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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第6章 襲撃の冒険者
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第96話 休息と梨


 

 捕虜がいる場所はすぐに分かった。

 正門からほど近い農道の脇に、人だかりが出来ている。

 見たところでは、捕虜を引っ立てる藩兵達の周囲を、里人や魔術師達が野次馬的に取り囲んでいる、といった様子だ。

 人垣の上に、見覚えのある茶色いゴーレムの頭がぽこんと飛び出ている。

 あれは、デバスの頭だな。

 相棒の彼の姿が見えているということは、おそらくテテばあさんもあの人だかりの中にいるのだろう。


 群れている野次馬の中に、俺もひょいと混じってみた。

 俺とゴレの存在に気付いた周りの里人や魔術師達が、わざわざ人垣の前を空けて、俺達を中へと通してくれた。優しい。

 親切な皆さんに軽く頭を下げつつ、人垣に出来た大きな隙間を覗いてみた。

 路上に数人の男達が縛り上げられ、ぐったりとこうべを垂れているのが見える。

 なるほど、あれが話題の捕虜か。

 なんだか珍妙な姿の連中である。べこべこに変形した銀色の鎧を着た男に、顔を風船みたいに腫らした辮髪べんぱつの歯抜け男。全身緑色の変な汁にまみれた、濡れ鼠みたいな背の低いローブ姿の男。他、ずたぼろの落ち武者みたいな格好の奴らが数名。

 はて? あいつらの顔、どこかで見たような気が――


「あ……」


 あれって、ゴレが昼間に森でぶっ潰した、蟲使いの一味じゃねえか!

 嘘だろ、無事だったのか。


 色々ありすぎて、すっかり存在を忘れ去っていたぞ。

 というか、鼠男以外の連中は死んだものと思っていた。

 いや、だが待て。そうか……。

 たしかによくよく考えてみれば、俺は実際に彼らの死亡を確認してはいない。戦いの最中、地面に伸びていた連中の近くに軟殻百足(なんかくむかで)が派手に突っ込んで苔や土砂が舞い上がったのを見て、何となく死んだような気がしていただけだ。

 しかも、あの後すぐに俺が里へとんぼ返りしたせいで、こいつらの事はうやむやになってしまっていた。

 そうか、あのときこいつら、無事だったのか。

 だが、それにしても。


「まさか生きていたとは……。何て強運な奴らだ……」


 思わず、あきれ声が口から漏れていた。

 だがこの瞬間、妙な事が起こった。俺の声にびくりと反応し、捕虜を取り囲んでいる藩兵達が一斉にこちらを振り向いたのだ。

 数十人の集団に、まるで大きな波が立ったようだった。

 全員の視線が、俺一人に集中している。


 え? 何、この反応……?

 俺が内心動揺していると、向こうから聞き慣れた声がした。

「おや、ネマキじゃないか」

「あ、ばあさん……」

 声の主はテテばあさんだ。その後ろには、デバスがいる。

 ばあさんは周囲の他の人間と違い、特にいつもと変わった様子もない。藩兵達の中を通って、俺の側までやって来た。

 そして普段と同じ、子供におつかいを頼んだような調子で口を開いた。

「たしかあんたには、死網蟲(しもうちゅう)の焼却作業の護衛を言いつけておいたはずだろう。きちんと終わったのかい?」

「ああ、蜘蛛退治なら無事終わったよ。魔術師協会の人達が優秀すぎて、俺達の出番なんて全然なかったぞ」

 周囲の空気は少し気になるものの、ばあさんが普段の調子なので、俺も同様の調子で返した。

「そうかい。ま、あんたの出番がないのは結構なことじゃないか」

「まぁな。たしかにその通りだ」

 うなずいた俺は、焼却作業中に一緒に駄弁って暇を潰していた、ルドウ・ピュウルスのことを思い出した。

「そういや、ピュウルスのやつが里に来ていたよ。デマラーンのじいさんが、わざわざ応援のために弟子達を寄越してくれたらしいな」

「ああ、知ってるよ」

 そう言うばあさんは、何故だかうんざりした表情である。

「ほんっと、アホなじじいだよねえ……。わたしゃ蟲対策に、高位の火魔術使いの支援を要請していたんだ。なのにあのアホたれときたら、自分の弟子をぞろぞろと送り込んできやがって。あいつの弟子にはゴーレム使いしかいないんだから、そんなもん何人来ようが、案山子かかし代わりにもなりゃしないってのに」

 ひどい言い様である。これではデマラーンのじいさんも浮かばれまい。

「……あのなぁ、ばあさん。あんた仮にも、助けに来てもらってる身なんだから。もうちょっと、こう、言い方ってものがあるだろう」

「役に立たないものは役に立たないんだから、そう言う他ないよ」

「い、いや、仮にそうだとしてもだな。じいさんはじいさんなりに、きっとあんたを心配して弟子を送り出したんじゃないか? そういった優しい気持ちを多少は汲んでやれよ」

「はああ~~? デマラーンのアホじじいの気持ちを汲むだぁ? んなもん、死んでも御免だね。アホが伝染(うつ)っちまう」

「…………」


 だあああっ! もうっ!!!

 まったく、このばあさんときたら、ああ言えばこう言う!

 そこは社交辞令でも、表面上感謝しときゃあいいだろうが!

 里に戻って来た直後は若干しおらしい様子を見せていたから、案外可愛いところもあるのかと見直しかけていたが、結局いつも通りのババアじゃねえか!


「なぁ、俺思うんだが。ばあさんとデマラーンのじいさんの仲が悪いのって、もしかして、半分以上はばあさんの方に責任があるんじゃないのか?」

 仏頂面で指摘する俺だったが、当のテテばあさん本人はといえば、そんな事など何処吹く風といった様子である。

「デマラーンのアホじじいの話なんて、今はどうでもいいんだよ」

「あのなぁ……」

「そんな事よりネマキ、あんたがぶっ倒したあそこの捕虜連中のことだが」

 テテばあさんが、道端に転がる鼠男一味を指さした。

「? あのチンピラどもがどうかしたのか」

「あの面子(めんつ)をチンピラってねえ……。あんたって子は……」

 ばあさんは何やら一瞬もどかしげな表情を見せた後、大きく溜息を吐いた。

「はぁ……ま、いいさね。今からあんたが言うところの、そのチンピラ連中の取り調べをするのさ。同席するかい? 生け捕りに出来たのはあんたの手柄だ。当然、参加の権利はあるよ」


「なるほど、取り調べか……」

 俺は、ちょっとだけ悩んだ。

 普段なら、ぜひとも同席したいと即答する場面である。奴らに関しては、色々と気になる謎も多い。

 なのだが、しかし……。

「悪いが、今回は遠慮させてもらうよ」

「あら、意外だね」

「それより、少しどこかで休憩させてくれ。……午前中から休みなしで、さすがにへとへとだ」


 そうなのだ。俺は今、疲れ切っていた。

 半日の間ずっと、怒涛のような戦いと移動、そして極度の緊張の連続だった。ここまでの長い時間に渡る戦闘というのは、まったく初めての経験だ。

 おまけに魔導レーダーを長時間全開で使うのは、結構神経を削る。慣れの問題もあるのかもしれないが、あの莫大な情報の奔流に晒され続けるのは、やはり俺にとってもそれなりに負担が大きいのだ。

 はっきり言ってこんなものは、オーバーワークにすぎる。

 ほとんど休憩すらしていないんだぞ。戦闘中はアドレナリンの分泌でどうにか持っていたが、戦いが終わった今、それも完全に尽きようとしている。

 頼む、休息の時間をくれ。

 このまま長丁場の取り調べなどに付き合っていたら、大変なことになる。捕虜の目の前で寝落ちしてゴレに優しく添い寝されてしまうという、最悪の醜態を晒す未来が目に見えているではないか。

 さすがにそれは、人として恥ずかしすぎる!


「俺も尋問(・・)には参加したいけど、このくたびれ具合じゃ無理だよ」

「仕方のない子だねえ……。それじゃ拷問(・・)は私がやっておくから、あんたはゆっくり休んどきな。後で用事が出来たら呼ぶかもしれないから、あまり正門広場の辺りから離れすぎないようにね」

「くふぁ……」

 テテばあさんの言葉に被せ気味に、俺は大きな欠伸(あくび)を一つした。

「ちょっとネマキ、きちんと話を聞いてるのかい?」

「ん? ああ、聞いてる聞いてる」

「変な所で寝たりして、風邪を引かないようにするんだよ」

「あー、はいはい。分かった分かった。それじゃばあさん、後は任せる」

 俺は空返事と共にひらひらと手を振り、ゴレと並んで正門の方へ向かって歩き出した。

 当然、ばあさんの話の内容など大して真面目に聞いてはいない。


 ゴレとふたりでゆったりと歩きながら、鼠男達の側を通り抜けた。

 すれ違いざまに横目でちらりと、連中の様子を一瞥する。

 鼠男達は戦闘直後に近い重傷のままの状態で、紫色の妙な鎖でぐるぐる巻きにされているようだ。あの鎖は、何か魔道具の類だろうか。

 このとき、俺に気付いて顔を上げた彼らと目が合った。

 だが、酷く怯えた表情で一斉に目を逸らされた。見れば全員が がちがちと歯を鳴らしながら、青い顔で小刻みに震えている。

「……………」

 何もそこまで怯えなくとも……。

 と、俺はここでふとある事に気付いた。


「……あれ? 捕虜って、こいつらだけなのか?」


 周囲を見回してみたが、鼠男達以外に捕らえられた人間の姿はない。

 はて、妙だ。

 敵はもっと大量に残っていたはずだ。例の、馬に乗って里の周囲を走り回っていた近所迷惑な奴らが。

「なぁ、ばあさん。北面を中心に里へ陽動をかけていた、騎兵の連中はどうしたんだ? 大した情報は知っていないのかもしれないが、あいつらも取り調べの価値くらいはあるんじゃないのか」

 俺はてっきり、連中は全員降伏したものだとばかり思っていたのだが。

 仮に彼らが森に逃走したとして、地の利と表土索敵がある上に馬並みのスピードで追撃をかけてくる、恐るべき軽ゴーレムの集団から逃げ切れるとも思えない。

 とすると、まさかキレた里の皆さんが、連中をゴーレムでぶん殴って一人残らず虐殺してしまったとでもいうのか?


 俺のこの疑問に、テテばあさんが苦い顔で答えた。

「ああ、馬に乗ったあいつらかい。頭の足りない、愚かな連中だよ。……追っ手を撒くために、シドルの山頂めがけて北へ逃走しやがった」

「えっ」

 彼女の回答に、俺は唖然と目を見開いた。

「ちょっと待て、シドルの山頂って……」


 北を見上げれば、そこには美しい緑の山脈がそびえ立っている。

 先日ゴレが中腹を起点にして狩りまくったとはいえ、当然ながら、あの長大なシドル山脈の牛は絶滅したわけではない。あそこの山頂付近は、まだまだ化け物牛達の縄張りだ。

 しかもあの山の牛というのは、非常に足場の悪い山岳の斜面を、まるで山羊みたいに巧みに高速移動する謎の生物である。

 平原の動物である馬の足では、とても逃げ切れない。


 遥か彼方の山頂から、風に乗って巨牛の雄叫びが聞こえたような気がした。

 俺は、名も知らぬおしゃれな盗賊団たちの冥福を祈った。



------



「よっこらせ、っと……」

 防壁の傍らの木陰に、ゆっくりと腰を下ろす。

 この辺りなら人通りもないし、皆の作業の邪魔にはならないだろう。


 肩に掛けていた鞄を外して、脇の地面に置いた。

 血や土に汚れた上着を脱ぎ、ついでに靴も脱ぎ捨てた。どうせ人など見ていない。

 足が鉛のように重く、ぱんぱんに腫れている。

 斜面をのぼって森をハイキングした後、慣れないゴーレムへの騎乗をやって、その後ずっと全力戦闘だった。当然と言えば当然の結果だ。

 靴を脱いで両足を地面に放り出したことで、ふくらはぎや爪先のあたりに、温かな血行がじわじわと戻ってくる感覚がある。


 隣の様子を見れば、ゴレが寄り添うように腰を下ろしている。

 彼女は俺が脱ぎ捨てた靴や鞄を拾い集め、布で丁寧に拭いてくれていた。

 返り血で少し汚れていた黒い肩掛け鞄が、ぴかぴかに戻りつつある。

「ありがとう。助かるよ、相棒……」

 あと、色々と脱ぎ散らかしてしまって、ごめんな。

 それにしてもゴレの奴、俺の私物は本当に大切に扱ってくれるなぁ。その丁寧さや繊細さのうちの1パーセントでいいから、他人の所有物にも割り振ってくれると、俺の気苦労も減るのだが。


 ゴレと肩を寄せ、鞄を磨く彼女を眺めているうちに、うとうとと眠気に襲われてきた。

 南からそよぐ穏やかな風が、心地よく頬を撫でる。

 隣にゴレの体温を感じつつ、俺は静かに目を閉じた。



------



 近くで、人が動いたような気配がした。

「ん……」

 俺はゆっくりと目を開けた。

 目の前に、うっとりと見つめてくる深紅の瞳がある。

 うおっ!? 顔近っ!

 あ、何だゴレか……。


 どうやら俺は眠ってしまっていたらしい。

 ほんの少し西方の空の色が、淡い黄色味を帯び始めている。一時間から二時間くらい、がっつりと寝ていたのかもしれない。

 だが、仕方がない。だって、この枕が素晴らしすぎて、眠るなという方が無理な相談なのだ。

 温かくやわらかで、頭を優しく包み込んでくれるような、この安眠枕が――

「何? 枕だと……?」

 ねぼけ眼のまま、枕をまさぐった。

 絹のようになめらかで、乙女の肌のごときほどよい弾力と肉感がある、とても触り心地の良い枕だ。

 俺の指が這うたび、白く柔らかな枕が、何やらびくびくと痙攣している。

 一体何だ、この妙な枕は?


「あ、何だ。ゴレが膝枕をしてくれてたのか」


 よく見れば、枕の動きに合わせて ゴレの頭もびくびくと動いている。

 そういえば、目覚めたときに覗き込んでいた彼女の顔は、いつもと向きが逆だったな。俺に膝枕をしていたせいだったか。

 そんなゴレは現在、何故か若干背をのけぞらせた状態で、必死に何かをこらえるように身体を小さく震わせている。

 何やってんだこいつ?

 だがまぁ、こういうことは、わりとよくある。

 俺は相棒の奇行をとりあえず放置し、目をこすりつつ膝枕から起き上がった。


 大きく背伸びをし終えたとき、少し離れた場所に人がいることに気付いた。

「……あれ? あそこにいるのって、ジャンビラじゃないか」

 赤髪の青年が背を丸め、植え込みの向こうに座り込んでいる。

 先ほどかすかに感じた人の気配は、彼のものだったか。

 見たところ、オレンジ象は一緒にいないようだ。そういえば、修理のために納屋に戻すとか言っていたっけ。


 俺の声に気付いたジャンビラがこちらへ振り向き、ふらふらと歩み寄ってきた。

 気のせいか、足取りに力がないように見える。

「おう、ネマキ……。ひょっとして、お前もここで休んでたのか? 邪魔しちまって(わり)いな……」

「いや、別に構わない。どうせそろそろ起きなきゃ不味かったんだ」

 それに、俺の寝顔観察が生きがいであるゴレは、就寝中絶対に起こしてくれないからな。

 完全に寝過ごす前に目が覚めて、むしろ助かったといえるだろう。

「そうか、そんなら良かったが……」

 なんだか、ジャンビラの元気がない。

 顔色が悪く、げっそりとやつれているように見える。

「お前、どうかしたのか?」

「実はさっきまでテテばあさんの取り調べに同席してたんだけどよ……。途中でちょっと気分が悪くなっちまって、人気の無い所で休もうと……。うぷっ、思い出したらまた吐き気が……」

「おいおい、大丈夫かよ。今日はお前もぶっ続けで戦っていたから、もしかして疲れが出たんじゃないか? 無理せず、しばらく休んだ方がいい」

 俺は自分の左隣の地面を、ぽんぽんと叩いた。

「ま、とりあえず座れよ」

「すまねえ、情けねえ……。お言葉に甘えるわ……」

 弱り切った可哀想なマッチョが、俺の左隣に尻もちをつくように座り込んだ。


 その後顔色が戻ってきたジャンビラとくだらない雑談をしていると、今度は疲れ切った表情のアセトゥがとぼとぼと歩いてきた。

 一本角も一緒に歩いてきたから、今回は大きな足音ですぐに分かった。

 だが、アセトゥも一本角も、何だか元気がない。

「おいアセトゥ、何かあったのか……?」

「実は先生の言いつけで、さっきまで捕虜の取り調べに同席してたんだ」

「え、お前もそのパターンか?」

「先生は勉強のためにやり方を見ていろって言うんだけど……。兄ちゃん、オレもう限界だよ……」

「…………? ??」

 なぜこいつらは、取り調べでこんな精神ダメージを受けているのだ。

「うーん。まぁ、気乗りしないというなら、たまには勉強をサボったっていいんじゃないか」

 俺は、うつむく少年を優しく諭した。

「それにさ、あんなばあさんの言いつけなんて、べつに破ってもいいんだぞ? お前は少し真面目すぎるところがあるからなぁ……」

「うう、兄ちゃん……」



------



 アセトゥと一本角を加えた新メンバーで、俺達は木陰に輪になって座った。

 皆でのんびりと雑談をしていると、ゴレが鞄の中から露梨(つゆなし)を取り出し、ナイフで切り分けてくれた。

 なので、梨を盛った木皿を真ん中に置き、駄弁りながらのおやつにした。

 ジャンビラとアセトゥが、笑顔でしゃくしゃくと梨を齧っている。

 俺も何気なく、一切れを口に含んだ。


「うわ、何だこれ。美味い……」


 思わず、声が漏れていた。

 露梨って、こんなに美味かったか?

 たっぷりの果汁が渇いた喉と口中を潤し、その濃縮された強い甘味は、疲労した身体にしみ込んでくる生命の湧き水ようだ。まさしく甘露という他に表現がない。


 この薄黄色をした梨を初めて食べたとき、俺は内心この異世界の果物を、水気が多くやや単調で強い甘味の、子供向けの味だと評していた。

 だが、違う。間違いだ。あの初実食時の評価は、完全な誤りだった。

 俺は一面的な思考から、この果実の本質を決定的に見誤っていたぞ。

 今の俺なら、きちんと理解できる。この甘くて水っぽい不思議な梨は、レストランの椅子でふんぞり返っている、美食家達のためのものではない。

 つまり露梨の味や特性というのはすべて、畑や森で一日中頑張って、沢山の汗を流して働いた人達向けのものだったのだ……。


「文化も食べ物も、そこに住む人達と実際に同じ目線にならないと、気付けない事というのは多いなぁ……」

 反省しつつ、しみじみと異世界不思議梨を味わう俺。

 その隣で、ジャンビラががつがつと同じ梨を食っている。数切れを美味そうにぺろりと平らげた彼は、さらに木皿に盛られた梨に手を伸ばしていた。

 まったくこの筋肉は、風情もくそもないなぁ。

 お前もお上品なアセトゥを見習って、もう少し味わって食べなさい。

 とはいえ、露梨の在庫自体はまだ鞄の中に結構ある。美味しく食べられるこの機会に処分してしまうというのは、実際、悪くない手だろう。

 こういうのは、皆でわいわい食べた方が美味いしな。

「なぁゴレ、お代わりの露梨をもっと――」

 剥いてくれないか、とお願いしようとしたとき、すでにゴレが追加の露梨のカットを始めていることに気付いた。

 このお気遣いレベルの高さと俺の言動の完璧な先読み、さすがは相棒だ。


 ゴレが緑色のナイフを使って、丁寧に露梨の皮を剥いていく。

 メセルと呼ばれる異世界の金属で出来た、美しい輝きを放つ刀身。それを扱う白い指先の動きは、まるで竪琴の奏者のように滑らだ。

「ゴレは本当に皮むきが上手だな」

 素直な感想を漏らすと、彼女の長い耳がうれしげに小さく揺れた。


 俺はお代わりの梨が盛られた木皿をゴレから受け取り、一切れ齧った。

 うん、甘くて美味い。

 良質なおやつと心地よい枕での昼寝で、俺の気力と体力は回復しつつある。

 学びを愛する文化人としての心の余裕を取り戻した俺は、このとき、あることを思い立った。

「……そうだ。俺今からちょっと、里の皆の肥料づくりを見学に行ってこようかな」

 ジャンビラがもしゃもしゃと梨をほお張りながら、こちらを振り向いた。

「肥料って、例の正門に群がってた蟲から畑の肥やしを作るってやつか? なんでそんなもん見に行くんだ?」

「何故って、面白そうじゃないか? 滅多に見る機会がないし、興味深いと思ったんだが」

「かぁ~~っ! 田舎の肥やしづくりを有り難がるなんてよォ、ネマキお前、ほんっと発想が帝都の学者か何かだよな」

 ジャンビラが、さも楽しげにげらげらと笑っている。

「あれ? 俺そんなに変な事言ったか?」

 気付けば、アセトゥまでもがこちらを見て微笑んでいる。

「ネマキ兄ちゃんって、ほんと何にでも興味津々だよね。かわいい……」

 アセトゥ少年がいつものように、微笑ましい小学生を見守る優しいお姉さんの顔になりつつある。

 というか、何だよ可愛いって。おかしいだろ、その感想は。

 俺の年長者としての威厳とは、一体……。


 だが、ここでアセトゥが、ふいに何かを思い出したような表情になった。

「……あ。そういえば、わすれてた。兄ちゃんは蟲の解体現場よりも、藩兵の陣所に顔を出しておいた方がいいかもしれない」

「? 俺が、藩兵のところへか?」

 何故そんな所に出頭しなければならないのだろう。もしかして色々と暴れすぎてしまったせいで、お巡りさんに叱られるのか?

 嫌だなぁ……。行きたくないぞ。ばっくれようかな。

「そんな不安そうな顔しなくてもだいじょうぶだよ、兄ちゃん。べつに指導や取り調べを受けるわけじゃないから」

「しかしだな、俺には大切な肥料の見学が……」

 そう言ってなおも渋る俺に、アセトゥは笑顔のままの気軽な調子で話を続ける。

 しかしその発言内容は、俺の予想の完全に斜め上を行くものだった。


「ほら、今回兄ちゃんが倒した賊が大勢いるでしょ。あの中に、高額の賞金首が混ざってたんだよ。たぶんそろそろ、賞金の受け取り手続きのための呼び出しがかかるんじゃないかな」


「何? しょ、賞金だと……?」

 俺の口が、ぽかんと開いた。

 半開きになった口元から、食べかけの露梨がこぼれ落ちる。


 隣に座るゴレの白い手が、その欠片をそっと優しく受け止めてくれた。

 


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