第98話 えり巻きと行商人
「く、くそ……。一体どうしてこんな事に……」
俺は頭を抱えて呻いていた。
苦渋に満ちたその表情はまるで、世界の終わりを見ているかのようである。
ここはテテばあさんの屋敷にある、広い廊下の隅だ。
廊下からのぞく台所では、楽しそうに料理をするゴレの後ろ姿が見える。
一見平和な日常の光景だ。
だが、今のゴレの様子は、普段と少し違っている。
調理台の前に立つ彼女が上機嫌に身体を小さく揺らすたび、その白くなめらかな後ろ髪の束が、さわさわと可愛らしく揺れ動いている。
ゴレの長い髪は、後頭部で一つにまとめて垂らされていた。
……そう。
いわゆる、ポニーテールである。
なぜゴレが、ポニーテールになっているのか。
そして、なぜ俺がこんなにも懊悩しているのか。
その原因となった出来事は、今からちょうど一週間前。
シドル山脈を巡るあの攻防戦の、翌日の朝にまで遡る――
------
「……あれ、ここはどこだ?」
戸口から差し込む明るい日差しに目を覚ました。
どこからか、小鳥のさえずりが聞こえる。
最初に目に入ってきたのは、見慣れぬ天井だ。
普段俺が寝起きしている離れ家の天井ではないな。
この部屋の感じは……なるほど。ここはどうやらテテばあさんの屋敷の、母屋の玄関みたいだ。
「なんで俺、ばあさんちの玄関なんかで寝てるんだろう?」
呟きつつ、寝起きでやや重い上半身を起こす。
何気なく隣を振り返ると、赤髪のマッチョが裸で寝息を立てていた。
――!?
「な、何だこの状況は……」
昨晩、俺の身に一体何が起こった?
なぜよりにもよって、ジャンビラの野郎と朝チュンしているのだ、俺は。
おかしい。わけがわからない。何だこれは。
普通こういう場面においては、隣に裸で寝ているのは謎の美女と相場が決まっているはずだろう。なぜ俺の場合は、隣に裸のマッチョが寝ているんだ??
誰一人として求めていないぞ、こんな辛すぎる展開は。
ひどい、あまりにもひどい。
神は残酷すぎる。俺が一体あんたに何をしたというのだ。
「……ん?」
神と世界を呪っていた俺は、ここである事に気付いた。
よく見ると隣で寝ているジャンビラのやつは、全裸ではない。
一応服を着ている。
いつもの上半身裸みたいな服装が乱れていたせいで、うっかり勘違いをしていたらしい。
「貴様、まぎらわしい格好をしているんじゃあない! とんでもない過ちを犯したのかと思って、一瞬世界の破滅を決意しかけただろうが!」
俺は若干八つ当たり気味に、ジャンビラの赤髪頭をぽこんと叩いた。
「ん、ぐお……」
熊みたいにでかいマッチョが、変な呻き声と共に目を開けた。
「おお、ネマキか……。おはよ……うぷっ」
寝ぼけ顔で挨拶をしかけたジャンビラが、吐きそうな表情で床に突っ伏した。
「おえ、ぎぼぢわりィ。夕べ飲みすぎた……」
「うわ。大丈夫か、お前?」
「うう……。だからよォ、大酒飲みの岳仙族と飲み比べなんて、おれァやめとこうって言ったんだよォ……」
このとき、呻いているジャンビラとは別の男の声が聞こえた。
「ううん、大きな声を出さないでくれ、兄弟。頭が割れそうだ……」
声のした方を振り向いてみれば、俺の背後に日焼けした地中海顔の男が寝そべっている。
ピュウルスじゃないか……。
なぜこいつまで一緒に寝ているのだ?
それに何だかピュウルスのやつも、ひどい顔をしている。目元には大きな隈ができ、髪はぐしゃぐしゃに乱れて、エーゲ海の波乗り野郎みたいだった男前が台無しである。
こいつら、完全に二日酔いの顔だ。
「一体何なんだ、この野郎だらけのむさくるしい地獄絵図は……?」
というか、ゴレのやつはどこへ行った?
俺の相棒の姿がどこにも姿が見えない。
考えてみると、朝目覚めたときに普通に天井が見えたのは、召喚された盆地で一人暮らしをしていた頃以来のことかもしれない。
いつもは毎朝寝起き一番で、ゴレの顔面とご対面だからなぁ。
「ともあれゴレのやつ、どこか近くにいるみたいではあるな……」
俺は、自身の身体にかけられた毛布を見つめた。
今玄関で寝ている三人のうち、俺にだけこうして毛布がかけられている点からすると、ゴレが近くにいる事自体は間違いないと思う。
こんな毛布のかけ方をするのは、あいつぐらいのものだ。この柔らかく温かな毛布からは、俺に風邪を引いて欲しくないという切なる優しい願いと、ジャンビラとピュウルスは別に風邪を引いて死んでも構わないという明確な意思を感じる。
だが、そもそもこの状況は一体何だ……?
なぜ俺は野郎三人で川の字になって、玄関などに寝ているのだ。
「ええっと、たしか昨日の夜は……」
まだ眠気の残る重い瞼をこすりながら、俺は必死に昨晩の出来事を思い出そうとした。
たしか昨日は戦いの後、集会場前で開かれた宴に参加したはず。
そこでジャンビラとピュウルスに会って、三人で一緒に仲良く、用意された料理を食べながらちょこっと酒を飲んで……。
あ、そうだ。思い出した。
三人で駄弁っていたときに、里の誰もテテばあさんが酒に酔ったところを見たことがないという話題になったのだ。なんでもテテばあさんの出身部族の岳仙族というのが、やたらと酒豪の多い少数部族なのだとか。
俺の中で、ババアのドワーフ疑惑が再燃した瞬間である。
話を聞いた俺は、二人に「いくら酒に強いといっても、まったく酔わないわけはない。今からテテばあさんに三人がかりで酌をして、少々酔っぱらうところを拝んでやろう」と提案した。
ちなみに、この提案に特に深い意味はない。単に俺が、ドワーフババアの酔っぱらうところを見たかっただけだ。
デマラーンのじいさんへの良い土産話になると、ピュウスルはすぐにこの話に飛びついた。ジャンビラの方は最初渋っていたが、まぁ、何だかんだいって付き合いの良いマッチョなので、最終的には彼も計画に参加した。
こうして俺達三人は、宴会場の隅で一人静かに酒を飲んでいたテテばあさんの元へ、のこのこと出向いて行ったのである。
思えばあのとき、後ろのゴレがひかえめに俺の袖を掴んでいた。今にして思うと、あれはテテばあさんにちょっかいを出さない方が良いと、必死に警告してくれていたのだろう。
ああ、俺はもっときちんと、優しい相棒のメッセージに耳を貸すべきだった……。
結論から言おう。
テテばあさんの酒の強さは、完全に常軌を逸していた。
しかも最悪なことに、ババアは酒癖がすこぶる悪かった。
きっつい蒸留酒を水みたいにがぶがぶ飲みまくりながら、バシバシと俺達の背中をしばきつつ強引に酒をすすめてくるクソババア。奴によってペースを乱されまくった俺達三人は、なすすべもなく次々と酔い潰されていった。
まず初めに、テテばあさんから集中的にアルハラを受けていたジャンビラが、真っ赤な顔で目を回して盛大にひっくり返った。
続いてぐでんぐでんに酔ったピュウルスが、給仕に来てくれた里の若い娘さんの尻を触りやがった。だが、ゴーレムの里の女性は皆強い。怒りの平手を顎にもろに食らった地中海男は、脳を揺らされ大地へと沈み、二度と再び立ち上がることはなかった。
ええっと、その後は――
どうにも記憶があやふやだ。
たしか俺も酔っぱらって上機嫌になり、ピュウスルんちの短槍ゴーレム達に抱きついてキスをしまくっていたような記憶があるのだが……。
駄目だ。そこから先が、まったく思い出せない。
「う、うわあああ!? アラド、セウドおおお! どうしてこんな事にいいい!」
突然、地中海男の悲痛な叫び声が玄関に響き渡った。
「どうしたんだよ、ピュウルス。でかい声は頭に響くんじゃなかったのか……って、うおおっ!? な、何だそれ」
思わず仰天した。
なんとピュウルスの二体の青い短槍ゴーレム達が、滅茶苦茶にぶっ壊された状態で床に転がっていたのだ。
彼らの首から上は凄まじい力で無理矢理ねじ切られたように無くなっており、四肢もばらばらに破壊されて床一面に散乱している。
もはや、ほとんど胴体しか残っていない。
あれ? だが妙だ。床にはゴーレムの胴部と手足の残骸しかない。
こいつら、頭がどこにも見当たらないのだ。
頭はどこだ? 昨夜俺と熱い口づけを交わしたアラドくんとセウドくんの顔は、一体どこへ行った。
「あ……」
見つけた。
見覚えのある青いゴーレムの頭部が、玄関の大きな花瓶の中に逆さに突っ込まれている。
花瓶に入っていた花は、ぐちゃぐちゃになって周囲に散乱していた。
「ひ、ひでえ……。だが、もう一体の頭はどこに……あっ」
あった。
二つ目のゴーレムの頭は、靴箱の中に無理矢理突っ込まれている。
しかも短槍ゴーレムのシャープな槍の穂先のような脳天は、よりにもよって、アセトゥのお気に入りの部屋履きにぶっ刺さっていた。
ひどい、あまりにもひどすぎる。滅茶苦茶だ。
一体何なんだ、この目を覆いたくなる惨状は。
「昨日の夜、何が起こった……?」
突如発生した謎の破壊事件。その真相について、俺は寝ぼけた頭で推理を開始しようとした。
そんな俺の目の前に、ふいに水の入った陶製の椀がすっと差し出された。
「……あ、ゴレ」
いつの間にか隣に現れたゴレが、両手でそっと椀を抱えている。
彼女はとても心配そうな瞳で、俺の顔を覗き込んでいた。その深い愛と慈しみに満ちた神々しい姿は、まるで天使のようだ。
「もしかして、わざわざ水を汲んで来てくれたのか? すまないな」
軽く礼を言って椀を受け取ると、ゴレの長い耳が微かに揺れた。
なるほど。ゴレのやつは俺の二日酔いを心配して、起床のタイミングで飲み水を探しに行ってくれていたのか。
道理で目が覚めたとき、どこにも姿が見えなかったわけだ。
うちの相棒は、本当に優しいなぁ。
親切なゴレに心から感謝しつつ、俺はゆっくりと椀の水をあおった。
汲まれたばかりの井戸水は、ひんやりと冷たい。
------
野郎まみれの玄関を脱出し、俺はゴレと共に外の空気を吸いに庭へ出た。
平和な田舎の庭先には、俺達の他にも鶏が歩いている。
昨夜ピュウルスのゴーレム達の身に何が起こったのかは気になるところではあるものの、実はそれとは別の部分において、俺には今朝の一連の出来事について少々腑に落ちない点があった。
現在俺の意識は、すでにそちらの疑問へと移っている。
その、腑に落ちない点というのは――
「おかしいなぁ。なぜ俺だけ、二日酔いになっていないんだろう……?」
俺は屋敷の庭を歩きつつ、腕組みしながら考えていた。
先ほどゴレに二日酔いの心配をされて初めて気付いたのだが、俺にはまったく二日酔いの症状が出ていない。
一緒に酒を飲んだ野郎三人組のうち、他の二名はいまだ轟沈している。
俺だって、別段酒に強いわけじゃない。むしろ西洋人的なアルコール耐性の高さがあるこの世界の人々と対等に酒戦が出来るのかと考えると、やや疑問ですらある。
そうなのだ。
本来あれだけ飲まされれば、俺も今頃は確実にダウンしているはずなのだ。
こっちの世界に来て以来、飲酒の機会自体はこれまでにも何度か存在した。特に、ハゲやギネムと一緒に飲んだときには、二人につられて俺も結構な深酒をしている。
だが考えてみると、あのときも二日酔いになった記憶がまったくない。そういえば酔いがさめるのも、妙に早かったような気がする。
もしかして召喚の影響で、何か俺の体質が変わっているのか……?
「ふぁ……。つっても、あまり深く考えてもしょうがない気もするなぁ」
俺は小さなあくびをした。
魔導王の能力の仕様など、元々意味不明なものばかりだ。それに、少々酒に強くなったという程度の事ならば、これといった実害も考えにくい。
酒に強いから魔導王だとばれる、なんてことはあるまい。
そもそもだ、単純な酒の酔いにくさだけで言うならば、謎のドワーフ族であるテテばあさんの方がおそらくはるかに上なのだ。
正直言ってこの能力、あまり重要な事柄とは思えなかった。
朝っぱらからの難しい思考を放棄した俺は、屋敷の庭から少し外に出て、ゆるやかな坂道の下の里の景色を見渡した。
朝っぱらとはいったが、時間的にはもう昼に近いようだ。日がすでに随分と高くまで昇っている。
日差しと共に坂道を吹き抜けてくる、穏やかな南風が心地よい。
視界のはるか先の正門広場の方に、数台の荷馬車らしきものがちらりと見えた。
「おや? あれは……行商人の馬車かな」
------
俺はゴレといっしょに、里の入り口付近まで下りてきていた。
目の前の正門広場に、沢山の馬車が止まっている。
やはり行商人達の馬車だ。
昨日までがらんとしていた広場の駐車スペースが、賑やかな馬車の列で埋まっていた。
俺はゴレと並んで、荷馬車の立ち並ぶ広場を歩いた。
「しかし、馬車の数がやたらと多いな……」
そもそも盗賊騒動が終わって、まだ昨日の今日のはずなのだが。
行商人が戻って来るにしても、ちょっと早すぎる気がする。
多くの荷馬車脇には商品が並べられ、即席の露店のようになっている。
ちょっとした市場だ。
里へ来た行商人達のうち、個人向けの商売をする人達は、こんな風に広場に露店を構えることが多い。
荷台や地面に布をひいて商品を並べただけの文字通りの簡素な露店もあれば、一方で、改造された荷馬車の側面が屋台のように展開して、ほとんど小さな店のような状態になっているものもある。
これなどは、魔道具のおかげで重量制限のゆるいこの世界の馬車ならではの風景かもしれない。
そんな一台の改造馬車の屋根の上で、首輪をつけた二頭の大きな山猫のような動物が昼寝をしているのが見えた。
あれは多分、飼い慣らされた魔獣だろう。
こんな風に行商人は、用心棒代わりに魔獣を連れていることがわりとある。
魔獣は五感が鋭く危険の察知にも長けているので、旅の相棒としてはとても優秀なのだそうだ。
といっても、この山猫は結構でかいな。普通の行商人が連れているのは、もっと小型の、鸚鵡や梟みたいな鳥っぽい魔獣だとか、犬か狐みたいな見た目のやつが多いのだが。
ここまで大きな魔獣を連れた行商人というのは、比較的稀である。
何か高級な品でも商っているのだろうか。
「いらっしゃい、お兄さん。良かったら見ていってくだせえな」
お昼寝中の山猫達をちらちら見ていたせいで、荷馬車の持ち主の男性に声をかけられてしまった。
「どうです、お安くしておきますぜ。今ちょうど里の皆さん、お昼時だからね。客足が少し途絶えてて、暇しちまってんですよ」
髪の毛を三つ編みみたいに編み込んだワイルドな行商人のおっさんが、人懐っこく歯を見せて笑った。
とりあえず、俺も笑顔で返した。
「今日は随分荷馬車の数が多いですね。皆さん、やはり南の街から?」
「ええ、そうですぜ。おれたちゃ全員、朝一番で藩兵の輜重隊にひっついて来たんでさ」
「藩兵の……?」
「へへ。兵隊さんってのはね、意外と良い商売相手になるんですよ」
「なるほど……。そうなんですか」
言われてみれば藩兵の大部隊が、まだ里の南側に駐屯している。この人達は、彼ら相手に商売をしに来て、ついでに里の方へも寄ったってことなのかな。
何にせよ、商魂たくましいなぁ。
「嗜好品やら何やら、たくさん仕入れてきていたんですがね。そっちの方は、午前中にあらかた売り切れちまいやして。で、今売っているのはこれですよ。おれの本業はむしろこっちでね」
そう言った行商人のおっさんは、改造馬車の荷台を手のひらで示した。
商品棚のようになった荷台には、大量の衣料品がずらりと陳列されている。
装飾用の小物なんかも売っているようだ。見たところでは、やや女性向けの商品が多い印象だろうか。
「……どうですお兄さん? 気になる娘っ子に、おひとつ」
何気なく放たれたおっさんのセールストークが、おれのガラスのハートに無慈悲に突き刺さった。
ぐおっ。ナチュラルに残酷な言葉を発しないでくれ、おっさんよ。
俺の周囲には、同年代の女性などまるっきりいないのだ。今朝だって、マッチョや地中海野郎と仲良く添い寝をしていたくらいだぞ。気になる娘さんがいるとかいないとか、もはやそれ以前の問題なんだ、俺の異世界ライフは……。
「う、うう……」
非情な現実を思い出し、思わず涙目になる俺。
そんな俺の様子に、おっさんがやや慌てた様子で別の商品を取り出した。
「おっと。それじゃあ、こっちの男物の襟巻なんてどうです?」
「襟巻?」
「そうそう。これ、実に見事な逸品でしょう? こいつでお兄さん自身を飾り立てて、男前をさらに上げてですね。別れた女のことなんてすっぱり忘れて、新たな出会いを探しゃあいいんですよ」
この人、俺の涙の理由を微妙に誤解しているみたいだ。
まぁ、モテなさすぎて泣いていたと思われるよりはいいけれども……。
行商人のおっさんが見せてくれたのは、動物の毛皮の襟巻だ。
黄色くて縞模様の、やたらと派手な襟巻である。
一体何の動物の毛皮だろう、これは?
虎……とは、若干違う。
通常虎の体毛ってのは、ベースの部分が白と橙色だ。一般的に抱かれがちなイメージとは少し違って、実際には真っ黄色というわけではないんだ。
だが、目の前の毛皮はほとんどレモン色ともいえる、派手な黄色をしている。
縞模様の付き方も、虎とは違っているように思う。
「この毛皮は……」
何の毛皮ですか、と訊ねようとした。
だがこのとき、おっさんが満面の笑顔で言った。
「おお、お気づきですか! やはりお兄さんはおれが見込んだ通りの上客だ、お目が高い。そう、こいつは例の霧雨の渓谷の魔獣の毛皮ですぜ。触って毛並みを確認してもらえば分かるが、正真正銘の本物でさあ」
「……なるほど、やはり例の魔獣の毛皮ですか。そうだろうと思っていました」
し、しまったあああああ!!!
おっさんが褒めてくれたからつい見栄を張って、知ったかぶってしまったぞ!!
これでは結局、何の毛皮なんだかよく分からないではないか。
ともあれ、だ。
この謎のしましま襟巻、買ってみるのもありかもしれない。
何せ今の俺は、昨日の賞金のおかげで超絶金持ちなのだ。金なら余っている。
まぁ、実際にはあの賞金はまだ振り込まれてすらいないから、手元の全財産は金貨5枚と銀貨8枚ちょいしかないわけだが。
といっても、この所持金でも優に250万円以上の価値はあるのだ。
こんな襟巻のひとつくらい、余裕で買える金額だ。
ふふん。それではちょっくら、ブルジョワジーであるこの俺の財力をおっさんに見せつけ、セレブでリッチな買い物をしてやるか。
俺はおほん、と小さく咳払いをした。
「……御店主。その襟巻、お幾らですか?」
「金貨4枚と銀貨48枚ですよ」
はあああ?? 高っけえええええええええ!!!
金貨4枚と銀貨48枚だと?
こんなちっぽけな、雑巾みたいな襟巻一枚がか?
銀貨には少なくとも1万円程度の価値があるから、つまり銀貨48枚というのは、もうほとんど金貨1枚と同義だ。スーパーが500円の豚肉を498円に価格設定して、客に安く錯覚させるのと完全に同じ手法ではないか。
愕然とする俺に、おっさんがにかりと笑った。
「でも、ま、今回は特別ですぜ。お兄さんの新しい恋路を応援して、金貨4枚と銀貨45枚におまけしときやしょう」
いやいやいや。そんな半端な値引きをされたところで、俺の所持現金がほとんど全部溶けてしまう金額なのだが。
いや、だが、しかし……。
こんな高級で派手な黄色いしましま襟巻を装備すれば、おっさんの言う通り、女の子にモテるかもしれんぞ。
たしかに今の俺は、モテるために男を磨く必要がある。
そう考えると、モテるための数百万円程度は安い出費なのかもしれない。
「こいつは悩みどころだ。どうしようか……」
俺は相棒の意見をうかがうべく、ちらりと斜め後ろゴレを見た。
彼女はしましま襟巻などには見向きもせず、優しい瞳で俺のことだけを見守っている。欲しい物はどんどんいくらでも買っていいからね。お金はわたしが用意するから。とかなんとか、今にも喋り出さんばかりである。
「……よし」
よし分かった。買うか、しましまを。
俺達の明るいモテモテ異世界ライフのために。
任せておけ、ゴレ。このしましまをきっかけに、俺はモテる男へと生まれ変わる。これでお前のことも、情けない非モテ野郎とコンビを組むゴーレムという、非常に肩身の狭いポジションから脱出させてやれるぞ。
そう、もはやこれは俺一人の問題ではない。俺は相棒の尊厳のためにも、モテまくる男になってみせる!
もちろん、こんな馬鹿高いしましまを買ってしまえば、俺はほとんど無一文に近い状態になる。例の1億3700万円の賞金を受けとるためには、直近でも藩都の魔術師協会支部までは顔を出さないといけないわけだが、その旅費を捻出できるかすら、まったくもって怪しくなってくる。
だが、まぁ、きっと大丈夫だ。おそらく死にはすまい。
そんなことより、モテるための努力の方が大切だ。
……すでにお気づきだろう。俺の金銭管理能力は相変わらず、海底遺跡の中で千年の深い眠りについていた。
「じゃあ御店主、その襟巻を――」
恐ろしく軽いノリで数百万円の品を注文をしかけたときだった。
ふと、襟巻の横に並んだ別の商品が、俺の目がとまった。
「これは……?」
鮮やかな色の太い紐だ。
様々な色の糸が織り込んであり、飾り紐みたいな見た目をしている。
紐の先には、根付のような留め具が付いている。留め具の形は、鳥や花などを模した様々な種類がある。紐の色と留め具の組み合わせが多様なので、非常にカラフルでバリエーションが豊かだ。
これはたしか女性向けの、髪を結ぶための装飾品だと思う。
里の若い女性がこいつで髪を結っているのを、たまに見かけることがある。
「この飾りは、何という品ですか?」
「ん? ああ、“結い紐”のことですかい? こいつはちと、お兄さんみたいな貴族の方向けの品じゃないと思いますがね」
「へえ。結い紐、ですか……」
髪を結うから、結い紐か。
俺の翻訳能力はバグだらけの欠陥品だが、このシンプルな言葉選びの分かりやすさだけは嫌いではない。
------
「ほい、毎度あり。……お兄さん、次回は襟巻の方も買ってくださいよ?」
苦笑する行商人のおっさんから商品の入った袋を受け取り、俺達は荷馬車の立ち並ぶ市場を後にした。
ゴレとならんでゆるやかな坂道を上りながら、ごそごそと紙袋を開く。
中から一本の赤い色の髪飾りを取り出した。
例の、結い紐だ。
俺は結局、モテモテアイテムである襟巻の購入は中止し、代わりにこの結い紐を購入したのである。
「にしても、銅貨35枚か……。予想外に安かったな」
銅貨35枚というと、多分おおざっぱに3500円くらいか。
安い。
あんなちんちくりんの襟巻が金貨5枚近くもするのだから、てっきりこの可愛らしい工芸品も俺の全財産を食らい尽くす勢いの超価格で襲い掛かってくるものと覚悟していたのだが。いざ破産の決意をして購入してみると、普通に良心的な価格設定である。
この世界の物価というのが、俺にはよく分からなくなってきた。
あの毛皮の襟巻の値段の異常な高さは、一体何だったんだ……。
俺は気を取り直し、手に持つ赤い結い紐を眺めた。
鮮やかな赤い紐の先には、小さな花を模した飾りが付いている。
この赤い色と花の飾りは、きっとゴレに似合うと思う。
そうなんだ。俺はこの結い紐を、ゴレへのささやかなプレゼントとして購入したのである。
ゴーレムの髪の毛の仕組みはよく分からんが、触るとさらさらしているし、普通に紐で束ねられるんじゃなかろうか。
「ゴレ、こっちにおいで」
俺はゴレを目の前に呼び寄せ、路地脇の石垣に座らせた。
ゴレはちょこんとおりこうに石垣に座った。
そんな彼女の顎を、俺は手でくいっと優しく少し持ち上げてから、後ろで髪を結いはじめた。
ちなみに、俺はかつてハゲショップでベビーシッターをしていたとき、たまにテルゥちゃんにせがまれて髪を結んであげていたので、それなりに髪結いのスキルはある。
「……しっかしお前の髪の毛、本当にさらっさらだよなぁ」
ゴレのロングヘアは、まさに奇跡のキューティクルだ。
絹のようになめらかなその髪は、結ぶ前に梳いてやる必要すらない。
ゴーレムの謎髪の凄さに感嘆しつつ、俺は手早く彼女の後ろ髪をまとめた。
最後に、束ねた髪に赤い結い紐をきゅっと綺麗に結ぶ。
髪がたるまないように気を付けて。
これでよし、と。
ポニーテールの完成だ。
「よっしゃ、なかなか決まってるぞゴレ。世界一美人さんだ!」
笑顔でそう言ってやると、ポニーテールになったゴレの耳が、ぴこぴこと元気よく動いた。
よしよし、気に入ってくれたか。
それにしても、お世辞抜きで本当に良く似あっている。
やはり思った通りだ。こいつは瞳も赤いし、赤っぽい色が非常に映える。
「……本当にかわいいな。良く似合っているよ」
改めて気持ちを込めてそう言ったとき、ゴレがふいに立ち上がった。
そして彼女は両手を広げ、まるで踊る様にその場で回り始めた。
深紅の瞳が、星空のようにまばゆい輝きを放っている。本当にうれしそうだ。
彼女がくるくると回るたび、ポニーテールが風になびいて美しくゆれる。
それにしても、もの凄く珍しいな……。こいつがこんな風に、まるきり年頃の田舎娘みたいなはしゃいだ動きをするなんて。
きっと、よほど気に入ったのだ。
よろこんでもらえて本当に良かった。
今回は安物だったけど、今度はもっと高いやつを買ってやろう。
俺はポニーテールのゴレと一緒に、再びゆるやかな坂をのぼり始めた。
ふたり仲良くちんたらと歩きながら、屋敷への平和な帰路につく。
------
……だが、坂道を歩くこのときの俺は、まだ理解していなかった。
ゴレを気軽にポニーテールにしてしまった、その行いの罪深さの意味を。
そして――俺からの、生まれて初めてのプレゼントである――この、たった銅貨35枚の価値しかない安物アクセサリーに対する、ゴレの異常に強い執着心というものを。
俺対、ポニーテールのゴレ。
一週間にも渡る長い戦いが、今、始まろうとしていた。




