第42話 道化の鎖と死の一撃 -中編-
「ふふっ、くくく……勝った、勝ったぞ……!」
歓喜の表情のギネム・バリが、拳を握って天を仰いだ。
道化ゴーレム達の鎖は、ゴレの全身を完全に拘束していた。
うら若いエルフの細い肢体に、蛇のように無数の鎖が絡みつく。
その、可憐な二つの胸の膨らみに。
すべらかな腹部に。
白く艶めかしい太ももに。
彼女が弱々しく身じろぐ度、鎖達がじわじわと、まるで乙女の柔肌を舐めまわすかのように、妖しく、そして淫靡に蠢いた。
恐ろしく背徳的な光景であった。
これ、絶対に子供に見せてはいけない気がする。
「お、おい、ハゲ。テルゥちゃんを……」
「も、もうやっとる……」
ハゲはすでに、テルゥちゃんの両目を手で覆い隠していた。
ナイスだぞハゲ! お前、ここに来て初めていい仕事した気がするわ!
「パパなあに? いやー。テルゥもみるー」
駄目だテルゥちゃん。この戦いは君にはまだ早い。
一方でこのとき俺は、ゴレの貞操を案じ、児童の教育に配慮しつつも、ずっと伏兵の潜む右手の林の気配を探り続けていた。
ゴレの動きが完全に止まったこの絶好の状況においても、林の中の重ゴーレムは出てこない。
だが、何となく理由に当たりはついている。
こいつは、おそらくだが、俺が伏兵を察知している事に気付いているような気がする。
実は、じりじりと俺の横手へと移動していた重ゴーレムとゴーレム使いは、ある時点でぴたりと移動をやめ、じっと息を潜め始めた。
それは、ハゲ達が俺の左手に移動した少し後のことだ。
別に、ハゲ達が不自然な動きをしたわけではない。むしろかなり自然に移動出来ていたと思う。
つまり、おそらく奴は位置取りの変化のみから、俺の意図を察したのだ。
こいつは、相当に勘が良い奴だ。
ただ、奴にとっての奇襲のアドバンテージが消えた現在でも、撤退もしなければ、開き直って姿を現す事もしない点からして、俺が奴の正確な位置を掴んでいるとまでは考えていないようだ。
まぁ、そりゃそうだわな。霧の魔術の索敵阻害の効果を無視する空間把握能力なんて、普通は考えもしないだろう。おそらく、林に残された霧の存在に気付いた俺が、そこから伏兵の存在を推測したと考えているのではないだろうか。だから、俺から正確な位置を割り出されない為に、息を潜めたのではないか。
奴はその場にとどまって潜伏し続ける気なのか、それとも、いずれかのタイミングで出てくる気なのか……。
だが、俺に突撃をかけてくるとすれば、ゴレの動きが封じられている今以上のタイミングが存在するとは考えにくい。
とすれば、やはり奴はこのまま最後まで潜伏する気なのか? 俺自身としては重ゴーレムと取っ組み合いなんてご遠慮願いたいので、心情的には潜伏説を強く採用したいところではあるのだが。
俺と伏兵の水面下での心理戦を知ってか知らずか、ギネム・バリが勝ち誇って叫んだ。
「この“道化の鎖”は一度対象を拘束し発動してしまえば、軍用の盾ゴーレムですら破壊する事は出来ないのさ! 油断したね、聖堂ゴーレム使い!」
「ええっ!? そんなにヤバい鎖だったのか!?」
俺は思わず声を上げた。
ピエロ達の鎖、見た目はそこまでごつくないし、微妙にいやらしい系のアイテムなのかと勘違いしてしまっていた。
ど、どうしよう。
伏兵との心理戦なんぞより、ゴレのことが急に心配になってきたのだが……。
ゴレはギチギチと締め上げられている。
想像以上に鎖のパワーがあるのは間違いない。
「随分手こずらせてくれたが、これで終わりだ。赤眼のゴーレム!」
ギネム・バリの叫びと同時に、1体の道化ゴーレムが短剣をかざして躍り出た。
動きの止まった無防備なゴレに対し、猛禽のように飛びかかる。
そうか。他の2体と違って、こいつだけ短剣の投擲にも拘束にも参加しなかったのは、そういう事だったのか。こいつは、とどめ役だったのだ。
「――ゴレっ!」
この瞬間、俺の叫び声に呼応するように、全身鎖まみれのゴレが、ずしりと一歩前に進み出た。
凄まじいパワーに、鎖の根元の道化ゴーレム達がずるずると引きずられる。
「……! 本当にとんでもないね……! だが、無駄だ!」
跳び上がった道化ゴーレムは、両手の短剣を、完全に同時ではなく、やや時間差気味に突き出した。
刃の狙いはゴレの脇腹と、額の索敵紋。それぞれ別の箇所だった。
何か、嫌な感じがした。
まさか。この攻撃は、ひょっとしてゴレにダメージが通るのではないか。
ギネムは笑い、対する俺は息を呑む。
道化ゴーレムの石の短剣が、今、まさに、ゴレの身体を刺し貫こうとしていた。
――が、この瞬間、ゴレが猛烈に頭をふりかぶった。
ゴレの鬼の様なヘッドバットが、ピエロの脳天を直撃した。
ゴレの超硬度の額がめり込んだピエロの頭部が、一撃で粉々に粉砕される。
頭部を失った勢いのまま、ピエロの胴体は地面に叩き落とされた。
そのまま勢いでバウンドし、破片をまき散らしながら転がっていく。
「な、に……!?」
目を剥くギネム・バリ。
だがその表情は、直後、さらなる驚愕に彩られる事となる。
ゴレが、身体に纏わりつく鎖を、ギチギチと腕で押し広げはじめたのだ。
拮抗する鎖と腕力。一瞬の静止の直後、思いっきり振り抜かれた彼女の両腕によって、道化の鎖はバラバラにはじけ飛んだ。
破壊された鎖の断片が、周囲に舞い散る。
な、なんというゴリラパワーだ。
彼女のまわりを飛び散っていく鎖の破片が、特殊エフェクトみたいにきらめいて、見た目だけは、まるで光輝く天使のようなのだが……。
この鎖の決壊によって、2体のピエロがバランスを崩してよろめいた。
ゴレの腕が、瞬時にぞわりと彼等に向かって伸びた。
彼女は右手と左手で、それぞれ2つのピエロの頭を同時にがっしりと捕らえた。
そして捕らえた2体を、アイアンクローの状態で持ち上げていく。
頭を鷲掴みにされ吊り上げられていく2体のピエロは、まるで絞首刑を待つ憐れな囚人の様に見えた。
俺、この技、前に見たことがある……。
ゴレはそのまま一気に、ピエロ達を力任せに地面へと叩きつけた。
周囲に轟く派手な破砕音。
砕け散る素体の破片。
ピエロ達は同時に頭を粉砕され、二度と動かなくなった。
ゴレが、ゆっくりと立ち上がる。
悠然と佇む、純白の美女神エルフギリシャ彫刻。その足元には、首のないピエロ達の残骸が、3つ転がっている。
全身を拘束された完全劣勢の状態から、一瞬で3体の敵全てを屠った事になる。
相変わらずの、でたらめな強さだ。
ゴレが、後方に立つギネム・バリの方を振り返った。
相棒のゴーレムが倒れたとき、ゴーレム使いの勝敗と生死は、確定する。
ゴレは間髪入れずに、立ち尽くすギネム・バリめがけて襲いかかった。
恐るべき踏み込みの速度で、白い弾丸と化したゴレが、一気にギネム・バリに肉薄する。
血に酔ったように燃え盛る深紅の瞳。
振りかぶられる彼女の右腕。
勝利の確定した瞬間――
この時、しかし、ギネムの顔を見た俺は、言い知れぬ違和感をおぼえた。
彼の見開かれた細い目は、猛然と自身に迫り来るゴレではなく、何故か、まっすぐに俺の姿を見据えていた。
その瞳の色は、敗者のそれでは無かった。
この男は、まだ、俺に負けたとは思っていないのか?
まさか、この状況からゴレを倒す算段があるというのか。
いや、流石にそれはありえない。
感覚強化の影響で俺にはやたらはっきりと動きが見えているが、すでにゴレの超高速の拳は放たれつつある。彼の動きでは、このタイミングからは、回避も、防御も、魔術の詠唱も、絶対に間に合わない。
それに……何だろう?
ギネム・バリのこの表情は、勝者のそれとも、何かが違う気がする。
対等の相手を見るような。一矢報いてやったとでもいうような。
これはまるで、そう……――引き分け。
そうか。
こいつのこの顔、まさか、相討ち狙いなのか。
だが、だとすれば。この状況で、ギネム・バリにとって双方相討ちと言えるのは、ゴレが倒された場合ではないはずだ。
倒されるのは、ゴレではなく、俺なのではないか。
脳裏に、稲妻のように伏兵の存在がよぎった。
俺が勝利を確信し、最も油断する瞬間。
そして今、ゴレとの距離は最も離れた。
奴はここを狙っていたのか?
だが、俺とて伏兵から目を離してなどいない。
現に奴の重ゴーレムは、依然として右の林の中から一歩たりとも――
この瞬間、巨大な杭のような物体が、俺の右側面から射出されたのを感じた。




