第25話 魔道具店と料理店
「うーん、この魔導核は粗悪だ……。ちょっと売り物にはならんかもなぁ」
薄い頭髪を後ろになでつけた小柄な店主が、申し訳なさそうに言った。
俺は今、このティバラの街にある、一軒の魔道具屋を訪れている。
色々と街の中を回ってみるにしても、先立つ物は必要になる。例の大猿の白骨死体から拾った魔導核を、さっさと売り払って現金に換えに来たというわけだ。
先ほど通りにいた暇そうなお婆さんに聞いてみたところ、魔獣由来の素材の買い取りなら、基本的に魔道具屋に行けばよいだろうと教えてもらったのだ。
そして、お婆さんに飴玉をもらった。自分で言うのもなんだが、俺は昔からわりとお年寄り受けはいい。
もらった飴玉からは、優しい甘味と木の実のような不思議な味がした。
いや、まて。それどころではない。猿の魔導核が、粗悪品!?
なん……だと……?
あの猿ども! 死んでも役に立たないとは、なんという使えない猿なんだ!
まぁ、あんな猿ごときから出た汚い石ころが売れるかどうか、元々怪しんではいたのだ。
いずれにせよ、買い取ってもらえない以上はどうしようもない。
「そ、そうですか。時間を取らせてすみませんでした……」
俺はがっくりと肩を落とし、店を後にしようとした。
しかし、古びた木製のドアノブに手をかけようとしたとき、後ろから店主が声をかけてきた。
「……まぁ、お待ちなさい、お若い貴族さん。見たところ金策に困っているようだが、あんた一体どこから来たんだい?」
俺が振り向くと、店主が俺の様子をうかがうようにして訊ねてきた。
さて、困った。素直に異世界から来たとも言えない。
魔導王の罪で、誤認逮捕されてしまう。
えっと、スペリア先生は、俺の出自をどういう風に勘ちがいしていたのだったか……。
そうだ。たしか東方から深い事情でこの国に流れてきた、魔術師の家の――
「東方から来ました。ネマキ・ダサイといいます。……色々と深い事情がありまして」
嘘はついていない。
方向的に東から来ているのは事実だ。それに、悪の召喚術者に破滅の魔導王として異世界から召喚されたという、ものすごく深い事情もある。
店主は納得したように頷くと、気の毒そうな顔をした。
「なるほどそういう事か。さぞ色々とあったのだろう。……お察しするよ」
やはりか! 察されてしまったぞ!
マジで万能だな、この自己紹介。スペリア先生、本当にありがとう。
先生、俺これからずっとこの自己紹介で行きます。
「そういう事情ならば、助けてやれんこともないよ、ネマキさん」
「……どういうことですか?」
「魔導核ってのはな、粗悪品でも全く使い道がないわけじゃあないんだ。うちならそういった方面にも伝手があるから、なんとか買い取れんこともない。ただ、買い値は大幅に下がってしまうが……。それでも構わんかね?」
禿げ頭の店主が、短いチョビひげを撫でながら言った。
俺にはその小汚い顔が、神々しい仏様の顔に見えた。
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魔道具屋を後にした俺は、しばらく街の通りをぶらぶらした後、ゴレと共に一軒の料理屋に入った。
木と石の内装の、酒場みたいな造りの店だ。
通りに面した部分がテラスになっており、店内は開放的でわりと明るい。
昼時にはまだ早いのだが、客はわりと入っていて、雰囲気も賑やかだ。
客層と入りやすそうな雰囲気で、適当に選んだ店だ。
個人的には、ファミレス感覚である。
俺は空いているカウンター席に座った。
左隣の席には、ゴレがおりこうに座る。
ゴレのことをちらちらと見ている客はいるが、とりあえず、俺自身が不審者あつかいされているといった様子は特にないように思う。
それなりに店に溶け込めている、はずだ。
これ、多分ザイレーンの魔術師のローブが効いているのだと思う。この身なりは、周囲の人達に比べると明らかにランクが高い。食い逃げをするような怪しげな輩とは見られにくいようだ。
ゴーレムの同伴については、店員さんから注意されるわけでも、特段変な顔をされるわけでもなかった。ペットお断りとか、ゴーレムはパーキングに駐車とか言われなくて本当によかった……。
よくよく店内を見てみれば、床に大きな赤い蜥蜴をはべらせている旅人風の客などもいる。なるほど。わりと緩いんだろうな、そのあたりのルールは。
蜥蜴もゴレと同様、おりこうさんだ。
猿の魔導核がなんとか売却できたこともあり、現在、俺にはこうしてレストランに入れるだけの手持ち資金が出来ている。
テーブルについた俺は、財布――と言っても、ただの厚手の布袋なのだが――から取り出した数種類の硬貨を、手のひらで転がした。
すでにおおよその貨幣価値は、例の魔道具屋の親父さんに聞いてある。彼には怪訝な顔をされてしまったが、こればかりは仕方がない。俺のこの世界の知識レベルは、小学生以下なのだ。といっても、俺は一応外国人ということになっているし、そう怪しまれていた様子でもなかった。
テーブルの上に、4つの硬貨を並べる。
銭貨、銅貨、銀貨。そして金貨だ。
この銅貨10枚くらいで、だいたい店での一食分ほどの価値があるらしい。
そんで、この銀貨が1枚あれば、この街ならまぁまぁの宿に泊まれる。
金貨は銀貨50枚くらいの価値があるそうだ。金貨だぞ、金貨。すごいな、ゴールドだ。
銭貨っていう、穴の開いた小さなこの硬貨は、銅貨よりも安い小額貨幣だ。価値は……すまん、忘れた。
ん? 大きさの違う銅貨があるぞ? あれ? こっちは何だっけ??
……すでにお気づきだろう。俺は、銭勘定が苦手だった。
魔導核の売却額は、銀貨25枚と銅貨38枚、そして銭貨7枚。
計算上の金額としては、これが全てだ。実際は、銅貨の支払いの中に大銅貨ってのが混ざっている。後に知ったが、こいつは実際の利便性を考慮した銅貨数枚分の価値がある貨幣で、要は五百円玉みたいなものだ。俺が混乱していた原因はこれだな。
猿の魔導核1袋でわりと良い宿に1ヶ月近く宿泊できると考えると、意外と結構な金額である。当初の予想より、高く買い取ってもらえたと言っていいだろう。何せ、通常なら売り物にならない品質の魔導核だったのだ。魔道具屋の禿げ頭の御店主はとても良心的だった。
ちなみに、リュベウ・ザイレーンの書斎から慰謝料としてかっぱらってきた硬貨は、金貨5枚と銀貨10枚程度だ。
したがって、魔導核の売却金と併せた俺の所持金総額は、金貨5枚に銀貨35枚、そして銅貨が、何枚だったか。えっと……。まぁ、銅貨がジャラジャラいっぱい、ということになる。
この世界の物価は不明だが、銀貨を日本円にしておよそ1枚1万円相当だと適当に仮定しても、300万円近い金は出来たと考えて良いのではなかろうか? よく分からないが……。
とりあえずこれだけあれば、当面はどうにかなりそうな感じがする。あとで異世界ショッピングをしてもいいかもしれない。
ただ、こうして見ると、書斎で発見した硬貨は、遺産と考えた場合には、思ったより微妙な金額である。
仮にも宮廷大魔術師なんていう、大層な肩書きを持っていたリュベウ・ザイレーンのものだし、金額的にはもう少し行くかと思っていた。具体的には、数千万円相当くらい。いやむしろ、どどんと数億円というのも夢があって良い。
実際の資産は、他所にあったのだろうか。
とはいえ、考えてみれば、ザイレーンは元々死ぬ気な上に、世界を滅ぼすつもりだったのだ。金など残しておく必要がないと言えば、全くその通りではある。
この金は、すでにあの大掛かりな召喚儀式の準備の為に使用した資金の残りカスだったか、もしくは一緒に見つかった札束の方がメイン資産だったと考えるのが、今のところは妥当な線だろうか。
そう。問題はその、「セルヴェ藩札」という文字が見える、怪しげな札束だ。
この札束については、魔道具屋の親父さんに聞きそびれてしまった。
先ほどから、この料理屋の他の客の様子を観察しているのだが、皆さん支払いは全て硬貨だ。紙幣を使っている者は一人としていない。
この店の支払いでセルヴェ藩札を使うのは、おそらく避けた方が無難なように思われる。
両替商でも探してみた方が良いのだろうか。
銀行……は、この世界に存在するのか? 少なくとも、この街の様子を見る限りでは、期待薄のような気もする。
とはいえ、人の生活している環境までこうして到達できた現在、そこそこの金さえあれば、当面の生活に関しては、そこまで危機感を持つ必要はない気がしているのも事実だ。
実際、俺はかなりのんびりと構えている。
何といっても、うちには無敵の相棒がいるのだ。食える動物さえ分かれば、ゴレにお願いして、簡単に狩ってきてもらえそうな気がする。ウサギとかなら、どう考えても猿どもや恐竜を倒すより楽勝だろう。今朝瞬殺したシカだって、もしかしたら食える動物だったかもしれない。
……いや、待て、俺よ。ゴレがいくら俺を甘やかし気味だからといって、こんなヒモ的な発想に染まるのは、人として危険な兆候だ。良くない。
そうだ。俺だって、他人に見られていない所でなら〈土の大槍〉の地対空ミサイルが使えるのだ。おそらく、飛んでいる鳥も落とせるはず。上手に加減しないと、バラバラにしてしまいそうだが。
なるほど、ふたりで猟師になるという手があるのか……。
そんな風に、わりと適当な銭勘定と皮算用をしながら、俺はカウンター席でゆったりとメニューを見ていた。
メニューは、どんな料理なのかいまいち分からない物が多い。
食材自体は、わりと聞いた事のあるような名前の物が多いのだが。
困ったな。とりあえず、この「うずらの丸焼き」ってメニューに書いてあるのは、まぁ、うずらの丸焼き以外の何物でもないのだろう。
値段は銅貨9枚と書いてある。肉料理のわりには値段も比較的リーズナブルだと思う。他の肉料理は大体10枚超えだし。
とりあえず、これにするか。
俺が冒険を避けて無難な選択をしようとしたとき、ふと、カウンターの右隣の席に座っている男が目に入った。
男は、はふはふと深めの丸皿の上の麺料理を一心不乱に食べていた。
ふくよかな若い男性。まぁ、いわゆる、ピザである。
挙動から隠しきれない非モテオーラが出てしまっている。謎の親近感をおぼえる。年齢的には俺と同年代くらいだろうか。
俺と同じタイプのローブを身にまとっている。おそらく魔術師なのだろう。
なるほど、一般的な魔術師はこういう着こなしをしているのか。
スペリア先生も魔術師風な感じではあったが、出会った時点で服がボロボロだったから、細かい部分がいまいち良く分からなかったんだよな。腹の辺りとか結構服にどでかい穴がいくつも空いていたし。
そもそも着こなしの参考にしようにも、先生と俺とでは歳が二回り近く違うのだ。あのマダム殺しな優しい笑顔のおじさまの着こなしを、人相の悪い若造の俺が真似してしまうと大火傷しかねん……。
ともあれ、今隣に座っている男性と俺の服装は、雰囲気的には大差ない。
この感じなら、俺も表向きは魔術師ということで通しても問題ないかもしれない。
ちなみに隣の彼が食べているのは、ぱっと見ラーメンみたいな料理だ。
よほど美味しいのか、俺の視線などにはまったく気付かず、がつがつと麺料理をかき込み続けている。
しっかし君は美味そうに物を食うなぁ、ピザ夫よ。
せっかく異世界の料理屋に来たのだ。俺は少し冒険してみることにした。
「……隣の彼と同じ料理をお願いします」
「あいよ! テパオール麺一丁ね」
カウンターの中の店主らしき男性が、威勢よく答えた。
ほう、テパオール麺と言うのだな、この料理は。
注文から10分少々待っただろうか。明るい店員さんが土鍋を運んできた。
「はいよ、ご注文のテパオール麺一丁」
そういえばこの世界に来てから、麺類を食べるのは何気に初めてのことだ。
土鍋は、ふたを閉じられた状態で俺の目の前に置かれている。
ふたを開けてみると、ふわりと熱気が頬をなでた。良い香りが広がる。
黄色い麺の、このテパオール麺という料理。野菜が多いし、麺自体もやや太い。
あつあつの麺を息で冷ましながら、一口食べてみる。
む! しっかりとした食感でコシがあるな。
スープは濃厚な鶏ガラの出汁が効いている。ふむ。何やら、卵が入っているようだ。
――うん、これは美味い。
俺はピザ夫と並んではふはふとパテオール麺をがっついた。
ありがとう、ピザ夫よ。君はとても良いセンスをしているな。
ちなみに、彼は現在お代わりの2皿目である。
「いやー、食った食った。結構、ボリュームあったな」
テパオール麺を完食した俺は、勘定を払おうと鞄を開いた。
そういえばこの黒い肩掛け鞄、見た目に反してやたら物が入るんだよな。異様に軽い気がするし。一体どうなってんだこれ……。
鞄の中を漁っているとき、例の猿の魔導核が1粒残っているのを見つけた。
おそらく魔導核をまとめて入れていた小さな袋の中から、こぼれ落ちていたのだろう。おかげでこいつだけ売り損なってしまったらしい。
俺は黒っぽい結晶をつまみ上げながら、ため息を吐いた。
「これさえ粗悪品じゃなけりゃなぁ……」
売り物にならない粗悪品でさえ、わりと良い値段だったのだ。もし品質が良ければ、かなりの値段で売れていたにちがいない。案外、金貨1枚くらいにはなったんじゃないか? そうであれば、金銭面の不安は完全に解消されていたかもしれない。
こんなことなら、ゴレが大猿を虐殺するたびに、もっと真面目に魔導核を回収しておけばよかっただろうか。
でも、白骨死体以外から回収するとなると、大猿の死骸を解体しないといけなかったんだよな。あの時は精神的にも時間的にも、そんな余裕などなかった。
何より、スペリア先生に魔導核を回収しようというそぶりがまるでなかったから、たいして価値がないのかと思っていたのだ。あの人も、大概物欲が薄いよなぁ……。
「わあ! それって土大鬼の魔導核じゃないか? すごいねぇ!」
そのとき突然、隣でテパオール麺の3皿目のお代わりを食べていた、例のピザ夫が食いついてきた。
土大鬼……? 何だい、それ。
あっ 猿か!? 猿の正式名称が、たしか土子鬼だった。土大鬼ってのは、おそらく大猿のことだな。俺の中では猿だったので、正式名称を完全に失念していた。
「土大鬼って、体表に循環魔力を通した石なんて生成してるし、もうほとんどゴーレムもどきだよねぇ! めちゃくちゃ倒すの大変だったでしょ! というか、魔術が効かないわ、当たれば即死の〈岩石弾〉なんて放ってくるわ、知能が高いわ、素早いわ、さらには群れるわ……。正直なところ、どうやって倒したのか想像すらできないよ! すごいなぁ!」
一方的にまくしたてる彼の目は光輝いている。
吸い込まれそうなほどに、無駄に美しい瞳の、ピザであった。
とはいえ、俺も褒められて悪い気はしない。何より、彼のほころんだ表情の中には、嫌味も媚びもまったくなかった。只々、ゲームの上手なクラスメイトを褒めている純真な小学生のような、そんな顔だったのだ。
魔術師とは案外気持ちの良い人種なのだな。いや、彼個人の人柄だろうか。
でも、この魔導核自体は、ぶっちゃけ白骨死体から拾っただけだからな。
ピザ夫には正直に自己申告しておこう。
「たまたま死骸が落ちていてな。実はそこから拾っただけなんだ、これ」
「へぇー! 強運だなぁ。それでも、東の瘴気の地には踏み込んだってことだろう? 中々出来ることじゃないよ」
ひとしきり感心した様子のピザ夫は、そこで、俺の隣のゴレを見た。
気付くと、ゴレが俺の左頬についていたテパオール麺の汁を、そっと優しく拭いていた。
ゴレよ、ありがとう。
でも頼む、お願いだ。今だけは、赤ちゃん扱いはやめてくれ……。同級生の前でのその仕打ちは、俺の人としての誇りを、あまりにもズタズタに傷つける。
「なるほど、分かったぞ! 隣の超美形の聖堂ゴーレム、そういう家の趣味なのかと思っていたけど……。実は君、ただの貴族じゃなくて、結構すごいゴーレム使いだったりするんだね?」
そういう趣味って何だよ!? ピザ夫よ。お前、俺のことを美少女フィギュア愛好家か何かだと思っていたのか……?
俺は同級生のあまりの仕打ちに、涙をのんだ。
「それにしてもうらやましいなぁ。その高品質の魔導核一つあれば、適当に売り払ったって遊んで暮らせるよね。僕なんて、そろそろ手持ちのお金がなくなってきたから、協会に……」
ん? ちょっと待て。
今お前何と言った、ピザ夫よ?
「すまない、今何て……?」
「ん? そろそろ手持ちのお金が心もとなくなってきたから、魔術師協会に仕事の斡旋でも頼まないといけないかもしれないよ……。はぁ、気が重いなぁ」
「いや、違う。その前だよ」
俺の問いかけに、無垢な瞳のピザ夫は、きょとんとした表情で答えた。
「ほえ? ああ、その土大鬼の魔導核は大粒だし、一目で分かるほど品質が良いから、売ればものすごい大金になるのは間違いないよね」
なん……だと……?
―どうでもいい裏設定―
土大鬼というのは俗称です。
ちなみに学術的には、セマウ・スペリアが用いていた「土小鬼の変異体」という呼称の方が正しかったりします。
別種の魔獣ではなく、あくまで瘴気によって突然変異した同種の個体ということですね。この世界の魔獣と呼ばれる生物は、パワーアップで進化するモンスターのような存在とはやや趣きが異なります。
まぁ、いずれにせよ主人公にとっては「猿」なので、まったく生かされていない設定なのですが……。




