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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第1章 野蛮なる王妃
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第11話 異世界と初バトル

 

「こ、これ……もしかして地図か……!」


 書斎内。その一枚の紙きれを凝視しながら、俺は思わず声をあげた。

「おいゴレ! ゴレ太郎、ほらこれ! 地図があったぞ!」

 俺は後ろに立っているはずのゴレ太郎の方を振り向……うわっ顔近っ!?

 何だかこいつ、例の石柱の穴の一件以来、ますます距離が近くなってきている気がする。



------



 その場での新たな有益情報は特にもたらさなかった、白い石柱跡の縦穴の探索。

 しかし結果的にそれは、俺にとって盆地脱出を決断するための最後の一押しとなる、決定的な新情報をもたらすきっかけになった。


 穴の中から脱出した後、俺達は発見した遺骨を近くに埋葬した。

 少し考えたが、結局、埋葬の場所はいつも俺が種を植えている、例の〈小石生成〉で開けた土地に決めた。

 あの場所は元々明るいし、風通しも良い。何より、将来的にあそこがにぎやかなクランベリー林檎様畑になるのは、俺の中ですでに確定事項だ。もしそうなれば、遺体の人もきっとさみしくなくなるだろう。


 ともあれ、俺は〈破滅の魔導王召喚〉による、自分以外の初めての明確な犠牲者というものを目撃してしまったことになる。

 このことが俺に与えた衝撃は、思いのほか大きかった。

 これまで俺は、どこか被害者は自分だけしかいないような心持ちでいた。

 だから、召喚術師リュベウ・ザイレーンについても、魔王を召喚しようとしたけど失敗して自滅して死んだ、無能な人物という印象を拭い切れていなかった。

 ……いや、白状してしまうと、心の隅で俺は、どこかこの男を憐れんでいたように思う。

 だが、この認識は改める必要があるのだろう。こいつは殺人者なのだ。


 翌日から俺は、魔法陣の下書きのようなものが散乱している例の書斎机を、改めて調べてみることにした。

 実は書斎の中でも、ここは放置していた。

 置いてあった書類は何一つ読めなかったし、そこにある書類は一見して、書斎にある他のどの書物よりレベルが高い物のように思えたからだ。

 俺にとって専門書は、術式の解説など、そのほとんどが文字の羅列にしか見えない。しかし当然ながら、例えば見出しのような、漠然と内容が分かる部分も一部だけ断片的にだが散見される。そこを流し見ただけで、リュベウ・ザイレーンが机に遺した資料だけ、内容の次元が違うのは明白だった。

 しかし俺は現在、『魔術入門』を2巻分解読している。今なら、ひょっとしたら〈破滅の魔導王召喚〉について、何か新しく分かるかもしれないと思った。


 結果として、俺は何一つこの召喚魔術について、新しい知識を得ることはできなかった。

 やはり難しすぎた。

 多少は翻訳の虫食いの範囲が減ったような気もするが。正直、誤差だな。

 そりゃそうだ。いくら2巻分解読したといっても、しょせんは入門書だ……。

 だが、その過程で、俺は鍵のかかっていた机の引き出しを物色した。

 そこで発見したのが、先ほどの地図というわけだ。

 ちなみにその頑丈そうな鍵のことなんだけど、引き出しの一部ごと、ゴレ太郎がまるでお豆腐みたいに軽く握り潰してこじ開けている……。



------



 隠れ家のダイニングルーム、っぽい部屋。

 陶器に注がれた白湯を片手に、俺は地図を読んでいた。

 ああ、コーヒーが飲みたい……。いや、それは贅沢だな。


 ちなみにこの白湯は、ゴレ太郎が沸かしてくれている。

 既に簡単な調理などは、もうほとんどゴレ太郎がやってくれつつある。

 精密作業はやはり指の構造上限界があるみたいなのだが、ぶっちゃけうちの今の食糧事情だと、調理といっても簡単な食材の切り分けと、あとはお湯を沸かしたり、軽く火で炙ったりする作業くらいしか必要がない。

 というかだ、ゴレ太郎。こいつ怖いくらいに完璧すぎる。

 めちゃくちゃ物覚えが良い。むしろ、たまに俺が知らない事すら知っている時がある。

 例えば、ゴレ太郎は俺の服を桶に張った水で手洗いしてくれるのだが、この時に石鹸を使う。うす茶色のレンガみたいな妙な石鹸だ。匂いもまるで石鹸っぽくない独特の香りで、俺は当初これが石鹸だなんてまるで分からなかった。だからずっと洗濯物は水洗いしていたのだが、ゴレ太郎は最初から自然に石鹸を使っていた。

 ゴレ太郎が石鹸の存在を知っている原理というのが俺にはまったく不明なのだが、ゴーレムというのはマジで凄いんだな……。

 それにこいつは、正直俺がかなり申し訳なくなってきているくらいに、本当に甲斐甲斐しく世話をやいてくれる。

 ゴレ太郎よ、お前は俺の奥さんだったのか……!?


 そんな執事のごとき紳士であるゴレ太郎が入れてくれた白湯を、ぐいっと飲み干した。

 地図上の一点を凝視する。

「距離がいまひとつ分からないのがきついが……。直近だと、やはり、この“サマリ”っていう集落に行くべきなんだろうな」

 地図にサマリと書かれた、集落とおぼしき地点を見ながら俺は呟いた。

 机から見つかったこの地図は、わりとシンプルな物だ。文字が読める俺なら十分理解できる。独特の地形表記や略号など、一見しただけでは意味が分からない部分もあるのだが、これくらいならば実際に歩いた際に照合していけば問題ないと思う。

 現在地は、唯一赤文字でそれっぽい印が描きこんであるので、わりとすぐに確認できた。手書きの『3-24:甲盆地 最終候補地点』という文字。おそらく、これだろう。

 自然物の配置などから見ると、この地図はおそらく世界地図とかではなく、わりと縮尺の大きな地図だと思う。川とかけっこう幅がある感じで描いてあるし。

 地図中には海も存在していないっぽいな。ということは、ここってわりと内陸なのか。温暖な気候で夜間の温度変化もほとんどないから、俺はてっきり沿岸部だと思っていたが……。

 ともあれ、集落に行けば、生活手段が確保できるかまでは微妙にしても、とりあえず状況次第では物資の補給が出来るはずだ。

 金はある。

 というか、さっき鍵付きの引き出しをゴレ太郎がぶっ壊したとき、地図と一緒に出てきた。

 紙幣の束と、いくばくかの硬貨だ。ぶっちゃけ価値は、わからん。

 ただ、リュベウ・ザイレーンはわりと社会的地位があった人物だから、おそらくはそれなりにまとまった金額ではあるはずだ。希望的観測ではあるがな。

 あと、不穏な情報なのだが、この札束っぽい方、一見派手だが「セルヴェ藩札」という文字が読める。

 俺の翻訳能力の精度自体がいまいち不明な部分はあるが、正直少し嫌な予感がする。国レベルの通貨ではないんじゃないかこれ? 俺の知っている藩札と言うと、江戸時代に藩が発行していた、地方の独自紙幣のあれだ。たしか財政補填策として、安易に濫発されたりもしていたんじゃなかったか。ただでさえ、価値の振れ幅の大きい紙幣っぽい何かだ。ザイレーンの死亡と俺の召喚の間のタイムラグの年数次第では、ただの紙切れになっている可能性がある……。


 俺はテーブルの上の金が入った袋から、再び地図に視線を戻す。

 現在地であるこの盆地を出て南下すると、わりとすぐに、東西に延びる街道にぶち当たるはずだ。見た感じわりと大きな道のようだし、見落としてしまったりはしないだろう。

 その街道をひたすら西に進んでいけば、件のサマリという村落に出る。

 とりあえず、ここを目指す。

 あと、サマリまでの道中には、「聖堂」と表記されている施設がある。

 おそらく何かしらの宗教関連の施設ではないかと思う。ただ、過度の期待はせず、可能なら一旦ここを中継地として物資の補充ができればいいな、程度に考えておこうと思っている。

 何しろ、詳細が全く分からない。ぶっちゃけこの聖堂とやらは、集落と違って、人がいる施設なのかすら不明なのだ。もしお寺や教会的な場所なら、正直なところ難民(?)として保護してもらえるとうれしいのだが。


 ともあれ、これならば。地図があるならば、いける。

 今まで暗闇も同然だった、ここを脱した後の行動の目途が立ったことはでかい。

 取り急ぎ旅立ちの準備をすすめよう。

 食料にはまだまだ余裕があるといっても、限りはある。集落までどの程度の日数がかかるのかも、判然としないからな。

 余裕がある内に出発したい。


 じつは俺の心中に、外周の崖を抜ける秘策自体は、すでにあったのだ。

 〈小石生成〉である。

 例の、周囲の自然を崩壊させながら十数メートル級の、こ、小石……? を生成する、入門者用の禁断の広域破壊呪文だ。

 

 あの魔術を、崖に向かって使う。


 少なくともあの魔術では、〈開けゴマ〉で巻き起こった謎のメントスガイザー現象みたいな、土砂自体の周辺への飛散は起きなかった。あくまで土の粒子を集束させて、その上で、あの、小石……? を生成するための魔術だから、当然といえば当然ではある。

 したがって、崖自体を生成に用いれば、崩落に術者の俺自身が巻き込まれる危険性は、相当に低くなるはずだ。

 そもそもこの盆地を囲む崖の高さは、10メートルそこそこ。

 俺があの術で生み出した石球のサイズは、十数メートルは確実にあったから、崖より高い。

 崖の厚みは不明だが、何発もぶっぱなしまくれば、理屈の上では崖を削り切って向こう側まで貫通するはずである。

 術の射程、つまり、どのくらい離れた場所から生成の座標を指定できるのかは、やってみないと分からない。

 まずは安全そうな距離から試していくつもりでいる。



------



 それから俺は、4日間を準備に費やした。

 食糧庫の中から、長期保存が利きそうな物をさらに選別する。

 そこに毛布や衣料品を加えた。

 あとは、書籍だな。例の入門書。

 換金や物々交換に使えるかもと思い、一応それ以外の専門書を何冊か。


 納戸の中から、まだ使えそうな物品もいくつかひっぱり出した。

 といっても、元々納戸にたいした物はない。持っていくのも、古い縄や大きな布、木の食器、そんな物ばかりだ。

 あとは、水も一応用意しといた方が良いだろうか?

 この感じの気候なら、水場はそれなりにありそうな気もするが……。


 木と縄で頑強に組み上げた単純構造の背負い籠を作り、その中に荷を詰め込んでいく。

 無駄にでかいし、作りが雑だし重いしで、人間にはとても背負えない粗悪な代物だが、俺はゴレ太郎にこいつを背負ってもらうことで、運搬の問題を解決することにしたのだ。


 実は準備期間の4日間のうち、この背負い籠を作るのに最も時間がかかった。

 材料集めを含めて、丸2日以上かかっている。

 何しろ俺には日曜大工の経験などなかったし、意外な事に、何も教えなくてもあれほど器用に家事に調理にと色々こなすゴレ太郎も、籠を作る方法はよく分からなかったようだ。

 材料も不足しているので、強度の確保にも大変苦戦した。

 しかし、俺達は二人で悪戦苦闘し、ついに成し遂げた。

 こうして俺とゴレ太郎の絆はより一層強まった。

 そう。協力しての工作というのは、男同士の熱い友情を深めるのである。



 そして5日目の早朝、ついに俺は家を出立した。


 着ている靴や服は、隠れ家にあった物だ。

 基本的に服飾品のサイズ的な問題は、ほぼないと言っていい。着心地は悪くない。多少裾が余ったりはしているが、人里に着いてから軽く裾上げなりすれば良いだろう。

 正直ザイレーンのお古の下着などは、履くのに当初かなりの抵抗があった。しかし、俺の苦悩を察したのか、心優しいゴレ太郎が、何度も何度も一生けんめい洗濯してくれている。

 俺にはその真心だけで、もう十分だ。

 ありがとうゴレ太郎、俺はもう大丈夫、何も問題はない。

 だって、これはもうザイレーンのパンツではない。お前が洗ってくれた、新品のパンツなのだ。

 

 俺は服の上から、新しい無駄に高級そうなローブを羽織った。

 以前着ていた物は埋葬に使ってしまったから、書斎から新たに見繕った物だ。

 とはいえ、デザイン的にはほとんど同じである。例の、前が開いているインバネスコートみたいな独特のやつ。

 濃い焦げ茶色に金糸の刺繍が入ったローブ。

 あれだ。必死におしゃれな色表現をするならば、ダークブラウンだ。

 土属性しか使えな……土属性のエキスパートである俺的には、ぴったりのカラーと言えるだろう。

 別にそういう意図で選んだ訳ではないのだがな……。

 他は赤とか白とか、やたら派手だった。人里に出た時に俺が社会的にどういう扱いになるのかが全く不明なので、無駄に目立ちそうな物は避けておいたというだけの話である。


 俺自身で所持する荷物は、たいして多くない。

 納戸で見つけた小振りな雑嚢(ざつのう)に納まる程度で、金銭などの貴重品類が中心だ。

 ちなみにクランベリー林檎様も、結構な数が入っている。

 これも当然、カテゴリー的には貴重品である。

 あとは、作業用と、もしもの時の護身用をかねた緑色の金属のナイフとか。

 これは隠れ家に最初に入った時に見つけていた物だ。多分この世界のセラミック包丁みたいなもんじゃないかなぁと思う。唯一錆びていないので、うちの刃物は、これオンリーだ。

 俺はずっとこれを用いて、チーズや干し肉を切っていた。

 あと、ゴレ太郎はこれを使って、クランベリー林檎様をたいそうお上品にカットする。

 そして最後に雑嚢に入れたのは――地球から持ってきた、くそダサい寝間着。

 ま、これは何となく、そのですね、どうしても捨てられなくてですね……。


 ゴレ太郎も背負い籠を装備し、準備万端だ。

 これで片手に本でも持たせれば、まさに二宮ゴレ太郎像の完成といった風情である。


 脱出手段の算段はついた。

 準備も十分、整っているはずだ。

 それに今の俺には、心強い相棒もいる。

 今なら、行ける。

 俺は崖の手前、壁面から少し離れた場所に立った。

 今から〈小石生成〉で、俺はこの赤い岸壁を穿つ。


「……――よし、ゴレ太郎。俺たちは今からこの崖の外に、出るぞ」


 傍らのゴレ太郎を見る。

 了解です! みたいな頼もしい顔をしている気がする。

 よし、いくぞ。


 ゴレ太郎が、俺をそっと優しく抱きかかえる。

 

 いわゆる、お姫様抱っこだ。

 えっ、んん……? あれえ……??

 俺を抱くゴレ太郎の手は、とても、とても優しい。

 まるで、こわれやすい繊細なガラス細工を、大切に扱うかのように。

 触れたらきっと傷つけてしまうものを、おそるおそる、そっと撫でるように。

 ゴレ太郎よ、お前は俺のナイト様だったのか……!?

 

 俺を抱くゴレ太郎の下半身に、一瞬力が入ったように思われた。

 そして次の瞬間、ゴレ太郎は――



 ――俺をお姫様抱っこしたまま、一気に十メートルの崖上まで跳躍した。



「ちょっ まっ ゴッ れえええええええええええええええええええええ!!!」



 ゴレ太郎は音もなく着地する。

 あっさり、崖上に到着してしまった。

 俺の必死の作戦立案とは、一体何だったのか……。


 ちなみに後半の「れええええええええ」くらいの時点で、既にゴレ太郎は崖の上に静かに着地している。

 俺は目をつぶってしまって、着地に気付かなかったのだ。

 しょうがないじゃないか、怖かったんだ。だって、いきなりだったし……。

 俺が情けないわけじゃない。だって、だってゴレ太郎が急に……!


 ゴレ太郎が、俺をそっと崖の上に下ろす。

 俺、完全にお姫様あつかいである。

 というか、ゴレ太郎、お前マジで紳士だよな。

 俺がうら若い子女だったら、間違いなく惚れているシーンだぞ。


 気を取り直し、崖上にしっかりと立った。

 俺はいつまでもナイト様にしがみついている乙女ではないからな。

 見たところ、平坦な崖上は50メートルくらい先まで続いているようだ。

 盆地の分厚い外壁といった所か。

 崖の上は、赤茶けた表土のみで何もない。

 草木が一本も生えていないのだ。緑あふれる盆地の内部とは、えらい違いだ。

 要するにここは、盆地を囲む赤茶色のドーナツの輪っかの上なのだな。

 一体どうやったら、こんな地形ができるのだろう。


 そのまま二人で並んで進み、ほどなくして俺たちは崖の外側の端に立った。

 眼下に広がる周囲の景色を見やる。

 が、しかし。


「は………?」


 そこには、一面に赤茶けた表土の大地が広がっていた。

 完全な平地ってわけじゃない、多少の起伏はある。

 しかし、ほとんど草木が生えていない。

 何だこれは……? 盆地の中と植生が違いすぎる。

 盆地といっても、高さ10メートル程度の崖の中の小さな土地だぞ?

 盆地の内外で土壌が違うのか? 

 いや、ひょっとするとこの様子では、むしろ気候そのものが……。


「マジか……。訳がわからん……」


 地球の知識が通じん。

 辛い。

 とはいえ、まずはここから外に降りられる場所を探さないといけない。

 俺が降りられそうな崖の斜面を観察しはじめた、そのとき。


 ゴレ太郎が、俺をそっと抱き上げる。


 ……まぁ、そうなるわな。確かに、その方が早い。

 うん、しかし何だろう、この状態。おそらくゴレ太郎としては、降下中に腕から俺がこぼれ落ちないように、顎でおさえてくれているのだと思うんだけど、まるで頬ずりするみたいに顔面同士が密着している。

 ゴレ太郎のほっぺたは、すべすべで、ほんの少し柔らかい。

 ん……? まて、柔……?


 ――ゴレ太郎が、崖を飛び降りた。


「ぎょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!」


 聞くに堪えない悲鳴を上げ、俺は真下の地表に吸い込まれていった。



------



「……いいかい、ゴレよ、ゴレ太郎よ。次ああいう状況になったときには、飛び降りのタイミングは俺が指示するからな。それまで、いい子でステイだからな」


 赤茶けた丘を南に向かって歩きながら、俺はゴレ太郎に今後の注意事項を説明していた。

 ゴレ太郎は一応神妙に聴いている、ように見える。

 いや、お前本当に分かってるのか?


 ともあれ、そろそろ地図で見た街道に出る頃合いだと思うのだが。

 俺はきょろきょろと周囲を見渡した。


 実は、俺はこうして歩きながら、ちょっとドキドキしている。

 この世界には、『魔術入門Ⅰ』にちらほらと散見される記述を参考にするなら、“魔獣”と呼ばれる生物がいるらしいのだ。

 そんなに出会えるものではないらしいのだが、この辺りはド辺境っぽいし、サマリに着くまでに一匹くらいは遠目に眺めるチャンスがあるかもしれない。

 おそらく、いわゆるモンスターみたいな奴だと思う。あくまで、入門書の端々のチラ見せ情報からの推測なのだが。

 魔力を帯び、多くは魔術相当の人外の技を用いる獣。だから、「魔獣」。

 まぁ、この世界は人間が魔術を用いるのだから、他生物が似たような力を用いてもおかしくはないだろう。


 ちょっとだけ……。ちょっとだけなのだが、一度くらいなら、人々を困らせる悪のモンスターと戦ってみても良いかもしれないという気がする。

 なんといっても、俺は“魔導王”だ。魔王といえばモンスターの親玉だろう。だから、魔導王も魔獣の親玉みたいな物なんじゃないのか?

 多分、負けないんじゃないか?

 ちなみに、基本文化人であり蛮勇を振るうタイプではない俺が、こんな分不相応の事を考えているのには理由がある。

 実は入門書に書いてあったのだ。「通常、ゴーレムの戦闘力は並の魔獣を凌駕する」と。

 なんのことはない。もし怪我をしそうになったら、ゴレ太郎に助けてもらおうと思っていたのである。

 それに、通常、人里や街道に極々稀に出没する程度の魔獣ならば、初級魔術でも十分に撃退可能。みたいなことも書いてあった。

 おそらく街道に出てくる魔獣というのは、あれなのだろうな。ぷよぷよした青い粘液のモンスターとか、角の生えたウサギみたいなモンスターとか。もしくは、可愛らしいハトや芋虫や黄色い電気ネズミみたいなのが、草むらから飛び出してくるのかもしれないね。

 まぁ、マジな話をすれば、本来の生息圏を追われた弱い個体なのではないかと俺は推測している。他にもいくつか推論はできるが。しかし自説を披露するのはやめておこう。だって俺は、地球の自然知識に自信がなくなりつつある……。


 だが、結果的に、俺がこの世界で初めて出会った魔獣――いや、正確にはそれが“魔獣”なのかすら分からなかった――は、青いぷるぷるのモンスターでも、野生動物をひと回り大きくしたようなモンスターでもなかった。

 俺は、この世界で自分自身が置かれている、わりとシビアな状況というものに、この当時はまだ、まるで気づいていなかった。



 ふいにゴレ太郎が立ち止まって、背負い籠を地面に下ろした。

 

 そして、すっと俺の斜め前に進み出る。

 流れるような自然な動作ではあったが、俺には拭い切れない違和感のある行動だ。

 ゴレ太郎は、普段俺の斜め後ろをついてくることが多い。並んで歩くときも、半歩後ろくらいの位置が好きなようだ。状況によって位置取りは多少変わるけど、こいつは、絶対に俺の前を歩かない。

 なのに、なぜ今前に……?


 ほぼ同時に。

 それは、前方の岩陰から、まるで滲み出るように、姿を現した。

 黒い。二本の足で立つ人の形をした、黒い物体だ。


【へえ、気付いたのか。それって表土索敵(ひょうどさくてき)……いや、複合型の索敵か? 相当に高性能なんだねぇ、キミのゴーレム。見た目は農作業用にしか、見えないのにね】


 でかい。背の高さは、2メートル半くらいは優にある。

 1.9メートルの長身のゴレ太郎が、ひと回り以上小さく見えるのだ。


【まぁ、当然か。最弱とはいえ、仮にも魔導王の眷属なんだ】


 その印象は、まさに、悪魔、だ。

 真っ黒な巨漢は、雪のように白いゴレ太郎と対峙すると対照的ではある。

 が、この黒い悪魔のごとき存在は、おそらく“生物”だ。

 ぎょろぎょろと動く、赤く血走った目。

 真っ赤に割けた口腔から放たれる、獣めいた息づかい。

 筋肉質に隆起し、脈動する皮膚。

 放たれる存在感に圧倒され、俺はそいつの言葉がまったく頭に入ってこなかった。

 ただ、見た目のゴツさのわりに若々しい声の印象だけが、妙に頭に残った。


 俺はこのとき、確信していた。

 こいつは異世界に転生した人が最初に戦う系の、レベル1モンスターではない。

 なんかあの、アレな、ボス的な……。少なくとも、ゲームが盛り上がってくる中盤以降に出てくるボスキャラクラスの力は、絶対にあるやつだ。


【随分と長い間待ちぼうけをくらったんだ。少しは――】


 くくっ、と馬鹿にするような嗤いが、耳に纏わりついた。

 声変わりが終わったばかりの、思春期の少年のような声色で。


【――楽しませて、欲しいものだけどね】


 直後。

 猛烈な殺気が俺に叩きつけられた。


 後にして思えば、この時こいつは俺の事を、この瞬間に本気で殺すつもりはなかったのかもしれない。お腹いっぱいの猫が弱い鼠を遊びでいたぶるような、そういうつもりだったんじゃないだろうかと、そう思う。


 しかし、現代日本人、しかも基本的に平和を愛する文化人である俺は、戦いに場慣れした存在が放つ殺気というものを、浴びせられた経験がなかった。

 このときが、生まれて初めてだったのだ。


「う……!」

 俺が身体を硬直させ、思わずうめき声を上げる。

 多分、このうめき声がトリガーだったんじゃないかと思う。


 ――ゴレ太郎が、俺の前面に立ちふさがった。


 怒っている。

 その様子は、まるで、子熊を守るために怒りに燃えて登山客に襲いかかる、冬眠明け直後の母熊。

 ゴレ太郎よ、お前は俺のお母さんだったのか……!?


【生まれたてで無知なキミに特別に教えてあげるけれど、おれのこの影魔(えいま)は物理戦闘に特化させた魔導生命体だ。対策済みのキミのゴーレム、それもそんな貧弱な軽ゴーレムごときじゃあ、ものの10秒と―――】


 鼻で笑う相手が言葉を言い切る前に、ゴレ太郎が弾かれたように前に飛び出した。

 この瞬間、戦いの火蓋が切られたのだ。



 この時、俺は完全に相手に気圧されていた。

 そのせいで、この黒い悪魔はすぐ近くに立っているような気がしていたけれど。

 実際には戦闘開始時、両者の距離は10メートル近くあったと思う。


 だが、巨大な砲弾のように直進したその真っ白いゴーレムが、迎え撃つ黒い巨体との間合いを一息に詰めてしまうまでに――

 おそらく一歩……いや、半歩程度しか踏み込まなかったように見えた。


 それほど、速かった。


 黒い悪魔は目を見開き、口を動かしかけた。

 しかし結局、それが言葉になることは永遠になかった。

 

 ゴレ太郎の振りかぶった右腕が、背筋が、全身が。

 鞭のようにしなるのを、俺は見た。

 とても石で出来た人形の動きには、見えなかった。


 そのまま振りぬかれた白岩の拳の一撃。

 それは、まさにその一発目で黒い怪物の顔面を捉えた。

 直後、その憐れな悪魔の頭部は、接射で重い砲弾を浴びたかの如く――


 血と肉の煙となって、 粉々に、 爆散した。


 首から上を失った黒い肉塊は、まるでゴム毬のように後方に吹き飛んでいく。

 すさまじい音を立てて岩肌に激突し、ずるりと地面に崩れ落ちた。



 あたり一帯を、静寂が支配する。



 全身にどす黒い返り血を浴びたゴレ太郎が、俺の方を振り返った。

 その姿になぜか俺は――血と殺戮に酔った、長髪の魔女の笑顔を幻視していた。


「え、えっと……」

 こういう場合にレフェリーがしないといけないのは、なんだっけ……。

 あ、そうだ。死亡確認だ。


 俺は、黒い塊の方におそるおそる歩み寄った。

 返り血まみれのゴレ太郎が、ひよこみたいに後ろをついてくる。

 

 黒い首なし死体を観察した。

 拾った枝きれで、つついてみた。

 動かない。

 そこにもはや、生命の気配はなかった。




「し、死んでる……」


 こうして俺の異世界初バトルは、指先一本動かす事なく、0.8秒で終わった。

 

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