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破滅の魔導王とゴーレムの蛮妃  作者: 北下路 来名
第1章 野蛮なる王妃
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第1話 はじまりと選択肢

 

 気付くと、俺はくそダサいパジャマを着て、原っぱの真ん中に突っ立っていた。


 パジャマに描かれているのは、黄色の猫みたいな……。

 いや、これはタヌキだろうか?

 ともかく、黄色い謎の動物の顔の模様が、所狭しとプリントされている。安っぽい青色の生地で出来た、長袖のパジャマだ。

 これはひどい。

 とても前途ある青少年が着用して良い寝間着のデザインではない。


 まぁ、俺が自分で買ったパジャマなのだが。

 先週、近所のショッピングモールで、ワゴン売りのセール品になっていたところを買ったのだった。よほど買い手が付かなかったのか、ほとんど捨て値同然で売りに出されていたんだ。

 買った理由のひとつに、値段の安さはもちろんある。だけどそれより、誰からも選んでもらえない、このくそ不細工な猫……ん? これはブタだろうか? とにかく、この動物が俺には何だか、とても不憫に思えてしまって。


 ……だが、待ってほしい。パジャマのダサさはこの際どうでもいいのだ。

 問題は俺が原っぱに突っ立っているという、この状況の方にある。

 俺、たしか自宅の布団で寝ていたはずなのだが。


「ここは一体どこだ? 夢、なのか……?」


 日はすでに随分高くまで昇っているようだ。

 青々とした広葉樹の木立の中、円形に開けた草地の中心に俺は立っている。

 平たくいえば、木々に囲まれた丸い原っぱ、だな。

 とは言うものの、この原っぱ自体はそう広くもない。直径にして、まぁ、せいぜい15メートルかそこらだろうか。一面が伸び放題の下草に覆われている。

 周囲の様子をそこまで確認した段階で、ふと自分の足元に違和感をおぼえた。

 俺の足周りにだけ、草が茂っていないようだ。

 靴も履いていない裸足のままの俺の足裏。ひんやりと冷たい。

 これは土じゃなくて、コンクリートか、もしくは石の感触だ。

 何気なく視線を下ろし――


「うおっ、何だこれ!?」


 ぎょっとして思わず声を上げた。

 俺が立っていたのは血のように真っ赤な石の床の上だった。

 しかも、そこには禍々しい幾何学模様の謎の円陣が描かれていたのだ。


 謎の円陣――大きさは直径150センチあるかないかってところだ。

 見た感じは、魔法陣といった風情である。

 そう。まさに、魔法陣。

 足元のこの不思議サークルを呼ぶにふさわしい名称を、俺は他に知らない。

 だが、こいつはどう見ても、夢あふれるファンシーな魔法使いが用いる代物ではない。

 これを何と表現するのが適切だろうか。言うなれば、悪魔崇拝のカルト教団が生贄の儀式で使うみたいなイメージの、一見して明白に禍々しい、そんな魔法陣だ。

 何の塗料だかわからない赤黒い線で、蛇がのたうつような複雑怪奇な文様が円陣の中にびっしりと刻まれている。しかも、その文様の隙間には、さらにミリ単位で細かい緻密な模様が、余白を埋め尽くすがごとく書き込まれ……。

 こんな物、仮にいたずら書きにしたって、書くだけでも相当大変なはずだ。

 よくわからんが、書いた奴のすさまじい執念みたいなものを感じる。こわい。

 そして俺、何でこんなもんの中に突っ立ってるの? すごくこわい。


 正直、いやな予感しかしない。


 とはいえ、俺が現在置かれているこの状況……。情報が完全に欠乏している。

 ぶっちゃけ、ダサいパジャマで謎のサークルの上に突っ立っていること以外何もわからん。

 ここが俺の夢の中の世界にせよ何にせよ、とにかくこの石の円陣から外に出て、周囲の様子を確認するしかないだろう。他に人がいるような気配もないし。

 というか、こんな不気味な物の上に1秒たりとも立っていたくはない。

 もしここが俺の夢なら、高確率で邪神復活のための生贄ルートに突入してしまうぞ。


 円陣から一歩外に踏み出そうとした。

 はて、何だろう。このとき、見えない壁のような物が足先に当たった。

 壁、という表現が適切かどうかわからない。

 厚い静電気の膜のような、もんわりとした強い抵抗感とでもいうか……。そんな不可解な力場のようなものが、円陣の外縁部に沿ってぐるりと俺を囲っているようだ。

 え、ちょっとまって。これって、まさか閉じ込められているのか?

 勘弁してくれ、と思いつつ、見えない壁を手のひらでぐいぐいと押してみる。


 ――次の瞬間、拍子抜けするほどあっさりと、手のひらの抵抗感は霧散した。

 支えを失った俺は前によろめいて、そのまま石床の上をよろよろと数歩進む。前のめりの姿勢で身体が円陣の外に出た。


 途端に、むっとする草の匂いが鼻孔に広がる。

 視界には陽光が差し込み、抜けるような青空に、軽く目まいがした。

 そよ風がたった今急に生まれたみたいに、さあっと頬を撫でていく。


 まるで水面から顔を出したように、一気に五感がクリアになったのだ。


 どうやらさっきの見えない壁が、外界の刺激を遮断していたみたいだな……。今のところ原理がまったく分からんが、そうとでも言わないと説明がつかない状況だ。

 同時に、クリアになった五感を通して得られる空気の存在感や日差しのあたたかさ、足にさわさわと触れる草のリアルすぎる感触。それら全てが、俺に対し、あるひとつの可能性を強く示唆する。


 つまりだ。何となくだけど、これ、夢じゃないっぽくないか……?


 まぁ、何にせよ、外に出られたのは良かった。

 邪悪な魔法陣の上で、ダサいパジャマを着ながら、もやもや謎バリアにつつまれて幽閉というのは、たとえ冗談にしても精神的に辛すぎる状態だ。拷問である。

 そんな状態、一時間くらいで限界がきて、俺は泣いてしまうかもしれない。


 このような訳のわからない状況になって、もちろん戸惑いはある。

 だが、正直この時点では、俺はそれほどの危機感を抱いてはいなかった。特に根拠もなく、まぁどうにかなるだろう程度に、どこか甘く考えていたのだ。

 何といってもこの原っぱが、すごくのどかなんだよ。

 空は突き抜けるように青い。

 一帯は静かで、人や獣の気配はおろか、鳥のさえずりさえ聞こえない。何となく、ここに生き物は俺しかいないんじゃないかという気がしてくる。

 日差しはやわらかく、風はひたすらにおだやかで、邪悪な魔法陣にさえ目をつぶってしまえば、まるでピクニックに来たみたいな雰囲気ですらあった。


 そんな弛緩しきった感覚のまま、俺は周囲の木々を見渡して――

 ある一点で視線を止めた。


 草地を囲むように生えている木立が、その一点だけ不自然に途切れている。

 そこに見えるのは、赤茶けた岩肌だ。


 岩肌には、ぽっかりと空いた空洞が、ひとつある。

 自然にできた穴なのか、人工の穴なのか、それはわからない。

 穴の中は暗くて、ここからでは奥の様子も見えない。

 ただただ、ぽっかりと空いた黒い穴。


 人が、一人通れるくらいの、穴。


 この時まるで何かのスイッチが入ったかのように、頭の中にぞわぞわと妙な感覚がせり上がってきた。

 人が一人、通れる穴。

 通らなければ、ならない……?

 誰が通らなければならないんだ? 俺が、か……?


 突然、強烈な衝動に駆られた。

 

 凄まじい衝動だ。もはや渇望と言ってもいい。

 あの中に、入りたい。

 理由……? わからない。自分でもまったくこの衝動を説明できないのだ。

 しかし、俺はもうその洞窟から目が離せない。

 なぜかその中に入る以外の選択肢がまるで考えられなくなっていた。


 俺は洞窟の入り口に向かって歩み出す。

 正体不明の胃が焼けつくような焦燥感。

 無様に駆け出したくなる衝動を抑えながら、しかし早足で洞窟へと歩む。

 入り口まで、あと10メートル。はやく中に入りたい。


 5メートル。はやく、はやく中に。

 

 2メートル。焦って足がもつれる。

 

 あと、4歩。3歩。2歩。

 

 1歩。 そして、俺は……。



 ――焦りすぎて、穴の入り口部分に、思いっきり足の小指をぶつけた。



 昔とある偉い人が言っていたのだが、世の男には、その人生において泣いていい場面が三つあるのだそうだ。

 ひとつめは、父親を失ったとき。

 ふたつめは、母親を失ったとき。


 ……そして最後の三つめは、タンスの角に足の小指をぶつけたときである。


「うっごおおおおおお!!! くううううううううん……っっ!」


 俺は地面にうずくまり、絶叫、悶絶した。

 箪笥の角どころではない、洞窟の角である。

 興奮により視野狭窄に陥った状態での早足。その上洞窟の入り口は、人が一人通れる程度の狭さだ。そりゃ足もぶつけるわ。しかも俺、裸足だった。

 そこに、思いっきりいった。痛い。痛い。痛い! もう、涙しか出てこない。


 ひとしきり悶絶した後、俺は、ゆっくりと震えながら立ち上がった。

 そう、まるで生まれたての小鹿のように。

 おそるおそる足の小指の様子を確認してみる。

 死ぬほど痛かったが、骨が折れたりはしていないみたいだ。


 はて。ここでふと気付いた。

 先ほどまで、あれだけ洞窟に入りたいという形容しがたい強烈な衝動に駆られていた俺なのだが、いざ足の小指のダメージから復帰してみると、その衝動はなぜかすっかり消え失せている。

 実に不可思議だ。一体何だったんだろう、さっきまでのあれは。

 俺はべつに洞窟探検が三度の飯より大好きとか、そういう人間ではない。それに洞窟に入って性的に興奮するような洞窟フェチなどでも、断じてないぞ。

 でも、さっきまでの俺はたしかに、まるで洞窟に入ることが人生のすべてであるかのように感じていたのだ。

 …………。

 嫌な人生だな。正気に戻ってよかった。


 無事正気に戻れたところで、先ほど小指をぶつけた元凶である洞窟を、入り口からちょっと覗いてみた。

 暗くて中の様子はよくわからない。

 おや、穴の向こう側から光が漏れているのが見える。

 これ、トンネルだったみたいだ。通り抜けることができるぞ。

 出口までの距離は結構あるが、そこまで遠くはなさそうに思われる。


 そこから数歩後退し、改めて洞窟のある赤茶けた岩肌を見上げてみる。

 このトンネル以外は、とくに何もない垂直な岩肌の、要するに崖だ。高さも登る気が失せる程度にはある。おそらく10メートル以上あるだろう。

 崖の横幅はどのくらいかと見渡したところで、初めて気づいた。

 この赤茶けた崖、視界のずっと横まで広がっている。

 崖面は内側にカーブを描きながら、横にずっとずっと伸びていき――

 よく見れば、ぐるりと円状に周囲一帯を取り囲んでいるではないか。

 つまり、俺が今いるこの訳のわからない場所は、赤茶けた断崖に囲まれ、地形的に外界と隔絶された盆地の中だったのだ。

 いや、隔絶されているわけじゃないか。すくなくとも、このトンネルがある。おそらく、こいつが外部と盆地内をつなげる連絡通路に当たるのではないだろうか。


 盆地内の総面積は、見た感じ東京ドーム……いや、それよりもっとでかい。

 確実に東京ドーム数個分以上はある。何個くらいだろうか。

 うーん、わからん。というか冷静に考えたら、俺は東京ドームに行った経験がない。そりゃ分からんはずだわ。なぜ東京ドームに例えようとしたのだ、過去の俺よ。


 ……ともかくだ。

 ここは赤茶色の断崖に囲まれた、東京ドーム数個分よりはでかい的サイズ感の、ほぼ真円形の盆地。崖には外につながるとおぼしき小さなトンネルがあり、その入り口には現在、ダサいパジャマで裸足の男が独り寂しく突っ立っている。

 他に生物の気配はない。空気はおいしい。空は晴れてて、とってもきれい。

 これが、ここまでの調査により判明した貴重な情報の全貌である。

 結局、何で俺がこんな所にいるのか、原因も対策も何も判明していない……。


 ここで俺が取れる行動の選択肢は、少なくとも二つ存在している。

 一つは、このままトンネルの中を進んで、向こう側に歩いて抜けてみるコース。まぁ、穴に入るわけだから一応当初の予定通りってことにはなるな。あんなに穴に入りたがっていた過去の俺がきっと喜ぶだろう。

 もう一つは、一旦さっきの魔法陣の方に戻って、盆地の中をもう一度調べてみるってコースだ。こちらは状況把握優先といったところだろうか。

 トンネル内の構造は暗くてよくわからないから、不気味だ。とはいえ、不気味さってことで言えば、魔法陣の方だって相当に不気味である。むしろあっちはビジュアル的な不気味さだけでいえば限界突破している感すらある。

 つまり、どっちもどっちというわけだ。どうすべきか……。


 ほんの少しだけ迷ったが、俺は一旦、原っぱにある魔法陣の方に戻ってみることにした。

 特段深い理由があったわけじゃない。ただ、さっきは急に洞窟に入りたくなったせいで、ろくすっぽ魔法陣の周辺を調べていなかった。色々と見落としがありそうな気がする。気になるし、一応見ておこうかな。そんな程度の軽い気持ちからのことだ。

 ほんの気の迷いと言ってしまえば、本当にその通りだ。

 なに、実質これは本当に大した二択じゃない。両方とも、目と鼻の先の距離なわけだし。どっちを調べるのを先にするか、後回しにするか。ただそれだけの、順番の問題。

 そのはずだった。


 俺はくるりと踵を返し、魔法陣の草原へ向けて歩き出した。

 静かな木立の中を、のんびりと。



------



 これから紡がれていくこの物語の中で、俺は幾度となく、運命の岐路ともいえる重要な選択に直面することになる。

 選択の時というのは、いつも唐突に訪れる。

 しかし、すべてを振り返った後に、一番重大な運命の分岐点はどこだったのかと考えると……それはおそらく、まさに、“ここ”だったんだ。


 ――俺はこのタイミングでトンネルには入らずに、なんとなく、魔法陣のある原っぱの方へ戻った。


 たった、それだけ。

 そこには大した理由も、確かな意思も存在してはいない。

 でも、恐ろしいことに、たったそれだけのことが、この後に続く全ての物語の、始まりのページを開くために許された、ただ一つの選択肢だった。



 運命の歯車は大きく軋み、そして、逆回転を始めた。

 



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