第103話 トカゲと命名
「それにしても、まさかこいつが高級ペットだったとはなぁ……」
俺はちび黒トカゲを手にぶら下げて、相棒のゴレと共に、里の外壁沿いをのんびりと歩いていた。
青い空は澄み渡り、広大な畑を吹き抜ける穏やかな風が首すじをくすぐる。
自然溢れる、気持ちの良い田舎の風景だ。
「くあー」
トカゲも俺と一緒に空を見上げて鳴いている。
こいつが王獣とかいう、この世界における超高級な家畜であることが判明したとき、俺は非常に悩んだ。
トカゲを自然に帰すべきか。
それとも、さっさと売り飛ばしてお小遣いに変えるべきか。
だが俺は思案の末、結局トカゲを森へ逃がすことに決めた。
それが野生動物に対しての、本来取るべき人の態度というものである。
俺は文化人としての初志を貫徹する、ぶれない心をもつ男だった。
それに正直なところ、今は金銭的にひっ迫しているわけでもない。
このあいだゴレと一緒に犯罪者を倒しまくったときの大量の賞金は、魔術師協会の口座に手付かずのまま残っている。
トカゲを無理に売り払う必要なんて、特にないんだ。
俺は薄雲の流れる美しい青空から視線を落とし、左手に広がる畑の風景を眺めた。
こちらの里の西側は、前回の襲撃騒動の際には主戦場になっていない。周囲に見える畑には、それらしき戦いの傷跡も見られない。
見渡す限りの整然とした畑が広がっている。
向こうの斜面の方に見えているのは、葡萄棚だろうか。
「平和だなぁ、ゴレ」
心地よい風景に目を細めつつ、俺は斜め後ろを歩く相棒に語りかけた。
声をかけられた白いエルフなゴーレムが、うれしそうに顔を寄せてきた。
長い耳がまるで返事をするみたいに、微かに揺れている。
それから俺達は里の外周沿いにしばらく歩いた後、木立の中の上り坂の小道を進み、里の北西に位置する深い森の前に到着した。
里の北側というのは、すなわちシドル山脈に続く斜面の森である。
緑あふれる、自然豊かな森だ。
そもそも今回問題となっているこの黒い砂小竜というのは、里の北辺の区画にあるテテばあさんの敷地に忽然として現れた。
こういった事実から理詰めで推理した場合、この生物は北の山頂方向から里内へ侵入してきた可能性が非常に高い。
もし、仮にだ。トカゲが南から侵入して里内を縦断したり、東西から畑を通って里を横断して、うちの離れ家までたどり着いたとしよう。
どや顔で往来を歩き、くえくえと良く響く鳴き声を上げ、気になる物があればよちよちと無警戒に歩み寄り。そして、お腹が空けば通行人に絡んで餌をねだり、道端の鶏には王者の風格で喧嘩を売る、ちび黒とかげ。
そんな目立つ存在、里人からの目撃情報が大量に上がっているはずである。
だが、誰もトカゲの姿など見ていないという。
つまりトカゲはおそらく、人目の多い里の南や、東西の区画などを移動していないのだ。
ありえる可能性としては、人口密度が低く、必要な移動距離も短い北の方角からやって来たか、あるいは――
……うちの離れの俺の足元に、突如魔法のごとく、ぽこんと生まれて湧いて出たかの二択である。
ふふん、ありえんな。
後者の可能性はない。
俺は常識的な判断の出来る男。物理法則を無視したマジカルファンシーな推理など、端から却下である。
要するに、トカゲは北の方角からやってきたのだ。
俺の名探偵としての勘がそう告げている。
つまり自然界に帰してやるなら、里の北側の森、すなわち今いるこの場所で逃がすのが、トカゲにとってはベストということだ。
「……というわけだ。野生の世界で強く生きろよ、クソトカゲ」
俺はトカゲを、そっと地面におろした。
腐葉土の積もった柔らかな森の土の上に、ちょこんとトカゲがおすわりする。
トカゲは状況がよく分かっていないのか、くりんとした小さな目で、俺のことを見上げている。
「……いいか。一応注意喚起だけはしておくが、この山のてっぺんには絶対登ったらだめだぞ。行っていいのは、中腹あたりまでだ。山の上の方には気性の荒い野生の牛がたくさんいて、とっても危ないからな」
俺は眼前にそびえ立つシドル山脈を指さし、トカゲに山での生活上の注意事項を説明した。
「くあ!」
トカゲが元気に返事をした。
本当にわかっているのだろうか? 返事だけは良いやつである。
まぁ、ゴレの攻撃をくらっても死なないこいつのことだ。大量の牛の群れにどつきまわされたところで、きっと怪我すらしないのだろうけれど。
だが、世の中には万が一ということもある。
かつて不死身の神といわれたあの古代地竜ですらも、格下であるはずの魔導王の俺に対して完全な舐めプで戦ったばかりに、予想外の反撃にあって死亡した。
油断大敵。弘法も筆の誤り。猿も木から落ちる、である。
何事も用心するに越したことはない。
「……じゃあな。くれぐれも気を付けろよ」
俺は小さなトカゲにそう言い残して、くるりと踵を返した。
そして二度と後ろを振り返ることなく、ゴレとふたりで山道を下っていった。
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西の空が、うっすらと黄金色に染まり始めている。
そろそろ夕飯時も近い。
俺達は山を下りて畑の脇を抜け、特に何事もなく里の近くへ戻ってきた。
正門のあたり一帯に、工事の音が響いている。
現在、里は防壁の改修作業の真っ最中なのだ。里内部の家屋の復旧作業はすでに大方終了し、十日ほど前からこの南側の防壁の工事が始まっていた。
防壁周辺には作業中の里人やゴーレム達が忙しく歩き回っている。
その中には、建材を運ぶ大きな戦象ゴーレムの背中も見えた。
防壁の一部が解体されたあたりに、大砲の上に滑り台を乗っけたような大きな機械が露出しているのが見える。
大型魔道具のような見た目をした真新しいその装置は、うっすらと光沢を放っていた。
あれは、ゴーレム用の射出機だ。
ああいった据え付け型の射出機は元々防壁の内側に一定間隔で設置されていて、防衛時には、あそこから防壁外にゴーレムを射ち出す形で出撃させる。
要は、ゴーレムを発射する大砲みたいなものだ。
この世界の大きな城塞都市や軍事施設などでは、比較的よく見られる設備なのだそうである。
もっとも、一般の村落に設置されるような代物ではないらしいが……。
元々里の防壁に五台ほど設置されていた射出機は、最大飛距離が十メートル未満で、軍の払い下げの旧式品だった。だが、今回防壁の改修と同時に射出機も新たに増設して、最大飛距離が三倍以上あるこの最新式の物を導入するそうである。
俺も先日行なわれた試射を見学させてもらったが、“下駄”と呼ばれる衝撃緩和用の脚部カバーみたいな装備を履いたゴーレムが、三十メートル近くもロケットみたいにぶっ飛んでいく姿は、実に壮観だった。
防衛時にゴーレムを遠くに飛ばすことに、果たしてロマン以外の意味があるのか? と、つい勘ぐってしまうところなのだが、実際にはこれ、おおいに意味があるようだ。
射出距離が伸びると敵にとってはゴーレムの予測出現地点が絞れなくなるので、戦術上、それだけで脅威度が跳ね上がるという。
なるほどたしかに、その恐ろしさというのは、攻め手の立場になって考えてみるとよく分かる。
防壁を超えるべく前進しているところに、突如隊列のど真ん中や真後ろに砲弾と化したゴーレムが落下してくるのだ。しかも、矢も魔術も弾くこの迎撃不能の人型砲弾は、着弾直後に猛然と動き出し、陣形の弱点を食い破りながら襲いかかってくる。
まるっきり悪魔の兵器である。
想像するだけでもちびりそうだ。もし俺が敵の将なら、兵を壁に接近させる事自体躊躇するだろう。
薄々気付いてはいたことだが、この世界の戦争というのは、結構えぐい。
それにしてもこの里、もはや完全に要塞と化しつつあるよなぁ。
皆さん、一体どんな強大な軍勢と戦うつもりなのだ……。
「よォ、ネマキじゃねえか!」
ゴレと並んで工事と射出機の様子をぼんやりと眺めていたとき、横手の防壁の上から声がした。
「ああ、ジャンビラか」
無駄に逞しい筋肉を、これまた無駄に露出しながら防壁の工事をしている巨漢のマッチョ、我が友人ジャンビラである。
ぶんぶんと手を振っていた赤髪男は、そびえ立つ防壁の上から涼しい顔で飛び降り、軽快な足取りでこちらへ駆け寄ってきた。
相変わらず頑丈なやつである。
「こんな所でどうしたんだよネマキ、里の外にでも出かけてたのか?」
「ちょっと野暮用で、北側の森まで行っていたんだ」
「ふうん、山の方へか……?」
ジャンビラは怪訝な表情で俺とゴレの顔を交互に見つめた後、ちらりと俺の足元あたりに視線を彷徨わせた。
その視線の動きがなんとなく引っかかった俺は、自分の足元を見ようとした。
が、このときジャンビラの太く逞しい腕が、がしっと俺の肩に回った。
「ま、細かい事ァ何でもいいぜ! 今から屋敷へ帰るんだろ? ちょうどおれもテテばあさんに呼ばれて、お前んとこの屋敷へ向かうところだったのよ。一緒に行こうや」
燃えるような赤髪の青年は、白い歯を見せてにかりと笑った。
どうでもいいが、お前はちょっと顔が近すぎる。
こうして俺とゴレにジャンビラを加えた三人は、屋敷への帰路につくこととなった。
皆で並んで、緩やかな坂道をちんたらと上っていく。
なお、ジャンビラんちのゴーレムであるオレンジ象は、もうしばらく現場の片づけを手伝った後、自己判断で勝手に自宅の納屋に戻るそうだ。
なかなか賢いな。
しかも実におりこうで、羨ましい。
これがもしうちのゴレだったら、俺と離れることを嫌がって、目をうるうるさせて足をふんばったり、いくら説得しても一生けんめい俺の後ろを付いてこようとするはずである。
俺はゴーレムのしつけという面において、ジャンビラに完敗を喫しているといえよう。
「ところでさ、お前うちのばあさんに屋敷へ呼ばれたとか言っていたけど……一体いつ呼び出しを受けたんだ?」
俺は坂道を歩きながら、隣のマッチョに気になっていたことを訊ねた。
「んあ? ああ、そのことか。実はちょっと前に、ばあさんとこのデバスが作業現場まで使いに来てよォ。おれに言伝を渡してったのよ」
「デバスが言伝? 手紙か何かか?」
「おう」
ジャンビラが紙切れを一枚、ごそごそと腰布の脇から取り出した。
「こいつがそうだよ、差出人はテテばあさんだ。読むか?」
「ああ、すまない。ちょっと見せてくれ」
受け取った葉書きほどの大きさの紙片には、整った綺麗な文字が書かれている。
達筆だな。テテばあさんは俺よりはるかに文字が上手いようだ。
べっ、別にくやしくなどないが……。
手紙の文面自体は、いたってシンプルなものだった。
今日の作業が終わって時間が出来たら、工具を持って屋敷に来て欲しい。修理してもらいたい物がある。謝礼と夕食を馳走する。といった意味の文言が、簡潔な表現で書かれている。
手紙の最後には、テテばあさんの略式の署名らしきものがあった。
「なるほど、たしかにうちのばあさんの物みたいだ。だが、一体何を修理して欲しいんだろう? 何かが壊れたなんて話、俺は特に聞いた覚えがないけど……」
「さてなあ。ひょっとして鶏小屋やら山羊の柵あたりが、傷んでるんじゃねえか? ああいうのは実際に壊れちまうと家畜が逃げたり怪我しちまって大事だから、早め早めに補修するもんだし」
「ふうん」
しかし、俺が先日餌やりを手伝ったときには、鶏小屋も山羊小屋も特に異常がなかったような気がする。
「なぁゴレ、お前何かばあさんから聞いていないか?」
俺は斜め後ろを振り返った。
声をかけられた美女神エルフは、赤い瞳を見開いて、きょとんとした様子で俺を見た。
え、一体なんのはなし? という感じである。
「……お前、ジャンビラの話を真面目に聞いてなかったろう?」
駄目だこりゃ。
家畜小屋の修理などよりも先に、まず、俺の声以外をまるで聞き取らないゴレのぽんこつな耳の方を修理するべきなのかもしれない。
「ゴレ、お前のその長くて可愛らしいお耳は飾りなのか? もう少し周囲の会話にも興味を持ちなさい」
俺はお説教をしながら、ゴレのエルフ耳を指でふにふにと引っぱった。
実際には引っぱるというより、耳朶あたりを軽くつまんで揉むような感じである。
犬の耳は敏感な部分なので、あまり強く触ってはいけない。これは飼い主としての基本知識だ。まぁ、ゴーレムの場合がどうなのかはよく分からんが。
ゴレはとろんとした目で、大人しく耳を引っぱられている。
相棒よ。
俺は今、わりと真剣にお前に説教をしているのだ。
そんな反省のかけらもない、幸せそうな満ち足りた顔をしないでほしい。
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そんなこんなで、屋敷に到着した。
門扉を抜け、そのまま三人で敷地に入る。
ちょうど前方の庭先で、家主のテテばあさんとアセトゥ少年が立っている姿が見えた。
「ただいまー」
「よお、呼ばれて参上したぜ」
俺達に気付いたアセトゥが、こちらへ駆け寄ってきた。
「ネマキ兄ちゃん、おかえりなさい!」
若鹿のようにしなやかな動きで、健康的な小麦肌の少年が飛び込んでくる。
抱きつかんばかりの勢いだ。
「ばあさんもアセトゥも、こんな所で何をやっているんだ?」
二人とも玄関の前に突っ立っていたようだが。家の中で待っていればいいのに。
そんな俺の疑問に、アセトゥが困り顔で答えた。
「あのね、玄関の戸が開かなくなっちゃったんだよ」
言われてみると、たしかに戸は半開きの状態のままになっているようだ。
「……これ、動かないのか?」
「うん」
俺は戸板を手で軽く押した。
がたがたと揺れるばかりで、戸は動かない。
「ほうほう、なるほどなァ。それでおれが修理に呼ばれたってわけか。どれ、ちょいと見せてみろや」
ジャンビラが玄関にしゃがみ込み、戸の噛み合わせなどの確認を始めた。
しばらく玄関付近を調べていた赤髪の青年は、戸をこつこつと軽く手の甲で叩きながら言った。
「玄関自体に異常はねえな。どうもこれ、戸板が歪んでるみてえだぜ」
「戸板が?」
首をかしげる俺の前で、ジャンビラがその逞しい腕で戸板つかみ、がぱりと外した。
そして、板の中央下部を指でつついて見せた。
「ほれ、この辺り歪んじまってる。このタイプの分厚い戸板は、ちょっとやそっとの事じゃびくともしない作りをしてるはずなんだが……。内側から何度も凄まじい圧力がかかったみてえな歪み方だ」
「マジかよ。この戸板に一体何が……」
「ま、原因はわかんねえが、新しい戸に取り換えちまうのが一番早いだろうな。幸い里の復興作業で、建材の余りが大量に出てる。無料で手配してやれるよ」
ジャンビラが、後ろに控えるテテばあさんを振り返った。
「ってことでいいか? ばあさん」
「……ああ、頼むよ」
腕組みしていたテテばあさんが、頷いた。
なんとも渋い表情である。
俺もばあさんの隣で腕組みしながら、難しい表情を作った。
「まさかあの超頑丈な戸板が、歪んでしまうとはなぁ。一体どんな怪奇現象が起こったのやら……んぼおっ!!!!?」
突如、ババアの杖が俺の額にヒットした。
「こんの大馬鹿たれっ! あんたが毎度毎度いらん騒ぎを起こして、ゴレタルゥに玄関を蹴り飛ばさせるせいだろうがね!」
「なっ、何ィ!?」
この玄関の故障、俺のせいだったのか?
そういえばたしかに、今日の昼間もトカゲと騒いでいたせいで、心配したゴレが玄関をふっ飛ばしている。その後、俺達はいつものように適当に戸板をはめ直して証拠隠滅した後、里の外へトカゲを逃がしに出かけていた。
玄関が開かなくなったのは、おそらくその直後だ。
「そうか、昼間のあの一撃が玄関にとどめを刺したのか……。だが、ばあさんよ聞いてくれ。実はこれには深いわけがあってだな。その、突然離れに野生動物のトカゲが現れて……はぐっ!!!!?」
「くだらない言い訳をしてんじゃないよ!」
ババアの容赦なき追撃の杖が、俺の脳天に連続ヒットする。
しばかれる俺の姿に、ゴレが泣き出しそうな様子でおろおろしている。
「くあー! くあぅっ!」
トカゲの楽しそうな鳴き声が聞こえる。
いいぞ、もっと叩けっ! という感じの鳴き声である。
「ええい、黙らんかクソトカゲ! こんなことになったのは、元はといえばお前が俺に豆粒を飛ばしたせいで……ん?」
…………。
なぜ、トカゲの鳴き声がするんだ?
俺は、鳴き声のする足元を見た。
小さな角の生えた黒いトカゲが目をくりくりさせながら、ババアの杖の動きにあわせて、ぴょこぴょこと頭をふっていた。
「は? どうしてクソトカゲが、ここにいやがる?」
狼狽する俺に、ジャンビラがさも当然のような表情で言った。
「どうしても何もよォ……そのちびっこい幼竜なら、ネマキの足元にずっといたじゃねえか」
俺は驚愕に目を見開いた。
「え、一体いつからだ?」
「いつからって、最初っからだよ。正門前の作業現場で会ったときには、お前とゴレタルゥの後ろにくっついて一緒に歩いてたぜ?」
「なっ……」
「くあっ!」
トカゲが鳴いている。
まさかこいつ、森に逃がした直後から、俺達の後ろをよちよち歩いてずっと付いてきていたのか?
自分が自然界にリリースされたことすらも理解できないとは、なんたる知能の低いトカゲなのだ。驚天動地のアホさ加減である。
いや、待て。
だがそれにしたって、おかしいぞ。
そもそも俺が後方のトカゲの動きに無頓着だったのには、理由がある。こいつに里まで追尾されるなんて、絶対にありえないことなんだ。
だって、ゴレが気付かないはずがない。
真後ろだろうが死角の位置だろうが、トカゲがいるなら表土索敵で丸わかりのはずだ。もしも尾行されていたなら、ゴレがすぐに気付いて教えてくれている。
…………。
まさかゴレのやつ、気付いていて俺にずっと黙っていたのか?
俺はてっきり、ゴレもトカゲを森に逃がすことには賛成してくれているものだとばかり思っていたのだが。
「ゴレ、トカゲが後ろを付いて来ていること、どうして俺に内緒にしていたんだ……?」
困惑しつつ、相棒に問うてみた。
その声音には、自分でも驚くほどに深い悲しみと不審の色が混じっていた。
ゴレは俺のこの悲しげな言葉に、すさまじく動揺した。
わたわたと両手を動かし、赤い瞳をうるませ、必死に否定するような仕草をした。
見れば、長い耳が下がり切っている。
先ほどから俺が杖でしばかれたり、俺から悲しげな失望の言葉を投げかけられたり、ゴレのお豆腐並の精神は限界に近い状況に追い詰められつつある。
動揺し、混乱し、俺に対して申し訳なさそうに潤んでいたその瞳が、このとき急に、キッと足元のトカゲを睨みつけた。
まずい、トカゲがぶっ殺される。
「どおわあああっ! 待て、待てゴレ!」
俺はあわててゴレを抱きしめた。
「ごめんな、ちゃんと教えてくれって言わなかった俺が悪い。俺が全面的に悪い。ゴレ、お前は何も悪くないんだ……」
ぶるぶると弱々しく痙攣しているゴレの背中を、俺はなだめるように必死になでまくった。
「くあ! くあっ!」
トカゲが鳴いている。
ええい、うるさい! お前は少し静かにせんか。
トカゲに説教をしようとして、そこでふと気付いた。先ほどから、なぜかテテばあさんの杖攻撃が止まっている。
俺はおそるおそる、横目でテテばあさんの様子を確認した。
「ふむ、この幼竜……砂小竜かい? しかも王獣とは……。いや、だが、それにしては……」
彼女はぎょろりとした恐ろしげな目を見開き、何やら真剣な表情で、トカゲをじっと睨むように見つめている。
当のトカゲはといえば、ばあさんの視線に気付いていないらしく、足元で俺の靴の紐をあむあむと噛み始めた。
おい、涎がつくからやめろ。
「わあっ! 何この子、かわいいっ!」
このとき、突如アセトゥが目をきらきらさせて、トカゲを抱き上げた。
「うおっ」
すごい力だ。トカゲが俺の靴紐をおしゃぶりしている最中だったせいで、俺まで紐に足を引っぱられて転びかけた。
少年はトカゲを抱きしめ、かわいい、かわいい、と連呼しまくっている。
お前は子猫を前にした女子高生か。
「ねえねえ、この子どうしたの? ネマキ兄ちゃんが拾ったの?」
「へ? ああ、まぁ、そんなところだ。このクソトカゲ、一度森に逃がしたんだが、戻って来てしまったんだよ。今日はもう暗くなるから仕方ないが、明日こそは二度と戻って来れないはるか遠くの森深くか谷底に、全力をもって確実に捨ててこようかと……」
「ねえ、この子うちで飼うんでしょ? みんなで世話しようよ!」
少年は全然俺の話を聞いていないようだ。エメラルド色の瞳をきらきらさせて、トカゲの飼育許可を求めている。
トカゲは、ちょっとびっくりしたみたいに目をぱちくりして、きょどきょどしている。
急に抱っこされてきゃーきゃー言われて、驚いているのだろう。
そんな俺達の様子を眺めていたテテばあさんが、げんなりした表情で口を開いた。
「はぁ……。まぁ、しょうがないかねぇ。ネマキがきちんと世話をするなら、うちで飼ってもかまわないが」
「はあ!? 俺がこのクソトカゲの世話をするのか!? まっぴら御免だぞ」
「何言ってんだい。さっきからそのちびすけ、あんたの足元をうろちょろべたべた……誰がどう見ても、あんたに一番懐いているだろうがね。それに王獣なんて厄介なもの、どの道そこいらにほっぽり出すわけにはいかないよ」
「そ、そんな……」
「やったあー!」
トカゲの飼育許可が出て、アセトゥはぴょんぴょん飛びはねている。
よかったな、少年よ。
もちろん俺は、こんなどや顔ちびクソトカゲの世話などしたくはないのだけれど……。
でも、こんなにも無邪気に喜んでいるアセトゥの姿を見ると、もはや拒否など到底できそうにもない雰囲気だ。
俺はアセトゥに抱かれるトカゲに顔を寄せ、小さくささやいた。
「……おい、クソトカゲ。お前、粗相をしてばあさんから鍋の具材にされないよう、この家では家畜として分をわきまえた行動を心がけろよ? 優しいゴレ相手ならともかく、あのババアが本気で怒ったときには、多分俺の力ではお前の命を守り切ってやれない」
「くあ!」
トカゲが元気に返事をした。
まったく、本当に分かっているのだろうか。
返事だけは良いトカゲである。正直不安しかない。
「よォし。んじゃ、飼うってことで決まりだな! ここにちょうど手ごろな材料があることだし、クストゥカグの小屋は今からおれが作ってやるよ」
ジャンビラがそう言って、手に持っていた先ほどの歪んだ戸板を地面に置き、工具を取り出し始めた。
「こいつをばらして改造すりゃ、幼竜の小屋なんぞ、ちょちょいのちょいってな。夕飯までには完成させてやるぜ」
気軽な調子で日曜大工を始めるジャンビラの後ろで、アセトゥ少年がトカゲに何やら一生けんめい話しかけている。
「オレ、アセトゥっていうんだ。今日からよろしくね、クストゥカグ!」
小麦色の柔肌に熱烈な頬ずりをされるトカゲは、迷惑そうな表情をしている。
こいつ、そろそろ豆粒を飛ばすかもしれない。アセトゥが豆粒の被害に遭う前に、取り上げておいた方がよいだろうか。
そんな風に考えていたとき、アセトゥが呟いた。
「でもクストゥカグって名前は、ちょっとオレたちには呼びづらいね。普段は別の呼び名を考えた方がいいかも。うーん……縮めて、クストあたりかなぁ?」
ん? ちょっと待ってくれ。
さっきから、気になっていたのだが……。
クストゥカグ? 一体何だ、それは?
クストゥカグ……もしかして、“クソトカゲ”か?
俺がずっと連呼している“クソトカゲ”という罵倒語が、ぽんこつ翻訳能力で現地語っぽく発音補正されて、“クストゥカグ”になってしまっているのか……?
例の、“ゴレ太郎”がこの世界の人に“ゴレタルゥ”と聞こえてしまうのと同じ現象が、クソトカゲでも起こっているというのか。
だが、なぜ?
この状況で発音補正が入っているということは、おそらく単語自体が固有名詞扱いされていて、翻訳を弾かれているってことだ。
なぜ人名でも地名でもない“クソトカゲ”が、固有名詞扱いなんだ?
何だか、とてつもなく嫌な予感がした。
俺は引き攣り気味の表情で、トカゲに視線を戻した。
トカゲはじたばたとちんまい手足を動かして、抱きしめるアセトゥの腕から逃げようとしている。
だが、アセトゥはまったく気付いていない。
幸せそうな笑顔で、トカゲを全力で抱きしめ続けている。
「お、おい。クソトカゲ……」
俺はおそるおそる、小さな声を出してみた。
トカゲに聞こえるか聞こえないかくらいの音量の、まるで独り言みたいな、ごくさりげない調子で。
すると、それまで明後日の方向を見ていたトカゲが、急にくるりとこちらをふり向いた。
「くああっ!」
トカゲがくりくりの目を輝かせ、俺に元気いっぱいな返事をした。
その様子に俺は思わずうめき声を上げ、両手で頭を抱えた。
ああ、何という事態だ……。
そりゃあたしかに、知能の低いアホなトカゲだとは思っていたけれど。
だがまさか、ここまでの底抜けのアホだったなんて。
こんな結果になるなどと、一体誰が予想できるっていうんだ。
このアホ、よりにもよって自分の名前を、“クソトカゲ”だと思い込んでいやがる……!