第60話 魔術師協会と入会試験 -前編-
テテばあさんにしばかれまくったせいで、随分と血行が良くなってしまった。
ぽかぽかと温まった肩をさすりつつ、目の前の赤い建物を見上げた。
ババアの権力に侵された、邪悪なる暗黒組織・“魔術師協会”サラヴ支部。
無駄にでかい建物だが、果たして鬼が出るか、蛇が出るか……。
協会の大きな正面扉は、例の透明度の低いガラスで出来ている。
一面ガラス張りの扉というのは、この世界に来て以来、初めて見る。元の世界では、商業施設なんかでよく見かけたものだが。
そのガラス扉付近には、強そうな守衛が数人立っている。
しかし、彼らはテテばあさんの顔を見るなり、全員がさっと胸に手を当てる独特のポーズを取り、その姿勢のまま固まってしまった。
これってもしかして、敬礼だろうか。
……ばあさんよ。あんたは一体、どれほどの腐った権力を持っているのだ。
守衛達の敬礼に見送られ、俺達三人は協会の建物内へと入った。
建物に入ってすぐに、テテばあさんがこちらを振り返った。
「それじゃあ、私は今から諸々の手続きやら、お偉方への顔出しやらを済ませてくるから。あんたらは、そこのロビーに座って大人しく待っていな」
「待っているだけなのか? 退屈そうだ。一緒に連れて行ってくれよ」
「まったく……。子供みたいなことを言ってるんじゃないよ。心配しなくても、あんたもどうせすぐに呼び出しがかかる。入会試験があるからね」
「な、何だと。そんな物があるのか?」
まさか試験まであるとは。かなり不安になってきた。
別にこんな協会なんぞに入会したくはないのだが、万が一試験に落ちたら、確実にこのババアから無能の烙印を押されてしまう。それは俺のプライドに関わる。
去り際に、テテばあさんがふと思い出したように注意をしてきた。
「いいかいネマキ。協会の連中と喧嘩をおっぱじめたりするんじゃないよ? もし妙な揉め事を起こしたら、杖で尻を百叩きだからね」
「そんなことするわけないだろう。あんたは俺を何だと思っているんだ……」
俺をばあさんみたいな、暴力を好む不良と一緒にしないでくれ。
あと、尻を百叩きは勘弁してくれ。里の一部のおばあさん方から好評な、俺の引き締まった美尻が壊れてしまう。
その後、テテばあさんは一人で建物の奥へと向かっていった。
俺はゴレとふたり、入り口付近にあるロビーのような場所に取り残された。
「さて、置き去りにされてしまったわけだが、どうしようか……」
広々としたロビーには、革張りのソファとテーブルが何十席も置いてある。
足元の絨毯も高級そうだ。
この建物、装飾などは控えめで、一見そう派手には見えない。しかし、よくよく見れば、随所で造りが凝っている。実際のところは、かなり金がかかっていそうである。
金のかかった建物というと、つい嫌な出来事を思い出してしまう。
そう、ペイズリー商会だ。
…………。
やっぱりここも、悪の組織なんじゃないか?
邪悪なババアの権力に屈服しているくらいだし、十分にありえる話だ。またこの部屋のどこかで、あやしげな性癖の店長や、刺客のイケメンが俺を見張っているのではなかろうな。
不安に駆られた俺は、周囲の人間達をきょろきょろと見回した。
このロビーには俺達の他にも、幾人もの魔術師らしき人達が座って談笑したり、立ち話をしたりしている。相当に広い空間だから、お互いかなり距離がある。何を話しているのかは分からない。
しかし、皆さん表情は和やかである。
奥のカウンターには、常に数人の職員が待機しているみたいだ。
俺のことをチラチラと気にしている人も、何人かいるようだ。
くっ! やはり刺客のイケメンか!?
慌てて身構える俺。
だが、にこやかにお辞儀をされた……。
イケメンっていうか、普通のおじさんやおばさんだな。
とりあえず、俺も朗らかな笑顔で会釈をかえした。
実に平和だ。
刺客はいないような気がする。
こうして改めて眺めてみると、ロビーの雰囲気は非常に落ち着いている。
某商会のロビーにように、下品に笑う怪しげな商人や、やつれて虚ろな目をした客などはいない。
この場に時折聞こえるのは、和やかな笑い声のみである。
何というか、とても上品かつ優雅だ。よくよく見てみれば建物も、某商会みたいに上面を取り繕った成金趣味とは、少しばかり違うような気もする。
やや重みのある伝統美、とでもいおうか。
要するに、非常に貴族的でセレブリティ溢れる空間である。
俺の場違い感がすごい。
「……いや、意外とそうでもないな」
俺のまとう、焦げ茶色に金刺繍の渋い高級ローブ。
そして、相棒の見目麗しいゴレ。
こいつらが、無駄に高級感に満ち溢れまくっているせいだ。
考えてみれば、俺のこの外見は、宮廷大魔術師のローブに身を包み、美しい純白の谷の民の姿をした聖堂ゴーレムを連れた人物だ。
これはおそらく、この世界の見る人が見れば、一見超大物である。
実際は身元不詳な上に、貯金総額は金貨5枚なのだが。
しかもとどめは、ババアのヒモ生活者である。
だが、そんな実態とは乖離して、むしろ俺は今、やたらとこのセレブ空間に馴染んでしまっている……。
ともあれ、やることも無い。とりあえず近くのソファに座ってみよう。
セレブな俺は、貴族的態度で優雅にソファへと腰を下ろした。
おっ 実にふかふかだな。良いソファだ。
もふもふと柔らかな座り心地を楽しんでいると、職員さんがさりげなくドリンクを運んできた。トレイに乗った数種類の中から選べるようだ。
サービスが良いな……。
俺は綺麗な細長いグラスに入った、何やら柑橘系の、グレープフルーツジュースみたいな飲み物を選んだ。
グラスにそっと口をつける。
爽やかな飲み口だ。間違いなく美味い。しかも、よく冷えていやがる。
魔術師協会……。悪の秘密結社のくせに、なんて行き届いた素晴らしいサービスなのだろう。
俺はドリンクをちびちびと飲みつつ、隣に座っているゴレを見た。
かわいそうに、ゴレは元気がない。
こいつは、俺がババアに叩かれまくったことによる精神的ダメージを、今なお引きずってしまっているのだ。
先ほどからずっと、ババアに杖でぶっ叩かれた俺の肩を、申し訳なさそうに耳をしおらせながら、一生けんめいなで続けている。
全部ババアが悪いのだから、こいつが気にすることなんてないのだが。
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柔らかなソファに身を沈め、ゴレに身体をなでさすられるがままになりながら、俺は考えごとをしていた。
考えごとの内容というのは、先ほどテテばあさんとの会話中に俺自身が抱いた、この世界への、とある感想についてだ。
「俺に優しくない異世界、か……」
俺に優しくない異世界。
身分証発行の難易度の高さを聞いたとき、俺が思わず抱いた感想だ。
しかし改めて考えてみると、本当にそうなんだよなぁ。マジで俺に対して厳しすぎだろう、この世界。
なぜか周囲には、野郎と幼女と年寄りしかいないし。
土属性しか使えない宗教に、強制加入させられるし。
専門書は辞書翻訳がバグって読めないし。
ありがちな小遣い稼ぎ用のモンスターコア的なドロップアイテムにしか見えない魔導核なんて、実は本当にクジラの胆石みたいな超希少部位だ。おかげでほとんど回収せずにスルーしちまったぞ!
さらには冒険者として成りあがっていくのかと思いきや、今、気付けば俺はババアのコネで、得体の知れない怪しい団体に入れられそうになっている。
一体何なのだ、この状況は!!!
……と、まぁ、これらの諸問題については、半ば愚痴みたいな物だ。
この世界も、そう捨てたものではない。
独自の発展をしている文明は、その見た目ほどに未開というわけではない。
実りは豊かで、食べ物もおいしい。
人との出会いにも恵まれたと思う。
そして何より、この世界は美しい。
色々と調べ物や観光をしながら、ゴレとのんびり旅をするというのなら、この世界ほどに素晴らしい環境というのも、そうはないのかもしれない。
召喚こそ不本意な形ではあったが、俺はこの世界のことは嫌いじゃない。
だが――
少し、真面目な話をしよう。
この世界は、俺にとって優しくない。
より正確に言い換えるならば……。
この世界は、“俺にとっての死亡リスクが高すぎる”。
初見殺しの罠や、一人だと速攻で殺されてしまうような敵が多すぎるんだ。
――まさに、死ぬべくして召喚されたという感じだ。
この事自体は、本来そうおかしくもない。
わけもわからん異世界に、ぱっと放り出されてしまったのだから。
だが問題は、俺は世界を滅ぼしうるという、強力な“魔導王”として召喚されているという点だ。
もちろん、召喚主であるリュベウ・ザイレーンが想定していた人格の上書きをされていない関係上、俺は破滅の意思とやらも持っていないし、完璧な魔導王ではない。その点は俺自身も、当初からきちんと理解している。
しかし少なくとも、魔導王の能力というもの自体は、それこそ勇者のような強敵でもあらわれない限り、自身の生存を全くおびやかされない、非常に万能で強力なものなのではないかと思っていた。
だって魔王って普通、そういう存在だろう?
だが、これまでの経緯を見ていると、どうもそんな感じがしない。
基本的に、俺の能力は偏りがでかすぎるような気がする。
今でこそ、上手いこと暴力行使に対するモチベーションさえ上がってくれれば、単独でも、そこそこわりと……いや、下手をすると相当に戦えそうな気さえする俺ではある。しかし、この世界には本来、魔導王であるはずの俺一人の能力では上手く対処できないタイプの敵が多すぎるのだ。
たとえば俺の切り札ともいえる技に、敵の魔術や魔導を完全に支配して意のままに操ることのできる、〈NTR〉がある。結果論的にいえば、不死身の神といわれた古代地竜すらも殺しきった、おそるべき超大技だ。しかもこの〈NTR〉は、魔導による感覚強化と併用すれば、ほとんど自動反撃じみた性能を発揮する。もしこれが全属性の敵に対して有効なら、たしかにめちゃくちゃ強い。敵はすべての魔力攻撃を完封され、あまつさえ放った技をそのまま、いや、それ以上の精度と威力で撃ち返され、なすすべもなく圧殺されてしまう。まさに魔王と呼ぶにふさわしい、最強の能力といえる。
だが、現実に〈NTR〉を使えるのは、相手が土属性の場合限定だ。おまけに、土属性魔術を戦闘で使ってくる魔術師なんてほぼいない。実質俺が無双できる相手は、全12属性中でたった1属性、土属性の、しかも魔獣限定ということになる。
……そう。〈NTR〉というのは本来、極めて限定的な状況下でしか使えない、ものすごく汎用性の低い技なのだ。
実際、俺は土の瘴気の地を出て以降、身バレの危険から魔導の使用に制限がかかっているという状況を仮に完全に無視したとしても、〈NTR〉が使用可能な局面というものには、まだ一度も遭遇していない。戦った相手は、すべて〈NTR〉なんて効かない奴らばかりだ。
わかりやすく非常に極端な言い方をしてしまえば、俺はほとんどの戦闘において、ちょっと人と違って土魔導が使えるだけの、ただの人間ってことだ。そういう意味では、石ころを飛ばしてくる例の猿どもと、たいして変わりはしない。もちろん俺には、膨大な魔力総量や感覚の超強化といった附帯要素はある。だが、あいつらにだって、魔術を無効化してしまう石の鎧があるのだ。反則具合でいえば、どっちも似たようなものだ。
俺がかつて火炎二角獣の出現を恐れていたのも、決して理由もなく噂に怯えていたわけではないんだ。一帯を火の海に変えるという奴の火魔導の性質次第では、“たとえ俺が本気で魔導を使っても”、負ける可能性が存在していたからだ。
そうなんだ。俺は能力をかなり使いこなせるようになってきた現在でも、その能力の相性次第では、そこらの魔獣にすら負ける可能性がある。
こんなものが、世界を滅ぼす『破滅の魔導王』の力だっていうのか?
――破滅の魔導王とは一体、何なのだろう?
そう考えると、最初に召喚された地に〈NTR〉の威力を最大限に発揮できる土属性の魔獣しかいなかったというのは、ある意味で出来過ぎたお膳立てだったように思えてくる。あの特殊環境下での壮絶な戦闘経験値の積み重ねがなかったら、俺はほとんど自己の能力を自覚する機会すら得られなかったはずだ。
これを単純に、俺の才能の偏りや運の問題として片付けてしまって、本当に良いものなのだろうか? 何か、大切な事を見落としていやしないだろうか――
うーん。分からん。
考えれば考えるほど、魔導王に関しては謎が深いなぁ。
ま、もっともだ。魔導王である俺に対してスパルタすぎるこの世界が、まったく想定していなかったであろう最大の誤算というものはある。
俺に対して激甘すぎる、相棒の存在だ。
並み居る俺の死亡フラグは、ほとんどこいつが、ひとりでぶっ飛ばしてくれているようなものだ。
もし今俺の隣で、気にしなくてもいい事でしょんぼりしてしまっている、この心優しいゴーレムがいてくれなかったとしたら――
考えるだけで、背筋が寒くなる。
その場合、俺は今までに、一体何度死んでいるんだ……?
隣に座る、大切な相棒の姿を眺めた。
彼女はまだ元気がない。
あそこまで俺がビシバシと連続でしばかれたのは、おそらく初めての経験だ。こいつのお豆腐メンタルには、相当にこたえてしまったらしい。
俺は元気のない相棒の背中を、優しくなでた。
早く元気になってくれ、ゴレ。
あと、頼むから、もう牛は呼ばないでくれよ。
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背中をなでてやるうちに、ゴレも徐々に回復してきた。
ソファでくつろぐ俺は、サービスドリンクも飲み終わり、そろそろ暇を持て余しはじめていた。
ちょうどそのとき、協会の職員らしき若い男性が一人近寄ってきた。
髪をきれいにセットした、真面目そうな男性である。
「ネマキ・ダサイ様ですね?」
「あ、はい。そうですが……」
「お迎えに上がりました。これから実技試験の会場まで御同行願います」
「実技試験、ですか?」
入会試験って、筆記試験ではなかったのか。文字が下手くそな俺としては一安心のような、何をするかわからない分、逆に不安が増したような。
どんな試験かこの人に聞いてみようか。べつに聞いても大丈夫だよな?
「あの、実技試験とは一体何をするのでしょうか。差しつかえなければ、教えていただきたいのですが……」
「ええっと、少々お待ちくださいね」
職員の男性は、手元の資料をぱらぱらとめくりはじめた。
「ダサイ様の場合は、ゴーレム使いでいらっしゃいますので……。あっ、でも今回はマディス師と支部長の役員権限による、特別推薦枠での実技試験ということですから、ええっと……」
彼は、わたわたと書類をめくっている。
この様子からすると、おそらくババアの権力濫用のゴリ押し入会のせいで、彼らは普段まったくやらないような手続きをさせられているのだろう。
本当に申し訳ない。俺は職員一同に対して、心底同情した。
書類をめくっていた彼の手が、ぴたりと止まった。
「あっ、わかりました! 特別試験官の操る軽ゴーレムと、実戦形式の試合をしていただくことになります」
「ゴーレムで試合、ですか」
要は、ゴーレム格ゲーか。
それならば、わりと合格の目がありそうだろうか。
ただ、特別試験官というのが気になる。何せ、特別だ。
俺はちらりと、相棒の最強エルフゴーレムの様子を見た。
精神ダメージから復帰しきれていないゴレは、まだ少し本調子ではないように見える。
すっかり小さく、おとなしくなってしまっている。
もしその特別試験官というのが、ギネムの上位互換みたいなやつだったら、このコンディションではちょっと危ういかもしれない。ムキムキのバーサーカー道化ゴーレム軍団が出てきたりしたら、ゴレが怪我をする前に、あきらめて素直に棄権しよう。
俺の不安げな表情に気付いたのだろう、男性職員が笑顔で説明を始めた。
「大丈夫ですよ、ご安心下さい。この試験は、ほぼ儀礼的な物なのです。特別試験官というのも、職員の中から手すきの者がお相手をするだけですから」
「えっ、そうなんですか?」
「はい。特別というのは、あくまで通常の選任手続きと違うという意味にすぎません。むしろこちらで裁量の自由が効く分、試験で手心も加えやすいです」
「なんだ、そういう事ですか……。特別なんて言うから、すごい人が出て来るんじゃないかと、無駄に怯えてしまった」
「ふふっ。申し訳ありません。おそらく本日でしたら、うちの課長あたりがお相手することになるのではないかと思います。ですから、ダサイ様もそうご心配なさる必要は……うわっ」
このとき、説明する職員さんが急によろめいた。
彼を押しのけるように、突然大勢の男達が乱入して来たのだ。
その中心にいるのは、でっぷりと太った、一人の老年の男だ。
指に大量の指輪をはめ、太い首にも大量のアクセサリーをじゃらじゃらと着けている。
「……おい! マディスの新弟子というのは、お前か?」
横柄な態度でそう言い放った男は、ふんぞり返って俺を睨みつけてきた。
何だかこのメタボ、俺に話しかけているような雰囲気である。
……だが、俺は無視した。
このアホどもに押しやられた職員のお兄さんが転びそうになったので、優しく抱き止めていたのだ。アホの相手どころではない。
「おっと、大丈夫でしたか?」
「うわわ、すみませんダサイ様。だ、大丈夫です」
お兄さんは俺の胸の中で恐縮している。
これ、俺の担当が女性職員だったら、神展開だったんだがなぁ……。
無視された肥満老人が、不機嫌そうに怒鳴りつけてきた。
「おい、さっさと返事をせんか! 最近の若いのは、礼儀も知らんらしいな」
この態度には、流石の俺もカチンときた。
「は? 無礼なのは貴様らだろうが。まずは自分達が頭を下げて名乗れ」
「なにい……!?」
俺のこの反応を予想していなかったのか、老人は一瞬、ぎょっと目を剥いた。
なぜか取り巻き達もどよめいている。
だが、肥満老人はすぐに偉そうな顔つきに戻り、荒い舌打ちをした。
「ちっ。マディスの新弟子と聞いて、このわしがみずから顔を見に来てやったというのに……。なんたる無礼な若造だ。さすがはあの山猿の弟子だな」
というか、誰だよマディスって。
俺はそんな奴知らんぞ。誰かと人違いをしているのではないか。
……ん? マディス?
その名前……。何だか以前、どこかで見たことがあるような気が……。
一体どこでだったか……。
駄目だ、思い出せない。
まぁいい。とにかく、こいつは気に入らん。親切な職員のお兄さんに乱暴をしやがって。
年長者だからといって、無条件で俺に敬意を表されると思うなよ? 年寄りは大切にする俺だが、ただ歳を食っているだけの迷惑なガキには、容赦はせんのだ。
うちのババアですら、こいつよりは礼節をわきまえている。少なくとも、ババアは叱るとき以外は、誰にも乱暴をしたりしない。
まぁ、と言っても、俺はこの通りの平和的紳士である。相手のことを個人的に気に入らないからといって、特段何をどうするというわけではないのだが……。
しいて言えば、こうして若干態度が悪くなる程度だろうか。
そんな人畜無害な俺に、職員のお兄さんが耳打ちしてきた。
「ま、まずいですよダサイ様。この方はデマラーン師といって、当協会の御重鎮でして。役員としては最古参のお一人ですし、彼の率いるデマラーン派というのは、協会内でも特に大きな派閥です。とにかく、万が一目を付けられると、ダサイ様が後々ご厄介なことに……」
奴の名はデマラーンというのか。態度だけでなく、名前まで気に入らない。
なんとなく、響きがザイレーンと似ているではないか。
まったく、異世界で名前の最後が“ーン”となっている奴は、例外なくクソだな。この情報は俺の辞書に追加しておこう。
「ふん。こんな奴、俺はべつに協会員じゃないから関係ないですよ」
「何を呑気な事をおっしゃっているのですか! ダサイ様も、今日これからご入会なさるおつもりでしょう!」
「いや、まぁ、確かに、それはそうなんですが……」
職員さんの鋭いツッコミが入ってしまった。
困った俺は、ぽりぽりと頭をかいた。
俺と職員さんのやり取りを見ていたデマラーンは、意外そうな顔をした。
「何だマディスの弟子。お前、まだ協会に入会しとらんのか」
「! ええ、そうなのですデマラーン師。ダサイ様はこの後すぐ、実技試験をお受けにならねばなりません。申し訳ありませんが、この場は一旦失礼を……」
どうもこの職員のお兄さんは、俺をデマラーン達から引き離そうとしてくれているようだ。
何てことだ、いい人すぎる……。
俺のお兄さんに対する好感度は、爆上がりした。俺がもし彼の後輩の新人OLだったなら、完全に惚れているシーンだぞ。
しかし、デマラーンのアホは、引き下がらなかった。
「何、実技試験だと?」
そう言うと、奴は職員のお兄さんが手に持っていた書類を、素早く奪い取った。体型に似合わぬ俊敏性である。
「あっ、デマラーン師、困ります……!」
お兄さんは書類を取り返そうとするも、取り巻き達に阻まれてしまった。
奪った書類をしばらく読んでいたデマラーンは、やがて顔を上げ、大げさな溜息をついた。
「はんっ、なるほどな。役員2名の特別推薦枠に実技試験を追加して、弟子を一発で上級会員にまでねじ込もうという腹か。よもやこんな絡め手を使うとは……。まったく、小賢しいあの女がやりそうな事だな」
忌々しげに憤慨の言葉を吐くデマラーン。
だが、俺はこの老年の男の反応に、いささかの違和感をおぼえた。
このとき奴は口では怒りながらも、何故かその顔に、いやらしい笑みを浮かべていたのだ。
なんだか、ちょっと嫌な予感がした。
「……おい、これを見ろ。マディスの弟子」
にたにたと笑うデマラーンが、手にした書類をこちらに見せつけてきた。
その太い指は、書類の中の一文をさしている。
「くくく、ここに書いてあるぞぉ? この“特別試験官”ってのは、役員が任命さえすれば、誰にでもなれるようだなあ……」
デマラーンはそう言うと、書類の束を乱雑に放り捨てた。
ばらばらになった紙が、床へと舞い散る。
奴は笑いながら、ロビー中に響き渡る大声で、高らかに言い放った。
「よろこべ、マディスの弟子よ! 今回はこのわしの優秀な弟子を、その特別試験官とやらに任命してやろうではないか!」




