第六話
1週間大学に逃げ、お風呂に入れず不潔に耐えかねた私は泣く泣く帰宅した。
年末年始に営業している銭湯はあまりなく、お金も使える状態では無かったのだ。
家に戻り、迷惑をかけた警察や大学の門衛所の警備員の方々に
謝罪をして、しばらくは安定した状態が続いた。
母親の言うとおりに話を合わせ、楽しい話を作り、私大に通っているからには頑張って成果を挙げようと日々努力している姿を見せた。母もそれに対して
『偉いわね、ちゃんと頑張ってるのね』
『ノンちゃんが頑張ってるから、ママも手芸頑張るね』
『ちゃんと毎日楽しそうにしてて安心するわ』
と言っていた。
家事も半分以上私が受け持っていたが、不満はなかった。
事が動いたのは6月。
それまで手芸にいそしみ、家事全般を私にさせていた母が、突如家事に意欲的になった。
といっても、買い出しに出かけて食材を買い込み、食事を作り始めただけの話である。
それまでの私の準備の流れは全て無くなり、母の流れがキッチンに周りだした。
当然ながら、ブッキングなどの不都合が起こり始めた。
すると母は、そのフラストレーションを私に押し付け始めた。
『なんで使わない食材を買ってるの!?』
『うちのお金を湯水みたいに使っていいと思ってるんでしょう!?』
『私の流れを邪魔しないで!!』
私のセリフである。
そもそも母の買い出しの量が異常なのだ。
ひと月の食費は二人で四万円。それなのに彼女は1回の買い出しで一万円以上使う。
かごに積まれていくのはブラックタイガー、焼き肉用の牛肉、ステーキ、丸鶏等々。
『これで一週間は持つわね』
と自慢げに言い切るが、私の目算ではせいぜい三日分だった。
実際三日後には冷蔵庫の中身が無くなり、また買い出しに出かけた。
そんなペースで食費は常に赤字になり、アルバイト代でその不足分を補う生活が続いた。
やはりアルバイトをするなと母は言ったが、そんな生活が成り立たないのは明白だった。
研究室に近くて時間のロスがないことを言い訳に生協のバイトを入れ、なんとか生活を回していた。
そしてやはり、そんな生活は長くは続かない。
7月になり、期末テストが近づいてきて、大学生活はどんどん勉強モードに移行していった。
それに比例するように母のヒステリーも勢いを増した。
私の疲労もピークに達し
また、壊れた。