第28話 裏社会と二つ名
チンピラが去ってから、小一時間ほどが経った。
店先があまりにも荒れた状態だったので見ていられなくなり、先ほどから俺は床に散乱した商品を棚に戻している。
ゴレもいっしょに手伝ってくれている。いい奴だ。
おい、ハゲ。お前もうずくまってないで、おりこうなゴレを少しは見習え。
しかし、なるほどな。店を片付けながら、得心が行ったことがあった。
この魔道具屋は、わりと立派な店構えと広い売り場面積に比して、商品がやたら少ない。
最初から客もいないし、商品棚も空きばかりで、すかすかだった。
この世界に詳しくない俺はそういう物なのかと思っていたが、実際には仕入れも満足にできない状況になっていたのだろう。
このハゲはおそらく、俺の魔導核を買い取る為の十分な現金すら用意できていなかったのではないか。それであんな一か八かの詐欺まがいの手法に出たのかもしれない。
床に散らばっている魔道具は小振りな物ばかりで、まるで玩具みたいだ。
商品棚に戻す途中のネジみたいな妙ちくりんな魔道具をこねくり回して遊んでいたとき、店の表から何か視線のようなものを感じ、顔を上げた。
いつのまにか、前の通りをずらりと囲むように、大勢の男が立っていた。
男達は揃ってこちらを睨みつけている。
見れば、全員すこぶるガラが悪い。
例のチンピラ3人組と似たような、異世界DQN型ファッションスタイルだ。
それにしても、凄い人数だ。確実に50人以上はいるだろう。
すでにゴレが、俺の斜め前に静かに佇んでいた。
あ、おいこらゴレ、お前まさかこの人達と戦る気か?
ちょっと待ちなさい、乱暴は絶対だめだぞ。
集団の中から、一人の大男がのしのしと大股で前に進み出てきた。
ごつい皮の鎧をまとい、背中には大振りな大剣を背負っている。
こんなもん振り回せるのか!? こ、こいつ、ゴリラの末裔か何かか?
大剣の大男は、俺を睨みながらドスの効いた声で凄んだ。
「……てめぇか、赤い眼の妙な聖堂ゴーレムを使う魔術師っていうのは」
それは俺のことだろう。「ああ、そうだ」と、答えたいところではある。
だが、俺は魔術師を名乗って大丈夫なのだろうか?
土属性、それも入門魔術しか使えないのだが……。
小石とか、ゴーレムとか、槍程度しか作ったことがないんだが。
これで魔術師なんて名乗ったら、本職の人達に叱られないだろうか。
「……だったら、どうしたと言うんだ? 何か用件でもあるのか?」
ここは認めることも否定することもせず、無難な回答をしておいた。
なぜか周囲の緊張感が一気に高まった気がした。
あれ? 回答をミスったか?
「ふん。度胸だけはあるみてえだな」
自信に満ちた表情で、にやりと不敵に笑う大男。まさにマッチョ、といった感じである。
「お前、大方そこいらの魔術師相手にゴーレムでセコい勝利を重ねて、粋がっちまってるんだろう。……だがな、魔術戦士であるこの俺様の部下に手ぇだしちまったのが運の尽きだ」
この発言に、取り巻きのチンピラの一人が呼応するように声を上げた。
「ダズウの兄貴は裏社会最強の“血属性”魔術の使い手だ! そんなゴーレムの装甲なんぞ一撃で真っ二つだぞ!」
血属性魔術。
これについては、今は亡き『魔術入門Ⅰ』で読んでいるから、俺も知っている。
たしか“血を沸き立たせる”性質を帯びた属性魔術だ。
いわゆる自己の身体の強化とか、治癒力の向上などが行える。
この属性の適性がある魔術師は接近戦でもめっぽう強いので、かなり厄介な存在になる。
また、この血属性魔術に特化した魔術師は、一般の魔術師とは区別して「魔術戦士」と呼ばれる特殊なカテゴリーに分類される。ちなみに、俺がたまに呼ばれる「ゴーレム使い」という名称も、この「魔術戦士」と同じような特殊なカテゴリーの土属性版だ。
魔術戦士とか超かっこいいと思ったので、“属性の理解”のときに、当然俺も使用を試している。もちろん、1ミリの才能もなかった……。
目の前の大男が、その魔術戦士というわけか。
裏社会最強とは、これまた凄い肩書きだ。
とはいえ、参った事になった。
おそらく彼は、先ほどトラブルを起こしたチンピラの元締め的存在なのだろう。
彼らの取り立ての際の暴力行為や横領行為には非常に言いたいことがあるものの、今そこで青色を通り越して紫色の顔で震えているハゲが、彼等に借金をしている事自体はおそらく事実だ。
しかも先ほどうちのゴレが、あちらの社員さんに怪我をさせてしまっている。
この状況では、治療費を請求されるのは、間違いなく俺の方だ。
俺の所持金は治療費と慰謝料で消えてしまうかもしれない。
でも、いいんだ。甘んじて受け入れよう。相棒の粗相は、すべて飼い主である俺の責任なのだから。
だが、この世界のDQNは、俺の予想以上に暴力的だった。
大男は、問答無用で戦闘を開始したのだ。
「うおおおっ! 〈獅子の肉鎧〉ッ!」
怒号のような詠唱が響く。
同時に、赤黒いオーラをまとった大男の筋肉が、ひときわ大きく盛り上がった。
す、すごい。外人レスラーでもこんな奴は見たことがない。
気合いと共に大男は背中の巨大な剣を抜き放つ。
そして大剣を片手で軽々と俺の方へ向けると、大音声で叫んだ。
「せいぜいあの世で後悔するこった、ゴーレム使い!」
……あ。
俺はこのとき、非常に不味い事に気付いてしまった。
大男は店前の路上におり、店内の俺との間には、まだ随分と距離がある。
通りの真ん中で大勢の仲間に囲まれ、堂々と開戦のポーズを決めていた。
彼は今、こちらへ向けて、水平にまっすぐ剣を向けている。
そう。つまり、“手を”、俺の方に、“出している”。
やばい。
だが、俺が制止するよりも、ゴレの動きは早かった。
踏み出したその動きは、まるで疾風であった。
彼女は待っていたのだ、この瞬間を。
一気に肉薄したゴレの拳が、派手な音を立てて大男の顔面にめりこんだ。
筋骨隆々の大男が、紙細工みたいに通りを吹き飛ばされていく。
飛翔する大男は空中に大きな放物線を描き、向かいの店の前に置かれていた大量の空き樽の山の中に、もの凄い勢いで頭から突っ込んだ。ほとんどの樽が粉々に破壊され、砕けた木片と土砂が宙を舞う。
勢いで地面をバウンドした男は壁に激突して、そのまま動かなくなった。
街は静まり返っていた。
飛んできた木片が、からんと音を立てて通りに転がった。
……や、やってしまったああああ!!!
ゴレに出した指示を修正するのを忘れていた!
これ、完全に俺のミスじゃねえか! 死にたくなってきたぞ!
俺は自責の念で頭を抱え、うつむいた。
しかし、この行動は完全に悪手だったのだ。
数秒間の現実逃避の後、事態を収拾すべく、再び顔を上げたとき――
俺の眼前には、阿鼻叫喚の地獄絵図が広がっていた。
路上一面に横たわり、全身血塗れでうごめいている、大量のチンピラ。チンピラ。またチンピラ……。
何だこれは? 一体何が起こった?
そこで気付いた。
これ、まさか俺が現実逃避した数秒間に、ゴレがやらかしたのか。
地面に寝転ぶチンピラ達は、全員苦痛のうめき声をあげ、大量の血を流し、皆手足が変な方向に曲がっている。むごい。
だが、動いている。一応、動いている。
よかった、死んではいない。ゴレはちゃんと手加減したのだ。
俺はあらためて周囲を見回した。
街のメインストリートが血に染まっている。
このたった数秒の間で、俺を中心に一定距離内のチンピラが、全て酷い暴行を受けて半殺しの状態で倒れていた。
被害人数は、実に全体の半数近い。
ゴレはその場に静かに立っている。
まるで何事もなかったかのようだ。
駄目だよゴレ。そんな態度を取っても、俺は騙されないからな。
今、お前が手についた返り血をこっそり払うのをちゃんと見たからな、俺は。
残った無事なチンピラ達は、全員その場に磔になったように硬直している。
誰も口をきかない。凍り付いた表情で俺を見ている。
……いや、待て。何故俺を見る。
お前らの仲間を半殺しにしたのは、あくまでゴレであって、俺自身は飼い主の責任はあるものの、これといって何も行動はしていないと思うのだが……。
しかし、俺を見るチンピラ達の表情は、軒並み恐怖と絶望に染まっている。
まるで邪悪な魔神でも見ているかのようだ。
とにかく、この状況はまずい。
代表者であるはずの大男は、まだ壁際で樽の残骸に埋もれて、ぴくぴくと痙攣している。
急いで彼を介抱し、その後、穏便に話をつける必要がある。
これは俺が責任を持って事態を収拾しないと、絶対に不味い。
俺は大男の方に向かって、通りを横切る形で歩きはじめた。
生き残りのチンピラ達がぞわっと両側に引いて、道が出来た。
まるで海を割った預言者モーセである。ここはチンピラで出来た汚い海だが。
「ひ、ひいいい! ゆっ許してくれえ! 命だけは助けてくれ! お゛っ俺が、俺が悪かった!」
顔面の半分が腫れ上がりひどい有り様の男が、涙を流しながら震えている。
なんと大男には、まだ意識があったのだ。
手加減しているとはいえ、ゴレのパンチがまともに顔面に入ったにも関わらずである。
おそらくこれが血属性魔術の効果だ。
馬鹿にはできない。かなりやばい魔術だ。並の物理攻撃なら弾くだろう。
彼が対ゴーレム戦に自信を持っていたのもうなずける。
無敗を誇るゴレですら、古代地竜に物理でダメージが通らなかったときには、あっさり追い詰められているのだ。
まぁ、あの恐竜の場合は物理がどうこうのレベルではなく、ただのチートのような気もするが……。
俺がそんな事を考えていたとき、ゴレがすっと右腕を上げた。
あ、やばい。ゴレのやつ、もう一発殴る気だ。
「……ゴレ、駄目だ。おりこうにステイしなさい」
お前がもう一発追加で殴ったら、多分この人は死んでしまう。
ともあれ、彼に意識が残っていたのは幸いだった。俺達にはまだ、話し合いができるのだ。
しかし、さて、どこから切り出すべきか。
まず、ハゲへの借金の取り立ての際に彼等に問題行動があり、双方に行き違いがあったことを明確にしておく必要があるだろう。
「聞いてくれ。あの店で転がって震えているハゲの借金のことなんだが……」
「わ、わかった! わかっているッ! 俺達はペイズリー商会の依頼で取り立てを代行していただけだ。もう手を引く、この件からは今後一切手を引く。店には金輪際手を出さない。殺さないでくれ!」
顔半分が潰れたように腫れ上がった大男が、鼻血を流しながら泣き喚く。
一体何を言っているんだこいつは。俺には殺人をするつもりなんて……。
「あんたみたいな身内がいるなんて、本当に知らなかったんだ! もうこの街にも手は出さない、すぐに出ていく。お願いだ、頼む、殺さないでくれ。殺さないでくれえっ!!!」
あまりの絶叫にひるんだ俺は、介抱しようと男に触れていた手を離した。
そういえば顔周辺の怪我の具合をよく見ようと彼の襟元を持っていたせいで、まるで胸ぐらをつかんでいるみたいな体勢になってしまっていた。
俺の手が離れた瞬間、彼は転げるように飛び離れ、よろよろとふらつく足取りで、街の通りを西門の方に向かって逃げていった。
その様子をあっけにとられたように見ていた周囲のチンピラ達も、うめいている怪我人を引きずりながら、大男を追うように一斉に逃走し始める。怪我人を見捨てないあたりは、良いファミリーである。
「悪夢だ……」
逃げていく下っ端の一人が、虚ろな目で呆然と呟いたのが、妙に耳に残った。
この日を境に、この世界の裏社会にその悪名を響かせることになる、残虐非道の危険人物、赤眼の聖堂ゴーレム使い『ティバラの悪夢』。
そんな人の名前を俺が知るのは、まだ随分と先の話になる。
ぼけっと突っ立っていた俺の隣に、一人のお婆さんが近寄ってきた。
あ、この人は、街の入り口で飴玉をくれたお婆さんだ。
彼女は皺くちゃの手で俺の頭をなで、にこにこと笑いながら言った。
「あんた、ありがとうねぇ……。チョトスさんは病気になった娘さんの薬代で、ひどい借金を背負ってしまってね。みんな心配していたんだけど。あのごろつきどもが恐ろしくて、誰も何も言えなかったんだよ……」
「えっ?」
な、に……?
婆さん、今あんた何と言った?
いや、あんなクソハゲの身の上話はどうでもいいんだ。
重要なのはそこじゃない。
娘、だと……?
あのハゲには、年頃の娘さんがいたのか!?
ば、馬鹿な。おっさんと猿まみれの俺の異世界ライフに、ついに女の子とのフラグらしきものが立ったというのか……!?
あれか? ハゲを借金取りから助けることが、女の子の攻略イベントにつながっていた、的なやつか!?
あまりの驚愕に目を見開いたまま固まる俺に、お婆さんが飴玉をくれた。
お婆さんはゴレにも飴玉を渡そうとしている。優しい……。
ゴレは少し戸惑っている様子だ。こういう反応は珍しいな。
「よかったなゴレ。もらっておきなよ」
まぁ、ゴレには食えないだろうけど、その飴玉は後で俺がもらえばいい。
代わりに身体をピカピカに拭いてあげよう。
口に含んだ飴玉からは、やっぱり優しい甘味と、ほんのりと木の実みたいな味がした。




