第47話 やさしい細君
ジビルの街、市壁の外。
荷馬車のそばで、俺はがっくりと肩を落とし、うなだれていた。
商会との交渉の結果自体は大成功といえた。支店長のセペロには、ハゲショップ周辺に手出しさせない事を約束させた。約束を破ったらしつこく抗議に行くと、念押しもしておいた。
荷馬車の所有者のお爺さんへの慰謝料も、異様なほどの金額をもらった。
怯えた表情の職員達が数人がかりで押し付けるように渡してきた大きな金袋は、金貨でぱんぱんに膨れ上がっていた。俺には重すぎたので、ゴレに運んでもらったくらいだ。良く分からんが、お爺さん、これで老後はもはや完全に安泰なんじゃないか……?
まぁ、お爺さんはこわい思いをしたのだから、当然の慰謝料である。
お爺さんは皆で分けようと言っていたが、そのお金はきちんとした理由があって、貴方が受け取るべき物なのだ。どうしてもと言うのなら、ハゲと二人で山分けしてほしい。ハゲは、主にうちのゴレのせいで慰謝料を貰えなかったから……。
……だが、問題があったのは、そこではないのだ。
俺は馬車の荷台に横たわっている、ギネム・バリの方を見た。
彼は今、ハゲから例の懐中電灯みたいな治癒の魔道具で、応急手当てを受けている。
交渉成立の直後、セペロを掴んでいた手を離し立ち上がった俺は、まず、セペロの身体が凄惨なるグロ画像と化していたことに、度肝を抜かれた。
全身の関節が外された上で、脛と前腕の骨が折られ、しかも、両手両足の20本の指全てがドリルのようにねじ折られていたのだ。さらに、ご丁寧に爪まで剥がされている上に……いや、これ以上の描写はやめておこう。
うぷっ、思い出しただけで、また気分が……。
一体彼に何が起こったというのか。まさか、また例の異世界謎現象か?
怯んだ俺は数歩退いた。
そのとき、背後で足に何かがこつんと当たった。
振り返って足元を見た俺の目に飛び込んできたのは、さらなる衝撃の光景であった。これを見た瞬間、もはやセペロのグロ画像化などは、頭の中から完全に吹き飛んでしまった。
足元の床には、なんと、まるでボロ雑巾のようになった証人のギネム・バリが転がっていたのだ!
あわてて抱き起した俺が必死に呼びかけても、彼はうわごとのように「たすけて……。ごめんなさい……」と繰り返すだけだった。よほど怖い思いをしたのだろう。俺の胸は締め付けられた。
ギネム・バリがこんな酷い状態になってしまった原因に、俺は心当たりがあった。
いや、心当たりどころか、もはや疑いようもない。
論理的に考えれば、こんな事が起こる原因は一つしか考えられないのだ。
――そう、犯罪の証人だったギネム・バリは、俺達が目を離した隙に、ペイズリー商会の連中から、証拠隠滅のための暴行を受けていたのだ!
俺は証人を守り切れなかった。
自らの責任において交渉の場に連れてきたにも関わらずだ。
俺は悔悟と自責の念に、身を焼かれる思いだった。
馬車の陰に佇み、今にも泣きそうな顔でうなだれていると、ゴレが心配そうに覗き込んできた。
ゴレの優しい瞳に見つめられ、心が完全に弱りきっていた俺は、ぽつぽつと心情を吐露し始めた。後悔で押し潰されそうな俺は、気持ちを誰かに聞いてもらわずにはいられなかったのだ。
「ゴレ、俺は悔しいよ……。俺が無力なせいで、ペイズリー商会の連中の、証人に対する卑劣な暴力を防ぐことができなかった」
自分のせいで、無抵抗の誰かが理不尽な暴力によりひどく傷つけられてしまったという事実が、俺には耐えられなかった。
話していると、少し涙が出てしまった。
そういえば昔もこんな事があった。俺は悲しいことがあると、よく犬に泣きついていた。
「あんなひどい犯罪商会、いっそ、消えてなくなってしまえばいいのに。……でもね。きっと一番悪いのは、優しいお前に甘えるばかりで、証人をちゃんと自分で見ていなかった俺自身なんだ。俺はもう、消えてしまいたい」
ゴレは俺の涙を優しくそっと指でぬぐい、真剣に話を聞いてくれた。
こいつは、とても聞き上手なのだ。
「……聞いてくれてありがとう、ゴレ」
愚痴を吐き終わった俺は、ゴレの頭を優しくなでた。
おや? いつもなら犬のしっぽのごとく耳をぴこぴこ動かして喜ぶんだが、今日は少し反応がうすいな。
その深紅の瞳は、俺の涙の跡をじっと見ている。
ともあれ、ゴレに話したことで、少しだけ気持ちが楽になった。
俺はハゲ達のいる荷台の方へと歩き出した。
気持ちを切り替えよう。俺にだって、ギネム・バリのために何か手伝えることがあるかもしれない。
このとき俺は、背後からゴレの気配がすっと消えたことに気付かなかった。
◆◇◆◇
……――ペイズリー商会・ジビル支店。
すでに周辺の野次馬も散り、商館の扉は固く閉ざされている。
書類の散乱する館内のロビーで、支店長のセペロが唾を飛ばしながら、周囲の職員達に怒鳴り散らしていた。
「お前達は一体何をやっているのだ! 揃いも揃って役立たずの、この能なしどもが!」
苛立ちまぎれに拳を机に叩きつけようとしたセペロだったが、その右腕は強張ったまま、肩より上に上がらなかった。
拳も握ることも出来ていない。指先は開いたまま、震えているだけだ。
実は彼は先ほどまで、雇いの魔術師達による傷の治療を受けていた。
手足も、見た目の大部分は元の通りに戻っている。
しかし、彼の両手の一部と左足は、いまだに全く動かなかった。
救急医療としては優秀な水属性治癒魔術であるが、実はこれは万能ではないのだ。部位欠損や高度医療に該当するような治療行為になると、ほとんど使い手の稀な、全く別属性の魔術が必要になる。
あまりにも酷く痛めつけられた彼の手足には、確実に後遺症が残るだろうと思われた。
「くそっ! 元をただせば今回の失敗は全て、ジェクト・バロウが無能だったせいだ。あのすかした眼帯め、とんだ見かけ倒しではないか……」
セペロは忌々し気に呟いた。
ジェクト・バロウ。キナスにある本店から、別件でたまたま来訪していた若い男だ。その彼が、今回の聖堂ゴーレム使いが引き起こした一連の騒動に、いたく興味を示したのだ。
ジェクト・バロウは仕事を仕損じたことのない、稀代の弩ゴーレム使いという触れ込みの人物だった。さらにこの青年は、あのお方の側に控えることを許された、お気に入りの配下の一人でもあった。
なればこそ、セペロは彼に便宜をはかってやったのだ。それなのに。
「わざわざ奴の言いなりに、魔術師協会に高い金まで払って『四道化使い』の一味をつけてやったというのに……。それが、たった一人の、どこの馬の骨とも知れないゴーレム使い相手に、手も足も出ずに敗れただと? なんたるザマだ!」
セペロは怒鳴りながら、動かない自らの右腕を睨みつけた。
そうだ。あの東方人の聖堂ゴーレム使い。私の手足をこんな風にしたあの若造。あいつだけは、絶対に許さない。
鏡のように磨かれた商館の白く高級な机に、セペロの顔が映っている。
見栄えのよかったその顔は、怒りによって醜く歪んでいた。
セペロは考えていた。
これまで、麗しいあのお方の定めた指示通りに行動して、失敗した事など一度もなかった。今回も商会と敵対した人間を、マニュアル通りに秘密裏に処理して終わる、いつも通りの簡単な作業の筈だった。
彼には、己が選ばれた優秀な人間であるという自負があった。そして、自身の輝かしい経歴に対しての誇りがあった。その誇りを傷つけた人間を、許すつもりはなかった。必ず相応の恥辱を味わわせる必要があった。
「人手をかき集めろ。理由をつけて、本店に応援を要請してもいい。……あの男本人を殺せないというのなら、身内の方から攻めれば良いのだ」
灰髪の中年男の眼鏡の奥のその目は、殺意と興奮で爛々と輝いていた。
「例のまぬけな魔道具屋の親父を闇討ちにするぞ。娘の方は嬲ってもかまわんが、殺すな。人質として利用する。あいつの瞼に刻み付けられて死ぬまで消えない、悲惨な光景を見せてやる……」
ここまで一息にまくし立てたところで、彼はふと何かを思い出したような顔をした。
そして、まるで安酒を一杯追加注文するように、気軽な調子で言葉を発した。
「ああ、そうだ。ついでに奴らの荷馬車の御者のじじいも、身元を洗い出して殺してやれ。妙にあの薄汚いじじいにこだわっていたからな、あの男。さぞかし良い表情が見られるだろう」
指示を受けた職員達は、皆きびきびと動き始めた。彼等にとっても、これは手慣れた日常の業務の一環にすぎないのだ。
見目麗しく有能な男女たちが、きらびやかな商館の中を颯爽と歩きまわるその姿は、まるで華やかな絵画の世界のようではないか。
セペロはその様子を、満足気に眺めた。
歪みきっていた彼の顔は、すでに元の端正な顔立ちに戻りつつある。
「馬鹿な男だ。あんな口約束など、守る必要はないというのに」
彼の整った口元に薄い笑みが浮かび上がろうとした、その時――
突如、天井付近の壁が突き破られ、輝く白い何かが屋内に落下してきた。
あまりの唐突な出来事に、すべての職員達が言葉を失い、呆気にとられていた。
ばらばらと音を立てて床に落下する、天井の一部や壁材。
しかし、その雪のように白い影だけは、着地の際に、まったく音を立てなかった。
崩れた壁から差し込む光が、白い影を照らし出す。
たたずむその姿は、思わず息を呑むほどに美しい。
紅い瞳に、長い耳。絹のような髪をなびかせる、儚げな乙女。
子供だって知っている。神話に出てくる、古の女神そのものの姿だ。
だが、彼等が目の前のこの女神に見たのは、仄暗い闇を湛えた二つの紅い瞳だった。
その瞳の奥には、何の感情もうかがえなかった。
まるで、踏み潰す前のつまらない虫でも見ているかのような目だった。
この時、その場にいる全員が思い出していた。
焦げ茶色のローブを身に纏った、鋭い眼をした黒髪の男。
並み居る刺客を無傷で下し、屠った敵を旗印のようにゴーレムで掲げながら、しかし、本人自体はまるでたいした敵意もないかのような態度で商館に現れた、異邦のゴーレム使い。
笑顔でゴーレムを精密操作しながら、血の気の引くようなおぞましい拷問を繰り返したあの男。
そして、彼が去り際に残した言葉。
――約束が守られないときは、俺は何度でもお前達の所に“交渉”に来るぞ。
何の前触れもなく、白い女神の影が大きくぶれた。
直後、ぐらりと視界が揺らぎ、急に目の前が真っ赤に染まった。
それが彼等の見た最後の光景となった。
◆◇◆◇
俺達の乗った馬車は、すでにジビルの街を出発している。
ギネム・バリは怯えきって、荷台の隅に体育座りをしていた。
かわいそうに、卑劣な暴行を受けたことが、トラウマになってしまったのだろう……。治療はしたが、顔もまだボコボコ状態だし、指の包帯も痛々しい。特に指の方は、完治に時間がかかるそうな。
ごめんな、ギネム。俺が目を離したばかりに……。
俺はまた責任を感じて落ち込んだ。
出発前、お爺さんが積み荷の中から、桃のような果物を数個分けてくれていた。
俺はゴレにお願いして、その桃を切ってもらった。
彼女は愛用の緑色のナイフを使い、お上品な一口サイズに可愛らしく桃をカットした。
俺はそれを一切れ楊枝にさして、ギネム・バリに差し出した。
ギネムは震えながら受け取っていた。
俺、こいつそんなに悪い奴じゃないと思うんだよなぁ……。
こいつのピエロゴーレム、すごく丁寧にぴかぴかに磨かれていたんだ。
毎日サボらず、大切にふきふきしてあげているのだと思う。
しかも4体だぞ、4体。
俺はゴレが毎日4人もふきふきをおねだりしてくるかと思うと、気が遠くなりそうだ。
まぁ、ちゃんと拭くが……。
そういえばこいつのピエロ達も、ちゃんと回収してやらないといかんな。
元気になったら、また一緒にゴーレム格ゲーで遊ぼうな。
俺は甘い桃をぱくつきながら、すでに随分小さくなっているジビルの街を見やった。
街からひとすじ、細い黒煙が上がっているのが見えた。
あれは何だろう?
そういえば、出発の直前も、街の方がやたら騒がしかった気がする。
商会に向かう途中の通りには、パレードを待っているみたいに沢山の人が集まっていたし、ひょっとすると、今日は街でお祭りがあったのだろうか。
ということは、あれはお祭りで火を燃やしているのかもしれんな。
祭りの際に大きな篝火を焚くというのは、どこの国でも結構やる。この世界も例外ではないのだろう。
多くの文化で、火には神聖な意味があるのだ。
俺はなんとなく、焚き火で作る焼き芋を思い出していた。
「なぁ、この世界……じゃなかった。この国には、焼くとホクホクになる甘い芋とかはないのか? 俺の故郷にはあったんだが」
ハゲはちょっと考えるようなしぐさをした後、のんきな顔で答えた。
「そんな感じの似たような甘い芋なら、この国でも南の地方にはあるなぁ。大都会の市場でも売っている。わしも若い時分に行商をしていた頃、何度か食ったことがあるぞ」
「おお、存在するのか」
異世界焼き芋ができるかもしれない。胸が熱いな。
「でも、残念ながらああいった品は、ティバラやジビル程度の街にはまず入ってこんだろうなぁ」
「なんだ、そうなのか……」
俺はしょんぼりした。
「別にこのあたりの芋も悪くはないぞ? なんなら今度芋料理を作るか」
いや。そういう事ではないのだ、ハゲよ。
まぁ、別に、この地方の芋料理を試食する事自体には賛成だけどな。
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ハゲの家に到着したのは、とっぷりと日が暮れた後だった。
どうやらこの世界、わりと道路事情は良い。馬車の照明用の魔道具もあるから、夜間走行もやろうと思えばできるみたいだ。それでも普通は安全を考えて、滅多にやらないという話だが。
小さなテルゥちゃんを寝室に寝かしつけた後、俺達は居間で男3人、芋料理を肴に酒を飲んだ。
ささやかな借金完済祝いといったところだ。
メンバーは、ハゲと俺と、ギネム・バリである。
ゴレは俺の後ろで洗濯物をたたんでいる。
うん、そうなのだ。ギネム・バリも同席している。
俺が無理矢理ハゲハウスまで連れてきた。
ギネム・バリは嫌がったが、彼には俺の責任で怪我を負わせてしまったのだ。途中で放り出して帰れるわけがないだろう……。
なんで今朝まで刺客だった奴と一緒に飲んでるのか、冷静に考えると、俺自身よくわからない状況ではある。
でも、仕方がないんだ。
だって、俺とハゲが飲んでいるのに、ギネムだけ仲間はずれなんて可哀想だろう?
ちなみに、今つまみにしている芋は、ジャガイモみたいな芋だ。
元の世界の芋とは、やはり少し違うのだが。ジャガイモよりはやや大振りで、少し細長いだろうか。とはいえ、ほとんど誤差に近いレベルだ。
この異世界芋は、馬車で俺達が芋トークで盛り上がっているのを聞いていた御者のお爺さんが、気を利かせて、街道沿いの途中の村落で買い求めてきてくれたものだ。
お爺さんは、旅の最後まで、本当にお気遣いの紳士だった。
ハゲはこの芋を手際よく料理して、つまみを作った。
芋のチーズ焼き、ってところだろうか。
食べやすく切った芋に、チーズとベーコンを乗せてあつあつに焼いたものだ。数種類のソースと香辛料で味付けしてある。
この鮮やかな緑色のソースは何だろう? 見た感じはバジルっぽいが。
一口食べてみた。
あっつ! ホクホクだ。
……うん。シンプルながら、なかなか美味い。
こいつはハゲの好物で、亡くなった奥さんが、よく作ってくれたそうな。
やはり決め手はこのソースなのだが、奥さんが作ったものは、これよりずっとずっと美味しいらしい。
ハゲは酔っぱらうと、泣きながら奥さんとの惚気話を始める。
こいつは、悲しいほどに奥さん一筋なのだ。
ぐでんぐでんに酔ったハゲは、目に涙をためて語りだす。
行商をしていた若い頃、旅の途中で奥さんと出会って、恋に落ちたこと。
きれいな栗色の髪をした、まるで天使のような女性だったこと。
二度ほど振られたが、それでもしつこくアタックし続けたこと。
最後には、とうとう奥さんが折れてくれたこと。
二人で行商をしながら一生けんめいお金を貯めて、とうとう街に念願の店を持てたこと。
あきらめかけていた子供を授かって、本当にうれしかったこと。
雪の降る寒い夜に、可愛い女の子が生まれたこと。
優しい奥さんと娘さんとすごす、幸せな日々。
でも、それから奥さんと娘さんが、重い病気になってしまったこと。
病床の奥さんから、娘さんの将来を頼まれたこと。
最期に奥さんが、幸せだったと言ってくれたこと。
その言葉を支えに、どんなに辛くても頑張って来られたこと。
まったく、独り身の俺やギネム・バリの耳には毒な、リア充体験談である。
俺はぐいっとコップに残った葡萄酒をあおった。
「ったく、ハゲのやつ。喋るだけ喋ったら、酔いつぶれて眠っちまった。しょうがねえなぁ……」
このとき、ふと、あることに気付いた。
どこからか、すんすんとすすり泣く声が聞こえる。
隣を見れば、ギネム・バリが泣いていた。
おいおい、勘弁してくれよ。
「ギネムお前、まさかクソハゲごときの惚気話で泣いちまったのか。本当に情けないやつだなぁ……」
「……ぐすっ。そう言うネマキだって、泣いているじゃないか。……ずぴっ」
「はあ? 俺が泣いている? そんな事実無根の虚偽情報を流すのは……ぐじゅっ、やめてほしいものだな……」
俺とギネム・バリは、奥さん命のだらしない酔っ払いが風邪を引かないように、彼を寝室のベッドまで運んでやった。
ティバラの街の夜は、静かに更けていく。