第41話 道化の鎖と死の一撃 -前編-
「……奴の聖堂ゴーレムが動くぞ!」
敵に向かって前進を開始したゴレ。
その動きに反応し、前方に居並ぶ大勢の魔術師達が、一斉に身構えた。
ただ、ギネム・バリだけは身じろぎ一つせず、薄笑いをうかべている。
「やる気になったみたいだね。さて、赤眼の聖堂ゴーレム使いさんは、噂通りの実力なのかな。……おいらの期待を裏切らないでくれよ?」
ギネムの言葉を合図にしたかのように、彼の両サイドに控えていた4体の道化ゴーレム達が、一斉に前面へと散開した。
現在、正面の敵の位置取りは、扇上に展開した道化ゴーレム4体がゴレと対峙し、その後方に魔術師の集団。さらに、そのやや後ろにギネム・バリが1人で陣取る形になっている。
敵の数が多いので、流石にゴレもタイマンの時のような開幕ダッシュはしないようだ。
ゴレが全ての敵を牽制するように、ゆっくりと歩みを進めていく。
……というかゴレのやつ、俺の方をチラチラと気にしすぎである。
不安げなゴレと、何度も目が合うのだ。
未練たらたらじゃねーか! さっきの固い決意は一体どうしたんだ!
魔術師集団と俺との間には、わりと距離がある。
以前、スペリア先生が火魔術で大猿を撃ったことがあるが、あのときは相当に近くの距離まで猿を引き付けていた。今回は、あのときの間合いよりもかなり離れているといえるだろう。
当時のあの状況、大猿の反撃の可能性を考えれば結構危険だし、猿に魔術が効かないのを俺に見せる事だけが目的だったのだから、普通に考えれば、スペリア先生はもっと遠くから魔術を放っても良かった。おまけに彼は10属性も使える人だから、いくらでも魔術の選択肢はあったはず。
そう考えると、あの火魔術は、実は攻撃魔術の中でもかなり射程距離の長い物だったのではないだろうか。それこそ、最長に近いくらい。
実際、この世界の魔術というのが実質中距離攻撃で、あれが魔術攻撃の最大射程だったと仮定した場合には、この現在の敵の布陣のすべての辻褄が合うのだ。
その場合には、この距離ならば、魔術攻撃はお互いの術者にはまったく届かない。戦いは、双方がゴーレムに魔術で援護を加えながらの、ゴーレム同士での殴り合いという展開になるはずだ。そして、一方のゴーレムが倒れたとき、生き残ったゴーレムは敵陣に襲いかかる。術者の勝敗と生死が確定する瞬間だ。
これは、もし敵にゴーレム使いがおらず魔術師だけなら、この距離からならゴーレムで一方的にボコボコにできるという事を意味している。ゴーレム使いが対魔術師戦で優位性を発揮するという、『魔術入門』の記述とも、完全に合致している。
だが、この俺の推論には、ひとつ大きな穴がある。
最初の奇襲の火球だ。
霧の中から飛来したあの一発は、やたら射程が長かった。
おそらく、今魔術師達がいる辺りの地点から、普通に俺まで届いている。
あのことだけが、俺の中でどうしても説明がつかない。現在のこの状況と、あまりに食い違っているように思うのだ。
あの一発を考慮に入れた場合、魔術攻撃の最大射程は俺の想定の倍近いって事になる。ならば、敵の布陣はもっと別の形の物になってくるはずだ。とすると、現状が説明不能になってしまう。
あの霧の中の火球のみが、ただ一つの嵌らないパズルのピースであり、同時に、俺の推論を根底から覆すイレギュラーな事象なのだ。
「……なぁハゲ、この距離で魔術って届くものなのか?」
俺は幼稚園児以下の魔導王らしく、素直にハゲに質問した。
「普通なら、まず届かんな」
「でも、最初に俺に飛んで来た火魔術は、えらい飛距離があったぞ」
俺の疑問を受けたハゲは、前方に陣取る女魔術師に視線を投げた。
「ほれ、連中の中で、あの女だけが長い杖を持っとるだろう」
「ああ、あのやたらエロい感じの人な。たしかに持っているが……」
気にはなっていた。あの女の持つ、独特の形状をした赤い杖。
非常に目立つ、いかにも魔術師っぽいアイテムだ。だが、襲撃者達の中で杖を持っているのは、彼女ただ一人の様子だ。
「あの杖が魔道具だ。特定の魔術の最大射程を伸ばす。といっても、攻撃系の魔術ならこれぐらいの距離が限界だし、魔力消費が桁違いに激しくなる魔道具だ。上級魔術なんて放った以上、最初の一発で打ち止めだろうな」
「ふぅん、あくまで一発勝負の奇襲用の武器だったってことか……」
なるほど、あの赤い杖がポイントだったのか。スナイパーライフルみたいな物かな。
さすが魔道具屋なだけあって詳しいな、ハゲよ。
おかげで謎が解けたぞ。
ともあれ、魔術の射程を魔道具で強化しても、この程度が限界か……。
俺は林の中の伏兵をちらりと見やった。
となれば、こいつが魔術で攻撃してくるという線は、やはり完全に消えたことになる。仮に伏兵が矢を放ってきて万一それがここまで届いたとしても、その程度なら、魔導でコントロールした〈土の戦斧〉でおそらく叩き落とせるはずだ。
……ということは、前方の敵の撃破はゴレに任せるとして、後方で3人を守る俺が真に警戒すべきは、あの女魔術師がもう一発遠距離攻撃を放てる余力を残している可能性と、伏兵による謎の重ゴーレムでの突撃の可能性か。
もし火魔術が飛んで来た場合には、斧での迎撃を試みる事になるだろう。『魔術入門』の記述によれば、魔術同士はぶつかり合うと相殺が起きる。敵の火魔術に、俺の土魔術生成物である〈土の戦斧〉をぶつければ、完全に消せるかは分からないにしても、ある程度威力を殺すことはできるはずだ。実は、俺が戦斧を生成した理由の一つはこれなのだ。ぶっつけ本番だし、やれる確証もないので、できれば試したくはないのだが。
一方、でかいゴーレムが突撃してきた場合には、ゴレが戻って来てくれるまで、なんとか足止めするしかない。あからさまに魔導を使う事になってしまうかもしれないし、魔導王だと身バレしてしまうかもしれない。だが、俺の逮捕歴と年寄り子供の命の価値は、天秤にかけるまでもない。
……よし、ようやく戦いの筋道がはっきり見えてきたな。
俺がハゲと話しながら考えを巡らせている間にも、ゴレは敵との距離をじわじわと詰めていた。
彼女はすでに、敵の魔術の射程圏内に踏み込みつつある。
最初に動いたのは、敵の魔術師集団だった。
彼等はゴレに向かって手をかざし、一斉に詠唱を開始した。
「「「〈火炎弾〉!」」」
「「「〈風切弾〉!」」」
何発もの激しく燃え盛る炎弾とかまいたちのように渦巻く旋風の塊が、ゴレへと飛来し、次々に直撃していく。
すごい爆炎だ。
火魔術と風魔術は同時に撃つと相乗効果で威力が上がるのか。
だが、ゴレは回避も防御もまったくしない。
滅茶苦茶に撃ち込まれる炎と旋風。それらを全身に浴びながら、意にも介さず、完全に無視し、ゆっくりと歩いて前進していく。
自衛隊の戦車の一斉射撃を食らう特撮怪獣でも、もう少しくらい効いている感じの雰囲気は出してくれているように思う。
よく見ていると、ゴレに直撃する前に、魔術がすべて拡散して消えてしまっているようだ。
スペリア先生の野外授業で、大猿に火魔術をぶつけたときと同じ現象が起こっている。これが話に聞いていた、ゴーレムの魔術防御だろう。素体に流れる“循環魔力”の副次的効果というやつだ。
最初に奇襲で火球の直撃を食らったときも、たいして熱くなくて、妙な感じだった。あのときも、この現象が起きていたと見て間違いないだろう。
大猿が火魔術をくらったときには爆炎の余熱で陽炎が発生していたが、ゴレの場合にはそれすらも起こっていない。完全に魔術が弾かれて、無効化されてしまっている感じだ。
でも、妙だな?
ゴーレム初心者の俺ならともかく、ギネム・バリにしても他の魔術師連中にしても、ゴーレムに魔術攻撃が効かないことくらい当然知っていたはずだろうに。
何故こんな無駄な攻撃を繰り返すのだろう?
「か、風の上級魔術の連射を浴びて、動きも鈍らせないだと……!」
「馬鹿みたいな循環魔力量だ……」
「わぉ……。軽ゴーレム相手に足止めにもならないってのは……。ま、魔術師として、じ、自信なくすぜ……」
あ……。魔術師達が、青い顔でどよめいている。
ここまで効かないのは想定外だったのか……。
ん? ちょっと待てよ。今のが、風の上級魔術なのか??
スペリア先生が俺を助けるために古代地竜の石弾に対して放ってくれた、たしか〈嵐の砲弾〉とか言ったか、あの風魔術はこんな物ではなかった。威力も、範囲も、もっともっと、超やばかった。
ぶっちゃけあれの直撃を食らえば、ゴレですら弾き飛ばされるのではないかと思えたほどだ。
魔術って、上級が最強ではなかったのか。やはりすごいんだな、スペリア先生は。さすが俺の師匠……。
勝手に師弟関係を結ぶ俺をよそに、魔術師達は魔術を詠唱し続けている。
特に、例の女魔術師が放つ炎弾はひときわ激しい。
やはり彼女の動きには、警戒しておいた方が良いようだ。
俺は、炎弾を放つ女魔術師の挙動を観察した。
今のところ、杖の魔道具を使うような気配はない。杖は腰に差したまま、ゴレに向かって手をかざし、火魔術を詠唱し続けている。
それにしても、物語とかではこういう人って、絶対主人公のハーレム要員になるよな。美人だし、巨乳だし。衣装もなんかエロいし。
俺の場合、なんで敵に回るんだろうな。辛い……。
こんな犯罪者とか、悪徳サラ金商会の職員とか、異世界で俺の前に出現する美女は、クズ連中ばかりのような気がするのだが。
というかこの人、見れば見るほど、胸がやたらでかいよな。
一体何を食ったらこんなにでかくなるんだ?
魔術を放つたびに、ぷるんぷるんと二つの大きな果実が揺れて、ちょ、ちょっとこれは、卑猥すぎる気がするのだが……。
俺は不覚にも、無意識のうちに女魔術師の揺れる巨乳をガン見していた。
これは、一人の人間として、仕方のないことであった。
――そのとき突然、これまで慎重に敵の方へと歩んでいたはずのゴレが、何故か敵に向かって不用意な突進を開始しようとした。
!? 何だ、一体どうしたんだ、相棒!
まさか、敵が何か危険な動きでもしていたというのか!?
しかし、このゴレの突撃は、直前で阻まれた。
まるで彼女が踏み込むタイミングを合わせたかのように、道化ゴーレムが4体で同時攻撃をしかけてきたのだ。
実は、道化ゴーレム達は魔術の弾幕に紛れて、この時すでにゴレの周囲を取り囲んでいた。
おそらく敵の魔術師集団が、効きもしない魔術を撃ちまくっていた真の目的はこれだ。道化ゴーレムを間合いまで接近させて、ゴレを包囲させる為の目くらましだったのだ。
道化ゴーレム達は、もの凄い速度でゴレの周囲を旋回しながら、いつの間にか取り出した両手の石の短剣で、嵐の様な斬撃をゴレに浴びせ始めた。
魔導により感覚が強化されているおかげで、短剣の存在には最初から俺も気づいてはいた。
道化ゴーレムの短剣は、1体の背中につき4本巧妙に仕込んである。当然ゴレも分かっていたと思う。図鑑にはこんな事書いていなかったから、多分オプション装備だろうな……。もし対戦相手が短剣の存在を知らない場合は、いきなり出現した刃に首を刎ね飛ばされ、あっという間に機能停止している気がする。
ゴレは道化ゴーレム達の攻撃を、ほぼ受けずにかわしている。
そう、かわしている。
この事は、聖堂ゴーレム達と戦っていたときにも気になっていた。威力的にはピエロの短剣よりはるかに強いはずの、爆乳の薙刀。かつてその一撃をあっさり首筋で受け止めたゴレだが、あの時も、すべての攻撃を無防備に受けていたわけではなかった。かわす攻撃と、受ける攻撃があるのだ。一体何の違いがあるのだろう?
攻撃を受けた部位の違いではないと思う。胸だろうが頭だろうが、受けるときは受ける。当然無傷だ。正直、ひやりとするが……。
とはいえ、ゴレが普通の軽ゴーレムと比して超防御であるのは間違いない。短剣をあっさり受け止めたとき、ギネム・バリの表情が一瞬凍り付いたのを、俺は見逃さなかった。
しかし、このピエロども、相当に強い。
だって、ゴレが攻めあぐねている。
若干ゴレが俺の方を気にして全然集中できていない感じはあるが、それでもヤバいことに変わりはない。ゴレがピエロを1体ぶん殴ろうとしても、完璧なタイミングで残りの3体がカバーに入るのだ。本当にピエロ一体一体が指で、ひとつの意思を持つ大きな手を相手にしているかのようだ。
ギネム・バリ……。こいつは本当に手練れだ。まるでゲーセンでゴーレム格ゲー初心者の俺達をボコボコにする上級者といった風情ではないか。
ゴレが苦戦している中、俺は右手の林をちらりと見た。
すでに戦闘は開始され、俺とゴレの距離も結構離れているが、依然としてあそこにいる重ゴーレムが出てくる気配はない。
彼等は単純に観測員、もしくは予備戦力ということなのか……?
俺の疑念をよそに、ギネム・バリが楽しそうに笑った。
「すごいねえ、アンタのゴーレム。出力が馬鹿みたいに高いし、機動性も桁違いだ。それに、その異常な防御力……素体強度では説明がつかないね。循環魔力を集中させて物理障壁化しているのか? 話には聞いた事があるが、実際の使い手を見るのは初めてだよ」
「……? ふん。まぁ、そういう事だな」
俺は、知ったかぶって答えた。
相棒がゴーレム同士のバトルを頑張っているのに、飼い主同士の討論大会で俺がおどおどして負けるわけにはいかない。堂々としなければ。
「なるほどね。ゴーレム甲冑すら纏わせていないのは、ゴーレムの性能への自信の現れだったのか……。確かに障壁を抜かせない絶対の自信があるなら、非常に合理的な選択ではあるね」
「ふふん、当然だろうが」
俺はふんぞり返り、勝ち誇った表情で答えた。
何だか良く分からんが、うちの可愛い相棒を褒めてくれているようだ。うれしい。チョロすぎる俺のギネム・バリへの好感度は若干上昇した。
だが、続いてギネムはとんでもないことを口走った。
「しかし正直なところさ、乱戦中に隙を見て1体抜けさせて、ゴーレム使いのアンタの方をさくっと始末してもいいかなと考えていたんだけど……。アンタ、ゴーレムの動きにまったく隙が無いねぇ」
こいつそんな卑怯な事考えてたのか。怖いわ。
俺のギネムに対する好感度は下降した。
ともあれ、複数ゴーレム使いが脅威とされているのは、おそらくこういう点なのだろう。ゴレひとりしか相棒のいない俺に比べると、ギネムは取れる選択肢の幅がまったく違っている。扱える機体の数が増えれば、それだけで戦術は爆発的に広がるのだ。
それにしてもゴレのやつ、やはり敵ゴーレムがこっちに来ないように抑えてくれているんだな。
ならば俺も飼い主として言ってやらねばなるまい。
「ふふん、おりこうさんなうちのゴレが、そんな隙など見せるわけがなかろう」
「お、お利口さん……?」
一瞬呆けたような顔をしたギネム・バリだったが、すぐに元の薄笑いに戻った。
「ま、いいさ。どこまで頑張れるかねぇ。……そのご自慢のゴーレムの障壁が抜かれた時が、アンタの最期だ」
にらみ合う俺と、青髪の優男。
だが、直後、膠着していた戦況が大きく動き始める。
――この時、ゴレの恐怖のアイアンクローが、ついに1体のピエロの頭部を掴んだのだ。
多分ゴレのやつ、最初は俺のことが気になって集中できなかったけど、あまりにピエロが執拗に攻撃してくるので、だんだん苛ついてきたんだと思う。
ゴレは本当はすごく辛抱強くて優しい奴なんだが、何故か俺以外の人に対しては、けっこう短気でイライラしやすいところがあるんだ……。
他のピエロ達が掴まった機体のカバーに入ろうとするのを、ゴレが回し蹴りの旋風で牽制した。
凄まじい風圧で周囲の敵機が押し戻されたのを尻目に、彼女は捕らえたピエロの首を、力任せに胴から引き千切った。
ピエロの頭があっさりと胴体からもぎ取られる。
「なっ……!?」
ギネム・バリが驚愕に目を見開いた。
頭を失い機能停止したピエロの胴体が、だらりと脱力する。
燃える瞳の美女神エルフは、まるで玩具に飽きたみたいに、ピエロの首を地面に放り捨てた。
その情景、まさに、破壊の魔女。
直後、ゴレは首の無いピエロの胴体から、べきべきと無理矢理鎧を引き剥がし始めた。
剥がされた鎧は、2つのパーツに分かれた。どうやら胸板と背板の2枚で構成されていたらしい。
だが、ゴレは一体何をするつもりだ。
訝しんだ瞬間、ゴレが2枚の鎧とピエロの胴体を、前方に向かって次々とぶん投げた。
首なしピエロの胴と鎧達が、もの凄い勢いで飛んでいく。
三つの紫色の塊が、密集していた魔術師の群れの中に次々突っ込み、彼等を一気になぎ倒した。
人間が、ボーリングのピンみたいに弾き飛ばされていく。巻き込まれた女魔術師も派手に吹き飛ばされて、赤い杖がへし折れるのが見えた。
着弾の衝撃で、戦場に土煙が濛々と舞い上がる。
煙が晴れた時、魔術師集団は壊滅していた。
まさに、一掃、という言葉以外にない光景だ。
土砂に埋もれた魔術師達は、血塗れで地面に横たわっている。
着弾の瞬間、えらく土砂が飛散していた。当然ゴレのパワーにも起因しているのだろうが、この様子だと、鎧の重さ自体が結構あるのかもしれない。
方々から苦痛に呻く声が聞こえてくる。
全員が見るからに重傷ではあるのだが、どうやら大半はまだ意識がある様子だな……。
しかし、おそらくこれで、援護射撃担当の魔術師としての彼等は、ほぼ無力化されたと見ていいだろう。
実際に魔術を使ってみると分かるのだが、生成時の詠唱にはかなりの集中力が必要だ。個人差はあると思うが、あまりに酷い傷を負うと、普通は激痛で詠唱どころではない。骨折なんてしてしまえば尚更だ。
とまぁ、このあたりは程度の差こそあれ、肉弾戦でもある意味似た様な物だよな。
HPゲージが0になるまで戦えるというのは、ゲームの中だけの話だ。人間の動きってのは、通常はダメージと苦痛でどんどん鈍る。
俺も軟弱だから、多分怪我したらすぐ詠唱できなくなると思う……。
壊滅した魔術師集団の後ろに、紫色のローブが立っている。
一人やや後方にいたギネム・バリだけは、ゴレの爆撃を逃れて無事だったようだ。
だが、その表情が恐怖に引き攣っている。
ギネムを討ち漏らした事に気付いたゴレが、先ほど足元に放り捨てていたピエロの首を、すばやく拾い上げた。
そしてまた、それを一気にぶん投げた。
ピエロの首は、地面で呻いていた巨乳魔術師に命中した。
巨乳は派手に鼻血を吹きながら失神した。
……って、そっちかよ!!!!?
何でだ!? 何故巨乳を狙った? 一体どういう作戦なんだ??
たしかに彼女は杖の魔道具を持っていたし、手前の魔術師集団の中では一番ヤバかったのかもしれない。でも、元々すでに死にかけていたし、杖も折れていたような気がするんだが……?
というか、もし巨乳ではなくギネム・バリの方をきちんと狙っていれば、ひょっとして今の投球で試合終了できていたんじゃないのか??
いや、だが確かに、ギネム・バリを直接狙っても、何かしら対策をしていそうではある。
どうもゴーレム使いの方を狙うってのは、初歩的戦術みたいだからな。
ゴレの判断は間違っていないのかもしれない。
……わざわざ瀕死の巨乳に追撃を加えた理由は謎だが。
ギネム・バリは、壊滅した魔術師集団と道化ゴーレムの残骸を茫然と見つめている。
「ま、まさか、ここまでやるとはね……。ゴーレムを機能停止させられるなんて、本当にいつ振りだろう。駆け出しの頃以来かもしれない……」
随分と長い間負け知らずだったようだな。
やはりこいつ、ゲーセンで初心者狩りばかりするタイプのゴーレム使いだったか。
「そうか。ならば感謝して欲しいものだな。久々に初心を思い出したろう」
俺は堂々と言い放った。
これからは心を入れ替えて、上級プレイヤーとも楽しく腕を競え。
いや、その前に犯罪者のお前は法の裁きを受け、檻の中で罪を償わねばならないだろうが。
ゲーセンに再び通えるのは、出所してからになるだろう。
「ふくく……。アンタ面白いねぇ。実に面白い! 正直言ってこの仕事、あまり気乗りしていなかったんだが……。こんな規格外と戦り合えるのなら、受けてみて正解だったな!」
ギネム・バリが大きく笑った。
その細い目が、一瞬大きく見開かれた。
「余裕も無いし、こうなればおいらも出し惜しみは一切無しだ。……さぁ、決着をつけよう。赤眼の聖堂ゴーレム使い!」
残った3体の道化ゴーレムが、猛然とゴレに襲いかかった。
相変わらずピエロ達の剣戟は凄まじい。
1体減った分、連携の穴が出来て戦力的にがくっと弱くなるかと思ったが、そうではなかった。何というか、1体1体の動きのキレが増しているのだ。少なくとも、単純に戦闘力が3/4にはなっていない。
とはいえ、ゴレはすでにピエロ達の動きに慣れつつある。
接近しすぎた1体のピエロに対し、カウンター気味に放たれたゴレの拳。
相手の左肩を、わずかに掠めた。
鈍い音をたてて、ピエロの肩が大きく凹む。その一部が砕けて、紫色の破片が派手に飛散した。
ゴレが押し始めている。
おそらくこの戦い、そう長い時間もかからずに決着がつく。
ピエロ達は、細かい連撃による牽制で、何とかゴレの攻撃を阻害して綱渡りを続けている状態だ。だが、対するゴレは違う。彼女の鬼神のようなパンチは、一発入れば確実に即死の威力がある。
流石にもう1体落ちれば、敵の連携の質は大きく下がる。
そして、さらにゴレの攻撃は通りやすくなる。
ここからは一方的な試合展開になるのではないか。
俺がそう思い始めたとき――
3体のピエロは、大きく後方に飛び下がった。
うち2体が、両手の石の短剣をゴレに向かって投擲した。
高速で飛来する4本の短剣。
1本目、2本目、3本目……ゴレは上体をひねって全てあっさり回避する。
最後の4本目は手のひらで弾き飛ばした。
すげえ、武術の達人みたいだ。
これで3体の敵のうち、2体は素手になった事になる。
とはいえ、この事自体にたいした意味はないはずだ。
元々ピエロの背中には、それぞれ計4本の短剣が仕込んであった。
そう、奴らは各々まだ残り2本ずつの短剣を温存しているのだ。
こちらが気づいてないと踏んで、油断させて不意打ちでもかまそうという魂胆なのか?
注意深くピエロの様子を窺っていた俺は、奴等の腕に微妙な動きがあることに気付いた。
カチカチと、腕の内部で何か――
そう、何か機械を動かしているような。
魔導の発動中でなければ、まるで気づかない程度の違和感だ。
「なんだ? あいつら……腕の動きが妙な……?」
俺の呟きを聞いたハゲが急に反応した。
「何、腕!? い、いかん!」
というかハゲ、お前いたんだったな……。
話しかけないとしゃべってくれないから、空気過ぎて完全に忘れていたぞ。
いや、まぁ、俺がじっとしていろと言ったんだけどな。
「ネマキ、それはおそらく道化ゴーレムの仕込み腕だ!」
「仕込み腕……?」
そういえば、図鑑にもそんな記載があったような。
なんだったっけ。あ、そうだ。道化ゴーレムは腕が分離する、みたいな解説だったような。
俺はてっきりロマン武器みたいな物かと思っていたのだが、ハゲのこの様子からすると、もしかして、何かやばい物だったのか。
いかん、ゴレに教えてやらなくては。
「おいゴレ、気をつけろ! そいつらは腕が――」
思えば今回の長い戦闘中、俺がゴレに対して声をかけるのは、これが初めてのことだった。
ギネム・バリと喋ってばかりで、全然ゴレに喋りかけてやっていなかった。
ゴレはずっと一人で頑張っていたのに。
ひとりぼっちで、ずっとずっと苦しい戦いを続けていたのに。
きっと彼女は俺に忘れられたと思って、さみしい思いをしていたに違いないんだ。
俺の、職務怠慢だった。
名前を呼ばれたゴレが、うれしそうに俺の方を振り向いた。
待ちわびたその瞳は潤んだように輝き、長い耳が幸せそうに微かに揺れた。
……って、そうじゃねえええええええええええええええ!!!
前を向け! 前を!
俺の心配どおり、2体の道化ゴーレムの腕のからくりが瞬時に作動した。
肘関節の手前から分離した前腕が、ロケットパンチみたいに射出される。
それぞれの前腕は、本体と太い鎖のような長いパーツで連結されていた。
よそ見をしていたゴレの周囲を、4本の腕がぐるぐると高速旋回する。
あっという間だった。
ゴレの全身を、鎖ががっちりと絡め取っていた。
な、何という事だ。俺のせいで、いきなりピンチになってしまった……。