第80話 象と筋肉
「相変わらず、無駄にでかい虫だな……」
瓦礫の中から出現した巨蟲、軟殻百足。
こいつは森で戦った奴らよりも、若干個体サイズが大きい。といっても、数メートル程度のサイズ差など、この巨体からすれば誤差に近くはあるのだが。
このときムカデを見上げていた俺は、ある事に気付いた。
二股に分かれたムカデの巨大な顎に、1体のゴーレムが挟み込まれるようにして咥えられているのだ。
おそらく咥えられているのは、体型からして短槍ゴーレムだ。ただ、機体の損傷がはげしく、正確な種類の判別はつかない。その頭部は無残に破壊され、四肢がだらりと脱力している。
彼は既に機能を停止しているようだ。魔導核のある急所の胸は破壊されていないようだが、あの万力のような大顎で押し潰されるとどうなるか分からない。
「不味いぞあれ、助けないと」
俺は急いで相棒に、ゴーレム救出の指示を出そうとした。
だがそのとき、ふいにムカデが大きく首を振った。
咥えられていた頭のないゴーレムが、振り飛ばされて落下した。
「あっ」
俺を含めその場の全員の視線が、一瞬空中のゴーレムに釘付けになった。まさにこの瞬間。ムカデが前方に密集する里人とゴーレムめがけて、不意打ち気味に突進を開始した。
あっという間の出来事だった。
暴走する列車に撥ねられたみたいに、ゴーレム達がムカデの巨体に弾き飛ばされていく。大質量の体当たりを受け、ゴーレムの手足が砕ける。人間にはとても持ち上げられない重さのゴーレムの石の武器が、紙細工みたいに宙を舞った。
あのムカデ、こんなに速度が出るのか。
森で一つ所に固まってうねっていた5頭とは、完全に動きが別物だ。黒い巨蟲は、まるで何かの拘束から解き放たれたかのように、自由な躍動と、恐るべき俊敏性を見せている。
これが軟殻百足の、本来の動きなのか。
不味い。このままでは、ムカデが里のゴーレム使い達の中に突っ込む。
こんな突進を生身の人間が食らったら、全員が一瞬で挽き肉になって即死だ。
「やばい、ゴレ! ムカデを止め――」
慌てて叫ぼうとした。
しかし、それとほぼ同時に、まるで俺の叫びを打ち消すかのような、重い衝撃音が周囲に響いた。
猛烈な突風が顔に吹きつけ、俺は思わず一瞬だけ目を閉じた。
直後に再び目を見開いた、そのとき。
ムカデの巨体が宙を舞い、上空高くに吹き飛ばされていた。
「え……?」
俺はぽかんと口を開けたまま、宙を舞うムカデを見上げた。
ゴレがやったわけじゃない。
彼女はまだ、俺の斜め前にぴったりと立っているのだ。
一体何が起こった……?
状況が飲み込めない俺は、ムカデの打ち上げ地点を見た。
そこには、オレンジ色の巨人が立っていた。
重ゴーレムだ。
建物の陰から出現した巨大なオレンジ色の重ゴーレムが、馬鹿でかいハンマーでムカデをぶっ飛ばしたのだ。
分厚い鎧を纏い、凄まじい存在感を放つ、ど派手なゴーレム。
顎の部分に長い装飾を持ち、鎧の肩からは、象牙のような二本の湾曲した角が生えている。
知っている。こいつは、“戦象ゴーレム”だ。
その巨大な体は、高さにして6メートル近くある。
同じ重ゴーレムである弩ゴーレムが、体高およそ3メートル。その、ほぼ倍だ。同じく軍用の重ゴーレムで、巨体を利用した突撃を得意とする盾ゴーレムですら、その体高は5メートルに届かない。といえば、目の前の巨人が、ゴーレムとしていかに大きいかが分かると思う。
特徴的な顎の装飾はツタンカーメンのようで、そう言われてみれば、確かに象の鼻っぽく見えなくもない。象牙のような肩の突起とあわせると、なるほど、そのシルエットは象のイメージだ。手足もぶっといしな。
中々に男の子心をくすぐるデザインのゴーレムといえる。武器として棘付きのハンマーを持たせた飼い主さんの趣味も良い。
何はともあれ、ナイスアシストだ! オレンジ象!
ムカデは空中から激しく地面に落下した勢いで、バウンドしつつこちらへ転がってくる。
俺は、間近に迫る巨大ムカデを指さした。
「ゴレ! ――そいつを引き千切れ!!!」
叫びに呼応し、純白の美女神エルフが大地を蹴った。そして、猛禽のようにムカデに飛びかかった。
彼女は敵の背をとらえて馬乗りになり、背後からその首をがっちりと掴む。
駱駝固めの体勢だ。
そこから彼女は、ムカデの頭部を後方に引っぱり始めた。
海老反りの状態になったムカデの首が、繊維の断裂する音を立てながら、ゴレの超パワーでさらに後方へと引き伸ばされていく。
ムカデの尾が苦しげにのたうち、周囲の瓦礫を舞い上げる。
だが、その動きも長くは続かなかった。ほどなくして、女神の細腕の無茶苦茶な膂力に耐えかねたムカデの身体は――
首の根元からぶちぶちと裂け、見事に真っ二つに千切れた。
ムカデの胴の断面から緑色の体液が猛烈な勢いでまき散らされ、一帯にシャワーのように降り注ぐ。
緑色の雨の中、ゴレが、抱えていたムカデの生首を道端にひょいと放り投げた。
どすんと大きな音を立て、巨蟲の首が地に落ちる。
首は落下の勢いで路面を転がっていき、ぶち当たった近くの石垣を破壊した。
やはりあのムカデの生首は、とても重いようだ。ゴレのやつが気軽にぽいぽい投げ捨てるものだから、ゴム製のボールなのかと錯覚してしまいそうになるけれど。
頭部を失ったムカデの死骸の断面からは、まだ緑色の体液が垂れ流され続けている。その大量の体液によって、通りの石畳は緑に染まっていた。
ゴレの瞳が、興奮で爛々と輝いている。
あれは完全に、フリスビーで遊んでいるときの犬の目だ。
相棒よ。そのムカデは、お前のストレス発散のための玩具ではないのだが……。
里のゴーレム使い達の様子を見た。
ムカデに襲われかけていた彼らは、疲労と安堵感からか、その多くが道端に座り込んでいた。
何人かが俺に気付いて、弱々しく手を振っている。
「……良かった。全員無事か」
ゴーレム達も数体やられてはいるが、見たところ修復すれば大丈夫そうだ。
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「おう、助かったぜ、聖堂ゴーレム使いのあんた! 話に聞いちゃあいたが、実際に見ると凄まじい腕前だなァ」
突然大きな声をかけられた。
声のした方を振り返ると、誰かがこちらに向かって走ってくる。
やたらガタイのいい大男だ。
顔立ちが若い。年齢的には俺と同年代か、少し上くらいか。
まるで燃える獅子のような赤い髪を振り乱し、筋骨隆々の肉体を惜しげもなく日差しの中に晒している。その鎧のような大胸筋は見事に盛り上がり、鍛え抜かれた腹筋はシックスパックに割れ――
ん? 何やらこの筋肉……初見ではない気がするのだが……。
まぁいい。
ずしん、ずしんと音を立てながら、巨大なオレンジ象が、赤髪の大男の後ろに付いて歩いてくる。
なるほど、彼があの重ゴーレムの飼い主というわけか。
小走りに近くまで駆けてきた大男は、石垣に突っ込んでいるムカデの生首を一瞥しながら言った。
「まったくこの気味の悪い蟲、大槌でぶっ叩いても槍で突いても、てんで効きやしねえ。えらく難渋してたんだ。あんたのおかげで本気で助かった、すまねえな」
「……いや、こちらこそ助かったよ。おたくの戦象ゴーレムがあのタイミングで割り込んできてくれなかったら、正直間に合わなかったかもしれない」
「悪いな。そう言ってもらえると、こっちも何とか面目が立つんだが」
大男は若干ばつが悪そうに、ぽりぽりと赤毛頭をかいている。
「まさか千切れば良かったとは、とんだ盲点だったぜ……」
そんな男の様子を尻目に、俺は周囲を見渡した。
一帯は静かなもので、煙とゴーレム以外に動く物の気配はない。
うちのゴレはといえば、ちらちらと俺達の方を気にしつつも、まだムカデの死体を楽しげに蹴っている。森でも瀕死の盗賊をいたぶって遊んでいたし、良くない遊びを覚えつつあるようだ。あとで説教せねば……。
とはいえ彼女のあの様子からすると、付近にもう敵はいないのだろうか。
俺は、目の前で頭をかいている赤髪男に確認を取った。
「……ムカデはあの1頭で全てなのか?」
「ん? ああ、防壁の内側に入り込んだ蟲はあいつだけだ」
そう言った彼は、煙の立ちのぼる瓦礫の方に視線を流した。
「何にせよ、これでようやくまともな消火作業に入れるぜ。急いで集会場の方とも連絡を取って――」
集会場。
その言葉に、俺は思わず騎乗していたジミーの背を飛び降り、一気に男に詰め寄った。
「集会場は――ッ! 皆は無事なのか! おばあさん達は!? ガキどもは!?」
胸倉に掴みかかるような俺の勢いに、大男は完全に面食らったようで、大きくその目を見開いている。
「……あ、ああ。安心しろ、大丈夫だ」
彼は当惑気味に言葉を続けた。
「ほら、森の不審者騒動で、戦えない奴らは集会場に避難していただろ? 婆様連中の言いつけで、あんたが戻るまで皆あそこに待機してたのさ。……おかげでどうにかなった。守るべき奴らが一か所に集まってる状況なら、拠点防衛は重ゴーレムの十八番だからな」
そう言った大男の顔から、既に当惑の色は消えている。彼は俺の目をまっすぐに見据え、はっきりとした口調で言った。
「死に物狂いで守り切った。……大丈夫、今のところ死者は出てねえよ」
「な、なんだ……。そうだったのか……」
俺は、よろめくように一歩後退した。
「良かった、俺は、俺はてっきり……」
絞り出すように声を出した。だけど、何だか喉がかすれてしまって、それ以上言葉が出てこなかった。
腰の根元の辺りから、徐々に力が抜けていく。
情けないことに、俺はその場にへたり込んでしまった。
同時に、糸の切れた操り人形のようになってしまった自身の姿に、内心ひどく驚いていた。まさか、自分がここまで思い詰めていたとは。
「ふっ、くくっ……。あっはっはっは!」
突然、頭上から馬鹿でかい笑い声が降り注いだ。
見上げると、赤髪を振り乱しながら、例のマッチョが大笑いしている。
失礼な筋肉である。
笑われた俺が若干むっとした視線を筋肉に向けると、見下ろす笑顔の彼と目が合った。
「あ、いや。わりい、わりい。別に馬鹿にしたわけじゃねえんだ」
筋肉は笑いつつ謝罪してきたが、どうにも反省の色が薄い。その表情は、とても楽しげだ。
「あんた、大山羊殺しのやり口が尋常じゃなかったし、近寄る里の女は無言で威圧して追い払うなんて話も聞くもんだからよォ。一体どんないけすかねえ冷血野郎なのかと思ってたんだが……」
言いながら大男は、まるで子猫でも拾い上げるような軽い仕草で、俺の襟首をつかんでひょいと立たせた。
ふと気付くと、いつのまにかゴレも隣に駆け寄ってきている。彼女はへたり込んでいた俺のひざに着いた泥を、かいがいしく手で払ってくれていた。
その様子に、再び筋肉が爆笑した。
「こいつはどうも、婆様連中やガキどもの言う通りだったらしいなァ」
彼は燃えるような赤髪をなびかせ、その精悍な顔でにかりと笑った。
「おれの名は、ジャンビラ・デル・デルボリアだ。……よろしくな、兄弟!」