第38話 霧と抱擁
ペイズリー商会への借金は無事返済したし、ジビルの街ともおさらばだ。
街の食堂で遅めの朝食を取った俺達は、正門前の広場へと向かった。
行きにお世話になった例の荷馬車のおじいさんと、広場で待ち合わせをしているのだ。帰りも荷台に便乗させてもらうことになっていた。
途中、賑やかな通りを歩いていると、露天商の男性が声をかけてきた。
見れば道ばたに絨毯を敷いて、様々な商品を並べているようだ。
「そこの男前な魔術師のお兄さん、ぜひ見て行ってくれ。実はな、今日はものすごい古代魔具を入荷しているんだよ」
「……古代魔具、ですか?」
男前と言われては立ち止まらざるをえない。
たしか古代魔具って、前にハゲが話していた超レアな魔道具のことだよな。
男性が見せてきたのは、トーテムポールみたいな木彫りの人形だ。
安っぽいペンキみたいな塗料で、カラフルな色が塗ってある。
木製の魔道具なんてあるのか、初めて見たぞ? ハゲショップの商品の魔道具は全て、石だか樹脂だかよく分からない謎の素材で出来ていた。
それにこれ、何だか魔道具というよりは、ただの安物のお土産にしか見えない気もするけど……。
「この魔道具、どういった効果があるんですか?」
「よくぞ聞いてくれたね。こいつは、なんとあの愛と欲望の女神ダリマティの加護が宿った伝説の古代魔具なのさ。これを持っているだけで、世界中の美女達を虜にしてしまうという凄い代物だ」
「なっ……!?」
馬鹿な。ありえない。そんなことがあるわけが。
いや、待て。冷静になれ俺。ここは魔術や竜が存在している世界だぞ?
特にあの生物のルールを無視した激やばザウルスの存在なんかと比べれば、モテるようになるアイテムくらい、全然可愛らしい物といえるかもしれない。
マジか。ということは、これをゲットすれば、おっさんまみれの俺の異世界ライフからついに脱却できるというのか!?
俺はごくりと唾を飲み込んだ。
「ち、ちなみに、値段はおいくらなんですか……?」
「うむ。これは強力すぎて悪用すると危険な古代魔具だからね。本来は誰にでも売って良いような品ではないんだが……。お兄さんにだけは、今回特別に金貨30枚でお譲りしようじゃないか」
「き、金貨30枚……!?」
何という事だ! 俺の所持現金は、金貨5枚に銀貨14枚。あとは銅貨だ。これでは到底足りない。
俺はがっくりと肩を落とした。
「残念ですが、今は持ち合わせが金貨5枚しかないので……」
「ふむ。では出血大サービスで、金貨5枚でお売りしよう」
「!?」
何ィ!? 一気にえらい安くなったな。
本屋のおばあちゃんも真っ青な価格の急降下だぞ。
だが、それでも俺のほぼ全財産ではないか。
いやしかし。今回は特別で、しかも出血大サービスなのだ。これを逃すと、次の機会はないかもしれない……。
悩んだ俺は相棒の意見をうかがうべく、ちらりとゴレの方を見た。
彼女は露店の商品などには見向きもせず、温かな優しい瞳で俺だけを見つめている。欲しい物は何でも買っていいからね、とでも言い出さんばかりである。
そういえば、ゴレは俺以外の人間の言葉をまじめに聞いていないのだった。つまりこいつは、俺が今買おうとしている物が一体何なのか、良く分かっていないはずだ。
結局自分で決めるしかないという事か。
……よし。俺は決断した。
金貨5枚で女の子にモテるというのならば、安い出費だろう。
金は一気になくなるが、まぁ、おそらく死にはすまい。
俺がごそごそと鞄から財布を取り出そうとしたとき、ハゲが俺の肩をがっしりと掴んだ。
ん? どうしたんだ、ハゲ。そんなに怖い顔をして……。
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「ネマキよ。お前さん、何というか……。本当に残念な男だなぁ」
「…………?」
先ほどから、隣を歩くハゲは完全にあきれ顔をしている。
あの直後、何故か露天商の男性が逃げるように立ち去ってしまったので、モテモテ古代魔具を買うことはできなかった。
俺の異世界ハーレム計画は失敗に終わった。無念だ。
くっそお、あそこでハゲの邪魔さえ入らなければ……。
「お前さんは、あまり大金を持ち歩かん方が良いかもしれんなぁ」
ハゲが大きなため息をついた。
ほどなくして、街の正門前広場で荷馬車のお爺さんと合流した。
馬車はすでに広場で待ってくれていた。
お爺さんも、このジビルの街での仕事をしっかり済ませてきた様子だ。
この人はハゲのご近所さんで、青果なんかを取り扱っているみたいだ。すでに商売は息子さん夫婦に任せていて、彼自身はこんな風にたまに仕入れや配達を手伝う程度なのだそうである。
幌に覆われた荷台に乗り込むと、積み荷の内容は一新されていた。
しかし、俺達の座る厚手の毛布のスペースだけは、しっかりと確保されている。
ひょっとしてこのお爺さん、俺達がゆったり座れるように、わざわざ仕入れの量を少なくしてくれているんじゃないのか……?
俺のお爺さんへの好感度は、さらに爆上がりした。
もし俺が長年連れ添った夫に先立たれ孤独を感じている老婦人だったなら、そろそろ惚れていてもおかしくないレベルである。
そのまま何事もなく、馬車はジビルを出発した。
ハゲと雑談したり、お爺さんから分けてもらった柑橘系の果物をゴレにお上品にカットしてもらって皆で食べたりしつつ、荷馬車は穏やかに進んだ。
すでに街を出てから、30分か40分ほど経っているだろうか。
少しうとうとし始めていた時、ふいに頭ががくんと揺れた。
そして、全身が小刻みに振動しはじめた。
「……何だか、車体が揺れていないか?」
どうも、馬車が急にガタガタと揺れ出したみたいなのだ。
「がたごとするねっ。がたごと、がたごとっ」
俺の発言に、テルゥちゃんが同意してくれた。優しい。
ともあれ、馬車は揺れるだけでなく、速度も著しく落ちている。
マシントラブルだろうか。
「ふが……。どうかしたのか?」
馬車が揺れまくる中、ハゲがようやく目を覚ました。
熟睡しすぎである。まぁ、こいつ昨日はあまり寝てなかったみたいだしな。
そのとき、御者台の方からお爺さんの困惑した声がした。
「どうも車の調子がおかしい。このまま進むのはちょっと無理かもしれん」
馬車は街道の脇に逸れて停止した。
街道付近はほとんど開けた平地なのだが、このあたり一帯は、珍しく針葉樹林が続いていた。
馬車の停車位置は、林の中でそこだけ開けた草地のような場所だ。街道脇の原っぱの様になっている。
草地の面積はかなり広い。この様子からすると、一昔前には非常に大きな屋敷か何かが建っていた跡なのかもしれない。
完全な林の中よりは見通しがきくし、安全といえる。もちろん、あくまで程度問題にすぎないのだが。
ハゲとお爺さんは馬車を降り、何やら話し込んでいる。
「まさか、風浮き箱が故障してしまうとはのう。この間整備に出したばかりだったんじゃが」
「ふむ。見た感じだと、これならわしでも応急修理できそうですな。少し時間はかかるかもしれませんが、やってみましょう」
「本当かね! チョトスさんが同乗してくれとって、本当によかった……。危うくこんな何もない場所で立ち往生するところだったよ。これも神様のお導きかもしれんなぁ」
風浮き箱というのは、おそらくあれだろうな。馬車の底についていた、例の謎の装置。ハゲが応急修理できるということは、おそらく魔道具なのだろう。
それにしても、ハゲは家電を修理するようなノリである。
やはりハゲショップは街の電器屋的存在なのか。
ハゲは鞄から小さな工具のような物を取り出し、馬車の底で何かごそごそやりはじめた。工具を常備しているとは。意外にプロ意識高いな、ハゲよ。
どうやら修理には時間がかかりそうな様子である。
俺は荷台から地面に降りた。
「ゴレ、おいで」
名前を呼ぶと、ゴレはうれしそうに長い耳を微かに動かしながら、すとんと地面に降り立った。相変わらず、着地音はまったくしない。
全員荷台を降りてしまい、テルゥちゃんが一人さみしそうにしている。
やめてくれ、その表情は俺には耐えられない。抱っこして荷台から降ろした。
当然の事ながら、別にハゲを手伝ってやろうと思って荷台を降りたわけではない。俺に魔道具の知識なんぞないから、何も出来ないしな。
こうして地面に立ったのは、俺にべったりのゴレを地面に立たせる為だ。
実は、ゴーレムに搭載されている猿捕獲用謎レーダー、いわゆる“表土索敵”であるが、これは機体の一部が地表に接していないと使えない。
先ほどハゲと雑談していて知ったことだ。悔しいが、魔道具屋のハゲは俺よりはるかにゴーレムについて詳しいからな。
で、そのハゲの話を聞いていると、どうもこの表土索敵というのは、地表に存在する敵を感知するアクティブ・ソナーに近い物のようだ。
要は、潜水艦のソナーの地面版だ。地に接しているゴレを中心に、魔力の波動のような物が地表を伝わっていき、周囲の状況を観測するらしい。
この原理からも分かるように、完全無欠の索敵ではない。接地していない状態だと使えない上に、飛来する物体に対しては、ザルだ。
ただ、それでも聖堂ゴーレムの場合は、瞳の“光受容体”で視覚情報を補助しているおかげで、表土索敵の穴にもわりと対応できるみたいなのだが。
ともあれ、現在馬車は視界の効かない林の中で停止している。
街道に魔獣の被害が出ているという情報もあるし、ゴレの表土索敵を作動させていないと危険だ。
ゴレのやつは普段家の床上でも表土索敵を使っているっぽいときがあるし、ぶっちゃけ馬車の上くらいなら使用に問題はないのかもしれない。だが、それでは足りない。俺は油断しない男だ。万全を期す必要があるのだ。
……そう。俺はイカれた放火魔の馬、火炎二角獣の噂に完全にびびっていた。
俺は風浮き箱を修理しているハゲの横にしゃがみ込んだ。……別に手伝おうと思ったわけではないが。
「どんな感じだ? 直りそうか?」
「ああ、一応どうにかなりそうだ。しかしどうもこれ、部品の一部が人の手で壊されとるみたいだな……」
「えっ ただの故障じゃないのか?」
「うむ、おそらくな。この様子だと、ジビルの街でやられたんだろう」
マジかよ、酷いな。
自動車のタイヤをパンクさせる悪質行為の、異世界版的なやつだろうか。
「な、なんと……。得意先に停車しとるときに、誰かにいたずらされたんじゃろうか……?」
お爺さんがショックを受けて、しょんぼりしている。
おのれ犯人め、俺のお爺さんから笑顔を奪いやがって。絶対に許さん。
見ていると、ハゲの修理作業はなかなか大変そうな様子である。
「……なぁハゲ、俺も何か手伝おうか?」
「いや、お前さんどうせ何もできんだろ? テルゥとでも遊んでやってくれ」
なっ!? てめぇ、人のせっかくの厚意を……!
こんのクソハゲがあ~~!
馬車が止まってから、おおよそ30分ほどが経過しただろうか。
ハゲはまだ荷台の底で、ごそごそと頑張っている。
お爺さんも、ハゲの側で作業を手伝っているようだ。
戦力外通知を受けた俺は、退屈している小さなレディのお相手をしていた。騎士として名誉な事ではある。
だが、にこにこと嬉しそうにお話ししていたテルゥちゃんが、俺の耳元で恥ずかしそうに内緒話を始めたあたりで、ゴレが乱雑にテルゥちゃんを奪い取ってしまった。
きっとテルゥちゃんを独占したいのだろう。こいつは本当に子供好きだ。
ちなみにテルゥちゃんが急にこしょこしょ話を始めたのは、話題の内容が先月彼女がおねしょをしたときの話だったからである。
手持ち無沙汰になった俺は、ふと周囲を見回した。
周辺に、濃い霧が立ち込め始めていた。
先ほどまでは霧なんてなかったのに、何だか急に出てきたな……。
まぁ、林の中だし、そうおかしな事でもないのか?
いつのまにか、視界はほとんど霧に塞がれていた。周りの木々の様子も良く分からない程になっている。
なんだか、死霊とか出そうで嫌な雰囲気だな。
とはいえ、不思議猿や恐竜や放火馬がいるくらいなのだ。もはや死霊が現れても驚きはしない。
……すまん、嘘をついた。
もし本当に死霊が出てきたら、現場では俺の常識人の脳が理解を拒絶し、清らかなクラシック音楽とアルプスの山景を脳内再生し始めるだろう。
そんなことを考えていると、何故か突然、身体をふんわりと柔らかなものに優しく包まれた。
ゴレだ。
急に抱きしめられた。
何だお前、遊んでほしいのか?
だがな、俺は今、霊魂の存在についての学術的考察を……。
仕方なくゴレの柔らかな胸の谷間に埋まった顔を起こそうとしたとき、一瞬、周囲をまばゆい閃光が包んだ。
俺は思わず目を細める。
――直後、燃え盛る巨大な火球が、俺を抱きしめるゴレの背中に、直撃した。