第93話 正座と反省
畑の上に、ゴレがちょこんと正座している。
長いエルフ耳がしゅんとしおれて、元気がない。
俺が珍しく、わりと本気で叱ったからだ。
いくら俺がゴレに甘いとはいえ、流石に今回ばかりはきちんと怒っておかないとな……。
そんな風にしょぼくれながら反省するゴレの手前で、俺とジャンビラは男二人、並んで立っている。
正座するゴレを見下ろしながら、ジャンビラが言った。
「しっかしよォ、ゴレタルゥが仮面野郎をぶっ殺したのが見えたときには、本気で目玉が飛び出るかと思ったぜ。本当に勝手に対人攻撃しちまうんだな、お前のゴーレムは……」
「いや、だから何度も何度もそう説明したじゃないか、俺は」
「ンな話、普通は冗談だと思うっつうの!」
「俺はいつだって真面目なんだが……」
ゴレの暴挙に戸惑いを隠せない俺とジャンビラであったが、一方でアセトゥだけは落ち着いた様子だ。
かの美形少年は先ほどから、仮面男の遺体の側にしゃがみ込んでいる。
どうやら、奴の遺留品などを検分しているらしい。
「アセトゥ、お前は冷静なんだな……。たった今重要な捕虜が死んで、今後の予定が完全に狂ったっていうのに」
「え?」
破壊された鎧を調べていたアセトゥが、顔を上げた。
「えっと、その……。たしかに、あのタイミングで殺されちゃったのには、少しおどろいたけど。でも、ネマキ兄ちゃんが望んでいた尋問が成立しないのは、むしろ完全に想定通りだったから。兄ちゃんに怪我を負わせた時点で、こいつは確実にゴレタルゥに断罪されて死ぬとはおもってたし」
「なっ」
何だよ断罪って。うちのゴレは処刑人などではないぞ。
それにお前、そんな重大なことを予測していたなら、事前に教えてくれよ……。
涙目の俺を置き去りにして、アセトゥは敵の遺体検分を再開した。
そのまましばらく遺体を調べていたが、やがて残念そうに結論を出した。
「駄目だね。身元が判りそうな物は、何も持ってないみたい」
そう言って、アセトゥは男の例の黒い仮面を手に取った。
「これも、ただの凝った装飾用のマスクだね。もしかして、何か意味があるのかとおもったんだけど……。魔道具の類じゃないし、特別な機能もないよ」
黒い仮面はゴレによって乱暴に毟り取られた際に、一部がひび割れて歪んでしまっている。
目を覆う赤いレンズも、片側が割れてしまっていた。
「こんなデザインだと視界も狭くなるし、ここまでの濃い色付きのレンズなんて、色々と不都合が多い気がするんだけど……。どうしてわざわざ、こんな物を着けていたんだろう?」
アセトゥが首をかしげている。
「そりゃ、顔を隠したかったんじゃねえのか? 極悪人なんだしよォ」
背の高いジャンビラが、上からひょいと仮面を覗き込みながら言った。
しかし、アセトゥは何となく納得がいかない様子である。
「うーん。でも、それにしては隠し方が中途半端じゃない?」
「言われてみれば……」
たしかに、そんな気もする。
この仮面、元の世界でならそれなりに意味のある変装グッズかもしれないのだが、そもそもこの地域では、純粋な東洋系っぽい外見のやつ自体がそう多くない。
本気で正体を隠したいというのなら、もう少し気合を入れた変装が必要かもしれないと、俺もそう感じる。フルフェイスのヘルメットは無理でも、せめてお祭りの屋台のお面くらいは用意して欲しいところだ。
「たしかに、少し中途半端かもな。この仮面、目元以外はほとんど露出してるし」
何気ない俺のこの発言に、アセトゥがぽつりと呟いた。
「……もしかして、目元を隠したかった、とか?」
「目元だけをか? 一体何のために?」
「さぁ、そこまでは……。ただの思い付きだから……」
横たわる男の遺体に、俺とアセトゥは視線を落とした。
戦闘中に血まみれで悪態をつく奴の形相は、まるで人外の化け物のように見えていた。でも、こうして死に顔を改めて眺めると、そんなことはない。
どこにでも居そうな若い男だ。
そう。元の世界で見たならば、特に何の変哲もない、ただの冴えない若者。
目元だって、隠す必要があるようには思えない。特徴のない、普通の目だ。べつに、俺のように目つきが悪いわけでもないし。
というか、こいつの目をマスクで隠さねばならないというなら、俺の凶悪な目は、包帯でぐるぐる巻きにした上で、お札でも貼って永劫に封印せにゃらなんぞ。
首をひねっている俺とアセトゥに、ジャンビラが言った。
「もしかしてよォ、単にかっこいいと思って着けてただけなんじゃねえか? その仮面」
「……っ! 確かにそれはありえるな。ジャンビラ、お前天才か」
「こういうの無性に着けたくなる時期って、実際あるもんなァ……」
「分かるわ……」
俺とジャンビラは二人並んで、過ぎ去りし少年時代を思い出し、あの情熱の日々への感慨にふけった。
が、アセトゥは不満げである。
「えー? 絶対ちがうとおもうんだけど……」
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遺体検分を手早く済ませたアセトゥは、戦いに倒れた一本角の修復作業に入った。
緑色のゴーレムは、機能を停止したままの痛ましい姿で横たわっている。
先ほどの戦闘により、彼の頭部は破壊されていた。また、長時間続いた里正面の防衛戦の結果、その全身には大小の無数の傷跡が出来ている。
土砂による汚れもひどい。彼は戦闘中仮面男のそばに倒れていたから、〈土の大槍〉によるクレーターの陥没に巻き込んでしまったのだ。
あの状況では仕方がなかったとはいえ、可哀想なことをした。
ごめんな、一本角……。
今度、お詫びのふきふきをさせて欲しい。
修復される緑色のゴーレムを見守りながら、俺は隣のジャンビラに声をかけた。
「ジャンビラ、お前の相棒は治してやらないのか?」
彼の後ろに立つオレンジ象も、満身創痍の状態だ。ぎりぎり倒れてこそいないものの、片腕がなくなってしまっていた。
どうやら林に突っ込んだときに、衝撃で左肩が関節から外れてしまったようなのだ。外れた左腕は、まだ林の中に置き去りにされたままだ。
赤髪の青年は、オレンジ色の重ゴーレムの足をゆっくりとなでながら言った。
「そうしてやりたいのはやまやまなんだが、重ゴーレムの修復には時間がかかるからなァ。エンディルのやつは何とか歩ける状態だし、とりあえずうちの納屋まで戻らせて、そこから数日に分けて修復作業って感じになると思うわ」
「そうなのか、大変なんだな……」
ぼろぼろのゴーレム達の姿は、激戦の様相を生々しく物語っていた。
アセトゥもジャンビラも、流石に疲労の色を隠せていない。
俺も傷を負って、包帯でぐるぐる巻きの重傷患者になっている。
まぁ、俺の負傷の実情については、置いておくとしてだ。当初完全に優勢で、敵を軽々と屠りまくって進撃していたゴリラさんチームが、あっという間にここまでの状態に追い込まれてしまったのだ。
アセトゥだって、ジャンビラだって、この世界の基準で考えれば、おそらく類まれな強さを持ったゴーレム使いのはずなのに。
しかも、あのゴレですら今回は敵に圧倒されていた。俺にしたって、タイマンで戦っていたらどうなっていたか分からない。
全てたった一人の男の手によるものだ。
「……血の魔導王、か」
誰にも聞こえない小さな声で、俺はぼそりと呟いた。
仮面の男はたしか戦闘中に一度だけ、自らをそんな風に呼んでいたと思う。
血属性を使っていたあいつを血の魔導王と呼ぶならば、土属性しか使えない魔導王である俺はさしずめ――土の魔導王、と言ったところか。
「……なあ、ジャンビラ」
「んあ? 何だよ」
「お前って血属性使いだし、やっぱり血属性に関しては詳しいんだろう?」
「そりゃまァ、当然な。いっぱしの魔術師として、己の扱える術理を研鑽するのは当然のことだぜ」
「なら、聞きたいんだが。……血魔術と血魔導ってのは、具体的に何がどう違うんだ?」
「へ?」
問われた筋肉が、目をしばたいた。
「血魔導つうと……血狼みてえな魔獣が使う、あれのことか?」
「そう。それそれ」
もちろん、血狼などという野生動物のことは知らないのだが。
「血魔導、ね……」
ジャンビラは何かを思い出すように、しばらく視線を宙に泳がせた。
「そうだなァ……。ま、おれら人間が使う血魔術による身体強化とは、やっぱ色々と微妙な違いはあるみてえだよ。解除後も、一定時間は効果がほんのわずかに残留したりとかさ」
血魔導は解除後も一部の効果が残るのか。
なるほど。あの男が最期まで異常な生命力を見せていたのは、それが理由か。
「でな、その“解除後の効果残留”と原理的に多少絡んでくるんだがよォ」
ジャンビラが、再びゆっくりと俺の方を向いた。
「――血魔術と血魔導の最大の違いといえば、ずばり、血魔導の方は身体強化の“重ねがけ”が出来るって点だと思うぜ」
「……重ねがけ?」
「おう。血魔術による人間の身体強化は、発動中に別の血魔術を詠唱すると、元々の術の方は効果が上書きされて消えちまう。つまり、一度に一種類の術の効果しか発現できねえってことだ。……けど、魔獣どもの魔導による身体強化はそうじゃねえ。やつらは複数種類の身体強化を重ねがけして、いっぺんに発現してくるのよ」
「何だか凄そうだな、それ」
「いや、実際はそうでもねえんだよ。魔獣ってのは頭が悪いから、元々の使える技のバリエーション自体が少ねぇだろ? 一部の例外的な魔獣を除けば、そう恐れるほどのものじゃねえのさ。これがもし、人間が魔導を使うってんなら、とんでもねえ強さにもなれるんだろうだけど」
「人が使うと、そんなに違うのか?」
「ああ、考えてもみろよ。魔導が使えりゃ、覚えてる術の数だけ身体強化を重ねがけしまくって、無限にどんどん強くなれるってことだぜ? 入門魔術でも3・4種類重ねがけすれば、理論的には上級魔術の効果を超えるんだ。例えば入門書を一冊暗記しただけで――」
赤髪の青年は、ここで一旦言葉を切った。
「……そりゃもう、とんでもねえ最強の超人の誕生さ」
「な、なんだよそれ、完全に反則じゃん……」
「まぁ、反則だわなァ」
あの変態マスクのでたらめな強さのからくりは、そういう事だったのか。
無限に強くなれるとか、そんなルール無視の超絶最強能力、うちのゴレですら近接戦で勝てんわけだわ。
土属性は魔術から魔導になってようやく実用レベルって感じなのに、血属性の魔導はいきなり無敵のハイパーチートではないか。
大体、入門書一冊覚えて最強って、何だよそれ。ふざけないでくれ。
俺なんて必死こいて入門書一冊マスターしたのに、覚えたのはトイレとか台座の作り方ばっかりだぞ?
おいおい。一体何なのだ、この世知辛い格差社会は。
土魔導って、実はめちゃくちゃ不遇なんじゃねーのか??
俺は顔を伏せ、大きく溜息を吐いた。
吐き出した息は、吹き抜ける南風に溶けて消えていく。
「……なぁ、ジャンビラ」
「ん?」
「もしもなんだけどさ。そんなに凄い血魔導を使える人間がいたとしたら、そいつは一体、どんな気持ちなんだろう」
「…………。さあなァ。魔獣の技なんて使えねえからさ、おれは……」
そう言ったジャンビラは、薄雲の流れる青い空を見上げた。
「でもよォ、もし血魔導なんて使える人間がいたとしたら」
「……いたとしたら?」
「そいつの目にはきっと、ほんのわずかに身体強化の効果を高めるために、必死で身体を鍛えたり、術の修練を続けるおれ達のことが、馬鹿みてぇに見えるんじゃねえかなァ」
「そっか……」
「つってもよ。力なんてもんは結局、それを使うやつ次第だしな。そうだろ?」
俺の方を振り向いてそう言った赤髪の青年は、白い歯を見せてにかりと笑った。
「ま、そうだよな」
俺も釣られて笑った。
たしかに、筋肉の言う通りだ。
「ところでよォ、ネマキ」
「ん、何だ?」
「さっきからゴレタルゥが、すンげえぶるぶる震えてるんだが……大丈夫か、あれ?」
「……え?」
言われて、ゴレを見た。
彼女は先ほどからずっと同じ場所で、ちじこまって正座している。
見れば、その長い耳が限界までしおれきり、肩をすぼませ小さくなった身体が、まるで冬空の下のチワワみたいに激しく振動していた。
うるうると潤みまくった瞳が、なんと青色に染まり始めている。
このとき、俺は自らの大変な過ちに気付いた――
しまったああああああああ!
ゴレを叱り飛ばした状態で、完全に放置していたあああああ!!!
「す、すまんゴレ! 大丈夫か!」
慌てて駆け寄り、ゴレを抱き寄せた。
彼女は憔悴しきった様子で、俺の腕の中でか細く震えている。
その魂が抜けかけて虚ろに潤んだ瞳が、絶望の中で許しを乞うように俺を見上げていた。
やばいぞこれ、もう、HPが1ぐらいしか残っていない。
「お、おい相棒、しっかりしろ!」
俺は必死でゴレを揺さぶった。
彼女の頭が、首のすわっていない赤ん坊みたいにがくんがくんと揺れた。
何ということだ。こいつのメンタルのお豆腐具合を甘く見ていた。
まさか、俺が少し真剣に叱った後にしばらく無視して放置しただけで、ここまでの精神ダメージを受けてしまうのか。
「ゴレ、大丈夫だから! もう怒ってないから! きちんと反省してくれたら、それで十分だから!」
俺は懸命に相棒に語りかけた。
そして精一杯の笑顔を作り、彼女をあやした。
「な? 怒ってないぞ、ほら。な? な?」
ゴレが弱々しく震えながら、すがるような目で見つめ返してくる。
許してくれるの? というかんじである。
「許す、許すさ! 当然だとも相棒! 失敗というのは、次に生かせばいいだけなんだ!」
ここぞとばかりに何度も免罪の言葉をくり返す俺に、ゴレの瞳の表情が、ようやく少し和らいだように見えた。
俺はほっと胸を撫で下ろした。
このときふいに、ゴレが何かを我慢しきれなくなったみたいな様子で、俺の胸の中に顔をうずめてきた。
甘えるようなその仕草。彼女の唇が、小さくふにふにと動いている。
この感じは、まさか……。
予感は的中した。ゴレは俺の胸元に巻かれた包帯のはじっこを、口で優しく甘噛みし始めた。
ああ、こいつまた、ストレスで赤ちゃんモードになっちまった……。
包帯を口に含むゴレを抱き寄せたまま、俺は絶望に天を仰いだ。
そんな俺達の様子を見ていたジャンビラが、ぽりぽりと赤毛頭を掻き、眩しげに目を細めながら呟いた。
「ネマキよォ。お前もなんだか、色々と苦労してそうだなァ……」




