夕食の前は居間で課題をするようになっていた。朝と昼は無理だ。そもそも家にいない可能性がある。


「来たよー」


 チャイムも鳴らさずに依歌が上がってくる。昼にも来たので、本日二度目。一々チャイムを鳴らされる方が面倒だと、随分前に共通認識ができていた。

 腰を上げて迎えに出れば、廊下の途中で出くわした。勝手知ったるなんとやらで、もうお互い気にもしない。


「今日の晩飯なに?」

「ハンバーグとじゃがたまチーズ、あとはトマトのサラダかな」

「ノートはどれ持ってく?」

「数A。今のうちにやんないと、三学期ついてけなくなっちゃう……」


 居間から襖一枚隔てた台所に入っていく依歌を見送って、自室に足を向ける。

 依歌が食事を作ってくれるようになってから、せめてもの恩返しにノートを貸すようになった。

 俺がやっていることの中で、一番役に立てそうなのがそれだけだった、というだけだが。やることなくてしていることが、役に立てればそれがいい。

 大したお返しにもなっていないが、依歌は喜んでくれていた。それが、ほんの少しだけ誇らしかった。


 ノートをとってきて、また炬燵に足を突っ込んで課題を再開する。襖が開けっ放しだから、台所で料理をする依歌の背中が見える。

 包丁とまな板が立てる、トントントン、という音。フライパンが鳴らす、ジャージャー、と焼ける音。冷蔵庫を開ける音に、ハンバーグの種をボールでこねる音。


 そして紛れ込むように聞こえる、依歌が口ずさむ歌。


 料理をしている時、依歌は意識せずに自然と歌う。その癖が出だしたのは、中学二年くらいからだったか。

 その歌を聴くのが、好きだった。


 頭の中が空っぽになって、心地よくなる。今日歌っているのは、YUAとかいうアイドルの歌。よく知らないが、最近テレビでよく流れているから聞き覚えがある。

 課題をする振りをして、俺はずっと聞こえてくる音に身を委ねていた。


「仁、もう出来るからおじさん呼んできて」

「分かった」


 いい匂いがさっきから漂ってきていた。

 じゃがたまチーズは俺の好物だ。薄くスライスしたじゃがいもをバターを溶かしたフライパンで軽く炒めて、卵とチーズでとじる。めちゃくちゃ美味くて、いくらでも食える。


 持ってきたノート以外を片付けて、自室に放り込んだ後に親父の部屋に行く。

 古臭い寺らしく、ドアといったものはない。廊下からは障子一枚、部屋の間は襖一枚。ノックすらできないので、部屋の前で声をかけるのがマナーだ。


「親父、開けるよ」

「おぉ」


 障子を開けると、見事な剃髪の坊主がいた。

 俺の親父にしてこの寺の住職、吉備綱秀徳(きびつな ひでのり)。四十半ばでがっしりした体格をしており、多分喧嘩したら負ける。

 背も俺より高く、入道という言葉が似合いそうだ。腕の太さといったら、俺の1.5倍はあるんじゃないかと思う。

 これで、ウチの家計に流れる『力』も歴代上位だという。神様ってやつはつくづく理不尽で不公平だ。どうして息子のはずの俺がこうなのか。


 母親のせいだと、親戚筋で噂になっていると聞いたことがある。その度に、俺も親父も唇を噛み締めてきた。

 だからか、俺より圧倒的に優秀な父親のことが嫌いではない。その影を踏む人生も、そう悪くないとさえ思う。

 影さえ踏めないとは思いも寄らなかったが。


 親父は机の前に座って、なにやら巻物のようなものを読んでいた。

 こう見えて親父は読書家で、隣の部屋は丸々書斎になっている。まぁ、実際は本棚で埋め尽くされているだけだが。

 民俗学も噛んでいるらしく、時折大学の教授だという人が尋ねてくることもある。真面目な話をしているかと思いきや、酒飲んでイカの足を噛んでいた。親父の知り合いはそんなんばっかだ。


 ともあれ、そうして古い文献を読んでいること事態は珍しくない。ただ、親父の顔が真剣そうだったのが気にかかった。


「親父、何かあった?」

「ん? あー……いや、そうだな。食事の時にでも話そう。それより、何か用か?」

「あぁそう、飯の支度ができたって依歌が」

「そうか、分かった。すぐに行こう」


 巻物を丸めて置いて、親父はおっさんらしい声を上げて立ち上がった。

 坊主という職業柄か、親父はかなり年寄り臭い。それとも、早くに妻を亡くした苦労が年齢以上に老いさせたのか。

 親父の隣に並ぶと、本当に自分が小さく見える。背はそこまで低くないはずなんだが。

 親父が大きすぎるだけなのだと思う。


「いやぁしかし、依歌ちゃんには頭が上がらんな」

「? ……あぁ、うん」


 わざとらしい親父の言い回しに、どこか不審なものを感じる。

 こういうときは俺に何かを伝えようとしているのだが、それが何かさっぱり分からない。今更そんなこと言われても、反応に困る。


「仁、お前も男として覚悟を決めなきゃいかん時が来る。その時はしっかり決めるんだぞ」

「?? ……まぁ、うん。そうする」


 何を言わんとしているか、よく分からない。

 普通に考えれば依歌とのことだろうが、今更そういうからかい方をするような親父じゃない。そもそも、そういう関係でもない。

 いやまぁ、ならどういう関係かと言われても困るが、だから親父もそんな言い方はしてこなかった。


 だから、そんな簡単な話じゃないのだ、とは思う。

 けれど、なんで今になってそういうことを言うのか、本当に分からなかった。

 それ以上親父とは何も話すことはなく、居間に着いて皿を出して、いつもどおり三人での夕食になった。

 そしてそこで、親父はとんでもないことを言い出した。


「すまんが明後日から留守にする。戻ってくるのはいつになるか分からないから、後の事は頼んだ」



  ※           ※             ※


 飯を食い終わって、食後の休憩と一服を済ませてから鍛錬を始めた。

 基本的な筋トレとダンベルを使ったトレーニング。一通り済ませてから裸足で庭にでて、かつて習っていた武術の基本動作を繰り返す。

 軸足を捻りながら斜め上に蹴り上げる。腰を落として、捻りながら拳を打ち出す。これも一通りすませたら、最初からもう一回。終わってもう一回の計三回繰り返した。


 冬でもそれだけやれば汗を掻く。縁側においていたタオルで汗を拭くと、依歌の声がした。


「仁、お風呂沸いたよ~」

「あぁ、分かった」


 依歌に答えて、タオルで足の砂と土を払って廊下に上がる。

 別に、何か目的があって鍛錬をしているわけじゃない。習慣が惰性を生み、逆らう理由もないので流されているだけだ。


 夜ぐっすり眠れるのも、続けている理由ではあるか。夢を見る暇もないのが嬉しい。

 夢は、記憶を整理しているという。昔の事を夢にみるのは、勘弁願いたかった。


 自室に戻って着替えと煙草を取って、風呂場ではなく玄関に向かう。

 依歌は夕食の後、いつもこうして風呂を沸かしていってくれる。食事を作って食器を洗って風呂を沸かして帰る。それが、依歌のいつもの流れだった。


 そこまでしなくてもいい、と言ったのは中学生の頃だったか。「放っておくとお風呂に入らなそうだから」と聞く耳を持たなかった。

 実際、多分たまに面倒になって入らないことがあると思う。俺も親父もそういう類だ。タオルで拭いて着替えれば大して差はない、とか考えるし。

 玄関に行く途中で依歌と合流し、表まで送る。


「冬はいいって言ってるのに」

「風呂で温まれば同じだろ」


 苦笑する依歌に言い返し、別れの言葉と共に手を振ろうとして、


「あ、そうだ。仁、買い出しは明後日じゃなくて明日だからね」

「分かってる。量的にカブで行ったほうがいいな」

「うん、お願い。じゃ、また明日」

「あぁ、明日な」


 改めて手を振って、依歌の背中を見送る。

 うちの寺の塀を通り過ぎて、背中が消えるより先に依歌は家の中に入っていった。

 依歌の家は、本当にすぐ隣の駐在所だ。

 歩いて一分もかからない。お互い家から出ればすぐに相手の姿が見えるくらい。


 依歌の父親はこの町ン十年のベテランで、当然の如く親父とも仲が良い。

 母親同士も仲が良かったようで、その間に生まれた俺達は当然のように生まれた時から一緒だった。

 依歌のまるで家政婦のような所業に親御さんから文句がでないのも、そういう背景があってのことだ。むしろ勧められている節さえある。だからって、勝手に俺の弁当箱を用意してしまうのは止めてほしい。そのくらい言われれば自分で買うのに。

 自分で言ってて酷くズレている気はするが、他の事は何を言っても無駄だし有難いので口を閉ざしておく。


 それより、買い出しだ。明日は愛車で商店街と寺を往復する必要があるかもしれない。

 元々クリスマスなのでケーキの材料など買うものが多かったのだが、そこにきて親父の送別会をする事になってしまった。

 親父曰く、総本山から面倒な呼び出しをくらった、とのこと。今までも親父は出張みたいな感じであちこち出向いて一ヶ月近く帰らないことがざらにあったが、今度はそれ以上だというのだ。


 下手すると年単位帰れないという。

 他はともかく盆はどうするのかと言うと、一応一時的に帰れるように掛け合ってはいるらしい。それも無理な時は、総本山から応援が来る、と。


 随分と勝手な話だ。

 総本山の連中はいつもそうで、折角養子縁組させて妹にした子も、修行だとかいって今年の夏から総本山に行ったっきり帰ってこない。

 一応親父が連絡はとっているらしいが、こっちとしては中学三年という受験の時期から、何とか上手くやろうと努力してきたのが実ってきたあたりでそんなことされてたまったものではない。


 思い出すとまた煙草が吸いたくなってきた。

 ズボンを漁って赤マルを取り出し、パッケージを軽く振って飛び出た一本を横着して咥える。安いライターで火をつければ、口の中に重い苦味が広がった。

 深呼吸するように吸って吐けば、ほんの少しの暖かさと痺れが訪れる。


 総本山の乱暴な態度は、元を正せば俺のせいだ。

 俺が期待通りに親父の『力』を受け継いでいれば、こんなことにはならなかっただろう。

 養子縁組もなかったし、親父の代わりに俺が出向くこともできたかもしれない。


 結局は、俺が出来損ないなのが全ての原因なのだ。

 白い息が透明になっていくように、紫煙も虚空に紛れて消えていく。

 親父が出るのはもう決まったことで、今更何を言ってもしょうがない。だから、せめて送別会をしようということになって、クリスマスの買い出しもついでにやることになった。

 それが、本来明後日の買い出しが明日になった理由だ。


 まさか、親父が年越しもいないとは思わなかったから、今からそのことで頭が痛い。いつもどおり、二十四日と二十五日の二日だけだと思っていたのに。

 別に総本山でクリスマスパーティーをするわけじゃない。年末年始はどこも忙しいから、まだ暇なクリスマスあたりに集まってあれやこれや会議や宴会をしようという話だ。

 来年の方針やらを決めたりする重要な集まりらしいが、もう呼ばれていない俺には良く分からないし、行くつもりもない。


 家の中に戻って、煙草を灰皿に押し付ける。

 明日は少し忙しくなりそうだ。いつもの土日の日課に、買い出しと親父の送迎会。余分な時間がないと、煙草の本数も少なくなっていい。

 明日の朝一でカブの調子を見ておこう。整備しているから大丈夫なはずだが、商店街までは二人乗りするから何かあっても困る。


 脱衣所の洗い物を入れる籠に汗を拭いたタオルを突っ込んで、着替えを適当に置いて服を脱ぎ捨てる。

 丸めて籠に突っ込んで風呂に入れば、冷えていた手足が痛みとも痺れともつかない感覚を訴えてきた。

 煙草一本分、外にいる時間が余計だったかもしれない。

 湯気を見上げながら、明日の予定を頭の中で組み立てた。


 寺の隣には駐在所があり、その反対隣にはガレージがある。

 そこには、親父の長年の相棒である軽自動車と、秋口に買ったばかりの俺のスーパーカブが収容されている。

 煙草を教えてくれた友人の勧めで買ったものだが、今では結構気に入っている。

 朝の時間が危ない時や、買い出しに行く時、後ろに依歌や荷物を乗せて走るのが、その主な役割だった。



  ※            ※            ※


 十二月二十四日、月曜日。

 クリスマスイブの朝。そして、大半の人にとってはいつもと変わらぬ朝。


 いつもと同じように日が昇る前に起き、寝巻きから着替えてジョギングする。

 寺に戻ってくる頃には太陽が昇ってきているので、その具合と天気予報を確認して洗濯するかどうかを決める。

 今日は残念ながら洗濯日和とはいかず、更には夕方から雪が降るという。酷い話もあったものだ。

 大仏様に礼をしたところで、玄関から声がした。


「おはよー」


 迎えに出ると、いつも通り廊下で依歌と合流する。


「おはよう。今日はよろしく」

「はいはい。仁も頑張って」


 小さく笑って、依歌が台所に入っていく。

 今日はクリスマス。なので、保育園の手伝いに行く日だ。


 寺の隣は駐在所とガレージだが、そのガレージの更に隣には保育園がある。そこは、親父が経営し園長を勤めているのだ。

 最近流行の宗教法人であることを利用した多角的経営――というわけではなく、これも伝統の産物と呼ぶべき代物だった。


 何でも、うちの寺では古くから子供を預かり育てる事があったらしく、今で言う孤児院と保育園を兼ねた役割を果たしていたらしい。

 その内に孤児院としての役割を果たす必要はなくなったものの、保育園としての役割は期待され続け、それが現代にまで続いている、というわけだ。

 いつごろから正式に保育園として登録されたのかは知らないが、結構古いものらしい。


 つまるところ、経営というよりは採算度外視のボランティアに近い。それもそのはずで、ここ吉備津名町は小中高と一年一クラスがせいぜいというド田舎なのだ。

 保育される児童の数を考えれば、採算が取れるかどうかは自ずと分かる。そもそも、ここ以外にもきちんとした幼稚園もあるのだ。

 昔はそれなりの規模だったらしいが、児童の数が減るにつれ職員も一人減り二人減り、今となっては職員一人に児童十名という閑散具合だ。


 とはいえ、たまに手が足りない時があり、親父が仕事をしに行く事もある。それが出来ない場合やそれでも人手が足りない時、俺や依歌が手伝いに行くのだ。

 クリスマスはまさにその時にあたり、毎年俺も依歌も手伝いに出る。二十四日はパーティーの準備、そして二十五日がパーティー当日。

 事前準備も何もかも、流石に親父を合わせても二人でどうにかなるものじゃない。

 一昨日、親父の送別会の買い出しと合わせて買ったクリスマスケーキの材料やら何やらは、保育園のパーティーの為に必要なものだった。


 例年なら二十四日が終業式なので、帰ってから着替えて手伝うことになっていたのだが、今年はもう冬休みに入っている。

 なので、朝から手伝いに来るようにとその唯一人の職員に頼まれていた。


「今年のケーキは二段にするんだっけ?」

「そう。シンプルなやつだけど、ちゃんと練習したから。楽しみにしててね」


 嬉しそうな依歌に舌を巻く。

 中学に上がってから毎年、面倒だろうに手を抜かずに作ってくれる。それどころか、本当に楽しそうにしてくれて、今年は何を作るから何を買ってきてくれと言う程だ。

 子供達にも大人気で、『ヨリカねーちゃん』は髭のないサンタだと喜んでいる。俺や親父はそのあたり全くの役立たずで、子供達の玩具になるくらいしかない。


 ふと、三日前の親父の言葉を思い出す。

 やたらと意味深に言っていたが、何を決めろというのだろうか。

 考えても良く分からず、炬燵に足を突っ込みながら、依歌の歌を聴いていた。

 親父はもう昨日の内に旅立っていった。

 久しぶりの、依歌と二人だけの朝食だった。



  ※            ※            ※


 子供のパワーというのは半端ない。

 体力的には勝っているはずなのに、どうしてか引き摺られてしまう。おそらく、一度に注ぎ込むエネルギー量に差があるのだ。

 彼らは躊躇などしない。思い込んだら一直線、エネルギーが切れるまで動き回る。その思い切りの良さが故に、瞬間的に大人を上回るパワーを叩き出すのだろう。

 そう、まさに今のように。


「ジン! これ、これでいいのか!?」

「あぁ、そう。問題ない」

「ジン兄ちゃん! こっち、こっちどうしたらいい!?」

「テープを張ってくっつけて」

「ジン兄! これもう飾る!? 飾っていい!?」

「まだ。全部できるまで飾らない」


 矢継ぎ早に飛んでくる声に答えながら、はさみを扱う子達が怪我をしないように見張る。

 朝からずっとこの調子で、片時でも目が離せない。毎年の事とはいえ、少しも慣れない。


「仁君ごめんね、毎年助かるわ~」

「いえ、親父にも言われてますから」


 男子をこちらに任せて、女子の相手をしていた唯一人の職員――丹科日奈(にしな ひな)さんが労いの言葉をかけてくれる。

 セミロングの髪が綺麗な大人の女性、なんて外見に騙されてはいけない。毎日保育児童との戦いに明け暮れ、夜のお酒が命の洗濯という豪快なお方だ。

 元レディースなんて話も聞くが、うちのガレージに突っ込んである通勤用バイクは確かに女性が乗るものと思えないゴツさをしている。年齢は口にしない方が身の為だ。


「そういえば、園長先生長く留守にするって?」

「はい。なので、何かあったら俺にお願いします」

「相変わらずしっかりしてるわねぇ。皆も見習いなさいね~?」

「ジン見習ったってヨリカねーちゃんの尻に敷かれるだけだぜ!」


 これ見よがしに煽る丹科さんに、子供達の中でも年嵩のマサが言い返す。

 最近の五歳児はやたらとマセた言葉を使うものだ。時代だろうか。

 尻に敷かれているつもりはないが、頭が上がらないのも事実なので黙っておく。


「ヨリカ姉ちゃん! なぁなぁジン兄ちゃん、今年のケーキってどんな!?」

「イチゴの乗ってるケーキを二段重ねにするってさ」

「なんだそれすげー! ケーキどこ!?」

「明日までないぞ」


 気の早い連中を宥め、作業に移らせる。

 クリスマスパーティーの飾りつけの準備は、重要なレクリエーションだ。自分達で準備するから楽しさもある……というのは建前で、言わば「働かざるもの食うべからず」というか、クリスマスに美味しくケーキを食べる為の儀式みたいなものである。


 うちが経営している保育園が預かっている児童は全部で十名ではあるが、必ずしも毎日全員預けられるわけではない。

 日によって、又は親御さん達の都合で変動する。その辺の適当さも、昔からの流れを汲んでいるだけでマトモに経営する気がないことを示している。

 ともあれ、十名全員を一度に面倒を見る機会はそう多くなく、だからこそ丹科さん一人でも何とかなっているわけだが、クリスマスはその多くない機会の一つだ。


 以前はむしろクリスマスこそ半分も預けられれば多い方だったのだが、依歌がケーキを作るようになってから風向きが変わった。

 なんと子供達の方からパーティーに参加したいと言い出し、気がつけばクリスマスパーティーは数少ない児童が全員揃う日になってしまったのだ。


 勿論パーティーだけに参加するのは何だというので、全員その前日の準備から参加するようになった。そしてイブとクリスマスには親父がいない。

 俺が狩り出されるのは当然の流れだ。それだけならまだしも、ケーキ以外にも依歌の手を借りなくてはならなくなった。

 そこまでしてくれなくても、とは言ったが、「子供が好きだから余計な事言うな」と口を封じられた。確かに依歌は子供達に大人気だ。相性がいいのかもしれない。それともケーキの魔力か。


 そうして、今のクリスマスの定型パターンが出来た。

 俺は男子の相手、丹科さんが女子の相手。依歌は状況を見て裏で明日の準備や表の手伝い。

 普段だったら終業式後なのでそこまででもないが、朝からは流石に疲れる。

 毎年これをこなしていた丹科さんは凄い。親父も多分出掛ける直前まで酷使されていたことだろうとは思うが。


 パーティーの準備は、男子が単純作業や高所作業。女子がモミの木に飾る星などの凝ったもの作りと全体のコーディネートだ。

 とはいっても、実際に作業可能な年齢に達している子は半分ほどで、残り半分は手伝いにもならない。普段なら兄弟も多いし年上の子が年下の子の面倒を見るのだが、準備をしている時はそういうわけにもいかない。


 準備の面倒を見ながら小さい子の動きに注意する、というのはかなり神経を使う。

 中学までで気を使うことに慣れていなければ、俺も悲鳴を上げていたかもしれない。

 丹科さんは、細かいことを気にしすぎると逆に駄目だよ、なんて笑うものだが。

 人様の子供を預かっている身でいいのだろうか。いやまぁ、逆にそうして気を使い過ぎる事が子供の成長を阻害するのかもしれない。生まれて四半世紀も経たない身には難しい。


 怒涛の勢いで時間は過ぎ、昼飯を食って昼寝して、作業の続きをしているうちに日が傾く。

 お迎えの来た子と手を振って別れ、残った子達と準備を続ける。時間が経つ毎に一人減り二人減り、日が落ちきる頃にはもう三人程度しか残っていなかった。


「仁君、もう上がっていいよ。ありがとう、明日も宜しくね」

「えー!? ジン、もう帰んのかよ!」


 丹科さんが声をかけてくれてすぐマサが反応し、不服そうに声を上げる。

 マサはいつもクリスマスイブに遅くまで残る。親御さんの仕事の都合らしいが、一年の内でもこの時期は特に寂しいのだろう。

 残っている他の二人はまだ小さく、話し相手にもならないから余計に。


「こぉら! 仁お兄ちゃんは勉強したり忙しいの!」

「嘘つけ! 勉強なんかするもんか!」

「それはマサ君のことじゃないかな~? 聞いてるよ、お母さんから」

「ち、違わいっ!」

「ん~? なぁ~にが違うのかなぁ~?」


 流石のマサも、丹科さんのねっとりとした攻めの前には無力だ。

 見るからに外で遊ぶのが好きといったマサは、案の定勉強は苦手らしい。小学校に上がってからでもいいんじゃないかと思うが、最近はそういうわけにもいかないのだろう。

 自分はどうだったっけ、と思い出すと、そういえば保育園の頃からやってた気がする。あの頃はとにかく周囲の期待に応えようと精一杯だった。


 煙草が吸いたくなった。

 切り上げていいとの許しも得たので、そろそろ家に戻ろうかとしていると、


「あ」


 LINEが来ていた。

 依歌からで、今年も丹科さんが家に泊まるか聞いてほしい、と。もし泊まるようだったら買い出しを頼みたいと言ってきた。

 分かった、とだけ返してマサを追い詰める丹科さんに目を移す。そろそろマサを助けてやってもいいだろう。


「丹科さん、今年もうちに泊まりますか?」

「日奈お姉さんでいい、って言ってるのに」

「……いえ、遠慮しておきます」


 胸の下で腕を組んで、丹科さんが流し目を送ってくる。

 子供達の手前やらなかったが、丹科さんは本来こういう人だ。

 年下をからかって遊ぶのが趣味というか、ある意味面倒見が良いというか。


 なんだかんだと気にかけてくれるのは嬉しいが、その度にちょっかいをかけられるこっちの身にもなってほしい。あと、絡み酒もやめてほしい。

 まだマサ含め三人程いるのだが、そういう時にもやってくるのが困りものだ。教育に悪い。


「そうね、泊めて貰えると有難いかな」

「分かりました。依歌に伝えておきます」


 依歌にLINEを送っていると、マサが走って俺の背中に隠れてくる。

 丹科さんは獲物を逃したとばかりに眉を上げるが、流石に追ってはこないようだ。


「ジン、助かったぜ……」

「お前も懲りないな」

「だってさぁ!」


 頬を膨らませるマサが可愛らしく、立ち上がって軽く頭に手を置く。

 LINEに送られてきた買い物リストを見て、スマホをポケットに突っ込んだ。


「また明日な」

「おぅ! 明日な!」


 笑うマサに微笑み返し、丹科さんに頭を下げる。


「それじゃ、お疲れ様です」

「お疲れ様、また後でね」


 マサを含めた三人の迎えは二十時を過ぎることもある。クリスマスだからか、忙しい所は本当に忙しいのだろう。

 外が暗くなるのも早いので、福利厚生として親父が寺に泊まることを提案したのだ。昔はそれこそ職員全員が泊まって、クリスマスイブだからと騒いだ事もあるそうだ。

 まぁ、今も丹科さん一人でお酒を飲んで騒ぐ事には違いないのだが。


 俺と依歌は当然として親父も一人では余り飲まないので、我が家には酒の在庫がない。本来だったらクリスマスの買い出しのときに一緒に買うはずだったが、親父の送別会が挟まったのですっかり忘れていた。

 靴を履いて表に出れば、ちらちらと雪が降ってきていた。

 道理で寒いはずだ。ガレージに手袋とマフラーがあったと思う。カブに乗る時用に置いておいたはず。

 ポケットに手を突っ込み、隣のガレージに向かう。


 煙草は、カブに乗ってから吸った。



  ※           ※            ※


 一通り頼まれたものを買い終わって、家までカブを走らせる。

 幸い雪の降り方が激しくなることはなかったが、寒いものは寒い。

 ホワイトクリスマス、というやつだろうか。ロマンティックでいいのかもしれないが、そういったものに縁のない俺には寒いだけだ。


 それでも、雪は嫌いじゃない。ここなら雪国のように積もることもないし、音が吸い込まれて消えていくようで、気分が落ち着く。

 煙草の煙と息が混じるのも好きだ。吐き出す白さは何も変わらない。皆煙草を吸っているようで、誰も俺と変わらないんじゃないかと勘違いができる。


 そんなことはあり得ないのだけれど。


 後ろの荷台に載せた荷物ががたごとと音を立てる。丹科さん用のついでに、年末年始用の酒も買ってきた。年寄りが屯しては酒を呑んでいくのだ。親父のせいだと思う。一人じゃ呑まない癖に人と一緒だと大蛇並みに呑むものだから。

 今年はその相手を俺がしなければならないのかと思うと、今から頭が痛い。


 煙草が吸いたい。パッケージはソフト派だが、雪が降った時くらいはボックスの方がいいかもしれない。

 家の前まで来ると、妙なことがあった。


 黒塗りの高級車が止まっている。


 やたらと高そうで、少なくとも親父の車じゃない。でも、確か、どこかで見たことがある気がする。

 思い出した。総本山とこの車だ。

 誰の持ち物かは知らないが、向こうの連中が用事で使う時に乗ってたやつ。

 我慢ならなくなって、ガレージに愛車を入れてから赤マルに火をつけた。


 荷物が多くて、流石に吸いながらは運べない。一本吸いきってから出ることにする。

 なんで今更、総本山のやつがこっちに。

 本家とはいえ、ウチに用なんかないはずだ。あるとしても親父だけで、その親父は連中の指示で出払っている。

 親父の留守中に何か企んでいるのだろうか。いくらなんでも、そんなことはしないはず。

 言い切れないのが、嫌な想像を膨らませる。


 深く吸って、息と一緒に宙に吐き出す。

 ゆらゆら揺れる先端の煙と共に、雪の中に紛れていった。

 連中が何のつもりだろうと、俺には関係ないことだろう。蔵から何か持ってくのかそれとも別の用事かはしらないが、出来損ないに用なんぞないはずだ。

 それとも、連絡の行き違いか何かで親父を迎えにきたのかもしれない。だとしたら、それを教えてやればいい。


 煙草を一本吸い終わって、ガレージの灰皿に擦り付けて荷物を持つ。

 やりたいようにやらせればいい。どうせ俺の言うことなんて聞きはしない。

 寺から出て行けとでも言われない限り放置でいいだろう。

 腹を決めて忘れ物がないか確認し、黒い車の横を通り過ぎる。

 寺の門を潜って玄関に向かおうとして、



 雪の白さの中に、夜に溶け込むような黒があった。



 腰まで届く濡れ羽色をした髪。白いダッフルコートが更に黒を際立たせている。

 女の子、だと思う。背は依歌と同じくらいだろうか。俺より頭一つは低い。


 両脇には黒いスーツの男達がいて、俺が近づいた事に気づいて振り返った。

 まるでヤクザみたいだが、多分総本山のやつだ。顔に見覚えはないが、総本山に行った時はいつも黒服があちこち警備していた。僧衣じゃないのは、区別の為らしい。

 両脇の男が振り向いたのに気づいて、黒髪の少女も振り向く。



 まるで人形みたいに整った顔立ちをした、綺麗な女の子だった。



 肌の白さは雪と見劣りせず、少しだけ紅潮した頬が血の通った人間だと教えてくる。

 目が離せない。

 絵本か何かから出てきたみたいだ。

 ほっそりした薄い唇、切れ長で深い黒の瞳、鼻梁はすっと通っていて全体が小さくまとまっている。切り揃えられた前髪が益々人形らしさを強めていた。


 見たことない。総本山の子だろうか。

 何も口を利けないまま、馬鹿みたいに突っ立っていた。


「……吉備綱、仁様でしょうか?」

「……え? あ、はい」


 見た目通りの透き通った声で、無音の雪の合間を縫って尋ねてくる。

 一瞬名を尋ねられているのだという理解が遅れて、間抜けに頷き返した。

 その少女はほっとしたように相好を崩し、嬉しそうに白い息を吐いた。


「お会い出来て、良かった」


 一体彼女は何者なのか。

 ようやく、そんな頭が働いた。

 両脇の黒服はいつの間にか離れていて、遠巻きながら車に戻っていく。

 どういうつもりだろうか。この子を置いていくつもりでもあるまいに。

 疑問が凍ったような口を溶かし、ようやく動いてくれた。


「あの、君は……?」


 要領を得ない俺の疑問に、その子は目を細めて恭しく一礼し、



「初めまして。仁様の許婚の、鬼瓦怜(おにがわら れい)と申します」



 一瞬頭が吹き飛んだ。

 その間に黒服達は車に乗り込み、どこかへ行ってしまった。

 後に残されたのは、呆然とする俺とにこやかに微笑む鬼瓦怜と名乗る少女だけだった。

 平成最後の月は、本当にとんでもないことばかり言われる。

 親父の次は見知らぬ少女。どうしてこんなことばかり起こるのか。

 ふと、親父と話したことをまた思い出した。



 今年の望まぬサンタからのプレゼントは、俺の人生を変えるものとなった――

後編は明日に間に合わせようと頑張ってます。

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