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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第5章 ゴーレムの里
55/107

第54話 シドル山脈と猛牛 -後編-


 

「何だか、えらくでかい牛だな……」

 斜面に立っていたのは、一頭の巨大な牛だった。

 そういえば、この世界にも牛は存在するんだったな。つい先日、ゴレと内緒のおしゃべりをしたことで判明したばかりの事実だ。


 ウシ。すなわち英語でいうと、cattleだ。

 この動物は、乳・肉・肥料、そして、農耕用や牽引用の貴重な動力として、様々な面で人間に役立ってきた。

 彼らは、人と共に長い歴史を歩んできた生き物である。一説によれば、石器時代の頃から牧畜化されていたとか何とか……。

 牧場などで実際に見るとわかるのだが、牛は目がくりくりしていて、意外と可愛い。特に赤ちゃん牛などは、超可愛いぞ? それに人懐っこい。思わず家に連れて帰りたくなるくらいだ。まぁ、うちには飼うスペースが無いが……。

 俺はそんな、のんびりとした大きな瞳の動物が、嫌いではなかった。


 とはいえ、この世界の牛は、あまりのんびりとした印象ではない。目はくりくりしているどころか、血走ってギョロギョロ動いている。鼻息も荒く、なかなか気が強そうである。

 何より、体躯が尋常でなく巨大だ。非常に威風堂々としている。

 肩高だけで4メートル以上はあるかもしれん。

 以前サディ藩で見たこの世界の鹿は、肩高が2メートル前後だったように記憶している。あれよりも、はるかにでかい。

 数字だけでは具体的な大きさが想像しにくいかもしれないが、肩高4メートルというと、これは並の象なんかよりも巨大だ。元の世界基準の陸生哺乳類として考えれば、規格外のサイズであることが分かると思う。俺が必死に両手を挙げても、やや脚の短めなこの牛の腹に手が届かないかもしれない、と言えば、どれほどの大きさか想像しやすいだろうか。

 そして、こいつは図体もでかいが、鋭くとがった角も超巨大だ。長くてぶっとい。軽ゴーレムの装甲くらいなら、余裕で串刺しにできるかもしれない。

 4本の脚も丸太を束ねたように太く、首や肩は、ぼこぼこと凄まじく盛り上った鎧のような筋肉に覆われている。

 先にも述べたが、鼻息が非常に荒いな。ここまで音が聞こえてくる。口吻からはだらだらと涎を垂らしており、やたらと長い舌が、でろりと口の外にはみ出ていた。

 ……人によっては、グロテスクで気持ちが悪いと思うのかもしれない。


 だが俺は、そんなうわべだけのつまらない人間の価値観で、動物を判断したりはしない。

 だってそこにあるのは、力強さに溢れた、尊い生命(いのち)の姿だけなのだから。


「なぁゴレ、見てみろよ。牛だぞっ!」

 俺は笑顔で隣のゴレに話しかけた。

 ゴレは少し牛の方に目線を投げてくれるが、またすぐに戻してしまう。

 笑っている俺の顔ばかり見ている。

 そういえば、猿や鹿のときもこんな感じだったな……。

 俺は動物が大好きだから、ゴレにも動物を好きになって欲しいのだが。


 それにしても、見れば見るほどに立派な牛である。

 本当に逞しくて、見るからに強そうな生き物だ。元の世界では、こんなにも巨大な動物には、まずお目にかかれないだろう。

 俺は深い感動に打ち震えた。


「はぁ……。何というか……。惚れ惚れするなぁ」


 俺は恋する乙女のような熱い溜息を吐きながら、うっとりと呟いた。

 おや? 気づくと、いつの間にか、牛の真横にゴレが立っている。

 何であんな所にいるんだ、ゴレのやつ。

 ついさっきまで、たしかに俺の隣にいたと思うのだが……?

 俺が訝しんだ、次の瞬間――


 ゴレが牛の胴体めがけて、殺意の掌底突きをぶっ放した。


 高速で突き出された(てのひら)の一撃は、牛の横腹にもろに直撃した。

 鎧のように分厚い筋肉も、硬そうな皮膚も、ゴレの超攻撃力の前には、残念ながらまるで意味を成さなかった。

 牛の左横腹から打ち込まれた衝撃は胴を貫き、反対側の右脇腹まで突き破って、大量の血と臓物を周囲にぶちまけた。

 鮮血のシャワーと断末魔の悲鳴をまき散らしながら、巨牛は大地に倒れた。

 穏やかな緑の大自然が、噴き出す血で真っ赤に染め上げられていく。


「う、うわああああ!!! 牛いいいいいいっ!!?」

 ゴレ! お前、なんという酷いことを!

 涙目になった俺は、ゴレに対して抗議の声を上げようとした。

 だがその声は、牛の断末魔の悲鳴にかき消されてしまった。

 凄まじい悲鳴だ。

 

 そうなのだ。今回、ゴレは牛を即死させていない。

 ゴレはご存知のとおり、普段本能のままに敵を殺すときには、だいたい頭を潰そうとすることが多い。それに、俺が手加減をさせた場合を除けば、初撃を受けた後に敵が呼吸をしているケース自体が非常にレアだ。

 でも、実はたまに、こんな風に即死させずに、まるで遊ぶみたいに嬲って殺すときがある。


 それは、新技を試したいときか……強いストレスが溜まっているときだ。


 たとえば、手刀を覚えたての頃には、ゴレはのたうちまわる猿の手足を何度も切断して、一生けんめい技の練習をしていた。

 また、以前俺がスペリア先生と同行していて、ゴレに抱っこされて寝るのを拒否したことがある。あの翌日の朝なども壮絶だった。あの日最初に襲いかかって来た猿達は、ゴレのストレス発散のためだけに、さんざん酷いやり方で滅茶苦茶な嬲り殺しの目にあっている。

 その光景に、俺とスペリア先生は、仲良く二人でドン引きした。


 今回ゴレが使った掌底突き自体は、何度か見たことのある技だ。新技を練習しているというわけではないと思う。

 ……つまり、今回の原因はおそらくストレスだ。

 やはり俺がババアに叩かれていることが原因なのだろうか?

 でも、それにしたって妙な気はする。

 俺はもう、里に来た初日や二日目ほどには、ババアに派手にポコポコ叩かれているわけではないのだ。今朝だって、軽く1回小突かれた程度だ。俺が木魚みたいにポクポク叩かれて、ゴレが心配のあまりチワワみたいにぶるぶると震えて弱っていたころと比べれば、随分とストレスは軽減されていると思うのだが。

 とはいえ、他にゴレが破壊衝動を抑えきれなくなるほど強い葛藤とストレスを溜めこんでしまうような出来事が、現在進行形で何か起こっているだろうか?

 別段たいしたトラブルもなく、アセトゥやばあさんと平和に過ごしている、自然の中での田舎スローライフって感じの、このゴーレムの里でか?

 うーん。

 ゴレの激しいストレスの原因など、思い当たる節もないが……。

 実に不可解なことだ。


「グオオオオオオオオオオオオッ」


 ひときわ大きな牛の絶叫で、俺の思考は中断された。

 本当に凄い絶叫だ。腹をぶち抜かれたこの牛の命は、そう長くないはず。にもかかわらず、叫び声は弱まるどころか、どんどん強くなってきている気がする。

 空気が震え、山肌に悲痛な声が轟き渡る。


「……? 何だかこいつの声、少しおかしな感じが……」


 冷静に聞いてみると、この牛の絶叫、音量自体はそこまで大きくないのだ。

 なのに、やたらと叫び声が反響しているというか……。ただのでかい声ではない。単純な空気の振動というよりも、まるで悲鳴自体が風となって、遠くまでうねりながら拡散していくかのようだ。

 叫び声と共鳴するかのように、遠くの木々が激しく揺れ動いている。

 あきらかに尋常の現象ではない。

 そういえば風魔術の中には、遠距離に声を届かせるこんな感じの術があると、『魔術入門Ⅰ』で読んだ記憶が――


 俺が耳をふさいで顔をしかめているのに気付いたゴレが、わたわたと慌てたように牛の頭を踏みつけた。

 ゴレの超パワーで踏み砕かれた牛の巨大な頭蓋から、周囲に脳漿が飛び散る。

 巨牛はあっけなく絶命した。

 断末魔は途絶え、一帯に再び静寂が訪れる。


 このとき、何か気配を感じたような気がして、俺は山頂の方角を仰いだ。

 斜面に、何かがいる。


 大量の、牛だ。


 1頭、2頭……。えっと、全部で6頭、いるな。

 牛軍団は、山頂の方向から、こちらに向かってゆったりと歩いてくる。

 歩み自体はゆっくりだ。だが、全身から猛烈な怒気が噴き出ている。

 一方、ゴレも悠然と牛軍団に向かって歩いて行く。

 なるほど。牛が山頂の一方向からしか来ないこの位置取りだと、多対一でも包囲されていない。心配性のゴレでも、俺から離れて好きに動けるというわけか。

 いや待て。そんなことに感心している場合ではない。

 

 ゴレと牛軍団。対峙する両者の間の緊張は膨れ上がり、そして今、まさに臨界に達しようとしていた。

 瞬間――ゴレが牛の群れに向かって、弾丸のように突進を開始した。

 呼応するように、牛の群れも角を振りかざし、雪崩をうって突進を始める。

 

 今まさに激突せんとする、白い影と巨牛の津波。

 先頭の牛との接触の瞬間、ゴレは片足を振り上げ、飛鳥の如く舞い上がった。

 バレリーナのようにしなやかな動きで、白く美しい太ももが露わになる。

 そう。この技は、ゴレお得意のあの技だ。


 巨牛の脳天に、天使のように美しい、死神のかかと落としが振り下ろされた。


 かかと落としの直撃を食らった牛の頭蓋は垂直に陥没し、瞬間的に押し出された血と脳漿が滝のように真下に噴出した。

 頭部を失った小山のように巨大な牛が、どうと音を立てて大地に斃れた。


 後は、一方的な殺戮であった。

 ゴレが華麗に舞い上がる度に、牛の脳漿が飛び散る。

 彼女は残り5頭の牛のうちの4頭を、すべてかかと落とし一発ずつで、きっちりあの世へと旅立たせた。

 かかと落としが決まる度に、ちらちらとこちらを振り返ってくる。

 ああ、分かっている。ほめて欲しいんだよな?

 でもな、まだあと1頭残っているぞ。


 しかし、ゴレは最後の1頭には、かかと落としを決めなかった。

 牛の胴の下に潜り込み、両腕から同時に繰り出した手刀で、前脚2本を一気に切断。そのままバランスを崩した牛の後方に瞬時に抜け出て、背後から流れるようなまわし蹴りで牛の後脚2本を付け根から破壊した。

 一瞬で4本の脚を全て失った巨牛が、轟音と共に地面に転倒する。


「グモオオオオオオオオオオオオオッ」


 山脈に、凄まじい絶叫が響いた。

 まるで誰かに助けを求めるような悲しげな叫び声が、シドルの山を震わせる。

「お、おい馬鹿! ゴレ、早くとどめをさせっ! でないと多分また――」

 必死に注意を呼びかけようとした。

 しかし、その声は牛の絶叫にかき消されてしまった。


 斜面の上に、牛軍団が現れた。


 1頭、2頭、3頭……。えっと、今度は、7頭いるな。

「これ、エンドレスじゃねえか……」

 俺は唸り声を上げながら、頭を抱えた。

 両手足を返り血に染めたゴレが、拭いもせずに牛に向かって突進を始めた。


 その瞳は、まるで血に酔ったかのように、ギラギラと紅く輝いていた。



------



 その後も、ゴレは牛を半殺しにして、絶叫を繰り返させた。

 まるで、撒き餌のように。

 そして集まる牛達を、かかと落としで屠り続けた。

 撒き餌用の半殺しにする牛以外には、ゴレは執拗にかかと落とししか使わなかった。

 どの牛も、どの牛も。平等にかかと落としで瞬殺した。

 かかと落とし。

 かかと落とし。

 半殺し。

 そしてまた、かかと落とし……。

 このローテーションが延々と繰り返された。

 頭の潰れた牛の死骸が、みるみる斜面を埋め尽くしていき、次第に岩肌が見えなくなっていった。


 このとき、ちらっと何かを期待するようなゴレと、一瞬目が合った。


 ここで俺はピンと来た。

 いや、気付くのが遅すぎたかもしれない。

 そうか。まさかゴレのやつ――

 俺はすぐさま、ゴレにむかって声を張り上げた。


「ゴレ! じょうずだな! おりこうだな! かかと落とし、すごく綺麗だな!」


 本当に必死に叫んだ。

 平和を願う俺の悲痛な叫び声が、シドルの山に響き渡る。

 ゴレの長い耳が、ぴくぴくと動いた。

 彼女はずっと待ちわびていたように、潤んだ瞳をぱあっと輝かせながら振り返った。


 ――こうしてシドル山脈の大量殺戮劇は、ようやく終了したのである。



------



「む、むごい……。この山脈の牛、絶滅したんじゃないか、これ……」

 俺は茫然と呟いた。

 山肌を埋め尽くす、おびただしい数の巨大な牛の死骸。

 死骸から溢れる臓物と血で、斜面は真っ赤に染まっていた。


 流石にそばまで寄ると、むせかえるような血と臓物の臭いだ。しかし、俺はゴレとの猿ツアー中に日常的に繰り返された彼女の虐殺行為で、この手の光景にはすっかり耐性がついてしまっている。

 ゴレが俺と行動を共にすることで白骨死体耐性がついたように、俺もゴレと行動を共にすることで血と臓物耐性がついてしまったのだ。

 嫌な耐性である……。


 巨大な牛の死骸の前に立った。

 こうして間近で見ると、本当にでかい。並の生物のサイズではない。

「おそらく、こいつらがテテばあさんの言っていた魔獣だったんだろうな……」

 牛の屍を眺めていると、ゴレがうれしそうにすり寄ってきた。

 家の外で元気いっぱいに遊んだから、テンションが高くなっているな。こういう様子を見ると、ゴーレムはやはり完全に犬なのだと実感する。


 俺はすり寄ってくるゴレをなでてやりながら、この牛達について考えていた。

 おそらく先ほどの牛達の連鎖反応は、牛が死に際に発する絶叫により引き起こされたものなのだろう。

 というか、状況的に見て、それ以外には考えられない。シドル山脈の牛は、断末魔の悲鳴によって、仲間の牛を呼び寄せるのだ。

 そして、あの断末魔の悲鳴は、あきらかに普通の音声ではなかった。

 その正体はおそらく風属性魔術――いや、風属性“魔導”なのだろう。絶叫が魔導なのだと仮定すれば、この牛達は、定義上間違いなく魔獣に該当する。

 

 この死んでいる牛達が、ばあさんの言っていたように“ヤバい魔獣”であることは、戦闘を分析していて分かった。

 この牛はただのザコ牛ではない。こいつらの実態は、この一方的な虐殺劇の表層で見えている部分よりも、かなり危険だ。

 

 ゴレの場合は、先制の一撃であっさり牛を殺している。だが、おそらく普通の魔術師やゴーレムだと、あの全身を分厚い筋肉と皮の鎧で覆われた巨牛は、威力が足りなくて一撃では殺しきれないと思う。ゴレに腹を完全にぶち抜かれても息があったように、牛は生命力自体もかなり高い。

 少なくとも、俺達が戦った軽ゴーレムの中で最も攻撃力の高い機体である聖堂ゴーレムでも、1発や2発で即死させるのは無理と見た。図鑑の記述を参考にするなら、聖堂ゴーレムは、全軽ゴーレム中でもかなり高い水準の攻撃力を誇る。ってことは、軽ゴーレムの場合は、ほぼ確実に牛を仕留め損ねるってことだ。

 そして、最初の一頭を一撃で仕留めきれなかった時点で、ほとんどの場合は運命が確定してしまうのだ。

 一撃で殺しきれなかった牛は、新手を呼ぶからだ。

 おそらく一度の絶叫で呼び寄せられるのは5~8頭。この頭数は、ほぼ固定のようだった。やたらに悲鳴を放っているのではなくて、自由にベクトル操作のできる魔導だから、音に何かしらの指向性があると考えた方がいいのかもしれない。

 ゴレは一撃で確殺できる上に、きっちり1頭ずつ撒き餌を残したから、一定のリズムでテンポよく大量虐殺がおこなえた。だが、普通の人達が戦っていれば2頭、3頭と、どんどん絶叫の数が増えていくことになる。

 ――そして、ネズミ算式に増えていく牛。牛。そして、牛。

 こんなのと戦ってれば、どんなにタフなやつでも、いずれは死ぬ。

 たとえ軽ゴーレムより硬くてパワーがあると思われる重ゴーレムだって、同じことだろう。一頭殺し損ねた時点で、詰むはずだ。大量に押し寄せる牛とダメージの蓄積で、いずれは落ちる。でかくて足が遅い分だけ、なお分が悪いかもしれない。

 高速仕様で超攻撃型のゴレだからこそ、まるでザコみたいに狩りまくれただけなのだ。ゴレじゃなければ、死んでいるのだ。

 なるほど。テテばあさんが言っていた“ヤバい魔獣”は、確実にこいつらだ。

 俺は納得した。と、同時に、一つの疑念が頭に浮かんでいた。


 ……ゴレよ。

 お前まさかこれ、知っていて、わざとやった訳ではあるまいな?


 お前、出発前にテテばあさんから、何やら魔獣の生態について、詳しく事前レクチャーを受けてたよな?

 まさか、その知識を悪用したりは、していないよな?

 ストレス発散とか、俺にほめてもらいたいとか、そんな事のために、わざと牛を呼んだりしていないよな?

 テテばあさんは、牛を呼び寄せるためにお前に生態を教えたわけではないと思うぞ、絶対に。むしろばあさん的には、この事態を避けるために教えたはずだ。


「ゴレ、俺の目を見てごらん?」

 俺はゴレのほっぺたをむにゅっと両手で挟み、こちらの方を向かせた。

 彼女の瞳は、何かを期待するような輝きに満ちている。

「このいっぱい死んでいる牛達のことなんだが……。お前、わざと呼んだわけじゃないよな?」

 輝いていた瞳が、急にうろうろと動揺しはじめた。

 珍しく俺から顔を逸らそうとする。

 ……こいつ、やはりか。

「はぁ。お前なぁ……」

 俺はゴレのほっぺたをむにゅっと挟んだまま、顔をこちらに引き戻した。

 こいつは俺の動きにはまったく抵抗しない。当然ながら、顔はあっさりこちらに向いた。

「こういうの、普通は絶対危ないんだからな。……次やったら本当に怒るからな」

 ゴレの耳がしゅんとした。

 俺はとりあえず、これで許すことにした。

 そう、俺は何だかんだ言ってゴレには甘かった。


 しかし、今のこの状況は、非常にまずい気がする。

 この牛との戦闘は、まちがいなく危険行為だ。テテばあさんが許してくれるはずがない。ばあさんは、いたいけな子供が薬草探しで山に入っただけで、杖で頭をぶったたくような鬼ババアだ。もしあのババアに、この危険な不良行為がバレてしまったら……。俺の頭は、きっと激しくドラムのように叩かれまくるだろう。俺は今度こそ死ぬかもしれない。

 だが、隠蔽工作をするには、あまりに牛が死に過ぎている。

 もし仮に何か神の奇跡が起こって、牛の死骸がすべて消滅したとしよう。それでも、見渡す限りの斜面を染めるこの大量の血や、踏み荒らされた岩盤などの激しい戦闘の痕跡だけで、ばあさんが次に薬草摘みに来たときには、100%確実に犯行がバレる。これは、もはやそういう次元の話だ。

 一体どうすればいいのだ。

 考えろ、考えるんだ。何か良い策を……。

 頭を抱える俺だったが、このとき、最悪の事態が起こった。



「ネマキあんた! 一体何だいこりゃあっ!」



 シドルの山に、ババアの叫び声が響き渡った。

 バ、ババア~~~~ッ!? なぜ、貴様が今ここにいるのだ!

 慌てて声のした方を振り返ると、テテばあさんが相棒のゴーレム、デバスに背負われて立っていた。

 その隣には、アセトゥをお姫様抱っこした一本角も立っている。


「ば、ばあさん! 何でこんな所にいるんだ!?」

「デバスが魔獣の妙な動きに気付いたんだよ。あんたらが向かった山の方角だったから、慌てて飛んできたら……。なんだいこりゃあ! この、大馬鹿たれが!」

「うっそだろ!? どんだけ索敵範囲広いんだよ、デバスのやつ!」

 マジかよ……。

 ゴレがレーダー全開にしても、多分ここまでの距離は拾えないと思うぞ?

 やはり、そのやたらでかい邪悪な索敵紋は伊達ではないのか?

 というか、何て余計なことをしてくれたんだ、デバスよ!

 いや、お前に罪などないのだが……。

 やばいぞ。なんて言い訳をすればいいんだ、まだ何も考えていないのに。


「きゅ、急に牛が出て来て……。お、俺は乱暴をするつもりは無かったんだが……」

 しどろもどろで釈明を始める俺だったが、ふと気付いた。

 事の真相を述べてしまうと、知識を悪用したゴレが、ババアに叩かれてしまうじゃないか。

 何だかこのババアの杖は、ゴレの防御を貫通してしまいそうな気がするぞ!


 …………。

 俺は覚悟を決め、大きく息を吸い込んだ。

「その、あれだ。……100年に一度だけ俺におとずれる、無性に乱暴行為をしたくなる日が、たまたま今日でな。悪いがこの牛達には、俺のストレス発散のための生贄になってもらった」


 そう、俺はゴレの身代わりとして、ババアのバンドのドラムとなり、リズム良く連打されることを選んだ。


 しかし、結局のところ、俺の脳天が8ビートを奏でることはなかった。

 テテばあさんは俺の方など見ておらず、深刻な顔で斜面の牛の死骸を眺めていたのだ。

「まさか、大山羊(おおやぎ)どもの頭数が、ここまで増えていたとはね……」

 アセトゥも何やら深刻そうな表情である。

「先生、前回間引きをしたのって、確か6年前なんだろ? こんなに増えるものなの……?」

「いや、通常ならありえないことだね。魔獣の活性化現象ってのは、ここまで深刻なものだったのか……。こりゃあ、もし放置していたら、うちの里はともかく、他所の村落はやばいことになっていたかもしれない」


 詳しいことはよく分からないが、どうも二人のこの様子からすると、牛は増えすぎていたのだろうか。

 確かに、特定の野生動物が増えすぎることによって、生態系のバランスを崩してしまうことはあるのだ。

 身近なところだと、鹿なんかがそうだよな。

 日本は山林の大型肉食獣が絶滅してしまっているから、放っておくと、増えすぎて森の植物を食い荒らしてしまう。だから、間引かねばならない。別に鹿達に罪があるわけではないのだがな……。

 ともあれ、この世界では鹿の増えすぎを心配することもないだろう。俺はこの世界の鹿は1頭しか見ていないし、そいつもゴレが殺してしまった。

 むしろ、下手をすると、鹿を絶滅させてしまった可能性すら存在する。


 俺がおそろしい可能性に気付いて戦慄していると、アセトゥが笑顔で駆け寄って来た。

「ネマキ兄ちゃんっ! やっぱり兄ちゃんは、すごいゴーレム使いだったんだね。オレ、こんなすごいの見たことないよ……!」

「へ?」

「兄ちゃんすごい……!」

 息をはずませるアセトゥの頬は、ほのかな熱を帯びて紅潮している。

 輝くその美しい翡翠色の瞳は、まるで恋する少女のようではないか。

 

 ……不味いな。

 この少年は俺のことを、自然のバランスを考えて自らの意思で牛を間引いた、立派な先輩ゴーレム使いだと誤解しているようだ。そして、そんな俺を後輩として心から敬愛(リスペクト)してしまっている。

 この年代の少年には、実にありがちな現象だ。

 だが、すまないアセトゥ。事実はそうではないのだ。

 ぶっちゃけ俺はただのゴレのヒモで、今回も試合のレフェリーしかしていない。


 とはいうものの、こんなに目を輝かせる少年の夢を壊すのは、正直心苦しい。

 俺は一応、先輩としての虚勢を張っておくことにした。

「フッ、まぁ俺達にかかれば余裕だな。なに、暇つぶしにちょいと間引きをしたまでのことさ。こんなザコ牛ごとき、たとえ同時に一万頭出て来ても俺達が負けることなどありえ……なぼおっ!?」

 ババアの杖が、余裕の笑顔をきめる俺の脳天に炸裂した。

「調子に乗ってるんじゃないよ! こんな無茶苦茶な戦い方、一歩間違えれば死んじまっているんだからね!」

「おい、マジで痛いだろうが!」

 ふざけるなよ、クソババア! あんたは今、でかいデバスに背負われているのだから、その高い位置から振り下ろされた杖は、威力が倍増しているんだぞ!

 少しは手加減をしろ!!!



------



 その後、里からも応援を呼んで、牛の死骸の処理と解体作業が行われた。

 この牛というのは、どうやら食えるみたいだ。


 里の皆さん、肉や利用可能な部位を切り出したり、残った部位を焼いて土に埋めたりと、大忙しである。

 作業の様子を見ていると、肉以外にも、背中の一部の毛皮を剥いだりしているようだ。

 とはいえ牛の数が多すぎるので、全てを解体して利用するわけでないらしい。

 ただ、どの牛も胸の部分だけは必ず切り開かれていた。


 俺は直接これらの作業を手伝ってはいない。

 現在、作業現場からすこし離れた高台の上に、ゴレと一緒に立っている。

 テテばあさんの命令で、ずっと周辺警戒をしているのだ。

 いつ牛が出現してもいいように、ゴレとデバスと一本角の3体がかりで、里人達の安全を確保した上での作業なのである。

 とはいえ、結局あれ以来、牛は一頭も出ていない。

 実をいうと、ゴレが無計画に大量の牛を殺しまくったせいで、虐殺パーティの最後の方では、あきらかに牛の集まりが悪くなっていたんだ。

 最後は牛がいくら叫んでも、1・2頭くらいしか集まらなくなっていた。

 牛の個体数、絶対に減ってしまっているよな……。


「まずいよなぁ。うちのゴレのせいで、シドル山脈の牛が絶滅危惧種になっていたらどうしよう……」

 ゴーレムによって解体されていく牛の死骸の山を見下ろしながら、俺はぽつりと呟いた。


 この作業には、里のゴーレム達も大勢参加している。

 色んなゴーレムがごった返して、さながらプチお祭り状態になっていた。

 種類は農作業用ゴーレムから、なんとなく図鑑で見たことのあるような戦闘向けのゴーレムまで、実に様々だ。普段畑で見かける顔ぶれよりも、若干豪華なメンバーである。でも、おそらく全員軽ゴーレムだと思う。やはり重ゴーレムというのは、民間ではほとんど使わないのだろう。

 実際に見て改めて認識したが、やはりゴーレムの作業能力は非常に高い。

 ゴーレム用の巨大なノコギリのような道具を数体がかりで用いて、大雑把な解体をあっという間に終わらせてしまう。残骸を埋めるための穴を掘るのも、ものすごい早さだ。


 俺達の眼下を、荷を運ぶ2体の農作業用ゴーレムが通りすぎていく。

 このように二体一組で、大きな担架のような道具を用いて、一度に大量の物資を運んでいる。

 かなりの運搬能力だ。農作業用ゴーレムとはいうが、当然のことながら、別に農作業しかできないわけではないんだよな。

 人型で、しかも人とほとんど同じサイズをしているのだ。パワーだって、人とは比べものにならない。むしろ、やれることは非常に沢山ある。


 そんな彼らが運ぶ担架の上には、妙な細長い形をした肉が、でろんと並べて置いてあった。

「どこの肉だろう、あれ……?」

「あれは舌先の肉だね。あの部分が一番高く売れるんだよ」

「ああ、そういや舌の長い牛だったなぁ。あれは長いベロの先っちょなのか……って、うおっ!? いたのかよ、ばあさん」

 いつのまにか、隣にテテばあさんが立っていた。

 驚かさないでくれ、心臓に悪い。

「今回はほとんどゴレタルゥが、脳天ごと舌の根元を吹き飛ばしているからね。おかげで、舌先を切り出す手間が省けて大助かりさ」

「そりゃ結構だな。にしても、こいつらの肉って美味いのか?」

「味はまぁまぁだが、食える部位自体は少ないね。それでも、これだけの頭数がいるんだ。とんでもない量になるだろうが」

「へえ。あんたがまぁまぁと言うなら、わりと期待しても良さそうだな」

 晩飯はきっと、牛の焼肉で決まりだろう。


 それにしても、作業をしている里の皆さんはとても忙しそうだ。

 日没までに、すべての作業は終わらないのではなかろうか。一部の作業は、明日も引き続き行うのかもしれない。


「……なぁ、ばあさん。やはり俺も、荷運びくらいは手伝ったほうがいいんじゃないか?」

 周辺警戒という体裁にはなっているが、表土索敵で周辺を見張ってくれているのは、ゴレだ。当然ながら、俺は何もしていない。

 もちろん俺が参加したところで、たいして何も出来ないとは思うが……。

 でも、立っているだけというのは、何だか心苦しい。

 それに皆さん、すごく俺のことを見ている。これはきちんと働けという、無言のメッセージなのではないだろうか?

「駄目だよ、大人しくここに立っていな。あんたがうろちょろしていちゃあ、恰好がつかないだろう」

「何の恰好をつけるってんだよ……」

「大山羊殺しの英雄は、皆の前でどっしり構えておくもんだ」

「はあ? てか、何だ山羊って。あれはどうみても牛……あだっ!?」

 いきなり杖で尻を叩かれた。

「とにかく、あんたは凛々しい表情で、ゴレタルゥの隣に立っているのが仕事さ」

「なんだそりゃ。そんなつまらん役目は御免こうむ……る゛うっ!?」

 こんどは強めに尻を叩かれた。

 ばあさんはそのまま、リズミカルに杖で俺の尻を連打しはじめた。

 あだっ。いてっ。ちょ、おい、やめろ。

 くっそおおお! 下にいる里の人達からは見えない絶妙な角度で、俺のヒップを連打してきやがる!

 こ、このババア~~~~ッ!!!


 ふと横を見ると、ゴレがいつも通りおろおろしている。

 加えて今回は、凶悪な顔のデバスまで、叩かれる俺を見て申し訳なさそうに肩を落としていた。

 心優しいゴーレム達よ。お前らには、何も責任はないのだ……。

 


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