第45話 応急手当てと下段蹴り
「何も話すことはないね。……さっさと殺すがいい」
紫ローブの青髪男は、そう言ったきり口を閉ざした。
俺は現在、気絶から目覚めたギネム・バリに対する尋問を行っている。
やはりこの男は軽傷だった。あの後すぐに意識を取り戻している。
今回は、倒したほとんどの敵にも意識が残っていた。
ざっと周囲を確認してみたが、死者は出ていないようだ。
毎度思うが、ゴレのこの手加減の上手さには目を見張るものがある。今のところ、殺さないようにお願いすれば、きっちり死者を出していない。
こうして彼等に意識が残っているのも、偶然ではないと思う。おそらくゴレは、俺が彼等をペイズリー商会の犯罪立証のための証人にすると言った事を、あの激しい戦いの最中にも律儀にずっと覚えてくれていたのだ。
いや、待てよ。……案外ゴレのやつも、生命の尊さや美しさというものを、理解してくれたのではないか?
うんうん、とても良い傾向だ! 俺の日ごろの教育の賜物だな。
よもやゴレに限って、俺に嫌われるのが怖くて殺すのを我慢しているだけ、なんて事は流石にあるまい。
こいつは元々すごく心根が優しい奴だから。命の大切ささえ学べば、もはや完全なる慈愛の女神様になれる。“殺戮と嫉妬の女神”とか“蛮妃”だなんて、そんな失礼な事は、きっともう誰も言わなくなるだろう。
と、いうかだ。俺はこの蛮妃ってのは、ゴレには明らかに合っていない呼び名だと思うのだ。
一万歩譲ったとして、せめて蛮姫だろうに。
だいたい、おかしいだろう。お妃だなんて――
「そんなの一体、誰の嫁さんなんだって話だよ。なぁ、ゴレ……」
俺は背中のゴレに語りかけた。
彼女は先ほどからずっと、俺の後ろに密着するように寄り添っている。
背中に抱きついて、必死に頬ずりしているような状態だ。
多分俺の話は全然聞いてないな……。
だが、これに関しては仕方がないとも思っている。最後の狙撃の瞬間、こいつは俺が死ぬかもしれないと思ったはずだ。きっとひどく心配し、激しく取り乱しただろうことは想像に難くない。心が落ち着くまで、好きなように背中にくっつかせてやろうと思う。相棒の精神を安定させてやることも、飼い主の大切な義務のひとつなのだから……。
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さて、現在の俺はこのように、背中にゴレをひっつけた状態でしゃがみ、地面に座り込むギネム・バリのローブの襟元をつかむような格好をしている。
ギネムはまだ十分に身体が動かないみたいだ。
俺がギネムのローブを掴んでいるのは、あくまで彼が逃げたり妙な行動をしないようにするためであって、もちろん恫喝の意味はない。今は手錠や縄なんて持っていないから仕方ないんだ。
当然ながら、俺が彼に対して行っているのは、あくまで言葉のみによる尋問である。この世界の法律は知らんが、おそらく合法な事情聴取だろう。
誇りある文化人は、拷問などという野蛮な非人道的行為は絶対にしない。
拷問や暴力に頼らずとも、人と人とは対話ができるのだ。
矢を射かけられたから斧を投げ返した、などという行為を延々と続けているだけでは、人類に未来はない。
そう、俺は一文化人として、今度こそ話し合いで全てを解決してみせる!
……とは言ったものの、ギネム・バリは頑なだ。何も喋らない。
「さっさと殺すがいいって言われてもだな……。俺には別に、お前のことを殺す予定なんてない。きちんと事情を話してくれないか」
「…………」
無反応か。
本当に参ったぞ。いわゆる仕事人のプロ根性というやつなのだろうか。
違法な犯罪行為に、プロも糞もないと思うんだがなぁ。
「お前が何も喋ってくれないとなると、そこらへんで倒れているお仲間の誰かに話を聞くしかないってことになるが」
俺は周囲を見回した。
倒れ伏すズタボロの魔術師達は、皆重傷者ばかりだ。
しかもギネム・バリとは違い、彼等は俺に対し、何故か異常に怯えている。
目が合った瞬間、ガチガチと歯を鳴らしながら、青い顔で震え始める奴までいるような始末だ。
す、すごく会話し辛い……。
「どうしよう。弱ったなぁ」
うつむいた俺は、悲しげに、ぽつりと弱音を吐いてしまった。
この瞬間、ギネム・バリが突如絶叫を上げ始めた。
「あっあっぎゃあ゛あ゛あ゛あああああああああああああああああ!!!」
「!?」
驚いた俺は、思わず彼のローブを掴んでいた手を離しそうになった。
しかし、俺はすでに学習していた。ティバラの街でチンピラの頭目が大きな声で泣き叫び始めたとき、俺はびっくりして手を離してしまった。そのせいで、あの大男は逃げ出した。結果として話し合いが出来なかったので、今、事態がこじれ、このような事になっている。
俺はローブを握る手に、ぐっと力を込めた。
そして、泣き叫ぶギネム・バリに顔を近づけた。
「情けない声を出すんじゃあない。絶対に逃がさないぞ、絶対にだ。……話し合いをしよう」
「あっぐっう、こんな拷問に゛いはあっあっぎいいいいいいいいいい!!!」
「???」
何故か、再び悲痛な叫びを上げ始めるギネム・バリ。
周囲の魔術師達が、まるで悪魔か何かを見るような、恐怖と絶望に満ちた目で俺を見ている。い、一体何だ……?
とはいえ、多少びっくりはしたが、しかし、すでに二度目である。
もはや俺をおどかそうとしても、無駄だ。
俺は学習のできる男なのだ。
話し合いの機会をみすみす逃がすようなヘマは、もう二度としない。
俺は固い決意と共に、ギネムのローブを握る手に再び力を込めた。
「こんな事を繰り返していたら夜になってしまうぞ。……話し合いをしよう」
「ひっひっ! ひいい! わ、わか、分かった! 話す、話すよ! もっもうやめてくれぇ!」
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「……まぁ、いいか。元々おいらは、奴等に対して何の義理もないしね」
憔悴しきったギネム・バリが、あきらめたように呟いた。
この口ぶりからすると、やはりこいつは、ペイズリー商会内部の人間ではないのだろうか?
ギネムは、ぽつぽつと語り始めた。
「依頼者は、ペイズリー商会のセペロ支店長。実行内容は、赤眼の聖堂ゴーレム使いと同行者、計3名の殺害だ。可能なら、女児の身柄は生かして確保――」
「あれ、未成年は殺さないのか? 意外と紳士的なんだな」
「…………。あいつら、ガキどもを本店のあるキナス藩に拉致して、変態貴族相手に斡旋して政治材料にするらしい。おいらも詳しくは知らないし、あくまで業界の噂なんだが。ガキを生かすのはその為かもしれないね」
「な、何だそりゃ……」
最悪じゃないか。
少しでもペイズリーの紳士道を信じた、俺のピュアな気持ちを返してくれ。
「……でも、おいらはそれ以上何も知らない。本当だ」
「本当か?」
「本当だと言ってるだろう」
訝しむ俺に、ギネム・バリは不満そうである。
だが、直後、何故か彼は急に俺に対して怯え始めた。
「ひいっ!? ほっ本当だ、本当だよ! もうさっきのは勘弁してくれえ! おいら達は急遽呼ばれた助っ人で、商会の人間じゃないんだ! そもそも、実際においら達に出されていた指示は、ゴーレム使いであるアンタの撃破のみなんだ。他の仕事は、すべて同行者がする事になっていたんだよ! あの藩の連中やたら金払いがいいから、おいらは一口乗っただけなんだよおお!」
そ、そんなに叫ばなくても、ちゃんと聞こえているのだが……。
とはいえ、こいつが大して事情を知らないというのは、別に嘘ではないような気もする。ハゲもギネム・バリがこの場に来た事には、随分と驚いていた様子だった。俺……というよりはゴレ対策の秘密兵器として投入された、ただの派遣アルバイトだった可能性は十分にある。まぁ、いずれにせよ犯罪だが。
こいつの言う“同行者”とは、つまり、俺が〈土の戦斧〉を使ったブーメランに巻き込んでしまった、あの弩ゴーレム使いの眼帯男のことだろうか。言われてみれば、俺以外の非武装の民間人まで攻撃の巻き添えにしてきた外道は、あのイケメンただ一人だが……。
「あの眼帯男の方は、詳しく事情を知っているってことか?」
「あ、ああ、おそらく……。あの男はおいら達とは違って、ペイズリー商会の人間なんだ。なんでもキナス藩にある本店からやってきたエリートって話だが」
「そうだったのか……。だが、それは少し困ったな」
あの男をぶちのめしたのは、加減を知らない素人の俺だ。元々器用な上に、さらに他人への優しさに目覚めた慈愛の女神ゴレではないのだ。しかも、巻き込み事故だ。完全に意識を刈り取ってしまっているし、いつ意識が戻るのかすら、まったく予測がつかない。
切り倒された木々の中、頭から血を流し白目を剥いていた、あの元イケメンの姿が脳裏に浮かんだ。
あの様子だと、今すぐの事情聴取は、ちょっと難しい気がするな……。
……それにしても、先ほどのギネムの話。
商会の目的は、俺達3人の殺害。可能なら女児は生かして身柄確保、か。
実をいうと、あの弩ゴーレム使いの行動には、一つだけ不可解な点があったのだ。
奴は当初、俺の右斜め後方の林の中に潜んでいた。
当然ながら、この位置は通常なら俺の死角にあたる。
が、奴はその後じわじわと移動を続け、最終的には俺の右横まで位置を変えてきている。
そう。後方の完全な死角から、わざわざ真横まで移動しているのだ。
俺めがけて突撃してくる場合には、連携の兼ね合い等で、そういう位置取りもありなのかもしれない。だから、戦闘中はこの疑問についてスルーしていた。
しかし実際には、奴は俺を狙撃するつもりだったのだ。ならば、何故右横まで移動してきたのか。それがずっと謎だった。仮に最初の位置から狙撃を行っても、角度的に味方の巻き込みなどは起こりえなかったのに。
だが、先ほどのギネム・バリの話を総合してみると……。
――もしかしてあいつ、最初から俺とハゲとお爺さんを、一撃で同時に屠るつもりだったんじゃないのか?
考えてみれば、じわじわと移動を繰り返していた奴が動きを止めたのは、俺が3人に位置の移動を指示し、全員のポジションが固定された直後だった。
俺を狙った射線上に、たまたまハゲとご老人がいたわけでもなく。たまたまテルゥちゃんの背が低かったせいで、射線から外れていたわけでもなく。あの男は、最初の第一射でターゲットを全て殺害した上で、女児のみ生存させようとしていたのではないのか?
背筋に冷たい汗が流れた。
何という、えぐい男なんだ……。
ギネム・バリより、名前も知らないあの眼帯男の方が、実はやばかったのではないのか。
俺は、林の中で頭を打って寝転んでいるはずの男の方角を見やり、戦慄した。
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「ネマキよ、お前さんはどこも怪我はしとらんか?」
「ん? ああ、俺は大丈夫だ」
先ほどから、ハゲは俺達3人の怪我を確認して回っている。
ハゲは水色の懐中電灯みたいな魔道具を常備しているのだが、こいつを傷口にかざして魔力を込めると、初級の治癒魔術が発動するそうな。
この世界の救急キットみたいな物なのだろうか。
思い起こせば、チンピラに半殺しにされたハゲの怪我からの復帰は、妙に早かった。それもこれも、全てこいつのおかげだったというわけだ。やたら生命力の高いハゲだとは思っていたのだが。
それにしても、便利な魔道具だ。
もしハゲショップに在庫があるなら、後で買ってしまおうか……。
どんどん欲しい魔道具が増えてきている。ハゲショップには楽しい玩具がいっぱいで、目移りしてしまう。
魔道具って実はかなり値段が高いみたいだし、下手に玩具感覚で色々買ったら、あっという間に金が尽きて破産してしまうかもしれない。だが、まぁ、おそらく死にはしないだろう。
……相変わらず、俺の金銭管理能力は呼吸をしていなかった。
俺達全員に怪我が無いのを確認した後、ハゲはこの魔道具を用いて、例の、杖を持っていた女魔術師の傷の応急手当てを行なった。
俺は馬車の荷台に腰かけながら、地面に横たわる女魔術師の治療の様子を眺めていた。
水色の懐中電灯を当てられた患部の傷が、じわじわと塞がっていく。
この魔道具による治療は、わりと時間がかかる様子だ。
治療開始から、もうかれこれ10分近く経過しているだろうか。
こうして応急手当てを行なっているのは、この女性魔術師一人だけだ。
一応断っておくが、別に、男性犯罪者や年長女性犯罪者は喜々として殺すくせに、なぜか美少女の犯罪者にだけは手加減して助命したり高価な薬で治療してやったりして、美少女に感謝されつつ紆余曲折あって、最終的には良い雰囲気に……。みたいな、そういったハーレム主人公にありがちな特性を、俺が見事に発揮しているわけではない。第一、治療しているのはハゲだし。
むしろ、その逆なのだ。付近に転がっていた魔術師集団の中で、彼女だけやたら負傷が酷かったのだ。ぶっちゃけ致命傷だ。主に、うちのゴレが謎の追撃を加えたせいで。
放っておいたら、おそらく彼女一人だけは死んでいた可能性が非常に高い。
そう。この人だけが、ガチで救命処置が必要なのだ。
「それにしても、お前でも手加減に失敗することがあるんだな……」
俺は傍らに座るゴレを見た。
先ほどから彼女は俺にぴったりと寄り添いながら、女魔術師の治療をしているハゲの背中めがけて、不服そうなオーラをぶつけまくっている。
いや、ゴレよ。ハゲが治療してやらないと、あの人死んじゃうからな……?
いくら犯罪者といえども、助けられる命ならば、無駄な人死にを出すことはないと思うぞ。
「なぁネマキ。何だかよく分からんが、ゴレタルゥが放っとるその妙な怒気を抑えてくれんか? すごくやりづらいんだが……」
とうとうハゲから抗議が来てしまった。
すまん、ハゲ。でも、俺にも原因がよく分からないんだよ。
そうだ。怪我と言えば、ギネム・バリの怪我が、なんだかおかしな事になっているのだ。
当初はゴレに顔を殴られただけだと思っていたが、先ほど気付いたら、何故か右手の指が2本、変な方向に捩じれ曲がっていた。
殴られて転倒したときにでも、捩じり折ってしまっていたのだろうか……?
気の毒ではあるのだが、命に別状はないので応急処置はしていない。
そう、今は急いでジビルの街に引き返さないといけないのだ。
ペイズリー商会のなんたら支店長に、断固抗議しなければならない。
うかうかしていると、また次の刺客を送り込んでこないとも限らないからだ。この問題は、早めにケリをつけた方がいい。
とりあえず、重傷でひっくり返って震えている魔術師達のことは放置し、証人になりそうなギネム・バリだけを連れて、このまま馬車でジビルの街に引き返すことにした。
急いで出発しなければならないのには、もう一つ理由がある。
実は先ほどから油断していると、ゴレが俺の隙を見て、地面に横たわる巨乳魔術師めがけてサッカーボールキックを決めようとするのだ。
早くゴレと巨乳を引き離さないと、まずい。
とか思っている間に、またゴレが巨乳の方に歩み寄ろうとしている。
おい、やめろゴレ! 治療が無駄になってしまうじゃないか!!!