第31話 朝食とゴレ軍団
「……図書館? ネマキ、おまえさん何か読みたい本でもあるのか?」
「ああ、ちょっとゴーレムについて調べ物をしようと思うんだわ」
朝飯を食べながら、俺はハゲに図書館が近場にあるかを聞いていた。
この世界に図書館自体があるのか? という内心をこめた質問でもある。
昨夜は俺がゴーレムについて無知であったばかりに、大変な惨事になってしまった。だから、本を読んできちんと勉強しようと思ったんだ。
これまではひたすら移動しないと死ぬ状況だったから、生きる事と猿どもの事以外は、特に何も考える必要はなかった。
しかし、今こうして人里に出てきて、活動資金も出来た。
もはや猿と共に生きる手段ではなく、人と共に生きる手段を考える段階に来ているのだ。そのためには、色々と勉強が必要である。
ハゲハウスの朝食メニューはきちんとしている。
目の前のテーブルには、カリカリに焼いたベーコンとスクランブルエッグ。
温かいパンと、生野菜のサラダに豆のスープ。あと、山羊のミルク。
きわめて文明的な朝食だ。栄養バランスも良く考えられている。
サラダに知らない野菜が混じっていたり、こまごまとした点がやはり異世界という感じはするが。
食卓では、ハゲとテルゥちゃん、俺とゴレ、という組み合わせで、向かい合って席についている。平和な朝の食卓を囲む、ハゲと幼女と、異世界人と美女神エルフギリシャ彫刻。
おそらく他人が見ると、凄まじくシュールな光景だと思う。
ハゲは料理が上手い。
まぁ、奥さんが亡くなった後は、男手一つで娘を育てているわけだしな。
借金まみれで、店にまでチンピラが押し掛けるような有様だったのだ。家政婦さんなんて雇う余裕も無かったろう。
必死に薬を工面した奥さんがその甲斐もなく亡くなった直後に、悲しむ暇もなく小さな病気の娘さんの世話と家事をしながら、しかも借金も返さないといけない。そりゃあ、誰だって禿げるわ。俺だって禿げる。
老け込むだろうし、禿げるだろうし、料理だって上手くなるだろう。
いや、彼は料理が上手くなる他になかったのだ。
きっと必死に上手くなったのだ。
…………。
まぁ、だからと言って、俺の魔導核を買い叩いた罪は消えんがな。
ちなみに現在食卓に座る俺は、例のクソださいパジャマを着ている。
マイホームのごとく、非常にリラックスした状態だ。
……なぜこんな事になったのか。
それは、今朝うっかり油断して、寝起きにこのダサいパジャマ姿のままで居間に出てきてしまったせいだ。
パジャマを見たハゲには、果てしなく微妙な表情をされた。
なんだお前、やんのかハゲ!? これがうちの正装なんだよ!
というか、やはり俺のパジャマは、この世界的にもアウトなデザインだったのだな。次元を超えてダサいパジャマだったのか……。
まぁいい。どうせこの家には、ゴレとハゲと幼女しかいないのだ。もはや何も気にすることはない。
ちなみにこのパジャマ、テルゥちゃんには好評である。
やはり話の分かるレディだ。パジャマの猫(?)を見て、「さんだーぐりずりーさん!」だと言って、はしゃいでおられた。彼女がそうおっしゃるのなら、このパジャマの謎アニマルの正体は、絶対にさんだーぐりずりーさんに間違いない。
「ふむ、図書館でゴーレムについての調べ物か……」
ハゲは少し考えるような表情をしたが、申し訳なさそうに眉を下げた。
「このティバラは、元々宿場町として発展してきた街だからなぁ。ここには図書館なんてないぞ」
「なんだ、そうなのか。残念だな」
なるほど。ハゲのこの口ぶりからすると、この街に無いだけで、図書館自体は存在しているみたいだ。
やはりそうか、予想通りだな。
ザイレーンの家には活字の本が沢山あったから、少なくともそっち方面には、わりと発展している世界なのではないかと思っていたのだ。
「それに、おまえさんほどのゴーレム使いが読むような、高度な専門書が揃っている施設となると……。このサディ藩には、おそらく存在しないだろうな」
「……へ?」
いや、そういう難しい魔術の専門書は、宗教上の理由で読めないのだが。
できれば、小さい男の子が読む「はたらくじどうしゃ」的な本の、ゴーレム版から慣らしていきたいんだよ。例えば「はたらくごーれむ」みたいな。
ひょっとして、このハゲは俺の能力を過大評価しすぎなんじゃないか?
そろそろ、俺の無能っぷりとヒモっぷりを、きちんと見せつけておく必要があるな。でないと会話に齟齬が発生する。
ハゲよ。ぶっちゃけ俺の知識レベルは、今お前の隣でスクランブルエッグをぐちゃぐちゃしながらお口にソースを付けて、にこにこと微笑んでいるテルゥちゃん以下なのだ。
そういえば、俺は常々自分の知識の無さを「この世界の小学生以下」と言ってきた。しかし、すでに俺は照明器具の件などで、常識についてはテルゥちゃんに完全敗北を喫している。そして、テルゥちゃんは5歳。幼稚園児だ。よって、正しい事実にもとづいて、今後俺の常識力については「この世界の幼稚園児以下」と呼称を改めることとする。
「いや、専門書とかじゃなくて、読めれば何でもいいから……」
「はあ? まぁ、何でもいいなら、この街にも本屋ぐらいならあるが」
「お、マジか。じゃあ、とりあえずそれでいこう」
俺はあっさり図書館から本屋へと方針転換した。
図書館は後回しでもいいだろう。まずは近所の本屋だ。
……水は低い方へと流れる。
とはいえ、当座のゴーレムについての基本知識は本屋の書籍等でまかなえば良いとしても、図書館にはどのみち行かねばならないと思う。
リュベウ・ザイレーンの召喚術に関する情報を調べるためだ。
召喚術について調べれば、記憶喪失や帰還手段について、何か分かるかもしれない。記憶喪失も治せる物なら治したいし、帰還の手段も探りたい。
ただ、これらは結構微妙な問題を含んでいる。
まず記憶喪失の件なのだが、今は親しい人達の記憶が欠落しているせいで、元の世界へのたいした執着もなく、俺はちんたらやれている。
でも、帰る手段もない状況で、中途半端に記憶を思い出すと、ものすごいホームシックになっちゃうんじゃないか?
どうも俺、自分が自覚してる以上に、さみしがりのような気がしてきてるんだよな……。
帰還の手段についても、実は問題がある。
一人で帰るというのは、論外なのだ。ゴレも連れて帰る必要がある。
当然だ。こいつをこんな危険な恐竜ワールドに、ひとりぼっちで放り出して帰れるわけがないだろうが!
俺が最も軽蔑する人種のひとつは、軽い気持ちでペットを飼って、軽い気持ちで保健所に連れていくような人外の屑どもだ。
俺はそんな真似だけは死んでも絶対にせんぞ。絶対に、最後まで責任を持って世話する。
だから、最低限二人で帰る方法が必要だ。
これは俺の性格上、絶対にゆずれないラインだ。
しかも、元の世界に帰るなら、確実に記憶を取り戻しておく必要がある。
だって、自分の名前はおろか、交友関係は全員顔や名前が分からないし、家族に至っては、いるのかいないのかも良く分からない状態なのだ。
せっかく元の世界に帰れても、これじゃ俺、社会的に廃人確定だよ!
くっそお……。なんて面倒くさい状況なんだ。
俺は今、ザイレーンのクソ野郎を本気でぶん殴りたい。
そもそも俺の召喚方法の場合、記憶や帰還方法について最も知っていた可能性が高い、そのザイレーンのアホ自身が、自滅してさっさと死んでいる。
超ハードモードなのである。ふざけているとしか言いようがない。
こうして冷静に考えてみると、帰還についての調査は、暫定的に優先度を下げておいた方が良いのかもしれない……。
もうひとつ調べる必要性が高いのは、“破滅の魔導王”についてだろう。
これは安全上、わりと重要な問題だ。誤認逮捕のおそれとか色々あるだろうし、何も知らないのとそうでないのとでは、危険度がまるで違う。
それに俺は、この、自身の立ち位置についての情報は、知っておかないと非常にまずいような気がしている。
実は、ずっと引っかかっている事があるのだ。
俺が〈魂転写〉を回避して、人里にたどり着いて……――破滅の魔導王についての一件は、本当にそれで終わりなのだろうか?
破滅の魔導王はこれで誕生せずに、世界に平和が訪れて、一連の事件は俺個人の身の振り方の問題を除けば、すべて終わったのだろうか?
どうもそんな気がしない。
何か、俺の知らない事実があるような気がする。
頭の中に纏わりついているのは、盆地を出たときに待ち伏せしていた、真っ黒い悪魔みたいな怪物だ。あいつだけ、明らかに他とは何かが違った。
強さで言えば多分、古代地竜の方がずっと強かった。
それに、あの時は油断しきっていたあいつを、ゴレが先制の一撃必殺で倒してくれた。
事実としては特に何の結果も残さず、その後起こった怒涛のような出来事の連続に比べれば、本当にあっさりと片付いてしまった一件だった。
でも、それって……ゴレがいてくれたからだよな。
――本来なら俺の冒険、確定的に、あそこで終わっていたんじゃないのか?
異常な雰囲気に呑まれていたせいで、あいつの言葉はよく聞いていない。
だが、どうもあいつは、俺が魔導王である事を知っている様子だった。
初対面であるはずの俺を。
それも、かなりの確信を持って。
この事は一体何を意味しているんだ……?
これらの疑問の答えが図書館にあるのかは分からない。
だが、少なくとも、情報への足がかりとして利用するという方向性自体は、間違っていないはずだ。
他にどこで調べればいいのかも良く分からないし。
スペリア先生に色々聞いておけばよかったんだが、まさかあんな急な別れ方をするとは思わなかったから。
お別れを切り出されてから、肩掛け鞄を渡され、彼が行ってしまうまでに、おそらく10分とかかっていない。本当にあっという間だったのだ。もちろん、呆けていて質問をしなかった俺が全て悪いのだが……。
目の前の皿の食べかけのベーコンが、すっかり冷めてしまっていた。
思考の渦にのまれて、食事の手が完全に止まっていたのだ。
いつぞやのスペリア先生とまったく同じ症状である。
俺の場合は、自力で現実に戻って来たが。
パンを握ったまま完全停止していた俺を、隣に座ったゴレが心配そうにのぞき込んでいた。顔が近い。
俺の奇行のせいで、優しい相棒に余計な心配をかけてしまったみたいだ。
「ごめんな、ちょっと考え事をしてただけだよ。大丈夫」
見ると、ハゲも心配そうに俺を見ている。
いや、そういうのいらないから。需要無いから。
……まてよ。
このハゲなら、破滅の魔導王について何か知っているのではなかろうか。
「なぁ、破滅の魔導王って知ってるか?」
「はぁ? なんだ唐突に。……破滅の魔導王って、昔話のあれか?」
ハゲは面食らったような顔をしていたが、俺の真面目な顔を見ると、ふーむ、とうなった。
「そうか、お前さんぐらいの年代だと知らんのかもなぁ。元々年寄り連中しかしないような話だし」
お前も年寄りだろうに、ヤング気取りか!
何という傲慢なハゲだろう!
だが、まあいい。
「……どういう言い伝えがあるんだ?」
「破滅の魔導王ってのは、たしか、異界からやって来る魔導の王のことだな。名前通り、魔獣のように魔導を使う異能を持つ、とかなんとか……」
「そのあたりまでは、俺も知ってるんだ。そんでもって、世界を滅ぼすんだよな? どうやって滅ぼすのか知っているか?」
正直なところ、俺の力では、世界を滅ぼせる気などまったくしないのだ。
仮に俺の全力をもし一気に解放する手段があれば、小規模な天変地異くらいはおこせそうな気もする。だが、そんなのは非常に局地的なものだ。
あるいは都市の一つか二つくらい潰せるのかもしれないが、そんなものに大して意味はない。この世界は広い。世界破滅なんて到底無理だ。しかも、古代地竜戦のときみたいに、一発で魔力切れのへろへろ状態になるだろう。
それに、俺に現実的に出来ることといえば、天変地異どころか、槍とかでちまちま攻撃する程度なのだ。「魔力を込めまくっても、魔術の規模自体は大きくならない」というこの世界の魔術の原則は、俺がもし仮に悪の魔導王として広域破壊をしようとする場合には、かなりの足枷になる。
他に何か俺の力で世界を滅ぼす方法があるだろうか。
うーん。
考えられそうな手段と言えば、大ゴーレム軍団を作るとかか?
ゴレが100体、か。
…………。
嫌な汗が出てきた。
なんだか人類滅亡に、急に現実味が出てきた気がする。
いや、それにしたって無理だ! 主に、ゴレのスペックではなく俺のスペックの問題だ。1体作っただけで、あれだけ弱って死にかけているのだ。2・3体作った時点での致死率は100%を超えているのではないか?
そもそもゴレの生成って再現性があるのか? あれって、まぐれ成功っぽかった気がするのだが。
逃げ惑う人々をレーダーで捕捉して撲殺しながら、世界を火の海に変えるゴレ軍団。その姿をリアルに幻視して青ざめる俺だったが、そんなことなど知らないハゲはそのまま話を続けている。
「たしか魔導王が勝つと、何か大規模なすごい魔導が発動して、世界中の人類はすべて死滅すると言われとるな。だから、破滅の魔導王が現れる度に、人類は滅ぼされているのだとか……」
「……え?」
魔導王が毎回勝利して、人類が滅ばされている? どういう事だ?
魔導王は過去に何度もやられて、殺されているんじゃないのか?
たしかザイレーンが遺した石の本には、そう書かれていたぞ。
世界の破滅をなさずに、何人も殺されてしまったと。
だからザイレーンは、わざわざ二段階の召喚プロセスなんぞ踏んで、魔力総量の多い俺を召喚したんじゃなかったのか? 歴代最強の魔導王を作るため、とかなんとか言って……。
いや。そもそも、だ。
「……人類全員死滅してるなら、何でお前はここにいるんだよ?」
「そんなこと知らんわ! だからおとぎ話ってことなんだろう?」
あ、こいつ投げやがったな! なんという役に立たないハゲなんだ!
「あのなぁ、ネマキよ。そもそも、魔導王の話なんてのは、あまりおおっぴらにするような物じゃあないんだぞ? わしだって、家の中でお前さん相手だから話しとるんだ。……もし教会の連中にでも聞かれたら、どんな事を言われるかわかったもんじゃない」
何!? この話題、宗教上の理由でタブーなのか!?
やばいな、街で聞いて回ったりしなくて良かった。
それにしても、自由な言論が出来ないこの世界の宗教といい、土属性しか使えない俺の宗教といい……。宗教というのは、何とも窮屈なものだ。
「人の世ってのは、ままならないものだなぁ」
「何を悟ったような顔をしとるんだ、お前さんは……」
あきれたような顔のハゲのことは無視し、俺は世の理不尽を嘆いて深いため息をついた。
その日の夜。
俺はトップブリーダーになって、牧場でゴレ軍団の世話をする夢を見た。
どのゴレもよく懐いてくれて、素直で可愛らしい子達だった。
しかしゴレ軍団は、俺に身体を拭いてもらう順番をめぐって、血で血を洗う壮絶な内乱を始めた。
……そして結局、最初のゴレ一人しか生き残らなかった。