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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第6章 襲撃の冒険者
74/107

第71話 里と接近者


 

 里の正門前に、横なぎの強い風が吹いた。

 目の前に広がる麦畑はほとんど収穫が終わっており、この場に吹き付ける風をさえぎる物は何もない。

 体高3メートル近くはあろうかという屈強な緑色のゴーレムの傍らに、少女と見紛うほどに小柄で華奢な少年が立っている。その柔らかな髪が、風になびいた。

 瞳を閉じ、じっと意識を集中していた少年は、やがてゆっくりと目を開いた。

 見開かれたエメラルドグリーンの美しい瞳は、はるか遠くを見据えている。


「……東側の斜面伝いに、森の中を小集団が近づいて来ているみたい。数は全部で8人。全員人間だけど、あんな獣道ですらない所を進んでくるなんて絶対おかしいよ。地元の人間じゃない」


 そう呟いた少年は、一旦ここで言葉を区切った。

 そして、険しい表情でこちらを振り向いた。

「それにこの人達、多分全員が完全武装してる。中に1人だけ、何か金属製の平たくて大きな……おそらく、盾を持った人間がいると思う」

「なっ……?」

 俺は驚愕に目を見開いた。

 アセトゥ、お前そんなことまで分かっちまうのか?

 まさか普通のゴーレム使いの人達って、こんな風にゴーレムと表土索敵の情報を共有出来るのか。なんと便利な……。

 先ほどの「一本角が呼んでいる」というアセトゥの発言といい、今の索敵情報の共有といい、もしかしてゴーレムと飼い主というのは、何かテレパシー的なものでつながっているのだろうか。


 俺は自らの相棒であるゴレの方を見た。

 麗しいエルフゴーレムが、優しげな瞳でこちらを見つめている。

「……なぁゴレ。俺とお前もひょっとして、あんな超便利能力が使えるのかな?」

 声をかけたので、彼女の長い耳がうれしそうに微かに揺れた。

 もう鼻をこすりつけてきたり、ボタンを噛んだりしてくる様子はない。幼児退行も無事治ったみたいだな、よしよし。

 では、さっそく俺達もレーダー情報を共有してみよう。

 俺は先ほどのアセトゥの真似をして、ぎゅっと目をつぶってみた。

 …………。

 真っ暗だ。

 駄目だ、何も分からんぞ。

 ゴレよ、おりこうな一本角のように、俺にも何か情報を開示してくれ。

 おい、聞こえてるか相棒?

 おーい……。


「うーん、全然駄目だわ。コツでもあるのか?」

 ひとしきりうんうんと唸った後、あきらめて目を開けた。

 気づけば、アセトゥが不安そうな顔で俺を見ている。

 しまった、俺の奇行で不安を煽ってしまったのだろうか。

「ネマキ兄ちゃん、どうしよう、賊の集団なんて。オレ、アルパスと番兵の仕事を始めてからまだ半年くらいで……。こ、こんな事、はじめてなんだ」

 どうやら俺の奇行が不安を煽っていた訳ではないようだ。

 そうだった。近づいてくる正体不明の集団がいるのだったな。どう考えても、本題はそちらの方だった。

 アセトゥと一本角の仲良しテレパシーが羨ましすぎて、すっかり忘れていた。


 森の中から接近する、8人の武装した集団か……。

 東の斜面の森というと、広い耕作地帯の向こう側だ。

 ここからは相当の距離がある。

 不審者達が道もない山中を徒歩移動しているというのならば、移動速度はさらに遅くなるだろう。彼らが里に到達するまでには、まだかなりの時間的余裕があるはずだ。


 アセトゥ本人は不安がっているようだが、俺は番兵としてのこの子の能力に不安は感じていない。

 なにせアセトゥは、あの最強ババア仕込みなのだから。

 小柄で可愛らしい純朴少年だが、その見た目だけに騙されてはいけない。きちんとした実力のある子だ。経験不足から不安になっているだけで、事故対応マニュアル自体は完璧に叩きこまれているはず。

 俺はババアのスパルタっぷりについては信頼している。


「……心配いらないさ。里の大人達や、テテばあさんに教えてもらった通りにやればいい。俺やゴレも出来ることがあればフォローするよ。何でも言ってくれ」

 俺は努めて明るく、気楽な調子で返した。

 実際のところ、向かってきている集団だって、別に犯罪者だと確定したわけではないのだ。武装しているということだが、ただのサバゲーマニアとか、はたまたピクニックをしている兵隊さんかもしれないぞ、少年よ。

「……! うんっ!」

 少年の凛々しい瞳に決意の炎が灯る。

 ああ、お前にはその目が似合っているぞ、アセトゥ。



------



 その後のアセトゥの対応は早かった。

 すぐさま里の伝令役に連絡し、畑に出ている里人達を全て呼び戻した。

 畑に伝令の馬が次々と駆けていき、農具を持ったゴーレムや里人達がぞろぞろと戻って来る。

 正門前には人々のざわめきと、馬のいななきが響いている。

 こうして見ていると、この里にも数頭ではあるが馬がいるようだ。

 俺のような素人考えだと、これだけゴーレムがいれば馬は飼育する必要性が薄いのではないかと思ってしまうのだが、実際はそう単純な話ではないらしい。

 ただ、やはり頭数自体は集落の規模に比して圧倒的に少ない。それに、そもそも農耕馬なんてのがいなくて、ほとんどが騎乗用みたいだ。


 そうこうしている間に、およそ20分ほどで里人の収容はほぼ完了した。

 そのまま多くの里人達は、自宅から里の集会所へと避難を開始したようだ。

 正門前の広場には一応警鐘が設置されているのだが、特に打ち鳴らすような様子はない。

 ゴーレムの里は、静かに守りの態勢に入った。


 里人の収容の際には、小さな子供達を抱えて、ゴーレムと若い男性のコンビが遠くから駆け戻ってくるような場面があった。抱えられてきた子達は、どうやら丘向こうの林の中で遊んでいたらしい。

 なるほど。表土索敵のおかげで、こんな風に危難に気付かず逃げ遅れている子供がいても、一発で全員見つけられるのだ。

 このように里周辺の人間の動向を完全に把握できるのなら、十分な時間さえあれば、事実上避難の取りこぼしは発生しない。道理で今回、警鐘すら鳴らしていないわけである。

 マジで災害時には半端ない便利さだな、ゴーレムというのは……。


 子供達を抱えたゴーレムとちょうど入れ違いのように、胸甲を着けたゴーレム達が数体、飼い主達と共に里の中を駆けて行った。

 細身だったり、ずんぐりしていたり、何だか頭が妙に長かったり。ゴーレム達の姿形は様々だ。

 おそらく、あれらは番兵をしているゴーレム達だと思う。

 正門付近には来ずに、そのまま里の内部に散っていったところを見ると、彼らにはそれぞれ防衛の担当場所があるのだろう。この里は結構広い。


 駆けまわるゴーレムと飼い主達に混じって、オレンジ色のどでかいゴーレムの背中が、ずしんずしんと歩いて行くのが遠目に見えた。

 えっ……。あれって重ゴーレムじゃないか……?

 どう見ても、体高が5・6メートルくらいはあったのだが。

 一体今までどこに隠していたんだ、あんなでかい奴??


 しばし呆気に取られていた俺だが、このとき里の入り口付近に目を戻した。すぐ近くの家の前で、血気盛んな高齢女性が、農作業用ゴーレムに胸甲を着せているのに気付いたのだ。

 げっ!? あれって、こないだ露梨(つゆなし)をくれた雑貨屋のおばあちゃんじゃないか!

 おい、誰か止めろよあの人!

 年寄りが転んで怪我でもしたらどうするんだ!



------



 着々と迎撃態勢を整える里の人々。

 俺は広場の隅にゴレと並んで、その様子を眺めている。

 先ほどアセトゥに食わせ損ねたスティックケーキを、昼食代わりにもしゃもしゃと食いながら。

 このとき俺は、いくつかの懸念事項について考えを巡らせていた。特に大きな問題は、先ほど、アセトゥの部屋で表土索敵を用いていたときの、ゴレの様子についてである。


 ゴレはおそらく、不審者の接近に気付いていた。

 にもかかわらず、輝くおめめで長いエルフ耳をぴくぴくさせ、俺のお膝の上でうれしそうにしているだけだった。

 その姿はあたかも、「もし危ないことが起こっても、貴方だけは命をかけて絶対守るから安心していてね」とでも言いたげな、非常に頼もしい態度だった。



 …………。

 いや、ゴレよ。俺だけ守っても、駄目なのだが。



 こいつ、里をまじめに守る気とかあるのだろうか?

 平和を愛する文化人の俺とはまるで方向性が違うものの、こう見えてゴレの戦闘に対するモチベーションにも、意外と偏っている部分がある。その事に、俺は気づきはじめていた。

 どうもゴレのやつ、敵と戦ったり血を見たりするのは好きみたいだが、それ以上に、俺から離れて遠くに行くのを嫌がっている節がある。誰も殺せなくていいから、ずっと一緒に居たいという雰囲気だ。

 問題となっている東の斜面の森は、下手をすればここから数キロ離れている。実際に森の内部に入ったことはないが、森自体も結構深いはずだ。元々ゴレが俺から離れて単独で向かってくれるような場所じゃない。少数の不審者を見つけた程度でゴレが動こうとしないのは、ある意味で当然の結果とも言えた。


 また、彼女の“俺と離れたくない病”には、もうひとつ致命的な問題点がある。

 それはつまり、俺に危険が存在する状況だと、病状がより顕著に出てしまうって事だ。俺が傷つくことを恐れるあまり、ゴレは思考が硬直して、まるでそばから離れてくれなくなる。

 そう、かつて大量の猿に包囲戦術をしかけられた時や、狙撃兵が伏せていたギネム戦の時のような状況だ。そのままではジリ貧だと頭で分かっていても、ゴレは動けない。ゴレは感情の生き物だ。

 

 これらの事実を前提に、例えば最悪の状況を想定してみよう。

 つまり最悪、このまま里が不審者によって襲撃を受けた場合だ。もし仮に里が包囲状態や混乱状態に陥った場合、周囲で深刻な被害が出れば出るほど、逆にゴレのやつは、心配のあまり俺にひっついたまま動けなくなってしまうのではないだろうか。

 そして俺自身も当然の事ながら、里の皆の面前で土魔導を派手にぶっ放したりはできない。魔導王だと即バレして、世界破滅等準備罪による誤認逮捕で、死刑コースである。


 あれ……?

 俺達コンビって、ひょっとして里の防衛の役に立たない……?


 おそるべき可能性に気付いた俺は、戦慄した。

 このままだと俺は、帰宅したババアから無能の烙印を押され、杖の餌食になってしまうのではないだろうか……。



------



「まぁ、俺がばあさんに叩かれるだけで済むなら、それで良いんだが……」


 諦念と絶望の入り混じった溜息を吐きつつ、俺は周囲を見回した。

 先ほどの農作業用ゴーレムと雑貨屋のおばあちゃんのコンビが、家族に止められて押し合いになっている。

 不味いな。

 あのおばあちゃん、不審者が里の近くにやってきたら、興奮して外に飛び出しかねない。お年寄りってのは、意外に血の気が多いのだ。

 それでもし、おばあちゃんが転んだりしたら、本当に大変だ。


 ご存知の通り、老人というものは、とても骨がもろくなっている。だから、俺達若者とは違い、転んだりしただけで本当に簡単に骨折してしまうんだ。

 そして、一度骨折してしまうと、彼女達は非常に治りが遅い。転んだお年寄りが足を骨折、そのまま寝たきりになって亡くなってしまうというのは、ある種のテンプレートとして存在するほどの典型事例である。


「うーん。となると、雑貨屋のおばあちゃんと不審者達は、極力接触させない方が良いのかもしれないなぁ……」

 俺は唸りつつ、アセトゥの方を見た。

 先ほどから少年は、一本角の傍らにじっと佇んでいる。おそらく、表土索敵で不審者達の動きを探り続けているのだろう。


「アセトゥ、不審者は今どのあたりまで来ている?」

「今、ちょうど森の中ほどあたりかな。里の方へ出てくるまでには、まだかなり時間がかかると思うよ。ずっと移動ペースも変わらないし、こちらに捕捉されているとは思ってないみたい。でも……」

「……でも? 何か気になることでもあるのか」

「こいつら、何だか変な感じがするんだ。索敵に妙な引っかかりというか、少しの違和感みたいなものがあって。原因がよく分からないんだけど……」

「ふうん?」

「もしかしたら、ただのオレの気のせいかも」

 素人の俺にはまるで分からん要素だ。

 アセトゥにも予想できない状況が起きたりすると、少し怖いな。もし何か不測の事態が発生したとき、この里には、逃げ足の遅い年寄りや子供があまりに多い。


 このまま守備の固い里の中で相手が姿を現すのを待ち受けるのが、本当に最善なのだろうか。里人達が取っている対応はそれで正解なのだとして、俺自身にも何か出来ることはないか……。

 しばらく黙考した俺は、ゆっくりと顔を上げた。

「……なぁ、アセトゥ」

「なぁに?」

 見つめてくるアセトゥに対し、言葉を続けた。


「俺とゴレで直接東の斜面の森へ行って、不審者達にお引き取り願ってこようかと思うんだが」


 俺とゴレが森まで赴く。

 全ての事情を考慮して、おそらく、これが最善手だ。

 里人と不審者の接触が起こる前に、森の中でケリをつけてしまおう。

 雑貨屋のおばあちゃんの件を抜きにしても、里の皆と不審者を接触させるのは色々と問題が多い。

 アセトゥの言う違和感というのも気になる。

 トラブルになって里側に死傷者が出るのは、もちろん最悪のケースだ。また逆に、実は不審者の正体がちんけな野菜泥棒などだったという場合にも、ゴーレムに殴られれば命を落としかねない。それはあまりに気の毒だ。

 で、あるならば――



 俺が間に立って相手と先に交渉し、話し合いで平和に、手を引いてもらおう。



 そうすれば、無駄な争いで怪我人や死人が出ることもない。

 これこそが、文化人たる者の取るべき基本姿勢だ。

 相手は人間だ。問答無用でいきなり包囲殲滅戦をしかけてきた某クソ猿や、挨拶代わりに超質量の石弾をぶっぱなしてきた某クソドラゴンとは違う。

 人間とは理性と高潔な魂を持ち、言葉を話す動物なのだ。人間同士の争いは、お互いに話し合いできちんと解決できる。

 俺はそう信じている。


 交渉役には俺が適任のはずだ。俺一人なら、優しいゴレが身の安全を守ってくれる。万が一相手が交渉中に乱暴をしてきても、死傷リスクが少ない。

 それに、不審者の正体が不良や泥棒でなかった場合にも、俺が使者として出向く事は無駄にならないはずなんだ。彼らを先導して里まで案内すれば、里の人達も安心するはずだからだ。双方の誤解からトラブルが発生する可能性を、ぐっと減らせるだろう。

 うん、完璧なプランだ。


「えっ、ネマキ兄ちゃんが単騎で森に乗り込むの? で、でも……」

 俺の提案に、アセトゥは逡巡している様子だ。

「ほら、俺とゴレなら持ち場も特にないから、自由に動けるだろう?」

「それはそうなんだけど……」

「我ながら適任だと思ったんだが、駄目かな?」

 やはり俺が交渉役では、少し頼りないだろうか。

「うう……。たしかに兄ちゃんめちゃくちゃ強いし、ゴレタルゥも表土索敵持ちの高速機体だし……。この状況から問答無用で一気に強襲をかけるなら、おそらくそれが一番良い選択なんだろうけど」

「お、お前、強襲とか物騒なことを言うなよ。俺が森に行くのは、平和的に話し合いをするためであって……」

 張りつめた表情のアセトゥは、俺の言葉を聞いていないようだ。彼はそのまま矢継ぎ早に話を続けた。

「でも、近づいて来ている奴ら、何だか変な感じがするし。一人で行くのは、兄ちゃんが危ないかも……。だけど、オレ、ここを離れられないし……。でも、もし兄ちゃんに何かあったら……」

 アセトゥがひどく懊悩している。快活なこの子にしては珍しい。

 何となく少年も、提案の内容自体には賛成のように見えるが。

 

 おろおろと心配そうなアセトゥの態度は、まるで俺を赤ん坊あつかいする時のゴレのようだ。

 自身の信用の無さに、俺は改めて内心ちょっと傷ついた。

 だが、年長者としての余裕ある笑顔だけは崩さないよう心がけた。

「心配いらないよ。俺こういうのには慣れているから……」

 そう。和平交渉は初めての経験ではない。ジビルの街で、ペイズリー商会の支店長相手に、一度見事に成功させた実績がある。

 大丈夫、きっと上手くやれるはずだ。

 歴戦の悪徳商人相手に話し合いでトラブル解決ができた成功体験は、一文化人としての俺の大きな自信となっていた。

 俺はアセトゥに向かって、自信たっぷりに堂々と言い放った。


「……――俺はね。“交渉”には自信があるのさ」


 努めて頼りがいのある先輩に見えるよう、目に力を込め、にやりと笑う。

 俺が笑った瞬間、アセトゥの額を、つうっと汗が流れた。

 その喉から、ごくりと唾を飲む音が漏れる。


 あ、あれ? 俺の期待していた反応と微妙に違うが……。



------



 少年の許諾をようやく得た俺は、東の斜面の森に向かうことになった。

 里の正門を出発しようとした際、ご家族と押し合いになっている雑貨屋のおばあちゃんが目に入った。

 あの人、まだ揉めているようだ。

 胸甲を着せられた農作業用ゴーレムも、家族の喧嘩を前に、何となく困っているように見える。


「東の畑はもうじき収穫じゃないかい! うかうかしとって、賊めらが焼き働きでもしたらどうするつもりなんじゃ!」

「それはそうですけど、何もお義母さんが行くことはないでしょう!」

 雑貨屋のおばあちゃんとお嫁さんらしき中年女性の言い争う声が、こちらまで届いてくる。どちらもすごい剣幕だ。

 焼き働きってのは、たしか畑に火をつけるような軍事行動のことだよな……。

 なるほど。おばあちゃんは無駄に血の気が多いわけではなく、畑のことが心配だったのか。畑を荒らされる前に打って出るべきだというこの主張自体には、たしかに一理あると思う。だが、おばあちゃん自身が行く必要はないというお嫁さんの主張には、百理くらいある。

 俺は大きな声でおばあちゃんに呼びかけた。


「雑貨屋のおばあちゃーん、もう大丈夫です! 森へは、俺とゴレで向かうことになりましたので! ご家族と一緒に集会所へ避難しておいて下さい」


 この瞬間、広場から里の奥へと避難中だった里人達が、一斉にどよめいた。

「なっ、ネマキさん、単騎で賊徒どもへ奇襲をかけるのですか!?」

「なるほど、容赦なく先制攻撃で殲滅なさるおつもりか」

「だが、それにしたって単騎駆けとは……。テテ先生も若いころは相当の猪武者だったと聞くが、お弟子のネマキさんのご気性は、ひょっとするとそれ以上かもしれんなぁ……」

 おい、ちょっと待て。今、奇襲だの殲滅だの、聞き捨てならない物騒なワードが飛び交っていたような気がするのだが。

 それに皆誤解しているが、俺はババアに弟子入りしたおぼえはない!


「あの、皆さん待ってください。俺は喧嘩をしに行くわけではなく、話し合いによって争いの平和的解決を模索するために……」

 慌てて誤解を解こうとしたが、皆さん盛り上がっていて全然聞いていない。

 と、このとき、雑貨屋のおばあちゃんが心配そうな声を上げた。

「ネマキ坊が一人で行くのかえ? そりゃ危ないよお」

 この発言に、里の皆さんが一斉に同調する。

「その通りです。ネマキさんといえど、お一人では何が起こるかわからない。里の若者の中で、足の速いゴーレムが使える者達を同行させましょう」

「ああ、確かにそれがいい」

「しかし、ネマキさんの機体はどえらい速さですよ。若い衆で随伴や連携ができそうなのが、果たして何人いますかね」

「ギリギリついていけそうなのは、マルグのところの長男と、セスぐらいか? セイレンのお嬢さんならいけるだろうが、彼女には正面守備を外れてもらうわけにもいかんし……」

「他にも腕の良いのはいるが、やはり機体の速度差がなぁ」


 皆さんは口々に相談を始めている。

 どうやら俺の身を案じて、同行者を付けようとしているらしい。気持ちはありがたいし、実際頼もしくもあるのだが、しかし……。

「ネマキ坊が怪我をしたらいかんし、やっぱりババがついていこうかね」

 そら見ろ! やっぱりだ! 

 この流れだと、おばあちゃんまで来たがるに決まっているじゃないか!

 冗談ではない。この血の気の多いおばあちゃんが付いて来たら、まとまる交渉もまとまらないぞ。


「待ってください、皆さん!」

 俺は大声で叫んだ。

 周囲の皆の視線が、一斉にこちらへと集中する。

 皆に安心感を与えるべく、俺は力強い笑みを浮かべた。


「……――大丈夫。俺が一人で、さくっと(交渉を)片付けてきますから」


 目を見開いた里人達が、一斉に息を呑んだ。

 全員固まっている。

 だから一体何なのだ、その反応は。


「あ、あのですな、ネマキさん。できれば一つ頼みがあるのですが……」

 沈黙する里人の中、一人の中年男性がおずおずと口を開いた。

 頼みとは何だろう。交渉の際に有利な条件でも付けて欲しいのだろうか。

「何でしょうか? 可能なことでしたら、もちろん承りますが」

「はい。賊に対して仲間の有無などを確認するため、一応取り調べを行なおうかと思っとります。せめて皆殺しにはせず、一人くらいは息の残っている状態で残しておいてもらえると、助かります」

 一体なんだそのリクエストは!?

 俺が不審者を皆殺しにすることが前提なのか!?

 あんたは俺を一体何だと思っているんだ!


 とはいえ、里人からの物言いはそれ以上無いようだ。

 好都合だ。今のうちにさっさと出発してしまおう。俺を不良扱いしたおっさんに対しては色々と言いたいことがあるが、今はそれについては後回しだ。きちんと話し合いを成功させて帰って来れば、誤解はすべて解けるのだから。

 俺はくるりと踵を返し、ゴレと並んで正門をくぐろうとした。


「ネマキ坊!」


 背後から、雑貨屋のおばあちゃんの呼び声がした。

「? なんですか?」

 振り返った瞬間、彼女が何かを投げよこしてきた。

 飛んでくる、何か黄色くて丸い物体。

 いきなりのことだったので、俺はとっさの反応が遅れてしまった。だが、代わりにゴレがぱしっと片手で受け止めてくれた。

 ゴレの見事なキャッチに、周囲から喝采が沸く。

 さすがネマキさんだ、という声があちこちから聞こえた。いやいや、どう見ても今すごかったのはゴレだろうが。


 ゴレの手の平に握られた、小さな丸い物体を見た。

 見覚えのある、薄黄色をした梨みたいな果物。

 こいつは、露梨(つゆなし)だ。

 露梨を眺める俺に、雑貨屋のおばあちゃんがゆっくりと口を開いた。


「ネマキ坊、もし途中で危ないと思ったら、賊退治なんて放り出してもええ。すぐに帰っておいで。何もネマキ坊が一人で頑張らんでも、里で合力すれば賊は退治できるんじゃから」


 彼女は、さらに言葉を続ける。

「それよりも、お腹が空くのが一番いかん。……お腹が空いたら、その梨を食いながら、ババや皆のところに必ず戻ってくるんだよ」

「……分かりました」

 そんなにすぐにお腹が空いたりはしないと思うけど。

 さっきスティックケーキをがっつり食ったしなぁ。

 なんだか俺、里のおばあさん達から完全に腹ペコキャラあつかいされてしまっている気がする。実際は人並みにしか食べないのだが……。


「大丈夫です。夕飯までには必ず戻ってきますよ」

 俺は露梨を掲げて、おばあちゃんに笑顔で軽く手を振った。



------



 こうして俺とゴレは里を出発した。

 ふたりで仲良く歩いて、東側の斜面にある森まで移動する。

 長い長い畑道を抜け、まばらな低木と草の茂る斜面をのぼり……。

 ようやく森の入り口に到着した頃には、かなりの時間が経過していた。

 休みなしで斜面をのぼってきたので、少し、疲れた。


 目の前に、鬱蒼とした緑の樹海が広がっている。

 ここに問題の不審者達がいるのか。

 相手も既に、結構近くまで来ているかもしれない。

 森の中へと踏み入る前に、何となく気になって、後ろの景色を振り返った。


 ここは斜面の上だから、里よりも標高がやや高い。

 遠目にゴーレムの里の全景がよく見える。

 シドル山脈の麓に円を形作っている、大きな集落。

 こうして改めて遠くから全体を眺めれば、自然と人工物とが調和した、非常に美しい里だ。


 ゴーレムの里は、北側以外をすべて広大な畑に囲まれている。

 このような高い位置から見下ろすと、それらの畑は微妙にカラフルで、様々な種類の作物が栽培されているのが分かる。

 里の南側、つまり正門方向には、既に刈り入れの終わった畑が広がっている。

 里ではあの大区画をすべて利用して、主食の麦を育てていた。

 どうやら、俺達が藩都へ旅行していた間に収穫を行なったらしい。快晴続きだったし、収穫には良い天候だったのだろう。

 里のゴーレム達が総出で刈り入れを行なう光景は、きっと壮観に違いない。

 ちょっと見てみたかったな。


 里の北側の山の斜面沿いには、小さな棚田も見える。

 あそこでは、湧き水を利用した稲作をやっている。一度見学させてもらったが、隣でワサビみたいなのも栽培していた。多分ワサビではないと思うんだけど。

 この里にもこうして一応水田はある訳だが、面積はさして広くない。収穫量も、ぎりぎり自給可能かどうかという程度みたいだ。

 とはいえ、この世界は流通網がわりと発達しているから、里で自作しているかどうかは、食卓にのぼるかどうかとはあまり関係がない。

 もし米が足りなければ、よそから入手すればいいんだ。

 魚や海老や、蟹みたいに。


 白米とぷりぷりの白身魚に思いをはせつつ、森へと視線を戻す。

 今里の風景を眺めて、改めて思った。あの平和で美しい場所や、そこに暮らす優しい人達を危険に晒すわけにはいかないよな。

 俺自身は多少危険になるが、やはり森へ入るという選択肢は間違っていない。


 目の前の森は、深い緑と薄暗い闇に覆われている。

 ゆっくりと深呼吸をした。

 さて、ここからは交渉人(ネゴシエイター)の仕事だ。


「……よし、それじゃ行こうか。ゴレ」


 相棒は返事をするように、その長いエルフ耳を小さく動かした。

 深紅の瞳が、爛々と輝いている。

 おや。ゴレのやつ、少し興奮気味のようだ。

 その様子はまるで、久々に公園でボール遊びをする直前の犬である。

 こいつはアセトゥの家で退屈していたせいで、相当に鬱憤が溜まってしまっているはずだ。案外、思いっ切り森で遊べると思っているのかもしれない。


 うーん……。

 だがなぁ、今回は俺の華麗なる交渉テクニックが炸裂する予定なんだ。

 すまないが、お前の出番は無いと思うぞ?

 



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