第83話 戦場と爆弾 -中編-
大量の矢を浴びつつ、俺は戦場のど真ん中を歩いた。
黒い戦斧を振り回し、猛烈な勢いで矢を叩き落としているという点を除けば、その所作は、まるでゴレを連れて優雅に散歩をしているかのごときだ。
傍目には、敵を雑魚として完全になめきっている、圧倒的強キャラの余裕の振る舞いにしか見えないと思う。
だけど、違う。断じてそうじゃない。
俺は真剣そのものだ。
実際はこうしてゆっくり歩くしかないのだ。
一見とんでもない達人みたいな動きになっているが、この〈土の戦斧〉の動きは魔導で操作しているにすぎない。手は、ほとんど添えているだけみたいな状態である。
要するに、俺の体力自体はあくまで一般人レベルなのだ。
祠の林まで走って行けば、肝心の敵の眼前で息切れを起こしてしまう……。
黒い甲虫の群れは、すぐそこにまで迫っている。
ここでちょうど、位置的に味方の最前線にいるジャンビラ達のそばを通過した。彼らは蟲と乱戦に近い状態になっている。
ジャンビラが俺に気付いて振り返った。
「おう、ネマキ来てくれたか! 随分と早かったな……って、うおっ!? 何だその斧、すげえな。魔武器か?」
俺の斧を見た赤髪の大男は、目を丸くしている。
「え? ……あ、うん。そうそう。ちなみに俺は斧の達人だから」
適当に話を合わせておいた。
「へぇ。お前も白兵戦をやるゴーレム使いだったのか。珍しいなァ。おれ、そんな奴うちの一族以外で初めて見たぞ――」
のんきな表情で俺に話しかけていたジャンビラの頭に、矢が命中した。
……が、彼は何事もなかったかのように話を続けた。
「でもネマキは見た感じ、血属性使いって風でもねえよな?」
ちなみにこの男は、周囲に結界も何も張っていない。もろに側頭部に矢の直撃を食らっている。
しかし、まったくのノーダメージだ。
傷ひとつ負っていないジャンビラの肌の表面は、よく見ると赤黒いオーラのようなものを纏っているのが分かる。
この赤黒い独特のオーラは、以前見たことがある。ティバラの街で借金取りのチンピラとトラブった時、奴らのボスが使っていた技と同じだ。
――血属性使いの“魔術戦士”。
このジャンビラという男、身体強化を発現する血属性魔術を操る、魔術戦士だったのだ。
あのチンピラのボスも、相当に防御力が高かった。あるいは現在ジャンビラの肉体も、鋼のような強度になっているのかもしれない。
しかもこのジャンビラに関して言えば、おそらく並の使い手ではない。
この周辺にも巨大カメムシの死骸がいくつか転がっているが、すべてジャンビラが殴り殺した個体だ。こいつゴーレム使いのくせに、相棒の重ゴーレムであるオレンジ象と並んで、生身で敵に接近戦を挑んでいるのだ。
今も近づいてきた小さめのカメムシを、オレンジ象とおそろいのデザインの棘付きハンマーをぶん回して、軽く撲殺した。
「ジャンビラお前、魔術戦士だったんだな」
「お? そいつはちと違うぜ、ネマキ」
ジャンビラがチッチッと舌を鳴らしながら、笑顔で小さく指を振った。
「……おれは“ゴーレムを使える魔術戦士”じゃあねえ。あくまで、“血属性を使えるゴーレム使い”だ。そこんところ、よろしく頼むぜ」
「? それって何か違うのか?」
「おう、大違いよ」
そう言って彼は、その逞しい胸を張った。
「誇り高きゴーレム使いとして、ここだけは絶対に譲れねえところだなァ」
「ふうん? そういうもんなのか……?」
「おう! そういうもんなのよ」
この若干間の抜けた野郎二人の会話の最中にも、ジャンビラは全身に敵の矢を受け、俺は片手の斧で矢を弾き飛ばし続けている。ゴレは心配そうにおろおろしながら、俺を見守っている。
シュールな光景である。
だがまぁ、俺達に攻撃が集中すれば、その分他の人達は楽になる。どんどん矢を放ってくれて、一向にかまわない。
とはいえ、ここに留まっているわけにはいかない。
この場の戦闘が終わってしまう前に、俺は祠の林に行かなければ。
「……ジャンビラ、それじゃ俺ちょっと行ってくるよ」
「は? 行くって、どこにだ?」
ぽかんとした顔の筋肉に見送られ、俺は再び前方へ向かって歩き出した。
「お、おいネマキ。お前、ふらふらとどこ行くつもりだよ……?」
「――待って、ネマキ兄ちゃん!」
このとき後方から、甲高い声がした。
アセトゥだ。
斜め後ろの方で蟲と戦っていたアセトゥが、前進する俺の動きにいち早く気付いたのだ。
「兄ちゃん、そっちは蟲の中心だよ! 危ないから、下がって!」
自分も戦闘中なのに、俺のことを気づかってくれるなんて。アセトゥは本当に優しい子だ。
実際この可愛い弟の言う通り、俺とカメムシの群れの距離は、もう目と鼻の先にまで近づいている。やつらが動くたびにギシギシと鳴る甲殻の軋み音が、先ほどから耳元に響いていた。
「アセトゥ、すまないが、俺はちょっと祠の林に行ってくるよ! こっちの事は大丈夫だから、どうか心配しないで――」
言葉を言い切るより前に、俺とゴレは、どっと押し寄せる黒い蟲の群れに飲み込まれた。
カメムシのまっ黒な壁に、びっしりと360度の全周が囲まれている。
黒い壁は俺を押し潰そうと、次々と波のように迫ってくる。
女性の腕くらいありそうな、太い触覚が。感情の見えない、バスケットボールのように巨大な複眼が。手を伸ばせば届きそうな距離にまで近づいてくる。
だが、それらが俺の身体に触れることはない。
俺に接触しようとしたカメムシ達は、ゴレのパンチで体液をまき散らしながら、瞬時に絶命していくからだ。怒りの拳の直撃を受けたカメムシの大きな頭部が、次々と紫色のミンチになって吹き飛んでいく。
俺の歩いた空間にだけ、蟲の空白地帯が出来ている。
やはり予想通りだ。
敵に格下しかいない状況なら、俺がセットで敵中に突入しても、ゴレにはまったくの余裕がある。
そもそも土の瘴気の地で猿どもに囲まれた時だって、カメムシよりよほど俊敏で狂暴な猿の全方位からの猛攻を、ゴレは完全に凌ぎ切っているのだ。
このカメムシ、中途半端に高い防御力と微妙な機動性で、しかもサイズが半端にでかい。どうやら売りは生命力の高さのようなのだが、急所に正確に叩きこまれるゴレの破壊神のごとき拳は、尊い生命に一撃で平等な死をもたらす。彼女にとってこの蟲は、スペックのすべてが実質無意味な、ただの攻撃を当てやすい愚鈍で大きな的に近い。
蟲の中に突入する直前から、矢の嵐もぴたりと止んでいる。
この点も予測していた通りだ。蟲の群れの内部にいる間、矢は飛んでこない。蟲に埋もれた俺達の位置は、敵の射手から特定できないからだ。
よって、ゴレは得意な蟲を倒す事にだけ集中していればいい。
あえて蟲の群れのど真ん中を直進するという、一見狂気の沙汰のような移動経路を選んだ理由はここにある。下手に両翼を迂回して敵に対応した動きを取られるより、いっそ真ん中を突っ切った方がゴレの負担が少ないのだ。
俺とゴレは、大量の紫色の蟲のミンチを製造しながら、林の方角へ向かって前進しつづけた。
まるで巨蟲を刈り取る、無慈悲な芝刈り機のように。
ゴレの動きが凄まじすぎて、正直なところ、俺にはまったくやる事がない。
右手に斧をぶら下げてゆったりと歩く姿は、まるっきり、休日に愛犬とお散歩をしている人のようにしか見えない。もちろん俺本人にとっては、真剣そのものなのだが……。
それから時間的には、おそらく1分も経過していない。
紫色をした文字通りの血路を開き、俺達ふたりは、あっさりとカメムシの群れの反対側へと抜けた。
この短時間の死の行進で、おそろしい数のカメムシが肉塊と化している。
「ネマキ兄ちゃん! ネマキ兄ちゃあん! やめてえ! 戻ってきてえ! 危ないよおおおお!!!」
アセトゥの悲痛な叫び声が、はるか後方から、かすかに聞こえてくる。
あの子には、心配をかけて本当に申し訳ないと思う。もし無事に生きて帰ってこられたら、大好きな団子やスティックケーキをしこたま食わせてやろうと思った。
蟲の群れを抜けたことで、再び弓兵集団による攻撃が開始された。
放物線を描いて飛来する多数の物体。だが、矢ではない。
石だ。
敵は俺に矢が効かないと見て、攻撃を投石に切り替えてきたらしい。奴らは片手に結わえ付けた革紐のような物を振り回しながら、その遠心力で石を射出している。あれはおそらく、投石紐と呼ばれる武器だ。
投石兵か。古い時代の戦場にはそういう者達が居たと、確かに物の本で読んだことはある。石を投げるというと原始的で弱そうなイメージだが、実際はそんな事はないらしい。有名どころだと旧約聖書なんかで、ダビデがこいつを使ってペリシテ最強の戦士ゴリアテを倒したり、強力な武器として描かれているよな。
とはいえ、まさか自分自身が、ゴリアテ同様に投石攻撃の的になる日が来ようとは……。サムエル記を流し読んでいたときには、夢にも思っていなかった。
投石紐で投擲された多数の石は、射程も、威力も、どうやら手で投げられた物とは桁違いのようだ。
砲弾のような石達が、おそるべき精度で殺到してくる。
……が、もちろん全弾あっさりと弾いた。
戦斧に弾かれた石は、砂みたいに脆く砕けて飛び散るので、少しうざったい。
矢との違いは、その程度だ。
そもそも猿が使う高威力の石弾などに比べれば、この投石は攻撃として完全に下位互換なのだ。瘴気の地であれだけ毎日猿と魔導石合戦をやりまくった俺が、いまさらこんな人力石ころ攻撃に怯むわけもない。
なお、飛来する石の中に、時々鉛玉が混ざっている。
当然の事ながら、鉛玉は重く、通常の投石よりは威力や精度が高い。案外この鉛玉が、敵にとって本命の攻撃なのかもしれない。
といっても、完全に石ころと同列の扱いで弾いてしまっているが……。
むしろ鉛玉の方は潰れて派手に変形する分、石のようにチョークの粉状になって散ったりはしない。こっちの方がマシかもしれん。
「……それにしても、こいつら一向に引く気配がないな」
もはや敵兵との距離は、数十メートル程度にまで近づいている。
肉壁役にしていたカメムシ達を突破された時点で、てっきりこの集団は敗走を開始するものだと思っていた。
だが、連中がこの場から移動するような気配はない。
俺が思っていたよりも、ずっと敵の士気は高いのだろうか? こいつらとも戦わねばならないとなると、少し面倒な展開だ。
俺はこんな奴らなど無視して、さっさと祠の林に行きたいのだが……。
前方に立つ、200人を超える敵兵の姿を眺めた。
彼らが身につけている、統一性の薄い、色鮮やかな防具に装飾品の数々。この軍勢の大部分は、やはり森で戦った連中と似たような風体をしている。
ただ、うち何割かは、規格のそろった、見覚えのある制服や防具を身につけている。記憶にあるこの装備は、藩都サラヴで外壁や魔術師協会の守衛をしていた人達と同じ物だ。
そういえば、この連中は藩の兵士達を殺して装備を奪い、部隊に偽装して接近して来たと、里の誰かが言っていたのを思い出した。
魔導で強化された空間認識で精査してみると、確かに連中が身につけている制服や防具には、一部に血の痕跡や、不自然な穴や歪みなどが確認できる。里人のあの推測は、おそらく正しい。
こいつら、人を殺すための手段として、さらに別の人間を殺したのか。おぞましい思考をする連中だ。
このとき、敵の最前列が入れ替わった。
投石紐を持っていた者達が後ろに下がり、代わりに他の人員が前に出てきたようだ。新たに前列に出てきた連中は、こちらに向けて手をかざしている。
この構えは、魔術攻撃か。
「「「――〈火球〉ッ!」」」
火魔術だ。並んだ連中の掌から、ソフトボール大の火の玉が一斉に射出された。
幾筋もの炎の軌跡を描き、高速の火の玉が飛来する。
ゴレが素早く移動し、射線上に割り込んだ。
灼熱の火の玉は次々とゴレの身体に弾かれ、霧散するように消えていく。
当然ノーダメージだ。ゴーレム使いに、こんな魔術は効かない。
「何か意味があったのか? 今の攻撃……」
内心首を傾げたこの瞬間、敵が動いた。
軍勢の中から、複数の人間が、こちらに向かって一斉に走り出たのだ。
なるほど。先の火魔術は、この突撃のための牽制か。
集団から走り出た敵の人数は、全部で12人だ。全員が両手に、湾曲した妙な形の短剣を構えている。灰色の外套を羽織り、顔を布で隠した細身の男達。その見た目から受ける印象は、暗殺者とか、異世界忍者といったところだ。
こいつらは忍者らしく、全員動きが素早い。一気に駆けて距離を詰めてきた。
ゴレが拳を振りかぶり、前方に飛び出た。
その全身からは、皮膚をひりつかせるような、猛烈な殺気が噴き出している。当然だ。さっきから俺は、矢やら、石やら、魔術やら、連中によって執拗な攻撃を受けつづけている。既にゴレは怒り心頭のブチ切れ状態だった。
接近する異世界忍者達と、迎え撃つ純白のエルフ。
両者接触の直前、忍者の1人が妙な動きを取った。
彼が構えた手に光る水色の指輪に、魔力の粒子が集束するのが見えた。
「ゴレ、気を付けろ! そいつ何か……」
やるつもりだ。そう言いかけたとき、凄まじい勢いで、指輪の付近から煙幕のように霧が放出された。
一瞬にして、ゴレと忍者軍団の姿が真っ白い霧に包まれる。
濃霧の中から、連続で何かが潰れるような音が響いた。
もはや俺にとっては聞き慣れた、ゴレが敵の頭蓋を吹き飛ばす破壊音だ。今、霧の中で、彼女によって惨劇が引き起こされている。
霧の煙幕も、ゴレの前にはさして意味がなかったようだ。
こうなってしまっては、もう彼女の殺戮は俺にも止められない。
連続して響いた死の輪踊曲は、合計11発分。
霧の中で、一瞬にして11人の敵が、ゴレの拳で頭を叩き潰され即死した。
ただ、最初に突撃してきた敵の数は、総勢12人だった。
つまり。
直後に霧の中から、短剣を構えた1人の男が飛び出してきた。
「来やがったか……!」
この男は霧の際ぎりぎりを大回りに走り抜け、ゴレの迎撃を紙一重ですり抜けていたのだ。
男は灰色の外套をなびかせ、俺の数メートル手前で大きく跳躍した。
「死ね!」
叫んだ男のマスクの下の目が、鋭く細められた。
両手を交差するようにして構えられた2本の湾曲した短剣が、陽光を反射してまばゆく光る。
殺意の刃が、俺の首筋めがけて振り払われた――
……と、一見緊迫したシーンではあるのだが、魔導発動状態の俺には、敵の斬撃の軌道が完全に見えている。
俺は突っ込んで来る忍者の鼻先に、そっと〈土の戦斧〉を押し出した。
一応、斬り殺してしまわないように、斧の刃が付いていない峰の方を相手に向けて。
とりあえずこの初手では、短剣を受け止めるだけのつもりだった。
だが、その予測は甘かった。
黒い戦斧と接触した瞬間、わりと高級で硬そうに見えていた金属の短剣が、ガラス細工のように脆く砕け散ったのだ。
刃をあっさり貫通破壊した戦斧は、そのまま敵の胸を強打する。
胸鎧とあばらの砕ける音と共に、異世界忍者が真後ろに吹き飛ばされた。
血反吐をまき散らしながら弾丸のようにぶっ飛んでいった灰色の忍者が、後方の敵集団の中に勢いよく突っ込む。
集団から、怒号とも悲鳴ともつかない絶叫が巻き起こった。
「ま、マジか……」
眼前の光景にぽかんと立ち尽くす俺。
たったの一合で勝負がついてしまった。今の忍者、結構強い奴だったように思うのだが……。
しかし、そのまま呆けてもいられなかった。実は、敵の攻撃はそれで終わりではなかったからだ。
俺が忍者を吹き飛ばした直後の一瞬の間隙に、敵集団の最左翼から飛び出した1人の射手が、横っ飛びの体勢から俺めがけて弓を放ったのだ。
「――ったく、こいつら、次から次へと……!」
首を軽く傾けて、矢をかわす。
顔の真横を通り過ぎていった矢の形には、見覚えがあった。
エオルのお父さんを射たのと同じ型の、緑色の妙な形をした例の矢だ。里の人達はたしか、“燕矢”とか呼んでいたか。
確かに通常の矢よりも若干速度が出ていたようには思う。あと、矢の先端が不自然に発光していた。何か細工があったのかもしれないが、それ以外に特に変わった点は……。
そう思った瞬間、後方に飛び去ったはずの燕矢が、もの凄い飛翔速度でUターンし、俺の脳天めがけて舞い戻ってきた。先ほどまでとは比べものにならない程に加速している。矢尻に切り裂かれた周囲の空気が、まるで甲高い燕の鳴き声のような悲鳴を上げた。
「な、にっ……!?」
慌てて、後方に戦斧を振り抜いた。
黒い斧に薙ぎ払われた緑の矢が、粉々に破砕する。
砕け散った緑色の破片が、きらきらと宙を舞った。
危なかった。魔導の感覚強化で後方の空間が把握できていなければ、おそらく今のでやられていた。
燕矢を放った射手は、あっさりと矢を打ち落とした俺の様子に、目を見開いている。
が、そのまま矢筒に手を伸ばし、即座に二の矢をつがえた。
つがえられた矢は、またしても緑色。燕矢だ。
しかも、3本。
まさかあいつ、燕矢を同時に3本も撃つ気なのか。
もはや出し惜しみ無しなどというレベルではない。大盤振る舞いだ。その矢って、とんでもない貴重品だいう話じゃなかったのか?
こんな面倒な矢、一々相手にしていたらキリがないぞ。
「――お前、ちょっと黙っていろ!!!」
俺は、燕矢をつがえる射手めがけて、振り向きざまに〈土の戦斧〉をぶん投げた。
車輪のように縦回転する漆黒の戦斧が、一直線にぶっ飛んだ。
「あ、不味い……」
瞬時に後悔した。
〈土の戦斧〉が、敵の胴体への直撃コースを驀進している。敵の弓だけを破壊して無力化するつもりだったのだが、勢いとパワーが出過ぎていて、軌道の微調整がまったく出来ない。このままでは、敵の身体が正中線から真二つになる。
止まってくれ、斧さん!
俺は、とっさに〈土の戦斧〉を制止しようとした。
ブレーキをかけるように縦回転でガリガリと地面を削った〈土の戦斧〉は、敵の眼前の畔のような農道の上で、大きくバウンドした。
黒い大車輪と化した魔導の戦斧が、敵の頭上を飛び越えていく。
ぎりぎりで直撃は回避された。
しかし、悲劇は回避できなかった。
――斧が畦を破壊しながらバウンドした際にぶちまけた大量の石くれが、至近距離から、まるでショットガンの弾丸のように敵の全身を直撃したのだ。
蜂の巣になった敵の射手が、血まみれで背中を突っ張らせ、びくびくと畑の上をのたうっている。
〈土の戦斧〉が抉り取った畦道の一部は、溝となって完全に消滅していた。
バウンドした勢いで上空に打ち上げられた戦斧が、ブーメランのように回転しながら、俺の手元に戻って来る。
ゆっくりと減速させ、右手でキャッチした。
「だ、駄目だ……。やっぱりこの斧、手元から放すとまるで制御できん……」
じゃじゃ馬すぎる黒い戦斧を見つめながら、俺は蒼い顔で呟いた。
だが、俺よりもっと蒼い顔をしている連中がいる。
200人余りの、前方の敵兵達だ。
誰も口を開かない。
彼らの目は、戦斧を握る俺の姿に釘付けになっている。
ここでようやく、ゴレの周辺を包んでいた霧が消失し始めた。
薄れゆく霧の中には、目を覆いたくなるような惨状が広がっていた。灰色だった敵の忍者軍団が、一人残らず赤い血と肉の塊と化している。
右腕を返り血で鮮やかに染め上げた白いエルフが、積み重なる死体の中心に立っている。
その瞳は、まるでマグマのように燃え滾っていた。
この瞬くほどの短い間に起こった一連の戦闘で、俺達に接近しようとした者は、そのことごとくが手も足も出ずに圧殺されたことになる。
斧を見つめていた俺と、地面の死体を睥睨していたゴレは、ゆっくりと敵陣の方へ顔を向けた。
俺達と目が合った瞬間、静まり返っていた敵兵達の中に、凍てつく恐怖と絶望の表情が、水面に揺れる波紋のように次々と伝播していった。
魔導の感覚強化のせいで、数人が失禁した様子まで確認できた。
だが、こんな奴らの気持ちなど、今はどうでもいい。
俺とゴレは敵陣の背後に控える林へ向けて、再び静かに一歩を踏み出した。




