第88話 簒奪の王 -中編-
空気が爆発したような衝撃音が、周囲一帯に鳴り響く。
ゴレの正拳を左頬にもろにくらった仮面の男が、手から大剣を取り落とし、大きくよろめいた。
……よろ、めいた。
そう。奴は、よろめいたのだ。
その頭部はミンチになって吹き飛ばなかったし、転倒すら、しなかった。
直後、周囲に再び、どすんと重い音が響いた。
だが、それは戦闘音などではなかった。男の手をすべり落ちた黒い大剣が、ありえないほどの重い落下音を立てたのだ。
「……痛うっ」
殴られた男の口端から、赤い血が一筋の糸を引いた。
だけどこの事実は、むしろ俺を戦慄させた。だってそれが、まるっきり喧嘩で口の中を切った程度の、本当にささやかな出血だったからだ。
男の仮面越しの眼光が、ぎろりとゴレに向けられる。
「痛っってえだろうが、このクソエルフがあああああああああああ!!!」
この世界で初めて他人の口から聞く、流暢なエルフという単語。
鼓膜を震わす怒号と共に、奴は黒い篭手に覆われた右腕で、思いっきりゴレを殴りつけた。
拳を受けたゴレの顔面から、激しい火花が散る。
よほど重い一撃だったのか、ゴレはバランスを崩してたたらを踏みながら、数歩よろよろと後退した。
彼女が殴られただけで後ずさるなんて。こんな光景、俺は初めて見た。
ゴレの様子を一瞥した仮面男が、ほんの少し顔をしかめた。
「あ? 殴ったのに、頭が砕けてねえじゃん」
その声音には露骨な不快感があらわれていた。しかし、ゴレに打撃のダメージが通っていないこと自体については、さして動揺している風に聞こえなかった。
「……あー。なるほど、物理障壁か」
そう呟いた奴の腕が、目にもとまらぬ速さでゴレの方へ伸びた。黒い篭手の指が、彼女の白く細い首をわし掴みにした。
奴はその状態から、ゴレを片手で軽々と吊り上げた。
あまりに手荒く強引な動きに、ゴレはほとんど抵抗すら出来ていなかった。
「無駄だぜ。こちとらゴーレムなんてなぁ、今まで何百体とぶっ壊してきてんだよ!!!」
言い放った仮面男は、ゴレの首を掴んだまま、力任せに地面に叩きつけた。
おそるべき腕力で地盤が派手に陥没し、ゴレの身体が、背中から大地に激しくめり込む。大量の土砂が、噴火のごとく舞い上がった。
土煙の中、仰向けに倒れていたゴレが、ふらふらと立ち上がる。
彼女のその姿に、俺は血の気が引いた。
先ほど殴られたときのように、単純にバランスを崩してよろめいている訳ではなかったからだ。彼女の足には力が入っておらず、完全にふらついている。
ダメージが、入っているのだ。
今の叩きつけ攻撃は、ゴレに、効いている。
ゴレと対峙する仮面男は、依然ふらつく彼女の顔を、まじまじと眺めている。
「……ったく、このエルフ人形。見た目はぞっとするほどに美人だが、とんだ即死トラップだな。相手が近接特化のおれでなきゃ、最初の奇襲の一撃で100パーセント殺されてたぞ」
直後、奴はゴレの右手首を、再び強引に掴んで引き寄せた。
「悪いお人形さんには、お仕置きが必要だよなァ」
言うが早いか、奴はゴレを無理矢理に片手で持ち上げた。
そして、ゴレの身体をぶんぶんと頭上で振り回し始めた。その様子は、まるでオリンピックの投擲競技のようだった。こんな怪力頼みの無茶苦茶な技、普段ならむしろゴレの専売特許なのに。
「――ぶっ壊れちまえ!」
気合い声を上げた仮面男が、そのまま後方に向かって、ゴレを思い切り放り投げた。
遠心力が加算されたとんでもない勢いで、ゴレが空中をぶっ飛んだ。
彼女の身体がみるみる遠ざかる様が、魔導のせいで、スローモーションのようにゆっくりと、視界の端を流れていく。
だけど、それだけだ。俺にはただ、見えているだけ。
追いつけないし、手なんてとても届かない。
俺の力じゃ、この位置からでは、どうすることもできない。
「不味い! 受け止めろ、エンディルッ!」
このとき、敵を挟んで俺と反対側にいたジャンビラが叫んだ。
投げ飛ばされるゴレの進路上に、その巨体からは想像もつかない瞬発力で、オレンジ象が割り込んだ。
彼の大きな手のひらが、がっちりとゴレをキャッチする。
俺はこの筋肉コンビの存在に、心底感謝した。今なら、ジャンビラの大胸筋とオレンジ象の足の裏に、キスしたって構わない。
「助かった、ジャンビラ――」
礼を言いかけたその瞬間、しかし、予想外の出来事が起こった。
ゴレを受け止めたオレンジ象の大きな身体が、投擲の威力で、ゴレごとそのまま後方に吹き飛ばされたのだ。
「なっ……!」
冗談だろう。オレンジ象の重量とパワーで、なお受け止めきれないというのか。戦象ゴーレムってたしか、素体の重さだけで軽く数トンは超えているはずだぞ。
ゴレを抱え込んだまま弾き飛ばされたオレンジ色の重ゴーレムは、はるか後方の林の中に、背中から勢いよく突っ込んだ。
木々が滅茶苦茶に倒壊する音が、連続して響き渡る。しばらく後に、林の中心付近から派手に土煙が上がった。
そして林は完全に、沈黙した。
仮面男は林の方へは見向きもせず、地に落としていた黒い大剣を、ひょいと片手で拾い上げた。
そして、ゴレに殴られた左頬をさすりながら、忌々しげに呻いた。
「あー、いってえ……。とんでもない馬鹿力だったな、今のエルフ人形……」
口元を拭った男は、ここで初めて自身の出血に気付いたようだった。篭手についた血の痕を見つめ、驚きの声を上げている。
「うわっ、うーわー。口の中切れてんじゃん! 何年ぶりだよ、血なんて流したの……。ひょっとして、召喚直後の頃以来か?」
奴のその様子は、むしろダメージを受けた事実に対して、感慨深げですらあった。
だけど、今の俺にとって、そんな事はどうでもよかった。
「ごっ、ゴレえええええ!」
俺はゴレが突っ込んだ林に向かって、全速力で走り出した。
どうしよう、ゴレ達は大丈夫なのか。
早く助けなければ。
ダメージ自体も心配だが、問題はそこだけではないのだ。敵の蟲使い達は全員死亡しているが、彼らが使役していた蟲まで都合よく一緒に消滅してくれる道理はない。まだ、あの林の中には、小さな蟲達の気配がうようよと残っているんだ。投げ飛ばされてグロッキー状態のゴレとオレンジ象では、今蟲に襲われたらやばいかもしれん。
このときの俺は、ゴレ達の心配で完全に頭がいっぱいだった。しかし、相棒のゴーレムを倒された直後に顔面蒼白で走り出す俺の姿は、敵からすれば、恐怖に駆られて逃亡を始めたようにしか映らなかったかもしれない。
案の定というべきか、仮面男が林へ向かう俺の進路上へ、立ち塞がるように移動した。
慌てて立ち止まった俺と、前方の男の視線がぶつかり合った。
「ふん、逃がすわけねえだろうが。お前もゴーレムと同じように、バラバラになってあの世行きだ」
カチンと、きた。
ゴレのことで完全にテンパっていた俺は、救助まで妨害してくるこの男に対して、思えばこの時点で、もはや完璧に頭に血が上っていたように思う。
さっさとどいてくれ。
邪魔をするな。
俺は、お前の後ろの林に行きたいんだ。
うちのゴレが、あそこで怪我をしている。
林の暗がりの中で、泣きながら俺を待っているかもしれない。
というか、お前がゴレを投げたせいだろうが。何をへらへらと嬉しそうに笑っているんだ。
本当に、何なんだ、この、変態マスク野郎は――
「 邪 魔 だ。 ど け ッ !!!」
この瞬間。
俺は仮面男めがけて、〈土の戦斧〉をぶっ放した。
横薙ぎに放たれた戦斧は、漆黒の大車輪と化し、猛烈な横回転をしながら驀進していく。それは触れる物すべてを薙ぎ払う、黒い刃の竜巻だった。
異様な轟音と共に迫りくる戦斧に、仮面男が舌打ちをした。
「ちっ、そういやこいつも魔武器持ちだったか。……っぜえなァ!」
迎え撃つように、男が上段から大剣を振り下ろした。
黒い大剣と、黒い戦斧が、真正面から激突した。
激しい火花が散り、ぎゃりぎゃりと金属が削れる音が響く。
周囲の空気が、断末魔のような悲鳴を上げる。振りまかれるその強烈な振動の余波で、肌の表面が、針で刺されたみたいにチクチクとひりついた。
「……な、んだ……! この斧のクソ威力は……ッ!?」
仮面男が、驚愕の声を上げる。
奴は一瞬、斧の勢いに押されかけたように見えた。だが、ここで一際強く足を踏みしめ、怒号と共に大剣を振り抜いた。
「こんっの、クソNPCがっ……――主人公を、なめるなあああッ!!!」
恐るべき膂力で放たれた大剣の一薙ぎに、なんと、〈土の戦斧〉が弾き飛ばされた。漆黒の戦斧は回転しながら弧を描いて上空を吹き飛び、はるか彼方の地表に墜落した。
戦斧の落下を受け止めた大地から、大爆発を起こしたように土砂が舞い飛んだ。
「う……!」
この瞬間、俺の感覚強化が消失した。
〈土の戦斧〉が崩壊し、魔導が切れたのだ。
「マジ、かよ……」
俺は絶句した。
〈土の戦斧〉が、破壊された。
あの、制御不能のじゃじゃ馬戦斧が、初めてパワーで押し負けた……。
一方の仮面男の方も、戦斧の一撃には怯んだらしい。大剣を振り抜いた姿勢のままで、硬直している。
「じょ、冗談だろ、おれの魔剣が刃こぼれしてやがる……。何だったんだ、今の魔斧は……?」
欠けた黒い刀身を見つめる男の背後では、〈土の戦斧〉が巻き起こした大爆発の煙が、濛々と立ちのぼっている。
戦場になっているここは、耕された柔らかな土の露出する畑の上だ。元々土砂が舞い上がりやすい。ゴレの戦闘中にも、けっこう派手に土煙が起こっていた。
といっても、今の爆発はそれらの比ではない。斧の墜落による土煙は、一向におさまる気配すらないのだ。茶色い煙が入道雲のようにわき起こるその光景は、まるで爆弾が投下された直後のそれだった。
どう見ても、斧が1本落っこちたときの絵面ではない。
頭上に立ちのぼる煙を見上げていたジャンビラが、茫然と声を漏らした。
「一体どうなってんだよこれ……。こんなのまるっきり、神話に出てくる神様同士の喧嘩じゃねえか……」
戦斧の敗北の光景に、全員が各々別の衝撃を受けていた。だが一方で、一連の状況はこれで終わりではなかった。
仮面男のすぐ真横に、緑色の一角ゴーレムが猛然と迫っていたのだ。
一本角だ。戦斧と大剣の激しい鍔迫り合いで生じた空白の隙を突くように、一本角が仮面男に襲いかかったのである。
敵は己の身の丈ほどの大剣を、全力で振り抜いた直後の体勢だ。確かに今、奴の防御はがら空きに近い状態になっている。しかし――
「よせ、アセトゥ! 一本角のパワーじゃ無理だ!」
ゴレやオレンジ象の攻撃ですら、奴を倒せなかった。一本角は俺の知るゴーレム達の中で、かなり攻撃力の高い機体ではある。だがそれでも、ゴリラさんチームの中では間違いなく最下位だ。他の2体の馬鹿力には遠く及ばない。
無理だ。絶対に倒せない。
このときの俺も、そしておそらくは奇襲を受けた仮面男自身も、一本角は当然、得意の打撃技を放ってくるものと予想していた。
だが、この予想に反して、一本角はパンチを打たなかった。
代わりに彼はその両腕で、仮面男の手と肩を、上から強引に押さえつけたのだ。
パワータイプのゴーレムの、全力の押さえつけだ。普通の人間ならば間違いなく一発で地面に押し潰されて、そのままグシャグシャの平らなミートパイになる圧力である。
しかし、敵は常人ではない。
仮面男は、不快そうに唇を歪めたのみだ。
「は? 何すんだよ、このクソゴーレム……」
それは格下相手の、完全に見下しきった口調だった。男はまるで体に小虫でもとまったみたいに、面倒臭げに一本角の巨体を振り払おうとした。
まさに、このタイミングを待っていたかのように、一本角の体の影から、アセトゥが躍り出た。
少年は風の移動魔術で地表を高速で滑空し、いつのまにか一本角の後背の死角に、ぴたりと張り付いていたのだ。
全身に風を纏い飛翔するその姿は、まるで隼のようだった。
「なっ、こいつ……」
仮面男が一瞬、慌てたような声を出した。一本角に上半身を押さえつけられていたことで、奴の反応が、ほんのわずかに出遅れた。
「……〈風の――大鎌〉ッ!!!」
アセトゥが叫んだ。
同時に、交差されたその両腕から、半月型の巨大な風の刃が射出された。
正門付近で蟲相手に使っていた同系統の魔術より、はるかに術の規模がでかい。シドル山脈の巨牛の胴体すら丸ごと切断できそうなサイズの分厚い風の刃が、完全に狙いすました形で、仮面男の首元の、その無防備な頸動脈に炸裂した。
ほとんど接射に近い状態だ。
距離による減衰が発生しない、術本来の100パーセントの威力が乗った一撃である。
アセトゥのやつ、純朴そうな可愛い顔に似合わず、えげつない戦い方しやがる。この容赦のなさは、確実に師匠のテテばあさん仕込みだ。
炸裂した風魔術の反動を利用して、アセトゥが空中を回転しながら後方に着地した。
仮面男は、魔術攻撃を食らった体勢のままで動かない。果たして効いたのだろうか? 全員が、固唾を飲んで見守った。
そんな中、唐突に。仮面男の口元から、くつくつと笑いが漏れた。
「……ああ、実にいい判断だな。お前ら3人の中じゃあ、この女が一番戦い方のポイントを押さえてる」
眼前の男は、至近距離からの魔術攻撃を食らってなお、余裕で笑っていた。
奴の姿を見て、アセトゥが表情をこわばらせた。
「う、うそ……。かすり傷すら付いていないなんて……」
その言葉通り、仮面男の首筋は、まるで無傷だった。
風の刃を受けた部位の肌には、ごくうっすらと赤味がさしているようにも見えた。だが、そのわずかな痕跡らしきものすら、あっという間に消え失せてしまった。
仮面男はアセトゥの表情を見ながら、満足げな笑みを浮かべている。
「まぁ、そうがっかりするなよ。狙い自体は良かったんだぜ? 理屈の上じゃ魔術戦士の身体には、物理攻撃より魔力攻撃の方がダメージを通しやすいはずだもんな。首元の皮膚に見事に一発当てた手腕も、悪くない」
奴は大きく笑いながら、勝ち誇って叫んだ。
「……だがなァ、そういった知略も! 研鑽された技術も! 圧倒的な力の差の前では、ただのクソみてぇな誤差だ! このおれの究極の肉体を破壊するには、お前らの魔術じゃあ、絶望的に威力が足りてないッ!」
大声で言い放った仮面男が、ほんの少し、身体を揺すったように見えた。
いや、違う。そうではない。奴は自身を押さえつけている一本角に対し、折り曲げた肘を高速で上方に打ち上げたのだ。
打ち上がった肘が、わずかに一本角の顎の部分をかすめた。
この瞬間、屈強なゴーレムの頭部が、あっさりと粉々に破砕された。
素体がまるで緑色の砂の噴水のように、派手に空中へ舞い上がる。頭を破壊された大きなゴーレムの胴体だけが、ぐらりと脱力し、その場に崩れ落ちていく。
「賢しい女は嫌いじゃないよ。腕力で無理矢理屈服させたとき、最高に気分がいいからな」
倒れ伏した一本角の背中を、仮面男が大股で踏みつけた。
アセトゥに向けられたその振る舞いは、まるで自らの力を誇示しているかのようだった。
先ほどから言動が気にはなっていたのだが、どうもこの男は、アセトゥ少年のことを女の子だと勘違いしているようだ。
見れば気の毒なアセトゥも、完全に表情がドン引いている。
「……ああ、そうだ。ひとつ思い出した」
薄笑いの男が、おどけたような口調で言った。
奴は手に持つ巨大な黒い大剣の先端で、足元に横たわるゴーレムの、甲冑に覆われた胸の辺りを軽く叩いた。
石の甲冑に剣先が触れ、かつん、と乾いた音が響いた。
嫌な、予感がした。
「たしかさぁ、お前らのクソゴーレムってのは、胸に入ってる魔導核を破壊されると、永遠に死んじまうんだよな?」
そう言った仮面男は、大剣を握る右手に力を込めた。
黒い切っ先が、まるで柔らかなチーズでも切り裂くみたいに滑らかな動きで、硬いゴーレムの甲冑の中に沈み込んでいく。
俺は息をのんだ。このまま奴が力を加えれば、おそらく内部の魔導核に、あっさりと刃が到達してしまう。
そうなれば、一本角は、もう、二度と――
「や、やめてっ!」
堪えきれなくなったアセトゥが、仮面男に向かって反射的に駆け出した。
この瞬間、男の口元が、我が意を得たりと言わんばかりに、大きく裂けて吊り上がった。その笑顔は、ほとんど仮面越しに隠れているというのに、おぞけが走るほどに、醜悪だった。
「なぁ、知ってるか? お前ら鼻っ柱の強いゴーレム使い女ってのはさ、皆、こうして可愛がってるゴーレムをぶっ殺してから犯してやると――……ごぷっ!!!」
上機嫌で喋っていた仮面男の口から、唐突に鮮血がほとばしった。
大量の真っ赤な血が、ぼたぼたと男の足元にこぼれ落ちていく。
「あ……?」
半開きの口でそう呟いた男の膝が、猛烈な勢いでがくんと落ちた。
「え、な、なに……?」
男の方へ駆け寄りつつあったアセトゥも、唖然として立ち止まっている。
地面にみるみる広がっていく赤い大きな水溜りを見つめながら、仮面男は酸欠を起こした金魚みたいに、ぱくぱくと口を動かし、荒い呼吸をくり返している。
「うあ゛っ、い゛、ぐ、あ……? なん、で……!」
自分の身に起こった出来事が、彼にはまったく理解できていないようだった。
どうやらこのコスプレマン、俺と違って、魔導レーダーを使えないらしい。だって魔導王のくせに、後ろの様子が全然見えていない。
ちなみに現在、地面に這いつくばって血を流す、この憐れな男の背中には――
長い長い槍が一本、垂直に突き刺さっている。
それは、真っ黒で。
禍々しい。
とても凶悪な造形の槍だった。
まるで、魔王が地獄の底から召喚したみたいなデザインのこの槍は、こうして穂先に敵の血を吸わせてやったときにだけ、やたらと目に鮮やかな、赤と黒の美しいコントラストを見せる。
それは芸術と呼ぶにはあまりに悪趣味な、暗い、死の呪いを帯びた槍だった。
……うん、そうなんだ。
すまない。奴の無防備な背中に、俺がつい、魔導で〈土の大槍〉をぶっ刺してしまった。
男の背中にオブジェみたいに突き立つ〈土の大槍〉に向かって、俺はゆっくりと右手をかざした。
血だまりの中で這いつくばる仮面の男が、呆然とこちらを見上げている。
俺は彼に対して、ここで初めて声をかけた。
「その、良い気分で無双してるところに、不意打ちみたいな形で大変申し訳ないんだけど……。流石の俺もそろそろ、我慢の限界なんだが」




