第58話 藩都と買い物
「うおお、本当にでかい街だな……」
「この藩都は、アラヴィ藩じゃあ一番大きな都市だからね」
馬車から眺める、城壁に囲まれた巨大な都市。
相当に規模の大きな都市だ。ティバラやジビルのような田舎街の比ではない。
この都市の名は“サラヴ”という。アラヴィ藩の、藩都である。
藩都というのは、藩主の居城がある地方都市のことを指すらしい。
この国は、藩と呼ばれる沢山の地方政権で構成されている。まぁ、多分ざっくり言えば、藩は現代日本でいうところの県で、藩主が知事。でもって、ここサラヴは県庁所在地みたいなものではなかろうか。よく分からんが。
駅馬車の旅の終着点は、この、藩都サラヴだったのである。
近所の田舎街までお買い物という当初の俺の予想に反して、アラヴィ藩で一番でかい、超大都会まで来てしまった。
ゴレの体重測定をしようとした例の宿から、俺達は馬車でさらに北西へと進んできている。
宿では無理矢理体重測定をしようとしてしまったし、ゴレにはついに愛想をつかされるかもしれないと覚悟した。
……が、別にそんなことは全くなかった。
むしろゴレは、翌朝からやたらベタベタとくっついてきて、なぜか逆に友好度が上がったようですらある。すでにゴレとの友好度は、どう考えても完全にMAXに達していると思っていたのだが、一体どこまで上がっていくのだろう……。
ともあれ、相棒は本当に、清々しいほど心の広い、良いやつだったんだ。
そうこうしているうちに、巨大な外壁の門の手前で、馬車は停車した。
乗客は全員ここで降りて、壁内へは歩いて入るようだ。
俺達三人も、他の乗客に続いて下車した。
見れば門の両脇に、2体の大きなゴーレムが立っている。
「で、でかいな……」
俺は思わず息を呑んだ。
ゴーレムの前面を、分厚い盾のような黒い装甲板が覆っている。
こいつは図鑑で見たことがある。おそらく“盾ゴーレム”ってやつだろう。軍用としては最も数の多い、代表的な重ゴーレムだ。
やはり重ゴーレムは、でかい。ここからは少し距離があるから正確には分からないが、このあいだ戦ったペイズリー商会の弩ゴーレムより、さらに一回り以上大きいのではないかと思う。おそらく体高は、4・5メートルくらいあるのではないだろうか。
それに、装甲の量が全然違う。黒い盾の厚みは、完全に壁みたいなレベルだ。
比較的軽装甲で遠隔攻撃をする弩ゴーレムは、重ゴーレムとしては、むしろ異端な存在なのだ。今目の前にいるこいつらのような、重装甲・大パワー・敵は正面から突撃して粉砕、というのが、重ゴーレムのスタンダードである。
この盾ゴーレム、図鑑には「陣形を組んで突撃させれば無敵」みたいなことが書いてあったが、あの記述にも納得だ。こんな物、一体どうやって止めろっていうんだ……。
でかくて、重くて、硬くて、強そう。こうして実物の迫力をいざ目の当たりにすると、非常に男の子心をくすぐるゴーレムである。
「あれが盾ゴーレムかぁ……」
俺は、無垢な少年のごとく熱いまなざしを、盾ゴーレムに送った。
だがこのとき、俺の熱気と反比例するかのように、なぜか薄い氷のような殺気が、ぞわぞわと背後に広がっていくのを感じた。
はっとした。
……やばい。ゴレの噛みつき衝動だ。
「お、おい待てゴレ! あれは洒落にならん!」
あわててゴレの手をつかんだ。
右手をつかまれたゴレが、きょとんとした様子で見つめ返してくる。握る手にぎゅっと力を込めると、その長い耳が微かに揺れた。
殺気が、徐々に引いていく。
よ、良かった、間に合ったか……。俺はほっと胸をなでおろした。
だが、今のは危なかった。あれに噛みつくのは、マジで洒落にならない。
勝てる勝てないの問題ではないのだ。
盾ゴーレムは軍用機。そして、こんな公共の場所の警備をやっているということは、彼らの飼い主は、ほぼ100%軍隊か警察的な組織だろう。
ご近所の飼い犬である一本角に噛みつくのとは、わけがちがう。
笑って許してくれた優しいアセトゥとはちがい、公権力を襲ったら土下座ではすまない。ゴレはきっと人に噛みつく悪いわんことして保健所送りにされ、飼い主の俺は公務執行妨害で刑務所送りにされるだろう。
そして取り調べが進むうちに、俺(がゴレの暴走をセーブできなかったこと)による過去の様々な暴力沙汰の余罪が発覚し、最終的には魔導王の罪まで掘り起こされて、死刑なんてことにも……。
想像力たくましい俺がガクガクと震えていると、一人で先に進んでいたテテばあさんが、立ち止まっている俺達に気付いた。
「こらネマキ! そんな所で何油を売っているんだい。さっさとついてこないと、置いていっちまうよ」
「あ、ああ……。すまない、今行く」
返事をしつつ、ゴレの手を引いて歩き出した。
俺は事故と悲劇の発生を未然に防いだ功労者だと思うのだが、なぜばあさんに叱られているのだろうな。
とても悲しい。
一方、手を引かれるゴレは、なぜかご機嫌である。
うれしそうに、手をにぎにぎしてくる。
お前は本当に人生楽しそうだなぁ。
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外壁を抜けると、そこには大きな都市が広がっていた。
やはり建物の見た目の雰囲気は、近世以前といった印象を受ける。
だが、この規模の都市になってくると、中高層建築もわりとある様子だ。
都市の奥には、高い塔をいくつも持った、ひときわ大きな建物が見える。
あれがおそらく、藩主の居城なのだろう。
ともあれ、今回は特にお城見学ツアーの予定はない。
市街地の建物は、たまに屋根同士が橋のような構造物でつながっていたりして、何とも独特の街並みを生み出している。上に人が歩いているのが見えるから、渡り廊下的な物なのだろうか。
建築の様式自体も、ゴーレムの里のものとは大きく異なっている。
全体的に、建物がやや開放的な雰囲気だ。
これは都市と田舎の違いも当然あるのだろうが、気候が違うのも理由の一つではないかと思う。
藩都の周囲は、シドルの山麓のような鬱蒼とした森林地帯ではない。
ここは海に近い、河口に面した都市だ。土地も森よりはやや乾燥している。無理矢理に元の世界にあてはめるならば、地中海性気候って感じだろうか……?
どうもシドルのあの広大な森林は、海から吹く南風が山脈にぶつかって、森を育む大量の降雨をもたらす結果生まれたものらしい。山脈沿いを抜けてしばらくすると、大分森の勢いが衰える。
名前のわりにアラビア要素が毛ほどもないアラヴィ藩なのだが、この藩都周辺に限っていうなら、シドル山脈沿いの地域よりはアラビアン要素があるかもしれない。雰囲気レベルの差ではあるが。
周囲に目をやれば、行き交う多くの人々は活気に満ち、通りに賑やかな声が溢れている。
外壁こそごついが、閉塞した城郭都市という雰囲気ではないな。
人の行き来は活発そうだ。
そういえば、このサラヴという都市は西側を河口に面しているから、港もあるはずだ。考えてみれば、サラヴは多分、港湾都市なのだ。物流や交易もおそらく盛んだろう。
なるほど。この活気には、そういった理由もあるのかもしれない。
また、こうして人混みを歩いていると、うちみたいなペット連れの姿をたまに見かける。
ゴーレムを連れている人も、すでに2人ほど見た。
他にも、鳥を肩にのせていたり、山猫みたいな動物を連れていたり。
うおっ、今すれちがったお姉さん、長い蛇を首に巻いていたぞ……。
この様子ならば、俺達コンビも特に悪目立ちしたりはしなさそうだ。
……さて。
事前の告知どおり、テテばあさんはこの街で買い物をするつもりのようだ。
しかも何やら、でかい買い物をするらしい。
テテばあさんが今回の買い物を思い立ったのは、つい先日のことだ。
なぜ、ばあさんが急にそんな大きな買い物をする気になったのか。
その理由はずばり――急に金が出来たからである。
では、なぜ急にばあさんに金が出来たのか。
その理由は、牛である。
先日、ゴレに呼ばれて虐殺されまくった、シドル山脈のあわれな牛達。あの斜面を埋め尽くす夥しい数の死骸の山がもたらしたのは、大量の肉や毛皮だけではなかった。
実は牛の中から魔導核が出てきたのだ。
そう、猿の魔導核の次は、牛の魔導核である。
といっても、全ての牛から魔導核が出てきたわけではない。
出てきたのはおそらく、合計で4個か5個くらいだ。
あれだけ殺しまくって数頭しか魔導核が結晶化を起こしていないのだから、魔導核が貴重品あつかいされる理由が良く分かる。ほとんど100%結晶化していた大猿は、本当に特殊な例だったみたいだ。
ばあさんの話では、牛はたいした魔導を使わないので、そもそも魔導核の結晶化現象自体がやや起こりにくい部類の魔獣ではあるそうだ。また、変異体の魔獣の場合は魔導核が体内で結晶化の症状を起こしやすいらしいので、猿の場合はその関係もあるのだろう。たしかスペリア先生は大猿どものことを、土の瘴気による変異体と呼んでいたと思う。
ちなみに、その我が師であり立派な文化人でもあるスペリア先生は、俺がその存在すら知らなかった古代地竜の魔導核を研究目的で引き取る際ですら、わざわざ俺に対して了承を取ってくれている。
だが、しかし! このババアは、さも当たり前のように、牛の魔導核を全て自分の物として着服してしまった!!! なんという強欲なババアなのだろう! しかもババアは、その貴重な魔導核を、今回のショッピングで一瞬にして浪費してしまうつもりなのだ!
俺はババアの文化人レベルの低さには、もはや溜息しか出ない……。
とはいえ、俺もゴレも現在ババアのヒモ状態だからなぁ。もしも牛の大量虐殺が起こっていなければ、ババアの厚意に甘えて、家賃どころか食費すらも踏み倒していたかもしれないような始末なのだ。
流石の俺もこの地位では、何も抗議できん……。
まぁ、牛達の尊い犠牲のおかげで、今後は堂々とヒモ生活ができるようになったと考えるべきなのだろうか。それって、人としてどうなのかとは思うが。
そんなことを考えていて、ふと思った。
そういえば、魔導核というものは具体的に、どれくらいの金銭価値がある物なのだろう?
この点については、特にハゲにも聞いたことがなかった。
彼は猿の魔導核の一部を譲った俺に対して、律儀に売却益を計算して契約書を作ってくれている。あの契約書には、おそらく魔導核の値段が書いてある。
でも俺、契約書の中身をまだ読んでいないんだ。
なぜなら俺はあの時、名前の書き方を覚えておらず、契約書にサインすらしていないからだ。お人よしのハゲのことだから、きっと俺がサインを書いてぽちっと拇印を押せば、契約が発動する形にしていると思う。
本当にハゲは馬鹿だから……。
あいつはガチのアホなのである。そうやって借金の利息で破滅しかけたくせに、何も学習していないんだ。しかも、金もないくせに俺に見栄を張って。実に愚かで無能なハゲである。
契約書は封をしたまま、肩掛け鞄の中に放り込みっぱなしだ。
そういえば、俺はこんな紙きれいらんので、野宿のときに焚き火で燃やそうと思っていた。しかしティバラを出た直後、俺は毒人参にあたってしまい、錯乱したゴレが号泣ワープ騒動を起こしている。結果、それどころではなくなり、すっかり存在を忘れ去っていたのだ。
今度焼き芋でもして、そのときに燃やそう。
とまぁ、そういう事情で、俺も魔導核の値段については良く知らないのだ。
「なぁ、ばあさん。その魔導核は、一体どれくらいの価値があるんだ?」
「うーん、そうさねぇ……。大山羊の魔導核自体は、元々そこまで品質の良い物じゃあないんだよ。あいつら〈風呼び〉の魔導くらいしか使わないからね。それに、私も実物を見るのは初めてなんだ。実際に鑑定してみないことには、正直値段は良く分からんね」
「えっ、ばあさんも初めて見るのか? ご近所に棲んでいる魔獣だろうに」
というか、猿と違って質が良くないのか、牛の魔導核は……。
たしか猿の魔導核は高品質だという話だったよな。
俺も詳しくは知らないのだが、何でも高性能な戦闘用のゴーレムなどには、質の高い魔導核が必要になるとか。
「結晶化の症状を起こした魔導核にお目にかかるのは、それだけ難しいってことさ。間引きは本来10年に一度、しかも仕留めるのは若い個体ばかりを、せいぜい40頭かそこらだ。……危険なわりに見返りが少ないのさ、大山羊狩りってのは」
間引きか。そういえばアセトゥもそんな事を言っていたな。たしか前回の間引きが、6年前だとか何とか。
うちのゴレのような、ストレスを溜めただけで牛の虐殺をはじめてしまう狂暴な相棒がいなくても、普通の平和な里の人々でも出来る、安全な牛の倒し方があるのだろうか。
「その間引きってのは、一体どうやるんだ? あいつら仲間を呼ぶから危ないんじゃないのか? 俺の場合は、その、ゴレがいたから何とかなったが……」
さすがに全てがゴレのマッチポンプだったとは、口が裂けても言えん。
名前を呼ばれたゴレが耳を微かに動かしながら、うれしそうに肩越しに顔をのぞかせてきた。自分の名前にすぐ反応するこういう仕草を見ていると、やはりゴーレムは犬だなぁとしみじみ思う。
俺はゴレの頭を引き寄せ、なでなでした。頬と頬がひっつきそうだ。
そんな模範的飼い主の俺とゴレの姿を横目で見たテテばあさんは、何故かあきれたような溜息をついた。
溜息を吐き終えたばあさんは、伝統的な間引きについて語りはじめた。
「大山羊の間引きはね、シドルの山の村々が総出で行う。やつらの縄張りの外の無人地帯に崖があるんだが、そこに結界を張って、何週間もかけて1頭ずつ大山羊を誘い込むんだ。そうして、〈風呼び〉の魔導を使われる前に、崖上から大勢で一斉に仕留めるのさ」
「おお、なんだか派手なお祭りみたいだな」
「手痛い出費をともなう祭りだがね。確実に仕留めるためには、腕の良い魔術師を外部から大勢雇わなけりゃならない。舌肉や毛皮の代金も、それで全て吹っ飛んじまう」
たしかに人手がいるだろうな。あの牛はタフだ。
この世界の魔術は射程が短いだけで、むしろ威力自体はかなり高い。それでも絶叫される前に殺すとなると、物凄く骨が折れると思う。
以前戦ったギネム・バリの手下の魔術師達が、全員でバカスカと火魔術を撃ちまくったとしても、即死させるのは多分無理だ。間引きのときには、本当に多くの魔術師を雇うのだろう。
「そこまで準備して間引きに臨んでも、昔は毎回死人が出ていたそうだよ。今でこそ、うちの里がゴーレムを従えて参加するから、上手くいっているがね」
「間引きって、そこまで危険な行為だったのか。なるほど、そりゃたしかに割に合わないなぁ。……命は大切だ」
「まぁねえ。だが、たとえ危険でも、そうして頭数を定期的に調整しておかないと、縄張りから溢れた個体が麓近くまで降りてきちまうからね。そうなりゃあ、被害はそんなものでは済まない」
「この世界、いや、この地方では、野生動物と共存するのも大変だな……」
「…………。私もまさかあそこまで大山羊が増えているなんて、思いもよらなかったからね。慣例の間引きに参加するだけで、それ以外の対策なんて、まるで取っていなかった。迂闊だったよ」
何やら思案顔のテテばあさんだったが、すぐに、牛の魔導核が入った皮袋をかかげて、にたりと笑った。
「ま、何にせよだ。質が悪かろうが何だろうが、魔導核がこれだけまとまった個数揃っているんだ。確実に一財産にはなるねえ」
牛の魔導核を見て邪悪に笑うテテばあさんは、完全に欲に憑りつかれた金の亡者の目をしていた。
まったく、人間こうはなりたくないものだ。
それにこのばあさん、牛のことをずっと山羊、山羊と言っているんだよなぁ。
まぁ、この世界では牛は家畜としてメジャーではないみたいだ。それも仕方がない事なのかもしれないが……。
それでも、冷静な判断力あれば、あんなでかい山羊が存在するはずがないことくらい、すぐに気づきそうなものだ。案外このばあさんは、急に大金が入ったせいで欲に目がくらんでしまい、判断力を失っているのかもしれん。
山羊というのは、元々険しい地形に強く、厳しい環境での粗食に耐える動物なんだ。したがって、あんな風に無駄にサイズがでかくなったりはしない。
ばあさんよ。あの動物はどう見ても、アフリカスイギュウの突然変異という理屈でしか説明できない、見紛うことなき牛だっただろうが。
裏庭で山羊を飼っているくせに、そんなことも分からんとは……。
かつて俺は、猿がゴブリンであるということは、一応素直に受け入れている。
だが、あれは相手が博学で文化人レベルの高い、スペリア先生だったからに他ならない。金で錯乱状態になっている野蛮な暴力ババアの妄言などに、俺はたいして重きを置いていない。冷静な俺の判断の方がきっと正しい。
とはいえ、今の冷静でないばあさんに、常識的な俺の言葉は届かないだろう。
俺は、深い溜息をついた。
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ばあさんの目的地である店へは、わりとすぐに到着した。
外壁の門からほど近い、繁華街のような区画にある一軒の店だ。
“エディーロ魔道具店”
看板には、そう書いてある。どうやら魔道具屋のようだ。
さすが藩都サラヴの店というべきか、三階建てで、ハゲの店よりでかい。ハゲショップも、規模的にはわりと立派な店だったのだが……。
ご存知の通り、魔導核の買い取りは、魔道具屋が行う業務の一つだ。
おそらくテテばあさんは、牛の魔導核をこの店で売却して、現金に換えるつもりなのだろう。
俺達三人は、連れ立って店の中へ入った。
「いらっしゃいませ……おや、先生ではないですか! 藩都にいらしていたのですか。お珍しいですな」
ダンディなご店主が、俺達を迎え入れてくれた。
すらっとした長身の、まさに紳士って感じの人物だ。
かっこいい髭を生やした、ナイスミドルである。
もはやこの時点で、ハゲショップの勝ち目は完全に消滅した。
店主の紳士度だけで、天と地ほどの開きがある。
しかもハゲの貧相で中途半端なチョビひげが、この紳士のダンディで立派なおヒゲと被ってしまっている。このキャラ被りは致命的だ。もはや何もかも、勝てる要素が見当たらない。
「久しぶりだね、エディーロ。今日は魔導核の査定をお願いしたいのと……。あと、先月起きた崖崩れで、メセルの鉱石が少し出土したからね。こっちの買い取りも頼むよ」
テテばあさんはそう言うと、店のカウンターにいくつかの袋をごとりと置いた。
どうやら牛の魔導核以外にも、ついでに色々と売り払うつもりみたいだ。
「ほう、魔導核に緑青鉱ですか。えらく景気がよろしいみたいですな」
「どっちもたまたま出ただけさ。どうせ藩都まで出て来るなら、行商人に売っちまうよりも、あんたのところで査定してもらった方が良い値がつくからね」
「幸甚の至りです」
髭ダンディは、にっこりと微笑んだ。
どうも、この御店主とテテばあさんは知り合いの様子だ。
ばあさんは田舎の隠居生活者のわりに、意外と顔が広いのだろうか。
「……それでだ。今回はこいつらを売った代金で、“記録石板”を買わせてもらおうかと思っているんだよ」
「それはそれは。記録石板なら、ちょうど先週、質の良い物が何柱か入ったところですよ。先生は上得意様ですから、もちろんお勉強させていただきます」
なるほど、そいつが今回のショッピングの目的か。
それにしても、記録石板……?
初めて聞く名前の魔道具だ。
このとき、髭ダンディの興味が俺へと向けられた。
「ところで、そちらの若い御方は初めてお目にかかりますが、先生の新しいお弟子さんでしょうか?」
「まぁ、そんなところだね。見ての通り聖堂ゴーレム使いだが……こいつはなかなか使うよ。今日持ってきた魔導核も、全部こいつが一人で狩ったもんさ」
「……っ!? それは何とも、凄まじいですな……! ううむ、さすが先生のお弟子さんともなると、やはり、まるでモノが違うようだ……」
いや、だから俺はばあさんの弟子ではないのだが。
でも否定したら、杖でぶっ叩かれるんだろうなぁ。
そうすると心配して悲しんだゴレが、また牛を呼んでしまう。
不味いよなぁ。牛の間引きというのは本来、10年に一度しか行ってはいけない、とても危険な行為なのに。
はぁ……。仕方がない。
「初めまして、ネマキ・ダサイと言います。よろしくお願いします、御店主」
俺は否定も肯定もせず、努めてにこやかな笑顔を作った。
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その後、テテばあさんと御店主は、店奥のカウンターで買い取り等の交渉をはじめた。
特にやることもない俺は、ゴレとふたりで店の商品を色々と見ていた。
とはいえ、ゴレは魔道具ではなく、魔道具にはしゃぐ俺の顔しか見ていないような気もするが……。その辺りは、まぁ、微弱な誤差の範囲内だろう。
「何やら、でかい魔道具がけっこうあるな……」
この店は本当に品ぞろえが豊富だ。
ハゲの店にはほとんど残っていなかった、中・大型の魔道具も置いてある。
何に使うのか知らないが、グランドピアノくらいのサイズのやつまである。
なるほど。ハゲショップの売り場面積がやたら広かったのって、おそらく本来はこの手の大きな商品を置くためなのだろうな。
賑やかな棚の上にも、色とりどりの小型魔道具が並べられていた。
いくつか手に取って眺めてみた。
もちろん、土属性の魔道具を触ったりはしない。爆発するからな。
一部の魔道具は、俺にとっては爆弾と同義の危険物だ。
といっても、実際はそう心配することはないんだ。魔道具というのは、だいたい色で属性が分かるようになっている。要するに、土色の魔道具さえ避けていれば問題ない。俺の肩掛け鞄のような、複数の魔術を再現している例外もあるのだが、そもそも魔力を込めたりさえしなければ、別に爆発なんてしないわけだし。
それに……。
悲しいかな、土色の魔道具なんて物は、ほとんど店に置いていないんだ。
まぁなぁ。たしかに土魔術には、魔道具を使ってまで再現するようなものなんてない。俺が神魔術だと思っていた簡易トイレ生成の魔術ですら、この世界の人達にはえらく不評だった。
ハゲショップで大量に売れ残っていた例の土色のサイコロも、少なくとも店頭には置いていない。
髭ダンディはハゲとは違って、先見の明があるみたいである。
そんな風に品揃えが違っても、やはり定番の商品というものはあるようだ。
俺は商品棚から、水色の棒きれをひょいと持ち上げた。
おなじみの“水滴杖”だ。少量の水を生成してくれる、携帯可能な小型の魔道具だな。俺も旅行中などは、世話になっている。
実はこれ、結構な値段がするのだ。
お、この店にはきちんと値札があるようだ。ハゲの店にはなかったが。
値札をぺらっと確認した。この水滴杖の値段は――
「……金貨1枚と、銀貨30枚か」
見てくれ。こいつを数本購入しただけで、俺の全所持金である金貨5枚程度など、あっさりとぶっ飛んでしまう。
俺が現在所持している現金は、正確には金貨5、銀貨8、銅貨80というところだ。あとは小銭である、銭貨のみ。
銅貨80というのは、実際に銅貨を80枚もじゃらじゃらと持っているわけではない。大銅貨という硬貨が銅貨10枚と等価なので、大部分がそいつでまとまっている。大銅貨のような硬貨は、他にも数種類存在している。
とはいえ、金額を数える単位は、“金・銀・銅”のみだから、物の値段を考えるときには、あまり関係ない。
買い物時の支払い感覚としては、この大銅貨が千円札みたいな感じだ。
でもって、銅貨が百円玉、銀貨が一万円札ってところか。
この感覚が実際に正解なのかは、良く分からないが……。
金貨はまだ使用したことがない。
何せ金貨には、銀貨の50倍もの価値がある。先ほどの例えでいうならば、五十万円札だ。日常の買い物で、おいそれと使うような硬貨ではないんだ。
ここまで成り行きで常にヒモ生活者になっている俺は、ずっとハゲやばあさんに食わせてもらっていて、ぶっちゃけ、金は全然使っていない。買い食いをしてみたり、装備品や地図などを買ったりして、多少目減りしている程度だ。
俺の資産は、後は値段も良く分からん猿の魔導核とか、使ったら罰されるセルヴェ藩札みたいな物しかない。
あ、そうだ。そういえば古代地竜の胃石文鎮もあるな。ガラクタすぎて、資産としての存在価値を完全に忘れていた。
ろくでもない使えんオモチャばかりだな、俺の鞄の中身は。
……それにしても、だ。水滴杖が、金貨1枚と銀貨30枚である。
先ほどのレートを参考にするならば、これは日本円換算で80万円くらいに匹敵する金額だ。
この計算の正確性は置いておくとしても、間違いなく相当の額である。
このちっぽけな棒きれ1本でだ。
おまけにこの水滴杖が再現するのは、最初の入門魔術である〈水滴生成〉。おそらく最も安い部類の魔道具だと考えていいと思う。
見たところ、この店の他の魔道具も、だいたい金貨数枚くらいが相場だ。
魔道具ってのは、とんだ高級家電なのだ。
そして、こんな風に商品棚に無防備に陳列されている、小さくて高価な魔道具達。これもある種の認識トラップだ。俺が魔道具の価値を、当初低く見積もってしまっていた原因の一つでもある。
実は、魔道具屋のセキュリティというのは相当に厳しい。店舗自体がある種の防犯魔道具なのだ。もし俺がこの水滴杖を1本ローブに隠して持ち出しただけで、おそらく一発で即バレる。
当然、バレれば速攻で警備が来る。この店にも、おしゃれな警備員が数人控えている。あのハゲショップですら、雇いの警備員こそいないが、本来は警備会社との契約を行っていたのだ。もちろん、金がない上に守るべき商品もないので、俺と出会った時点では契約を打ち切っていたようだが……。
――要するに、魔道具絡みは、でかい金が動く。
ペイズリー商会が、ハゲに対して執拗に食いついていたのはそのせいなのだ。
あいつらは狙い撃ちにする業種の人間を、おそらくはいくつかの罠のテンプレートを用意した上で、あらかじめ確定している。
要するに、ハゲ一家は、ある意味で最初から狙われていたといえる。借金の話を持ちかけてきたのも、ペイズリー商会の方からだったそうだ。奥さんとテルゥちゃんの病気は、奴らにとってまさに格好の材料だったのだ。
そのペイズリー商会なのだが……。
サディ藩の支店が潰れただけで、まだ各地に残っているんだよな。
ハゲ達のことはもう安心としても、正直あの商会の奴らに対しては、個人的にあまり良い心持ちがしていないのは事実だ。
とはいっても、俺の心の奥に燻り始めている多少の憎しみと苛立ちにまかせて、ペイズリーのクソ社長にゴレを巡航ミサイルのように発射して、葬り去ってしまうことなどは当然できない。
そんなことをすれば、俺の方が間違いなく違法な極悪犯罪者だ……。
俺は水滴杖を棚に戻し、再び顔を上げた。
テテばあさんと髭ダンディは、奥のカウンター付近でまだ話している。
どうやら牛の魔導核の売却は、すでに終了しているらしい。今は買い物の目的である、商品の魔道具の方を見ているようだ。
たしか記録石板、とか言っていたか。どんな魔道具なのだろう?
俺も話の内容を聞いてみようかと、二人の方へ歩み寄ろうとした。
その途中でふと、店奥の大きなショーケースが目に入った。
ケースには、何やら見覚えのある、水色の小振りな懐中電灯みたいな魔道具が陳列されている。
おっ、こいつは知っているぞ。初級の治癒魔術が使える魔道具だな。
たしか“治癒規”という名前だ。
こいつなら、俺もハゲから1個もらっている。
ま、ハゲの場合は店の在庫なんぞないから、あいつがいつも鞄に入れて肌身離さず持っていた、要はお下がりの品だが。
旅で怪我をしないか心配だから持っていけと、あまりにしつこいので貰っておいた。
ご存知の通り、あいつはあきらめを知らないしつこいハゲだから。
そういえば、この懐中電灯はいくらぐらいの値段なのだろう?
つっても、ハゲの説明だと、こいつは大量生産の安物魔道具らしいがな。
俺は何気なく値札を見た。
えーと、金貨一・十……。
金貨1,040枚……。
「はあああああああああ~~~~?????」
俺は思わず声を上げた。
「馬鹿たれ! うるっさいよネマキ!」
ばあさんに怒鳴られた。
いや、金貨1,040枚って何だよ? 意味が分からんぞ?
まて、そもそも金貨1,040枚って、日本円でどのくらいの価値なのだ。
さきほどの計算式そのままで、金貨1枚を50万円だと仮定すると。
500,000×1,040で、つまり――
ご、五億にせんまん……。
うぷっ、金額が大きすぎて吐き気と目まいが……。
ハ、ハゲのやつは、一体何を考えてこんな物を俺に渡したんだ??
治癒規は、ペイズリー商会からふんだくった慰謝料の代わりとして、俺がハゲから受け取った魔道具のうちの一つだ。
たしかあの慰謝料は、お爺さんが受け取った分をあわせた総額でも、金貨400枚程度だったはずだ。俺が受け取りを拒否したことで綺麗に二人で山分けとなったが、それでも結果的にハゲの取り分は金貨200枚程度にすぎない。
なのに、金貨1,040枚もの価値のある魔道具を俺によこしたのか?
これ、ハゲは完全に超大赤字じゃねえか!
一体何を考えているんだ、あのアホは!
治癒規の入ったショーケースの前で硬直する俺。
その姿に目ざとく気付いた髭ダンディの御店主が、俺のそばまで、すすっと近寄ってきた。
「おや、お目が高いですな、ネマキ様。それは治癒規ですね。治癒魔術を再現する魔道具は非常に希少ですからな……。ふふふ、こいつは我が店の目玉商品の一つですよ」
セールストークを炸裂させながら、ダンディがぐいぐいと寄ってくる。
ダンディよ、顔が近いのだが。
「……治癒の魔道具というのは、珍しいのですか?」
「ええ。まったく流通しておりませんからな。たとえ藩都中を探し回っても、見つけることは不可能でしょう。それに本来なら、いくらお金を積んだとしても手に入らない品です。うちで入手できたのも、ほとんど偶然が重なった結果でして」
そこまで言うとダンディは、にっこりと笑った。
「当然、在庫はこの1点のみです。早いもの勝ちですな」
何という事だ。超高額な上に超希少品じゃねえか。
マジで馬鹿なのか、あのハゲは……。
俺はてっきり、この世界の安物の救急セットみたいな物だと思っていたぞ。
っていうか、どういう事なんだハゲ!? お前、これは安物だと言っていたじゃないか!
お前のとびっきりの秘蔵の魔道具は、風の膜を作ってキャンプのときに温かく安眠できるやつで、それにしたって金貨10枚分程度の価値だと言っていたじゃないか!
――はっ! そうか、あのクソハゲええええ! 俺の知識が幼稚園児以下と知っていて、ハメやがったなああああ!!!
内心狼狽しまくっている俺に、ダンディはさらに言葉を続けた。
「まぁ、こんな物が大量に出回ってしまっては、治癒魔術師なんかは、それこそ完全に飯の食い上げですからなぁ」
「…………!」
言葉に詰まった。
こんな単純なことを見落としていたとは……。
確かに考えてみれば、治癒の魔道具が高額になるのは当たり前だ。
この世界の治癒魔術は強力だ。しかも、誰もが使えるってわけではない。治癒魔術師が金を取って施術を行なっている事は、俺も知っていた。この魔道具は、そんな専門家の仕事を、誰もが即行えるようにしてしまう代物だ。
あまりにも利便性が高い。
ハゲが治癒規を常に肌身離さず隠し持っていたのは、おそらく救急セット感覚で持ち歩いていたわけじゃない。あいつにとって、治癒規は本当に本当の、最後の隠し玉だったのだ。
そんな物を、なぜ俺に……。
旅立ちの当日、まるで子供に弁当箱でも持たせるように、俺の鞄に治癒規を突っ込んでいたハゲ。あのときの、小汚い笑顔が脳裏をよぎった。
…………。
まったく、あいつは本当に……。
「……いかがでしょう、ネマキ様? お値段も悪くはないかと思いますが。実にお買い得ですよ、この治癒規は」
ダンディよ。貴方は俺のことを、一体何だと思っているのだ?
この懐中電灯、5億だぞ。5億。
そんな炊飯器でも勧めるみたいに、さらっと言わないでくれ。
お髭のダンディはにこやかに笑っている。
その立派な紳士髭を見て、俺はハゲの半端なチョビひげを思い出していた。
ダンディは確かにハゲよりかっこいいし、きっと商才もある。
見るからに紳士だし、絶対超金持ちだし。
第一、ハゲが最後の隠し玉にして必死に隠していた治癒規ですら、ダンディはこうして手に入れて売りに出している。もはや完敗だ。無条件降伏だ。
小汚くて泣き虫で金もないハゲには、何一つ、1ミリも勝てる要素がない。
まったく、うちのハゲは、本当にしょうもないハゲなんだ。
「ははは。これはちょっと立派すぎて、俺みたいな駆け出しには過ぎた道具ですよ。金もないですし……」
正月にはティバラに帰省して、ハゲには絶対に文句を言おう。
俺は心に誓った。