第94話 老猫とハムスター
「おおい、里の方は もうほぼ決着は着いてるみてえだぜ」
良く響く、大きな声がする。
里の様子を確認に行っていたジャンビラが、丘の上から駆け戻ってきたのだ。
彼はこちらへ向かって丘の斜面を走りながら、途中に倒れていた敵弓兵の死体をひとっ跳びに越えた。
実に見事な大跳躍だ。
元の世界だったら、オリンピック選手でもこうはいかないだろう。
俺がそんな風に感心しているうちに、ジャンビラが目の前に到着した。赤髪を振り乱す大柄な青年は、しかし息ひとつ切らす様子もなく口を開いた。
「目視した様子だと、ありゃァ、後はもう残党狩りって感じだわ」
「助けは要らなそうか?」
俺のこの問いに、ジャンビラが苦笑した。
「ああ、要らねえ要らねえ。むしろ一方的すぎて、賊の方が気の毒だったわ」
「そっか……。まぁ、そうだろうなぁ」
時間の経過から考えて、正門前にうじゃうじゃといたカメムシの群れは、すでにほとんど駆逐されているだろう。
となると、残る敵は里の東西と北の斜面に残る遊撃部隊っぽい奴らのみって事になるわけだが……。あれらを構成しているのは、騎兵とごく少数の魔術師だ。どう考えても、解き放たれたゴーレム使いの集団には勝てない。
さらに決定的なのは、あの遊撃部隊において対ゴーレムの要だったと思われる戦車を、ブチ切れた俺が一人でほぼ殲滅してしまったという事実だ……。
敵にとって、ここからの逆転はもう無理だ。
先ほどのジャンビラの言葉通り、以降の戦闘が里側による一方的な残党狩りの様相を呈することは、想像に難くなかった。
このときジャンビラが、何かを思いついたような顔をした。
「あ、そうだ。どのみち今から皆に合流しようにも、多分間に合わねえだろうしよォ。おれらはおれらで、蟲の駆除でもするか?」
「駆除? それは構わないが……どこの蟲をだ?」
「ほら、祠の林の中の、蜘蛛みてえな蟲どもだよ。さっき、ゴレタルゥにぶっ飛ばされてた奴らさ。向こうの畑にいっぱい死骸が転がってるが、さすがにあれで全滅はしてねえだろ」
「そうか、あの蟲ってまだ林の中に残っているのか……。すっかり忘れてた」
「多分まだ八割方は生き残ってるんじゃねえか? つうか、そこらへんはゴーレムが表土索敵持ちのネマキの方が、おれなんかより把握出来るはずだろうがよ」
「あー……」
俺は曖昧な返答をする他ない。
筋肉よ。期待を裏切ってしまってすまないが、俺は宗教上の諸般の理由により、相棒のゴーレムとのレーダー情報の共有は一切出来ないのだ。
目を凝らし、祠の林を眺めた。
俺には表土索敵も使えないし、現在は魔導による感覚強化も切れている。しかし、そんな素の状態の俺にすら、こうしていると林の中のざわめく気配というのは何となく感じられた。あの暗がりの中には、きっと無数の蜘蛛達が蠢いているのだろう。
教科書の解説では、たしか蟲の多くは捕食性、要するに生き餌を喰らう肉食生物という話だった。今や蟲使いによる洗脳制御を離れ、人里付近に放たれてしまった大量の蟲達が、今後本能に従い一体どう行動するのか。
想像すると恐ろしいものがある。
「そういうわけだから、おれら二人で早めに片付けちまおうぜ。うちのエンディルも損傷しちゃあいるが、あんな小せえ蟲どもを踏み潰しまくるくらいのことなら、わけもねえしよ。お前んとこのゴレタルゥだって――」
言いかけたジャンビラが、俺に抱かれた状態のゴレを覗き込んだ。
「その、ゴレタルゥは……。一応まだ戦えるんだろ、それ?」
言われて、俺もゴレを見た。
問題の彼女はといえば、まだ絶賛赤ちゃん返り中だ。俺の胸に顔をうずめたまま、幸せそうに包帯を小さく噛んでいる。
「……と、当然だ。うちのゴレは、まだ全然いけるぞ。今はちょっとだけ、戦いに備えて休養しているだけさ」
俺は相棒の名誉のために、そう答えた。
実際は赤ちゃんモードのゴレが戦えるかなど、まったく不明なのだが……。
いざとなれば俺はママとなり、赤ちゃんのゴレを抱っこしたまま、一人頑張って、斧で蟲の駆除をするしかないのかもしれん。
だが大丈夫だ、安心してほしい。確かにそれはとても困難な作業だが、世のお母さん達は皆立派にやっていることなのだから。ならば俺も頑張って、赤ちゃん保育と日々の仕事の両立をやりとげてみせる。
「二人とも、ちょっとまって」
静かに一本角を修復していたアセトゥが顔を上げ、ここで初めて会話に参加した。
「蜘蛛退治はやめといた方がいいよ。ほら、あれを見て」
そう言った少年は、少し離れた畑の上を指さした。
そこには、例の蜘蛛の死骸が一つ転がっている。
胴体だけで犬猫くらいの大きさはある、紫と白のまだら模様の奇妙な蜘蛛だ。ゴレにやられたのか、それとも落下の衝撃か、体が潰れるような形で息絶えていた。
「あれがどうかしたのか? 蜘蛛が一匹死んでいるだけだが……ん?」
よく見ると、潰れた蜘蛛の胴部の辺りから、何か黄色い体液のようなものが漏れ出ているようだ。その液から揮発するみたいに、空気中に白い煙が上がっていた。
この距離でも見えるってことは、結構派手な煙だと思う。
一体何だろう、あれ。
「……妙な煙が出てるな」
「あれ、たぶん毒液だとおもう」
「毒? マジかよ。毒グモなのか、あいつら」
「うん。あの手の毒は対人では強力だけど、ゴーレム相手だと ほとんど役に立たないから……。だから敵はあの蜘蛛を里の攻略には使わずに、最後まで林の中に温存してたんじゃないかな」
そう言ったアセトゥが、難しい顔で続けた。
「ただ、ゴーレムに毒は効かないけど、あれを大量に叩き潰したら毒液が散って、林の樹木や土壌に影響が出るかも……。さっきゴレタルゥが結構な数を潰しちゃってるはずだし、これ以上はまずいよ」
「たしかに、それは良くないな」
俺は渋い表情で腕組みをした。
林が立ち枯れになったりしたら、ちょっと洒落にならない。
祠の林ってのは、要するに神社の森みたいなもんだろうからなぁ。そんな里人達の信仰の対象になっている大切な場所を、すでに戦闘でかなり傷つけてしまっている。さらにその上、無垢な幼稚園児である俺と脳筋幼稚園児であるジャンビラのアホタッグで蟲の駆除などやって、いらん被害を拡大した日には……。きっと里へ戻って来たテテばあさんによって、俺達は杖でぶっ叩かれていたことだろう。
いや、そもそもテテばあさんにしばかれる事自体は、留守を任されていた里がこんな有り様になった時点で、もはや確定的とも言えるが――
ここまで思考して、腕組みしつつ顎を撫でていた俺の手の動きが、ぴたりと止まった。
「や、やばい……。俺、ばあさんにしばき殺される……」
青い顔でぐっしょりと冷や汗を流す俺に、アセトゥとジャンビラが揃って首をかしげた。
「は? 何言ってんだ、ネマキ」
「そうだよ。どうしてネマキ兄ちゃんが、先生に折檻されるの?」
二人の問いに、俺は死にかけのハムスターのごとき弱々しい声で答えた。
「実は、俺……。テテばあさんに、留守中の里のことを頼まれていたんだ……。なのに蓋を開けてみれば、ばあさんがいない間に里は大火事、畑は戦車に踏み荒らされて滅茶苦茶、おまけに神社にはゴレがつっこんだ挙句、駆除不能な害虫まみれの最悪な状態……」
「兄ちゃん、声が裏返ってるよ。落ち着いて?」
「し、死ぬ……。この失態、間違いなく過去最悪レベルの杖攻撃がくる……。そうなれば確実に死しか残されていない……」
「兄ちゃん、大丈夫だから、落ち着いて、ね? ね?」
「おいネマキ、大丈夫かよ?」
「全然大丈夫じゃない……。きっと俺は数日以内にババアのドラムになって、脳天で派手なビートを刻みながら、ライブハウスの熱狂の中で死ぬ……」
虚ろな目で呻いていたとき、ふいに柔らかな白い手が優しく頬に当たった。
ゴレの手だ。
見れば、腕に抱いていたゴレが、俺の頬を撫でながら、心配そうにじっと見つめている。
相棒のやつ、いつの間にか幼児退行から復帰したのか。
いや。良く見ると、まだもぐもぐと包帯をしゃぶっているな……。多分まだ赤ちゃん返り治ってないわこれ。
「なぁゴレ。俺の包帯、そんなに美味いしいのか?」
彼女はもちろん何も答えない。ただ包帯のはじっこを口に含みながら、満足げに俺の顔を見ている。その姿はまるで、このまま一生俺に抱っこされて美味しい包帯をしゃぶっていたい、とでも言い出さんばかりである。
このままでは良くない気がする。
「…………。その布ばっちいかもしれないから、もうしゃぶるの止めときな」
俺はゴレの口から、無慈悲に包帯を引き抜いた。
彼女が名残惜しそうな目で、俺の手元の包帯の端を見つめてくる。
「いや、そんな顔されても、駄目なものは駄目だぞ……」
俺達の様子をあきれ顔で眺めていたジャンビラが、頭を掻きつつ口を開いた。
「つうかよォ、ネマキ。テテばあさんにしばかれるなんて、ンなこたあ、別に心配いらねえと思うぜ? お前たった一人で、今回一体どれだけのすげえ事をやったと思ってんだよ。控えめに言っても、お前は里の英雄だよ」
諭すようなジャンビラの声に、俺は涙声で叫んだ。
「アホか筋肉! あのばあさんにそんなことが関係あるか! お前は、うちのクソババアの俺に対する当たりの理不尽さを分かっていないから、そんな気軽な事が言えるんだよ!」
「えー、そうか? お前頑張ってたと思うけどなァ……。つうかネマキがいなけりゃ、多分今ごろ里は壊滅だろ。もしそんなお前が杖でしばかれるってんならよォ、大して活躍してねぇおれなんて――」
言いさした筋肉が、そのまま目を見開き、硬直した。
「そ、そうだ、やべえぞ……。おれ、今回完全に良いところ無しじゃねえか……。テテばあさんにしばき殺されちまう……」
血色が良かったジャンビラの顔から、みるみる生気が失われていく。
「やべえ、やべえよ……。妙なムカデは自力で倒せなくてネマキに助けてもらってるし、あの仮面野郎にだって、結局一撃もまともに入れられてねえ。それどころかゴレタルゥを受け止めそこねて、一緒にエンディルを祠の林に突っ込ませちまうざまだ……」
「お、おい。ジャンビラ、大丈夫か?」
明らかに筋肉の様子がおかしい。顔色はひどく悪いし、逞しく大きなその身体は背を丸め、何だか一回り小さくなってしまったみたいに見える。
「ど、どうしよう。このままじゃおれ、ばあさんから一体どんな恐ろしい目にあわされるか分かんねえよ……」
見れば、精悍だった彼の瞳は、赤子のように潤んでしまっていた。
おいおい、勘弁してくれ。こいつまで赤ちゃんになってしまうのか? うちにはすでに乳幼児のゴレがいるのだ。新米ママの俺には、いきなり二児の世話など荷が重すぎる。
「いや、ジャンビラ、そこまで怯える必要はないだろう? 頑丈なお前なら俺と違って、ばあさんにどつき回されたところで大した事には……」
諭すように言いかけた俺に、涙声のジャンビラが叫んだ。
「アホか、ネマキ! おめえはテテばあさんの真のヤバさが分かってねえから、ンな気軽なことが言えんだよっ! おれは悪ガキのころにしばかれまくって半殺しにされて以来、あの鬼ババアにだけは、まるで頭が上がらねえんだァ!」
何だかもう、泣き声なんだか叫び声なんだか分からない。筋肉のこの異常な怯え方は、あきらかにPTSDの症状だ。
ばあさんよ、あんた一体、過去にこの男に何をやったんだ……。
途方に暮れた俺は、隣のアセトゥに助けを求めた。
「なぁ、アセトゥ。お前からもジャンビラに何か言ってやってくれ。こいつこのままじゃあ、ちょっと使い物にならんぞ」
しかし、少年からは一向に返事がない。
「……ん? アセトゥ?」
隣を振り向くと、アセトゥがうつむき、何かぶつぶつと呟いている。
「そうだ、そうだよ……。わすれてた……。オレ、よりにもよって番兵の当直の日に、蟲を里内に侵入させちゃってたんだ……。その上、強い敵はほとんど全部兄ちゃん任せだったなんて、こんなこと、先生に知れたら……」
ついにアセトゥは瞳を潤ませ、小さく震えだした。
「きっとお仕置きに、荒修行をさせられちゃう……。いやだよ、オレ、先生のあの地獄みたいな修行だけは、もう二度とやりたくないよぉ……」
俺の服の袖をつかんで震えるアセトゥの声が、最後は完全に涙声になっていた。
何ということだ。まさかこの聡明な若人までもが、ババアによって深刻なトラウマを背負わされてしまっているというのか。
あのババアの業は、一体どこまで深いのだ。まるで底が見えんぞ。
小動物のように怯えるアセトゥとジャンビラを見ていると、何だか俺の心の中に、ババアに対する怒りがふつふつとこみあげてきた。
許せん。絶対に許せんぞ、あのクソババアめ。
俺が杖でしばかれるのは、まだ許せる。
しばかれる大体のケースでは、まぁ、ぶっちゃけ俺が悪いしな。
だが、今回ばかりは話が別だ。俺の可愛い弟と、俺のいたいけなマッチョを、ここまで怯えさせやがって。
もはや、我慢の限界。彼らの友人として、堪忍袋の緒が切れた。今までは年寄りだからと大目にみていたが、もう一片たりとも容赦はせん。俺に慈悲はない。
俺は拳を握りしめ、燃え上がる激しい義憤のままに叫んだ。
「心配するな、二人とも! もはやあのババアのこれ以上の暴虐を、俺の正義の心は許さん! 『ババアの杖被害者の会』会長の責務として、クソババアの腐敗した悪の心を見事粉砕し、清く正しい年寄りの道へと矯正することをここに誓おう!」
声高らかにババア再教育の宣言を放つ俺。
それは、かのエイブラハム・リンカーンが行いしゲティスバーグの名演説もかくやあらんといった、まこと堂々たる熱弁であった。
そんな俺の姿を、腕の中からゴレがうっとりと見上げている。
彼女の深紅の瞳は、まるでステージ上の憧れのスターを見守るファンのように、きらきらと星のごとく輝いていた。
まったくもって平常運転である。
こいつは俺の講演の熱心な信者だからな。盆地時代からずっとそうだった。
だが、平常運転なゴレは別として、周囲の場の空気には大きな違和感を覚えた。
アセトゥとジャンビラの様子が、何だか妙なのだ。
「……? どうした、お前ら」
返事はない。小麦肌少年と赤髪青年は、まるで時が停まってしまったかのように固まっている。
二人は俺の顔を見つめたままで……いや、微妙に視線の方向が違うか? 俺とゴレの後ろの、何もないはずの丘の方でも見ているみたいな感じだ。
「何だ? もしかして二人とも、俺の演説に感動して動けないのか?」
やや予想外の反応である。こいつらの調子ならば、おそらくジャンビラは何かツッコんできて、一方のアセトゥはただ黙り、微笑ましい小学生を見守るお姉さんみたいな優しい表情を浮かべるだけかと思っていたのだが。
俺が首をひねった、まさにこのときであった。
背後から聞き覚えのある、しわがれてドスの効いた声が響いた。
「……ほおう? これはまた、随分と素敵な演説をぶちかましたもんだねぇ」
たらり、と背筋に冷たい汗が流れた。
俺は血の気の引いた顔で、ゆっくりと後ろを振り返った。
低い丘の麓に、長い人影が立っている。
ちょうど人間二人分くらいの、長細い影だ。
そこには肩車のような形で、人間がゴーレムに背負われている。
あの茶色いゴーレムのことは知っている。あんな恐い顔をした凶悪な造形のゴーレムというのは、他に見たことがないからだ。
そして、そんな見覚えのある凶悪なゴーレムに背負われているのは、一人の小柄な老婆だ。
――鬼の形相の、テテばあさんであった。
ぎゃああああああああ!!!
も、もう帰ってきやがったのか、ババア~~~~~~~~~!!!!!!
デバスに背負われたテテばあさんが、ずんずんとこちらへ歩いてくる。
俺達若者三名は、まるで老猫に睨まれた幼い三匹のハムスターのごとく、ただ固まるしかない。
なお、つい先ほどまで燃え上がっていたはずの俺の闘志も、テテばあさんの不意打ち的な登場により、すっかり粉砕されてしまっていた。
凍り付く俺達を尻目に、テテばあさんがデバスの背中から颯爽と飛び降りた。
さながら、愛馬から降り立つ騎士である。
「なるほど、そういう事かい……」
周辺の戦場跡を一瞥したテテばあさんは、転がっている蜘蛛の死骸の一つに目を止めた。
「林の中のやたらと数の多い反応は、すべて死網蟲の幼体だったのか。と、いうことは……。にわかには信じがたいが、丘の表層が派手に吹き飛んでいるのは、鉄柱裂蟲の仕業か」
彼女が眉根にしわを寄せ、鼻を鳴らした。
「ふん、ここに百肢軟蟲でも加われば、完璧な顔ぶれじゃないか……」
テテばあさんの鋭い視線はそのまま、俺達のやや後方へと流れる。
そこには、変わり果てた遺体となった、黒い鎧の黒髪男が倒れていた。
「一体どこの誰の差し金だか知らないが……。こいつら、今じゃ条約で使役禁止指定を受けてる蟲までわざわざ引っぱり出してきて、北伐での第三師団壊滅を小規模に再現しようとしてたってわけか……」
テテばあさんが何を言っているのか、俺にはさっぱり分からない。
だが、どうもこのばあさん、今のほぼ一瞬の観察で、混迷を極めていた現場の状況をすでにおおよそ把握しつつあるようだ。おそるべきババアである。
「蟲に夫を喰われた妻子たちを、同じ蟲に食い殺させようとは……。怖気が走るほどに醜悪な思考だね……」
死体の男を見下ろしながら、ばあさんが吐き捨てるように言った。
その顔は、凄まじく不機嫌だ。
そして、ついに恐れていた事が起こった。険しいばあさんの鬼の表情が ぎょろりと目を剥き、俺達三人の姿をとらえたのだ。
「……で。ここにいる修行不足のアホガキどもは、揃いも揃って、まんまと里に敵の侵入を許しちまった。と、こういうわけだ」
ばあさんの視線に射すくめられた瞬間、背後で小さく悲鳴が起こった。
「きゃっ」
「ひいいっ」
「うおっ!?」
なお、最後の声は俺のものである。アセトゥとジャンビラが、いきなり悲鳴を上げながら俺の背中にすがりついてきたのだ。
「!? お、おいお前ら、俺のことを盾代わりにするな!」
「だってぇ、兄ちゃあん……」
「ネマキよォ……」
ええい、甘ったれた声を出すんじゃあない! 俺はお前らのママではないぞ!
極めてまずい状況だ。ゴレを抱きかかえ、背中に少年とマッチョまで貼りつけてしまったこの状態から、もはや身動きなど取れようはずもない。
というか、ゴレとアセトゥはくっつかれてもどうって事はないのだが、ジャンビラが重すぎる。貴様、少しダイエットをしろ!
何てことだ、半ば強制的に矢面に立たされてしまった。
このままでは完全に、ババアVS俺の構図だ。
一体どうすればいいんだ。里を襲ってきた人殺しどもは、たとえ魔導王だろうが何だろうが、基本的には正当防衛気味にぶっ潰せばよかったから、ある意味で楽だった。だが、一応は普通の年寄りであるばあさん相手に手を上げるなど、俺のポリシー上到底許容できん。一方、ばあさんの方は俺のことをしばきたい放題だ。この戦い、完全にババアのワンサイドゲームではないか!
鬼の形相のテテばあさんは、どんどん近づいてくる。
もう、ほとんど杖の射程圏内だ。
「ぐ……!」
くっそおおおお! なんたる理不尽だ。
そりゃたしかに今回、留守を任されていた里には、物的被害がかなり出てしまったさ。
だが、こればかりは正直仕方がないぞ。だって敵側は完全に里を滅ぼす勢いで、おそらく周到に軍事的な計画を練って行動していた。おまけに、こっちは守るべき里が広すぎる。
こんなもん、損害ゼロで乗り切れと言う方が土台無茶な話なのだ。
そうだ、俺は何も悪くない。だから絶対に謝らんぞ!
たとえ杖で殴打されて半殺しになろうが、俺はこのババアにだけは、誇りにかけて一片たりとも絶対に謝罪せん!
さぁ、やってみろ! 暴力では、決して俺の心を折ることなど――
俺は覚悟を決め、目を閉じていた。
しかし、いつまで経っても、一向に杖の衝撃が襲ってこない。
鳩尾への掌底も、足への踏みつけ攻撃が来る気配もなかった。
不審に思い、薄目を開けようとしたときだった。急にテテばあさんが、俺達全員をぐいと掴んで引き寄せた。
年寄りの細腕とは思えない、とんでもなく強い力だった。
気付けば、俺とゴレと、アセトゥとジャンビラが、皆で首を一纏めにされるような形で、ばあさんに抱きしめられていた。
顔のすぐ近くで、ばあさんの言葉が聞こえた。
「あんたらが無事で、本当に良かったよ……」
「…………?」
状況が飲み込めず、俺の口は半開きになっていた。
アセトゥの吐く息が耳元に当たって、何だか背筋がぞくぞくする。密着するジャンビラの身体が、ひどく暑苦しい。おまけにゴレの後頭部とエルフ耳に隠れてしまって、テテばあさんの表情は見えない。
伝わってくるのは、抱きすくめる腕の力と、そのしわがれた声だけだった。
「帰りが遅れてすまなかった。向こうで色々と手こずっちまってね……」
俺は耳を疑った。
嘘だろう? あのばあさんが、謝っている……。
聞こえる彼女のその声に、すでに怒りの色はない。
はっとした。
ひょっとして、この人……。
別に俺達の未熟さにキレていたわけではなく、むしろ敵の非道な仕打ちに対して本気で怒っていただけなのではないだろうか。
あんなにも機嫌の悪く恐ろしげな顔に見えたのは、俺達のことを、真剣に心配していたからなのではないだろうか。
…………。
もしかすると俺は、ひどい思い違いをしていたのかもしれない。
「ばあさん、俺の方こそすまない……。家を焼かれてしまったし、畑も荒らされてしまった。留守を頼まれていたのに、きちんと約束を果たせなかった」
俺は小さく謝った。
そんな俺に対し、テテばあさんの溜息混じりの声が応えた。
小柄な老婆のその声音は、これまで聞いたことがないほどに優しいものだった。
「まったく馬鹿だねえ、あんたは……。どうだっていいんだよ、そんな事は。きちんと生きてさえいれば、家も畑も、何度だって作り直せるんだから」
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その後俺達三人は、テテばあさんに軽く状況の説明を行なった。
魔導などの込み入った話は上手く省略しつつ、アセトゥが手早く戦況の推移を解説してくれた。テテばあさんは、黙ってその話を聞いていた。
話を聞き終えたばあさんは、何故か急にしかめっ面になった。そして、じろりと俺の方を見た。
「……それじゃ何かい? ネマキのその大げさな包帯の中身は、実はてんで無傷ってことかい?」
「え? ああ、まぁ……うん。そういう事になるな」
「はああああ?? 何だいそりゃあ? 心配して損しちまったじゃないかっ!」
「いや、だからこれは俺の意思じゃなくて、ゴレのやつが勝手に……いてっ、ちょ 痛いだろうが! おい、ばあさん!! 杖でつつくのをやめろ!!!」
すっかり調子の戻ったババアに杖で突かれまくっていたとき、遠くでかすかに、くぐもった地鳴りのような音が聞こえた。
「これ何の音だ……?」
「おや、ようやくお出ましみたいだね」
「お出ましって、何が……」
ばあさんの言葉に疑問を抱きつつ、音のする方角を振り返った。
地鳴りの正体はすぐに分かった。大量の馬の蹄の音だ。
南西の方角から祠の林を迂回するように、沢山の騎馬が駆けてくるのが見える。
「あれは……」
一瞬 敵の騎兵かと思ったが、どうもそんな様子ではない。
先頭の数人が、こちらに向けて手を振っているのだ。
馬上では赤や緑の色鮮やかなローブ達が、風に煽られ無数に翻っている。色とりどりのローブを身にまとった人物たち――あれはおそらく、全員魔術師だ。
「一体何者なんだ、あの人達は?」
「ありゃ魔術師協会の連中さ。途中までは同行してたんだが、足が遅いんで置いてきちまったんだよ。どうやら、先鋒がようやく追いついたみたいだね」
この発言に、ジャンビラが明るい笑顔で叫んだ。
「なんだよばあさん、協会に支援要請を出してくれてたのかァ! なるほど、そのせいで里への戻りが遅れたんだな」
見ればアセトゥも、安堵したように胸を撫で下ろしている。
「よかった、これなら林の蟲もどうにかなりそうだね……」
三人の会話を背中に聞きながら、俺はローブ姿の騎馬集団を眺めた。
どうやらあれは、ばあさんが呼んだ援軍らしい。
地を揺るがすような、頼もしい馬蹄の轟きが近づいてくる。
それは俺達にとって、半日にも渡ったこの長い戦いに ようやくの終わり告げる音だった。
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