2-31 【『勇者』アズリード・ウィルフレッド】
アズリードは周囲を黙って周囲を見渡し、呟く。
「散々なやられようだな。」
アズリードはそう言うと、懐から黄金の盃を取り出し叫ぶ。
「バッカス!!」
黄金の盃に刻まれた魔法陣に光が灯ったかと思うと、杯は酒で並々と溢れ出す。
アズリードがその盃をゆっくりと傾け、溢れた酒が床へと零れ落ちたかと思えば、温かい魔力の波が同心円状に広がり、石部屋を満たす。
「これで少しは傷の悪化も防げるだろ。終わったら回復魔法や治癒魔法が使える奴に急いで治してもらえ。」
アズリードはそう言うと、目の前で起こったことを未だに受け入れられずにポカンと口を開けているタツミに向かって話しかける。
「被害はここだけか? タツミ。」
「・・・あの、本当に父上なのですか?」
「何を言ってやがる。こんな強くて頼りになりそうなイケメンの勇者がアズリード・ウィルフレッドの他にいると思うか?」
会話からタツミは目の前の人間がアズリードであることを確信する。
自信に溢れた態度、自愛に満ちた声、そしてその場にいるだけで感じる安心感の全てが、彼が本物だと物語っている。
「ここで戦闘が起きる前に街に被害は出ましたが、あの魔人による直接の被害はまだここだけです。」
タツミは答える。
そして同時に浮かんだ疑問をアズリードへと問いかける。
「父上・・・その、どうしてここへ?」
タツミの問いに、アズリードは笑って答える。
「なんだ? タツミ、お前わからんのか?」
そう言ってアズリードが拾い上げたのは、ベンゼエルマの投げた長剣によって真っ二つに割かれたマーリンの紙きれ。
「ここに描かれている魔法陣、召喚魔法で俺はここへ召喚された。」
アズリードは王城内でマーリンの査問会議において、マーリンと会話していたことを思い出す。
(あの時だろうな・・・この魔法陣と『繋げられた』のは。)
「しかし魔法はベンゼエルマの能力によって発動せずに・・・あっ!」
タツミはそう言って気付く。
「はっはっはっは、そういうことだ。 物に描かれた召喚魔法の魔法陣は壊れると発動する。」
パァンッッッ!!!
不意に、ベンゼエルマを吹き飛ばした方向から瓦礫が飛んでくる。
アズリードはそれを拳で砕き、ベンゼエルマの方をジッと見据える。
「どうして君がこんなところにいるのですかねぇ。アズリード・ウィルフレッド。」
「それはこちらの台詞だ。どうして魔王直下八将のお前がこんなところにいる?」
「・・・答える必要を感じませんね。」
「俺もだよ、ベンゼエルマ。」
アズリードが返事を終えるのとほぼ同時にベンゼエルマがアズリードへと距離を詰め、その手刀を喉元へ放つ。
その攻撃を防ぐ為、腕を交差し防御の体勢を取るアズリードであったが、その腕は喉ではなく腹を防いでいた。
「!?」
「もらったぁぁぁぁぁ!」
ズンッ!
ベンゼエルマの手刀がアズリードの喉元を捉える。
「ふむ」
しかしアズリードの首は薄皮一枚裂かれたのみ。
身体強化の魔法によって強化されたアズリードの強靭な身体をベンゼエルマは貫くことができなかった。
「『蜃気楼』・・・目を合わせた相手に一瞬だけ、別の風景を見せ感じさせる能力、だったか。その一瞬の勘違いを巧みに攻撃にも防御にも回避にも利用し、戦いを有利に進めることを得意としていたな。」
ガシッ!
アズリードは再び、喉へと放たれたその腕をガッシリと掴みベンゼエルマを捕える。
「くっ・・・」
「この状態で、お前はどれだけ躱すことができるかな?」
アズリードはそう言うと、拳を引いて腰を捻る。
「来い!アトゥム!」
アズリードがそう叫ぶと、アズリードの握り拳の甲の部分に魔法陣が浮かび上がり、腕全体が光に包まれる。
「ちぃっ!」
アズリードがその拳を放つ前、その一瞬の刹那にベンゼエルマは自らの腕を手刀によって切断。
アズリードに掴まれた腕を切り離すと、そのまま全速でアズリードから離れる。
次の瞬間、ベンゼエルマの顔面が先程まであった空間に轟音を上げた光の一撃が振り下ろされる。
ゴゥッッ!!
拳圧だけで周囲の瓦礫を吹き飛ばし、少し離れた場所へと回避したはずのベンゼエルマが踏ん張っている様子を見ると、その拳の威力が相当なものであったことが容易に想像できる。
「す・・・凄い」
タツミは思わずそう漏らしていた。
アズリードが現れるまで、この場の誰もがベンゼエルマの速度に反応できず、そして誰もがベンゼエルマにかすり傷一つ負わせることができなかった。
圧倒的な力を持ってこの場を支配していた魔人を相手に、アズリードは有利に戦いを進めているように見える。
タツミの目で追える範囲の攻防ですらこれだけの密度の競り合いが起きている。
幾重にも行われているタツミの目では追えていない攻防も含めると一体どれほどの戦闘を繰り広げたのか想像すら付かない。
タツミはまだ、彼らの足下にすら及んでいないのだと嫌でも実感させられる。
「はっはっは、あんまり気にするなよタツミ。」
そんなタツミの心情を察したのか、アズリードはタツミに背を向けながら声をかける。
「この魔人と戦える人間なんてこの国に十人いるかどうかも怪しい。ましてやここまで優勢に戦える人間なんて俺以外にはおらんだろう。成人の儀を終えたばかりのお前がやることは力の差を感じて落ち込む事じゃない。」
「・・・」
「俺の戦いを見て、何か一つでも感じ取れ。学び取れ。盗み取れ。」
アズリードはそう言うと全身へと魔力を巡らせる。
アズリードの身体を巡る身体強化の魔力が、その流れの速さに熱を生み出し、零れだした魔力と相まってアズリードの背中に翼のように噴き出す。
「原初の太陽。生み出すは生命の光。宿りし力に込めるは破邪の波動・・・」
詠唱を始めたアズリードに対し、ベンゼエルマは真っ赤になった白衣の裏懐から一本の針が付いた袋を取り出すと、自ら切断した腕に突き刺す。
途端、ベンゼエルマの失われた腕が再生する。
「勇者を相手にするには些か準備が足りませんねぇ・・・」
ベンゼエルマはそう言うと、一瞬タツミの方を見る。
「っ!?」
目を合わせた相手に一瞬だけ別の風景を見せ感じさせる能力、と先程アズリードが言っていたことを思い出し、タツミは咄嗟に目を逸らす。
だが、目を逸らした隙にベンゼエルマはタツミとの距離を詰める為に跳躍。
「もらった!」
「しまっ・・・」
ガシッ
その跳躍をアズリードの左腕がベンゼエルマの胸倉を掴むことで止める。
「・・・え?」
詠唱中でありながらもベンゼエルマの速度に反応し、しっかりと対応するアズリードに魔人は思わず驚きの声をあげてしまう。
「昼夜を旅する光の象徴よ我が右腕となり威光を示せ『創造神の鉄槌』」
最初にベンゼエルマへと到達したのは破壊の衝撃。
次に光の魔力が渦となり、ベンゼエルマの姿を飲み込んだかと思えば、次に押し寄せる圧倒的な力の奔流に全身が削り取られ存在を消滅させていく。
アズリードの周囲の床の殆どが消え去り、塵すらも残っていない。
そんな大技を放ったにも関わらず、アズリードは眉間に皺を寄せ難しい顔をしながら呟く。
「・・・厄介な能力だ。」
そう呟いた目線の先にいたのは半身を失い辛うじて立っているベンゼエルマの姿であった。
「『蜃気楼』で避けられても良いように広範囲に放ったのだが・・・その子の近くに逃げよったか。」
ベンゼエルマの足下にはルーナが倒れている。
倒れている人を傷つけないようにと、人がいる場所へは力が及ばないように加減したのを逆手に取られ、ベンゼエルマは致命傷を避けていた。
いや、恐らくはそれでも致命傷になり得る程の傷を負っているのだが、先程見せた謎の薬のようなものを使うか、もしくは他の治療方法でもあるのだろう、負った傷に対しては何も言わず冷静に息を整えている。
「仕方ありません。ここは退きます。」
ベンゼエルマはそう言うと口を大きく開き、口の中から青い眼玉を吐き出した。
ゴロン・・・
床へと落ちた目玉は一瞬のウチに消え、代わりにベンゼエルマの周辺の空間を包み込む魔力が溢れ出す。
「また逃げるのか、ベンゼエルマ。」
アズリードはそう言って魔力空間に包まれたベンゼエルマへと手を伸ばすも、その手はベンゼエルマの姿を捉えられず空を切る。
立体映像を掴んだような感触を覚え、アズリードはすでに逃げられたことを理解する。
「今度戦う時は相応の準備をしてきます。それでは。」
ベンゼエルマはそう言い残すと、足下にいたルーナと共に消えていった。
「なっ・・・ルーナ!!」
そしてルーナの消滅と共に、短剣によって動きを封じられていたリリスもまた闇に呑まれ消えていくのであった。
「父上! あの魔人を追う術はないのですか!? ルーナを、あいつを取り戻してやらないと-」
タツミの必死の問いに、アズリードは静かに首を横に振る。
「ああなった奴を追う術は無い。奴は『蜃気楼』とあの逃げによって前の魔王討伐戦でも生き延びた厄介な魔人だ。」
「そんな・・・」
悔しがるタツミの肩に、アズリードは優しく手を置く。
「奴が何のためにこんなところにいたのか、ここで何をしていたのかは追々調査するとして、一先ずはよくやったと言っておこう。」
アズリードの全身が光に包まれていく。
「この光は一体?」
タツミはアズリードへ問いかける。
「なんだ。わからんのか? 召喚魔法だからな。役目を終えれば帰るのもまた召喚魔法の決まり事だろう。」
アズリードを包む光が濃くなっていくにつれ、その姿はぼんやりと薄くなっていく。
「色々と思うところもあるだろう。反省するべきところも、聞きたいことも、感じるところもあるとは思う。だが、とりあえず俺が消える前にこれだけは言っておくが・・・」
「・・・はい。」
「この部屋はもう保たんだろう、早く倒れている皆を連れて逃げなさい。」
アズリードはそう言って姿を消した。
ゴロンッ
それと同時に大きな石が落下し、石部屋の方々が軋んで唸りを上げているのに気付く。
石部屋が崩れたのは、タツミがシムス、ルーク、マコン、ソー、そしてエリスとハルベリアの六人を二回に分けて地上へと連れて上がり終えてから数分後の出来事であった。