第99話 豆茶とスリーパーホールド
「ただいまー」
俺はポニーテールのゴレと共に、仲良くテテばあさんちへ帰宅した。
雰囲気的にどこか懐かしい日本家屋のような趣きもある、広い屋敷の玄関へと足を踏み入れる。
明るい日の差し込む空間は、若干散らかってはいるものの、実に静かなものだった。
出かける前に床に転がっていた二日酔いの男達や、ぶっ壊されてダウンしていた短槍ゴーレム達の姿も見当たらない。
俺とゴレはそのまま玄関を通り抜け、広い居間へと入った。
「ばあさーん、腹がへったよ。飯は?」
帰宅と同時に流れるように自然にばあさんに飯をたかるこの言動、まさしくヒモの鏡といえるだろう。
ともあれ、今朝は寝過ごしたせいで朝食を抜いている。腹が空いていた。
「……おや。何だか美味そうな匂いがするが」
台所の方から、魚介や香草の良い香りが漂ってきている。
俺は匂いにつられて、ふらふらと奥の台所へ歩き出そうとした。
そのとき、横手から声をかけられた。
「よォ、おかえりネマキ。昼飯にはもうちょい時間がかかるらしいぜ」
振り返ると、床板に敷かれた毛皮の絨毯の上に、赤髪の大男が座っている。
ジャンビラだ。
出かける前には二日酔いで苦しんでい彼たが、今はその声も明るく、顔色も随分と良くなっているように見えた。
「お前、もう二日酔いは治ったのか?」
「おう。実はさっき、テテばあさんに酔い覚ましをかけてもらったんだよ。おかげでほれ、この通り絶好調だぜ」
笑顔でそう言ったジャンビラは、唐突にフロント・ダブル・バイセップスの姿勢を取り始めた。
鍛え抜かれた上腕二頭筋が見事に強調されている。
「そのポーズの意図はいまひとつ分からないが……。なるほど、解毒魔術か。その手があったな」
考えてみればこの世界には、魔術による便利な二日酔い対策があるのだった。
まぁ、便利とはいっても、癖の強いこの世界の魔術のことだ。医療知識がないと使いこなせないし、およそ万能とは程遠いが。
俺は肉体美を見せつけてくるジャンビラを「大丈夫、もう分かったから」と手で制しつつ、ふかふかの牛の毛皮の絨毯に腰を下ろした。
その隣には、ゴレがしんなりと足を崩しておしとやかに座った。
見たところ、この居間には俺とゴレとジャンビラの三人しかいないようだ。
「なぁ、ルドウ・ピュウルスはどうした? 今朝一緒に玄関で寝ていたはずなのに、姿が見えないが。便所にでも行ってるのか」
「野郎ならさっき、魔術師協会の連中が泊まってる宿の方へ出かけて行ったよ。何でも、協会の治癒魔術師に酔い覚ましをかけてもらうんだと」
「ふうん、協会からも治癒魔術師が来ていたのか……ん?」
言いかけて、俺は首を捻った。
「……あいつ、何でわざわざそんなところへ治療に行ったんだ? 解毒魔術なら、うちでテテばあさんにかけてもらえばいいじゃないか」
「いや、それがよォ。今回魔術師協会からの救援で派遣されてる治癒魔術師が、美人の若い姉ちゃんらしいんだわ」
「はあ? なんだそりゃ……」
ピュウルスのやつ、綺麗なお姉さんに治療してもらうためだけに、わざわざ二日酔いの身体を引きずって出て行ったってのか? あいつ昨日の夜、まったく同じようなノリで里の女の子の尻を触って張り倒されたばかりだぞ。あれでまだ懲りていないのか。
あまりに節操のないピュウルスの行動に、俺は思わずあきれ返った。
しかし、直後に考え直した。
「まてよ、だがたしかに……。うちの鬼ババアに治療されるよりも、優しいお姉さんに治療してもらった方が、気分的に回復効果が上がりそうな気がする」
「ぶっ! あっはは、そいつはちげえねえわ! 昔っから、病と薬は気の持ちようって言うしな」
「そう考えると、ピュウルスの行動にも一定の合理性があるな」
そんな風に非常に頭の悪い会話を繰り広げる野郎二名の隣では、ゴレが風炉を使って静かに茶を沸かしている。
風炉にかけられた茶釜から、小さく湯気が漏れ始めていた。
こういったお茶の道具も、やはり元の世界では見たことのないデザインだ。
道具を使って丁寧に茶を淹れ終えた彼女は、俺がやけどをしないように程よい温度まで冷ました。そして、それをそっと目の前に置いてくれた。
「すまない。ありがとうゴレ」
礼を言って湯呑みを受け取る。
豆の葉から淹れるこの里のお茶は、香ばしく優しい味わいだ。
ゆっくりと温かい豆茶を味わう俺の横顔を、ゴレが耳を微かに動かしながら、優しい瞳で見つめている。
俺達ふたりの様子を見ていたジャンビラが、のんびりと口を開いた。
「なんつうかよ。ゴレタルゥはもうこれ完全に、ネマキの嫁さんだよなァ」
……は?
この筋肉、突然何を言い出すかと思えば……。
まったく、馬鹿な事である。立派なゴーレムであるゴレが、人間の俺のお嫁さんになどなりたいと思うわけがないだろうが。
というか、俺自身もいくら異世界女性にモテなさすぎるからといって、別に相棒のゴーレムと結婚したいと願う特殊な性癖とかはない。
ゴーレムと人との間を繋いでいるのは、どう見てももっとこう、友情とか信頼関係的な、美しい感じのあれだ。それこそ、相棒同士の犬と人間みたいな。
俺は自信に満ちた笑顔で、隣に座る相棒を振り返った。
「なぁゴレ、今の聞いたか? ジャンビラがお前のこと、俺のお嫁さんだってさ」
ふふん、ちゃんちゃら可笑しいぜ。なぁ、相棒。
さぁ、一緒に笑ってやろう。
俺達の間のまばゆいほどに崇高な友情と信頼関係を、よりにもよって夫婦などと表現した、そこなるアホな脳筋マッチョを。
笑顔の俺と、ゴレの優しい瞳が交錯する。
彼女の長い耳が、小さく揺れた。
そしてその直後に、俺のまったく予想もしない出来事が起こった。
――ゴレが、ジャンビラに、すっとお茶を差し出したのだ。
「は……? 何だと……」
俺は目を見開いたまま、固まった。
何だこれは。
今、目の前で何が起こった?
……ゴレが客にお茶を出す姿など、俺は初めて見た。
信じられない。
このような怪現象は通常ありえないことだ。だって、ゴレがお茶を出してくれる相手というのは、俺とテテばあさんだけのはずなんだ。
むしろ懐いているテテばあさん相手ですら、俺にお茶を出すついでにたまに出すこともある、といった程度のレア現象だ。
俺が尊敬しているスペリア先生にも、非常に仲の良かったハゲにも、ゴレはお茶を出したことなんて一度もない。
ゴーレム格ゲー友達だったギネム・バリなんかは、お互いに年齢が近かったこともあり、今のジャンビラとほぼ同じようなノリで絡んでいた。だが、ゴレは奴にもお茶を出したことはない。
後輩のセトゥが離れ家に遊びに来るときなんて、ゴレはお茶を出すどころか、熱湯をそのまま頭にぶっかけ始めてもおかしくない雰囲気である。
もはや、接客の精神もくそもない。
だが、このマッチョには、普通にお茶を出した。
まるで奥さんが夫の友人をもてなすかのごとき、非常に丁寧な態度だった。
一体どういう事だ。
ジャンビラと他の皆で、何が違う?
目の前の大柄な赤髪の青年と、俺の他の男友達との違い――
……筋肉の量か?
駄目だ、さっぱり分からん。
混乱している俺の横で、ジャンビラは上機嫌で豆茶を飲み始めた。
「いやあ、ははは。よくできた嫁さんで羨ましいわ……あちっ」
茶をふうふうと冷ましていた彼だが、このときゴレの方を見て、ふと何かに気付いたような表情をした。
「あれ……? そういやよォ。今日のゴレタルゥって、いつもと見た目の印象が何だか違わねえか?」
赤髪の青年は茶を飲みながら、ゴレの整った彫像のような横顔をしげしげと眺めている。
「はて、なんだろうなァ? 今日はうなじの辺りがよ、妙に色っぽく見えるっつうか……。まぁ、元々むやみやたらと色っぽくはあるんだが」
「ああ、それならさっき髪型を変えたから、そのせいじゃないか」
「髪型?」
ぽかんとしているジャンビラに、俺はゴレのポニーテールを指さした。
「ほら、これだよ。俺が結んでやったんだ。可愛いだろう」
可愛い、と俺が口にした瞬間、ゴレがその場でふわりと首を振った。
彼女が見せつけるようになびかせたポニーテールが、窓から差し込む光の中で、美しく風に舞う。
思わず見惚れてしまいそうな光景だ。
「おお、髪型を変えたのかァ。なるほど、そいつは気付かなかった。たしかにすげえ良く似合って……な゛っ、髪……ぶーーーっ!!!!?」
突然、ジャンビラが口に含んでいた茶を盛大に噴き出した。
「何やってんだよ。ったく、しょうがない奴だな……」
「うげほっ! ごれだる゛、のっ、がみがっ、げほごほっ」
茶をこぼしてむせているジャンビラの身体を布巾で優しく拭いてやっていると、テテばあさんが台所の方から顔を出した。
「こら、アホガキどもっ!」
「うおっ、ばあさん」
「さっきから何をぎゃあぎゃあと騒いでいるんだい。昼餉の支度が出来たから、遊んでないでさっさと配膳の手伝いをしな」
「お、ようやく食事か。了解だ」
俺は皿運びをしようと腰を上げかけたところで、先ほどから少し気になっていた事をテテばあさんに訊ねてみた。
「ところでばあさん、今日の献立は何だろう? かぎ慣れない良い香りがするんだけど」
「ああ。これはね、沢八目の葡萄酒煮込みの匂いだよ」
「……沢八目?」
聞いたことのない食材だ。
俺が首をかしげていると、先ほどまでお茶まみれでむせていたジャンビラが、急に目を輝かせて顔を上げた。
「おっ! 沢八目か、そいつは豪勢じゃねえの」
「その、沢八目ってのは一体何なんだ?」
疑問顔の俺に、隣のジャンビラが答える。
「知らねえか? 長ひょろくて、顎のねえ丸い口をした、妙ななりの川魚なんだがよォ。土鍋で根菜やら香草やらと一緒にして煮込むと、これがとびきり美味えんだよ」
「へえ……」
顎が無い魚というと、おそらく円口類だろうか。
とすると……。沢八目というのは、名前からしてヤツメウナギの類かな。
どんな味なのだろう、楽しみだなぁ。
笑顔で沢八目について喋っている俺とジャンビラを、テテばあさんがじろっと見た。
そして、しかめっ面で鼻息を吐きながら言った。
「ふん。なんだい、デルボリアの坊主もうちで昼餉を食っていくつもりなのかい? 図々しいったらありゃしないね。無駄にうすらでかいあんたがいると、家が狭苦しくなってかなわないよ。さっさと帰っちまいな」
「えー、そりゃねえよォ」
憐れなジャンビラが涙目になっている。
だが、テテばあさんと一緒に住んでいる俺は、その言動について熟知していた。
傷付いた子犬のごとき無垢なマッチョの肩を、俺は軽くぽんと手で叩いた。
「……大丈夫だ、心配するなジャンビラ。うちのばあさんは口ではああいう事を言うが、確実にお前の分の料理も用意している」
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さて。そんな重篤なツンデレ症候群の末期患者であるテテばあさんなのだが、すでに俺とジャンビラのことなどは見ていない。
彼女は先ほどから、俺の隣に座るゴレの様子をじっと見ていた。
その視線は、ゴレの後ろ髪あたりに固定されている。
テテばあさんがゴレを見つめながら、穏やかに声をかけた。
「……おやゴレタルゥ、その結い紐はネマキに買ってもらったのかい? 随分と似あっているじゃないか」
その声に、ゴレの耳がぴくりと小さく反応した。
直後に彼女は、すっと立ち上がった。
白いエルフがその場で身をひるがえし、くるりと軽やかに一回転する。踊るように可憐な身体の動きにつられ、ポニーテールも美しく宙を舞う。
髪を束ねる赤い結い紐が、可愛らしく揺れた。
何度も言うが、ゴレのこういった浮かれた仕草は本当に珍しい。
今日のゴレはかなりテンションが上がっている。
「そうかい、そうかい。よかったねえ……」
うれしそうにくるくる回るゴレの様子に、テテばあさんは目を細めている。
その柔らかな表情は、まるで大事な孫娘でも見ているかのようだ。
もしババアがこの慈愛の精神の1パーセントでいいから俺にも向けてくれたら、生活上の様々な事が非常に楽になるのだが……。
結い紐のお披露目ダンスを終えたゴレは、ポニーテールをふりふりと揺らしながら、ご機嫌で食器を運び始めた。
テテばあさんは、そんなゴレをにこにこと見守っている。
そのうち、ゴレの姿は台所に消えた。
ゴレが台所へ引っ込んだ直後だった。
テテばあさんが、俺の方を振り向いた。
「……ちょいとこっちへおいで、ネマキ」
「なんだよ」
テテばあさんに呼ばれるまま、俺は無警戒にひょこひょことそばへ歩み寄った。
すると突然、頭をがっしりと手で抑えられた。
ババアとは思えないパワーだ。
押さえつけにより強制的におじぎをする格好になった俺の顔は、背の低いテテばあさんの横に並んだ。
間近に迫る彼女の顔が、低い声でささやいた。
「ネマキあんた、ゴレタルゥの束ねた後ろ髪のことだけどね。屋敷の外で誰かに見られちゃいないだろうね?」
「? 特に見られたりはしていないと思うが。帰りは誰ともすれ違っていないし」
買い物からの帰り道は、お昼時でちょうど人のいない時間帯だった。
ゴレの髪を結ってやったのも、坂の途中だ。あそこから先は屋敷があまり建っていない里の北辺になるから、そもそもの人通り自体が少ない。
「そうかい、それならいいが……よく聞きな」
「何だよ」
「あの結い紐、人前では絶対に外させときなよ。……いいね?」
「は? 何だ、藪から棒に。悪いが、そんな理不尽な命令は断固拒否させてもらうぞ。ゴレはあの紐をすごく気に入っているからな。たとえあんたから杖で叩かれようとも、ゴレの幸せは命をかけて俺がまも、る……――ぐおおおっ!?」
口答えした俺の頭を、ババアのスリーパーホールドが全力で締め上げ始めた。
「ちょ、おい、やめ、ギブ、ギブギブ……!」
目を白黒させ、もはや絞め落とされる寸前の俺。
そんな俺の耳元で、総合格闘家のクソババアが衝撃の一言を放った。
「こんのあほたれ! 髪型のころころ変わるゴーレムなんてものがいるかいっ!」
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その後、俺はテテばあさんから、聖堂ゴーレムの髪についての簡単な説明を受けた。
なお、体勢はスリーパーホールドのままだ。
苦しい。
……結論から言おう。
ゴレをポニーテールにしたのは、非常に不味かった。
通常、聖堂ゴーレムの髪の毛というのは、気軽にポニーテールにしたりは出来ないそうなのだ。
まぁ、そもそも髪の毛という表現自体が正確ではなく、あくまで素体の一部が繊維状の構造をとっているだけにすぎないらしいのだが。
こういった一般のゴーレムとかけ離れた素体構造というのは、一部の古代ゴーレムと呼ばれるゴーレム達に特有のものらしいのだが、今はその話については置いておく。
聖堂ゴーレムの頭髪様の素体は、見た目の挙動が人間の髪の毛と似ている。
稼働時の空気抵抗を減らすため風になびいたりもするし、この点はうちのゴレとまったく同じだ。
とはいえ、いくら聖堂ゴーレムの素体が特殊といえども、ゴーレムの素体としての領域を完全に脱しているわけではない。内部には循環魔力が流れているし、基本的にこの繊維状の素体部分は形状記憶の性質が強く、変形させても弾性により短時間で元に戻ってしまうそうだ。
この弾性というのが防御機構としての鍵で、たとえば物理攻撃を受けた場合にも、攻撃の威力が繊維の強度を下回っていれば、この弾性により弾かれてダメージが軽減される。
髪の毛が緩衝材の役目を果たすわけだ。
つまり聖堂ゴーレムというのは、不意打ちを受けやすい後頭部から背面の急所にかけてを、軽量の繊維の盾で防御する形になっているのである。彼女らの髪の毛はきちんとした一定の役割を持っており、ただの飾りではなかったのだ。
以上。ここまで聖堂ゴーレムの頭髪の性質について、比較的丁寧にそのあらましを語ってきたわけだが。
要するに、こういった諸々の素体の性質が何を意味しているのかというと――
「……つまり聖堂ゴーレムってのはね。紐でしばって無理矢理に髪型を変えても、すぐにその紐を引き千切って、元の髪型に戻っちまうのさ」
「うっそだろおおおお!? 初耳だぞ、そんなトンデモ情報は!!!」
「はあ。どうせそんなこったろうと思ったよ……」
目の前のテテばあさんは眉間に手を当て、深い溜息を吐いた。
いつのまにかその隣で、ジャンビラもうんうんと頷いている。
「え、まさか俺だけかよ。知らなかったの……」
なぜ俺が聖堂ゴーレムの髪の毛について、この基本情報を把握できていなかったのか。
実はこれには、明白な理由が存在する。
たしかに俺は以前、聖堂と呼ばれる場所で、ゴレと似たような姿をしたゴーレム達に遭遇したことがある。彼女らはいわゆる、純正の聖堂ゴーレム達だ。
俺が遭遇の際に聖堂ゴーレムの素体の触診を行ない、そのおおまかな外部構造について把握していることはご存知のとおりである。
……だが、実はこれ、首から下の構造のみなのだ。
あのとき調べたサンプルのゴーレムは、元々頭部が滅失し機能を停止していた。
したがって当然、頭髪部分などは存在していなかった。
さらに、現場にいた他の起動中の聖堂ゴーレム達――なぜか全員やたらと爆乳の機体ばかりだったが――も、突然キレ始めたゴレと大喧嘩になり、一体残らず頭を粉々に破壊されてぶちのめされてしまった。
その直後、俺は罪の意識から現場を逃亡した。(※第15話参照)
また、先日藩都に旅行した際にも、純正の聖堂ゴーレムではないが、いわゆる貴族用の模造聖堂ゴーレムに出会う機会があった。
灰色の素体と後ろ髪、そして豊かな胸をもつ聖堂ゴーレムだった。
だが、あのときも、なぜかゴレが突如キレ始めた。
彼女を抑えることに精一杯で、俺はあのゴーレムには、まるで接近することすら出来なかった。(※第59話参照)
……そうなのだ。
俺は毎回毎回突然キレて聖堂ゴーレム達をぶっ殺そうとするゴレのせいで、彼女達の髪を間近で見た経験が一度もなかったのである。
「なぁ、ばあさん。聖堂ゴーレムの髪型を変える手段ってのは、まったく何も存在しないのか?」
「そういうわけでもないよ。使役権承継の際に素体改修をして、新使用者の好みの髪型や今世風の髪型に変えるって事自体はわりとよくある」
「なんだ良かった。それじゃあ、うちのゴレもその素体改修とやらをしたってことにしておこう」
「あほたれ」
再びババアのスリーパーホールドの威力が上がった。
「ぐおおおっ」
「素体改修なんてのはね、文字通り機体の改造だ。きちんと先を見越した計画を立てたうえで、数十年に一度家族ぐるみでやるような行事なのさ。家の改築と同じで、気分次第でホイホイやるようなこっちゃないよ」
マジか。
たかが髪型ひとつ変えるだけで、そこまでの大事かよ……。
「俺としたことが、迂闊だった……」
ようやくババアの絞め技から解放された俺は、首をさすりつつ溜息を吐いた。
うちの相棒のとんでもゴーレムっぷりに関しては、元々この程度の事で一々驚いていたらキリがない部分はある。むしろ引っかかったのは、すぐに髪型を戻させようとしたテテばあさんの態度だ。
「もしかしてゴレの髪型を気軽に変えちゃったのって、おおっぴらになると不味かったりするのか?」
「……ああ、あまり愉快な事にはならないだろうね。今回ばかりはゴーレム使いとしての技量の高さで説明できる話じゃないから」
テテばあさんは、ちらりとゴレのいる台所の方を見た。
「何より、妙な噂が立ったらゴレタルゥが可哀想だろう? ただでさえ、本人の意思に反して色々と目立っちまう子なのに」
「む……」
たしかに、それは一理あるかもしれない。
俺はテテばあさんの言葉に、静かにうなずいた。
「わかったよ。そういうことなら是非もない。ゴレの結い紐は外させよう」
ちょうどタイミングよく、ゴレが自慢げにポニーテールをふりふりしながら料理を運んできた。
「ゴレ、ちょっとこっちにおいで」
名前を呼ばれた彼女が、はずむような小走りで駆けてきた。
それにしてもゴレのやつ、本当にうれしそうだ。
彼女が白く華奢な身体をずむように動かすたびに、ポニーテールと結い紐が幸せそうにゆれている。
果たして外せるのだろうか、これを。
ゴレに対して超甘い、この俺が。
…………。
し、仕方がない、すべてはゴレのためだ。
俺は心を鬼にした。
「……なぁゴレ。その結い紐、ちょっと外しておこうな」
そう一言断りを入れてから、彼女のポニーテールを解くべく、その長い後ろ髪に手を伸ばした。
この瞬間、ゴレがするりと流れるように体移動して、結い紐を掴もうとしていた俺の手が空を切った。
「えっ……?」
俺は目を見開いた。
何だ、今のゴレの動きは。
まさか……。こいつ今、躱しやがった……?




