第50話 内緒話とヒモ生活
結局テテばあさんの提案を呑み、彼女の暮らす里とやらまで一緒についていくことにした。
断じて、このババアの暴力行為に屈したわけではない。
俺はどんな暴力的な圧力にも屈しない男だ。俺が杖でポカポカ叩かれる度に、ゴレがどんどんおろおろして泣きそうになっていくのを見て、心が耐えられなくなって折れたわけではない。俺は不当な圧力などには決して屈しない。ただ、年長者の厚意を無下にするのも失礼かな、と思い直しただけのことである。
俺はババアの暴力には負けていない。勘ちがいしないで欲しい。
「それにしても、実際にこうして見てみるとまぁ、“谷の民”というのは、雅な姿だねえ」
並んで歩くテテばあさんが、ゴレを横目で見ながらこう言った。
はて、谷の民? 初めて聞く言葉だ。
「谷の民というのは、一体何だ?」
「おや、知らないのかい? あたしゃ、てっきり知っているものだとばかり」
「俺、まだあまりこの国のことには詳しくないんだよ」
「ふうん……? 谷の民ってのはね、ほれ、こんな風にぴんと長い耳の形をした種族のことだよ。神話のゴレタルゥも、谷の民だったと云われているね」
テテばあさんはそう言うと、自らの耳を横に引っぱるような仕草をしてみせた。
おそらくエルフのことを言っているのだろう。
そういえば、この世界に来てからこっち、結局エルフにはまだ一人も出会っていない。今のところ、会うのは人間っぽい人ばかりだ。エルフは全員隠れ里にでも住んでいるのだろうか?
エルフ耳フェチの気は特にない俺であるが、それでも異世界ロマンあふれる不思議種族であるエルフに出会うのは、とても楽しみにしている。
「その谷の民というのは、エルフのことだよな?」
「えるふ……? 東方ではそう呼ぶのかい?」
あれ? 翻訳を弾かれた。
俺の謎翻訳能力は、カタカナ言葉で多少定義に差がある程度なら、問題なく翻訳されることが多い。「ゴーレム」が普通に翻訳されているのが良い例だ。
つまり、「谷の民」は俺が元いた世界の「エルフ」ではない可能性が高い。
少なくとも両者には、概念的な立ち位置に違いがあるのだと思う。
この種の翻訳エラーは、例えば「魔導王」を例に考えると分かりやすい。
俺のジョブである「魔導王」は、決して「魔王」とは翻訳されない。
当初、俺は異界からやって来て世界を滅ぼす魔導王は、魔王と同義だと思っていた。だが、徐々に事実が分かってくるにつれ、明確な違いの存在が明らかになってきている。
魔導王という言葉が、少なくとも「特殊な魔術の操作形態である“魔導”を使う王」という意味を内包していることは疑いようがない。この点に限って言っても、もはや元の世界の「魔王」で説明しきれる概念ではなかった。
おそらく魔導王は、「魔王」の概念から、相当にはみ出ているのだ。
同様に谷の民も、耳が長くて森に棲んでいて長命、みたいな、表面的な意味合いでの「エルフ」の概念とは、何かが大きく違うのではないだろうか。
「谷の民ってのは、一体どんな種族なんだ?」
「滅んだ古い世界の種族さ。今じゃもう一人も残っちゃあいないから、一般の人々のあいだでは、神様と混同されちまっているけどね。かつて実在していた種族だよ」
「…………!?」
一人も残っていないだと……?
ゴレよ。お前、絶滅種がモデルだったのか??
そして今、残酷な真実がまたひとつ判明してしまった。俺が異世界で清楚なエルフのお姉さんや、エロいダークエルフのお姉さんと良い感じになるフラグは、すでに神によって太古の昔にへし折られていたのだ……。
「有名な童謡の歌詞にも出てくるよ。――古い古い、神代の民。森の民、丘の民、そして最後に谷の民――……てな具合だ。まぁ、あんたは外国人だから、知らないだろうが」
童謡を口ずさんだテテばあさんは、懐かしそうに目を細めた。
「私の出身部族はね、丘の民の末裔だなんて言い伝えもあるんだよ」
「へえ……」
よく分からんが、テテばあさんも似た様な民族なのだろうか。
ん? 待てよ。
エルフなゴレが谷の民で、テテばあさんが丘の民とすれば、つまり……。
「なるほど、わかったぞ! ばあさんはドワーフだろ……ぐべっ!?」
ババアの杖が、高速で俺のこめかみを直撃した。
な、何ィ!?
ツッコミが入っただと?
エルフは翻訳を弾かれたのに、ドワーフだけはちゃんと翻訳されたとでもいうのか?
「……ネマキ。あんた今、何か私の事を馬鹿にしただろう?」
なっ!? 信じられん。
こいつ、何て勘のいいババアなんだ!
ゴレが、杖で叩かれた俺のこめかみを、心配そうになでてきた。
俺の肌にふれた指先は、小さく震えている。
ゴレよ。お前、瞳は動揺で揺れまくりだし、耳もしゅんとしおれてしまって、もう泣きそうじゃないか。無理に我慢しないで、ババアのことをぶん殴ってもいいと思うぞ? よし。今回だけは、俺が特別に許可する。野蛮な猛獣であるこのババアには、少し調教の必要がある。
というか、ババアに激しく叩かれた箇所をゴレに優しくなでられる、というのがさっきから延々と続いていて、もはや謎の調教プレイみたいになっている。
おい、お前らいい加減にしろ! 俺にそういう妙な趣味はないぞ!
谷の民がどうのこうのと、先ほどから何気にババアは、ゴレについて色々と重要な情報を語っているような気がする。だが、当の本人のゴレはといえば、叩かれている俺の心配で、完全に心が一杯一杯のようだ。
多分ババアの話はまるで聞いてないな、これ……。
俺は今回毒人参で死にかけたり、ババアにぽこぽこ叩かれているうちに気づいた事がある。どうもゴレのやつは、俺がダメージを受けると、自分も勝手に精神的ダメージを蓄積させて自滅していくタイプみたいなのだ。なんて厄介な性格なんだ……。
俺達ふたりとも、ババア一人のせいでズタボロの死亡寸前じゃないか。
まさか最強コンビの無敗記録が、ババアごときに、こうもあっさり止められる事になろうとは……。
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三人で並んで歩きつつ、俺は周囲の風景を見渡した。
どうやら俺達は今、西の方角に向かって歩いているらしい。
俺から見て右手、つまり北側に、でかい山の連なりが見える。おそらくこれが、テテばあさんの言っていた“シドル山脈”だ。
この辺りは、平地が続いていたサディ藩よりも、起伏が多い地形のようだ。また、樹木も多く、完全に広葉樹の森林地帯といった様相を呈している。あちらの地方の木々は、せいぜい林って規模の物が多かった。
アラヴィ藩とかいう名前のわりに、今のところ、砂漠なアラビアン要素はゼロである。実にまぎらわしいな。
今歩いている道は、山沿いの田舎道といった感じだ。
これまで俺が旅してきた東西街道よりも、道幅がずっと狭い。だが、これは東西街道がやたらと広々として、立派なものだったという理由もある。この道自体は、そこそこしっかりとした道なのだ。
すでに荷馬車とも数回すれ違っている。
大自然に満ち溢れてはいるが、交通の便自体は悪くないのかもしれない。
この世界、何だか道路事情はすごく良いんだよなぁ。
とはいえ、相変わらず豊かな土地がだだ余りしている印象はある。
この世界の便利な魔術や、畑で見かけたゴーレム達を使えば、森の開拓や管理自体は、ぶっちゃけ楽勝のような気がする。にもかかわらず、これだけ土地を余らせているということは、つまり、そうする必要性自体が、あまりないのではなかろうか。
この世界は見たところ、とても豊かな印象を受ける。
実にのんびりとした物である。
そうなんだよ。とてものんびりしているんだよなぁ。
あれからしばらく歩いているのだが、魔獣にもまったく出会わない。
俺の常識的感覚では、大自然の中でこれくらいの距離を歩くと、すでにゴレの一方的虐殺行為により、100匹くらいの猿の死体が製造されていてもおかしくないのだが。
考えてみると、瘴気の地を出てからは一度も魔獣を見ていない。
サディ藩にいた頃あれだけびびりまくっていた火炎二角獣にしても、結局最後まで遭遇しなかった。あの、街道にたった1頭出現しただけなのに、大規模な被害を出していたという、例の頭のイカれたヤバい馬のことだ。
なぜか俺達がティバラに到着してからの2週間は、被害情報がぱったりと途絶えていたのだ。まるで死んでしまったかのごとく。
放火に飽きて山に帰ったのだろうか。不思議なことである。
まったく人騒がせな迷惑馬だが、これって逆に言えば、街道に火吹き馬がたった1匹出ただけで、この世界の人達は大騒ぎということなんだよな。何せあの馬のせいで、土地を捨てて移住をする人達だって出始めていたくらいなのだから。
この世界はおそらく、冒険者が剣と魔法で森や街道に跋扈するモンスターを退治しながら街の間を移動する、なんていうテンプレートなファンタジーの世界とは違うのだ。
やはり『魔術入門Ⅰ』に書いてあった通り、普通は人里や街道付近にはたいして魔獣は出ないという事なのだろう。道を歩いているだけで次々猿に群がられ、最後には恐竜の襲撃まで受けていた俺の体験は、おそらくイレギュラー過ぎる物だったのだ。
とはいっても、このアラヴィ藩の自然環境や気候は、サディ藩と全然違う。
まったく別の魔獣が飛び出てくる可能性もゼロではない。安全上わりと重要な情報だし、一応テテばあさんにそれとなく聞いてみるか。
「なぁ、ばあさん。このあたりには魔獣は出ないのか? たとえば猿とか……」
「猿ぅ?? 何だいそれは。猿型の魔獣なんて聞いた事もないが」
「そうか……」
やはりこの辺りに猿はいないのか。俺は何だか、少ししょんぼりした。
あれ? 何故俺はしょんぼりしているんだ?
「まぁ、魔獣自体はここいらだと、シドル山脈の山頂付近にヤバいのが生息しているよ。麓には降りてこないがね。……とはいっても、各地で魔獣の活性化現象が起こっているって話だ。油断しないに越したことはないが」
そこまで言って、ばあさんはにやりと笑った。
「いずれにせよ、襲ってきたら襲ってきたで、ぶち殺してやればいいだけさ」
だから何であんたはそんなに好戦的なんだ。
歳相応の落ち着きという物がないのか?
「その、無理はほどほどにな。もう良い歳なんだし……」
ともあれ、あの山の上に魔獣はいるのか。
麓まで降りてこないという事は、特定の生息域を持っているのだな。
だからこそ年寄りのばあさんもこんな森の中をのんびりと歩けているし、人々も魔獣のいる近くで里を作って普通に生活しているのだろう。
……里か。そういえば、ばあさんの住んでいる里というのは、何という地名の場所なのだろうか。
実は、今俺が持っている地図では分からないのだ。
盆地の隠れ家で入手していた地図は、縮尺が大きかった。だからこそ、小さな集落まできちんと網羅されていたわけだ。一方、新しく買った全国地図は縮尺が小さい。小さな村落や細かな道までは載っていない。詳細な地図は、その土地ごとに別途用意する必要がある。
俺はサディ藩の詳細な地図は購入したが、アラヴィ藩の地図は購入していない。
だって、仕方がないだろう? まさかこんな訳の分からない遠くの土地まで、ゴレが泣きながらワープするなんて、夢にも思わなかったんだ……。
「ばあさんの里は、何ていう名前なんだ?」
「うちかい? 決まった名前はないんだよね。“ゴーレムの里”なんて呼ばれているね」
「ゴーレムの里?」
何だそれは。心躍る名前ではないか。
「おい! ひょっとして、ばあさんの里にはゴーレムが沢山いるのか!?」
「え、えらい食いつくね。……まぁ、数は他所の村落よりもずっと多いよ」
「おお……」
それは実に楽しみだ。
今まで俺がまともにそばで実物を見たことのあるゴーレムというのは、実のところ、聖堂ゴーレムと道化ゴーレムぐらいしかいない。
弩ゴーレムは俺が近寄ったときには、すでにキレたゴレが顔面をめちゃくちゃに殴りまくった上に腕をもぎ取っていた。まったく原形をとどめていない。そういう意味では爆乳達も、間近で見たときにはゴレに頭をぶち壊されて全員伸びていたが……。
そういえば、ピエロどもは近くで見ていると意外に可愛いんだぞ? 戦いになるとあんな滅茶苦茶なスピードで凶悪な動きをするくせに、普段は別人みたいにのんびりしているのだ。ギネムの後ろをひょこひょこ付いて歩いて、奴の言うことをちゃんとおりこうさんに聞いていた。
本当はなでなでしたかったのだが、俺がピエロをなでようとすると、ゴレが何故か急にイライラしてピエロに噛みつこうとするから……。一度も触っていない。俺はいつも物欲しげな顔で、可愛いピエロ達を見つめていただけだ。多分ゴレはピエロ達と初対面のときに喧嘩をしたせいで、警戒心を抱いてしまったのではないかと思う……。
何にせよ、よその家で飼っているゴーレムが沢山いるなら、今度こそ是非なでなでして仲良くなりたいところだ。
テテばあさんと適当に雑談をしながら、緑の中の道をのんびり歩いて行く。
自然の中をピクニックするのは、大変に気持ちが良いものだ。
猿の断末魔と臓物の飛び散る音を聞きながらゴールの見えない荒野をひたすら歩くのとは、まるで気分が違う。
何だかうれしくなった俺は、小さく鼻歌を歌い始めた。
隣でゴレが俺のこめかみをずっとさすっている。もう、かれこれ30分近く俺をさすっているな、こいつは。
「まったく、ゴレタルゥは本当に過保護だね……。ほうっておいていいんだよ、そんなもんは」
「何ィ!? 失敬な! うちのゴレは粗暴なばあさんとは違って、思いやりのある優しい心を持っているだけだぞ」
ゴレの名誉を守るため、俺は断固として相棒を擁護した。
正直俺もちょっとこいつは過保護すぎると思うが、ここでもし俺がテテばあさんといっしょになって非難してしまうと、ゴレの立つ瀬がなくなる。ならば俺はババアではなく、ゴレの側につく。
ほめられたのが嬉しかったのだろう。ゴレは耳を微かに動かしながら、しっとりとくっついてきた。うん、やはりゴレは邪悪なばあさんとは違って、素直で優しい、いい奴だ。
「はぁ……。駄目だね、こりゃあ。ネマキもアホたれだが、ゴレタルゥの方も大概だよ……」
テテばあさんは完全にあきれ顔である。
あれ? そういえば、ばあさんはいつの間にか、ゴレのことをゴレタルゥと呼んでいるな。
はて。俺はばあさんに、ゴレの本名を教えただろうか?
まだ教えていなかったような気がするんだが。
会話中に無意識に教えて、忘れてしまっているのだろうか。
だが、ゴレの本名を他人に教えるときはいつも、正式な本名の「ゴレ太郎」を教えようとする俺と、ひたすら「ゴレタルゥ」と言い続ける愚かなこの世界の人々とで、熱い戦いになる。対戦成績は今のところ、俺の全敗だが。
だからゴレの名前を教えた事って、普通は忘れたりしないはずなのだが……。
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「ようやく見えてきたね。あれがうちの里だよ」
「おお、なかなか壮観だな……」
森がひらけて、非常に広大な畑が見えてきた。
ここが通称“ゴーレムの里”か。
シドル山脈の緑の山麓に、家々が建ち並んでいる。
遠目に見た様子は、わりと大きな農村といった印象である。
周囲の畑には何体ものゴーレムが、人と寄り添って仕事をしているのが見えた。
ほとんどがデッサン人形っぽいゴーレムだ。
でも、皆微妙に色や形が違っていて、それぞれ個性があるように思う。
サディ藩での馬車の旅でぽつぽつと見かけた農作業用ゴーレム達は、色も形も皆似たような外見で、わりと規格が揃っていた。それに、無人の畑で黙々と仕事をしている印象だった。
ここはなんとなく、それとは雰囲気が違う。
畑からは笑い声が聞こえる。
大人達と一緒に畑仕事をするゴーレムの腕に、小さな子供がぶらさがったりしているのが見える。
ここは人とゴーレムの仲が随分と良いみたいだな。
俺はもちろんこっちの雰囲気の方が、好きだ。
里のそばまで近づいてきて、あることに気付いた。この里は、家々の造りがかなりしっかりしていて立派だ。
村の周囲の柵も、石の杭を大量に打ち込んだ、非常に頑強な作りの物だ。
というか、この柵。構造上あくまで柵っぽいので柵と呼んだが、高さも優に4メートル以上はあるし、天辺に返しが付いている。防御力で言えば、おそらくティバラの街の土壁の比ではないと思われる。単純構造ではないので、猿の石弾にどの程度耐えられるかは、猿の専門家である俺にもよく分からないが。
立ち並ぶ家々にしても、ティバラやジビルの平均的な建物と比べた場合、おそらく質的にはこちらが圧倒している。一軒一軒の家のサイズもでかい。
これ、ひょっとすると、ゴーレムの保有台数が関係しているのかもしれない。
考えてみれば、ゴーレムというのは、場合によっては元の世界の重機並か、それ以上の働きをするはずなのだ。こんなに大勢のゴーレムが建設作業を手伝ってくれるのなら、立派な家を作れないはずがない。
畑の中の長い一本道を通り、里の入り口と思われる門の前に到着した。
でかい、重厚な門だ。
ここまで歩いて来るのに、随分と時間がかかっている。本当に広い畑だ。このあたり一帯の里の正面に広がっているのは、おそらく麦畑ではないかと思う。
何だかすべてのサイズがでかいな、この里は。
「……お、さっそく何やら強そうなゴーレムがいるな」
門の脇に、緑色のゴーレムが1体立っている。
門番をしているのだろうか。畑のゴーレム達よりも、若干ごついゴーレムだ。
特徴的な一本の角が頭に生えている。
こいつ知ってる。図鑑で見たことがあるぞ。
だが、名前が思い出せない。軽ゴーレムは無駄に種類が多すぎるのだ……。
「あれ、なんて名前だっけ。ここまで出かかっているんだが」
「“一角ゴーレム”だね。うちで番兵をやっている子だよ」
「あ、そうそう。それだ、一角ゴーレム!」
わりと見たまんまの名前だったな。
たしかこいつは、表土索敵と拠点防衛機能を持っている、結構強いゴーレムのはずだ。
ゴーレムの謎レーダー“表土索敵”は、実は全てのゴーレムが使えるわけではないらしい。使えるやつは、案外少ないのだ。
“拠点防衛機能”というのは、防衛するべき拠点を事前に詳細に設定することによって、ゴーレム使いがいなくても、ゴーレムがある程度単独で戦えるという機能らしい。設定には時間も手間もかかって、かなり大変みたいだ。
よくわからんが、要するに飼い主がいなくてもおりこうにお留守番ができる機能ということではなかろうか。うちのゴレには絶対ついていないだろうな、この機能は……。
ちなみに一般的なガチの聖堂ゴーレムの場合は、表土索敵も拠点防衛機能も、標準搭載だ。『ゴーレム図鑑』を読んでみて分かったのだが、聖堂ゴーレムは、乳がでかいだけでなく、他のスペックもかなり高い。
表土索敵があるし、瞳の“光受容体”で目もめちゃくちゃ良い。スピードもすごく速いし、パワーも軽ゴーレムとしてはかなりある。ほとんどの性能を一定以上の水準で持っている、いわゆるバランスファイターだ。総合性能では、並の軽ゴーレムを完全に圧倒している。乳だけの存在ではなかったのだ。
逆に言えば、バランス型ゆえに、道化ゴーレムのような一芸特化でステータスを極振りしている感じの機体相手だと、やや後れを取りやすいみたいだ。
そんな爆乳達と同じように、レーダーとお留守番機能を持っている、目の前の一本角のゴーレム。
彼は畑のゴーレム達とは違って、きちんと胸甲を着けている。門番だもんな。
でも、武器は持っていないようだ。
よく見ると、両腕に手甲を装着している。うちのゴレみたいに、パンチで戦うのだろうか?
流石に角で刺すってことは無いと思うが……。
そんなことを考えつつ、男の子精神を呼び覚ますかっこいい一本角のゴーレムを、俺は熱いまなざしで見つめた。
この里には、こんな強そうなゴーレムがたくさんいるのだろうか。俺の胸は期待にふくらんでいた。
……だが、この時。
ここまでテテばあさんと俺しかいなかったせいで、か弱い乙女のようにしおらしかったゴレの気配が、徐々に、徐々に……。平常運転の、不穏な黒い殺気を帯びはじめていたことに、俺はまだ気付いてはいなかった。
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テテばあさんの家は、里の中で一軒だけ、やや奥まった高い位置にあった。
家も里の平均よりかなり立派な物だ。この里の家々は皆けっこう大きいのだが、ばあさんの家はその中でもさらにクソでかい。
でも、ばあさんはべつに村長とかではないらしい。
態度のでかさは村長どころか大統領だが。
緑に囲まれた敷地は広い。とはいえ、田舎の素朴な風情だ。
あ、庭を鶏が走り回っている。
この世界にも鶏はいる。卵も肉も美味しいぞ。
品種はおそらく、元の世界の鶏とは違うだろうと思うのだが。
鶏以外の他の家畜も、ほぼ同じような種類が存在しているみたいだ。
例えば、馬・羊・鶏・豚・山羊……。
ただ、牛はまだ見たことがない。乳は、羊か山羊の物が多い。
この事は俺なりに理由を考えてみたのだが、どうも役牛やロバというものは、用途がかなりの部分でゴーレムと被っているような気がする。もしかして、このあたりの事情が関係しているのではないだろうか。元の世界よりも、飼育するメリットが小さいのかもしれない。
「……なぁゴレ、ちょっと聞きたいことがあるんだけど」
俺はゴレの方を振り向いた。
話しかけられたゴレが、じいっと顔を近づけてくる。
深紅の瞳は真剣な光を帯び、長い耳は言葉を聞き逃すまいとぴくぴくと張りつめる。
ゴーレムって音センサーも額の索敵紋が兼ねているという話なんだが、ゴレはあきらかに耳で聞いてるような反応をするんだよなぁ。ほんと、どうなっているんだろうな??
……まぁいい。俺は言葉を続けた。
「ゴレは、牛って知っているか?」
お、“牛”はこっちの世界の言葉に翻訳された。
ちゃんといるみたいだ、牛。
俺はこんな風にゴレに語りかけることで、気になる単語が翻訳から弾かれるかどうかを確認する術を編み出していた。
普段他の人と会話をしているときだと、うかつにぽろっと日本語が翻訳をすり抜けていても気づかないことが多い。でも、こうやってきちんと意識していれば分かるからだ。
この手の質問をしたときに、別にゴレが嫌な顔することはない。こいつは初めて出会ったときの自己紹介から、俺が異世界人だという事情を完全に把握しているからだ。
ゴレのやつは、何日も寝たきり状態で暇をもてあましていた俺の講義を受けつづけた結果、徳川幕府の成立過程すら知っているレベルだからな。
熱心な生徒だったこいつは、無駄に日本通だ。
……思い返してみると、ゴレは俺が日本の話をするときは決まって、異常なほどの食いつきを見せていた。
今でこそ、俺が何を話しても、食い入るように聞いてくるゴレ。でも最初期の彼女は、俺に対して非常に親切で好意的でこそあったものの、今ほどの犬レベルの凄まじい好き好き光線の発射はなく、反応もわりと大人しめだった。
あのころのゴレは、まだ完全に俺の犬ではなかったのだ。こいつに犬化の猛ブーストのきざしが見えはじめたのは、おそらく、ふたりで裏庭にあった縦穴の底に降りたあたりの時期以降だ。
しかし、俺が故郷の話をするときだけは、最初のころから本当に熱心に聞いていた。初めてこいつが俺に顔面を肉薄させてきたのも、たしかあの時だ。
あの当時のゴレは当然、まだ誰が見ても、俺の作った愛すべきゴレ太郎の姿をしていた。もちろん、その見た目はデッサン人形だ。
でも、あのとき日本の話に食い入るように聞き入るこいつの姿は、何だかまるで――……。優しいおとぎ話の世界に必死にすがりついている、孤独な女の子のように俺には見えた。
ともあれ、俺がこうして、この世界の言葉を確認するための問いかけをすると、ゴレは嫌な顔をするどころか、むしろ何だか妙にうれしそうだ。幸せいっぱいという感じである。
実はこれについては、俺にも気持ちが非常に良く分かるんだ。要はこれ、相棒同士の秘密の共有という感じがすごくする行為なのだ。
この世界の他の誰ともできない、内緒話。
俺達ふたりの、仲良しの確認だ。
熱い友情を再確認し、顔と顔が接するような距離で、寄り添いながらじっと見つめ合う俺とゴレ。
そのとき、脇の鶏小屋から物音がした。
音のした方を振り返ると、鶏小屋の中から茶色い何かが、ぬっと顔を出している。
何だあれは?
それに気付いたテテばあさんが、その茶色い何かに声をかけた。
「おお、そこにいたのかい。……今帰ったよ、デバス。ちゃんと家の仕事はしてたかい?」
鶏小屋から出てきた影の正体は、一体の茶色いゴーレムだった。
何だこいつ、すげえ……。ばあさんのゴーレムか?
茶色いゴーレムは、サイズ自体は、デッサン人形型とさして変わらない。
いや、むしろ体型は、ややスリムだ。
身長約2メートルの、いわば細身の大男といった体格だ。
胸甲だって着けていない。
しかしこいつは、今まで見たどのゴーレムとも、まるで印象が違う。
体表の機構がかなり複雑だ。若干、近未来的な印象すら受けるな。
茶色いから、ぱっと見はむしろ縄文土器みたいなのだが。
あ、顔に光受容体がある。こいつもゴレみたいに目が良いのだ。
でも、ゴレみたいな虹彩部分だけのまん丸な可愛い光受容体ではない。こいつの光受容体は尖っていて、超怖い。
なんだか額の索敵紋もやたらでかくて複雑だ。邪悪な感じがする。
顔もなんだか凶悪で……ん?
この口まわりの造形、ひょっとして、こいつ顎が開くのか? 噛みつかれたら超痛そうなのだが。
こんな極悪なデザインのヤバそうなゴーレム、図鑑に載っていただろうか?
だが、しかし。このゴーレム、全身鶏まみれだ。
顔は怖いけど悪い奴じゃないと思う。
見ていると、なでなでしたい優しい気持ちになる。
「こいつは、何ていう種類のゴーレムなんだ?」
「デバスは私の出身部族のゴーレムでね。“土の戦士”というのさ」
「へえ、土の戦士か……」
なかなか渋い名前だ。もちろん、俺のネーミングセンスの渋さには遠く及ばないわけだが。
というか、テテばあさんもゴーレム使いだったのか。
ばあさんと強そうなデバスを見ていて、ふと、ある疑問がわいた。
「なぁ、ばあさん。一人で遠出するのに、なぜ護衛にデバスを連れていかなかったんだ? こいつがいれば、ばあさんの一人旅よりはずっと安心だろうに」
「なぜってそりゃあ、デバスには鶏と山羊の世話があるからね。こいつの一番の仕事さ」
「なるほど、そういうことか……」
俺はあっさり納得した。確かにそれは、非常に重要な任務だ。
「さあ、ついておいで。こっちだよ」
テテばあさんが、俺達を母屋の方へと案内する。
今日はここに泊まることになるのだろうか。
こうして里まで来てしまった以上は仕方がない。観念して、一泊か二泊はさせてもらおう。そうすれば、ばあさんの気も済むだろうから、あらためて都会の図書館へ出発すればいい。
それに、どうせここで数日足止めを食うなら、その間に移動計画を練り直してみてもいいかもしれない。ここはもはや位置的に帝都にわりと近いみたいだから、この国で最大の規模らしい帝都の図書館まで足をのばすことも、普通に視野に入ってくるのだ。
とりあえず滞在中に、この付近の地図を手に入れようと思う。
このあたりの田舎道については、まったく何も分からないからな……。
もしテテばあさんか里の誰かが地図を持っているなら、買い取らせてもらうか、書き写させてもらえばいいだろう。
そんな事を考えているうちに、俺達を引き連れたテテばあさんは、母屋の横をそのまま素通りした。
あれ? 母屋に泊まるのではないのか? 一体どこに行くんだろう。
俺の疑問をよそに、テテばあさんはずんずんと歩いて行く。
それにしても、無駄に広い敷地だ。何やら、でかい蔵まである。
まぁ、土地の安い田舎では、ありがちな光景ではあるのだが。
庭の一角に、小さな菜園が見える。植えられている緑の草は、ハーブか何かだろうか。
俺達一行は少し歩いて、母屋から少し奥まった場所にある、こぢんまりとした離れ家の前で立ち止まった。
なるほど。客人の俺達はあちらのでかい母屋ではなく、ここに泊まるのか。
テテばあさんがこちらを振り返った。
「さあ、ここが今日からあんたら二人の家だよ」
……ん??
今、何かこのばあさんが、良く分からないことを言ったような気がする。
「えっと。すまない、ここが俺達の、何だって?」
「だから、ここが今日からあんたらが住む家だよ」
「い、家? あの、ばあさん、一体何を言って……」
「家具は母屋の方に余ってるのがあるから、当面はそれで良いだろう。デバスにも手伝わせて、後で運び込もうかね。ゴレタルゥの話だとあんたら新婚みたいだし、どうせベッドは一つでいいんだろう?」
ちょっと待ってくれ。
あんたは一体何を言っているんだ。
「お、おい……」
「とりあえず、まずは掃除からだ。しばらく使ってないからね、この離れは」
おい聞けババア。
「あの……」
「さっ! きびきび動くんだよ! 夕餉の支度までには、掃除も何もかも全部済ませちまうからね。なに、ゴレタルゥとデバスがいりゃ、あっという間に終わっちまうさ。でもネマキ、あんたもサボるんじゃないよ。またゴレタルゥに甘えてたら、尻を杖でぶっ叩くからね!」
そんな。杖で尻は勘弁して欲しい。
いや、そういう事じゃねえ! おい、勝手に話を進めるなババア!!!
待て、おい。
「ちょ、まっ……」
「それじゃ私はデバスを呼んでくるから、あんたらは荷物を玄関にでも置いておきな」
ババアは一方的に言い残し、さっさと鶏小屋の方へと去っていった。
取り残された俺は、離れの前に茫然と立ち尽くした。
「いや、俺は図書館に……。そ、そんなぁ……」
――こうして俺とゴレによる、ババアのヒモ生活が始まった。