第35話 荷馬車と御老人
パンツ購入の翌日、俺達4人は、ジビルという街へ向かうことになった。
そこにあるペイズリー商会の支店で、ハゲの借金を返済するためである。
このペイズリー商会というのは相当に大きな商会で、本店は別の藩にあるのだという。ジビルにあるのは、あくまで支店のひとつだ。
ここティバラから北の方角にあるジビルは、結構規模がでかい街らしい。
暇な俺は異世界観光と買い物でもしようと思い、ハゲに同行する事にした。
ただ、それだけのことであった。
別に、大金を持って悪徳サラ金商会へ行くハゲの事が、ちょっと心配になったとか、そういう訳では、断じて、無かった。
向こうで一泊するとして、ティバラからは往復2日の旅程になるそうだ。
だから、テルゥちゃんも一緒に連れていくしかない。5歳児に丸2日間一人ぼっちでお留守番させるというのは、鬼の所業だ。
ジビルの街までの移動は、なんと馬車である。
ハゲが昨日色々と手配していたのは、どうやらこれだったようだ。
まぁ、テルゥちゃんが居るからな。5歳児に馬車で往復2日の距離を徒歩での強行軍というのは、悪魔の所業だ。
といっても、当然今のハゲにたいした予算などない。
ジビルまで行く他人の荷馬車に便乗させてもらうらしい。
見たところ、便乗客は俺達だけみたいだ。
ともあれ、この世界に来て初めての乗り物。正直な所、わくわくしている。
利用するのは、2頭立ての幌馬車だ。
やはり異世界でも、馬は普通に馬なんだな。鹿のように、やばそうな角の形をしていたり、目が吊り上がったりなんて事はない。いたって普通の、優しげな目をした馬たちだ。
馬車も、元の世界の物と大して変わらないように見える。
いや、2頭立てにしては車体が大きいか……?
それに、荷台の下に何か見慣れない装置が付いている。
何だあれは。すごく気になる。
危険な兆候であった。
もしここで俺が欲望の赴くままに荷馬車の学術調査を開始し、万が一そのままヒートアップして長時間いじくり倒すようなことになってしまえば、出発が大幅に遅れてしまう。
ハゲに迷惑をかけるのは別にいい。だが、配送予定が遅延すれば、荷馬車の御者の方に大変なご迷惑をおかけしてしまうだろう。
俺は、必死に衝動を抑えた。
さて、馬車に乗り込む前に、御者のご老人に挨拶しておこうと思う。
礼節は、大切だ。
「俺達まで便乗させて頂いて、ありがとうございます。今日はよろしくお願いします」
「いやいや、こちらこそよろしくの。今街中で噂の義侠のゴーレム使いさんが用心棒になってくれるなら、わしも安心じゃよ。最近は街道にも魔獣の被害が出とるらしいしなぁ」
老人は、日に焼けた精悍な顔で爽やかに笑った。
若輩者を恐縮させないため、わざわざ持ち上げてくれるさりげない気づかいに、俺のお爺さんへの好感度は上昇した。
本当に優しい人だ。俺の噂など、本当は先日取り立て業者と起こした違法な暴力沙汰くらいしかないだろうに……。
実は馬車に乗りこむ前に、馬にも触らせてもらおうかと考えていた。
俺は、猿や鹿だけでなく、馬も嫌いではない。
長い間人と共に歩んできたこの気高く繊細な動物に、俺は一種の尊敬の念を抱いていた。
だが、俺が熱い視線を馬に対して投げかけはじめた直後から、後ろのゴレがじわじわと冷たい殺気を馬めがけて放出しはじめた。
そうなのだ。すっかり失念していたが、野生の猿や恐竜にいじめられた経験のあるゴレは、動物がとても苦手だった。
殺気に気付いた賢く繊細な馬たちは、ひどく動揺してしまった。
御者のお爺さんはおびえる馬をなだめるのに苦労していた。うちの相棒の粗相で、本当に申し訳ないことをした……。
俺はしょんぼりと後方へ移動し、幌馬車の広い荷台へと乗り込んだ。
積まれた荷はそんなに多くなく、4人がくつろいでも十分な空間がある。
腰を下ろそうと足元を見れば、荷台の空きスペースには、座り心地の良さそうな厚手の毛布が敷かれていた。
やはり俺の見立ては間違っていなかったようだ。御者のお爺さんは、お気遣いの紳士だ。
ハゲとテルゥちゃんはすでに荷台に乗り込んでいた。
俺に続いてゴレも乗り込んできて、寄り添うように隣に座る。
ふと思った。
ゴレは荷車の重量制限には引っかからないのかな。
こいつは一体どれくらいの重さなのだろう?
正直なところ、俺はゴレの体重はそこそこあると思っている。少なくとも、普段ゴレが俺に感じさせる異様で執拗なほどの軽さは、尋常ならざるこいつの体捌きが生み出しているものであって、実際の重みではないと思う。
古代地竜の瘴気にやられて体捌きどころではなかった時には、抱き起こした際に比較的ずっしりとした重みを感じている。あのときの重みは、外見どおりの細身の娘のそれではなかった気がする。俺もかつて、まとわりついてくるゴレと似たような体格の妹を、しょっちゅういなしたり抱きかかえたりしていた。しかし、奴は抱き上げた感じがもう少し軽かった気がするのだ。まぁ、しかしうちの妹の場合はゴレより身長が……――ん?
な、何!? 俺には妹がいたのか?
あっ、くそ! 思い出そうとすると全く何も思い出せんぞ。おい、どういう事だ。説明しろ、リュベウ・ザイレーン!
……まぁいい。
とはいえ、ゴレといっしょに盆地のボロ屋に住んでいたときも、床が抜けたりするような事はなかった。先ほど馬車に乗り込んだ際にしたって、特に荷台が盛大に軋んだみたいな様子はなかったと思う。石像並の重みがあるということはないはずだ。ましてや、原材料の石柱の重さがあろうはずはない。俺はこいつの素体の生成時、わりと念入りに〈軽量化〉をかけているしな。
うーん、良く分からんな。今度、無理矢理抱き上げてみるか……?
ゴレの機体スペックについて考察をしている間に、荷馬車はティバラの西門を通過して、街の外に出た。
俺は荷台の後ろから、ティバラの街を見やった。
西門の外には、さして強そうにも見えない門番のおっさんが、特に何をするでもなく平和に立っている。
街並みと共に、彼の姿も徐々に遠ざかっていった。
こうして眺めていると、本当にのんびりとした街だ。
そういえば、街の東側には見張り櫓のような物が立っていたが、こっちの西側には何も立っていない。
「西側には櫓は立っていないんだな」
「櫓? ……ああ、観測台のことか。あれは東の瘴気の様子を見とるんだよ。こっちまで瘴気が流れてくるようなことは、今まで一度も無いんだが。まぁ、人々の安心の為だな」
「あー。なるほど、そういうことか」
外敵用の施設ではなかったのだな。
ここは本当に平和な土地だったみたいだ。東方では小国同士の戦乱が続いているというから、ひょっとして荒れた世界なのかと多少身構えていたのだが、どうやら杞憂だったようである。
わりとすぐに、街道の十字路に到達した。
馬車は北へ向かって、右折した。
そう。実はこの街道、西への一本道ではなかった。ティバラの街のすぐ先で、南北にも分岐していたのだ。
この様な道は、ザイレーンの書斎で見つけた古い地図には載っていない。
おそらく、比較的新しくできた道なのだろう。
東を土の瘴気で塞がれて、街道の行き止まりになっていたはずのティバラが、結構賑やかで旅人の姿が多く見られた理由は、おそらくこれだ。ティバラはこの街道を南北から来る人々の宿場町となっていたのだ。
地理的には、街道をまっすぐ西に進めばいずれこの国の都にたどりつくはずなので、宿場町の利用者自体はおそらくわりと多いはずだと思う。
ひょっとしたら、瘴気で東の街道を塞がれたティバラの街の人々が、頑張って南北の道を整備したのかもしれない。人の営みとは、かくも偉大な物である。
馬車は街道をのんびり北へと進んでいく。
意外なほどに馬車は揺れない。自動車と大差ないレベルだ。わりとスピードは出ているが、自動車よりは速度が遅いから揺れはさらに小さい。
もっとガタガタ揺れるかと思っていたんだが。
そこで気付いた。ひょっとして、あの荷台の下の謎装置のせいではないか?
そういえば、お爺さんが出発前に御者台を下りて、何やらあの装置付近をいじっている様子だった。
ひょっとして、あれも何かの魔道具なのだろうか。
ぐっ、気になってきたぞ……!
専門家のハゲに聞こうかと思ったが、奴は今寝ている。蹴り起こしてもいいのだが、テルゥちゃんもハゲの膝枕で寝ているからなぁ。ハゲを叩き起こすと、連鎖反応でテルゥちゃんまで起きてしまう可能性がある。
テルゥちゃんは昨夜、皆でのお出かけにわくわくして、なかなか寝られなかったのだ。かなり遅い時間まで起きていた。しかも、さっきまで馬車がうれしくてすごくはしゃいでいた。確実にお疲れなのである。俺にはこの睡眠を妨げるような鬼畜の所業は出来ない……。
御者のお爺さんに直接聞いてみようか。
でも、ここは荷台の後ろの方だから、御者台に座ってる彼に話しかけるにはちょっと距離があるんだ。俺一人なら荷物の隙間を近くまで移動してお話ししてもいいのだが、絶対にゴレがついてきたがる。こいつは俺と俺の所有物以外の物体の扱いがかなり雑なところがあるから、積まれた荷物を押しのけてしまうかもしれん。というか、絶対、馬がゴレに怯える。
無理だ。誰にも聞けん……。
俺は馬車の謎の解明をあきらめ、荷台の後ろに広がる景色を眺めた。
今まで旅してきた、瘴気に呑まれた赤茶けた大地とはまったく違う。
緑あふれる肥沃な平地だ。
なぜ肥沃と分かるのかといえば、良く育った麦か何かの広大な畑が度々出現するからだ。
畑を歩いているゴーレムらしき姿も、遠目に何度か見た。
農作業用ゴーレムってやつだろうか?
距離があるので正確にはわからないが、初期のデッサン人形状態のゴレに近い姿形をしているように見える。
あと、羊が多いな。遠くで群れているのをよく見かける。
あれも品種は分からないが、普通の羊のようだ。
のんびりと草を食む羊たちは、白いもこふわの毛に覆われている。猿のように、身体の表面が岩で出来ていたりはしない。
たくさんの羊が固まっていると、まるで白いもこふわの絨毯みたいだ。
本当にのんびりとした情景である。
なんだかこの世界、肥沃な平地が不自然にだだ余りしてる感じすらあるな。
それと、先ほどからもう一つ気になっている事があるのだが――
「あ、また廃墟だ……」
俺は景色を見ながら呟いた。
ぽつぽつと稀に出現する家々の中に混じって、たまに廃棄された家屋が見えるのだ。
「……ああ。最近の魔獣の活性化現象でな。この辺りにも、危険な魔獣がたまに出没するんだ。魔獣を恐れて、大きな街やよその土地に移ってしまった人も多いな」
うおっ ハゲ、お前起きていたのか。
しかし、今気になる発言をしたなこいつ。
危険な魔獣、だと……?
「――まさか、猿か!?」
あの猿ども! まさか俺の許可なくこんな場所にまで出張して、地域の農家の皆さんにご迷惑をおかけしていたと言うのか!? おしおきだ!
「さ、猿ぅ!? 何だそれは? 猿型の魔獣なんて、この地方では聞いたこともないが……?? ま、まぁともかく、この一帯で最近被害を出しているのは、火炎二角獣という魔獣だな」
「火炎二角獣?」
猿じゃないのか。
二角獣って言うと、一角獣、つまりユニコーンの親戚みたいな奴だよな、たしか。ということは、馬の魔獣か。
火を吐くユニコーン的な、異世界不思議馬なのだろうか。
「火炎二角獣ってのは、ねじれた凶悪な二本の大角と、吊り上がった不気味な目を持つ大きな四足歩行の魔獣でな。性格も獰猛で、人をまったく恐れずに悠々と向かってくるという」
おいおい。超ヤバそうな馬ではないか。
ん? ねじれた二本の角に吊り上がった目……?
その特徴、何だか見覚えがあるような気もするが……。
とはいえ、俺は馬の魔獣など見たことはない。やはり気のせいだな。
ハゲは真面目な顔でさらに話を続ける。
「しかも、奴は戦闘ともなればさらに最悪なんだ。二本の角の間で生成した超高熱の火炎をまき散らし、あたり一帯を火の海に変えてしまう。ここでも街道沿いに一頭出現しただけなのに、極めて大規模で悲惨な被害が出ているんだ」
な、なんだその馬は!? ヤバすぎるだろう!
もはや害獣ってレベルではないぞ。
もし遭遇したら、確実に焼け死んでしまうではないか……。
「その上、火炎二角獣は足が速いからなぁ。討伐隊を組んでも、まるっきり捕捉できんと来たもんだ」
おいおいスピードまで速いのかよ。
それって逃げられないってことじゃないか……。
絶対に出会いたくない……。
「な、なぁ。まさか鉢合わせしたりしないよな? というか、俺達こんなにのんびり移動してて、まずいんじゃないか? も、もっと急いだほうが……」
完全に腰が引けている俺であったが、一方のハゲはそうでもない様子だ。何という危機感の無さだ。
「まぁ、元々は街道に出るような魔獣では無かったし、そこまで心配することもあるまいよ。何故かここ数日は目撃情報もぱったり途絶えとるみたいだしな。それにもし万が一のことがあっても、お前さんの操るゴレタルゥがついていてくれるんだ。きっと安心だ」
アホかハゲ! お前うちのゴレを闘犬か何かと勘違いしてるんじゃないか!?
そんなイカれた放火魔の馬なんぞとゴレは戦わせんぞ、俺は!
万が一火傷でもしたら可哀想だろうが!
その後も俺達は、わいわいとくだらない雑談をしながら馬車の旅をすごした。
ハゲと雑談していて気づいたのだが、どうもこの世界の人々、土地所有の概念がかなりゆるい気がする。そこら辺の空いている土地に住みついたり、移住したり、わりと自由にやっているみたいだ。おそらく、肥沃な土地がだだ余りしているという先ほどの印象は間違っていない。
なんというか、もしリュベウ・ザイレーンに召喚されたのが銭勘定に疎い俺ではなく、異世界領地改革とかやってしまう感じの比較的貪欲な経済学系の地球人だったら、この世界、あっさり食い荒らされてしまっているのではないかという気がする。白人入植者によって故郷を追いやられた、素朴で心優しいネイティヴアメリカン達のように。
やはりザイレーンのアホは、人選を完全にミスったのではないだろうか。
俺には、差別と富の集中によるこの世の地獄を演出するような、学問的素地も気概も、まるでないのだが……。




