第26話 ハゲと騎士様
俺は力ない足取りで、とぼとぼと通りを歩いていた。
やはり俺の魔導核は、魔道具屋の親父によって、本来ではありえないゴミみたいな値段で買い叩かれていた。
あ・の・ハ・ゲ~~~~~~!!!
そもそも魔導核というものは、魔獣の体内で結晶化している事自体が珍しい上に、需要が多いせいで市場での供給が常に追いついておらず、超高額で取引されている貴重品らしい。
ピザ夫いわく、おそらくは物を知らない外国の貴族のボンボンと見てカモにされたのだろうとのことだ。ピザ夫自身、実家を出て旅を始めた直後は、世間を知らずによく騙されていたそうな。まぁ、人の良さそうな彼らしい話ではある。
ピザ夫は俺をたいそう憐れみ、テパオール麺の代金をおごってくれた。
彼はもし漫画とかに出てきたら、主人公の可愛い幼なじみを狙って悪だくみをしたあげく、手ひどい制裁を受けてやられる下衆な貴族の息子という役回りにしか見えない外見だ。でも、実際はもの凄く良いやつだった。
それにしても、魔道具屋のあのハゲえ~~~~!
くっそお……! この恨み、い、いつか必ず……。
先ほどから俺のしょぼくれた横顔を、ゴレが心配そうに覗き込んでいる。よほど心配なのか、いつも歩くときの斜め後ろの定位置から、真横に近い位置にまで移動して来ていた。
スペリア先生やピザ夫と話していて気づいたのだが、ゴレのやつは基本的に、俺以外の人間がしゃべっている言葉をあまりまじめに聴いていない。だからこいつは今、俺がなぜしょぼくれているのか、よく分かっていないはずだ。
俺は力なく肩を落とすのみで、ハゲへの負の感情を言葉や表情には極力出さないようにしていた。
理由は俺自身にもよく分からない。
しかし、俺がもしここで、ゴレにあのハゲへの怒りや恨みごとを涙ながらに語ってしまうと、この街に、何かとんでもない悲劇が起こってしまうような気がするのだ。何故か、そんな強い予感がする。
まぁ、ともあれ、猿の魔導核はまだ1つ手元に残っている。
ピザ夫の話しぶりからすると、これを売っただけでも、当面の金銭的な不安は完全になくなるはずだ。元々、別に切羽詰まっていたわけでもないしな。
非常に高い勉強料だったが、結局のところは、俺の無知が原因でもある。
認めたくないことではあるが、食うか食われるかの商いという戦いの場において、俺はあのクソハゲに敗れ去ったのだ。
というか、どう見ても消費者が保護してもらえるような文明度まで到達してないしな、この世界。買い叩かれた時点で負けだろう。
頭じゃ分かっちゃあいるんだ。だが、しかし、この悔しさだけはどうしようもないぞ……!
く……くっそおおお……!
あんのクソハゲぇえ~~~~!!!
絶対に許さん……!!!
とは言え、俺は徐々に思考を切り替えつつあった。
俺は頭の切り替えが早い男だ。
通りの向こう側の小さな屋台で、何か焼き菓子みたいな物を売っている。
風に乗って、甘い匂いが漂ってくるのだ。何だろう、クッキーみたいな良い香りだ。早くもそっちが気になり始めていた。
考えてみれば、この世界に来てからこっち、甘い物など食べていない。
当座の資金の目途がついたことで、俺の財布の紐は先刻よりも緩んでいる。
「なぁゴレ、あの店をのぞいてみようか」
俺はゴレの不安を和らげるべく、努めて明るい声をかけながら、屋台にむかって通りを横切ろうとした。
このとき、視界の先の路上に人だかりが出来ているのに気付いた。
あそこは例の魔道具屋があるあたりだ。
どうも通りをふらふら歩いているうちに、近くまで戻って来ていたらしい。
まぁ、そう広くもない街の中でのことだからな。
突然、路上の野次馬の中心から、がしゃんと何かが壊れるような音がした。
何だ何だ、喧嘩か?
気になった俺も、人の流れに乗って野次馬に混ざりに行く。
野次馬の中を見やれば、例のクソ魔道具屋と三人組の男が言い争っていた。
あんのハゲ! 俺を騙しただけでは飽き足らず、まさか更なる被害者を!?
義憤に駆られ、悪のクソハゲに対する怒りを再燃させる俺。
……だが、よく見ると、どうも様子が少し違うみたいだ。
三人組のリーダー格らしい長髪の男が、恐ろしい顔でハゲに詰め寄っている。
ハゲは何やら言い返しているものの、その小さな体躯はぶるぶると震えている。
お世辞にも見栄えが良いとは言えないその顔は、青ざめた肌とびっしょりかいた脂汗によって、さらに酷いことになっていた。
ハゲの正面で対峙しているのは、あきらかに銃刀法違反な長さの剣を腰に差した、長髪の男だ。刺青の入った肩をゆすりながら、周囲を威嚇するように大声でがなりたてている。
残りの二人も、短髪だが似たような銃刀法違反型のファッションスタイルをしている。まるで逃げ道を塞ぐように、ハゲを両脇から無言で威圧していた。
これは……。静謐を愛する俺が最も苦手とする人種、いわゆるDQNだ。
まさかこの世界にも、不良が存在するとは。俺はショックを受けた。
この世界で最初に俺の相棒になってくれたゴレは、すごく思いやりがあって優しい。初めて会った異世界人のスペリア先生も、知的で立派な人だった。そんな幸運な出会いに恵まれた俺の、この世界の人々に対する文化的評価は、いきなりほぼMAXだ。10点満点の評価で50点は行っていた。
だが、こんな風に邪悪なクソハゲや不良どもが幅を利かせているとなると、残念ながら評価を下方修正しなければ……。
悲しみにくれる俺の耳に、長髪のチンピラの甲高い声がキンキンと響いた。
「だからね、借りた物は返すのが世の中の常識でしょうが? さっさと払う物払ってもらわないと、ねェ? こっちもさあ、慈善事業じゃないんだから!」
「もう少しだけ待ってくれと言っている! 返済のあてが出来たんだ! もう少しなんだ、すぐにでも返せる!」
あ、これ借金の取り立てだ……。
あのハゲ借金持ちだったのかよ。
「そう言われてハイハイ待ってたら、こっちもおまんまの食い上げでしょうが……おい!」
長髪が、くいっと顎をしゃくり上げた。
それを合図に、取り巻きの二人のチンピラが、いきなり店先の商品棚を蹴り倒しはじめた。棚から商品が床に落ちて、がしゃがしゃと耳ざわりな音を立てる。先ほどの破砕音の正体はこれか。
長髪は横倒しになった商品棚に腰かけながら、一呼吸置き、そして低い声でハゲに凄んだ。
「金が無くても、まだ出せるもんはあるだろ? ……店の権利書をさっさと持ってこい」
なるほど、これがプロのチンピラの仕事か。
見事だ。欠片も見習いたくはないが。
青い顔をして店の奥に引っ込んだハゲだったが、直後に皮袋をつかんで飛び出してきた。
いそいそと皮袋の中から黒い結晶を一つ取り出す。
その指先は、焦りと恐怖で震えていた。
「み、見ろ。土大鬼の魔導核、それも上級品だ! こいつの売却益さえ出れば、借金などすぐに……!」
あっ、あれ俺から買い叩いた猿の魔導核じゃん。
また深い悲しみと怒りがこみ上げてきたぞ! どうしてくれるんだ!
だが、魔導核を見た途端、長髪の男の顔色が変わった。
取り巻き二人も、ぴたりと暴れるのを止めている。実に息が合っている。
長髪は急にニタニタと笑い始めた。何かが可笑しくて仕方ない、といった様子だ。
「へえ、いい物持ってるじゃないの! ……分かった。うちも別に鬼ってわけじゃないんだ。いいぜ、良しきた。権利書の件は、待ちましょう、待ちましょう」
そして下卑た笑いを浮かべながらハゲに近づき、その手から、さっと皮袋を奪い取った。
「んじゃ、こいつは俺が預かっておきましょうかね! おほっ、結構入ってるじゃん。うんうん、これからも頑張って返済に励みなさいよ」
「あっ なっなにをするんだ! 返せ!」
真っ赤な顔で皮袋を取り返そうと長髪につかみかかったハゲだが、あっさり蹴り飛ばされて床に転がった。
……まぁ、この世界のしきたりがどうなっているのかは知らんが、借金の返済期限が過ぎているなら、こういう回収のやり方もありだ。
普通はハゲが売却益を出すまでわざわざ待つ必要などない。一見非道っぽく見えるが、特にこのチンピラが悪いというわけではなかろう。
蹴ったのはいただけないが、まぁ、この業突く張りのハゲには良いお灸だ。
ふふん、俺を騙しやがった罰だ。ざまあないな、クソハゲめ。多少の痛みと共に己が強欲さを悔やむがいい。
肩をそびやかし、上機嫌なチンピラ達はそのまま悠々と店を出ようとした。
しかし、ハゲが皮袋を持つ長髪チンピラの足にしがみついた。
「返せえっ! 返してくれ!」
おいおい。
まだやる気なのか、このハゲは……。
「うっとうしいんだよ、調子に乗ってんじゃねえぞ! 薄汚い禿げがッ!」
怒った長髪が、サッカーボールみたいにハゲの胴体を蹴った。
思いっ切り蹴り出された足が腹にめり込み、鈍い嫌な音がした。
ハゲがうめき声をあげる。
「お前らみたいな自己管理もできない罪深い屑はなぁ! 俺達のおかげで生き永らえていることに感謝しながら、一生ご奉仕し続ける義務があるんだよ! ありがたいと思え! おらァ!」
チンピラは長髪を振り乱しながら、ぼこぼこにハゲを蹴りまくっている。
でも、ハゲは掴んだチンピラの足を、必死に離そうとしない。
なんという強欲なハゲだろう。
まぁ、いずれにせよ、そろそろ誰かが通報するか助けに入るだろう。
それにしても、長髪に蹴られるハゲは、全然手を離さない。
禿げ頭になでつけていた残り少ない頭髪もぐちゃぐちゃに崩れてしまい、それはもう、落ち武者のような有り様だ。
そんなに金が惜しいのか、こいつは。度しがたい欲深さである。
うずくまるハゲは、さらに三人がかりでめちゃくちゃに蹴られ始めた。
血が出ている。
…………。
とはいえ、そろそろ誰かが助ける。これ、完全に傷害罪だしな。
それでも相変わらず蹴られ続けるハゲ。
周囲は誰一人動かない。
必死にチンピラの足を掴むその手の力が、徐々に弱まってきている。
…………。
お、おい。
何でハゲを誰も助けてやらないんだ?
ひょっとして、小汚いチビのおっさんだからか……?
汚いおっさんは助ける価値がないとでも思っているのか?
それとも、借金まみれで小ずるい商売をしていたからか?
で、でも、それとこれとは違うんじゃないか?
俺も確かにこのハゲに買い叩かれたから、こいつのことは純度100%のクソだと思っている。でも、それはお互い商売上のことだ。
思う部分はあるが、俺だって自身の判断に従い、自らの意思で売却に合意したのだ。
だが、今この場で起こっている事は、どう見ても違う。
だって、このハゲは寄ってたかって、力ずくで持ち物を取り上げられている。
何よりこのチンピラども、あの魔導核を借金返済に充てるつもりなんて、本当はさらさらないんじゃないのか? 着服するつもりなんじゃないのか?
だって、領収書を書いていなかったぞ!!!
実はずっと気になっていたんだ、俺は! あれでは、ばっくれられてもハゲは何も言えんじゃないか!
こんなのはどう見ても犯罪だ。
誰か通報してやってくれ……。
俺はこの世界の治安システムを知らないんだ。
それに、それに。
ハゲは、理不尽に殴られているじゃないか。
あんなに悔しそうに、泣いているじゃないか……。
…………。
あ、だ、駄目だ。も、もう、我慢できん……。
俺は、半ば無意識に一歩前へと踏み出していた。
「……――おい、待てあんたら。きちんと領収書を書け」
俺は調和を愛する文化人として、この野蛮人どもの暴挙を、どうしても見過ごすことができなかった。
だから、蹴られているハゲとチンピラ達の間に割り込んだ。
そう。まるで、乙女を守る騎士のように。
俺が異世界で初めて悪漢から守ったのは、か弱い少女でも、可憐な美女たちでもなく。
――小汚いチビでハゲで借金まみれの、どうしようもないおっさんだった。




