第37話 商会と支店長
夜明けの薄明りの中、ゆっくりと目を開ける。
目の前に、うっとりと見つめてくる二つの深紅の瞳があった。
うおっ! 顔近っ!?
あ、何だゴレか……。
これ、びっくりするから正直やめてほしいのだが。
目は覚めるんだけど。
こうして朝起きたときにゴレにのしかかられていると、いつも寝ている俺の顔を舐めて起こそうとしていた犬の事を思い出す。
やはりゴーレムは、犬なのだな……。
ゴレはぺろぺろ舐めたりしないだけ、まだおりこうなのかもしれない。
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まだ早朝とも言える時間帯。少し肌寒い。
俺達は宿を出て、ペイズリー商会のジビル支店へと歩き始めた。
もちろん、魔導王・ゴーレム・ハゲ・5歳児という、よく分からない取り合わせの4人組ユニットである。
早朝のジビルの街の通りには、すでに多くの人々が行き交っている。
この世界の人は、わりと早起きだ。
そういえば、スペリア先生なんかもすごく早起きだったな。
……いや、あれは猿どもが日の出とともに襲ってくるせいだったか。
ほどなくして、目的の建物の正面玄関前に到着した。
俺は扉の前に立ち、その立派な建物を見上げた。
このペイズリー商会の支店というのは、相当にでかい。
木造の二階建てだが、往来の他の館の数倍の規模がある。ハゲショップもやや大きめの店舗だったが、この商会に比べれば、まったくささやかな物といえるだろう。
建築の様式もなんとなく周囲の建物とは違うし、柱頭や飾り格子など、よく見ると手が込んでいて、あきらかに建築装飾の格が高い。
間違いない。この店は儲かっている。
まぁ、何にせよ、さっさと用事を終わらせて朝飯にしたいところだ。
実は今日はまだ朝飯を食べていないのである。
朝起きてから身支度をし、早々に宿からこの商会までやって来たのだ。
ハゲは多分緊張しまくっていて、朝飯の事など忘れている。
目の下にうっすらと隈ができているし、こいつは昨夜熟睡できていないのかもしれない。
当然の事ではある。あくまで商会の依頼を受けた別業者が相手だったとはいえ、間接的にこの商会とは先日トラブっている訳だから。まぁ、主にうちのゴレが色々やらかしてしまったせいなのだが……。
といっても、あくまで平和的に借金を返済するだけだ。
これ自体はごくごく普通で当たり前の手続きといえるし、ハゲ一人商会に行かせたって、本来構いはしない。
だが、俺はハゲに付き添うことにした。
この世界の商売の方式やら契約態様やらを、実際に見ておく良い機会だと思ったまでの事である。要は社会勉強だ。
別にハゲのことが心配だったわけではない。勘ちがいしないでほしい。
木造の広い立派な玄関ホール。
商会で俺達を出迎えたのは、眼鏡をかけた白髪交じりの身なりの良い中年男性であった。
えらい美中年だな。ハゲとは大違いだ。神はなんと不公平なのだろう……。
そのオシャレおじさま成分を、1パーセントくらいハゲに分けてやってほしいものである。こうして対面していると、絵的にあまりにもハゲが憐れだ。
美中年の左右に二人、部下とおぼしき若い男性が控えている。
うおっ、こいつらも物凄いイケメンだぞ。
まずいな。ハゲと俺というパーティ編成では、こっち陣営が戦う前から完全に負けているではないか。
おいハゲ、俺は降りるぞ、この戦いからは!
「やぁ、チョトスさん! そちらからわざわざ出向いて頂けるとは……」
グレーヘア眼鏡美中年は、温かい態度でハゲを迎え入れた。
先日の騒動に関して、少なくとも表向きはキレたりしていない。非常に大人の対応である。
ここで、彼は申し訳なさそうにハゲに謝罪した。
「いやはや、先日は集金を依頼していた業者に、何やら重大な不手際があったようですね……。大変申し訳ありませんでした。担当職員には、厳しい処分を行いましたので」
うむ。やはり不手際だったか。
それはそうだろうな。あんな反社会的集団に取り立てを依頼するなど、まともな貸金業者のすることではない。だが、次こんな事があったら、温厚な俺とて流石にもう許さんぞ。訴訟だ。
俺は彼らの言い分に、一応納得することにした。
まぁ俺、部外者なのだが。
ハゲは机に座って、返済の手続きを始めた。
俺は先ほどから、テルゥちゃんを抱き上げながらハゲの後ろに突っ立って、彼の持っていた契約書類を盗み見したりしている。
テルゥちゃんは、まだちょっとおねむだな。朝早いしな。
ほう、この世界の契約書ってこんな感じなのか。
なるほど。サインと拇印の、両方が必要なんだね。
ん? 用紙の質感が、見ただけで分かるくらいに特殊だ。
これはなんとなく、例のセルヴェ藩札に似ている感じがする。何か魔術でもかけられているのだろうか。藩札も燃えなかったし、ひょっとするとこの世界の重要書類って、魔術で偽造防止や汚損防止の処置をしているのかもしれない。
そのままなんとなく契約内容に目を移して、ぎょっとした。
何だこの利率、馬鹿じゃねぇの!? 法改正前のサラ金どころか、江戸時代でもこんなに酷くねえぞ!?
げっ、しかも計算方法が小狡いなこれ。知らん間に利息膨れ上がるだろ、これだと……。
それに、手口が妙に現代臭いというか……。なんというか、例えば俺が現代知識で異世界サラ金無双するとしても、こんな契約書を作ることになるだろう。もう少し内容は詰めるだろうがな。こいつはやや中身が稚拙だ。
ともあれ、他人の人生を食い物にするこんな悪事に手を染めるくらいなら、俺は誇りある文化人として、潔く切腹を選ぶが。
うーん。しかし、この世界の商会というのは、鬼なのか……??
ハゲには二度と同じ手口に引っかからないように、俺からちゃんと注意してやっといた方がいいかもしれないなぁ。
……既にお気づきかもしれない。
俺は自分が銭勘定に疎いと思い込んでいるが、モチベーションが上がらないので普段全くやろうとしないだけで、実はやろうと思ってできないわけではなかったのである。
いや、むしろはっきり言えば、実は相当に高いポテンシャルがあった。
何せこの時、契約書をチラ見しただけで、ペイズリー商会の契約の裏側を完全に見切っていたのである。
少なくとも潜在能力的には、ペイズリー商会を商戦と契約の罠でハメ潰して資産を吸収し、異世界闇金無双が可能なレベルの才能を秘めていたのだ。
ひょっとしたら、違法すれすれの貸金業で荒稼ぎした金の力で、困っている可愛い女の子達をしれっと助けていい感じになり、夢の異世界ハーレムの主になる事だって可能だったのかもしれない。そういうルートも、ありえたのかもしれない。
……だが、俺が今後の人生において、自身のこの秘められた商才に気付くことは決してなかった。
完全に無駄な才能であった。
モチベーションが上がらない事は、まるでやろうとしないからである。そして、やらないのは出来ないのと同義だった。したがって、俺の金銭管理能力はゴミ以下と完全に同義であった……。
テルゥちゃんが、寝ぼけてむにゃむにゃ言っている。
俺はテルゥちゃんを抱き上げて寝かしつけながら、無言で商会のロビーに突っ立っていた。
そして、虫も殺さないようなイケメン達から親切に難しい利息計算の契約書類を見せられて、病気の奥さんと娘さんの薬代が作れると目に涙を浮かべてよろこんでいる、家族思いの冴えない中年男性の姿を何となく思い浮かべていた。
考え事をしながらぼうっと宙を眺めていると、商館のきらびやかな内装が嫌でも目に入ってくる。
この美しい建物が、彼のような優しい人達の涙の上に建っているのだと思うと、何だか、胸の奥の方がもやもやとした。
そうしている間にも、ハゲの返済手続きは滞りなく進んでいるようだ。
ただ、先ほどハゲの対応をしていた例の美中年は、手続きの間中、ハゲよりもむしろ、後ろに立っている俺の方を気にしている様子だった。
あの男は最初の挨拶のときから、目線の端で常に俺を捉えていた。
ハゲはその事にまるで気づいていない。緊張してそれどころではなかったみたいだな。やはり、しょせんはハゲである。
人をちらちらと品定めしているような、奴の眼鏡の奥の粘つくようなその視線は、正直あまり居心地の良い物ではなかった。
おい、やめろ。いやらしい目で見るな! 残念ながら俺にそういう趣味はないぞ!!!
グレーヘア眼鏡美中年の視線に無駄に怯える俺であったが、先刻からもう一つ気になっている事があった。
ゴレのことだ。
実は商会の建物に入ってから、ずっとゴレの動きが妙なのだ。
俺に寄り添うように斜め後ろにべったりなのは、いつも通りだ。でも、たまに何度か、俺の斜め前に移動しようかとそわそわするタイミングがあった。
今もゴレは、ロビーの奥を見ている。
おかしな事ではある。
こいつが俺から視線を外すのは、大抵猿を見つけたときだし、斜め前に移動するのは、俺を守って戦おうとする時だ。
だが、こんな上品な商会の中には、猿も恐竜もチンピラも、いるはずもないだろうに……。
ロビーの奥には、待合席のような場所がある。早朝だが、結構な人数の客達が座っていた。
ゴレの視線の先を、俺もなんとなく目で追ってみた。
そのとき、一人の男とばっちりと目が合った。
眼帯をつけた端正な顔立ちの男だ。こいつもえらいイケメンだな。
俺と目が合った瞬間、男はあきらかに動揺した。
一体何だ?
訝しんでいたとき、ちょうど手続きを終えたハゲがこちらに戻ってきた。
「またせたなネマキ、無事借金の返済手続きは終わったよ」
「おお、そうか。そいつは重畳だな」
ハゲの方を軽く振り返ってそう言葉を返し、再び顔を戻した時、そこに眼帯男の姿はなくなっていた。
ロビーの中を見渡したが、どこにもいない。
まるで煙のように消えてしまった。
「おかしいな。さっきまで、たしかにそこにいたんだが……」
「どうかしたのか、ネマキ?」
きょろきょろとする俺の様子を見て、ハゲがたずねてきた。
「それが、あそこに座っていた男が……」
説明のため待合席の方を指さそうとして、はたと気づいた。
しまった。テルゥちゃんを抱っこしているせいで、両手がふさがってしまっている……。
商会から退出するとき、建物内で何人もの職員とすれ違った。
皆すさまじく美男美女ばかりだった。
職員の全員が全員、相当のレベルの美形だ。
何となく、違和感があった。
俺はティバラの街でもこのジビルの街でも、この世界の人々は結構な人数見ている。ほとんどが外国人顔だし、珍しい髪色の人もいる。でも、皆ごくごく普通の人達だ。決して美男美女ワールドという訳ではない。
そもそも、この世界の美醜観という物を、俺はまだ把握していない。
文化によって、人の外見に対する評価というのは驚くほどに変化するものだ。同じ文化圏でも、時代によって凄まじく変わっていたりする。本来、人の顔が美しいとか醜いとかは、非常に儚い物と言える。平安時代の女性は細目でしもぶくれの顔が好まれた、といえば分かりやすいだろうか。戦国時代には、髭もじゃで太っている男性がかなりモテたという話もある。
料理屋で仲良くなってテパオール麺をおごってくれた例のピザ夫は、ゴレのことを美形だと評していた。ゴレがこの世界基準で美人なのはおそらく間違いないだろう。この世界が、元の世界と近似した美的センスを持っている可能性はわりとある。
ただ、これにしたって、ゴレくらいの整った美術品みたいな見栄えになると、多少の文化や時代の差でどうこうというレベルの話ではなくなってくる。サン・ピエトロのピエタとかを見ちゃうと、現代人の俺でも美しすぎて度肝を抜かれるといったような話である。商会にいた、あくまで“現代日本人受けするタイプのイケメン美女”という人々と同列に評価していいのかは、正直怪しいラインだ。
それに、こいつはゴーレムなのだ。ドッグショーに出る犬みたいに、ゴーレムの外観にも独自の美的審査基準が存在しているのかもしれない。ピザ夫はそれのことを言っていた可能性もある。何せゴーレムは、ほぼ犬だ。
すこし話が脱線したが……。要するに、だ。
この世界の美醜の判断基準が、俺の元いた世界とまったく同じというのは、むしろ考えにくい事だ。少なくとも、微弱な誤差は出てくるはずなのだ。
しかし、このペイズリー商会の職員たちは、色々なタイプの人がいるにもかかわらず、皆、現代日本人の俺の価値観からして、きっちりと隙なく美男美女と判断される容姿だった。一人の例外もなく、だ。
べつに、おかしな事ではない可能性もある。たまたま才能で選んだ結果がこうだったとかな。そもそも、仮に好みの顔かどうかだけで職員を選んでいるとしたら、この商会の人事担当者は最悪に無能な人物と言うことになってしまう。それは考えにくいことだ。受付けや営業ならまだしも、職員のほとんどはおそらく事務方だぞ? 俺が経営者なら、そんな人事担当2秒でクビにしている。
それに、ペイズリー商会の人事がどうなっているのかなんて、俺には本来どうだっていい事なのだ。もはや関わる事すらないはずなのだから。
無視したってかまわない違和感なのかもしれない。
でも、ほんの少し、ほんの少しだけなのだが――何か、嫌な予感がした。
……さて。これは完全に余談なのだが。
この世界の人々の外見評価基準が謎である以上、つまり、「俺がこの世界の女性にとって、実は超絶イケメンだった」という夢のような展開が起こっている可能性も、実は存在している。
そうなのだ。存在しているのだよ、諸君!
でもな……。この世界の若い女性は皆、俺に最初は花のような輝く笑顔でにこにこと話しかけてくれても、徐々に顔色が悪くなっていき、最後は逃げ出していくのだ。一人の例外もなく。
しかも最後の方は、もはや俺の顔など見ていない。俺の顔面の造形など見ていられないとでもいわんばかりに、完全に目を逸らしている。
なぜか皆、俺の斜め後ろの空間を、恐怖に引き攣った顔で見ている。
ああ、そうなのだ。
実は俺はこの世界の女性にとって、超絶ブサメンである可能性の方が高い。
悲しくなってきたので、この話はもうやめよう……。
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朝の明るい日差しが、ジビルの街を照らしはじめていた。
ペイズリー商会を後にした俺達は、並んで通りを歩いている。
「これで商会への借金の件は、無事終わったよ。本当にほっとした。ありがとうネマキ、全てお前さんのおかげだよ。本当にありがとう……」
「へ? ああ……。うん」
ハゲは涙ぐんでいる。汚い顔だな、おい、やめろ。
というか、俺への感謝の念を忘れないのはハゲにしては上出来なのだが、お前の戦いはこれからだからな? お前の店、借金返して、ここからがようやくスタートラインだと思うぞ?
店の商品だってすっからかんだし、客足も遠のいたままだろうが。店の経営をしながら、小さなテルゥちゃんもしっかり育てないといかんのだぞ。それって、並大抵の苦労じゃないと思うのだが。
その辺ちゃんと分かってるのか、おい、ハゲよ?
常識的な俺の心配をよそに、ハゲは汗と涙をふきながら、心底ほっとした笑顔である。
「いやはや……。それにしても、まさかセペロ氏がわざわざ出てくるとはなぁ。わし、緊張してしまったよ」
「セペロ氏?」
ああ。ひょっとして例の怪しげな性癖の、グレーヘア美中年のことだろうか。
たしかに何となく地位の高そうな感じの人物ではあった。
「……あの人、偉い人なのか?」
「彼はあそこの支店長だ。偉いかどうかと言われれば、あの店で一番偉いな。並の商才では、あの歳であそこまでの地位にはなれんだろう。たしかペイズリー商会の本店がある、キナス藩のお人だそうだが」
ふうん……。キナス藩ね。
ま、どうでもいいか。
あの支店長も色々と性癖とかやばそうな人物だったし、さっさと忘れてしまうに限る。
「どうもいいわ。そんなことよりさ、これから皆でテパオール麺でも食いに行かないか?」
「はぁ!? どうでもいいって、お前さんが聞いてきたんだろうが! ……はぁ」
あきれたように溜息を吐くハゲだったが、そこではっとした顔になった。
「あっ。そういえば、確かに今日はまだ朝飯食っとらんかったな。緊張してすっかり忘れとった!」
「ようやく気付いたのかよ! おせーよハゲ!」
俺達は騒がしい会話をしつつ、通りの大衆食堂へと並んで歩いて行った。
それにしても……。
我が腕の中に眠る小さなレディは、まだお目覚めにならないのだろうか。
俺、いい加減、手がしびれてきたのだが……。




