第一話
これはろうそくのお話。
目を閉じて想像して下さい。
今あなたは小さな部屋の中にいます。
一人掛けのソファーに、静かに腰かけています。
他には誰もいません。
部屋の真ん中にはテーブルがあります。
その上に一本のろうそくが置いてあります。
ろうそくは、コップの中に入っています。
コップの中のロウソクの炎は、オレンジ色にぽうっと光っています。
その炎に、あなたは何とも言えない暖かさを感じています。
さあ、目を開けて下さい。
お尋ねします。
ろうそくの炎は揺れていましたか?
「いいえ。」
とお答えになった方。
きっとあなたの頭の中には、真っすぐに伸びてぶれることなく安定した炎が描かれたことでしょう。
「はい。」
とお答えになった方。
それはどの様な揺れ方でしたか?
チラチラと、瞬くように不安定に揺れていましたか?
それとも、なにか風に吹き消されそうな位、形を大きく変えるように揺れていましたか?
一つだけ注意しなければならないことがあります。
この質問は心理テストのようなものではありません。
その為あなたの深層心理を解き明かしたり、意中のお相手との未来を予言したりはできません。
しかし代わりに一つだけ、世の中の不思議に気づくことが出来るのです。
さて、静かな部屋の中に置かれた、コップに入った一本のろうそく。
揺れている炎を想像したみなさん、部屋の中にはあなた以外存在しないという設定でした。
ではなぜあなたがただ座っているだけにも関わらず、皆さんの頭の中の炎は揺れていたのでしょう。
おそらく、経験値からみなさんは「ろうそくの炎=揺れている」と考えたのではないでしょうか。
確かにろうそくの炎のみにこだわらず、炎は常に揺れているイメージがありますよね。
ではなぜ、炎はゆれているのでしょうか?
ここまで思い出したところで、私はぱちりと目を覚ました。
視界が暗くて判然としない。ぼんやりと天井が見える。
廊下からの明かりを頼りに少し顔を動かして、自分が研究室で仮眠をとっていたことを確認する。
蛍光で塗られた時計の針は2時を少し回っていた。
流石にこの時間に人はいないと思った次の瞬間、ガチャッと部屋の扉が開く音がした。
はっとして身を起こすと、人の気配と共に懐中電灯の明かりがさっと部屋の中を巡った。
夜中の警備員の見回りだと気づいた時には、私の顔が光に照らされていた。
相手の方が驚いたようで、暗闇から声が上がった。
「おぉっ」
「あ、すみません」
驚かせてしまったことと、泊りの届け出をしていなかった罪悪感から反射的に言葉がでた。
「なんだ、残っていたのですか。電気位つけられたらいいのに」
いいつつパチパチと電気をつけられて、私はあまりの眩しさに思わず目をつむった。
無機質な蛍光灯の光は起きてすぐに浴びるものではない。
「仮眠をとっていたもので」
目をしょぼしょぼさせてそう答えると、警備のおじさんは「そうでしたか」と言った。
この大学の警備員はこぞって学生に優しい。他大学がどうなのかは知らないが、基本的に怒らない。今のようにむしろ心配されることの方が多いのである。余程心が広いに違いない。
同じ方向に背もたれを向けた椅子が、まっすぐに4つ並んでいるのを見て、おじさんは面白そうな顔をした。
「即席の寝床ですね」
「ええ、寝心地はあまりよくありませんが横になるには十分です」
「作業は捗りますか?」
「….ぼちぼち、というところです」
普通に返したつもりだったけれど、微妙に開いてしまった間は取り繕えなかった。
自分の笑顔が少しひきつるのが分かる。しかし、警備のおじさんはやはり笑って下さるのである。
「ははは、なるほど。くれぐれも、無理はいけませんよ。若いうちの苦労は買ってでもしろといいますが、資本は体ですからね」
「….ありがとうございます。気を付けます」
「電気はつけておきますね。他にも見て回りますから、私はこれで」
「お疲れ様です」
おじさんが出ていき、扉が閉まった後、自動ロックのかかる音がした。
ピピっという軽い音で、私はどこか安心してため息をついた。
一瞬、過去に戻ったような気がした。
『―――面白い!」
しわが入ってくしゃくしゃになった瞼を力強く押し上げて、少年のように目を輝かせた先生の表情が脳裏に焼き付いている。
つい半年前の話なのに、もうかなり昔のように感じる。
どうしてこうなってしまったのだろう。
もう何度繰り返したか分からない問を、どうしようもなくまた繰り返す。
私はどこから何を間違えたのだろう。
まだその答えに辿り着けない私は、とりあえず机の上に開きっぱなしにしていたノートパソコンを起こした。スケジュールを確認すると、なんともう明日は月曜日である。しまった。確か英語のスピーチがあったはずだ。すっかり失念していた。
寝ている場合ではない。授業が始まるまであと数時間。他にも終わっていない課題はたんまりとある。
残っていた眠気を吹っ飛ばし、私は無心でキーボードをたたき始めた。