第44話 吐息と約束
俺は戦場跡に突っ立ったまま、じっと考え込んでいた。
斧さんの危険性と安全使用も問題なのだが、それより、さっきのあの弩ゴーレムの狙撃は一体なんだったんだ?
馬鹿でかい矢が、ものすごい距離をぶっ飛んできたぞ。
図鑑の説明と、まるで違うではないか。
奴が凄腕だったのは間違いないだろう。でも、単なる腕の良さだけでは、飛距離などは説明がつかないように思う。
ゴーレムの性能ってのは、生成者の力量で結構変化するものらしいから、それが原因なのだろうか。
だが、それにしたって妙な感じはする。
何だかちょっと、強すぎるような……。
俺だって別に、この世界の戦闘様式について詳しいわけじゃない。だがあの弩ゴーレムは、遠距離攻撃手段が限られていると思われるこの世界で、あれだけの射程を稼ぎ出していた。それって普通に考えれば、とんでもないアドバンテージだ。兵器としては、もはや別次元の性能と評価しても良いのではないだろうか。
こんなものが存在するなら、図鑑にそれなりの記述があっても良さそうなものだ。
ただ、そういう意味では、うちのゴレのように、訳がわからんレベルで強いゴーレムの実例はすでに存在している。深く考えても仕方がないのだろうか。いや、しかし……。
あやうく思考の渦に呑まれそうになっていた。
ふと気付くと、ハゲが俺の戦斧をしげしげと眺めている。
げえっ まずい! 魔導を使っているのがばれたか!?
内心慌てふためく俺に、ハゲが怪訝な表情で訊ねてきた。
「ネマキよ。そいつは、まさか古代魔具……しかも、魔武器か?」
「……へ? あ、ああ。うん。もちろん、その通りだ」
とりあえず、一応ハゲに話を合わせておくことにした。
俺はそれなりに場の流れが読める男だ。
「お前さんが色々とアレな事には、もう驚きはせんつもりだったんだが。まさか魔武器使いだったとは……。しかし、魔武器という物は、あんな無茶苦茶に空をぶっ飛ぶもんだったのか……」
ハゲは唸りながら、ぶつぶつと呟いている。こ、このクソハゲ、今また人のことを、さりげなくアレ呼ばわりしやがったな。
だが、この様子だと、どうも魔導を使ったとは思われていないらしい。
俺の斧と似たような魔道具が存在しているのか。
ともあれ、これは非常に助かった。
正直、斧を魔導でぶっ放したときには、皆が殺されてしまうと思い、頭に血が上ってしまっていて、後先のことなど考えていなかったのだ。
しかし、やはり冷静になってみれば、俺とて逮捕されるのはもちろん嫌だ。
それに、例のリュベウ・ザイレーンの遺言の内容が正しければ、過去の魔導王は何人も殺されているという話だ。それって普通に考えれば、退治されたり、捕まって死刑になったりしたってことだよな?
つまり俺も逮捕されれば、経歴に傷がつくどころでなく、実は命がやばいのかもしれん。魔導王は基本的人権が保障されず、公正な裁判が受けられないおそれもある。
「いやぁ、たまげたのう。ゴーレム使いさんは、すごいんじゃなぁ」
御者のお爺さんが、にこにこと話しかけてきた。
彼は死屍累々と横たわっている魔術師達を眺めながら、明るい笑顔である。
ああ、やはり貴方には、その太陽のような笑顔が似合っている。
というか、この人の事は、完全に俺達の事情に巻き込んでしまっているよな。本当に申し訳ない……。
「ネマキおにいちゃんっ!」
このとき、無邪気なテルゥちゃんが飛びついてきた。
「おっと、危ないよ」
俺は斧を後ろに下げて、左手で優しく幼女を受け止めた。
「ネマキおにいちゃんはすごいのねー!」
腕の中のテルゥちゃんの笑顔が、眩い輝きを放っている。
そうか。俺はこの5歳児の笑顔を守り切ることができたのか……。
ヒモで幼稚園児以下の知識しかないゴミクズ魔導王な俺でも、なんとか児童の夢と将来だけは守れたようだ。本当に良かった。
俺は子供の手本となるべき一人の大人として、心底ほっとした。
それにしても、お兄さんは本当に疲れたよ。主に心因性の疲労だが……。
でも結局、矢を放ってきた相手に斧を投げ返した俺は、暴力に暴力で応酬しただけなんだ。
もちろんあの状況で、その判断が間違っていたとは思わない。
だけど今回、誰が一番偉くて、誰が一番君の見本になれるような立派な大人だったのかと言えば……。それはきっと、勇気をもって和平交渉に臨もうとした、君のお父さんなのだろうと俺は思う。
間違いなく、君のパパが一番文化人だったのだ。
俺は、隣で腕組みしながらまだ唸っている、冴えない中年男性を見た。
しかし、もちろん誇り高きこの俺が、このクソハゲの前でそんな素直な感想を漏らすはずもない。
俺は余裕の笑顔でテルゥちゃんに言い放った。
「ま、お兄さんやパパみたいな大人達が本気を出せば、こんなものさ。悪い奴らなんてイチコロだよ」
しゃがんで子供目線にあわせ、テルゥちゃんの頭をなでてやった。こうして目線を下げるのは、児童を威圧しない為の大人の義務だ。
目線をあわせているので、当然ながらテルゥちゃんの顔が近い。
間近に見るその幼い瞳は、きらきらと宝石のような輝きを放っていた。
突然、テルゥちゃんが、頬にキスをしてきた。
小さな蕾のような唇は、温かく、柔らかい。
……はあ。本当におませさんなのだな、君は。
俺は彼女のふわふわとした栗色の髪の毛を、優しくそっと手で梳かした。
テルゥちゃんの幼いほっぺたが、薔薇のように紅く染まっている。
まぁ実際のところ、この年齢の女の子というのは、ぬいぐるみの熊さんとかにもキスをしてしまうお年頃なのである。ハゲのやつも、隙を見てぬいぐるみの洗濯をするのが大変だろう。
それにね、テルゥちゃん。君はまだ意味が良く分かってないのだろうが、そういう事は、本当は軽々しくしたらいけないんだよ。
幼稚園の男の子のお友達なんかは、君のその行動で悲しい勘違いをして、人生を大きく踏み外してしまう。同年代の女の子の思わせぶりな態度というのは、それほどに罪深いものなんだ……。
しかし考えてみると、今のこの状況というのは、強敵を倒した後にヒロインから口づけをされるという、甘酸っぱい王道のシーンそのものだよな。
なのに、なぜ俺には5歳児しか口づけをしてくれないのだろう?
あ。やばい、涙が出そうだ。
というかだ、テルゥちゃん。そんなに抱きついていると、そこに立っているハゲがそろそろ確実にキレるし、それに君を独占したがるゴレだって――
ん? ゴレ?
そこではたと気づいた。ゴレのやつが側にいない。
普段なら、確実にテルゥちゃんを乱暴に奪い取られているはずなのに。
あいつ、どこへ行った?
位置を探った。ギネム・バリの所にはいない。奴はゴレに殴られたのか、向こうの地面にぶっ倒れている。
……見つけた。ゴレは林の中だ。
視線を向けると、木々のなぎ倒された林に白い影が立っている。
彼女は、右腕を切り落とされ尻もちをついた状態の、大柄なゴーレムの前に仁王立ちしていた。
すでに霧は晴れ、ゴーレムの姿はさらけ出されている。
茶色いずんぐりとしたゴーレムだ。
あれが弩ゴーレムか。本当に重ゴーレムってごついんだな。
胴体もでかいが、腕も足も非常に太い。
体高だけじゃなくて横幅がかなりあるので、体格からして軽ゴーレムとは完全に別物という印象を受ける。
ただ、こいつはやはり甲冑のような増加装甲部分の割合が、軽ゴーレムと大差ない感じだ。元々接近戦用ではないって話だし、あまり防御力は重視されていないのかな。
斧による周辺被害に巻き込まれたゴーレム使いも、倒れた木々の中で昏倒している。
眼帯をした男だ。
頭から血を流して白目を剥いているその顔を見て、おや? と思った。
あの顔、どこかで見覚えが……。
そこで思い出した。
あいつ、ペイズリー商会のロビーで俺を見ていた、イケメン眼帯男ではないか!
まさか、あのときの眼帯男が弩ゴーレム使いの正体だったとは。
だらしなく白目を剥いたその顔面には、もはや商会で見たときのようなイケメンの面影はない。そのせいで、気付くのが遅れてしまったのだ。
なるほど、そうか。こいつはあのとき商会ロビーの待合席から、殺害のターゲットである俺の下見をしていたのか……。
この男が倒れた直後にあっさり霧が消失している事からして、おそらく林を覆っていた索敵阻害の霧は、彼自身が生成したものだったのだろう。
自分で索敵阻害をかけて姿をくらませつつ、弩ゴーレムで超威力のありえないロングレンジ攻撃ができるんだから、こいつ相当にスペックが高いよな。ぶっちゃけ魔導の空間把握がなかったら、俺にはまるで対抗のしようがないぞ、こんなやばい奴……。
しかし俺の平和な感想タイムは、ここで終了を迎えた。
弩ゴーレムの前に立つゴレの全身から、ざらつく黒い殺気が、猛烈な勢いで噴出していることに気付いたのだ。
やばい。ゴレのやつ、完全にキレている。
確かに今回は、ゴレが2000%キレるはずの展開だった。
普段は暴力行為に対するモチベーションの著しく低い俺であるが、今回、お年寄りや小さな子供を守ろうという純粋な気持ちから、珍しく戦いに対するモチベーションが上昇していた。だから〈土の戦斧〉なんて新技を常時発動させていたりもした。そのおかげで、たまたま、事なきを得た。
……が、ぶっちゃけいつも通りゴレのヒモとして普通に試合のレフェリーをしていたら、最後の狙撃で100%死んでいる展開だったのだ。
そして、この弩ゴーレムは、狙撃の実行犯だった。
俺が制止の言葉を発する前に、ゴレは弩ゴーレムを蹴り倒して馬乗りになり、その顔面を無茶苦茶に殴り始めた。
正確には、最初の第一撃でゴーレムの頭部は完全に破壊されたのだが、ゴレは怒りのままに、頭のあった位置の地面を滅多打ちにしている。
怒りがおさまらないゴレは、憐れな重ゴーレムの残った左手を、力まかせにひっぱり始めた。
エルフの白い細腕にビキビキと引っ張られる、茶色く巨大なゴーレムの腕。
その腕が、バキンと音を立てて肩から外れた。
「お、おい、ゴレ、もう勝負はついている。それ以上はかわいそうだ……」
その時になってようやく近くまで駆けつけた俺は、おろおろとゴレの側に歩み寄った。情けない飼い主の姿である。
ほどほどで制止しようと、荒れ狂う彼女を見守っていた。
すぐに止めることもできたのかもしれないが……。いや、だって、ちょっと待ってくれ。今俺は向こうの原っぱからこの林まで、全力ダッシュで来たんだぞ? 息が上がってしまっているんだ。
だが、次の瞬間、俺は息をのんだ。
怒りと殺気の充満した赤い瞳をぎらぎらと輝かせたゴレが、右手をひときわ大きく振り上げたのだ。
その狙いは、ゴーレムの胸。
心臓の位置。
そこには、魔導核が入っている。
ハゲは言っていた。ゴーレムの素体は、いくら戦闘で破壊されても比較的簡単に修復できる。でも、疑似人格を付与されている魔導核だけは、破壊されると二度と修復できないと。
ゴーレムの胸の魔導核に宿っているのは、記憶と経験の積み重ねと共に形成されていく、そのゴーレムの心そのもの。
その破壊が意味するのは、ゴーレムの“死”だと。
――ゴレは、この弩ゴーレムを、殺す気だ。
俺は無我夢中でゴレに飛びついた。
いつもの事だが、ゴレは俺の動きにはまったく抵抗しない。だから、勢いのついた俺に抱きつかれてへにゃっとなって体勢を崩した彼女は、右手を掲げたままひっくり返った。
仰向けに倒れたゴレの上に覆い被さり、地面に押し倒す形となった。
身体の下に彼女の柔らかな感触がある。それは、かすかな熱をおびていた。
俺はゴレを押し倒したまま、真剣な表情で彼女を見つめた。
先ほどの全力ダッシュのせいで、息が荒い。
まるで興奮した獣のような息づかいになってしまっているが、仕方がない。
触れそうな距離で力強く熱い吐息がかすめるたび、ゴレが切なげに身をよじり、長い耳がぴくぴくと震えている。
二つの深紅の瞳が、潤んだような熱っぽい視線で見つめ返してきた。
しかし、夢見心地に輝く彼女の瞳のその奥には、何か、重大な覚悟が秘められているように感じた。
そこにはあたかも、人生でたった一つの大切な何かを捧げる決心をしたかのような、そんな重みがあった。
……どうやらこいつにも、説教をされる覚悟はあったらしいな。
だが、別にそんな悲壮な決意をするほどの事でもないのだが。
俺は重なり合う彼女に、ゆっくりと告げた。
「なぁ、ゴレ。――ゴーレムを殺すのは、やめよう」
そうなのだ。俺はゴーレムを殺すことには、反対であった。
「お前が俺の事を思って行動してくれているのは分かっている。この世界は理不尽な暴力がまかり通っている様子があるし、いくら甘い俺だって、何でもかんでも殺しては駄目だと思っているわけではないんだ。そのうち正当防衛的に、人間を殺さないといけない場面もあるかもしれない。……でも、ゴーレムを殺すのは、やめよう」
ゴレは問いかけるように、じっと俺の目を見つめている。
俺は優しく諭すように話を続けた。
「……なぁ、ゴレ。お前だって、もし俺が敵を殺してくれとお願いしたら、躊躇なくぶち殺しちゃうだろう? そこのでかいゴーレムだって、ピエロゴーレム達だって、きっとお前と同じさ。こいつらは悪くない。悪いのは、飼い主なんだ」
俺には断固たる信念があった。
責任があるのは、けしかけたり、しつけが出来ていない飼い主の方だ。
犬……じゃなかった、ゴーレムには、絶対に罪は無い。
おまけにゴーレムには、殺さずに完全に無力化できる明確な手段がある。無防備に剥き出しになっている頭を壊せばいい。わざわざ分厚い装甲に覆われた胸を抉って、殺す必要なんてないんだ。
「分かったかい、いいね?」
俺はゴレを押し倒したまま、その頭を優しくなでた。
ゴレは熱にうかされたように、ぼうっと見つめ返してくる。
こいつは賢いから、きっと分かってくれただろう。
そもそも、ゴレは俺との約束ごとはきちんと守ってくれる、いい奴だ。
さて、敵はすべて無力化された。
俺は名残惜しそうなゴレの上から立ち上がり、皆のいる荷馬車の方へと歩き出した。
林の中に移動して皆との距離が離れたこともあり、先ほどすでに〈土の戦斧〉への魔力の供給は切っている。ローブの中で、斧は黒い粒子となって消えていった。
斧の崩壊で魔導が切れた事により、俺の空間認識能力のブースト状態も終了している。
――だから俺はこの時、気づいていなかった。
新たな怒りの矛先を見つけたゴレが、ゆっくりと起き上がったことに。
そして、陽炎のような殺気を立ち昇らせながら、後ろで倒れている弩ゴーレム使いの眼帯男の方へと、静かに歩み寄って行ったことに……。
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大きく背伸びをしながら、戦場となった街道沿いの広場の様子をのんびりと眺めた。
草原の中に、荷馬車と3人の老人子供。少し離れた場所には、ズタボロの魔術師達が大量に転がっている。
視界に入ってくるのは、それだけの光景である。
綺麗な青空には、一筋の白い雲が流れている。はるか彼方の上空にいる鳥の様子なんて、もちろん分からない。
やはり、これくらいで丁度いい。
魔導を発動させていると、色々と見えすぎてしまうせいで、俺らしからぬシリアスモードの連続になってしまって良くない。とっても気疲れする。
何気なく視線を向けた先に、ギネム・バリが鼻血を噴出して伸びているのが見えた。
このとき、一つの疑問が湧いた。
「……? そういやゴレのやつ、ギネム・バリを弱パンチで許してやったのか」
失神こそしているものの、遠目に見ても、ギネムだけあきらかに軽傷なのだ。
見たところ、顔面を軽く一発殴られてKOという感じだ。
他の魔術師連中は皆重症で、酷い痛めつけられ様なのだが……。
「一体どういう事だ……?」
すこし考えて、ある事に気付いた。
なるほど、そうか。よくよく考えてみると、実態はどうであれ、ギネム・バリは俺に対する攻撃をまったく行っていない。結局のところ、あの男がやっていたのは、ピエロ達をゴレにけしかけていた事だけだ。
しかも戦闘中、敵の中でこいつだけは、俺とわりと普通のテンションで会話をしていた。
ギネムがうちの可愛いゴレの事をやたらと褒めてくれるものだから、不覚にも、俺もそんなに敵意をむき出しにしてはいなかった。いや、むしろ多少誇らしげに会話をしていて、ぶっちゃけ普段ハゲと話している時とあまり変わらない。
ゴレはいつも、俺以外の人間の話の内容はまじめに聞いていない。彼女からすると、途中からこいつは俺のただのゴーレム格ゲーのゲーセン仲間なのか、微妙に判断がつかなくなっていたのかもしれない……。
俺は失神しているギネム・バリの方へと、ゆっくりと歩きはじめた。
好都合だ。こいつには、ペイズリー商会の犯罪を自供してもらわねばならない。
ここまでやられた以上、もはや俺にも、一歩も引く気はない。
ペイズリーの馬鹿どもの所に、毅然とした態度で抗議に向かおう。




