第49話 ババアと人参
「見ろよゴレ! これが“枯草人参”だ」
俺は地面から掘り起こした人参のような野草を、目の前に掲げた。
小ぶりな黄色の人参。葉っぱの部分は、枯草のような色をしている。
ゴレは俺と人参を、きらきらとした瞳で見ている。
おそらく、すごく不思議な異世界人参ですね! と言ってくれていると思う。
何だか人参ではなく、俺のどや顔の方ばかり見つめているような気もするが……。まぁ、その辺りは、微弱な誤差の範囲内だろう。
早朝にティバラを出発し、街道を西へと歩いていた俺とゴレなのだが、実は俺には、ずっと旅の途中で試してみたくて仕方がない物があった。
それはすばり、こいつだ。
今、手に持っている、この『食べられる野草』という本である。
ティバラの街の本屋で、例の『ゴーレム図鑑』と一緒に購入した本だ。
ずっとうずうずしていた俺は、先ほどとうとう我慢しきれなくなり、ついに街道から南に逸れた。そして、少し離れた小高い丘の麓で、食べられる野草探しにいそしんでいたのだ。
ちなみに、まだ飯時でも何でもない。
まるで新しい玩具を買ったばかりの小学生のごとき、突発的な行動だ。
しかし俺達コンビの場合、基本的に俺にはツッコミが不在である。ゴレは俺がどんなにアホな行動を取っていても、まったく止めようとしない。彼女はただただ、優しい瞳で幸せそうに見守っているのみである。
そんなこんなで1時間ほど図鑑とにらめっこし続けた結果、ついに採取に成功した初めての“食べられる野草”が、この枯草人参という訳である。葉っぱの色が枯草みたいで特徴的なので、初心者の俺にも見つけやすかったのだ。
本の解説を読んだところ、この黄色い不思議な人参は、煮ると独特の甘味が出る。これを食すると滋養強壮の効果があり、主に病人へのお見舞いや、妊婦さんへの贈り物などとして喜ばれるという。
病気も妊娠もしていないが、別に食っても問題はあるまい。
俺は付近から、薪になりそうな枯れ枝を集めた。
そして手ごろな石の上に腰かけ、いそいそと調理の準備を始めた。
早速、鞄から飯盒と水色の棒きれのような魔道具を取り出す。
これは“水滴杖”という。ハゲからもらった魔道具だ。
例の、荷馬車のお爺さんのために俺がペイズリー商会からふんだくった大量の慰謝料なのだが、あの金は心優しいお爺さんの配慮により、3人での山分けという形になった。
だが、あれはお爺さんの慰謝料だ。貧乏なハゲには必要な金だが、俺は誇り高き文化人として、老人の慰謝料を横からかすめとるような真似はできない。
そう言って、金を受け取りたくないと駄々をこねる俺。そんな俺にもはやあきらめ顔のハゲは、現金の代わりとして、ハゲショップの商品のうちから、サバイバルに役立ちそうな魔道具をいくつか渡すという妥協案を提示した。
まぁ、ハゲショップの安物の不良在庫の玩具程度なら、もらっても問題あるまい。というわけで、この水滴杖もそんな魔道具のうちの一つだ。
魔道具といえば、俺が今使っているこの黒い皮製の肩掛け鞄も、じつは一種の魔道具だったらしい。何だかやたらと見た目以上に物が入るし、全然重くないしで、おかしいとは思っていたのだ。
この肩掛け鞄は、数種類の魔術を再現した物で、市場などには滅多に出てこない部類の、かなりの珍品なのだそうだ。
ハゲに調べてもらったところ、少なくとも時属性の魔道具の特徴があるという話なので、案外、中に入れた物が腐りにくかったりするのかもしれん。ちなみに土属性ではないので、爆発はしない。本当に良かった。
また、あくまで魔道具である以上、この鞄も魔力を消費するようだ。時属性の魔道具は効果の持続期間が非常に長いが、念のため、たまに魔力込めはしておけとハゲに教えられた。
スペリア先生は、惜しげもなく貴重な品を譲ってくれていたのだ。俺は帝都の魔術学院まできちんと顔を出して、スペリア先生に改めてお礼言っといたほうがいいのかもしれないと思いはじめている。
俺自身もあまり他人の事は言えないのだが、スペリア先生は本当に物欲が薄いよな……。まさに学者肌の人間という感じだ。
しかし、あれだな。
リュベウ・ザイレーンの高級ローブに、スペリア先生の肩掛け鞄、そして、ハゲの魔道具……。
考えてみると、俺の装備というのは、ほぼおっさん達のお下がりである。
俺は何だか、微妙な気分になった。
さて。俺は気を取り直し、飯盒に向けて水滴杖を構える。
杖に魔力を込めると、先端に水の粒子が一瞬集まり、大きな水滴が飯盒にぽしゃんと落ちた。
一回の魔力込めで、20mlか30mlって所だろうか。大した量ではない。
これは水属性の最初の入門魔術、〈水滴生成〉を再現している魔道具だ。我が愛する土属性で言うところの、〈小石生成〉に該当する魔術である。
ちなみに〈小石生成〉を再現する魔道具は、店には売っていない。わざわざ高い金を払って、すぐ崩れる小石なんぞ作ってどうするんだって話だよな。そりゃ売れるわけないよ。
とても悲しい……。
俺は溜息をつきつつ、水滴杖に連続で魔力を込めた。
じょぼじょぼと大量の水滴が落ち、飯盒はあっという間に水で満たされた。
実はこのような特定の魔術を再現するタイプの小型魔道具というのは、適性のある人間が普通にその魔術を使うより、消費魔力の効率がかなり悪い。魔術師でもない普通の人達は、そもそも魔力総量もたいしてないから、魔道具を連続使用なんてしない。もし魔道具で水を大量に作りたいのなら、もっときちんとした大型の魔道具を使う。誰も水滴杖をどばどば連射して水を作ったりはしないのだ。
だが、一応魔導王である俺には、魔力総量だけは馬鹿みたいにあった。
知能の低いアホみたいな無茶苦茶な魔道具の使い方をしても、まったく関係がなかった。
俺は枯草人参を取り出した。水滴杖をかざし、じょばじょばアホみたいに無駄に水を流して、人参を丸洗いした。
うむ、綺麗に土は落ちたな。
次に、人参から葉の部分をむしり取る。葉っぱは食用ではないそうだ。
ん? よく見るとこの葉っぱ、何だか形がギザギザしていて、図鑑と微妙に違うような気もするが……? まぁ、微弱な誤差の範囲内だろう。
よし、次はこの人参の根を切らないとな。
「〈土の戦斧〉!」
俺は土の戦斧を生成した。
続いて、魔導を発動する。
巨大な攻城兵器の石矢を、軽々と粉砕し。弩ゴーレムの利き腕を、あっさりと切断し。木々を旋風でなぎ倒しながら、林を丸裸にして驀進する。
切れ味抜群の、漆黒に染まった、魔王の地獄の斧が出現した。
その、明らかに人殺し用の両手斧に、そっと右手を添えた。
そして、左手で人参を空中にぽいっと放り投げる。
落ちてくる人参めがけて、軽く斧を振り上げた。
人智を超えた次元にまで高められた空間把握能力の元、右手に握られた斧が、ミリ単位で精密に軌道制御される。
戦斧が、黒い嵐のように乱舞した。
落下中の人参が、ものすごい速度で、正確に切り刻まれていく。
空中で美しく均等にカットされた人参たち。
食べやすいサイコロ型になった人参が、ばらばらに落下していく。
ちゃぽちゃぽと小さな音を立て、水を満たした飯盒の中に全て落ちていった。
その道の料理人すらも全裸でひれ伏す、圧倒的な斧さばきである
「――ふっ、我が土属性魔導は、キッチンにおいて最強……」
戦闘で敵にぶん投げたりすると、周囲に無駄に甚大な被害を出してしまう、この〈土の戦斧〉。その使用方法に悩んだ俺は、こいつをお料理用品として平和利用することを思いついた。飛翔時には猛烈な横回転が加わるせいでコントロールが難しくなる〈土の戦斧〉だが、こうして手元で制御するのには向いている。手元で刃物を使う事といえば、お料理。これぞ調和を愛する文化人の発想といえよう。
とはいえ、普段はゴレが愛用の緑色のナイフで、俺より先に全ての食べ物をお上品にカットしてしまう。だから、この斧‘Sキッチンはまったく使用する機会が到来しなかった、無能の極みな俺の特殊能力である。
だが、しかし。今はサバイバル紳士の、自給自足アウトドア料理の時間。
特別で神聖な、趣味の時間である。
この瞬間だけは、誰も俺のお料理に介入できない。
はしゃぐ俺を、ゴレも温かい目で見守ってくれている。
飯盒の中に満たされた水と、カットされた人参。
さて、お次は薪に火をつけないといけない。
そこで出番になるのが、この“発火杖”だな。
俺は鞄から取り出した、赤い棒切れのような魔道具を構えた。
以前、例のセルヴェ藩札に火を着けて真贋を確認したことがあったが、あのときにハゲが使っていた魔道具が、この発火杖だ。
こいつは、水滴杖の火属性版といえる。火属性の最初の入門魔術、〈発火〉を再現するのだ。
この〈発火〉という入門魔術は、かつて“属性の理解”のときに、俺が魔術の才能の無さを自覚するきっかけとなった、苦い思い出のある魔術だ。俺の火属性コンプレックスの、そもそもの原因とも言える。しかし、使用が可能ならば、その点に目をつぶって余りあるほどに便利な魔術とも言えた。
俺は薪に火をつけようと発火杖を構えて、ふと前を見た。
――いそいそと火おこしの準備をしていたゴレが、発火杖を見て硬直していた。
俺が右手に握る発火杖を、食い入るように見つめるゴレ。
みるみる彼女の元気がなくなっていき、耳がしゅんとしてしまった。
俺は発火杖を持ったまま、凍りついた。
ゴレは火おこしの仕事に誇りを持っていた。
原因はもちろん俺にある。盆地の隠れ家時代、俺は火魔術が使えないせいで、火おこしに大変難儀していた。そんな俺は、初めてゴレが火おこしを上手にしてくれたとき、本気で喜びまくった。火属性なんていらなかったんや! とか言いながらゴレを抱きしめた後、火を囲んで一緒にダンスをした。それ以来、火おこしはこいつが進んでやってくれる、大切な仕事の一つになった。
何ということだ……。
俺は自分でお料理がしてみたいというくだらないプライドと、魔道具の目先の便利さに目を奪われるあまり、相棒の気持ちを考えることを忘れていた。
俺はなんて愚かな人間なんだ……。
ここでやらなければならないことは、一つしかない。
俺は顔を上げ、大きく息を吸い込んだ。
「う、うわー! なんだこの魔道具! ぜんぜん火がつかない! 不良品じゃないか! やっぱハゲごときの店の品じゃ全然だめだな! ゴミだ、ゴミゴミ!」
俺は極めて巧妙な演技で悪態をついた。
そして、発火杖を鞄に放り込んだ。
「……ゴレ、火おこししてくれるかい? ごめんな、やっぱりお前じゃないと駄目みたいだ」
俺はゴレに丁寧にお願いした。
ゴレは、とてもうれしそうに火おこしをはじめた。
もう耳もしゅんとしていない。幸せそうに微かに揺れている。良かった。
うちの相棒は、火おこしが本当に上手なのだ。
俺はぱちぱちと燃える焚き火を見つめながら、小さくうなずいた。
「……やはり俺には、火属性など不要だな」
さて、そろそろ枯草人参にも十分に火が通っただろうか。
これより、お待ちかねの試食タイムに移ろう。
俺は串で刺した人参を口に含んだ。
ん、柔らかい。ちゃんと火は通っている。
口当たりは悪くない。
しかし、煮ると特有の甘味が出るという話だったが、そんな風ではないな。
むしろ無味無臭という感じだが。
いや、微妙に舌がピリピリしびれる感じがするような……?
これはつまり、辛いってことか?
何だか良くわからん人参だな。
俺は異世界謎人参の不思議な食感に舌鼓を打ちながら、きちんと完食した。
「いやー、実に不思議な食感だった。でも、別に無理して二度目は食いたくない味だよ」
俺はゴレに軽口を言いながら立ち上がった。
いや、立ち上がろうとした。
おや? 足に力が入らないな。
なんだ、筋力が衰えたか?
考えてみれば、たしかにこの2週間は、昼間はひたすら幼女と遊び、夜はベッドでゴレをふきふきするだけの、堕落しきった生活を続けていた。足腰が弱るのも無理はないか……。
ん? 何やら手まで痺れてきたような気がする。
ありゃ、串を落っことしてしまった。ついに、あくりょくまで、おちたか。
というか、なんだか、あたまが、ぼーっとしゅる……。
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朦朧とする意識の中、ぼんやりと目を開いた。
周囲の景色が、もの凄い速度で後方に流れていく。
でも、ほとんど揺れない。快適だ。
風はそこそこ強いようにも思うが、べつに寒くはないな。抱きすくめてくる柔らかな身体が、とても温かい。
この感覚には覚えがある。ゴレにお姫様抱っこされているのだろう。
あれ、恥ずかしいから嫌なのだが。
視線を上げると、やっぱりゴレの顔があった。
でも、瞳が真っ青になっている。
こいつ、泣いているのか……。
良く分からんが、多分俺のせいだよなぁ、すまん……。
俺はゴレを泣き止ませようと、彼女の頬に手を添えようとした。
しかし、手に力が入らない。持ち上げた腕は、軽くゴレの顔に触れただけで、力尽きてくったりと落ちた。
俺は再び意識を失った。
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深い森の中、俺は大きな白い岩の上に腰かけているようだ。
隣には、銀色の長い髪をした女性が座っていた。
花模様の刺繍が入った赤い頭巾が、とても良く似合っている。
時刻はそろそろ夕暮れ時だ。
沈む夕日よりも鮮やかな、彼女の燃える紅玉のような赤い瞳。そんな瞳が、時折、幸せそうに細められる。
彼女は、一生けんめい俺に話しかけてきている。
何だか、とても伝えたいことがあるようだ。
声を聞き取ろうとするのだが、風の音が強い。
でも、もう少しで聞こえそうな気がする。
もう少しで、聞こえそうな気がするのだ。君の声が。
夕闇が迫っている。
冷たい風が吹き荒れはじめた。
ここはとても寒い。
影色に染まった周囲の草がはげしく舞い上がり、俺は思わず目を閉じた。
轟々と鳴り響く風の音に、彼女の声が、かき消されていった。
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「あんたも、旦那がこんなだと苦労するねぇ」
「まぁ、でも惚れちまったものは仕方ないさねぇ。私も身に覚えがあるよ……」
まどろみの中、遠くで聞きなれない誰かの話し声がした。
一体誰だろう? 誰と話しているのだろう……。
ゆっくりと目を開けた。
見たことのない天井だ。
しかもわりと低い、布の天井だ。これ、天幕か。
俺はのっそりと起き上がった。
その瞬間、何かがすごい勢いで飛びついてきた。
おぶっ!? な、なんだ??
あ、何だゴレか……。
ゴレは上体をおこした俺の身体にすがりついている。珍しく俺の顔を見ていない。ゴレの綺麗なつむじが見える。
なんだか本当に、えらく必死にすがりついているな。なんかもう一生離したくないという感じだ。一体どうしたのだろう。
「……? おはよう、ゴレ」
そして気づいた。どうも、おはようという様子ではない。
天幕の入り口の隙間から見える空は暗い。
おそらく今は深夜だろうか。夜明けまで、まだ時間がありそうだ。
俺はどのくらい寝ていたんだ?
そしてこの状況は、一体何なのだ? 見知らぬテントの中で毛布をかけられ、取り乱したゴレに赤ん坊のようにすがりつかれている。
俺はゴレの背中をなでながら、途方に暮れていた。
「おや、ようやくお目覚めかい」
天幕の入り口から、人が顔をのぞかせた。
背の低い老婆だ。
ぎょろっとした鋭い目をしている。
大きな帽子をかぶり、民族衣装のような服を着ている。これまで俺がこの世界で見てきた服とは、少し感じが違うな。
肌は褐色めいていて、顔つきも、これまで見てきた人達とは異なっていた。
全体の印象でいえば、それこそネイティヴアメリカンのような感じだ。
彼女の声には、聞き覚えがある。なるほど、先ほど夢うつつで聞いた話し声は、どうやらこの老婆のものだったようだ。
「まったく、驚いたよ。妙に森の獣が騒ぐと思ったら、若い男を抱えたゴーレムが、森の中を狂ったみたいに無茶苦茶な方向に走り回っているんだから。それも、ものすごい速度で……」
――これが、俺とテテばあさんとの出会いだった。
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「あんた一体何を食ったんだい? 症状からして、何かの毒に当たっていたように見えたが」
俺達は天幕の外で焚き火を囲み、このご老人、テテお婆さんと一緒にハーブティを飲んでいた。
このハーブティは、貰った肩掛け鞄の中に残されていた、例のスペリア先生ご自慢の逸品である。まぁ、正確なところ、こいつがハーブティなのかは、俺もよく知らないのだが。
品の良い香りのするこいつは、俺のとっておきの飲み物であった。盆地から持ってきた最後のクランベリー林檎様が尽きて以来、俺の食後の楽しみとして、ちびりちびりと、いつも少しずつ煎れて飲んでいた。介抱してもらったお礼に、このご老人にもご賞味いただいたわけである。
ちなみにこのご老人に対しては、先ほど俺の手持ちの食糧から、お食事も振る舞わせていただいている。時間的にはもう完全に深夜なのだが、どうもこの方は、俺達がやって来た騒ぎで、食事を取りそこねていたようなのだ。
それに俺自身も、なぜだかおそろしく腹が減っていた。まるで何日も飯を食っていなかったかのようだ。ほくほくの芋や野菜を大量に入れたポトフは、なかなかに美味かった。
ゴレはあれからずっと俺の腕に抱きついたまま、一度も離れようとしない。
だが、あのひどく取り乱していた状態からは、ほぼ落ち着いてきたようだ。
「毒ですか? 心当たりといえば、直前に枯草人参を食べたことぐらいでしょうか。きちんと本を読んで採集したはずなのですが……」
「枯草人参? ……あんた、ちょいとその本を見せてごらん」
俺はテテお婆さんに言われるがまま、『食べられる野草』の枯草人参の頁を見せた。彼女は図鑑をじっと見た。
そして、枯草人参ではない別の植物の絵を指し示した。
「あんたが食ったってのは、こいつじゃないかい?」
そこには枯草人参とよく似た人参の絵が描いてあった。しかし、葉っぱの形が枯草人参とは違って、ギザギザしている。
「……あ、これですね」
「ばかたれ! こいつは“首吊り人参”だよ! 食ったら即死の猛毒の人参だ!」
な、何ィ!?
首吊り人参!? 食ったら死亡だと!?
なんという外道な即死トラップを仕掛けてくるんだ、この『食べられる野草』は!? そもそも、全く食べられる野草じゃないじゃないか。貴様、『食べたら死ねる野草』に改題しろ!
一体何なのだ、このクソ本は! 返品だ!!!
「わざわざ誤採取を防ぐために、真横に絵付きで首吊り人参を説明して、注意してくれている親切な本だっていうのに。なんであんたは軽率に読み飛ばしているんだい!」
な、何ィ!?
すべては俺の不注意のせいだったというのか!? なんてことだ、疑ってマジですまなかった、『食べられる野草』よ……。
「それにしても本当に運が良かったね。あれを食って生きているとは……。枯草人参みたいに、普通に煮て食ったのかい?」
「はい。根っこを水煮にして丸ごと一本、食べたのですが」
「はあ? 寝ぼけたこと言ってるんじゃあないよ! 首吊り人参丸ごと一本だなんて、氷角巨鯨を100頭殺したってお釣りがくる量だ。……大方、煮汁の方に極々微量に染み出た毒素をほんのすこし飲んで、ショックで吐き出したんだろう。本当に運が良い男だ」
しかしテテお婆さんは、続けて唸るように言った。
「いや、むしろ運が悪いのか……。まさか、しょっぱなで首吊り人参を引き当てちまうなんてねぇ」
「珍しい人参なのですか?」
「珍しいなんてものじゃあないね。その図鑑は本当に慎重だよ。……本来は深い山奥で、数年に一本発見されるかどうかって珍種なんだ。売れば一生安泰なほどの値が付くって話さ」
何ィ!?
俺はそんな金の成る木をわざわざ食って、アホみたいに死にかけていたというのか!
「マジですか……。もったいないことをしてしまった」
「まぁ、今更言ってもどうしようもないことだ。あきらめな」
そうは言うがな、ご老人。俺は今、金貨5枚ちょいしか現金を持っていないのだ。お財布の中身がちょっと不安なのだよ。
にしても、あんな人参が高値で売れるとはなぁ。
漢方薬にでもなるのかな。毒は薬にもなるというし。
「高額取引されるということは、首吊り人参というのは、何かの薬の原料に使える植物だったのですか?」
「まぁ、まったく薬にならないこともないんだが……。それよりも、首吊り人参から精製される毒薬を“グルネリィの蠍”と言ってね。こいつは完全に無味無臭な上に、ほんの一滴で致死量に達する。さらには、解毒の魔術もまるで効かないときたもんだ」
そう言って老婆は、顔をしかめた。
「……要するに、大抵の用途は、貴族連中の毒殺用ってことさ。ろくな使われ方をされない人参だよ」
なんだ、ただの犯罪者に悪用される人参か。
異世界不思議薬品の原料ではなかったのだな。つまらん。興味も売る気も、完全に失せてしまった。
「ふうん、そうか……。なら俺が食って処理しておいて、良かった」
俺のこの呟きを聞いた老婆は、一瞬呆けたような顔をした。
が、突然豪快に笑いながら、俺の背中をばしばしと叩きはじめた。
「あっはっは! なるほどね、なるほどねぇ! こいつ面白いね! こりゃあちょっと、私にも魅力が分かってきたような気がするねぇ!」
いてっ。おい、やめろ。ちょっ 叩くな。
痛い、痛いっ! な、何だこの無礼なばあさんは!?
というか、ずっと気になっていたんだが、先ほどからこのばあさんは、がぶがぶと何かを大量に飲みまくっている。一体何を飲んでいるのだ?
……そこで気付いた。
このばあさん、俺のとっておきハーブティを、勝手に沸かして飲んでいやがるではないか!
俺はあわてて茶葉の入った小さな容器を確認した。
中身は、ほとんど空になっていた。
こ、このババア~~~~~~!!!
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夜が明けて、テテばあさんは手際よくテントを片付け始めた。
ここに住んでいたわけではないようだ。
「なぁ、ばあさん。こんな森で一人何をやっていたんだ?」
ご覧の通り、俺はすでに敬語を使うことはやめている。俺の中で、このばあさんは文化人レベルが低いと判断されたためである。
ばあさんの方も、特に気にする様子もない。
「ん? ああ、ちょいと街まで情報を仕入れに行った帰りなのさ。山向こうにでかい盗賊団が流れ込んで来ているみたいでね。いくつか村が焼き討ちにあっているらしいんだよ」
おいおい、また極悪犯罪者か……。
まったく何をやっているんだ、この世界の警察は。いつか抗議してやる。
「そいつは物騒だな……。ばあさんの所は大丈夫なのか?」
「ああ。襲われた村は全て山脈の反対側だから、随分と距離がある。それに、うちの里は引っ込んだ場所にあるからね。それでも襲ってくるようなら、全員返り討ちにして、ぶち殺してやればいいだけの話さ」
な、なんという武闘派のばあさんなんだ。
まるでうちのゴレみたいに好戦的じゃないか。
「ま、まぁ、歳なんだし、乱暴はほどほどにな……」
ともあれ、ばあさんも自分の村に帰るようだし、ここでお別れだな。
俺は図書館に行かないといけない。
さっさと街道に戻らなければ。
そういえば、ここってどの辺りなんだろう?
周囲は深い森で、野草採取をしていた丘とは景色が随分変わっている。俺が気絶している間に、結構移動してしまったみたいだ。
「ばあさん、俺達街道に出たいんだが。どっちに行けばいいか分かるか?」
「街道? どの街道だい?」
「帝都につながっている大きな街道だよ。たしか“東西街道”とかいったか」
「東西街道? 東西街道なら、方角的には北になるが……。何だってそんな遠方の藩にある街道まで行くんだい? 帝都に行きたいなら、もっと別の街道がいくつもあるだろう?」
…………。
嫌な予感がした。
「なぁ、ばあさん。ここは一体、どこなんだ……?」
「どこって、アラヴィ藩のシドル山脈の麓だが」
「あ、アラヴィ藩……??」
聞いたことも無い地名だぞ。
なんだそれは、一体どこだ。
俺達はさっきまで、サディ藩にいたはずなのだが。
俺はあわてて地図を取り出した。
盆地の隠れ家から持ってきた地図は、古い上に縮尺が大きかった。なので、ティバラの街を出る前に、この国全域が載った地図を新たに購入している。
「そ、それは一体、この地図のどのあたりだ?」
おそるおそる地図を差し出す俺。
テテばあさんは、地図の一点を指さした。
俺は愕然とした。
事実の概要が判明した。
俺が人参の毒にあたって倒れたのを見たゴレは、泣きながら半狂乱になり、俺を抱っこしたまま森の中を爆走。東西街道をみるみる離れ、おそらく一日以上かけて、はるか彼方の“アラヴィ藩”にまで迷い込んでいたのだ。
ここアラヴィ藩は、サディ藩の南西の方角に位置する藩だ。アラヴィ藩は海に面している。この国の南端にある藩の一つである。
だが、サディ藩とは、ものすごく離れている。ここは位置的には、もはや帝都にかなり近い場所だ。
しかも、テテばあさんはゴレが森の中を狂ったように滅茶苦茶な方向に走り回っていたと言っていた。つまり、おそらくパニック状態になったゴレは、直進していない。蛇行を繰り返しながら、短時間でこんな場所まで移動してきたのだ。信じられない、馬鹿みたいな移動速度だ。
とはいえ、経過時間についてはかなり怪しい部分がある。
人参を食ったのは昼飯時より随分と前で、目が覚めたのは夜中だ。物理的に半日で来るのはおそらく不可能な距離だから、日をまたいで、一日以上経過しているのは間違いないはずだ。
俺は一体、どれくらいの間気絶していたんだ……?
ゴレは元々、自発的にばあさんに助けを求めたわけではないそうだ。
ばあさんはゴレを「呼び止めた」と言っていた。
パニックになって高速移動しているゴレをあっさり呼び止めるとは、このばあさん、どんだけでかい声なんだ。
それにしても、ゴレのやつは、誰かに助けてもらおうという発想はなかったのだろうか?
実は、気にはなっていたのだ。
何だかゴレには、異常なほどにぼっち思考なところがある。普段からこいつは、俺以外の他人に何かをしてもらおうという発想が、まるで欠落しているんだ。
おそらく今回だって、自分の力ではどうにも出来ないと思ったからこそ、酷い恐慌状態に陥ってしまったのではないだろうか。
求められない助けを求めて、どうしていいか訳も分からず、泣きながら必死に走り回っていたのかもしれない。
俺は何だか、とても申し訳ない気持ちになった。
隣のゴレの様子を、ちらりとうかがった。
相棒は俺の腕にしがみついたまま、疲れ切ったようにおとなしくなっている。
食事の準備だって、食後のハーブティを煎れるのだって、普段こいつは俺にやらせたがらない。かたくなに緑色のナイフや飯盒を俺から遠ざけようとする様子は、まるで家事は自分の仕事だとでもいわんばかりだ。でも、先刻ばあさんに食事を振る舞ったときには、俺にじっとくっついたまま動かなかった。だから、すべて俺が調理をしている。
普段の俺なら、元気にマラソンをして疲れたんだろうと思うところかもしれない。だけど、どうにもそんな気になれなかった。
それにこいつは、単純に走った程度で疲弊するほど、やわではないと思う。
たぶん、ゴレは……。
泣き疲れてしまったのではないだろうか……。
ゴレの背中をさする俺を、テテばあさんはじっと見ていた。
そこで、ふと思い出したように彼女が口を開いた。
「……なぁネマキ、あんたこの辺りじゃ見ない感じの人間だが、一体どこから来たんだい? そもそもダサイなんて妙ちくりんな家名、聞いたこともないよ」
おや。その質問か、ばあさん。俺はもう慣れたぞ。
住所不定・職業魔導王の俺だが、職務質問をかわす秘儀があるのさ。
つまりここで、わが師匠スペリア先生直伝の、例の必殺自己紹介を披露すればいいのだ。聞いた人がもれなく事情をお察ししてしまう、あの自己紹介を。
「実は俺は、遠い東方の国から来たんだ。色々と深い事情があってな。今はこの相棒と、ふたりで旅をしている」
フッ、どうだ、ばあさんよ。恐れ入ったか。
さぁ、お察しするがいい。
「……そうかい。異国から、ゴーレムと一緒にきたのか」
俺の言葉を受けたばあさんは、ぽつりと呟いた。
その様子は、目の前にいる俺ではなく、どこか遠くを見ているようだ。
何だろう?
今まで俺の自己紹介攻撃を受けた皆とは、微妙に反応が違うような……。
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さて、訳の分からない土地にきてしまったと知ったときには、流石の俺も途方に暮れた。だが、すでにさっぱりと思考を切り替えている。
そうなのだ。俺は頭の切り替えの早い男だからな。
地図を見た感じでは、このアラヴィ藩にも、でかい都市がいくつかある。ここからの距離も、そこまで離れてはいないと思う。図書館があるのかは分からないが、とりあえずは、その都市を目指せばいいのだ。
なに、ちょっとゴレのせいで、位置が大幅にワープしただけだ。やること自体は、何も変わっていない。
俺は斜め後ろに立つゴレを見た。そう、いつもの斜め後ろだ。
優しくなでなでしているうちに、ゴレも随分と元気になった様子だ。
「ゴレ、もう具合は大丈夫か?」
名前を呼ぶと、返事をするように耳が小さく動いた。
長い耳はもうしおれていない。
赤い瞳も、明るい輝きを取り戻しつつある。
ようやくひと安心だ。
相棒の復調を確認し、新たな旅への闘志をみなぎらせる俺に、テテばあさんが話しかけてきた。
「あんた、どうせ行く当てなんてないんだろう? うちの里においで」
「ばあさんの里へか?」
気持ちはありがたいのだが、俺は急いで図書館に行かねばならんのでな。
ばあさんの村で油を売っている暇はないのだ。
「ありがたい話だが、やめておくよ。俺は別の場所に用事が……ぶべっ!?」
突如、杖で頭をぶっ叩かれた。
い、いきなり何をするんだ!? このババアは!?
「ひよっ子の分際で、遠慮なんてするんじゃないよ!」
「いや、遠慮しているわけではなく、俺は図書か……んぼおっ!?」
ババアの杖が俺の脇腹に炸裂した。
こっ……。
こ、このクソババア~~~~~~!!!
「いいから黙って付いてきな!」
「こっ、断る……ッ!」
俺は誇り高き文化人として、絶対に暴力には屈さんぞ、このババア!
そのとき、叩かれた頭と脇腹を、ふわりと優しい感触がおおった。
見れば、ゴレが心配そうに俺の身体をさすっている。
揺れる瞳も、震えるような手の動きも、本当に、本当に心配そうだ。
彼女は一生けんめい俺の頭と脇腹をなでている。
とても辛そうに……。
優しいゴレ。怪我した俺を心配してくれる、いつも通りの行動だ。
だが、俺は現在のこの状況に、何か、とてつもない違和感をおぼえた。
なんだかゴレが、普通の正統派ヒロインみたいに見える。
何かが、おかしい。
ありえないはずの事が、今、起こっている。
そうだ。こんな事って、どう考えてもおかしいぞ。
だって、そうだろう?
ゴレは何故――
ゴ レ は 、 何 故 バ バ ア を 殴 ら な い ん だ ?
普通この状況なら、絶対にゴレはキレる。
たとえ俺が尊敬しているスペリア先生だろうが、不本意ながらまぁまぁそれなりに親しくしてやっているハゲだろうが、もし彼らが俺を殴ってきたら、ゴレはキレて100%反撃するはずだ。
なお、意外に思われるかもしれないが、これまでの経緯を見ている限り、ゴレは俺が大切にしている友人を傷つけることには慎重だ。無礼なハゲに対してもすごく寛容だし、出会った当初は殺さんばかりだったスペリア先生に対しても、俺が彼と仲良くなるにつれて、態度が急激に軟化している。また、戦闘中に俺とギネム・バリの仲良し疑惑が浮上したときには、奴を痛めつけることを躊躇して、弱パンチで済ませたりしたほどだ。
だが、そんな俺の友達が相手でも、彼らが俺に殴りかかってきたとなれば、話がまるで変わってくる。スペリア先生やハゲが相手の場合は、俺が深く悲しむことを知っているから、ゴレは絶対に殺したりしないだろう。その点は俺もゴレを信頼している。だが、それでも俺が止めなければ、感情をセーブできずに、半殺しくらいにしてしまう可能はわりと高い。つまり、それほどに、俺が傷つけられそうになったときのゴレの怒りの沸点は低いってことだ。
女性だからとか老人だからとか、そういうのもゴレには多分関係がない。敵対するなら平等に殴るし、平等に殺す。この点は、例の巨乳女魔術師への対応を見ても明らかだ。
だが、このババアには、まるで反撃しなかった。
俺は制止すらしていない。
しかも、ババアは杖という凶器で、2度もぶん殴ったにもかかわらずだ。
こ、これは、一体……?
このときになって、俺はようやく気付きはじめていた。
実はこのババアは俺にとって、この世界である意味、最強の敵だったのだ。
俺は、このババアよりやばいババアには、ついぞ出会うことがなかった。
こいつは、俺が今まで最強認定していた古代地竜なんぞより、はるかに激ヤバの、最強クソババアであった。
だって、このババアは……。
――ババアはこの時すでに、うちのゴレを懐柔していたのだ。