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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第6章 襲撃の冒険者
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第75話 トラウマと涙


 

「し、信じられん……。今ゴレの回し蹴り、完全に入ってたよな……?」


 ゆっくりと起き上がったムカデの巨体が、黒く照り輝いている。

 無数の歩肢は活発に蠢いていており、まるで動きは鈍っていない。

 このムカデの黒い外皮からは、当初さして硬そうな印象を受けなかった。にもかかわらず、攻撃を受けた部分にはまったく破損している様子がない。

 へこみや傷すらも残っていないのだ。

 おかしい。異常な耐久力だ。


 いや。よく見れば、ムカデは口の辺りから、緑色の体液を微量に吐いているようだ。あれってもしかして吐血しているのだろうか。

 完全にノーダメージという訳ではないのか……?

 だが、そんなことは些末な問題ともいえる。過去の戦闘経歴を振り返ってみると明らかなのだが、ゴレは俺への遠慮がある対人戦以外では、攻撃の加減ってものをまるでしない。敵が一発でミンチになる攻撃を、本気でぶっ放す。

 つまりこのムカデは、ゴレの本気の一撃を食らって、なお死んでいないってことだ。どころか、たいしてダメージを受けた様子もなく起き上がった。

 驚愕に値する。恐るべき生命体だ。


 驚きに固まっている俺を尻目に、ゴレがくるりと身体をターンさせた。

 どうやら彼女は、横手に吹っ飛ばされて距離が離れたこの1頭については、とりあえず放置することにしたようだ。


 前面に陣取る残った4頭のムカデに対し、ゴレが突撃を開始する。

 白いエルフが弾丸と化し、一気にムカデの群れへと肉薄した。

 放たれた、フルパワーの右ストレート。

 中央のムカデの黒光りするボディに、その必殺の拳撃がめり込んだ。

 重い衝撃が、ムカデの巨体を突き抜ける。

 凶悪な造形の口から、緑色の体液が噴出した。


 が、ムカデは死なない。


 拳がめり込み凹んだように見えた外皮も、ボコンと軽い音を立て、一瞬で元に戻ってしまった。

 何だあの外皮は……?

 もしや、あれのせいで打撃が効いていないのか?


 ゴレの背中が、大きくたじろいだ。

 動揺している。

 このムカデの耐久性は、彼女にとっても完全に想定外だったようだ。

 いや。だがそれにしても、今のゴレの様子は少しばかり妙だ。

 何だか動揺しすぎている気がする。

 どうしてゴレはここまで怯えているのだ。

 こいつに限って、別に虫が苦手なんてこともないはずだ。第一それなら、最初からムカデを怖がっているだろう。こいつが急に動揺し始めたのは、回し蹴りをくらった相手が生きていた直後からだ。

 しかし、だとすれば余計に理由が分からない。ゴレは戦闘の最中は、基本脳筋パワープレイのキリングマシーンだ。少々攻撃が効かなかろうが回避されようが、無言で追撃の連打をぶちかますようなやつなのに。

 一体どうしたっていうんだゴレ。お前らしくもないぞ。

 何故、攻撃の手を止める。


「ゴレ! 手刀だ!!! 斬撃ならダメージが入るかもしれん!」


 思わず叫んでいた。

 俺の声を浴びて、萎えかけていたゴレの右手に再び力がこもるのが見えた。

 ひらかれた右掌が、すっと水平に構えられる。

 数多の敵を薙ぎ払ってきた、必殺の手刀の構えだ。


 横薙ぎの一閃。

 ムカデの脇腹めがけて、白い手刀が炸裂した。


 頼む、決まれ!

 俺が心の中で叫んだのと同時に、節くれ立った黒い胴体に、白い刃が深々とめり込んだ。


 だが、手刀はそのままずるりと横滑りして、空中にすっぽ抜けた。


 ――切断、されていない。

 濡れたように輝くムカデの外皮には、かすり傷ひとつ付いていない。

 嘘だろ、効かないのか。

 牛の巨木のようにぶっとい脚だろうが、猿の硬い岩の外殻だろうが、短槍ゴーレムのシャープな石の脳天だろうが。すべてをまるで豆腐みたいに両断してきた、完全にソード系斬撃あつかいの、あの、ゴレの手刀が。


 打撃も、斬撃も効かない。


 額に嫌な汗が流れた。

 脳裏に浮かんだのは、かつて戦った最悪の敵。巨大な邪竜の姿だ。

 そうだ。ゴレの一撃を食らった後に立っていた奴なんて、俺はあの不死身のクソチートドラゴン、古代地竜以外に見たことがない。


 まさか、こいつも物理無効の敵……。古代地竜と、同じタイプなのか……?


 息を呑む俺に、鼠男が勝ち誇って叫んだ。

「きっひひひひひ! ゴーレムじゃあなァ、この“軟殻百足”(なんかくむかで)は絶対に倒せねェ! こいつの軟体は全ての衝撃を吸収し、ダメージすら水魔導であっという間に回復しちまう。軟殻百足はなァ、ゴーレム殺しの、不死身の蟲なのさ……!」

 奴の高笑いと同時に、4頭のムカデが一斉に暴れはじめた。

 鞭のように長い身体をしならせ、手あたり次第に周囲に体当たりを始めたのだ。

 巨体がぶち当たった森の木々が、次々に倒壊していく。


 ああ、やめてくれ。

 ロマンチックな恋人空間が破壊されていく……。

 いつか彼女が出来たら、デートコースにしようと思っていたのに。


 このとき、すんでのところでムカデの体当たりを回避したゴレが、後ろ跳びに俺の元まで跳躍して来た。

 彼女はそのまま俺の腰をそっと抱きしめ、流れるように十数メートルほど一気に跳び下がった。

「うおっぷ!?」

 突然の抱擁。拒絶も受け入れも、心の準備もくそもない。

 俺はゴレのなすがまま、その腕に抱かれ後ろにぶっ飛んだ。

 一瞬で景色が流れていく。海老かザリガニにでもなった気分だ。


 後方に跳び下がったゴレは、ふわりと俺を地面に下ろした。

 この位置はもはや、苔の広場の末端ぎりぎりだ。俺はもふもふの苔の上に、尻もちをつくような形になった。

「お前いきなり何すんだよ。びっくりしたわ、もう……」

 ゴレに抗議しつつ、よろめきながら立ち上がる。

 向こうで、巨大ムカデ達はまだ派手に暴れ回っている。

 その様子に目をやった俺は、ぎょっとした。

 先ほどまで俺が立っていた場所が、ムカデに突っ込まれて無茶苦茶に破壊されていたのだ。

 ゴレに抱えられてザリガニジャンプしていなければ、潰されていたのか。

「ごめん、前言撤回だ。助かったわ……」

 いつもすまんな、相棒。


 見たところでは、ムカデ達がここまで追撃してくる様子はない。

 どうやらこの距離まで離れると、奴らの攻撃の射程外のようだ。

 ただ、俺達が離れたにも関わらず、ムカデどもはまだ狂ったように暴れ続けている。本能のままに破壊をおこなっているといった様子だ。

 というか、ムカデがのたうっているあの周辺には、おしゃれ盗賊団がまだ転がっていたはずなのだが……。

 おいおい。まさか蟲使いの野郎、敵も味方も見境なしなのか?

 いずれにせよ、あんな荒れ狂う不死身の巨大生物になど手のつけようがない。

 一体どうすれば良いのだ。


「くそっ。ゴレ、こうなりゃ仕方がない。正直かなり厳しいが、なんとかあの蟲使い自身への直接攻撃のチャンスを狙って……」

 言いさした俺の手を、ふいにゴレが握った。

「? どうした」

 見れば、ゴレの長い耳が少しだけしゅんと下がっている。元気がない。

 このとき彼女が、伺いを立てるように俺の顔を見つめた。

 でも、目が合ったのはほんの一瞬。すぐに逸らされてしまった。

 彼女はそのまま、もう一度俺を抱っこしようとした。

 今度の抱っこは、先ほどのような即応の腰抱きではない。本格的な緊急離脱用の、いわゆるお姫様抱っこをする構えだ。恥ずかしいから俺はあまり好きではなく、一方のゴレはとても大好きな、例の抱っこである。


「ゴレ、お前……。退く気、なのか……?」


 思いもかけなかった、ゴレの冷静な判断だ。

 彼女の敵前逃亡なんて、俺は初めて見る。こいつは、あの古代地竜相手にも頑として退かなかったのに。

 だから俺自身、無意識のうちに、ゴレは退いてくれないという前提で作戦を立てていた。


 そうか。ここで、退くのか。

 確かに現状、明確な打開策はない。

 ここにとどまり戦って、さらに状況が悪化する可能性もある。

 何よりこの場の撤退は、博愛主義の俺の考え方にも合致している。

 いくら危険で恐ろしい虫の化け物とはいえ、正直、無垢な生き物を殺すのには気乗りしていなかったんだ。

 化け物といえども、同じ星に暮らす仲間。

 愛しく尊い生命だ。


「よし、分かった。ここは一時撤退しよう」

 俺はゴレの勧めのままに、退却することにした。そして、大人しく我慢してお姫様抱っこをされるべく、手を差し伸べる彼女に身を任せようとした。

 だが、そのとき何気なくゴレの顔を見て、そのまま動きを停止した。


 ゴレの瞳が、悲しげな青色に染まっている。


「は……? お前、何で泣いて」

 ゴレが、泣いている。

 何故だ。

 どうして、この状況で突然泣き出すのだ。


 理由が分からない。

 というか、まったく意味が分からない。


 だけど、ゴレを泣かせた犯人だけは、はっきりしている。

 あのムカデ達と戦い始めてから、ゴレは何だかずっと様子が変だった。

 らしくないほどに動揺したり、すぐに逃げようとしたり。


 ムカデだ、間違いない。

 理由は分からんが、あのムカデのせいでゴレは泣かされてしまったのだ。

 こんなにも悲しそうに瞳を濡らして。

 俺の、大切な大切な、世界で一番可愛いゴレが。

 …………。



 あ の ク ソ 害 虫 が ァ ~~~~ッ!!!



 許さん。駆除する。

 俺は最初から、害虫のムカデなどまったく気に入らなかったんだ。

 下等な節足動物の生命などには、元々微塵の価値も無い。俺は最初から、そう思っていた。

 同じ星に暮らす仲間? 知らん。

 物理無効? 知らん。


 土 魔 導 を ぶ っ 放 す。


 効くとか効かないとか、身バレとか逮捕とか、もう、関係ない。もう、頭に来た。

 大体、俺は何も悪い事をしていないのに、魔導を使うだけで逮捕されるなんて、理不尽だと思っていたんだ。もう嫌だ。もう我慢しない。撃つ。撃ちまくる。

 土槍ミサイルを死ぬまで連射しまくって、ゴレを泣かせた害虫どもを、全員串刺しの昆虫標本にしてやる。

 後の事など、もう知らん。


「ゴレ、涙が引くまで休んでいろ。後は俺がなんとかする」

 彼女が驚いたように、蒼玉(サファイア)色の目を見開いた。

 このとき、初めてしっかり彼女と目が合った。

 はて……?

 そういえば、先ほどから、ほとんどずっとゴレと目が合っていなかった。

 いつも話をするときには、ゴレは俺の目をじっと見ているのに。常に目が合っているから、俺の中では、見つめてくるゴレの赤い瞳の印象がとても強い。彼女が目を逸らした時わりとすぐに気付くのもそのせいだ。

 でも、ムカデとの戦闘に入って以降、俺の顔を見るゴレの視線は、ずっと微妙にズレていた。

 彼女が泣きそうな顔でじっと見ていたのは、俺の目よりも少し上の位置。

 額だ。

 ゴレはずっと、俺の額を見ていた。

 何故そんな所を……。


 一瞬の疑問の後に、それを打ち消すような既視感が湧き上がってきた。


 涙に濡れたような青色の瞳。

 俺の額を、じっと見つめるゴレ。


 以前にも、まったく同じ状況があったではないか。

 古代地竜との死闘の最中、やつの石弾を躱しそこねて、俺の額がぱっくり割れた時だ。よく覚えている。この世界に来て以降、わりと修羅場には巻き込まれているが、俺が本気で追い込まれて負傷したのは、後にも先にも、あのたった一度きりだ。

 そうか。ゴレも俺と同じで、ずっと覚えていたのだ。

 あの地竜との戦いで、物理無効の相手に無謀に突進しつづけたことで逃走の機会を失い、結果、俺もろともに窮地に陥ったことを。

 あのとき、俺が額を怪我したせいでゴレは泣いてしまった。ゴレのやつ、あの時のことをずっと気に病んで引きずっていたのか。

 だからムカデに攻撃が効かないと分かった途端、急に及び腰になったり、自信喪失してあっさり逃げ出そうとしていたのだ。

 相棒はあの出来事を、完全にトラウマにしてしまっている……。


「……なるほど、そういう事だったのか」

 深く息を吐いた。

 少し、冷静になろう。

 俺はゴレの事になると、どうも頭に血が上りやすいようだから。

 仮に、俺がこのまま土魔導による攻撃で、あそこにいるムカデどもを串刺しにして倒すことが出来たとしよう。確かにそれは、何となくかっこいい気がする。俺の望み通り、ヒモの称号だって返上できるだろう。

 だが、それでは古代地竜のときとまるで同じだ。

 ゴレのトラウマや苦手意識は、きっと克服されないままになってしまう。

 今、彼女はパンチが効かない相手に対して、とても臆病になっている。

 もしかすると今後、ゴレがワンパンで倒せないような強敵というのは、もっと現れるのかもしれない。その度にゴレは、俺に怪我をさせてしまったトラウマに怯え続けるのか?

 確かに、無謀な攻めをあきらめて、時には退きに転じる姿勢も大切だ。むしろ攻撃的すぎるうちの相棒は、もう少し臆病で慎重になったくらいでちょうど良いんじゃないかという気もする。


 でも……。

 それはいつも元気いっぱいで、楽しそうに暴れているゴレらしくないと思う。

 俺はゴレには、しょんぼりして欲しくない。

 少々俺に気苦労や迷惑をかけてもいいから、楽しそうに笑っていてほしい。


「……なぁゴレ。あのムカデ、本当にお前に殺せないんだろうか」


 俺はゴレの手をそっと握りながら、優しく語りかけた。

 彼女が、問いかけるような視線を向けてくる。


 実は俺、ずっと思っていたんだよ、ゴレ。

 今回お前にしてはいくら何でも、撤退の判断が早すぎたんじゃないかってな。

 だってお前まだ、合計3回ぐらいしか攻撃していないだろう?



「あのムカデ血を吐いていたし……。

 ……――案外殴りまくったら、死ぬんじゃないか?」




------



「はああァ……?」

 聞き耳を立てていたらしい鼠男が、向こうで呆れたような声を出している。


 だが、俺は構わず話を続けた。

「なぁ、ゴレ。俺思うんだが、いつもお前がキレたときみたいなラッシュでオラオラ殴りまくれば、回復しきれないで死ぬと思うんだよ。あのムカデ」

 ゴレが揺れる瞳で、じっと見つめ返してくる。

 青く染まっていた虹彩は、すでに元の紅玉色に戻りつつあった。

 俺は彼女のほっぺに手を添え、優しく語りかけた。転ぶことに臆病になって自転車の練習ができない、小さな子供に話しかけるように。

「もうちょっとだけ頑張って殴ってみないか? 無理だったら俺が何とかするから、な?」

 元気が出るように彼女の頭を撫で、いつものように明るく笑った。

「一緒に頑張ってみないか、ゴレ?」

 彼女は俺の言葉を、しばらく噛みしめるようにうっとりと聞いていた。

 だがやがて決意したのか、俺の斜め前へと足を踏み出した。

 よし、頑張れゴレ!


「お、おめぇ、勝てねェと悟って、気が触れやがったのか……? 殴りまくれば軟殻百足を殺せるだのと言い出したり、いきなり自分のゴーレムを甘いささやきで口説きはじめたり……」

 鼠男が何やらわめいている。

 だが、そんな事はどうでもいい。

 これは、過去のトラウマを克服するための、俺とゴレふたりの問題なのだ。


 相棒の背中を押してやるように、俺は、ぽんと優しくその肩を叩いた。

 彼女が決然たる態度で、前へと歩き始める。


 反撃が、始まった。

 


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