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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第5章 ゴーレムの里
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第63話 修羅場と書斎


 

 藩都サラヴでの用事を済ませた俺達三人は、それから数日かけて、再び里へと戻って来た。

 シドル山脈の豊かな森の緑に囲まれた、懐かしきゴーレムの里である。

 といっても、留守にしたのは一週間程度なのだが。


 純朴な笑顔のアセトゥ少年と、テテばあさんのゴーレムであるデバスが、屋敷の庭先で俺達を出迎えてくれた。

「ネマキ兄ちゃんっ! 先生もおかえりなさい!」

 アセトゥは相変わらず元気いっぱいである。

 小麦肌の健康的な少年は、細っこい身体で飛びはねそうな勢いである。

「ただいまアセトゥ。元気にしていたか?」

「うんっ」

 アセトゥに挨拶していると、デバスがぬっと顔を出してきた。

 デバスの方は相変わらず、凶悪な顎で、俺の頭などあっさり食いちぎってしまいそうな見た目をしている。

 しかし、いくら見た目が凶悪であろうとも、俺は動物を見た目で判断しない男だ。というか、もはや俺の感覚では、デバスはばあさんの家で飼っている、ただの大型犬である。

「やぁ、デバスもただいま」

 デバスの頭を、優しくなでなでした。

 彼はちょっと背が高いので、俺が頭をなでようとすると、姿勢を低くしてくれる。おりこうさんだ。


 そのとき、横合いからテテばあさんの声がした。

「ほれ、ゴレタルゥ。何を震えながら固まっているんだい。……さっさと荷物を下ろしに行くよ。さ、ついておいで」

 声をかけられたゴレが、俺の方をちらちらと振り返ってきた。

「……頼むよゴレ。ばあさんのお手伝い、よろしくな」

 賢くおりこうなゴレは、言われたとおりにテテばあさんについて行った。若干渋々といった様子ではあったが。

 力持ちの彼女は、実は、魔道具屋で買った超重い荷物を、道中ずっと運んでくれていたのである。したがって、そのままばあさんと一緒に、母屋に荷物を下ろしに行く必要があるわけだ。

 残念ながらこればかりは、俺の筋力のキャパシティを超えた力仕事だ。無力で脆弱な俺の出番は存在しない。


「まったく、デバスのやつに嫉妬するなんて……。ゴレタルゥ、あんたもこういう部分では、大概頭の悪いところがあるよねぇ」

 何やらゴレに話しかけるテテばあさんの背中から、あきれたような声が聞こえてくる。このふたりは本当に仲が良い。

 見ると、デバスも静かに裏庭へと戻って行くようだ。

 裏庭には山羊がいる。彼はおそらく世話の途中で、お出迎えのためにわざわざ出て来てくれたのだろう。優しい。


 このデバスという茶色いゴーレムも、アセトゥの相棒の一本角と同じく、高い知性を感じさせるゴーレムだ。

 一本角もデバスも、強そうな外見に似合わず、温厚な性格をしている。

 でも、彼らはそれぞれに個性が微妙に異なっている。

 ゴーレムには、一体一体に性格があるんだ。

 一本角のやつは、温厚な中にも無骨さがある。アセトゥはかつて、俺が一本角と仲良くなっていたことに驚いていた。おそらく一本角はそういう、ややもすれば気難しい一面も持ち合わせているのだろう。

 一方のデバスは、ひたすら穏やかで、優しい感じがする。

 こいつは鶏や山羊の世話も、きっと好きでやっているにちがいない。

 正直、あの邪悪な暴力ババアの相棒とは、まるで思えない奴だ。だけど考えてみれば、俺と相棒のゴレもかなり性格が違う。いや、むしろうちだって、攻撃性や思考の性質という意味では、ほぼ真逆同士に近いかもしれん。

 ま、おそらくはきっと、どこの家庭の犬もこんな感じなのだろう。

 ……おっと、間違えた。犬じゃなくて、ゴーレムだったな。


 とはいえ、ゴーレムは、ほぼ犬である。

 気質でいうならば、一本角は真面目な番犬、デバスは優しい牧羊犬といったところだろう。

 この理屈だとおそらくゴレは猟犬、いや闘犬か?

 うーん、何だか、どちらも微妙に違う気がするな。

 いっそケルベロスとかか?

 いや、そういう方向性ならば、むしろ――

 

 ……北欧神話の、フェンリルか。

 

 ああ、この例えはとてもしっくりくる。

 その狂暴性ゆえに神々の鎖を引き千切り、ついにグレイプニールによって縛られる事となった、巨大な狼の化身。この世の終わりの時には拘束を解かれ、人間界を滅ぼすといわれるフェンリル。

 実際、うちのゴレも、道化ゴーレムの鎖とか引き千切っていたし。やはり間違いない。ゴレの犬種は、きっとフェンリルだろう。

 ん? フェンリルは犬種なのか……??



------



 さて。俺がくだらないことを考えている間に、ゴレとテテばあさんは母屋に、デバスは裏庭に消え、皆は庭先で一時解散をする運びとなった。

 俺も自分の荷物を下ろしに、とりあえず離れ家へ向かおうと思う。

 荷物を下ろしたら、皆のいる母屋へ行って、豆茶でも飲もう。


 鶏が地面をつついている、平和な庭先をのんびりと歩く。

 ほどなくして、離れの前に到着した。

 敷地の一角のこぢんまりとした、温もりを感じる清潔な一軒家。

 多少高級感のある木と土壁で作られた、スローライフ田舎ハウス。

 何故かすっかり馴染んでしまった感のある、俺とゴレの家である。

 ぽかぽかと陽当たりもよく快適で、もし新婚のご夫婦がイチャイチャしながら暮らすなら、ちょうど良さそうな物件である。まぁ、俺の周辺には、連れ込むような女性すら、まるで存在していないのだが……。

 俺の心は、深い悲しみに沈んだ。

 だが、涙のにじむ目で庭先の地面を見つめたとき、そこで、俺はぴたりと歩みを止めた。


 ――離れの脇の地面から、かわいらしい小さな芽が、数本顔を出している。


「! 芽が出ている……。すごいぞ、芽が出ているじゃないか!」

 思わず歓喜の声を上げた。

 不覚にも興奮してしまったのも、致し方のないことだ。このかわいらしい芽の正体――何を隠そう、実は“クランベリー林檎”の芽なのである。

 召喚された盆地で、俺が一番気に入っていた果物。甘酸っぱくて瑞々しいジューシー果肉の、あのクランベリー林檎様だ。盆地から持ち出した実は、当然ながら、随分前にすでに全部食べつくしてしまっている。

 だが、俺はその種を大事に取っていた。

 そして、陽当たりの良い、この離れの入り口脇に埋めてみたのだ。

 ……もちろん、土地の所有者には無断で。


「この地方は盆地に似ていて温暖だから、いけるかもしれないとは思ったが。そうか、無事に発芽したか……。良かった」

 俺は目を細めながら、愛しげにクランベリー林檎様のお子達を見つめた。

 黄緑色の小さな葉っぱが、4~6枚くらい生えている。

 リンゴの芽というのは、こんな感じなのだろうか? 俺は植物に関してはそう詳しくもないから、良く分からない。

 種を植えたのは、ほとんど実験というか、賭けの要素が強かった。だが、この地でこうして発芽したという事は、盆地に植えた種達も、きっと無事に芽を出していることだろう。

 あそこの土の下で眠っている、あの召喚術の被害者も、きっと寂しくなくなるはずだ。

 

 安堵感から、思わず笑みがこぼれた。

 そんな俺の姿を、隣で一緒にしゃがんでいるアセトゥが、不思議そうに見つめている。

 ……そう。アセトゥはいつのまにか、俺にぴったりとついて来ていた。

 忍者か、お前は。

「これ、ネマキ兄ちゃんが植えたの?」

「ああ。俺のお気に入りの果物の種なんだ。甘酸っぱくて美味いんだよ」

「ふぅん……」

 アセトゥは興味深そうに、クランベリー林檎様の芽を見つめている。

「そうだ、アセトゥ。これが何ていう名前の植物か、お前分からないか?」

 ひょっとすると、彼なら知っているかもしれない。

 テテばあさんは、この世界の動植物についてかなり詳しい。例の枯草人参や首吊り人参についてだって、ほぼ図鑑の記載レベルで詳細を知っていた。

 アセトゥもそんなばあさんの弟子なので、意外と知識があったりするのだ。見た目はお勉強などとは無縁な感じの、小麦色の健康的な肌をした、活発でスポーツとかやってそうな子なのだが。

 こう見えて、中々にあなどれないところがあるのだ、この少年は。

「うーん。烏林檎(からすりんご)に似ているような気もするけど、微妙に違うかな……?」

 アセトゥ少年は、うんうんと唸っている。

 彼は何事にも一生けんめいだな。実にほほえましい。

 俺も年長者としての温かい気持ちで、頑張る少年を優しく見守った。

 ふいに、アセトゥと目が合った。

 見つめ合う俺と、アセトゥ少年。

 みるみるアセトゥの顔が赤くなっていく。真っ赤になったアセトゥは、ふいっと顔をそらしてしまった。

 あれ……。何だろう。彼も難しい年頃なのだろうか。


「あのっ、お、オレ良くわかんないし、先生なら何か知っているかも……。だから、聞いてくるよ……!」

「何? ちょっ、おい、アセトゥ!?」

 まずい。

 待ってくれ、アセトゥ。ばあさんにチクるのだけは勘弁してくれ。

 この種は、ばあさんには無断で植えているんだ。

 あの、風情というものを理解しない、野蛮で凶悪なクソババアのことだ。もしこの事がバレてしまったら……。俺のかわいいクランベリー林檎様の芽は、きっと雑草扱いされ、草むしりされた挙句に燃やされてしまうに違いない。

「待ってくれ、お願いだアセトゥ! ばあさんには言わないでくれ! この芽のことは、二人だけの秘密にしてくれ!」

 俺は情けなくも、立ち去ろうとするアセトゥにすがりつき、懇願した。

 もはや年長者としての威厳もくそもない。くだらないプライドにこだわり、なりふり構っていては、クランベリー林檎様の子供たちが殺されてしまう。

「ひゃあ! わっ、わわ……!」

 抱きつかれたアセトゥ少年が狼狽している。

 こうして腕に抱いていると改めて思うのだが、本当にこいつは体の線が細い。

 いや、そもそも抱きしめるつもりなんぞなかったのだが、こいつが細すぎるせいで、抱きすくめるみたいな体勢になってしまったのだ。


 アセトゥを抱いた状態のまま、じっと考えた。

 この子は、骨格があまりにも華奢だ。

 筋肉なんて、ほとんどついていないのではないだろうか。

 そのくせ妙に身体は柔らかい。変な感じである。

 これではまるで、少女を抱いているような感覚ではないか。

 前々から思ってはいたのだが、やはりこいつ――


 やはりこいつ、まったく栄養が足りていないのでは……?


 俺はアセトゥのことが、心底心配になった。

 そういえば、街で買った焼き菓子がまだ残っている。後でアセトゥにも食わせてやろう。

 少年に栄養を与えることを固く決心している俺に、腕の中ですっかり大人しくなったアセトゥが、小さな声で呟いた。


「うん、わかったよ。ネマキ兄ちゃんとオレだけの秘密ね……」


 アセトゥの手が、きゅっと俺の服をつかんだ。

 腕の中の小柄なこの子は、顔を伏せてしまっている。そのエメラルドグリーンの瞳の様子は、うかがい知ることができない。




 ――そのとき突然、母屋の扉が、内側から盛大にはじけ飛んだ。



 戸板がど派手な音を立てながら、庭を十数メートル吹き飛んでいく。

 呆気に取られた俺とアセトゥは、抱き合いながら母屋の方を振り向いた。

 玄関は扉が消滅し、すっかり風通しがよくなってしまっている。


 そこには、純白の美女神エルフ――ゴレが立っていた。


「……あれ? ゴレお前、ばあさんと母屋での用事はもう済んだのか?」

 今日もわんぱくで元気なゴレに、笑顔で声をかける俺。

 扉が吹き飛んだのにはびっくりしたが、別にたいしたことはない。うちの犬も、何度か実家のふすまを、体当たりで外してしまったことがあった。

 でも、俺は知っている。犬は別にわざとやっているわけではないのだ。

 その証拠に、ふすまをぶっ飛ばした犬は、しゅんと元気がなくなってしまうからな。

 この家の戸板も吹っ飛んでいるが、壊れてはいない。おそらく、はめ直せば元通りになるだろう。

 ゴーレムの里の家や建具は、本当に作りが頑丈なのだ。

「まったく、しょうがないなお前は……。ほら、ばあさんに叱られる前に、一緒に戸をはめ直そう。大丈夫、別に怒ってないから」

 俺はアセトゥから手を離し、立ち尽くしたまま動かないゴレの方に向かって、ちんたらと歩き出した。


 しかし、途中で何だかゴレの様子がおかしいことに気付いた。

 ゴレはその腕に、青白い色をした、四角くて平たい石板を抱えている。

 サイズ的には、ノートパソコンよりも少し大きいくらいか。

 これは、例の“記録石板”とかいう魔道具である。

 テテばあさんが藩都で、ダンディの魔道具屋から購入したのがこれだ。

 見た目のわりにかなり重量があるので、ばあさんの書斎へのセッティングの際、ゴレの手伝いが必要なのである。

 ……ん、待てよ?

 ということはゴレのやつ、お手伝いの途中で、書斎を抜け出してきたのか。

 参ったな。ゴレがわがままをした際に、テテばあさんに叱られるのは俺なんだがなぁ。

 ばあさんはゴレに甘いから、大体俺のせいにされてしまうのだ。

 まぁ、ゴレが杖で叩かれるよりは、ずっといいのだけれど。


 しかし、何だろう……?

 ゴレは先ほどから、俺の方を見ていない気がする。

 しかも、雰囲気がおかしい。

 全身からゆらめく陽炎のように殺気を噴出しながら、煉獄の炎のごとく燃え滾る赤い瞳で、俺の後方をじっと見ている。

 大気を埋め尽くす怒気の量が、猿や牛を残酷に嬲り殺すときの比ではない。

 俺は、彼女の視線の先を、ゆっくりと振り返った。


 そこに立っているのは、アセトゥだ。


 強い意思を感じさせる、その凛とした緑色の瞳で、じっとゴレのことを見据えている。

 先ほどまでの、大人しい純朴な少年の姿は、もはやどこにもない。

 そこには、ひたむきな決意を胸に秘めた、凛々しくも勇敢な戦士の姿があった。


 俺は思わず息をのんだ。

 今にもふたりの間に稲妻が轟き、嵐が吹き荒れそうな様相である。

 何やら凄い。何だか良く分からないが、凄い。


 ……だが、正直、意味不明である。

 なぜこのゴーレムと田舎少年は、仲良くできないんだ?

 考えてもみてくれ。ロボットと少年なんて、普通なら相性最高の組み合わせだろうに。少年誌的な意味で。

 まったく、こいつらには付き合っていられない。

 実はたまにあるのだ、こういう事が。

 最初は困惑していたが、もう俺も慣れてきた。

 というかゴレのやつ、玄関を吹っ飛ばした事をきちんと反省していないのではないか?

 

「……ほら、ゴレ。怒ってないけど、ちゃんと反省はしないとだめだぞ。さぁ、一緒に戸を直そう」

 俺は、ゴレの柔らかなほっぺたを、むにゅっとつまんだ。

 そして、彼女のほっぺたをつまんだまま、庭に吹き飛んでしまった戸板の方へ向けて歩き出した。

 ゴレは体重測定のとき以外は、俺の動きにまったく抵抗しない。ふにゃふにゃと力なくついて来た。


 たしかに、アセトゥに殺気をふりまいている状態のゴレを、あのまま放置しておくと不味いのは間違いない。

 おそらく、冗談抜きで、半端ではなく不味い。

 そんな、強い予感はする。

 でも、アセトゥは俺の大切な友達だから、ゴレは本能のままにいきなり襲いかかったりは、絶対にできないんだ。彼女の内面で理性と殺人衝動みたいな物がせめぎ合って、葛藤状態になり、身体が震えて硬直する。その間に、さっさと身柄を抑えてしまえばいい。そうすれば、何もトラブルは起きない。

 ゴレが友達の一本角に殴りかかったときの失敗の経験などもあり、俺はこの対処法をすでに学習していた。

 俺は、失敗を次に生かせる男だ。


 さて。ゴレのぷにぷにほっぺをつまみながら、庭に落ちている戸板の前までやって来た。

 目的の戸板は、えらい距離をぶっ飛んだようだ。

 母屋から庭を突っ切って、道の手前の門扉付近まで飛んできている。

 一応確認してみたが、やはり壊れてはいないようだ。この理不尽なほどの建具の頑丈さは、おそらく、里ではゴーレムが戸を開け閉めする機会が多い事が関係しているのではないかと思う。何かの拍子に壊れたりしないように、頑丈に作ってあるのだろう。

 まぁ、といっても、戸を蹴り飛ばして開けてしまうような悪い子は、うちのゴレだけかもしれないが……。


 というかだ、ゴレよ。

 お前は俺にほっぺをつままれているのに、何故ちょっぴりうれしそうに、耳をぴくぴく動かしているのだ。

 きちんと罪を反省しているのか……?


 ともあれ、さっさと玄関を元の状態に戻しておこう。テテばあさんに見つかったら、説教を食らうかもしれないし。

「……さて、それじゃ持ち上げるか」

 ゴレとふたりで戸板を一緒に持ち上げようかと思って、ふと気付いた。

 彼女はその手に、でかい記録石板を持ちっぱなしだ。

 ということは、俺が一人で戸をはめ直すしかないのか……。

 溜息を吐きながら、重い戸板に手をかけた。


 このとき、持ち上げた戸板が、唐突にふわりと軽くなった。

 見れば、アセトゥが反対側を持ってくれている。

「兄ちゃん、オレも手伝うよ」

「ありがとう、アセトゥ。わざわざごめんな」

 笑顔でお礼を言うと、アセトゥが照れくさそうにうつむいた。

「う、ううん、オレが手伝いたいだけだから……」

 この子は本当に良い子なのだ。叱られてよろこんでいる悪い子のゴレにも、爪の垢を煎じて飲ませなければならない。

 そう思いつつ、うちの悪い子の方を見て、ぎょっとした。

 慌てて俺を手伝おうと思ったのか、ゴレが記録石板をわたわたと地面に放り捨てようとしている。

「おい馬鹿、やめろ! お前は手伝わなくていい!」

 せめてそいつは玄関にでも置いてこい。放り捨てるな!

 そのくそ高い魔道具がもし壊れでもしたら、俺がばあさんにぶち殺されてしまうだろうが!


 ゴレになんとか投棄を思いとどまらせ、アセトゥと二人で戸をはめ直した。

 建てつけに異常がないか、戸の閉まりを確認していたとき、ちょうどテテばあさんが奥から顔を出した。

「急にゴレタルゥが書斎から消えちまったと思ったら……。まったく、一体何をやっているんだい、あんたらは……」

 玄関にたむろする俺達の様子を見て、テテばあさんは溜息を吐いた。

 そして、石板を抱えたままのゴレに声をかけた。

「ほれ、ゴレタルゥ。早いとこ戻っておいで。あんたが持ってるそいつを設置しちまわないと、仕事が進まないよ」


 しかし、ゴレは動かない。

 俺の隣に、じっとひっついている。

「ゴレ、どうした? ばあさんが呼んでいるよ」

 声をかけてみたが、ゴレは赤い瞳をうるうるさせて、足をふんばっている。

 ……あ、これは梃子(てこ)でも動かないパターンだ。

 いつも俺がアセトゥと喋っているとき、ゴレに突然訪れる反抗期の一種である。

「駄目だ、ばあさん。これは動かないぞ」

「はあ。ゴレタルゥ……。まったく、あんたって子は……」

 テテばあさんは、渋い表情で額を押さえている。

 しばらく渋い顔を作った後、ばあさんが俺の方を向いた。

「仕方がないね。ネマキ、あんた書斎に入っておいで。あんたが来れば、ゴレタルゥも釣られて入って来るから」

「……なぁ、ばあさん。俺のことを、便利な撒き餌か何かだと思ってないか?」


 仕方なく、テテばあさんの後について、書斎へと向かうことにした。

 長い廊下を歩いている途中でふと気付いたのだが、ばあさんの書斎へ入るのは、何気に今回が初めての経験だ。普段は、書斎には入らせてもらえないのだ。

 そのように考えてみると、ゴレのわがままのおかげで、俺はちょっと得をしたかもしれない。


 

------



 書斎に入ると、さっそく記録石板の設置作業が再開された。

 テテばあさんの指示で、ゴレがおおまかな物の移動をおこない、そこからさらに、ばあさんの手で色々と細かなセッティングをしているようだ。 

 情けないことだが、この手の作業になると、ろくに魔道具の知識のない俺は、完全に役立たずになってしまう。

 ここに突っ立っていると、邪魔かもしれないな……。

 その場を静かに離れた俺は、書斎の本棚のそばに腰を下ろした。


 広い書斎の壁を埋め尽くすようにそびえ立つ本棚には、大量の書物がひしめき合っている。

 なんとなく、例の盆地の隠れ家にあった、リュベウ・ザイレーンの書斎を彷彿とさせる光景だ。


 本棚の一角に、同じ著者の本がずらりと並んでいる。

 著者の名は、“テテオ・マディス”。

「マディスって……」

 テテばあさんの名字だよな。

 ということは、これらは全て、テテばあさんが書いた本なのか……?

 見たところ、ほとんどが魔術陣に関する本のようだ。

 それらに混ざって、ちらほらとゴーレム関連の書籍も見える。

 ばあさんの本業は、学者なのだろうか。たしかにそれなら、皆に先生と呼ばれているのも納得ではある。


 それにしても、テテオ・マディスか。

 やはりこの名前、以前にどこかで――


 このとき、ふいに本棚の中の、ある一冊の本が目にとまった。

 何となく見覚えのある、その装丁に手をのばす。

 手に取ると、ずっしりとした重みを感じる。

 やや古びた分厚い一冊の本の表紙には、こう書かれていた。



 『ゴーレムの索敵紋の研究と魔術陣への応用 ――テテオ・マディス著―― 』

 

 



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