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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第7章 不死身の幼竜
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第102話 トカゲとパイ菓子

 

 前回のあらすじ:ゴレがトカゲを殺した。

 


 

「う、うわああああ!!! クソトカゲえええええええっ!!!」


 俺は悲痛な叫びを上げた。

 陥没した大地に、トカゲがめりこんでいる。

 今ゴレがトカゲに放った叩きつけ攻撃は、以前にも見たことがあった。

 あれはたしか、初めて猿の大群に包囲されたときにも使っていた技だ。強烈な平手打ちで、蠅叩きみたいに敵を地面にはたき落とす。

 岩の外殻を持つ強靭な肉体の猿ですら一撃で圧潰して即死する、相当に破壊力の高い大技である。

 ぷにぷにの脆弱なトカゲが耐えられるわけがない。

 間違いない、即死だ。


「ゴレ、おまっ、おまああっ……」

 お前、何というむごいことを……! 

 そりゃ、たしかにこいつは知能の低いアホなトカゲだった。

 しかもなぜか俺を目の敵にして豆粒を飛ばしまくってくる、まったく救いようのない、どや顔ちびクソトカゲだった。

 でも、でも……。

 目に涙をいっぱいためて、相棒の蛮行に抗議しようとする俺。

 しかし、直後に異変に気付いた。


「くあっ! くあっ!」


 トカゲの鳴き声が聞こえる。

 鳴き声がするのは、陥没した地面の方からだ。

 あわてて目をやると、なんと、トカゲが地面からよちよちと這い出してきた。

「くあうあ!」

 トカゲが鳴いている。

「は……?」

 俺は目を疑った。

 何だこれは。一体どういう事だ?

 今こいつ、確かに死んだはずなのだが。


「くあっ!」

 トカゲはゴレを見上げて、盛んに鳴いている。

 ちんまい体でぴょんぴょん飛び跳ね、ゴレのことを挑発しているようだ。

「くあぁー! ぐあうわっ!」

 おら、かかってこいや、ザコめっ! という感じの鳴き声である。

 何だかこのトカゲ、ゴレのことを完全になめくさっているように見える。

 俺に絡んでいるときよりも、はるかに態度がでかい。

 その自信に満ち溢れたどや顔はまるで、俺のことは倒せなくてもゴレなら楽勝で倒せるぞ、とでもいわんばかりだ。

 おい、よせトカゲ! そいつは俺の一億倍は強くて狂暴な相手だぞ!

 お前は野生動物のくせに、敵の強弱すら分からないのか!?

 あまりにも知能が低すぎる!


「おい、アホトカゲ! せっかく拾った命をむざむざ捨てるんじゃあない!」

 俺はあわてて、ゴレの足元でぴょこぴょこしているトカゲを拾い上げた。

 こいつはおそらく体重が軽すぎるせいで、打ち所がよくて奇跡的に助かったに違いない。だが、もはや二度目の奇跡はない。もう一度ゴレに殴られれば、間違いなく死んでしまう。

 俺がしっかりとトカゲを胸に抱いたので、無慈悲に追撃の拳を振り上げかけていたゴレの動きがぴたりと止まった。危なかった……。

「ぐぁむ!」

 だがそのとき、あろうことかトカゲが、俺の腕を甘噛みした。

 戦いの邪魔をするな、という感じである。

「ちょ、おま、今は不味(まず)……」

 制止する間もなかった。ゴレの腕がぬっとこちらへ伸び、そっと優しく、そして素早く、俺の腕の間からトカゲを奪い取った。

 そのまま、トカゲがぽいっと上空に放り投げられる。

 空から落下してくるトカゲの腹に――


 ――ゴレのサッカーボールキックが、炸裂した。


「う、うわああああ!!! クソトカゲえええええええっ!!!」



------



「なんで死なないんだ、こいつ……?」

 俺は離れの居間に敷かれたふかふかの毛皮絨毯(じゅうたん)に座り、膝の上で丸くなって眠っているトカゲを眺めていた。

 隣には、ゴレが座っている。


 なんとこのトカゲは、ゴレの蹴りを受けても死ななかった。

 俺は心配になって診察してみたのだが、ぷにぷにのお腹には怪我ひとつない。


 ゴレの攻撃をくらって無傷とは……。

 一体どういう仕組みなのだろう。

「よっ、と」

 俺は膝の上のトカゲの身体をひっくり返した。

 そして、仰向けになったその丸い腹を指でつついてみた。

「もしやこのぷにぷにの柔っこいお腹が、衝撃を吸収しているのか……?」

 この生物にゴレのパンチが効かないのは、先日里を襲った軟殻百足なんかくむかでなどと同じ原理なのだろうか。

 とすると、学名は“軟腹蜥蜴”(なんぱらとかげ)といったところか??

 驚嘆すべき能力ではあるのだが、こいつの場合は肝心の攻撃力が豆粒クラスしかないので、宝の持ち腐れ感が半端ではない。


「くあ! ぐあっ!」

 ぷに腹トカゲが鳴き始めた。どうやら俺から乱雑に腹をつつかれまくったことで、気持ちよい膝の上でのお昼寝から目覚めてしまったらしい。

 トカゲはひどくご機嫌ななめである。

 見れば土魔導によって、玄関の壁に土の粒子が集束しつつある。

 こいつ、また豆粒を発射するつもりだ。

「だああああっ! もうっ! お前はそれをやると、またゴレに殴られるだろうが! いい加減に学習しろ!」

 しかも屋外でならともかく、家の中でお前らが喧嘩をすると、部屋や家具に被害が出るだろうが!

 冗談ではないぞ。万一家が壊れた場合、最終的に大家のババアにしばかれて半殺しになるのは俺なのだ。

 俺は溜息まじりに、壁へと手をかざした。


 「……〈NTR〉(エヌティーアール)


 トカゲが頑張って生成した豆粒が、一瞬で禍々しい黒に染まった。

 憐れなトカゲはぶるぶると震えながら、俺の瞳を恐怖の表情で見つめている。

 そのくりくりの目には、大粒の涙が浮かんでいた。

 トカゲはそのまま腰を抜かして、こてんと床に転がってしまった。

「…………」

 またかよ。

 先ほどもそうだったが、俺は〈NTR〉を発動しただけで、トカゲに対してまだ何もやっていないというのに……。

 どんだけ〈NTR〉が怖いんだ。

「お前、そんなに〈NTR〉が怖いなら、最初から俺に豆粒飛ばしてくるのをやめろよ……」

 あまりにも知能が低すぎる。

 俺の口から、再び深い溜息が漏れた。


「よいしょっと」

 俺は、腰を抜かして弱っているトカゲを抱え上げた。

 トカゲは俺に大人しく抱っこされている。

「……ゴレ、すまないが、寝室から俺の肩掛け鞄を取ってきてくれないか」

 ゴレはすぐに寝室に引っ込み、黒い肩掛け鞄を持ってきてくれた。

 俺は鞄を受け取り、中から余り物の団子が入った包みを取り出した。そして、団子をひとつ、一口サイズにちぎってトカゲの鼻先にかかげてみた。

 トカゲは、くんくんと小さく匂いを嗅ぐような仕草をした。

 そして、もちゃもちゃと団子を食べ始めた。

 やはりだ。こいつは〈NTR〉を見るとショックで仮死状態となり、お菓子を見せると蘇生するらしい。


「あっ、こら。俺の指まで口に入れるんじゃない」

 俺はトカゲの口から指を引き抜きつつ、何気なく隣のゴレを見た。

 ゴレは俺の手から団子を食べるトカゲの姿を、なんだかひどく鬱屈した恨めしげな目で見つめている。

 このとき俺の視線に気付いたゴレが、まるでおねだりするみたいに、ひかえめに口を小さくぱくぱくさせた。

「…………?」

 相棒の不可解な動作に、首をかしげる俺。

 ゴレは紅玉色の瞳をうるませ、もごもごと遠慮がちに口を動かしている。

「? ……??」

 もしかして、ゴレも団子が欲しいのか?

 だが、ゴーレムは飯など食わないだろうに。


「くあ! くああ!」

 トカゲが団子の催促をして急に鳴き始めたので、俺の思考は中断された。

「おっと、すまない。手が止まっていたな」

 俺は団子をちぎりかけたまま止まっていた手を再び動かし、トカゲに優しく団子を食わせようとした。

 だが、ここで俺の動きはぴたりと止まった。

「……いや、冷静に考えてみるとおかしいよな、この状況は。何で俺がお前の親みたいな状態になっているんだ?」

「くあう、くあっ!」

 トカゲが鳴いている。

 早く団子をあーんしろ、という感じである。


 まったく、ほいほいと餌付けされやがって。

 お前には野生のプライドというものがないのか……。



------



 その後、何だかんだでトカゲに団子を食わせ終えた俺は、その小さな首根っこをつかみ、テテばあさんちの離れを出立した。

 野生動物であるこのトカゲを、里の外の森まで逃がしにいくためだ。

 色々とトラブルが起こったせいでここまで延期してしまったが、そもそもトカゲを自然界へリリースする事こそが、当初からの俺の行動目標である。


 トカゲをぶらさげ庭を歩く俺の斜め後ろを、ゴレがしずしずと歩いている。

 俺たちは屋敷の門扉を出て、里のゆるやかな坂道を下り始めた。


 昼下がりの坂道を、ゴレとふたりでちんたらと歩く。

「くあー!」

 俺の手にぷらんと下げられたトカゲが、上機嫌に鳴いている。

 最初は屋敷から出るのを嫌がってじたばたと抵抗していたのだが、こうして一旦敷地を出た後は、うってかわってご機嫌になった。

 どうやらこいつ、里の様子が珍しいみたいだ。

 単純なやつである。

 トカゲは小さな目をまん丸くしながら、立ち並ぶ家々や坂道の景色を、きょろきょろと一生けんめいに見回している。


「くえ……。くあ?」

 風になびく洗濯物を見て、トカゲが俺の方を振り向いた。

「……あのひらひらした物が気になるのか? あれは洗濯物だよ。洗った服を乾かしているんだ」

「くあっ! くあっ!」

 今度は石垣のそばで地面をつついている鶏を見て、トカゲが勝ち気な鳴き声を上げた。

「あれは鶏さ。喧嘩を売ったりするなよ? 彼らは生態系ピラミッド底辺のお前よりも、上位に位置する存在だからな」


 トカゲに里のあれこれを解説しながら坂を下りきり、数軒の店が立ち並ぶ区画を通りかかった。

 と、このとき、横手の雑貨屋の方から誰かに声をかけられた。

「おお、ネマキ坊。今日も男前じゃの」

「あらまぁ、ネマキちゃん。ゴレちゃんと一緒にお散歩かしら?」

 見覚えのある老齢の女性が二人、こちらへ向かって手を振っている。

「あ、どうも雑貨屋のおばあちゃん……と、あれ? ネルァさん?」

 一人はこの店のご店主だ。いつも買い物に行くと商品に採算度外視のおまけをつけてくれる、雑貨屋のおばあちゃんである。

 その隣にいるもう一人は、この里における俺の知り合い女性美形ランキング堂々の上位、元花餅屋娘(アイドル)の清楚系おばあちゃん、ネルァおばあさんだった。


 ご老人方は店先に折りたたみ式のテーブルと椅子を並べ、そこに座っている。

 テーブルの上には、鮮やかな赤と緑の刺繍入りの布が敷かれ、お茶やお菓子が置いてある。

 おばあさん二人で庭先のお茶会をしていたような雰囲気だ。

「なんだか少し意外な組み合わせですね。お二人って仲が良かったんですか?」

 雑貨屋のおばあちゃんとネルァおばあさんというのは、見ての通り、雰囲気も性格も全然違う。歳も一回りか二回りは離れていそうだし、俺にとっては、何となくつながりが想像しにくい二人組である。

 そんな俺の問いかけに対し、雑貨屋のおばあちゃんが答えた。

「うちの旦那とネルァとこの旦那はなぁ、同じ小隊に配属されとったんじゃよ」

 隣のネルァおばあさんが笑顔で頷いた。

「奥さんには、その頃から家族ぐるみでお世話になっているのよ。今日も一緒にお菓子を焼きに来たの」

「ああ、なるほど。そういうことでしたか……」

 この二人、亡くなった旦那さん同士が僚友だった縁で仲が良いのか。

 納得しつつ、そろそろ会話を切り上げて正門へ向かおうと思っていた俺に、雑貨屋のおばあちゃんが言った。

「ネマキ坊もババらと一緒に座って、お茶を一杯飲んでおいき」

「え? いや、俺は今から森に行くので……」

 俺にはトカゲを自然に帰すという、急ぎの任務がある。今は喉が渇いているわけでもないし、丁重に断りを入れようとした。

 二人のおばあさん達はそんな俺を見つめて、にこにこと微笑んでいる。

 向けられる素朴な善意の笑みは、ただ、ひたすらに優しい。


 …………。

 紳士として、レディのお誘いを断るわけにはいかんな。


「ありがとうございます、嬉しいなぁ。ちょうど喉が渇いていたんです」

 俺は笑顔で、用意された椅子に座った。

 ゴレは今回、俺の隣に座らないようだ。俺の斜め背後で、まるで護衛みたいにすまし顔をして立っている。

 なお、トカゲは紐を首にくくりつけて、そいつで椅子の脚に繋いでおいた。

 こうでもしておかないと、こいつは周囲をうろちょろして里の皆さんに迷惑をかけそうだからだ。

 鞄の中に紐を常備していて良かった。

 トカゲは俺の足元で、首に巻かれた紐をあぎあぎと噛んでいる。


 素敵な年上のレディ達とのお茶会が始まった。

 軒先に控えていた雑貨屋のおばあちゃんちのゴーレムが、テーブルの側までやって来て、客人の俺に給仕をしてくれた。

 ゴーレムが手に持つ保温用のケトルのような魔道具から、陶製のカップに琥珀色の液体が注がれていく。

 見慣れたこの色は、里の名産の豆茶だろう。

 ゴーレムは一滴もこぼすことなく、綺麗に豆茶を注ぎ終えた。

「へえ。彼、器用なものですね。農作業用ゴーレムなのに……」

 器用に家事をこなす農作業用ゴーレム君に関心しながら、カップに口を近づけた。

「おや? これ、香りが……」

 立ちのぼる香りは、豆茶のそれと若干違うようだ。

 口に含んでみると、甘い。

 その味は、蜜のようにまろやかだった。

「この豆茶、蜂蜜や桂皮(シナモン)を溶かし込んであるのよ」

「年寄りの茶じゃよ。これを飲むと長生きするでなぁ」

 同席する二人の説明に、俺は大きく頷いた。

「なるほど……。この飲み方も美味しいですね。普段飲んでいるものとは、まるで別の飲み物みたいです」


 俺が甘いお茶を飲んでいる間に、二人のおばあさん達が、テーブルの上のアップルパイみたいなお菓子を包んでくれた。

「ネマキ坊、腹が減っとるじゃろ。さっき焼いた梨のパイをやるから、どこかへ出かけるなら、土産に一枚もっておいき」

「今日のパイは自信作なのよ」

 相変わらず里のお年寄り達は皆さん等しく、俺が常時腹をすかせているものと思い込んでいる。俺は別に食いしん坊キャラでも栄養不良児でもないのだが、もちろん、ご厚意はありがたく受け取ることにした。

「わぁ、ありがとうございます。うれしいなぁ、ちょうど腹が減っていたんです」

 きつね色をした、実においしそうなパイ菓子だ。

「くあっ くあぁ!」

 俺が手に持つパイを見て、足元のトカゲが嬉しそうに鳴いている。

 いや、これはお前の餌ではないぞ。


「ところでネマキ坊、さっきからババはずっと気になっとるんじゃが……」

 雑貨屋のおばあちゃんが、パイを見上げて鳴きまくっているトカゲを指さした。

「ネマキ坊が連れとるその幼竜、“砂小竜”(サンドドレイク)じゃろ? 珍しいの」

「砂小竜……? こいつ、そんな名前の魔獣なんですか?」

 ドレイクなんて、御大層な名前だなぁ。

 ザコトカゲモンスターのくせに、完全に名前負けしているではないか。

「砂小竜は、騎竜としてそこそこ人気がある魔獣じゃからの。ババも何度か見たことがあるが……。こいつは角の形や、鳴き声がそっくりじゃよ」

 そう言っておばあちゃんは、トカゲをじっと見た。

「ただ、体の色は大分違うがのう……」

「色が?」

「砂小竜の体は、普通、白茶色(しらちゃいろ)をしとるもんじゃ」

「くあ!」

 ちび黒トカゲが元気に鳴いた。

「この黒い幼竜、ネマキ坊が捕まえたのかえ?」

「はい、まぁ……そんなところです。こいつ屋敷の中に迷い込んでいて、とりあえず邪魔なので捕獲したのですが」

 俺の答えに、雑貨屋のおばあちゃんは小首をかしげた。

「はて? そりゃ何とも妙なことじゃなぁ。砂小竜がシドルのお山に棲んどるなんて話、ババは今まで聞いたこともないがの」

 そう言いながら雑貨屋のおばあちゃんはテーブルの下を覗き込み、しわくちゃの指でトカゲの角の先をつんとつついた。

「おちびさん、あんたどこからきたんかね?」

「くあー」

 角を触った彼女に対して、トカゲは愛想よく鳴いている。

 どうやらこのトカゲ、彼女らが俺にパイ菓子をくれたことで、おばあさんは自分に餌をくれる存在だと認識してしまったようである。


 こいつ、ちょろすぎるぞ!

 たった一枚のパイで、あっさりとプライドを捨てて人間にしっぽを振ってしまうとは。

 なんて(こころざし)の低い動物なのだ。

 うちのゴレの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいだ。

 ゴレは賢くて気高く、忠義の塊みたいなやつだからな。物で釣られるどころか、しつこく物で釣ろうとした人間を不快げに殴り殺してしまう場面しか想像できない。


「…………はぁ」

 そこまで考えて、俺は静かに溜息を吐いた。

 ああ、もちろん分かっているさ。正直、ゴレもトカゲもどっちもどっちだ。

 両極端すぎる。

 もっとこう、世の中にはゴレとトカゲの中間くらいの、ちょうど良い性格をした生き物はいないのだろうか。


 ひとしきりトカゲをつついていた雑貨屋のおばあちゃんが、顔を上げた。

 そして、満面の笑みで俺に言った。

「なんにしても、王獣(おうじゅう)を捕まえるとは、さすがネマキ坊じゃなぁ」

「王獣? 何です、それ?」

 聞き慣れない単語に、俺はぽかんとした表情で問い返した。

「知らんかえ? 魔獣の中には、まれに鱗や毛の色が違うやつが生まれるんじゃ。そういう魔獣は大抵力が強くて、大きな群れの(かしら)や、山や湖の(ぬし)になったりする。じゃから昔から王獣と呼んで、普通の魔獣とは区別しとるのよ」

「へえ……」

「黒い砂小竜の赤ん坊。これは、まちがいなく王獣じゃ」

 色違いは特別なのか。

 足元で紐をかじっている黒いトカゲには、全然プレミア感がないが。

 というか、こんな知能の低いアホに主になられた群れは、えらい災難だ。リーダーの統率力がなさすぎて、一瞬にして学級崩壊するのではなかろうか。


「それでネマキちゃん、この子どうするの? やっぱりネマキちゃんの使い魔にするのかしら」

 話を聞いていたネルァおばあさんが、カップを口に運びつつ訊ねてきた。

「使い魔……」

 それって要するに、魔術師達が飼うペットみたいなもののことだよな。

 俺は何となく、足元のトカゲを見下ろした。

 トカゲは遊んでいた紐が尻尾にからまったみたいで、ちんまい手足をじたばたさせて転がりまわっている。


 ……冗談ではないぞ。

 こんな知能が低くて豆粒飛ばししか能のない、どや顔クソトカゲをペットにするなんて。

 俺の文化人としての高潔なイメージが毀損されてしまう。

 まっぴら御免、ノーサンキューである。

 それにこいつ、絶対ゴレと喧嘩になるだろうし。


「いえ。この砂小竜のことは、このまま森に……」

 逃がしにいこうと思っています。俺は、そう答えようとした。

 だがこのとき、飲み終えたカップをテーブルに置いたネルァおばあさんが、うっとりと口を開いた。

「腕の良いネマキちゃんが使い魔として育てれば、この子は将来さぞかし立派な騎竜に育つのでしょうねえ。黒い王獣にまたがる素敵なネマキちゃん、ぜひとも見てみたいわぁ」

「いや、あの……。ですから、トカゲは森に……」

 必死にトカゲを自然へ帰す決意を伝えようとする俺に、今度は雑貨屋のおばあちゃんが、横からにこにこと笑顔で口を挟んできた。

「ネマキ坊。王獣は育ててもええし、売ってもええ金になるよ」

 その言葉に、ネルァおばあさんが小さく手を叩いた。

「あら、そういえばそうね。すっかり忘れていたわ。たしか王獣って、ものすごく高値で取り引きされるのよねえ。売ってたくさんのお金を得るというのも、若い男の子のネマキちゃんにはきっと捨てがたい誘惑よね」

 この瞬間、俺の肩がぴくりと動いた。


「えっ、クソトカゲが、高く売り飛ばせる……?」


「ぐあっ! ぐあっ!」

 足元でトカゲがやかましく鳴いている。

 何となく、不満げな声である。

 


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