第21話 王と地竜
「はあ、はあっ、この……ッ! 〈NTR〉!!!」
かざした腕の先で、迫りくる巨岩が軌道をわずかに変える。
馬鹿でかい岩の塊はそのまま、俺の右側十メートルほどの地面に着弾。爆音と共に土色の瘴気をまき散らしながら、周辺の地表をばりばりと食い破るように直進する。
そのまま地形を破壊しながら、後方へと突き抜けていった。
音こそ凄まじいが、硬い岩の大地を柔らかいバターのように、あっさり削り取っている。
ぞっとする光景だ。
またひとつ、瘴気を舞い上がらせる巨大な深い溝が出来た。
この位置からだと、溝は底がまったく見えない。
〈土の大槍〉による最初の魔導攻撃があっさり障壁に防がれてから、およそ十数分。
俺は、古代地竜と対峙し続けていた。
ゴレはほんの少し体が動くようになってきている。
でも、これで動き回るなんて絶対無理だ。
攻撃どころか、あっという間に石弾に捕捉されてやられる。
こわばる身体で弱々しく立ち上がろうとしているが、俺が無理矢理抱いて抑えつけていた。
周囲の地形は、すでに滅茶苦茶になっている。
一発着弾しただけで十分滅茶苦茶になるのだが、滅茶苦茶になったところにさらに着弾を繰り返すので、完全に、言語に尽くしがたい悲惨な状況になっている。
地震と竜巻と隕石がいっぺんに来ても、こんなことにはならないと思う。
俺は〈土の大槍〉による障壁の突破を試行し続けていた。
障壁さえ抜くことができれば、魔導でダメージが通るのではないかという推測があったからだ。
こいつはゴレの鬼みたいな物理攻撃を、無警戒にそのまま受け続けた。
おそらく単純な破壊力なら、俺の土槍なんぞの比ではないにもかかわらず、だ。
しかし、土槍は最初から一貫して障壁で防ぎ続けている。
土属性魔術の生成物であるこの〈土の大槍〉は、質量を伴う有体物としての側面をもっていると同時に、普通の魔術同様に魔力の塊でもある。
ひょっとして攻撃判定的なものが、ゴレのパンチとは違うんじゃないか?
もし俺に突破口があるとしたら、ここしかない。
幸い、槍はびゅんびゅん自由に動く。
もはやラジコンっていうよりも真っ黒な地対空ミサイルに近い。
地竜の石弾攻撃を〈NTR〉で何とかしのぎながら、その間隙に、上下左右の死角、腹の下、あらゆる方向からの攻撃を試み続けた。
連続する嵐のような槍の猛攻。
巨竜に次々飛来する暗黒のミサイルは、完全に怪獣映画の情景であった。
しかし、すべて障壁ではじかれた。
だめだ、槍じゃどうやっても障壁を貫通できない。
バリアーとの間に絶望的な出力差がある。
俺の土槍、贔屓目を抜きにしても、相当威力あるように思うんだが……。
地べたを這う俺は、はるか高みにそびえ立つ地竜を見上げた。
もはや俺は今後どんな怪獣映画を見ても、なすすべもなく蹂躙される自衛隊の戦車にしか感情移入できなくなってしまっていることだろう。
すでに俺の魔力は、底が見え始めている感覚がある。
魔導で槍をぶっ放すのはまだいくらでも出来そうなんだが、〈NTR〉で地竜の石弾に干渉して軌道を逸らすのに滅茶苦茶消耗するのだ。
というか、すでに疲労で息が切れはじめている。
正直な所、もう、そう何発も弾ける感じがしない。
対して、地竜はさして消耗している風にも見えない。
一体何なんだ、この怪獣の無尽蔵のスタミナは。俺はとりあえず魔力の量だけは、歴代最強の魔導王のお墨付きがあったんじゃないのか? だが、これは完全に容量負けしている気がするぞ。一体どういうことだ。おい、説明しろ。リュベウ・ザイレーン!
とはいえ、このまま泥仕合を続けていれば、数分以内に俺の方が魔力切れを起こして確実に負ける。
石弾を逸らせなくなった瞬間、俺とゴレは死ぬしかないのだ。
もはや余裕はない。〈土の大槍〉以外の別の方法を試みるしかない。
「しかし、かと言って、一体どうすれば……!」
別の方法と言っても、俺に取れる手段はそう残っていない。
あれだけ勢いをつけた上に猛烈に旋回させて威力増し増しな槍で貫通できない以上、今さら斧や槌を投げてどうこうできるとは到底思えない。
他に入門書に載っていた土魔術は、高いところの物を取るための台座を生成するとか、野外での使い捨ての簡易トイレを生成するとか、そんなのばかりだ。
台座はともかくトイレは地味に助かりそうだが、トイレで古代地竜を倒すのは無理だ。
ここで俺の脳裏に浮かんだ入門魔術があった。
〈小石生成〉だ。
一応教科書通りのサイズになる魔術達の中で、あれだけ生成サイズがやたらでかかった。
魔導であの巨岩をぶつければ、あるいはダメージが通るのではないか?
少なくとも、大きさだけなら地竜の石弾よりでかい。
ただ、ここまで無意識に〈小石生成〉を攻撃の選択肢から外していた理由は、その長い生成時間だ。
あれは生成完了までに相当に時間がかかる。どのくらいかかるのか正直良くわからない。体感時間では何分もかかっていたが、あの時はびびりまくっていたから、実際はもっと短いはずだ。だが、そこを差し引いてもかなりの時間が必要なのは間違いない。
一方で古代地竜の攻撃も、発射の間にクールタイムがある。さらに、石弾の生成自体にも多少の時間がかかる。でも、そこまで長い時間待ってくれるわけでは決してない。俺が生成を完了するまでの間に、1発か2発は地竜の石弾を凌ぐ必要が出てくる可能性があるのだ。
生成中に〈NTR〉の発動なんて器用な真似、できるのだろうか……。
「……やってみるしかないな」
俺の魔力は残り少ない。時間的にもこれがギリギリの勝負になる。
躊躇している余裕はなかった。
俺は右手の地面に生成の狙いを定め、意識を集中した。
「頼むぞ――〈小石生成〉!」
発生するであろう魔力の奔流と土の粒子の乱舞に身構える。
そういえば、あの視界不良の状態の中で、地竜の石弾に対応しなければならないのか……。これは相当にキツいかもしれんぞ。
厳しい作業の予感に冷や汗を流しつつ、俺は地竜の口元に視線を集中した。
だが、そこでおかしなことに気付いた。
一向に魔力の奔流が起こる気配がない。
それに、本来ならそろそろ、土の粒子で右側の視界は塞がり始めているはずなのに。
俺はあわてて右手を見た。
そして、結果に愕然とした。
――指先程度の、ちっぽけな小石しか生成されていない。
なぜだ。
俺は激しく動揺した。
あの時は、確かに、小山のような巨岩が生成された。
周囲の自然を滅茶苦茶に破壊しながら。
記憶違いのはずがない。
忘れるはずがないのだ。
あの破壊の跡地に、俺はこの世界で最初に好きになった果物の種と――可哀想なあの女の子を埋めた。
そのとき、ゴレのこわばる指先が必死に俺の袖をつかむのを感じた。
はっとして前を振り向く。
地竜の口元に、すでに土の粒子が集束され始めていた。
「……――ッ〈NTR〉!!!」
耳元で凄まじい爆音と衝撃が響く。
足元の大地と共に全身が振動し、猛烈な土埃が巻き上がった。
飛散した石くれで額を切って、派手に血が噴き出た。
危なかった。動揺していた俺は、対応が遅れていた。
今のは本当にやばかった。
かなり近くに着弾した。
一瞬心配になって、左腕に抱くゴレを確認する。
……よかった、無事だな。
だが、そこで俺はゴレの様子の変化に気付いた。
彼女は、血が流れる俺の額を、食い入るように見つめている。
深紅のはずのその瞳は、悲しみを湛えた真っ青な色をしていた。
お前それ、まさか泣いているのか……。
…………。
馬鹿だなぁ。
腕が取れちゃって、お前の方がきっと痛いだろうに。
「……――心配するな。大丈夫だ」
正直あまり大丈夫な気はしないが。
こうでも言うしかない。
泣いてほしくない。
というか、疲労と出血と魔力切れで、意識が朦朧とし始めている。
次弾を防げる自信がない。
そんな俺をまるで嘲笑うかのように、地竜がひときわ大きく口を開いた。
集束する土の粒子が、ひと回り大きな巨岩を形作っていく。
こいつ、この一撃で決めるつもりか。
迎え撃つ俺は意識を極限まで集中した。
もはや出し惜しみもクソもない。気力を振り絞り、全力で叫んだ。
「〈N T R〉ッ!!!」
巨岩がみるみる接近する様子が、まるでスローモーションのように瞳に映る。
石が予想よりでかい。俺の全力でも、変色が、追いついていない。
間に合ってくれ、頼む。
お願いだ。
巨岩が俺の眼前まで迫る。
あ 駄目っぽいこれ、間に合わん――――
「〈嵐の砲弾〉ッ!」
突如、俺の横方向から放たれた巨大な旋風の塊が、地竜の石弾と衝突した。
荒れ狂う嵐とせめぎ合い、石弾は一層激しく土色の瘴気をまき散らす。
猛烈な風圧がほんの一瞬巨岩の動きを止め、ほんの数センチ押し戻した。
衝突した旋風が作り出した時間は、ほんのわずかだ。
直後に旋風の塊は巨岩の圧力に押し切られ、あっさりと霧散してしまった。
普通の戦闘なら時間稼ぎにもならない、ほとんど意味がないような短い時間。
……だが、そのわずかな時間は、俺にとって十分すぎる時間だったのだ。
すでに目の前の巨岩は、完全に真っ黒に変色を完了していた。
俺は、旋風が放たれた方角を振り返る。
抉られた大地の崖の上に、一人の人物が立っていた。
ボロボロの服をまとった、痩せた中年男性だ。
ひび割れた丸眼鏡をかけ、右耳には青緑色の大きな水晶の耳飾りが光っている。
俺は、この人物を知っていた。
――スペリアのおっさん!
傷だらけのおっさんが、力いっぱい叫んだ。
「……――行け、ネマキ君っ!!!」
俺は地竜の方へ向き直った。
地竜の顔に、初めて大きな感情の動きが見えた。
その表情はまるで、信頼していた絶対の物を奪われたような。
長年連れ添った奥さんを、宅配業者に寝取られてしまったような。
【……ああ、糞蜥蜴。お前のその表情が見たかったんだ……――死ねッ!!!】
……白状してしまおう。
理性を重んずる文化人として、誠にあるまじき失態なのだが。
ゴレを泣かされた時点で、俺は、ぶっちゃけキレていた。
変色した黒い巨岩が、ゆっくりと地竜に向かって逆走を始めた。
地竜が初めて怯えたようにたじろぎ、一歩、後ずさった。
ほぼ同時に、見えない障壁と漆黒の巨岩が、激しく激突した。
巨大な質量のぶつかり合いで、一帯をすさまじい衝撃波が席巻する。
周囲にまき散らされているのが、瘴気なのか、土煙なのかすら判然としない。
通常、〈NTR〉は変色が終わった時点で、術としての過程はほとんど完了だ。
そこからはもう、ほぼ魔力は使わない。少なくとも俺にとっては、誤差レベルの消費だ。
だが、俺はそこから、さらに無茶苦茶に魔力を込めまくった。
一体どこにこんな余力が残っていたのかなんて、疑問にすら思わなかった。
この時の俺は正直、ゴレを泣かせたトカゲをぶっ殺すことしか、もう、考えていなかった。
すでに障壁をじわじわ押し込めつつあった漆黒の巨岩が、さらにどす黒い存在感を放ち始める。
岩の表面からにじみ出るように、ぶわりと黒い瘴気が放出された。
――直後、瘴気を放つ暗黒の巨岩は、障壁をあっさり貫通した。
岩はそのまま竜の横っ腹に着弾し、恐るべき圧力でめり込んだ。
外皮を砕き、肉を抉りながら、もはや黒い瘴気の塊同然となった岩が、地竜の胴体内部へめりめりと侵入していく。
俺はそのとき、地竜と目が合った。
地竜の大きな黒い瞳には、ひときわ目つきの悪い男の姿が映っていた。
ああ、俺は基本友和を重んじる文化人なのに。こんな顔では、まるっきり不良ではないか。
竜の瞳は、恐怖と絶望に染まっていた。
その瞳孔から光がふっと消えた瞬間――
内部から膨張した巨大な竜の胴体は、ついに粉々に爆ぜ飛んだ。
俺は腕にゴレを抱いたまま、古代地竜の最期を見つめていた。
徐々に大地に横倒しになっていく、胴の大部分が消滅した地竜の巨体。
その残った肉体部分も、ゆっくりと崩壊し始めている。
俺は、最初に作ったゴーレム達や、黒い悪魔の死に際の姿を思い出していた。
ただ、古い朽ちかけた巨大な骨格の一部だけが、一緒に消えていかずにその場に残されているようだ。
最初に教えられた、“半霊体”という言葉が頭をよぎった。
消滅していないこの部分が、竜に残された本来の肉体部分だったのだろうか。
しかしその残された残骸も、たいした日を待たずに崩れ去ってしまいそうに思われた。
「……な。心配いらなかっただろ? 本気の俺なら、ざっとこんなもんさ」
俺は腕の中のゴレに笑顔で語りかける。
嘘だ。ぶっちゃけ、ほぼ死にかけていた。
……そう。いわゆる、虚勢である。
ゴレの瞳は赤い。
やっぱりお前は笑ってる方がいいな。




