第72話 森と遭遇戦 -前編-
踏みしめた枝が、パキンと音を立てた。
ここは鬱蒼とした森の中。
周囲はやや薄暗いものの、歩くのに支障はない。
案外この辺りの森の浅い部分は、普段から里人やゴーレム達の手が入っているのかもしれない。薪集めとか、色々あるだろうし。
木の葉が小さく風に揺れ、方々で鳥の声が聞こえる。
この森は見たところ、広葉樹と針葉樹が入り混じる混交林のようだ。
雰囲気的には、屋久島の原生林なんかと少し似ている。
いや、そうでもないか。よく見てみると、まったく見たこともない植物とか生えてるわ。ひょっとしたら屋久島とは全然似てないかもしれん。
ごめん、自信なくなってきた……。
だが、こうして眺めていると、植物に見慣れない物が多いせいなのだろうか。異世界の森というのは、やはり――
「本当に神秘的で綺麗だな……」
思わず声に出ていた。
頭上に青々と生い茂る木々の葉は、生命力に溢れている。一方の足元は、シダっぽい植物や苔に覆われている。
この苔というのがまた、もこもこしていて面白い。別段苔に詳しい訳ではないのだが、おそらく元の世界にはない品種なのではなかろうか。
そんな風に足元を観察しつつ歩いていると、隆起する木の根の間に、不思議なきのこが生えているのに気づいた。
あのオレンジ色のきのこは食べられるのだろうか。
食べられる野草マスターのゴレに聞いてみたら、何か分かるかもしれない。
「なぁゴレ、あの綺麗なきのこって食えるかな? 何だったら、帰りにお土産に摘んで帰ろうか」
斜め後ろを振り返り、相棒の意見をうかがった。
ゴレは俺の顔をじっと見ている。
おや? 瞳の表情が少し硬い。
なんとなく、「めっ」と言われた気がするな。
多分これは、食べたら駄目なパターンだろう。派手で美味しそうな色をしているし、夕食の一品に良いと思ったのだが。残念だ。
落胆に肩を落としかけたとき、すぐ側の巨木に絡みつくツル植物に、見慣れない実がなっているのに気付いた。
何だろう、この実は。
好奇心から一粒もいでみる。
「なぁゴレ。これなんて、里の皆へのお土産にどうかな?」
どぎつい紫色をした、イボイボがたくさんついた実である。
うんうん、実に異世界らしい不思議な木の実ではないか。多少グロテスクだけど、食物の見栄えと味に直接の因果関係はないはずだ。
「見た目はちょっと悪いけどさ、案外こういうのが美味かったりするんだよ」
相棒に笑顔で語りかけつつ、試しに匂いを嗅ごうとした。
だが、実を顔に近づけた途端、ゴレが慌てたように飛びついてきて、イボイボの実を俺から取り上げてしまった。
そして、思いっきり遠くに投げ捨てた。
紫色の歪な木の実が、茂みの向こうへと消えていく。
「えっ この実も食べたら駄目なやつだったのか……?」
きのこも、木の実もだめなのか。
採集した不思議食材で異世界クッキングとかしてみたかったのに。実はそういうの、ちょっと憧れているんだ。お料理男子はモテるし。
だけど俺はかつて人参の件で、一度そうやって気軽にクッキングして死にかけているんだよな。やはり俺には、不思議食材クッキングなど無理なのだろうか……。
なんとなく、しょんぼりしてしまった。
そんな俺の表情に、ゴレがおろおろと動揺し始めた。
長い耳がしおれてしまって、とても申し訳なさそうだ。
「いや、お前は何も悪くないよ……」
俺は軽く笑顔を作って、ゴレの頭をなでなでした。
お前は本当に心が優しい奴だな、相棒。
……いかん。緊張感が足りていない。
これから、正体不明の不審者集団との接触が待っているというのに。
気合いを入れなければ。
里を発つ段階では、俺は話し合いで相手に引いてもらう気満々だった。だからこそ、里人達による援護も辞退した。結果現在こうして、ゴレとふたりだけで森へ突入してしまっている。
だが、考えてみれば、不審者をとっ捕まえる必要性が出てくるケースも存在しているのだ。
要するに、彼らの正体が常習的な野盗だった場合である。
これらはそのまま放逐すると、周辺の他の集落を襲う危険性がある。俺はまだ見たことがないが、シドル山脈沿いには、ゴーレムの里のような主要街道から外れた小集落が、他にも点在しているという話だからだ。
うちの里は無事に助かっても、他所で被害が出てしまう。
それでは、駄目だ。駄目駄目だ。
したがってその場合、俺とゴレで相手の制圧を試みる他ないだろう。
俺はともかくゴレがいるから、何とかなるとは思う。
暴力沙汰には、正直まったく気乗りがしないが……。
まぁ、あまり深く考えても仕方がないか。
このあたりの対応はつまるところ、現実的な相手の出方次第だからだ。
やはり、基本は話し合いの姿勢で行こう。
仮に最悪相手を捕らえるような場合でも、平和裏に投降してもらえるならば、それが一番良いに決まっているのだから。その方があちらさんの罪だって軽くなるだろうし。
つまり今回も、この敏腕交渉人こと俺の仕事という訳だ。
「結局殺気立っていてもしょうがないってことか。別に俺達は、相手を殺しに行く訳じゃないんだもんな。……なぁ、ゴレ?」
俺は、心優しい相棒に同意を求めた。
おや? 今ゴレのやつ、一瞬目を逸らしやがったぞ。
「……ゴレ?」
俺に見つめられるゴレは、急にきょどきょどし始めた。
深紅の瞳がせわしなく、くりくりと動いている。
そんなゴレの様子を見ていて、何故か俺は、テーブルの上のビーフジャーキーを勝手に食べようとしているのを見つかったときの、うちのアホ犬の顔を思い出していた。
何だか今のゴレとそっくりである。
それにしても、こうして思い出してみると、耳をしゅんとさせるあの犬の仕草も、ばつが悪そうに視線を泳がせる表情も、はっきりと思い浮かぶのだけれど。
なのにあの犬の名前が、未だにどうしても思い出せない。
まぁ、この俺のネーミングセンスだ。良い名だったことだけは請け合おう。
名前と言うのは不思議だ。
姿形はしっかりと思い出せるのに、名前が思い出せないと、何故だか相手の存在全体がうっすらとぼやけてしまったように感じる。
あいつ、元の世界で元気にしているのだろうか?
そういえば、あいつの顔を最後に見たのは何時だったろう。何だかもう、随分と昔の事だったような気もしてくる。
ゴレとあいつの姿が重なると、なつかしい気持ちと共に、時折胸の奥が鈍く痛むのは、どうしてなのだろう……。
考え込みかけた俺だが、ふと現在の相棒の方に視線を戻した。
彼女はまだ、そわそわと挙動不審である。
「……はぁ。ったく、これから大事な交渉だってのに。お前、そんな調子で大丈夫なのか?」
俺は苦笑まじりに、ゴレのほっぺたをふにふにとつついた。
「頼りにしてるんだからな。しっかりしてくれよ、相棒」
ゴレが浮足立っている今、相方の俺は努めて理性的でいようと思う。
バディの役割分担とはそういうものだ。
こいつがキョドっている分は、クールな俺がカバーする。
きちんと冷静に話し合いさえできれば、この一件は暴力沙汰にせずに済む筈なのだから。
俺は決意を新たに、森の奥へと歩き出した。
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さて。このように自信有りげに交渉へ赴く俺だが、これにはそれなりの理由がある。
実は今回の交渉、相手への説得材料がない訳ではないのだ。
俺とて、別にノープランで里を飛び出してはいなかった。
若干緊張感が足りていないのは、そのせいでもある。少なくとも今回に関しては、最悪でも双方の全面抗争が回避される可能性はわりと高いと見ている。
そしておそらくこれ自体は、そう的を外した推論でもない。
このような考えに至るヒントは、出発直前に聞いた、雑貨屋のおばあちゃんの言葉の中にもあった。
そしてこれは、召喚以降の数奇なめぐりあわせにより、ずっと俺自身にとって戦闘用のゴーレムというものが、とても日常的で身近な存在であったがゆえに、ともすれば意識から取り落としがちな事実だ。
雑貨屋のおばあちゃんは俺に対して、こう言っていた。
――里の皆で合力すれば、賊など退治できる、と。
この発言は当然ながら、単独で森へ向かおうとする俺を思いやってのものだ。だが同時に、完全な客観的真実でもある。
ゴーレムの里は、俺が今までにこの世界で目にしてきた地方の街や集落と比して、戦力レベルが高い。
おそらく、圧倒的にだ。
ゴーレムの里は、ただの田舎集落ではない。
おそらくあの里は、その前身となっている帝国の土魔兵師団の戦力を、部分的にそのまま承継するような形になっているのだ。集落としての本質はむしろ、大量のゴーレム使いを抱えた、いわば強力な魔術師集団の一大拠点に近い。
考えてもみてくれ。戦闘用のゴーレム達が、一般家庭にペット感覚でいるような里なんだぞ? 俺はこれまで、そんな街や集落など見たことがない。戦闘用のゴーレムってのは、本来そうごろごろいるような物じゃないんだ。
しかも先ほどこの里は、非常事態になるや否や、当たり前のように馬鹿でかい重ゴーレムまで引っぱり出してきやがった。あれは言い逃れようもなく、おそらく完全な軍用ゴーレムだ。
正直、過剰軍備もいいところだ。
ご存知の通り、ゴーレムってのは魔術に耐性があるし、肉弾戦にもべらぼうに強い。おまけに一部の機体には、近代兵器じみた表土索敵まである。だから鈍重そうな外見とは裏腹に、不意打ちの難易度もアホみたいに高い。本来ゴーレムの里は、歩兵戦力8人でどうこうできるような場所じゃないはずなんだ。
里の人達は、皆おおらかで優しい。そのせいでピンと来にくいのだが、多分、あの人達を本気で怒らせるとヤバい。
おそらくゴーレムの里に潜在する戦闘力を全力で攻撃に割り振った場合、彼らはティバラどころかジビル程度の規模の地方都市ですら、守備兵力を外壁ごと正面からあっさり打ち破って、内部を数時間で滅ぼし尽くせるのではないだろうか。
ゴーレムの歩みは、並の魔術師や剣士では止められない。
怒れる大勢のゴーレム使いの通った後には、瓦礫の山と肉塊しか残らない筈だ。
普通に考えるなら、不審者達はこの恐るべき真実を知らない可能性が高い。
もし里の実情について知っていれば、こんな場所に、しかも少人数でちょっかいをかけようなどとは、絶対に思わないはずだ。自殺志願者でもない限りは。
そりゃゴーレムの里は多少豊かではある。けれどそれは、想定される苛烈な反撃のリスクとは、正直まるで見合っていないものだ。
相手にまともな損得の勘定が出来るのなら、無用な争いを回避できる公算は十分にある。
と、そこまで考えをまとめてから、俺は周囲の森を見渡した。
「……でだ。その肝心の不審者達ってのは、今森のどこら辺にいるんだ?」
アセトゥからは、彼らのおおまかな位置しか聞いていない。
多分あの子は、俺にもゴレとのテレパシーによる、例の索敵情報の共有ができると思っているのだろう。
だが、もちろん俺達コンビには、そんな器用な芸当などできない。
里を出てから、既に相当の時間が経過している。
おそらく俺達と同様に、不審者達もかなり移動している筈だ。
うっかり行き違いになると不味いな。
「なあ、ゴレ。不審者の正確な居場所って分かるか?」
俺はゴレに訊ねた。
テレパシーが使えないなら、こんな風に直接聞けばいい。
だって俺には、誰にも分からないゴレの表情の微妙な変化が読める。テレパシーなど、俺達仲良しコンビには不要なのだ。よそはよそ、うちはうちだ。別にテレパシーなんて、うらやましくはない。別に全然、うらやましくなんて……。
テレパシーなどうらやましくない俺は、相棒の表情やしぐさから意見をうかがうため、彼女の歩く斜め後ろを振り返ろうとした。
そのとき気付いた。
名前を呼ばれたゴレが、優しい瞳で隣から俺を見つめている。
そう、ゴレが隣を歩いている。
右隣だ。ゴレのやつ、ポジション替えをしているのだ。
彼女が移動時にお気に入りの斜め後ろの位置にいないのは、警戒状態にある証だ。相棒が立つのは、常に俺をかばう位置。
つまり、右方向に何かがいる。
ひょっとして、不審者達はわりと近いのか?
そろそろ備えをしておくべきか。
といっても、俺が出来ることといえば、せいぜい万一の護身用に、〈土の戦斧〉でも生成しておくくらいだ。
「そういえば俺、今回は魔術師のローブを着ていないんだよな……」
現在の俺は、午前中に薪割りをした時のままの普段着姿なのである。
今着ているのは、テテばあさんに貰った、渋めの珍しいデザインの服だ。なんとなく民族衣装テイストなんだけど、狩猟民族みたいで、なかなかかっこいいぞ。結構気に入っている。
いつも〈土の戦斧〉を生成するときに良い感じに隠して身バレを防止してくれる、愛用のダークブラウンの高級ローブは着ていない。
まぁ、これは当然だ。
そもそも安全な里の中での日常生活では、俺を含めてローブを羽織っている人なんてのは居ない。ここアラヴィ藩は、わりと温暖な土地だ。
里奥の屋敷まで戻って着替えてくるタイミングなんてのも、もちろん無かった。
俺の現在の装備品といえば、腰に下げたメセル製の緑色のナイフと、お菓子の保存用に持って来ている肩掛け鞄くらいだ。
この貧弱な装備の状態では、人前での魔導の発動はできない。
「早めに気付いといてよかったかもな。〈土の戦斧〉を生成するなら、人目につく前にやっておかないと不味い」
呟きつつ、目の前の地面に生成の座標を合わせた。
右手を軽く地にかざし、もはや普段の薪割りで慣れきっている、いつもの詠唱を開始する。
「……――〈土の……」
だがここで、俺の詠唱はぴたりと止まった。
とある重大な問題に気付いたのだ。
俺の心の中にある文化人な部分が、強い警鐘を鳴らしている。
なぁ、ネマキよ。
お前、斧を引っさげて交渉なんて、それは本当に交渉と言えるのか……???
た、確かに……。内なる声の言う通りだ!
俺は戦斧生成の、最大の難点にぶち当たった。
だって、あんなどう見ても人殺し用の、魔王のリーサルウェポンにしか見えない、ごつくて真っ黒い、超凶悪な斧だぞ?
殺人用の凶器をチラつかせながら交渉をしたなどと思われたら、俺の誇り高き文化人としてのプライドと経歴に傷が付いてしまう。
そんなのは完全に不良のやる事だ。
出来ることなら、そんな見苦しい真似はしたくない。
いや、それ以前に、カチコミに来たと勘違いされて、交渉が決裂してしまうんじゃないのか。
神よ、俺は一体どうしたらいいんだ……。
考え込みながら、俺は再び惰性で前へと歩を進めた。
このとき、急に目の前が明るくなった。
前方の木々がひらけ、広い空間に出たのだ。
「ここは……」
どうやら森を抜けて外に出たというわけではないようだ。
樹海の中でここだけ木の生えていない、いわば空白地帯的な場所だと思われる。およそ小さな児童公園といった広さの土地が、一面の苔に覆われている。
すごい。緑色の空間だ。
ここでは目に映るすべてが、美しい緑色に染まっている。
緑の天井の隙間から差し込む陽光は明るい。優しい木漏れ日の中、苔むした足元がほんのりと輝いて見える。周囲の太い木々の幹ですらも、苔と絡みつく蔦とで、緑色だ。
自然が作った、緑の森の広場である。
実に素敵な場所だ。
俺にもし恋人がいたなら、お弁当を持って休日にデートに来てもいい。
そして、水筒に入れた温かいコーヒーなど飲みつつ、彼女と二人寄り添って、ゆっくりと読書などをしたい。
幸いなことに、この世界にもコーヒーっぽい飲料はあるしな。
不幸なことに、この世界で俺に彼女が出来る気配はないのだが。
はぁ……。
俺の隣に毎晩寄り添って読書をしてくれる奴なんて、ゴレくらいのものだよ。
仕方がないから、ここをゴレとのお散歩コースにするか。
あ、ちなみに、ホットコーヒーを水筒に入れた状態でおいしく長持ちさせるのには、コツがあったりする。封をする前にあらかじめ、ほんの少しだけコーヒーを冷ましておくんだよ。そうすることにより、酸化が遅れてコーヒーの風味が――
「……――ッ! 何だてめえは!?」
突如、俺の思考は遮られた。
ロマンチックな恋人空間に似つかわしくない、野太い男の声が周囲に響き渡ったのだ。
一体何事だ。
右側を振り向いた。
男の声がしたのが、視界の右方向だったのだ。
見れば、緑の広場の対角線上の位置に、数人の男達が立っている。
どうやら向こうも俺達と同じく、この空間に踏み入った直後だった様子だ。
森の中に立つ謎の集団。
野郎ばかりだ。リア充のグループデートには、ちょっと見えない。
そのほとんどが帯剣しており、背中に矢筒を背負った者もいる。
中心に立つ銀色の金属鎧を着た人物は、ひときわ目立つ大きな盾を持っていた。
人数は、6、7……全部で8人。
ああ、間違いない。こいつらが例の不審者だ……。




