第九話
橋の上を美和と歩きながら、朝からこんな話をしていた。
「人生の最後は静かに行きたい。誰にも迷惑をかけずに、こう、ふっと逝きたい」
「ああ、分かる気がする。年甲斐もなくもがくのは何だか美しくない。死ぬときは綺麗に逝きたいね」
「そうそう、潔くね」
大学生になって2回目の夏休みである。
5度目の家出は、私が美和の家に押し掛ける形で始まった。
あの時2コールで電話に出た美和の声に、なんだか死ぬほどほっとしたのを覚えている。
「のんさん?」
「おはよー、美和ちゃん。明日会える?もし忙しく無かったらだけど」
「のんさん来てくれるの?やった!4時から会えるよ!」
と順調な滑り出しの後、軽く事情を話すと美和の方から泊まらないかと提案された。
「10日に帰省するから、それまでのんさん家に居ない?」
「いいの?」
「っていうか、居て欲しい。のんさん居てくれたら私幸せ。」
「なんと!」
7日から泊まり込みのバイトを決めていた私には、願ってもない話だった。
「じゃあ、お言葉に甘えて7日までお世話になります」
「おっけー!じゃあ4時に三光駅で」
JRで約2時間の隣県に住む彼女は、高校時代の友人である。
大学は違えど、お互いに忙しい日々を励ましあってやってきた。
「一番の友達は?」
と聞かれて、真っ先に答えるのが彼女名前であり、彼女もまたしかりである。
久しぶりの再会に胸を躍らせつつ、思いがけず泊まる場所が降ってきた喜びで私はルンルンと坂を下りた。
初日。
三光駅に着いた私は、改札で待っていた美和と抱き合い、久しぶりの再会を喜びあった。
その後、服を買いたいという私の要望に付き合ってもらい、近くのショッピングモールを歩き回った。シャツと、肩の開いたトレンドのトップスを手に入れて、夕食の材料を買って帰った。美和も私の着せ替えを十分に楽しんだようだった。
キッチンを借りてご飯を作り、カーペットにコロコロをかけ、美和がお風呂に入っている間に洗い物と洗濯物干しを終わらせて一息つく。
朝になったら美和が学祭委員の仕事をしに大学へ出ていく。
私は家事を終わらせて、空いた時間には勉強と睡眠。
こんな穏やかな生活が数日続いていた。
昨日は地域の花火を一緒に見に行って、地元のお店が出していた焼き鳥とラムネを楽しんだ。
携帯には連日相変わらず、着信履歴と調子の上がり下がりの激しいメールが10通程届いていたが、もう目を通すのも億劫になっていた。
今日は6日。花火の興奮と、少ない残り時間への奇妙な焦りで、私たちは朝までお互いに話をした。
幼少期のおかしなエピソードから小学校の自分の性格、中学時代の恋愛、こだわり、友人たち。隣人の迷惑にならないように声量を落として、それでも永遠にケタケタ笑っていた。
外が白んできたのに気づいて、大学生らしからぬ早朝の散歩に繰り出した。
8月でも、朝はすこし涼しいのが可笑しかった。
「明日さ」
「うん」
「最後だね」
「楽しかったよ」
「かなりね」
「今日もお仕事でしょ?」
「うーん、行きたくない!」
はははと声を上げて二人で笑う。
「正直!」
「なるはやで帰ります」
「じゃあ今日は麻婆豆腐作っとく」
「っしゃ」
川の向こうから朝日が完全に昇りきる。
水面は光を反射して眩しく揺れていた。
海が近いのか、カモメが鳴きながら近づいてきて、通り過ぎていた。
橋の上を歩きながら、ついと口から言葉が滑り落ちた。
「美和ちゃん」
「ん?」
「ありがとね」
「――うん」
事情をすべて話したのは2日前だ。淡々と話す私の代わりに、心の綺麗な彼女は泣きながら話を聞いてくれた。
「私が男だったらいいのに。そしたらのんさんと一緒に暮らせるのにね」
そう言ってくれた彼女は、
「いつでも来ていいから。ご飯作って」
という約束をくれた。
知っていてくれる人がいるだけで、人間はこんなにも簡単に慰められるものだと知った。
母が私の事で教授に相談に行ったという場所に戻るには少し勇気が要ったが、今の私は大丈夫だ。
明日から大学に戻る。戻れる。
少し前を歩く美和の後姿を暫く見つめて、私は上に、息を吐いた。