ネコ友達
10.ネコ友達
桂子さんの家で飼われているのは私一匹だけですが、近所には、飼いネコ・野良ネコを合わせると、けっこうな数のネコ達が住んでいます。
なかでも、近くの銭湯“亀の湯”では4匹の猫を飼っています。
まず、オスの茶トラ。名前は高橋。
それから白黒ブチのメス。名前は江藤。
同じく白黒ブチで江藤の子供のオス。名前は後藤。
最後に、真っ黒のオス。名前は中條。
それぞれ、日本人の名字が名前になっているのです。
そういえば、桂子さん達は、お風呂の水漏れ事件があった後、しばらく銭湯に通っていて、 その時、“亀の湯”の番台に座っていた大女将から、「なるべく、近くに住んでいない人の名前を付けた。」のだと聞いて、面白がっていたのを思い出しました。
中でも、大女将のお気に入りは真っ黒のオス猫の“中條”で、時代劇の人気シリーズに出演している中條きよしの大ファンだったことから命名されたのだそうです。
その他に、野良のキンタ。キンタは茶トラで本当に野良ネコかと疑いたくなるくらい体も大きく丸々と太っていて、ここら辺のネコ達を仕切っている親分的存在です。
そして、私の憧れの人…いや、ネコのピエール。こちら正真正銘血統書付きのアメリカンショートヘアなのです。
ピエールはいつも家の中にいて、決して外には出てきません。
いつかは私のこの思い、彼に届くと信じています。
私は古いお家の頃からけっこうお散歩が好きで、ここら辺のネコ達とも顔なじみで、オスどもからはマドンナ的人気を得ています。
中でも、お風呂屋さんの江藤さんとは結構気が合って、江藤さんは、私を自分の息子の後藤のお嫁さんにと、しきりに勧めてくれるのですが、私にはピエールという、大切な人…いや、ネコがいますから。
後藤もけっこういい男なのですが、私にしてみれば、まだまだガキネコです。
あと1年くらいは、私の相手には役不足です。
キンタは野良ネコながら、私たちにとっては頼れるリーダーです。
たまに遠征してくる、よそ者の野良たちから私たちを守ってくれます。
いつだったか、高橋が、よそ者の野良に絡まれて耳をかじられているところを見つけたキンタは、果敢によそ者を攻撃し撃退しました。
もともとキンタも飼いネコだったそうですが、飼い主が新しいマンションを買って引っ越した際に、そこではペットを飼えなかったらしくて置き去りにされたということでした。
前の飼い主が引っ越した後、キンタが住んでいた家は取り壊されて駐車場になってしまいました。
近所の人たちはキンタのことを知っているので、不憫に思って、今でも餌をくれる人がいるみたいです。
キンタの住まいは、この駐車場の隅にある路肩の側溝などに使われているコンクリート製のU字型をいくつか積み重ねておいているところです。
二段目の真ん中の穴で、バスタオルが敷かれているところです。
そもそも、このコンクリート製のU字型は、近所に住んでいてこの駐車場にトラックを停めている左官屋の親方さんがキンタのためにおいてくれているのでした。
U字型は、後のブロック塀にピッタリくっつけられていて、ブルーのシートで覆われています。雨が降っても中が濡れることはないようになっています。
前に一度、私が家を閉めだされて中に入れなくなった時に、キンタは私をこのU字型の中で寝かせてくれました。なかなか寝心地が良かったのを覚えています。
その時、キンタは何も敷いていない隣の穴で寝たようです。
丸々と太ってしまったキンタにとっては少々狭いかも知れませんが、キンタはここを離れようとはしません。
もしかしたら、飼い主がいつか戻ってきたときに、自分がここにいなかったら心配すると思っているのかもしれません。
見た目からは想像も出来ませんが、キンタが人一倍仲間思いなのにはこういった背景があってこそなのだと思います。
さて、キンタに助けられた高橋は、飼い主のお風呂屋さんに病院に連れていかれて、手当をしてもらいました。
幸い、大した傷ではなかったそうですが、それ以来、あまり外に出ることがなくなってしまいました。
キンタはそんな高橋を気にして、よく中條に様子を聞いています。
「なあ、最近、高橋のやつ見かけないけど、ケガがひどいのか?」
「ケガ?大したことないんじゃないかなあ。」
「じゃあ、どうして家から出てこないんだ?」
「さあねぇ…」
聞かれる中條は、同じ家に住んでいるとはいえ、もともと一匹狼…いや、ネコ的なところがあり、うっとうしくて仕方がないというように毛づくろいをしています。
「怖くなったんだろうよぉ。」
毛づくろいをしている中條の背後から江藤が口を挟みます。
「怖い?」
「ああ、ケガがどうこうというより、この前襲われたことがよっぽどショックだったみたいだよ。」
「…」
キンタは、どうしてだろうというように首をかしげます。
「今まだ、あんたと二人でつるんでた時は、この辺じゃあ無敵だったからねぇ。それなりに自分は強いつもりでいたんじゃないかい?ところが、一人でケンカしたらあのざまだろう?それで自信喪失ってところだろうよ。」
「なんだ、そんなことか…あの時は、運が悪かったんだ。車に轢かれそうになったよそ者を助けようとして体当たりしたのを勘違いされて絡まれたんだ。高橋はケンカなんかするつもりはなかっただろうに、相手がいきなり噛みついてきた。あいつの実力ならあんなやつ屁でもなかったろうが、体当たりしたはずみで側溝にはまりそうになったところをやられたからなあ。」
「たとえそうだとしても、高橋にしてみれば、ひどくプライドを傷つけられたんじゃないかなあ。まあ、しばらくそっとしておいてあげなよ。」
「そうか、わかった。なんかあったらすぐに知らせてくれ。」
「あいよ。」
キンタは、高橋がいつも飛び降りてくる2階の窓をしばらく眺めた後、立ち去って行きました。
お風呂屋さんの大女将は、ケガをして帰ってきた高橋を隣町の動物病院へ連れて行きました。
「先生、またお世話になりますよ。」
お風呂屋さんは今でこそネコが4匹だけですが、いちばん多い時にはネコが6匹、犬が2匹、リスが2匹いたそうで、ここの動物病院の先生とは、十年来の顔見知りなのです。
「今日はずいぶん久しぶりですねぇ。今度はどうしました?」
「なあに、大した傷じゃないんだけど、外でケンカでもしたみたいだから変な病気でも貰ってきてたらいやだからちょっと検査してもらおうと思ってねぇ。」
「わかりました。患者はその茶トラですね?」
「ああ、高橋っていうんだよ。」
「高橋…二代目ですね!」
「そうさ。」
そうして高橋は診察室へと連れて行かれました。
「ちぇっ!こんなケガくらいで病院なんて大げさってもんだよ。」
高橋は、病院に連れてこられたのは初めてでしたが、後藤が小さい頃は病気がちで良く病院に連れてこられていたので、病院がどんなところかは話に聞いて知っていました。
高橋は、耳をちょっとかじられただけだったので、薬をちょっと塗ってもらっておしまいだと思っていました。
ところが、病院の先生は注射器を持って近づいてきます。
廻りを見回しても、高橋の他には誰もいません。
「マジ?これっぽっちのキズなのに何であんな注射器なんか持ってくるのかなあ…」
注射は痛いんだ。後藤からそう聞かされていたので、高橋はちょっぴりあわてました。
その時、新しい患者が診察室の中に連れてこられました。
その患者を見た瞬間、高橋は動けなくなってしまいました。
真っ白なメスのネコでした。
赤いリボンのついた首輪をしていました。
高橋はすっかり一目ぼれしてしまいました。
血液の検査をするために、注射器で血を抜かれましたが、痛みも何も覚えていません。
ただ、あの子のことだけが忘れあれなくなってしまいました。
病院から帰ってきても、真っ白なあの子のことが忘れられず、そのことばかり考えていました。
食事もろくに食べることができません。
江藤が心配して何度か様子を聞きに来ましたが、何の反応も示すことができません。
江藤は、高橋がケンカに負けたことで落ち込んでいると思っていましたから、高橋のこの様子を見て、完全に勘違いしてしましました。
高橋、実は恋の病にかかっていたのです。
ちなみに、あの真っ白で赤いリボンのコは、隣町の本屋さんの看板娘…いや、看板ネコでリリーというのだそうです。
高橋が二度目に病院へ行った時に再会して分かったそうです。
で、その後二人がどうなったかというと、それはまたの機会にお話しします。
キンタの心配をよそに、高橋は、このあと1週間ほど、腑抜け状態だったそうです。
江藤は、お風呂屋さんで買われるようになって、二度出産をしました。
最初の出産の時は、オス3匹、メス二匹の計5匹を産みました。
5匹ともよそに貰われて行きました。
次に出産したのはその翌年で、後藤をはじめ6匹を産みました。
この時は、江藤にそっくりだった後藤だけ残して他の5匹はまたよそに貰われて行きました。
当然、父親が誰だかはわかりません。
キンタではないらしいので、隣町に住むオスネコだと噂で聞きました。
直接、江藤さんに聞いたことはありませんが、江藤さんがよく隣町まで散歩に行くことは、本人が自慢げに話しているので、みんな知っています。
隣町の話は、他のネコ達にとっても何かと興味があるようで、最近少し立ち直ってきた高橋は、江藤さんの隣町の話を真剣に聞いています。
「ねえ、今度隣町に行くといは俺も一緒に行っていいかなあ?」
「ああ、かまわないさ。だけど、私は私の都合で出かけるんだから、あんたの片思いの子を捜す手助けなんかはできないよ。」
「いや、そんなつもりじゃないんだけど…」
「まあ、いいわ。ちょうどこれから出かけるつもりだからついてくるかい?」
「本当?行く、行く!」
こうして、高橋は江藤さんと一緒に初めて隣町まで出かけました。
江藤さんと高橋が帰って来たのは日が暮れる少し前でした。
初めて隣町に行ってきた高橋は、何やらニヤニヤしながら江藤さんの後をついてきます。
隣町へ行くには、大通りを超えなければなりません。
高橋はこの大通りで車に轢かれて命を落としたネコの話を何度も耳にしたことがあります。
この街にネコ達が隣町へ行かないのは、この大通りを渡ることに抵抗を覚えているためなのです。
高橋は江藤さんと一緒に大通りまでやってきました。
目の前をけっこうな数の車が行きかっています。
高橋はゴクリとつばを飲み込んで覚悟を決めました。
すると、江藤さんは大通りを渡らずに、歩道を南の方ヘ歩き始めました。
しばらく歩くと、道路の上に大きな橋が掛かっているのが見えてきました。
高橋達が怖がって大通りに近づこうともしない間に、歩道橋ができていたのです。
江藤さんは悠々と歩道橋渡り隣町へ入って行きました。
「これって…これて、いつからあるのかな…」
「ああ、この歩道橋かい?つい最近出来たんだけど、知らなかったのかい?」
「…」
「こいつがなかったら、私だって、そうしょっちゅう隣町になんか行くもんかい。」
「…」
江藤さんは、いつものように、隣町に住むネコ達と日向ぼっこをしながら世間話に夢中になっていました。
駐車場の隅の日当たりが良い場所に人の背の高さくらいのラックが置かれているのです。
そのラックの一番下の隙間がちょうどいい会議室のように空いているのです。
江藤さんは隣町に来ると、まず、この会議室で隣町の情報や、さらに違う街の情報を仕入れているのです。
高橋は、そんな江藤さんの脇で、もしかしたら、動物病院で会った真っ白いネコの情報が聞けるかもしれないと期待しつつ、ネコ達の会話に耳を傾けていましたが、つい、いつの間にか眠りこけてしまいました。
気がつくと、辺りには誰もいなくなっていました。
高橋は一瞬焦りました。
まるで知らない土地でたった一人になってしまったのです。
しかし、高橋は冷静に考え待つことにしました。
「まあ、江藤さんが俺一人置いて帰っちゃうわけはないよな。彼女も何かと用事があるみたいだったからな。用事が終わったら迎えに来てくれるさ。」
そう考えると、高橋はまた、体を丸めて眠ってしまいました。
「高橋…いつまで寝てるんだい?」
どれくらいの時間がたったかは全くわかりませんでしたが、江藤さんの声に高橋が目を覚ました時、会議室は既に日陰になってしまっていました。
目を覚ますと同時に肌寒さを覚えた高橋は、ブルッと体を震わせて立ち上がりました。
「ああ、江藤さん。きっと助けに来てくれるろ信じていたよ。」
「なにを寝ぼけたこと言ってるんだい。とっととついておいで。いいところに連れて行ってあげるよ。」
江藤さんが連れて行ってくれたのは商店街の中ほどにある本屋さんでした。
江藤さんは、高橋を連れて裏の方に回ると、ブロック塀の上に飛び移り、誰かを呼んでいるようでした。
「リリー…」
すると、二階の窓から一匹のネコが顔を出しました。
真っ白なメスネコで赤いリボンのついた首輪をしています。
高橋は驚きました。
「江藤さん、彼女…」
高橋が驚いて江藤さんの方を見ると、ニッコリ笑う江藤さんが自慢げに高橋を見降ろしていました。
高橋は勇んでブロック塀から二階のバルコニーへ飛び移りました。
すると、リリーもバルコニーへまわって来ました。
前足で器用に引き戸を開けると、高橋のいるバルコニーへと出てきたのです。
「こんにちは。」
「コ、コ、コ、コ、コンニチワ…はじめまして…」
「あら、初めてではないですよ。」
「あっ!」
「ええ、動物病院で一度お会いしてますよね。」
「覚えていてくれたんですか?」
「もちろん!顔色ひとつ変えずに注射を打ってもらっていましたよね。お強い方だと感心して見ていたんですよ。」
「そんな…あんなもの、あなたの美しさに比べたら、どうってことないですよ。」
「まあ、お上手ですね。」
「とんでもない。僕は高橋。隣町の亀の湯に住んでいます。宜しくお願いします。」
「私はリリーよ。よろしくね。」
隣町からの帰り道、高橋は江藤さんに感謝の言葉を何度も言いました。
「もういいよ。私は、たまたまあの子の話を聞いて、もしかしたらと思ってお前さんに教えてあげただけなんだから。」
「またまた、謙遜しちゃって。」
「まあ、勝手にしてくれ。」
次の日、高橋はみんなを集めて、隣町のことを自慢げに話していました。
ほとんどは江藤さんが集めた情報でしたが、とても嬉しそうに話していました。
大通りに歩道橋が掛かっていること、大きな商店街があること、駐車場の隅の会議室のこと等、他のネコ達にしてみれば、ほとんどが以前江藤さんから聞いた話ばかりですが、実際に自分の目で見た新鮮さを伝えたくて、熱弁をふるっていました。
江藤さんは、歩道橋の話をしたことがなかったので、話を聞いたネコ達は、キンタをはじめ、ほとんどが高橋と一緒に歩道橋を見に行きました。
「知らなかった!」とキンタ。
「うん、これなら簡単に隣町へ行けるわ。」
私もびっくりしました。こんな歩道橋があったなんて…確か私が貰われてきたときにはまだなかったはずなのに…
みんなが江藤さんにどうして歩道橋のことを話してくれなかったのかと問い詰めると、江藤さんは、「こんなの知っていると思っていたさ。」
そう一言言うと、いつものように歩道橋を渡って隣町の方まで消えていきました。