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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
幕間 禁断のポニーテール
103/107

第100話 ポニーテールとうなぎ


 

 大きな土鍋のふたが、ゆっくりと開けられた。

 おまちかねのランチメニュー、沢八目さわやつめの葡萄酒煮込みだ。

 立ちのぼる湯気と共に、食卓一面にかぐわしい香りが満ちる。


「へえ、これが沢八目か……。予想より随分とでかいな」

 土鍋の中で香草や野菜と一緒に煮込まれた、(うなぎ)のような長い魚。たしかに形はヤツメウナギに似ているようだけれど、こいつは元の世界のそれよりサイズがはるかに大きい。

 ウナギというより、むしろ大型のウツボみたいな堂々たる風格がある。

 この一匹だけで、一家族分の主菜には十分すぎる量だ。


 鍋の中の不思議な魚をしげしげと眺める俺に、食卓の向かいに座るテテばあさんが言った。

「これでもまだ三分の一程度の量だよ。残りの身は切り分けて食料保存庫に入れてあるから、そのうち雑炊にでもして食べようかね」

「え、これで一匹丸ごとじゃないのか? どんだけでかいんだよ、沢八目……」


 現在土鍋を囲んでいる昼食のメンバーは、俺とポニーテールのゴレと、テテばあさんとアセトゥ。そしてお客人のジャンビラだ。

 あと、強面(こわもて)ゴーレムのデバスが、有能な給仕として側に立っている。

 アセトゥとデバスが突然登場したように見えるが、実際はそうではない。

 真面目な彼らはずっと台所にいて、テテばあさんの炊事の手伝いをしていたのである。

 昼近くまで玄関で寝ていた俺などとは違うのだ。


 このとき、鍋の中の大きな魚の身を覗き込みつつ、ジャンビラがのんびりと口を開いた。

「なぁネマキ、知ってるか。この沢八目って魚は、丸い口で獲物にかじりついて血を吸うそうなんだがよォ。なにせこの大きさだろ? 川を渡る馬が川底の沢八目に吸い付かれて、貧血でぶっ倒れたりするらしいぜ」

「マジかよ。こわいな、沢八目……」

 びびる俺に対して、テテばあさんがさらに説明を追加した。

「こいつには馬どころか、たまに人間もやられちまったりするからね。ネマキ、あんたなんて特にぼさっとしてるから、もしも沢八目の生息域の川べりを通るときには注意しなよ」

「な、何だそれ。こわすぎだろ、沢八目……」


 テテばあさんとジャンビラのお魚解説にびびりまくる俺。

 俺の脳内の沢八目のイメージが、どんどんおそるべきモンスターフィッシュへと変貌しつつある。

 恐怖に震える俺の隣の席では、ゴレが小皿に取り分けた沢八目を、いそいそと一口サイズに切り分けている。

 その姿は、もはや完全に赤ちゃんの食事の世話をするお母さんのそれである。


 綺麗に切り分けられた沢八目の身を、一切れ食べてみた。

 口に含んだ瞬間、ふわっと香草とワインの爽やかな匂いが鼻に抜けていく。

 うん。これ、かなりいける。

 肉質がもっちりしているせいで、魚と肉の中間みたいな、とても不思議な食感だ。中までぐっと噛んでみると、たまに弾力のある軟骨みたいな歯応えがある。

 この妙に舌に残る独特の感じが、何だか癖になりそうだ。


 ぱくぱくと上機嫌で沢八目を食べる俺。

 なお、つい先ほどまで恐怖のモンスターフィッシュの幻影に怯えていた記憶は、すっかり忘れ去られている。

「美味いな、この魚」

「だろ? たまんねえよなァ、この何ともいえねえ食感が」

「これって、高級魚なのか?」

「んー、どうだろな。単純な高級魚っつうよりは、田舎の珍味に近いかもしんねえ。精がつくってんで、病人に食わせたりもするぜ」

「ふうん……。なぁ、ばあさん。たしか残りの身は雑炊にするんだよな? 今晩はその雑炊とやらにしよう」

「なんだいそりゃ、今食ってる最中なのにもう次の催促かい? まったく、気が早すぎるよあんたは」


 三人で騒々しく喋りながら鍋をつついていた俺は、ふと同席しているアセトゥ少年の方を見た。

 小麦肌の純朴少年は、昼食の開始前から一言も喋っていない。

 食事の手も滞りがちだ。

 その顔は、ポニーテールになったゴレの後ろ髪をぽかんと見つめている。


 多分、これが普通の反応なのだ。

 やはりゴレの髪型が突然変わったのは、ゴーレム使いの常識から大きく外れた事なのだろう。

 屋敷にいる皆に露見してしまった事はもはや仕方がないが、テテばあさんの言う通り、外でゴレの結い紐は外すべきだと改めて思った。


 その、問題のポニーテールのゴレなのだが……。

 アセトゥの視線に気づいて以来、まるでアセトゥに結い紐を見せびらかすように、ふりふりとポニーテールをふりまくっている。

 ふりふり、ふりふりと。まるで振り子である。

 振りすぎだ。

 ゴレにしては、珍しく食事中にお行儀が悪い。

 えらく挑発的な深紅の視線が、時折勝ち誇ったみたいに、アセトゥの方へちらちらと投げられている。

 一体何をやっているんだ、こいつは……。 



------



 昼食後、ジャンビラは里の復興作業に出かけていった。

 戦闘で破壊された建物や防壁の修復が、今日の午後から本格的に開始されるそうなのだ。


 昨夜の宴会の際に聞いたのだが、里には大量のゴーレム達がいるおかげで、家屋の修復自体はわりとすぐに終わる見込みらしい。

 元々、破壊された軒数自体はそうやたらと多い訳でもないしな。

 家が全壊した人達は、しばらくのあいだ他の人の家で寝泊まりすることになる。けれど、この里はどの屋敷も無駄にでかいし部屋数が多いので、泊まる場所には不自由しないようだ。

 それに皆さん、そんなに落ち込んではいない様子だった。

 建て直しのついでに自宅を二階建てにするのだと、笑っている人もいた。

 基本的にここの人達って、家は壊れても建て直せばいい、という考え方なんだよな。この辺りの独特なノリの軽さは、俺が元いた世界との微妙な価値観の違いから来ているようにも見受けられる。

 土地など不動産の所有概念がゆるめなのとも関係があるのかなぁ……?

 ともあれ、実に前向きで素敵な思考だとは思う。


 むしろ時間がかかりそうなのは、里を取り囲む防壁の工事の方だ。

 例の頑強な柵みたいな防壁は敵に突破こそされなかったものの、一部蟲の突撃によって破損した箇所が出ている。

 こいつを修理するついでに、改修して強化するという話が出ているのだ。

 何でも新しい柵は、軟殻百足(なんかくむかで)みたいに地中から侵入する蟲の対策ができるよう、地下深くまで伸びたタイプの物になるらしい。

 昨夜の宴会ではおっさん達が酒を飲みながら、どう柵をパワーアップさせるかで大いに盛り上がっていた。

 どんどん要塞みたいになっていくな、この里は。

 正直あんな化け物がまた襲ってくるとも思えないのだが……。



「……俺にも、何か手伝えないかなぁ。荷運びとか、壁塗りとか」

 離れ家へ向かって庭を歩きながら、俺は小さく呟いた。

 斜め後ろを、ゴレが静かに歩いている。


 今日は、午後の予定は特にない。

 昨日大変な戦いをしたから、ゆっくり休んでいいという事なのだろうか。テテばあさんからも用事を言いつけられたりはしなかった。

 勉強や文字の練習も、今日は珍しくやれと言われていない。


「ジャンビラあたりに頼めば、何か適当に良さげな仕事を割り振ってくれるかもしれないし……。ゴレ、俺達もちょっと作業現場に顔を出してみようか?」

 そう声をかけると、ゴレがポニーテールをふりふりと揺らした。

 相変わらずテンション高めだな、相棒。

 やる気があって大変よろしい。

「……っと。でも出かける前に、そのポニーテールは解いておこうか。屋敷の外で人に見られるとまずいからね」

 余談だが、“ポニーテール”という単語は、普通に翻訳を通るようだ。

 まぁ、考えてみれば、この世界では男女問わずやっている人の多いシンプルな髪型だし、これは当然と言えば当然かもしれない。


 俺はゴレの結い紐をはずそうと、その後ろ髪に手を伸ばした。

 するっと滑らかに、ゴレが体幹を移動した。

 結い紐を掴もうとしていた俺の手が、虚しく空を切る。


「…………」

 もう一度手を伸ばした。

 するりと手は空気をつかむ。


「ゴレ、ちょっとだけじっとしていような」

 手を伸ばす。

 するり。


「……ゴレ、まて(ステイ)

 するり。


 だ、駄目だ。

 こいつ、回避していやがる。

 昼食前に一度結い紐を外そうとして身を(かわ)されたときには、もしかすると偶然かもしれないと思った。

 たまたまゴレが顔を動かしただけかもしれないと。

 あのときは急いで結い紐を外す必要もなかったし、タイミング的に食事の直前だったこともあり、つい確認を後回しにしてしまった。

 だが、ここに至ってはもはや疑いようもない。

 ゴレのやつ、明らかに回避している。

 これは実に良くない状況だ。彼女に本気で避けに入られると、俺などでは一生かかっても紐をはずせない。


「……奥の手だ。悪く思うな」

 俺は左手でゴレの肩を軽くつかんだ。

 そのまま彼女をぐいと抱き寄せ、その身体を固定する。

 少々強引だが仕方がない。

 結局のところ、抱きしめて抑え込んでしまえば、ゴレは俺に抵抗出来ないのだ。これが一番手っ取り早い。

 伸ばした右手は、あっさりとゴレの滑らかなポニーテールに届いた。

 小さな花の飾りがついた赤い紐に、指先が軽く触れる。

「さてと、あとはこれを外してやれば――」

 だが、そこで俺の動きは止まった。

 

 ゴレの長い耳がしゅんと下がり、瞳が青色に染まり始めている。


「なっ……!?」

 お前、泣くほどか?

 泣くほど嫌なのか?

 そんなに外したくないのか、この紐を?


 知っての通り、ゴレは自分の涙を俺との駆け引きに使うような性格をしていない。

 むしろ俺がひどく狼狽するのを知っているから、いつも必死で泣くのを我慢する、非常にいじらしい性格のやつだ。

 そのゴレが、思わず泣き出しそうになっている。


 心の底から、本気で外したくないのだ。

 きっとこいつは、ポニーテール姿で俺と一緒に屋敷の外をお散歩して、里の皆に結い紐を見せたいのだ。

 アセトゥやテテばあさんやジャンビラの前で、うれしそうにそうしていたように。

 

 だが、待ってくれ相棒。

 いくら俺がお前に対して甘いと言っても、流石にそれは許可出来ないぞ。

 いや、しかし、だが……。

 今のゴレから無理矢理紐を奪う事など、俺には……。

 俺には……。

 ぐ、ぐおお……。


「……れ、冷静に考えてみると、素人が作業現場に行っても邪魔になるだけだな。今日は家の中で大人しく、文字の練習でもしようっと」


 俺は苦悩の果てに外出をあきらめ、家に引きこもる決意をした。

 そう、問題の完全なる先送りである。



------



 一歩も屋敷の敷地から出ないまま、夜が訪れてしまった。


「そろそろ寝るか……」

 ベッドに寝転んでいた俺は、読みかけの本をぱたりと閉じた。

 部屋の明かりを落とすため、枕元の照明魔道具に明度調整用の薄布を被せる。

 寝室全体が、ぼんやりとした柔らかな闇に包まれた。

 豆電球程度の明るさだ。

 この薄明りも、放っておけば数時間で消える。


 そういえばゴレのやつ、寝るときはポニーテールをどうするのだろう?

 気になった俺は、彼女の様子をそっとうかがった。

 先ほどまで隣で本を読んでいたゴレは、すでにおりこうにベッドを降りている。

 俺が毛布で作ったふかふかのゴレ専用ベッドに移動した彼女は、ごそごそと黒い肩掛け鞄を手元に引き寄せた。

 続いて後ろ髪を解き、結い紐を外した。

 そして、しばらく結い紐をじっと眺めた後、大事そうに鞄の中へしまい込んだ。


 俺の黒い肩掛け鞄は、ゴレにも自由に使用させている。何せこいつは時属性の魔道具だから、ふたりで使っても十分すぎる容量の余裕がある。

 俺とゴレの共有貴重品入れ、といったところだろうか。

 とはいうものの、ゴレの私物はほとんどないも同然なのだが。

 鞄の中でゴレの物といえそうなのは、そうだな……。柔らかな上等の拭き布が数枚と、あとは裁縫セットくらいだろうか。

 そこへ今日新たに、この赤い結い紐が増えたことになる。


 ともあれ、ゴレのやつ、意外とあっさりポニーテールをやめてくれたようだ。

 俺はほっと小さく溜息を吐いた。

 正直助かった。あのまま結い紐を着けっぱなしにされると、完全にお手上げになっていたところだ。

 安心した俺は目を閉じ、静かな眠りについた。



 朝が訪れた。

 爽やかな朝日の中、薄目をあける。

 間近に迫る深紅の瞳が、うっとりと俺を見つめている。

 うおっ、顔近っ!?

 あ、何だゴレか……。


「やぁ、おはようゴレ。お前は今日も元気だな……」

 いつものように、身体の上にのしかかっている相棒に挨拶をする。もはや毎朝の恒例行事である。

 ちらりと視界の端でゴレの後ろ髪を確認した。

 いつも通りの、下ろした自然なさらさらストレートヘアだ。

 ポニーテールではない。

 よかった。危険なポニーテールタイムは終了だ。

 俺は安堵の笑みを浮かべた。


 だがこの直後、ゴレは朝の挨拶もそこそこに、そそくさとベッドを降り始めた。

 珍しい行動だ。

 いつもなら俺がゴレを押しのけてベッドから起き上がるまで、この朝の見つめ合いの儀式は終わらないはずなのに。

 何だか嫌な予感がする。

 固唾を飲んで様子を見守る俺の横で、ゴレは枕元に置いてあった肩掛け鞄を手元に引き寄せた。

「ま、まさか……」

 嫌な予感は的中した。

 ゴレは鞄の中から、大事そうに赤い結い紐を取り出した。

 手の平にそれを乗せ、幸せそうに眺めるゴレ。

 一分間ほどじっと紐のフォルムを堪能した彼女は、急にいそいそと両手で後ろ髪をかき上げ始めた。

 赤く可愛らしい結い紐によって、あっというまに白い後ろ髪が美しい束になっていく。


 ――ポニーテールタイム、続行である。



------



 それから数度、夕日が沈み、朝日が昇ることを繰り返し。

 今日も平和な昼下がりがやってきた。


「く、くそ……。一体どうしてこんな事に……」


 テテばあさんの屋敷にある広い廊下の隅で、俺は一人頭を抱え呻いている。

 廊下からのぞく台所では、楽しそうに料理をするゴレの背中が見える。

 今作っているのは、匂いからして野菜の煮物か何かだろうか。

 調理台の前に立つ彼女が上機嫌に身体を小さく揺らすたび、その白くなめらかな後ろ髪の束が、さわさわと可愛らしく揺れ動いていた。


 ゴレがポニーテールになったまま、とうとう一週間が経ってしまった。


 あれから色々な方法を試したが、結局ゴレから結い紐を取り上げることは出来ていない。

 ゴレのやつ、紐に対する執着心が尋常ではないのだ。

 まるで命より大切な世界一の秘宝みたいに二十四時間全力でガードしているから、こっそり取り上げる隙などとてもない。

 何度かゴレに言葉での説得も試みたが、これも徒労に終わった。

 別にゴレが話を聞いてくれないわけではない。

 うちの相棒は俺の言葉はきちんと聞いてくれる。だから、結い紐を外さないとないといけない理由を説明すると、話を真剣に聞いて、一瞬納得したような表情をする。

 だが、いざ紐を取り上げようとすると、彼女の瞳はみるみる青色に染まり始めてしまうのだ。


 要するに、だ。

 ゴレは頭で納得しても、心が全然納得していないのだ。

 ゴレは感情の生き物だ。


 俺、事情を説明する。

 ゴレ、納得する。

 俺、その様子に安心して紐を取り上げようとする。

 ゴレ、我慢できず思わず泣きそうになる。

 俺、固まる。

 延々とこれの繰り返しである。


 加えてもうひとつ、大きな問題が存在する。今回はいつもと違って、ゴレが珍しく誰にも迷惑をかけていないという点だ。

 そのせいで、俺も強く出られない。

 そうなんだよ。ゴレは今回、誰にも殺気をふりまいていないし、誰にも襲いかかっていないんだ。非常に珍しい事に。


 ゴレはただ、俺に結い紐を買ってもらって。

 ポニーテールになって。ほめられて。

 ただただ、うれしそうにしているだけ。

 そんな罪のない相棒から、無慈悲にその幸せを奪い取れだと?


 む、無理だ。

 このミッション、俺には難易度が高すぎる。


 くっそおおおおお!

 いっそこの俺が、泣きじゃくるゴレから無理矢理紐を毟り取れる程度の、ほどよくマイルドに鬼畜で下衆な精神の持ち主だったら、ここまで事態はこじれていないだろうに!


 この一週間、俺は一歩も屋敷の外へ出ていない。

 敷地から出ようとすると、ポニーテールのゴレまで、ひな鳥みたいにひょこひょこと、うれしそうに後ろを付いてきてしまうから……。

 今の俺は、もはや完全なる引きこもりだ。

 一週間ずっと家の中に閉じこもっていたせいで、勉強が超はかどりまくり、下手くそだった文字はかなり上達した。

 その点はゴレに感謝である。

 サンキュー、相棒。


「だが、流石にいつまでもこのままってわけにはいかんよな。毎日テテばあさんの視線が痛いし……」


 俺は一人台所を離れ、長い廊下を歩き始めた。

 とにかく、今のままのやり方では駄目だ。何か新しい打開策を考えねば。

 

 うつむき思案しつつ、茶色い木目の美しい廊下を歩く。

 ちょうど曲がり角にさしかかった辺りで、そこに立っていた誰かとぶつかりそうになった。

「おっと」

 慌てて立ち止まり、顔を上げる。

 目の前には、小麦肌の華奢な少年が立っていた。アセトゥだ。


「ごめんアセトゥ、ちょっと考えごとで余所見をしていた」

 軽く謝罪する俺の顔を、少年のエメラルド色の瞳がじっと見上げてくる。

「……兄ちゃんの考えごとって、やっぱりゴレタルゥの結い紐のこと?」

「ん? ああ、その通りだ。あれ、いい加減外さないとまずいからな。ゴレを上手く納得させてやる方法がないかと思って、ずっと考えているんだけど」

「何か良い案は浮かんだの?」

「情けないことに、まったく何も思いつかない……」

 力なく肩を落とす俺に、アセトゥが薄い笑みを浮かべた。

 お得意の、近所の小学生を見守る優しいお姉さんの顔である。

「ふふ。そんなことだろうと思った」

「いやいや、笑いごとじゃないぞ。こっちは真剣なんだが……。参ったなぁ、これじゃ脱引きこもりが出来るのは、一体いつになることやらだよ」


 このとき唐突に、アセトゥが俺の腕を掴み、ぐいっと廊下の隅に引き寄せた。

 手洗いの前の、少し入り込んだ狭い空間だ。

 このスペースは人が一人通れる程度の広さしかないので、こうして二人で入ると少し窮屈だ。

「急にどうしたんだ、アセトゥ」

「ちょっと、二人でひみつの相談をしようとおもって」

 薄い暗がりの中、アセトゥの緑色の目が強い光を帯びている。

 先日の戦いで主人公として覚醒して以降、アセトゥは時折こんな風に、何だか妙に策士めいた雰囲気を出すようになった。

 この年頃の子の成長は早いな。お兄さんは少しさみしい。

「……ゴレタルゥの結い紐を上手く外す方法、オレに心当たりがあるんだ」

「何?」

「ほんとはね。ゴレタルゥの我が侭なんて、放っておこうとおもってた。でも、ネマキ兄ちゃんが毎日悩んでる顔、辛くて見ていられなくなっちゃったから……。今回だけ、助け船を出してあげようかとおもって」

「ほ、本当か。頼む、何か手があるなら是非教えてくれっ!」

 必死な俺は、すがりつくようにアセトゥの両手を握った。

 すると少年は何やら顔を赤らめ、数度目を瞬いた。

 そして小さく咳払いをしてから、頷いた。

「……要は、兄ちゃんの意思をストレートに伝えればいいんだよ」

「ストレートに、か? 一応これまでにも、わりとストレートにゴレを説得してきたような気がするんだが、あれじゃ駄目なのか」

「ゴーレムにはね、指示を明確に、簡潔に伝えることが大切なんだ」

「明確に、簡潔に……」

 そういや召喚直後に盆地で初めて作った使い捨てのゴーレム達も、簡潔な命令じゃないと動いてくれなかったな。

 やはりゴーレムとの意思疎通も、基本は犬と同じでシンプルである必要があるのだろうか。


 とはいえ、いま一つ要領を得ない説明である。具体的には、一体何をどうすればいいのだろう?

 首をかしげる俺に対し、アセトゥが言葉を続けた。

「ネマキ兄ちゃんがゴレタルゥに伝えたい要件は、つまり何?」

「つまり、えっと……。ポニーテールを周りの人達に見られないように、少なくとも人目につく危険のある場所では、結い紐をはずしておいて欲しいって事かな」

「それだと長いね。前半だけでいいよ」

「前半というと、ポニーテールを周りの皆に見られないように、って部分か?」

「うん、そこ。あとね、少し言い方を変えてみようか」

「言い方??」

「要は、ポニーテールを誰にも見られたくないってことでしょう」

「まぁ、端的に言えばそうなるかな」

「繰り返しになるけどね、ネマキ兄ちゃん。ゴーレムに対する音声での指示出しは、明確に、簡潔にしなくちゃならないんだ。誤指示のおそれもあるし、ゴーレムは人間じゃないんだからね。指示は明確に、簡潔に。復唱してみて?」

「指示は明確に、簡潔に……」

 アセトゥが、鋭く口を挟んだ。

「ゴーレムは人間じゃないから、が抜けてるね?」

「ご、ゴーレムは人間じゃないから、指示は明確に、簡潔に……」

「はい、よくできました」

 アセトゥの細い指が、撫でるように俺の頬に触れた。

「つまりね、ゴレタルゥには、こう言えば伝わるのさ――」

 桜色の唇が、ふっと鼻先をすり抜ける。

 密やかな耳打ちの吐息が、甘ったるく耳朶(みみたぶ)をくすぐった。



 聡明な専門家のアセトゥから心強い助言を受けた俺は、ゴレのいる台所へ向かって、長い廊下を駆け出した。

 やるぞ。やってやる。

 なんだか途中から妙な洗脳を受けている気分だったが、とにかく、アセトゥの言う通りにすれば、この長く苦しいポニーテール戦争を終わりに導くことが出来る可能性は高い。

 十メートルほど廊下を走りかけたところで、俺は気が()きすぎてアセトゥに礼を言い忘れていた事を思い出した。慌てて後ろを振り返る。

「アドバイスありがとう、アセトゥ。恩に着るよ!」

 廊下の曲がり角の手前で、アセトゥが小さく手を振った。

「えへへ、オレも兄ちゃんの役に立ててうれしいよ。だけど――……」


 ――だけど、この件はひとつ、貸し(・・)だからね。と、アセトゥの薄い笑みの形の口元が、廊下の窓から差し込む逆光の中でゆらりと動いた。


「ああ、もちろんさ! 借りは必ず返す。もしこれでうまくゴレを説得できたら、俺もお返しにお前の頼みを何かひとつ聞いてやるよ」

 俺は笑顔で宣誓し、廊下の奥の台所へ再び駆け出した。

 ま、素朴で優しいアセトゥのことだから、きっとお願いといっても、団子が欲しいとかせいぜいその辺りだ。


 そんなことより、今はゴレだ。

 待っていろ、相棒!

 お前にかかったポニーテールの呪縛は、この俺が絶対に解いてみせる!



------



「ゴレ、話を聞いてくれ!」


 俺は全力ダッシュで、台所へ駆け込んだ。

 背中を見せて鍋に向かっていたゴレが、俺の声に反応して後ろを振り向いた。その顔の動きに合わせ、ポニーテールが大きくなびくのが見えた。


「そのポニーテ……るおっ!?」


 ダッシュで勢いをつけすぎていた俺は、台所の入り口に積んであった野菜の入った(かご)に足を引っかけてしまった。

「どおおおっ!?」

 そのままつんのめって、前のめりに転倒する。

 俺の蹴りによって弾き飛ばされた人参みたいな野菜やら、芋みたいな野菜やらが、次々と派手に宙を舞っていく。

 あっという間に大事故である。

 床に頭から突っ込みかけていた俺の身体だが、直前でふわりと停止した。


「あ、すまんゴレ……」


 気付けばゴレが、俺の身体を優しく受け止めていた。

 こいつ、いつの間に俺の隣へ移動して来たのだろう。何も見えなかった。まるっきり瞬間移動だ。

 彼女は左手で器用に俺の身体を支えながら、右手で俺の頭に乗っかった野菜くずを取り除いている。

 移動の余波で派手に踊っていたポニーテールが、すっと元通りに垂れ下がった。


 先ほどまでの全力疾走で、俺の呼吸はまだ荒々しい。

 まったく、テテばあさんの屋敷の廊下は無駄に長すぎるのだ。

 だが、今そんな事はどうでもいい。俺は息を整えることもせず、ゴレの肩を力強くがっしりと掴んだ。

「はあ、はあ……。ゴレ、大切な話があるんだ」

 荒い呼吸で血走った目の俺に急に肩を掴まれたゴレが、驚いて目をぱちくりさせている。

 そういえば、こいつがこんな風に俺の前で(まばた)きを見せるようになったのは、一体いつからだったろうか。

 最初の頃は瞬きなんて、していなかったような気がするのだが。


 綺麗な二重の(まぶた)に、整った長いまつ毛。

 それら美しい額縁に彩られ優しげな光を湛える深紅の瞳を、俺は真正面からしっかりと見据えた。

 そして、祈りと共にその言葉を紡いだ。

「ゴレ、俺は――……」



「――俺は、お前のポニーテールを、独り占めにしたい」



 一瞬の時間停止。

 直後に、ゴレの薔薇のような瞳が大きく見開かれる。

 彼女がつまみかけていた人参の葉っぱが、ぽとりと音を立て床に落ちた。


「…………? おい、ゴレ」

 何だか、ゴレの様子がおかしい。

 彼女の瞳孔は開きっぱなしで、身体もまったく動く気配がない。

 なぜだ、アセトゥの助言通りに意思を伝えたのに。

「おい。大丈夫か、しっかりしてくれ」

 呆けたまま固まっているゴレの肩を揺すろうとしたとき、台所にごぼごぼと水の煮えたぎるような大きな音が響いた。

 見れば、火がかけっぱなしになった鍋が噴きこぼれ始めている。


「まずい」

 俺は急いで鍋に駆け寄り、火を消そうとした。

 このとき、走りかけた膝がかくんと落ちた。

 ゴレが俺の袖を掴んで引き寄せ、抱きついてきたのだ。

 袖を掴む力がわりと強い。ゴレはひどく興奮している。

「は? おいゴレ、何をやってる。ちょっと待て、鍋の火が……!」

 声をかけてみたが、俺を見つめる彼女の瞳はとろんと潤み、微妙に焦点が合っていない。何だかまるで、起きたまま夢をみているかのような目だ。

 いかん。これ多分、俺の声が届いてない。

 ゴレのやつ、完全に我を忘れている。


「おい、ゴレ! 鍋、鍋! 火!」

 ゴレに抱きつかれてもがきながら、必死に調理台へ向かおうとする俺。

 俺に懸命にすがりつき、無自覚の進路妨害をくり返すゴレ。

 彼女の力は俺を傷つけない程度の優しめのもので、別にそう強くはない。単純なパワーという意味でなら十分に振り払える。しかし、振り払っても振り払っても瞬時に抱きついてくるので、まったくもってキリがない。興奮したゴレの寝技からは、事実上脱出は困難だ。

 我らコンビ間の内紛はヒートアップし、また、同時に鍋もどんどんヒートアップして、噴きこぼれまくっている。

「おい、鍋やばいって! っていうか、お前が作った料理だろうが!」


 床一面に散乱する野菜。激しく振動しながら煙を噴く鍋。椅子や机を押しのけ、命がけの格闘をする俺とゴレ。もう、台所は目を覆わんばかりの大惨事だ。

 一体何だこれは。どうしてこうなった。

 俺は声を振り絞り、涙目になって叫んだ。


「だ、誰か、誰か助けてくれえええっ!」



------



 その後の顛末を語っておこうと思う。

 悲鳴を聞いて駆けつけたテテばあさんとアセトゥの手により、火災は未然に防がれた。

 俺は台所を荒らした罰として、テテばあさんに尻を叩かれた。

 もはや様式美である。

 ちなみに、尻を叩かれたのは俺だけだ。

 だが、俺が尻を叩かれると、共犯のゴレも、俺の身を案じすぎるあまり勝手に精神ダメージを受ける。実によくできたおしおきシステムだと思う。

 それから俺はゴレと一緒に、夕方までふたりで仲良く罰掃除をした。

 ゴーレムの里の平和な一日は、こうしてゆったりと暮れていった。



 ……なお、これは余談であるが。

 この台所での一件以降、ゴレは人前に出るときには、うれしそうに自分からポニーテールを解くようになった。

 



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