第16話 青い瞳と長い耳
西へと真っ直ぐに伸びる広々とした街道。
こげ茶色のやたら高級そうなローブを身にまとった俺は、真っ白いやたら高貴な見た目の相棒を従えて、赤土の荒野を歩いていた。
相変わらず似たような景色が延々と続いているわけだが、ここから当初の目的地である集落の“サマリ”まで、たいした距離はないと思われる。
自己の責任によるゴレ太郎の美少女フィギュア化が判明し、文化人としての誇りをいたく傷つけられた俺が涙を流してから、およそ2時間半が経過していた。
相棒はこの世ならざる美しきエルフゴーレムになってしまったわけだが、当然ながら、俺はこいつが誤解しているような、ギシリャ彫刻マニアの変態紳士ではない。
むしろ人前を今の姿のこいつと一緒に歩くことには、少しばかり躊躇をおぼえてしまいそうなくらいなのだ。そりゃあ、皆はこいつに見惚れるかもしれない。でも、隣の俺はきっと、美少女フィギュア愛好家と誤認されるだろう……。
ともあれ、この2時間半で、すでに俺は完全に思考を切り替えていた。
相棒との距離感も、まったくの平常運転に戻っている。
そう。俺は動物を見かけで判断しない男だった。
その事に、人として、誇りを持っていた。
なにしろあの憎く醜い猿どもとすら、その残虐性を知るまでは、かわいいお猿さんとして、心から友好関係を築こうとしていたくらいだ。
ああ、何も思い悩む必要などなかった。
最初から、すでに答えは決まっていたのだ。
こいつがたとえ美少女フィギュアになろうとも、俺はこいつを、絶対に見捨てたりはしない。それは、たとえ、こいつが俺のことをガチムチ好きの筋肉愛好変態紳士と勘違いし、マッチョな筋肉達磨の彫像となっていたとしても、同じことだ。何も変わらない。
どんな姿形をしていても、誰に何と言われようとも、こいつはかわいくて心優しい、俺の自慢のゴレ太郎なのだ。
とはいえ、この状態のゴレ太郎を「ゴレ太郎」と呼ぶのは、通常人として、相当の違和感があった。
こいつの現在の姿形からすれば、おおよそ常識的な感覚からすると、正直、女の子らしいゴレ子みたいな名ですら足りない。ウィルヘルミナとか、マルグレーテとか……。いや、むしろ、アフロディテやプシュケーみたいな神々の名にしないと、抗議の声がくるかもしれん。
しかし。
「少しペースアップしようか、ゴレ。日没前にサマリの村に到着したいもんな」
ゴレ。
ここが、俺の性格上許容できる、限界ギリギリの妥協点だった。
元々とっさの呼びかけの際などは、短く「ゴレ」と呼ぶことがあった。
なので、さしたる違和感はない。
それにこれはただの略称だ。こいつの戸籍上の本名は、あくまで“ゴレ太郎”。
他人に「このゴーレムの名前はなんですか?」とたずねられれば、俺は「ゴレ太郎です」と、胸を張り、迷いなく答える。これは絶対にゆずれない、立派な名付け親としての最低ラインの矜持だ。
それに正直なところ、安易な改名をしないでこの名前で呼び続けてやれば、ゴレ自身が美少女フィギュアに飽きたときに、元に戻ってくれるかもしれない。あわよくば、当初の目標だった、かっこいい甲冑騎士ゴーレムに変身してくれるかもしれない。
そんな、淡い期待があった。
結論から言えば、俺からのやんわりとした再三のお願いにもかかわらず、ゴレがこの後、美少女フィギュア路線を脱することは、頑としてなかった。
それどころか、俺がその後、行く先々で男の子心をくすぐるカッコいいゴーレムに目を奪われるたびに、こいつは喧嘩をふっかけていくようになる。俺はそのことで、何度も、とても悲しく辛い思いをした。
まぁ、今はその話はやめよう……。
さて、今もゴレに話した「日が落ちる前にサマリに到着する」という目標。
実はこれは、よほどのことがないかぎり、達成可能だろうと思っている。
最初の盆地から街道に出るまでの所要時間。そこから聖堂までの所要日数。また、いくつかの目立つ地形の特徴から、おおよその地図の縮尺は把握していた。
ペースアップを図ったのは、主に到着後を考えてのことだ。
「ある程度余裕を持って早めに村に到着しとかないと、宿泊の交渉なんかが難しくなるかもしれない。今日はできれば屋根のあるところで寝たいよな……」
盆地を出て以来、野宿が続いている。本来なら今日はさっきの聖堂で一泊するという手もあったのだが、派手にやらかしてしまったせいで、逃亡を余儀なくされてしまった。
俺が話しかけたので、斜め後ろを歩くゴレが、話を聴くように肩越しに顔を出してきた。
いつもと変わらない仕草なのだが、相棒は姿が変わってしまったので、その長い耳が俺の耳に軽く触れた。少しくすぐったい。
こいつ耳長いよな……。
この世界の人って、まさか、みんなエルフなのだろうか。
白骨死体にしか会ったことがないから、その辺の事情がまったく分からない。
骨では耳の形までは分からないからな……。
いや、待てよ。そういえば聖堂のギリシャ彫刻ゴーレム達は、全員普通の耳だった。てことは、別にエルフしかいない世界ってわけではないのか。
だとすると、何か? つまりこいつは、俺の普段の素行から、俺が美少女フィギュア愛好家なだけでなく、エルフ耳フェチだと勘違いしたというのか!? それで、いつもの優しさとサービス精神で、こんな格好になってしまったというのか!
俺は、また、後悔で涙が出そうになった。
でも、たとえ親しい理解者でも、種族が違うと、勘違いしたプレゼントをしてしまうということは、よくある。昔、俺が風邪で寝込んだとき、心配した飼い猫が枕元にスズメの死骸を運んでくれたことがあった。正直、辛かった……。でもな、あいつは俺が喜ぶと思ってやってくれたんだ。だから俺はあのとき、極力うれしそうな表情を作った。
ならば厚意を受けた者として、俺がゴレに対してなすべき責任は、ひとつだ。
それに俺は、エルフ耳、別に嫌いじゃない。
「その長い耳は、かわいいな。俺も大好きだ」
――ゴレの人生においての、この時の発言の衝撃と重大性というものを、俺は結局のところ最後まで理解することがなかった。
俺にとっては、ごく普通の感想と感謝の気持ちだったからだ。
そこまで深く考えた上での発言では、なかった。
いや、むしろ、軽はずみだった。
次の瞬間、俺に向かって凄まじい爆発的な感情の渦が、一挙に叩きつけられた。
これは、何だ!?
怒涛の如く押し寄せるこの感情は、歓喜、いや、――狂喜に近い。
ゴレを生成して以降、こいつの物と思われる強い感情が、俺の中に流れ込んでくることは、稀にあった。
だが、こんな規模の物は今まで一度もない。
頭に流れ込む滅茶苦茶な感情の奔流に、目まいを感じてくらくらしてきた。
やばい、脳が焼ける。
あ、なんかもう、だめっぽい……。
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うすれゆく意識の中、森の中で大きな岩に座る、髪の長い女性の姿が見えた。
周囲には、夕闇が色濃く立ち込めている。
そのせいか姿がはっきりとは見えない。
彼女は俺の姿をみとめると、何か一生けんめい話しかけてきているようだ。
だが、周囲の風の音が酷く、俺の耳にはよく聞き取れなかった。
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目を開けると、心配そうに覗き込む青い瞳が見えた。
ん? 青い瞳……?
俺は跳ね起きた。
目の前にはゴレがいた。毎度のことだが、顔が近い。
こいつは情けなくも失神していた俺を、介抱してくれていたようだ。
相変わらず良いやつである。
ゴレの瞳は、もちろん赤い。
うおっ!? こうして間近で見るとこいつ、まつ毛長いな。どうなってんだこれ?
いや、そんな事はいい。先ほどの瞳の主は誰だ?
そもそも、俺はなぜこんな路上で失神していたのか?
これらの疑問が指し示す真実は、ただひとつしかない。
そして俺は、その答えを知っていた。
そう、つまりだ。おそらく俺の神経は、環境の激変によるストレスの連続で、極度に衰弱していたのだ……。
休養が、必要だ。
早く安全な人里で休養を取るため、俺達は目的の集落、サマリへと急いだ。
俺がぶっ倒れていたせいで、予定は大幅に狂い、すでに日は傾きかけていた。
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「これが……サマリだっていうのか……? そんな……」
俺は絶句していた。
ぎりぎり日が落ちる前に着けた、サマリと思われる集落。
いや、正確には、おそらく集落“跡”だ。
100軒くらいは家屋があるのではないかと思われる、集落サマリ。
簡素な木造の家々が並んでいる。前時代的農村と言った感じの集落である。
だが、人がいない。
赤茶けて枯れた土地に、打ち捨てられた家々があるのみだ。
周辺のだだっ広い平地は、おそらく畑の跡か。
何軒か家を回ってみたが、やはり無人だ。
いくつか家具等は残っていたが、例の召喚術者リュベウ・ザイレーンの隠れ家のときとは違って、この村の家々では、大方の荷物が運び去られているように見受けられた。
住民達は引っ越したのだろうか。
荒涼とした大地に立ち並ぶ家々の間を歩いていると、まるで西部劇の世界にでも迷い込んだ気分だ。
この状況、まったく予想していなかったわけではない。
街道で誰ともすれ違わないのはおかしいと思っていたし、何より、猿どもが強すぎる。もはやサイズもゴリラもどきだ。普通の人類なら確実に殺されるだろう。
相棒のゴレがいなけりゃ、俺だって確実にここまで来られていない。
なにせ、物理攻撃には無力な必殺技〈NTR〉と、でかすぎて使い道のない入門魔術〈小石生成〉しか攻撃手段のない俺だ。それはもう、確実に猿の餌食である。
なんかもう、俺が“破滅の魔導王”だというのも、かなり怪しい気がする。
どっちかっていうと、むしろ“ゴーレムのヒモの魔導王”である。
――そうなのだ。俺は意気消沈し、弱気になり始めていた。
予想していた事とはいえ、こうしていざ目の当たりにすると、やはりきつかったのだ。
とはいえ、切り替えが早いのが俺の美徳である。
傷みの少ない空き家を探して、今夜は早くそこで休もうと、思い直した。
このまま西に進めば、サマリの先にも集落はあるし、大きな街もあったはず。
もう一度地図を再検討して、計画を立て直せばいい。
今なら地図の縮尺が分かっているから、正確な所要日数も算出できるはずだ。
幸い、物資にはまだかなりの余裕がある。
ふと、ゴレの視線が、俺の肩越しに少し遠くに向けられていることに気づいた。
これは、こいつが何かを発見したり、警戒しているときの状態だ。
ゴレの視線の変化は、かなりわかりやすい。
こいつは特に何も用事がないときは、俺のことを全力でガン見しているからだ。
こんな風に顔が俺の方を向いていないのは、何か異常に気付いたときだ。
要するに、ゴレが俺から少し視線を外したときには、大体その直線上の死角に猿が隠れている。
俺は身構えた。
既にほとんど日は落ち、あたりは薄暗い。
こんな時刻に猿が出るのは、初めての経験だ。
やつらは普段、夕方以降は出没しない。おそらく寒さを避けるために巣穴に帰っている。
やや警戒しつつ、ゴレの顔が向いている方向に俺も視線を投げた。
だが、そこに猿はいなかった。
視線の先に、なんと、明かりが漏れている家が1軒ある。
まさか。気付かなかった。
いや、そうか。日が落ちたことで、家屋から漏れている明かりが、はっきり見えるようになったのだ。
俺は逸る気持ちを抑えつつ、その窓明かりの家へと向かった。
玄関の前で、軽く身だしなみのチェックをする。
異世界人とのファーストコンタクトになるかもしれないのだ。
第一印象は大切だ。何しろ俺は、ただでさえあまり目つきが良くない。
手で軽く髪をセットし、服の埃を払う。
よし、俺はこれでOKだ。
そんでもって、ゴレは……。
「……まぁ、お前は俺みたいに人相が悪くないし、別にそのままでOKなんだろうけど」
一応、相棒の髪も軽くセットしてやった。正直不要だとは思うのだが、おりこうに頭を差し出してくるのだから、仕方がない。
さらさらの前髪をふわりとかき分けると、額の紋様が見えた。
ここだけはずっと変わらなくて安心する。
にしても、こいつの髪の毛、一体どうなってるんだこれ??
いや、今はそんな事より、もっと重要な案件があるのだった。
俺は家の扉の前に立ち、深呼吸をした。
正直、この扉の先を確認するには、それなりの勇気が要る。
俺の異世界知識によれば、この先で白骨死体と遭遇する可能性が、かなり高い。
明かりが灯っているからといって、異世界では、そこに人が居るわけではないのだ。むしろ俺の経験上、異世界で明かりが灯っている場所に白骨死体がいる可能性は、なんと現在100%である。
俺は意を決し、扉をノックした。
こんこん、と扉を叩く硬い音が、無人の集落に響く。
周囲を静寂が包んでいる。
やはり、白骨死体か……。俺がそう思ったとき。
「はいはい、どちら様でしょう?」
なんと普通に玄関の扉がガチャリと開いて、中から人が顔を出した。
白骨化していない。人間だ。生きている。ちゃんと呼吸をしている。
丸い眼鏡をかけた、痩せ形の男性だ。
俺が異世界で最初に遭遇した、生きた人間。
それは美少女でも、綺麗なお姉さんでもなく――くたびれた感じの、中年のおじさんだった。




