第84話 戦場と爆弾 -後編-
「お、おい。後詰めは、一体どうなってるんだ……?」
静寂に包まれていた敵軍の中、ぽつりと1人が声を漏らした。
長弓を持った、さして特徴のない小柄な無精髭の男だ。
「なぜ救援は来ないんだ……? 俺達がこの場で持ちこたえてさえいりゃあ、あの人に、何か必勝の策があるんじゃなかったのかよ!?」
男の震える呟きは、最後には大きな叫び声となっていた。
ついに彼は恐怖に耐えかねたように、こちらに背を向けた。そして、立ち尽くす味方をかき分け、南の方角へ向かって走り出した。
「もう俺は降りる! こんな所で、化け物ゴーレム使い相手に挽き肉にされて死にたかねえっ!」
集団の中から、小柄な男が1人、よたよたと逃げていく。
結果的に彼のこの行動は、崩れかけていた総勢200人の堤を完全に決壊させる、最後の一穴となった。
敵の軍勢が、一斉に潰走を始めた。
弓や長柄の武器を投げ捨て、蜘蛛の子を散らすように、各人がてんでばらばらに逃げ散り始めたのだ。
恐怖に顔を引き攣らせ、悲鳴を上げながら逃走する男達。
集団の統率は、もはや完全に失われている。
赤い瞳をぎらつかせるゴレが、逃げる敵の背中を追いかけ始めた。
「……ちょ、おい。ゴレ!?」
あいつまさか、敵を追撃して全滅させるつもりなのか。
このとき俺の脳内では、山を散歩中にタヌキを見つけ、興奮して追いかけ回そうとしたうちのアホ犬と、ゴレの姿が完全に重なっていた。相手が背を見せたら追っかけずにはいられないとか、ゴーレムはマジで犬なのか!?
俺は相棒の暴走に、軽い頭痛をおぼえた。
「ゴレ、そいつらは放っておけ! そんなことより、今は林の敵を……」
走る彼女を追うように、数歩前へと足をすすめる。
この辺り一帯の畑は、完全に真っ平らな平地というわけではない。地形が隆起していて、なだらかな丘状になっている。視界が良いから、敵が弓を射るには良好な地形だったのだろう。
俺は今ちょうどそんな丘の、中心部付近にさしかかろうとしていた。
――ぞわりと、唐突に、背筋に悪寒が走った。
視線。
どこかから、視られている。
思わず踏み出しかけていた足を止めた。
射抜くような視線は、はるか前方の林――そう。例の、祠の林の方角からだ。
意識をやると、林のかなり浅い位置に、人間の気配があった。
それも、複数。
気付かなかった。あの林の中に、人がいたのか。
今まで蟲の気配に紛れていたのか、それとも、魔導で感知できない林の奥にでもいたものか。
視線が帯びている、底冷えするような負の感情は……。
これは、確信的な殺意だ。
ほぼ同時に、自分の足元に何か違和感をおぼえた。
柔らかな畑の土の表層を揺らす、微弱な振動。
それと共に、せり上がってくる何かの気配。
――土の中から、何かが来る。
巨大で細長い影が、真下から一直線に上昇してくる。
何故頭にこんなイメージが浮かぶのか、自分自身にもまったく分からなかった。
だが、このイメージには絶対の確信がある。
そうとしか言いようがない。
土の中を移動する、巨大で長い存在。
となると、俺に思い当たるのは軟殻百足しかいない。あの黒いムカデの化け物が、土中から襲いかかってくるのか?
急上昇する気配は、既に足元の数メートル下にまで迫りつつあった。
このとき、逃走する敵軍に襲いかかろうとしていたゴレが、はっとしたようにこちらを振り返った。
おそらく彼女も、土中のムカデに気付いたのだ。
ただ、俺が気付いたのよりも、随分とタイミングが遅かった。
ゴレが、猛烈な勢いでこちらに向かって走り出した。
彼女が俺めがけて、必死にその白い手を伸ばしている。
その表情は、焦燥と、後悔と。そして、絶望に染まっていた。
間に合わないのだ。
ゴレのいるあの位置からでは、ムカデが俺に接触するまでの時間に、おそらく、間に合わない。
彼女の瞳が、深い絶望の海の青色に、さあっと移ろい変わっていく。
やめろ、泣かないでくれゴレ。
今日のお前はこのムカデのせいで、泣かされっぱなしじゃないか。
本当に。
本当に、このムカデは――
「――何度も何度も、俺のゴレを泣かせてんじゃねええええ!!!」
ぎらりと光る黒い戦斧を、殺気と共に振り下ろした。
狙いは、地面。
ムカデの頭が飛び出してくるとおぼしき、俺の右前方60センチメートル先の出現予測地点だ。
スローモーションで落下していく、禍々しい黒い刃。
まるでそれに呼応するように、ボコボコと真下の地面が盛り上がっていく。
直後、その隆起した畑の土を勢いよく突き破って――
――“ピンク色の”長い影が地表に突き出した。
と、同時に、超質量の地獄の戦斧が、ピンクの影の脳天にめり込んだ。
無慈悲な黒い刃の直撃を食らったピンク色の長い物体が、まるっきり縦にナイフを入れられた魚肉ソーセージがごとく、刃に沿って中心から綺麗に裂けていく。
スライスされた謎のソーセージは、そのまま二股の長い切り身になって、Yの字型にでろんと地面に横たわった。
「は……? な、なんだこりゃ……?」
ぽかんと口を開けたまま、地面に伸びている、巨大なソーセージの切り身を見つめる俺。
そんな俺にゴレが飛びついてきて、涙目で頬ずりしまくっている。
……なんと、地面から現れたのは、黒いムカデではなかったのだ。
ピンク色の、巨大な魚肉ソーセージみたいな外見をした、謎の生物だ。
その長い体には手足が生えておらず、目も見当たらない。
ただ、頭頂部付近には、よく見ると口らしき器官が確認できる。おかげで、ぎりぎり生物だと認識できた。
おそらくこの生物も、蟲の一種なのではないかと思う。
蟲の長い胴体のうち、現在地表に露出している部分は、およそ3メートル半といったところだろうか。地面の下には、まだ7・8メートルくらいの長さの半身が埋もれているものと推測される。
こうして改めて見ると、ムカデよりは若干小さいな。
土の中を移動し、形やサイズが似ていることから、てっきりムカデだと思い込んでしまっていた。
そんな俺の勘違いの八つ当たり気味の攻撃に巻き込まれてしまった、この憐れな魚肉ソーセージは、鮮やかなピンク色の断面を晒し、びくびくと痙攣している。
しかし、すぐにその痙攣も止まった。
……正体不明の蟲は、死んでしまった。
「結局何がしたかったんだ、このソーセージは……?」
本当に、見れば見るほど魚肉ソーセージにそっくりな生物だ。
手足も牙も何も生えていない、こんなピンクのつるぷにソーセージボディで、何か出来るのだろうか? ムカデに比べると、随分弱そうに見える。
おそらくこいつは襲来のタイミングからして、直前に妙な殺気を飛ばしてきた、あの林の中の敵が差し向けて来たもののはずだ。何も戦術上の意味がないって事はないと思うのだが……。
足元のソーセージについて真面目に分析しようとしている俺なのだが、先ほどから、抱きついているゴレの激しい頬ずりが止まる気配がない。
柔らかなほっぺが、ふにふにとすり寄せられている。
興奮しきっているゴレは、珍しく力加減を微妙に間違えているようだ。彼女が必死に頬ずりするたびに、俺の顔もかくんかくんと揺れる。
ふにふに、かくんかくん。
ふにふに、かくんかくん、ふにふに……。
だあああっ! もうっ!!!
俺の無事を喜んでくれているこいつには悪いのだが、はっきり言って、思考の邪魔である。
「ゴレお前、ちょっと邪魔……」
とりあえず引きはがそうとしたとき、その異変は起こった。
前方を南へ向けて敗走していた敵集団のど真ん中に、突如、新たな1本の魚肉ソーセージが、地面を突き破って出現したのだ。
ソーセージの噴出に巻き込まれ、数人の敵が宙を舞った。
それを皮切りに、周辺の地面からも、次々とソーセージが生え始めた。
1本や2本ではない。
勢いよく地面から突き出すその様子は、まるで雨後の筍のようだ。
やがて、ソーセージの噴出が止まった。
数十本の巨大ソーセージたちは、俺とゴレの周りを囲むように、一定間隔で出現している。一本一本のソーセージの間隔自体は、わりと離れている。およそ20から30メートルの間隔で、1本が生えている感じだろうか。
とはいえ、間隔が広い代わりに、カバー範囲も広大だ。一帯のなだらかな丘状の地形の、そのほぼ全域が、完全にソーセージ軍団の陣地と化してしまっている。
丘を占拠するように林立する、3メートル余りの、ピンク色のぶっとい棒。
そのシルエットは、なんだか若干卑猥な……。
いや、すまない。つまらない事を言った、忘れてくれ。
ともあれ、何とも言いがたい奇怪な光景だ。
これは……ソーセージの林、とでも表現すべきなのだろうか。
俺達と敵軍は、丘ごとぐるりと、ピンク色の林に飲み込まれるような形になってしまった。
なお、俺達コンビの周りにだけは、ぽっかりと1本分、ソーセージの木の空白地帯が出来ている。
これは先ほど、俺がうっかり1本を斧で斬殺してしまったせいだ。
敗走していた敵兵達も、ソーセージの林の出現に驚嘆し、どよめいている。
驚きのあまり、思わず立ち止まっている者も多い。
あの様子からすると、どうやら彼らの方も、地面から巨大ソーセージが生えてくるなんて事は予想もしていなかったようだ。
ソーセージの大量出現には、もちろん俺も驚いた。
ただ、そこまで狼狽はしていない。こいつらは、ムカデのように暴れまわったりする気配がないのだ。
全てのソーセージたちは、まるで柱のように棒立ちになったまま動かない。
…………。
何か意味があるのか、これ??
というか、先ほどからソーセージ、ソーセージと、ソーセージばかりである。何だかもう、ソーセージがゲシュタルト崩壊を起こしてしまいそうだ。
ソーセージ、か。
そういえば、この世界にもソーセージ、すなわち腸詰はある。
ティバラの街でハゲの家に居候していた頃には、朝食によく出てきた。あいつの娘のテルゥちゃんが、ソーセージ大好きなのだ。
小さなテルゥちゃんは食が細くて、朝はあまり量を食べられないのだが、ソーセージは残さずきちんと食べる。にこにこの笑顔で、一生けんめいソーセージをほおばる5歳児の姿は、とても微笑ましくて可愛いぞ。
ハゲはそんな娘さんのために、毎朝のようにソーセージを焼いてやっていた。
パリパリで、噛むとじゅわっと肉汁の溢れるソーセージに、ハゲお手製の少し酸味のある果実ソースを絡めると、これが驚くほどに美味いのだ。
ちなみに皿に余ったソースなのだが、こいつは肉汁とよく絡めて、最後にスクランブルエッグにつけて美味しくいただく。これが通の食べ方である。
ああ、ハゲの手料理が懐かしい。
どうしよう、腹が減ってきた。
今日の夕食は、ゴレにソーセージを焼いてもらおうかな。
テテばあさんの屋敷でも山羊のソーセージなんかがたまに出てくるし、食料庫を漁れば一食分くらいは在庫があるのではなかろうか。
……と、このように、俺の思考はおおいに脱線していた。
とはいえ、現在魔導の影響で、俺の思考時間は大幅に加速している。体感時間はともかく、現実の時間経過としては、巨大ソーセージの大量出現から夕食のリクエストを決定するまで、ほぼ一瞬の出来事だ。
問題の巨大ソーセージ達との距離自体は、結構離れている。
この間合いだと、おそらく魔術攻撃はぎりぎりで届かない。それに、万が一あいつらが襲いかかってきたとしても、俺とゴレで余裕をもって対応できるはずだ。
むしろ、この意味不明な状況で、こちらから下手に動いて仕掛ける方が危ない。
そう考えていた。
だが、実際に進行しつつあった事態は、俺のこの予測を上回っていたのだ。
このとき魔導による空間把握が、とある異変を感知した。
――周囲の全てのソーセージたちの体が、一斉に膨張を始めている。
ピンク色の風船みたいに、次々と膨れあがっていくソーセージたち。
その内部に、一気に魔力の粒子が集束していくのが見えた。
あれは、火の粒子か。
それとも、風……?
いや、その両方の粒子が、複雑に混ざり合っているようにも見える。
初めて見る異様なこの現象に、俺は大きく目を見開いていた。
突如その視界が、ふわっと真っ白に染まった。
ゴレだ。
彼女が物凄い勢いで、俺に飛びついてきたのだ。
抱きすくめられる自分の身体が、地面に押し倒されていくのを感じた。
同時に、視界が暗転する。
次の瞬間。
俺は、すさまじい熱と、爆音と、衝撃に飲み込まれた。
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「げほっ、うええ、口にちょっと砂が入った……」
じゃりじゃりとする砂の感触に、俺は思わず顔をしかめた。
はて? 何だろう。
世界が真っ暗だ。音も聞こえない。
永遠に広がる闇と、音のない静寂の世界。
これはもしかして、死後の世界というやつだろうか?
そうか、俺はついに死んだのか。せめて死ぬ前に彼女が欲しかった……。
…………。
あ、違うわこれ。俺多分死んでない。
瞼の上と耳の辺りが、ふんわり温かいのだ。
ゴレが手のひらで、俺の目と耳を塞いでいるだけみたいだ。
「ゴレ、何も見えないよ。手を外してくれないか?」
俺の言葉を受け、顔を覆っていた彼女の手が、優しく外されていく。
ゆっくりと目を開けた。
ゴレの深紅の瞳が、間近で俺を覗き込んでいる。
危うく唇が触れてしまいそうだが、まぁ、いつもの事だ。もう慣れた。
俺は今、地面に横たわっているようだ。やはりゴレによって、無理矢理押し倒されていたらしい。
身体の上には、柔らかな彼女の身体がのしかかっている。
重さはほとんど感じない。これも、いつもの事だ。
ゴレを抱っこしたまま、ゆっくりと上体を起こした。
そしてそのまま、ふらつく両足で立ち上がった。
頭がまだ、少しくらくらする。
ゴレが隣から、そっと身体を支えてくれた。
「悪いな、ゴレ」
周囲には濛々と土煙が舞っていて、視界がまるで効かない。
とりあえず自身の身体をチェックしてみたが、俺もゴレも、特に怪我などはしていないようだ。
軽い立ちくらみがするのは、激しい音と衝撃で脳を揺らされたせいだろう。
このとき、ようやくある事に気付いた。
「そういえば、戦斧が……」
右手に握っていたはずの〈土の戦斧〉が、どこにもない。
魔導も切れてしまっている。
そうか。先ほど一瞬意識が飛んでしまった際に、集中が途切れて、〈土の戦斧〉への魔力供給が途絶えてしまったのか。魔力が切れた戦斧は形態を維持できず、いつのまにか崩壊してしまっていたのだ。
「この打たれ弱さは、魔導の思わぬ弱点かもな……」
軽く頭をかきつつ、右手を地面にかざした。
幸い周囲を覆う土煙のおかげで、今なら人目につく心配もない。もう一度、戦斧を生成してしまおう。
「――〈土の戦斧〉」
詠唱と同時に、足元に土の粒子が舞い上がり、片刃の斧を形作っていく。
見慣れた戦斧の生成と同時に、いつもの魔導を発動した。
みるみる禍々しい黒色に染まっていく戦斧に、そっと手を添える。
自身の感覚が、急速に研ぎ澄まされていくのを感じた。
薄れつつある土煙の向こうの気配に探りを入れた俺は、そのまま絶句した。
「は……?」
一帯が破壊し尽くされ、無数の巨大なクレーター群が出来ている。
周りには、それ以外に何もなくなっていた。
俺達がいる直径15メートルほどの範囲を残して、周囲の丘の地面が、滅茶苦茶に吹き飛んでいたのだ。
地表に出来たクレーター達のそれぞれの中心部は、おそらくすべて、先ほどまで魚肉ソーセージの柱が立っていた位置だ。
「もしかして、自爆したのか? あの、ソーセージどもが……?」
薄れゆく土煙の中から、惨憺たる光景がさらけ出されていく。
南の方角へ逃走しつつあった敵兵達が、全員爆発に巻き込まれ、無残な死体と化していた。
焼け爛れた丘の大地には、俺達以外に、誰一人として生き残っている者はいない。
これは一体どういう事なのだ。
今の爆破攻撃は、祠の林に潜んでいる連中の差し金ではなかったのか? ここで死んでいる奴らは全員、あいつらにとって仲間のはずではないのか。
いや、それどころか、今の蟲の出現と爆破のタイミングはまるで……。
俺が軍勢と刃を交えながら、爆心地の丘の中央まで移動して来るのを、じっと待ち構えていたかのようだった。
だとすれば。
まさか、林の中の連中は。
「ここにいる味方全員を、俺ごと爆殺するための釣り餌にしやがったのか……」
思わず唾を飲んだ。
たじろいだその足に、冷たく大きな物がごつんと当たった。
見覚えのある、ピンク色の塊だ。二つに割れた巨大な魚肉ソーセージの切り身が、地面にでろんと横たわっている。
最初に俺が斧で脳天をぶち割ってしまったソーセージである。
そうか。
こいつだけは死んでいたせいで、自爆できなかったのか……。
俺は祠の林に目を向けた。
林の表層の気配を探ってみると、そこには相変わらず、数人の人間らしき影が立っている。
こちらをじっと観察するような視線が、肌にまとわりついてくるのを感じた。
俺はその場に立ち尽くしたまま、呻くように呟いた。
「完全にいかれてやがる……。何なんだ、この敵は……」




