第14話 蛮妃 覚醒
そういえば俺は以前、身体が岩で出来た猿なんていない、そう言ったと思う。
……すまん、あれは嘘だった。
もちろん、この街道沿いに生息している例の猿達のことだ。
うちのゴレ太郎が無慈悲に猿を殺しまくるおかげで、ここまでの旅路で猿の亡骸を検分する機会は飽きるほどにあった。
厳密には、全身が岩で出来ているわけじゃない。内臓や骨格もあるし、おそらく肉体の内部構造的には、おおよそ一般的な霊長類と同じだ。
しかし、体表を覆っている硬質部分は、はっきり言って、岩としか、思えない。
俺は色々と推察した結果、猿どもは土魔術で石を生成して全身に貼りつけたまま、その状態を魔力で維持しているのではないかと考えた。しかし、俺のこの仮説では「猿が死亡して魔力の供給が完全に途絶えているはずなのに、死体の石が崩壊していないじゃないか!」という俺の脳内反論を、克服することができなかった。
ああ、もうだめだ……。岩の猿だ……。
弱り切っていた俺の常識人としての矜持はいとも簡単に折れ、もはや粉々に崩れ去ろうとしていた。そう、まるで魔力の供給を切られた土魔術の石ころのように。
実は、猿の使う魔術には他にも不可解な部分がある。
知ってのとおり、猿は土魔術で生成したと思われる石弾を、びゅんびゅん飛ばして攻撃する。石の生成自体も、たしか上空で行っていた。
あんなこと、普通はできないはずなんだよ。
俺も〈NTR〉で、猿と一緒になってラジコンみたいにびゅんびゅん石を飛ばしていたから、気付くのが遅れたのだけど、あんなことは土属性魔術ではできない。
あんな即席大砲みたいな真似ができるなら、土属性魔術はカス魔術扱いされていない。
地面に座標を指定して石ころを作ったら、作りっぱなし。しかも気を抜くとすぐ崩れるから、ゴミ属性なのだ。
自分で言っていて悲しくなってきたが……。
ともかくだ。土属性とか氷属性みたいな、質量のある有体物を生成する属性魔術が、戦闘で扱いにくいとされる理由はここにある。それでも氷属性なんかは大気中に生成の座標を指定するから、高低差を利用した質量攻撃ができたりして、逆に強いらしいのだが。そもそも周囲を凍結させれば普通に強いしだろうし、色々生活にも便利だろう、氷は。使い道のない石ころしか作れない土属性とは根本的に違う。
……悲しくなってきたので、この話は、もうやめよう。
まぁ、要するに、見た目も含めて謎が多い猿なのだ。
さて。こんな事を思い出していたのには、理由がある。
先ほどから猿がいない。
正確には、ぽつぽつといるにはいるのだが、皆すでに死んでいる。
道端に猿の死骸が点々と転がっているのだ。
別にうちのゴレ太郎がやったわけではない。
死骸の大部分は、すでに白骨化した物なのだ。
白骨の周りに体表を覆っていたとおぼしき岩が積み上がり、異様な光景だ。
俺は、数体の猿の死骸の前に立った。
ここら一帯にいる猿は、もはや、かなりでかい。頑張ればゴリラの仲間入りができそうなくらいだ。もちろんゴレ太郎の前では、平等に一撃死だが。
横たわる死骸を、しげしげと観察してみる。
召喚直後からショッキングな白骨死体との遭遇を繰り返してきた俺には、すでに白骨死体に対して謎の耐性が付きつつあった。
「これはおそらく、頸椎が……切断されてるな」
この猿、要するに首を刎ねられて即死している。
首回りの位置にあったと思われる体表の岩ごと、一撃で両断されているのだ。周囲に積み上がっている外殻の岩を軽く検分したが、外傷はこれ以外にない様子だ。
うちのゴレ太郎は撲殺オンリーだから、スマートで新鮮な倒し方ではある。
そのゴレ太郎が、俺の肩越しに頭を出して覗いてきた。
地下の白骨死体にあんなに動揺していたのが嘘のようだな。こいつも俺のように耐性がついたか。
ゴレ太郎は俺に頬ずりするような体勢で猿の骨を見ている。
ふふ。気になるのか、ゴレ太郎。哺乳類の頸椎はな、7つあるんだよ。
待てよ。7つで合っていただろうか? この猿は7つあるっぽいが。
知識が曖昧だな。いつものようにゴレ太郎にどや顔で解説するのは、やめておこう。
こいつは熱心な生徒なので、つい俺も解説してしまうんだよな。
いやいやいや! そんな場合ではない。
どう見ても穏便じゃないだろう。首落とされてるとか。
ただ、おそらくこのあたりからは、地図上にあった“聖堂”という施設が目と鼻の先だ。
加えて、地図の縮尺は俺の予想よりもやや大きかった。したがって聖堂を抜ければ、目的地の集落である“サマリ”もそう遠くないはず。
この猿達も順当に考えれば、聖堂かサマリの関係者が駆除したという可能性が高い気もする。
死骸がそのまま道端に放置されている点は、少し引っかかるが。
「ん? これは……。何だろう?」
猿の肋骨の間に、きらりと光る物が見えた。
拾い上げると、単一乾電池より大きい程度の、濃い土色をした結晶体だ。色的には、ほとんど黒に近い。
動かすと、角が光を反射してきらきら光った。
この不思議な結晶、どこかで見たことがあるような気がする。
「……あ。ザイレーンの野郎の白骨死体が持ってた杖の水晶に似てるな、これ」
大岩扉の洞穴内で見た、大量の石がはめ込まれたごつい杖。この結晶は杖の物とは色も形も違うのだが、形は加工するとあんな感じになりそうに見える。
周囲を調べてみると、他の死骸からも同じような結晶が出てきた。
「なぁ、ゴレ太郎。これ、なんだか高く売れそうだよな」
俺は黒い結晶体をゴレ太郎に見せた。
ゴレ太郎も興味深そうに見ている。
「なぁゴレよ、知ってるか? クジラの胆石とかも、馬鹿みたいな高値で売れるんだよ」
ゴレ太郎は真剣に聞いている。
こいつは勉強熱心なやつなのだ。ちょっと、顔が近すぎる気はするがな。
ともあれ、俺には今およそ所持金と言えるものが、少しの硬貨と怪しげな札束しかないのだ。たとえ僅かでも金銭的価値がありそうな物は、貪欲に回収しておいた方がいい。
それに、これぐらいの大きさなら、かさばらないし。
もちろん、この結晶体の正体が何なのかは全く分からない。が、しかし、俺はもう、この不思議猿に対しては、常識人として完全敗北を喫している。すでに心は折れ、深く考えることはやめていた。
ゴレ太郎も手伝ってくれて、小さな袋一杯分集めた。これくらいでよかろう。もしこれ以上頑張って、石ころ同然の価値しかなかったら、とても悲しい。
それにしても、今まで大量の小猿中猿を爆散させてきた俺達コンビなわけだが、体内にこんな物があるのに気付いたことはなかった。ひょっとすると、ここら一帯の猿のサイズが大きい事と何か関係があるのだろうか。
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そこから聖堂には、わりとすぐに到着した。
荒涼たる大地の中に存在感を放つ、石造りの巨大な神殿風の建築物。
おそらくこれが聖堂と見て間違いあるまい。周辺には、これ以外に何もない。
相変わらず、一帯に人の生活の気配はまったくしない。
やはり無人の施設なのだろうか。
見ると、聖堂の入り口付近に動く白っぽい影が三つあった。
最初俺は例の大きな猿かと思ったのだが、猿は白くない。すべて茶色い土の色だ。大量に見てきたが、今のところアルビノの個体は見ていない。
「ってことは、もしや人間なのか……?」
俺の胸には期待が膨らんだ。
しかし近づくにつれ、その異様な光景に気付いた。
――ギリシャ彫刻が、動いている。
どう見ても、ギリシャ彫刻の女神像なのだが、動いている。
一瞬、俺の思考は停止し、クラシック音楽と美しいヨーロッパの古城の風景を脳内再生しそうになったが、そこでふと、ある事実に気付いた。
ギリシャ彫刻達の、額にある紋様だ。
彼女達には、ゴレ太郎と似たような紋様がある。形は微妙に違うんだけど。
つまり、こいつらもゴーレムなのか。
たしかに白いし、おでこに模様があるし、親戚っぽくないこともない。大きさもそんなに変わらない感じだし。
ま、うちのゴレ太郎の方が、気品ある純白で超綺麗だけどな。ふふん。
……俺はわりと親馬鹿であった。
ゴーレム達は、すでに俺達の存在に気付いているようだ。
しかし、その動きの中には、特に敵対的なものはないように思われた。
それどころか、すこし移動して建物入り口の正面を空けてくれたのだ。
フレンドリー。見事な接客対応だ。
俺はあらかじめゴレ太郎に、「聖堂に人やゴーレムがいたら、俺が指示しない限り、こちらからは絶対に殴っては駄目だよ」と教えていた。
こいつは賢いからそこまで心配はしていないが、無用なトラブルは避けたい。
何せゴレ太郎は、俺以外の人間にまだ会ったことがないからな。
かくいう俺も、この世界で出会った人間は、白骨死体オンリーなのだが。
建物の入り口に向かって歩きながら、ギリシャ彫刻達をしげしげと観察した。
それぞれデザインが若干違っているが、一様に長身で、後ろ髪が長い。
髪は背中を覆い、腰付近まで下がっている。
3体とも胴に鎧をまとい、何やら柄の長い武器を持っていた。
中央の1体だけ、鎧と武器の色が少し違う。なんというか、隊長機っぽい。
しかし何だこいつら、胸がやたらでかいな。もはや爆乳の域だ。
制作者は変態なのか……?
胸をチラ見していたとき、なぜか背後で、ざらつく殺気が急激に膨れ上がるのを感じた。
まずい。
それは経験と勘にもとづいた、理屈を超えた咄嗟の判断だった。
飼い犬が散歩中に出会った気の合わない犬に喧嘩をふっかけようとしたときに、愛犬の放つ殺気を瞬間的に察知し、とっさにリードを引いて制止するように。
俺は気が付くと、ゴレ太郎の腕を強くつかんでいた。
ゴレ太郎が、きょとんとしたように俺の顔を見ている。
あれ? なんだ、気のせいか。
というか、なぜ俺は今ゴレ太郎の腕を必死につかんだのだろう。
そのままゴーレム達は、俺達を建物内に素通りさせてくれた。
穏やかなものである。
ただ、すれ違う際、ゴーレムの持つ薙刀のような形状の武器が目に入った。
厚みがあって重そうな、おそらく何かの石製と思われる長柄の近接武器。
薙刀よりは柄が短く、代わりに刃の部分がやや幅広で大型化している。
あれなら間違いなく、大猿の首を外殻の岩ごと一撃で刈り取れそうに思われた。
広々とした聖堂の建物内に足を踏み入れる。
動くものの気配は何もない。
「ここにも誰もいないか……」
ゴーレムがいるから人と会えるかと多少期待したのだが、やはり無人施設だったようだ。
外のゴーレム達は、警備ロボットみたいな物なのだろうか。
石造りの古びた神殿のような広い建物の中は、がらんとして何もない。
入り口に立ち並ぶ柱の間を、風の音が通り抜けていく。
……いや、よく見ると堂内の隅の方に、何かがある。
首のないゴーレムだ。
有名なギリシャ彫像に『サモトラケのニケ』ってのがあるが、印象的にはまさにあんな感じだ。たしか、あれはもっとでかいが。
一見彫像といわれても分からないが、外にいたギリシャ彫刻ゴーレム達と同型だと思う。胸に鎧をつけて、やはり例の武器を持っていた。
近寄ってみたが、俺達に反応する気配はない。
頭が無いし、すでに壊れているのだろう。
聖堂内に独り佇む、首のないギリシャ彫刻をしげしげと眺めた。
俺には、ある疑問があった。
「ここのゴーレム達は、一体どういう素体の構造をしているんだ……?」
俺はゴレ太郎を生成するとき、関節はある程度可動を考慮したものにしている。
これは教科書通りに、書いてあったままを実行しただけだ。
ゴレ太郎の造形がデッサン人形じみているのは、そのせいでもある。
だが、ここのゴーレム達は、見た目の構造がまんまギリシャ彫刻だ。
関節部はどうなっている?
そういえば、ゴレ太郎も本気のパンチを繰り出すときには、身体が鞭のようにしなっていた。また、すくなくとも体表の硬度を調節できることは確認している。
あれと同じ原理か?
「……調べてみるか」
俺は学びを愛する文化人として、最低限必要な探究心を基本的に持ち合わせている男だ。
首のないゴーレムの残骸の関節などを観察し、おもむろに触り始めた。
やはり触った感じは、石としか思えないな……。
関節も変わらない。ここもか。
んー、こっちはどうだ。
というか、このビラビラの石の服は、どういう仕組みだ。
あ、ここで構造を簡略化してるのかな。
これ、めくれるか?
後にして思えば、俺はこのとき、学術的探究心にまかせて、こんなことするべきでは無かったのかも知れない……そう思う。
俺はゴーレムをいじっている間ずっと、確かに背後から、俺を見つめるゴレ太郎の異常に強い視線を感じていた。
しかしそんなことは、最近たまにある。まったく重視していなかった。
何より新たに登場した、目の前の未知のゴーレムを調べるのに夢中だったのだ。
だけどこのとき、後ろにいるゴレ太郎にしてみれば、一体どういう気持ちだったろう。
俺の姿は、美少女フィギュアが大好きで、触りまくって興奮している、ただの変態に見えたのではないだろうか。……いや、事実そう見えていたはずだ。
こんな相棒の醜態を見て、ゴレ太郎は、きっと情けなくて、悲しくて、とても、とても悔しかったに違いないんだ。でも、こいつは優しいから、その怒りをどこにぶつけたらいいのか、分からなかったのだと思う。
そして、それ以上に、ゴレ太郎はとても空気の読めるナイスガイだ。
俺はそのことを、ある意味でまだ甘く見ていた節があった。
意識していなかったが、俺はかなりの長時間ゴーレムの残骸をいじっていたように思う。
ひとしきり素体を触診したあと、俺はゴーレムの上半身に目を向ける。
「やはり一番気になるのは、この増加装甲っぽい部分だが……」
素体の石と色が違う、石の鎧っぽい装甲。ゴーレムの上半身のみを覆っている。
いわゆる胸甲に近い、か。
おそらく入門書に載っていた、戦闘用のゴーレムに纏わせる特殊石材の装甲というのは、これの事なのだろう。
こういう後付け式っぽい増加装甲なら、ゴレ太郎にも転用してやれるかもしれない。俺は猿に包囲された一件で、ゴレ太郎が万が一被弾するという可能性に、不安を感じていた。
それにしても、この装甲バランスから推察するに、ゴーレムの急所は胸なのか?
この鎧の石材は、やはり素体よりも硬度が高いんだろうか。
材質の手触りはどうだろう。それにしても、こいつ胸がやたらでかいな。
俺は、鎧の材質の確認のため、ゴーレムの胸元に手を伸ばそうとした。
ふわり、と、ゴーレムと俺のあいだに、真っ白の何かが割り込んだ。
この感じは、ゴレ太郎だ。こいつは俺との接触にものすごく気を遣うからな。
かするときでも、とても圧が軽い。
石なのに、柔らかな絹糸みたいな圧迫感しかないのだ。
そして、そんな気遣いのできる優しいゴレ太郎は――
ゴーレムの下半身を、ローキックで、粉々に粉砕した。
「なっ!? ちょっ、ゴレ、えええええええええええええ???」
お、おま、おっ お前、鬼か!?
死体蹴りなんて、何というむごいことを!
涙目になり、目の前のゴレ太郎に抗議しようとする俺。
しかしその直後、眼前の光景に目を見開き、硬直した。
――物凄い美人のギリシャ彫刻が、そこに立っていた。
まさに声を失うほどに美しい。
雪のように真っ白い、なめらかな石の薄衣に包まれたその肢体。
無機質な美しさとしなやかな生物のような曲線が同居した、完璧な芸術品としか言いようのないその造形。
その常識離れした容貌と相まって、恐ろしいまでの存在感を放っている。
その印象は、突如舞い降りた、白い女神。
まず目に入ったのは、吸い込まれるような、深紅の瞳だ。
このゴーレムは、白目の部分まで素体と同じ純白だが、瞳の部分だけ、宝石のような、やや透明感のある深紅の石で出来ている。
もうひとつ気になる点がある。
耳が左右にとても長い。
これは、いわゆるエルフってやつか……?
すらりとした長身と、腰まで伸びた、流れるような長い髪。
胸まわりは、聖堂の爆乳ゴーレム達と比べると、わりと、その……やや慎ましやかだ。
いや、紳士として、彼女の名誉のために訂正しよう。
とても上品で、文化的な胸をしていると思う。
とはいっても、俺は別にギリシャ彫刻に興奮する趣味はないのだが……。
だがそう考えてみると、多くの未来ある若者に道を踏み外させ、その人生を狂わせてしまいそうだよな、彼女の容姿は。本人に自覚はないのだろうが、罪深いことだなぁ。
そしてこの段階で、俺はある重大な事実に気付いた。
こいつ、額の刻印が、ゴレ太郎とまったく同じではないか。
何……だと……?
ということは、まさか。つまり、このゴーレムは。
……――ゴレ太郎の妹さんか?
この時、もはや俺の脳は、完全に状況の理解を拒絶しはじめていた。
はじめまして妹さん。俺は、君のお兄さんの親友なんだが。
お兄さんはどこに行ったか、知らないだろうか?
その時ふいに、後ろで物音がした。
ほぼ同時に、背筋を氷で刺すような鋭い殺気を感じた。
はっとして背後を振り向いた俺は、思わず息を呑む。
そこには、放たれる殺気の主達が立っていた。
ギリシャ彫刻……いや、聖堂のゴーレム達が、計6体。
入り口から堂内を包囲するように、それぞれの得物を構えてずらりと勢揃いしていた。
6体……? こいつら、こんなに居やがったのか。
ゴーレム達の瞳は、緑色の強い輝きを放っている。
もはや先ほどまでの穏やかな雰囲気はどこにもない。
彼女達は、俺達を完全に殲滅すべき対象として認識していた。
突如現れた、ゴレ太郎の妹さん。
怒りに燃える、聖堂の守護者たち。
――意味不明の戦いが、今、始まろうとしていた。