第73話 森と遭遇戦 -後編-
「何故こんな所にゴーレム使いが……。こいつ、例の里の人間なのか」
大きな長方形の盾を持つ騎士のような男が、俺の顔を見て呟いた。
居並ぶ他の男達も、俺とゴレの姿に騒めいている。
「おいおい、この位置で既に捕捉されてたってのかよ? 予定より随分早いぞ。やたら索敵範囲の広いゴーレムがいるんだな」
「どうする。ここで足止めを食うと、タイミング合わせが微妙になっちまうが」
タイミング合わせ? 一体何のことだ……?
改めて観察してみると、この集団はやはり総勢8人だ。
1人魔術師っぽい小柄なローブ姿の人物がいるのを除けば、他は皆、皮鎧や金属鎧を着込んでいる。印象としては戦士か騎士といった風体である。
中でも、盾を持つ男の銀色の金属鎧は、ひときわ重厚で目立つ。彼が集団のリーダー格なのだろうか。
彼らは見たところ、どうも正規の軍人という感じはしない。
俺は先日藩都サラヴへ旅行した際、“藩兵”と呼ばれるこの世界の軍人らしき人々を何度か見ている。外壁の守備や魔術師協会の守備などをしていた彼らの装備は、皆規格の揃った支給品のようだった。
だが、目の前の不審者達の装備は、各人がばらばらで統一性がない。
とはいえ、彼らの装備の質自体は、かなり良さそうに見受けられる。
やたらカラフルで磨き込まれた鎧や武器や装飾品の数々は、とても食い詰めの野盗集団などには見えない。
この集団を、一体何と表現すべきか……。
そう、これはあまりにもお洒落な盗賊団。おしゃれ盗賊団だ。
この世界の盗賊って、わりと裕福なのか?
「つうかこのゴーレム使い、こんな至近距離までゴーレムごと突っ込んできやがったのか」
「素人、か?」
「ただの間抜けだろ」
今、何か酷い罵倒を受けた気がする。
ともあれ、アセトゥの言うとおり、武装した8人組の人間が森の中にいた。
うち1人が盾を持っている点なども、証言内容と完全に合致している。
実に恐るべき精度だ、一本角の表土索敵は。
色めき立ち、即座に抜剣したところを見ると、彼らが友好的な存在でない事は明白だ。しかも会話内容から察するに、里のこともゴーレムのことも、ある程度把握していた様子である。
ただ、アセトゥはこの8人から、表土索敵に妙な引っかかりを感じるというような事を言っていたが……。とりあえず俺が見た限りでは、外見上のおかしな部分は特にないように思われる。
おそらく、全員普通の人間だ。
明らかにおかしな点があるとすれば、初対面の相手にいきなり剣を抜く、そのモラルの低さぐらいのものだろうか?
ううむ、やはり素人の俺には良く分からんな。
彼らはもしかして、アセトゥが索敵で違和感をおぼえるほどに、とんでもなく強かったりするのだろうか……。
とはいえ、俺にとって、相手の喧嘩の強さなどはさして意味がないともいえる。
だって、言葉による話し合いを目指しているのだから。
先ほどからゴレが、俺を守るように斜め前に立っている。
俺は彼女をそっと手で制して下がらせ、自ら前へと進み出た。
「里を代表して、話し合いに来た者だ。その、あくまで臨時の使者で、正式の代表ではないんだが……。そちらの代表者と話がしたい」
「ああ? 使者だと……?」
集団の中の、一人の男が凄んだ。頭髪の一部を剃り上げて、長い後ろ髪を三つ編みにしている。元の世界でいうところの、辮髪に近いヘアスタイルだ。
この野太い声には聞き覚えがある。ここ森の中のロマンチック恋人空間へ踏み込んだ直後、最初に誰何してきたのは、おそらくこの男だろう。
辮髪男はなめくさった態度で、抜身の長剣を引っさげたまま歩み寄ってきた。
ゴーレム連れの俺に対し、何とも度胸のある男だ。
どうやら彼は蛮勇の戦士のようである。
もっとも、今回は彼らにとっても俺にとっても、両者予想外の形での遭遇となっている。元々相手方前衛との距離は、5・6メートル程度しかなかった。
彼らの言う通り、これはゴーレム使いの戦闘距離としては近すぎる。
ご存知のように、この世界の魔術攻撃というのは、威力は高いが射程が短く、実質中距離攻撃扱いになる。ゴーレム使いの対魔術師戦の理想スタイルは、敵の魔術攻撃の射程外の距離から、魔術の効かないゴーレムを突っ込ませて、一方的に敵を蹂躙するというものだ。
それを反映したゴーレム使いの適正戦闘距離というのは、やはり通常の魔術師よりもやや長い。
だが今、俺と彼らの距離はとても近い。
使い手が捨て身の勢いで踏み込めば、あっさり俺の喉元に剣先が届くのではないかと思える間合いだ。
彼らの態度に若干の余裕があるのは、つまりそういう事だ。
この間合いでは、ゴーレム使いに通常ほどのアドバンテージはない。もし戦うつもりならば、こちらにとって最悪の遭遇戦の形になる。
だけど、こうなってしまった以上は仕方がない。
もっとポジティブに考えよう。
今日の俺は、交渉人。話し合いが前提なんだ。この状態はつまり、戦闘の意思が無いことを、かえって相手に示しやすいということだ。
そうさ。考えようによっては、ラッキーだ。
平和の神が与えたもうた幸運に感謝しつつ、俺は話し合いを開始した。
「ご覧の通り、俺達に暴力による問題解決の意思はない。話を聞いてくれ」
「ああん……?」
「お分かりだと思うが、あなた方は既に索敵で完全に捕捉されている。無益な血を流すのはやめよう。ここはお互いに、話し合いで妥協点を探り……」
俺が前口上を述べ終わる前に、辮髪男が半笑いで叫んだ。
「へっ、聞いたかよこいつ、お話し合いだとよ! 間抜けな事抜かしてんじゃねえぞ、田舎の雑魚ゴーレム使いがッ!」
なめくさった表情のまま、男は嘲笑に歪んだ口元をすぼめた。
はっとした。こいつのこの動きは、唾を吐く前の予備動作だ。
辮髪男は、俺の顔に唾を吐きかけるつもりなのだ。
やめろ、落ち着け。待ってくれ。
俺の顔が唾で汚れるのは、別に構わない。
それで争わずに済むのなら、そんな事は我慢できる。
だけど、駄目なんだ。
問題なのはそこじゃない。
あんたのその不用意な行動は、うちの超過保護な相棒のブチ切れ判定的には、多分、おそらく、きっと完全にアウトで――
この瞬間。
辮髪男の顔面めがけて、ゴレの超高速の平手打ちが放たれた。
怒りの女神の制裁の平手は、男の左頬に、深く、めり込んだ。
ぐにゃりと潰れた顔面の下半分から、砕けた歯が周囲にまき散らされる。
血飛沫を上げる辮髪男は、まるでドリルみたいに錐もみ回転しながら後方にぶっ飛んで行った。
あっああ~~~~! せっかくの俺の交渉がぁ~~っ!
激しい音を立て、辮髪男が潰れるように地面に叩きつけられた。
彼は動かない。嫌な痙攣の仕方をしている。
これ、まずいのでは……。
この凄惨な光景に、後方にいた魔術師の口から舌打ちが漏れた。
背の低いその男の表情は、頭を覆う黒いフードに隠れて分からない。しかし、彼は続けてぼそりと言葉を発した。
「……殺せ」
それを合図に、既に剣を抜き放っていた残りの6人が、俺たちめがけ一斉に襲いかかって来た。
「相手は甲冑無しの軽ゴーレムが一体だ! 問題ない、俺が抑え込むッ!」
銀色の鎧を着た爽やかな騎士のような男が、大きな盾を構えつつ、前方に飛び込みながら颯爽と叫んだ。
まるで騎士物語の主人公のような奴だ。実際は多分、ただの犯罪者なのだが。
「応ッ!」
即座に仲間達が呼応し、騎士男を前衛としたフォーメーションを組む。
まるで冒険譚の主人公一行のような連中だ。実際は多分、ただの犯罪者集団なのだが。
「――〈風の円盾〉ッ!!!」
騎士男の詠唱と同時に、盾の中心部めがけて風が流れ込んでいく。
直後、大きな盾の表面を覆う、円形に渦巻く分厚い風の障壁が生成された。
その様相はさながら、吹き荒れる風のバリアーだ。
おそらくダメージを遮断するタイプの魔術だろう。大気を操る風属性には、この手の防御結界のような術のバリエーションが非常に多い。ちなみにこれは、今は亡き我が教科書、『魔術入門Ⅰ』記載の情報である。
旋風の盾を構える冒険譚の騎士が、勝ち誇ったように叫ぶ。
「ふっ、この間合いならば数秒ゴーレムの動きを封じるだけで十分だ。ゴーレム使いなど、あっという間に殺――ろ゛っぶごオッ!!!!?」
決め顔の爽やかナイトが台詞を言い切ることはなかった。
ゴレの強烈な回し蹴りが、風の障壁ごと彼の金属盾をぶち抜いたのだ。
ひしゃげるように変形した盾に押し潰され、血反吐をまき散らしながら騎士男が吹き飛ばされる。
男は側面の大きな木の幹に、激しく叩きつけられた。
そして、そのままずるずると地面に崩れ落ち、カエルの死骸のような恰好で動かなくなった。
ぐちゃぐちゃの血塗れで倒れ伏す、辮髪男と騎士男。
一見聖女のように儚げで、ぱっと見天使みたいに可憐なゴレが、まるでゴミを見るような冷たい目で地べたの彼らを見下ろしている。
騎士男が取り落としたと思われる長剣が一本、ゴレの足元に落ちている。
装飾過多なその長剣を、彼女が思いっ切り踏みつけた。
べきりと剣が中心から二つに折れ、そのままぐりぐりと地面にめり込んでいく。
何だかゴレのやつ、普段よりも動きに苛つきが見える。
俺に対してはいつも通りに優しいせいで分かりにくいけど、やっぱり今日は色々とストレスが溜まっているのかな。
後で、きちんとケアしてやらないと……。
地に落ちた金属の盾は、まるで柔らかな飴みたいにひん曲がっている。
いつも思うのだが、ゴレを相手に盾で攻撃を受けようとする行為自体が、おそらくは完全に愚かな下策だ。
でも同時に、この行動は仕方がないようにも思う。
だって、こんな虫も殺さないようなエルフ娘の華奢な手足から、破壊神のごとき一撃が無慈悲に繰り出されるなんて。そんな事、一体誰が初見で想像できるというのだろう。
そりゃ普通なら自信たっぷりに、盾で受けてみたくもなるよ。
俺だって立場が逆なら、そうするかもしれない。
「な、何だ今の蹴りは……?」
「ありえん、あの『穿てぬ壁』のジルドが、ただの一撃で……」
リーダー格の騎士男がベコベコの悲惨な姿になってあっさり瞬殺されたことに、残った全員が目を剥き、真っ青になっている。
誰も追従して攻撃をしかけようとはしない。
足を地に縫い付けられたかのように、皆完全に動きが止まってしまっている。
このとき、剣を構えたまま固まっていた一人の男が、震える声で呟いた。
「俺の聞いていた話と違うぞ……。テテオ・マディスは今不在で、作戦上警戒すべきはセイレン家の若い娘と、重ゴーレムを使うデルボリアの諸島部族連中だけだったはずだ」
「は……? そ、それじゃ一体何者なんだよ。いきなり降って湧いてきた、この化け物みたいな強さの東方人は――……」
木漏れ日が小さく風に揺れ、森の木の葉がさわさわと音を立てた。
訪れた静寂の中、敵は誰一人として動かない。
全員が凍り付いた表情でこちらを見ている。
あまりにも圧倒的な暴力と死の恐怖を前に、この時点で彼らの戦意は、ほとんど挫かれてしまっていたのだ。
だが、うちの美女神ゴーレムは止まらなかった。
……そう、今日の彼女は、とてもストレスが溜まっていたのだ。
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俺は涙目であった。
ひどい情景である。
優しい木漏れ日のロマンチック恋人空間に、血塗れの男達が、ぼろ布のようになって転がっている。
顎を割られ、手足を折られ、剣は砕けて、鎧は変形し……。
ゴレVSおしゃれ盗賊団の戦いは、一瞬で終わった。
それはあまりに一方的すぎて、戦いと呼べるかすら曖昧な代物だった。
いや、はっきりと言おう。あれは戦いではなく、ただの狩りだった。悲鳴をあげて剣を振り回す男達を、ゴレは次々と蹂躙していった。
彼女はあっさり盗賊団を嬲り尽した今も、うめき声を上げる瀕死の賊一名の頭をつかみ、楽しげに何度も地面に叩きつけている。まるで玩具で遊ぶように。
「ゴレ、頭ごんごんして遊ぶの、もうやめな……。それ以上やったら、そのお兄さん死んじゃうから……」
俺は力なく呟いた。
もはや交渉は完全に失敗に終わってしまった。無念だ。
俺に名前を呼ばれたゴレが、ぴょこんと顔を上げ、ズタボロの盗賊を乱雑にその場に放り捨てた。まるで不要になった生ゴミのように。
ゴレが長い耳を微かに動かしながら、うれしそうに駆け寄ってくる。
近くまで来た彼女が、おじぎをするように頭を差し出してきた。
ああ、分かってる。頑張ったから、頭をなでなでしろってことだよな。
俺は溜め息を吐きつつ、その頭を優しくなでた。
「まぁ、その……何だ。ゴレ、守ってくれてありがとうな」
彼女の深紅の瞳は、うっとりと満足げな光に満ちている。
良い感じにストレスは発散されているご様子である。
ゴレの暴挙によって、俺の交渉計画は完膚なきまでにぶち壊されてしまった。
無益な血も、流れまくった。
不名誉なヒモの称号を返上する機会は失われてしまったし、密かに脳内でカッコいい駆け引きシーンの練習をしていたのも、すべて無駄になってしまった。
俺は結局今回も、ゴレの専属レフェリー以上の活躍は何一つできなかった。
でも、ゴレは何も悪くないんだ。
不当な暴力を振るわれそうになった俺のことを、こいつは必死に守ろうとしただけなのだから。
ちょっと便乗してストレスを発散していたような節はあるが、全体から見ればそれは些細なことだ。感謝こそすれ、恨みに思ったりなどするわけがない。
俺はそのような、大人げのない人間ではないのだ。
ゴレに見られないよう、俺はそっと目に浮かぶ涙をぬぐった。